「芹沢銈介の世界」-文藝春秋デラックス-

◆「可否道」の装幀って芹沢銈介によるものだったんですね!
民藝館で芹沢銈介の作品を見た後、この質感や細かさは印刷では魅力が半減してしまうなあと思ったけれど、古本屋でこんな本を見つけたらつい買ってしまいますよ。織物だけでなく、芹沢銈介が手がけた本の装幀や挿絵、陶器、のれんや団扇などの生活雑貨‥‥など、さまざまな分野の作品が収録されています。獅子文六の「箱根山」や「可否道」の装幀も芹沢銈介だったとは!?で、いきおい最近出た別冊太陽の「染色の挑戦 芹沢銈介」も買っちゃおうかと迷いはじめたりして‥‥。

週末は汐留ミュージアムでやっている「濱田庄司スタイル展」を見てきました。濱田庄司は、柳宗悦とともに民藝運動の中心人物として活動した陶芸家。バーナード・リーチとともにイギリスに滞在、ロンドンで個展を開くなどしたのち、益子で民家を移築しそこで暮らしながら、自身にとっての理想の生活と作陶を追求しました。また柳宗悦の没後は日本民藝館の第2代館長にも就任しています。

陶芸については、まったく知識がないので、技法の説明などがされていてもそれがどの部分を指しているのかさえ分からない場合があったりするくらいなのですが、今回の展覧会では陶芸の現場や作品が濱田庄司の生活にどのように活かされていたのかわかるようになっていて、初心者でも楽しめました。益子での生活と言ってもイギリス滞在時に影響を受けたライフスタイルが元になっているので、単なる田舎の生活ではないのです。

ところで、今思い返してみても柳宗悦の本を読もうとしたきっかけって特になくて、ただなんとなくという感じだったとしか思い出せません。でも読み始めてみたら、静岡市にある芹沢銈介美術館の開館30周年記念だったり、それに合わせて太陽の別冊が出たり、濱田庄司の展覧会が開かれていたり、デパートのイベント会場ではあるけれど、9月15日からは銀座の松坂屋で柳宗悦のコレクションを集めた展覧会が開かれるなど、いろいろイベントがあって、なにやらわくわくしてしまいます。なんでかな?と思って調べてみたら今年は柳宗悦の没後50年と、日本民藝館の開館ア5周年でもあるとのこと。

こういうのって自分で意識してなくてもサブリミナルな感じで少しずつどこかでインプットされてるんでしょうね。自分で選んでいるような気持ちになっていてもけっきょくまわりの影響を受けているんだよ、という好例でした。わたしとしては、それがいいとも悪いとも思ってなくて、むしろこの機会を利用して見れるものは積極的に見ておきたいと思ってます。

さて、話変わりますが、汐留まで行ったついでにお台場の日本科学未来館まで足をのばして、レイ八ラカミが音楽を手掛けた「暗やみの色」の特別上映を見てきました。谷川俊太郎が詩を書き、原田郁子がナレーションをしているという作品。2005年から2007年にかけて上映されていたらしいのですがぜんぜん知りませんでした。
光イメージした抽象的な映像を交えつつ星空の映像と、レイ八ラカミの音楽、原田郁子のナレーションの声がぴったり合ってて心地よかった(そしてちょっと寝た‥‥)。当然、その辺の人が好きな人に向けて作られたものではないし、大人向けというわけでもなくて、子どもが見て普通に楽しめるものだけれど(ちょっと難しい?)、こういう風に自然とレイ八ラカミの音楽を聴いたり、谷川俊太郎の詩にふれて、大人になってからそれらに気づくっていう経験はいい。気がつかない人がほとんどだとしてもね。

ちなみに今上映されているのは、原案・詩・ナレーション構成が谷川俊太郎で、麻生久美子が朗読を担当というこれまたうれしい内容。未来館まで来る機会もそうそうないので、一瞬、入場券2枚買って両方見ようと思ったくらいです。

「眼の引越」-青山二郎-

◆古本屋で蔵を建てた人はいないと言うけれど骨董屋で蔵を建てた人は多そう。レコード屋はどうか?
青山二郎という人知ったのは、マンスフィールドの池田正典のことを小西康陽が、現代の青山二郎みたいだと、どこかに書いているの読んだのがきっかけです。たぶん「リラックス」かなんかだったと思う。それに合わせてかどうか知らないけれど、その頃和服を着た池田正典が縁側でたたずんでいる写真もよく見かけました。
それからしばらくしてちくま文庫から出ている「青山二郎全文集」の(上)を読んでみたもののほとんど理解できなくって、いまだに(下)は読んでません。今回ひさびさに読んでみたけれどやっぱり難しい、そしてところどころ、ほんの少しおもしろい、という塩梅。そもそも青山二郎の書いたものが凡人に分かるはずもない、わからないからこそおもしろいんだ、といったところもあります。

8月は友だちに誘ってもらい久しぶりにDJをしました。結果的には、自分がDJすることよりも、ほかのDJの人たちが選んだ素敵な音楽が流れる中、ゆつくり音楽や映画とかの話しで盛り上がりながら、お酒が飲めたということのほうが楽しかったし、わたしにとって有意義でした。それって単なるお客ってわけでもなくて、自分がかけてるレコードのリアクションもあったりしつつ、でもほかのレギュラーDJの人たちとはちょっと違う立ち位置という、お客さんと主催者のあいだの楽しみというのでしょうか。
それにしてもみんな今でもアナログレコードが好きで、いまだにたくさんのレコード買い続けてて、それでもっていろんな音楽を知ってて、ほんとすごいな、と思う。わたしも普通の人に比べればまあまあCD買ってるほうだと思うけれど、そういう単なる楽しみのためにCD買ってるのと全然違うのね。当然、回すレコードの質も全然違う。

さきの小西康陽の文章を読んだとき、レコードコレクターを一流の骨董の目利きに例えるなんておおげさ過ぎるって思ったけれど、なんとなく少しその意味がわかるような気がしました。って書くと、これまた大げさですけどね。

「なにを買ったの?文房具。」-片岡義男-

◆福生友好祭に行ってきました。
文房具を紹介した本やムックってかなり多く出版されているようだし、海外の文房具や昔の文房具を取り扱う文房具屋さんもあちらこちらにできている気がしますが、みんなそんなに文房具って使ってます?わたしは手帳とペンとはさみとカッター、あとはクリップとかくらいで普段はほとんど使ってないです。
手帳ももう6年以上モルスキンだし、ペンもゼブラのSARASA(これが書きやすいんですよ、一時期ラミーの万年筆を使ってましたが、また戻りました)、はさみとカッターは無印。なので、単に文房具を紹介しているだけの本だと、見ていて楽しいし欲しいなあとは思うけれど、実際、今使っているもの以外に必要なものもないし、それらに不満があるわけでもないので、なんて考えると、いまいち興味がわかないんですよね。
そういう意味では、これはあくまでも主は文房具よりも片岡義男で、彼がそれをはじめにどうやって手に入れたかとか、どこか気に入っているのか、実際にどうやって使ってるかといったことが書かれているところがいいです。

土曜日は福生の友好祭へ。天気予報では夕方から雨ということだったのですが、夜になるまで雨も降らず、涼しくて、めずらしくビールとハンバーガーを両手に持ち、ゆっくり戦闘機とかを眺めたりしてしまいました。ここ10年くらい頻繁に友好祭に行っているけれど、たいてい快晴のいい天気で、それはそれでいいんですが、基地の中はさえぎるものがないのでけっこう辛かったので、今年は一番いい天気だったのかもしれません。これなら漣くんも連れていたのに~

ところで、いままでほとんど気にしていなかったけれど、友だちが言うには、展示されている戦闘機は、古く型落ちしたものや退役しているものがほとんどらしいです。その人とは4、5年前に一度一緒に友好祭に行ったのですが、今回行ってみてすぐに「あー前回とほとんど変わってないね。展示用なのかもね」って言ってて、歩きながらいろいろ説明してくれておもしろかった。でもほとんど忘れちゃってるけど‥‥(すみません)。

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たぶん7月の海の日に「今日は一日AOR三昧」をちょっとだけ聞いたせいだと思うけれど、今年の夏は洋楽も邦楽もAORっぽいものばかり聴いている。土曜からはわたしの中で南佳孝まつり。まあ単純に片岡義男、福生ときて「スローなブギにしてくれ」を聴きたくなっただけなんですけどね。
といっても、小説のほうはもちろん読んでいないし、映画のほうも昔深夜にテレビでやっていたのを流しながら見たくらいで、ちゃんと見てないんですけどね。今の福生とはまったく違う風景なんだろう。なんとなくいろいろ本とか読んだりしてると、意外に福生って60年代、70年代、80年代、90年代以降で雰囲気が変わってきているいるような気がしますがどうなんでしょうか。とりあえず1970年代後半の福生の様子を見るために「スローなブギにしてくれ」を今度ツタヤで借りてみようか。

「蒐集物語」-柳宗悦-

◆「芹沢銭介と柳悦孝-染と織のしごと-」@日本民藝館
この本を読んでいたら駒場東大前にある日本民藝館に行ってみたくなって、サイトを調べてみたら、特別展で「芹沢銭介と柳悦孝-染と織のしごと-」をやっているとのこと。染物も織物もまったくわからないわたしですが、しばらくのあいだ柳宗悦の本を中心に、骨董に関する本を読んでみようと思っているので、行くことに意義がある、行けるときに行っておこう、といった軽い気持ちで見てきました。

しかし、急な思いつきと勢いで見に行ったにもかかわらず、思っていた以上に中芹沢珪介と柳悦孝の作品が素晴らしくてちょっと感動しました。Webで作品の画像を見たときは、模様などが素敵だな、くらいだったのですが、実物を見てみたら、色合いや質感、微妙なグラデーション、細かい細工などWebでは分からない部分の細やかさや凝り方がすごくて、そんな簡単に“素敵だな”なんて言えるようなものじゃなかったです。

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この本を読んでいると、柳宗悦の自分がいいと思ったものに対する執看がすごいんですけど、こういう作品を見てみると、そのとりつかれるような気持ちが少しだけ分かるような気がしますね。かといって、わたしに手に入れられるものでもないし、柳宗悦的にはこういうもう評価が固まっているものは蒐集ではないんでしょうけど。

ちなみに静岡の芹沢鐘介美術館では、開館30周年記念として「巨匠・芹沢錐介-作品でたどる88年の軌跡-」が今開催されていて、ちょっと行きたい気分になってます。でも、ほかに静岡に何があるのかまったくわからないんで、さすが踏ん切りがつかずって感じです。

「名残りの東京」-片岡義男-

◆片岡義男と東京とワールドハピネス
あんまり見つからないこともあって、最近は片岡義男の本をチェックしていない。昔作っていたフリーペーパーに、夏は暑くて難しい本なんて読む気力が出ないから、片岡義男のエッセイくらいが軽くもなく適度に理屈っぼくてちょうどよいのだ、みたいなことを書いたっけ。
そんな片岡義男のエッセイに自身の写真が添えられるようになったのはいつ頃のことなのか分かりませんが、気がつけぱ、写真だけの本(写真集ともいう)を何冊も出すようになっていて、ウィキペディアに「写真家としても活躍している」などと書かれるようになってました。

この写真集もそうだけれど、基本的には、東京の片隅で忘れられた風景や物を写した写真が多い。それらの写真を写真としてどう評価するかについては、わたしはまだ結論が出ていないのだけれど、少なくとも片岡義男の東京に対する想いみたいなものが伝わってくる。そもそも片岡義男がいまだに東京に住んでいて(いや、住んでないのかな、わかりません)、今でも、いい意味でも悪い意味でも東京という街にこだわっているということが、なんとなく不思議な気がします。
単なるイメージでしかないけれど、とっくの昔にハワイとかロサンゼルスとかに移住して悠々自適な生活を送りつつ、ときどき雑誌の連載をまとめたエッセイなどを出してます、みたいな生活を送っていても不思議ではないと思うんですよね。もしかしたら、東京と同じように、片岡義男が昔ハワイという島に感じていた「何か」はなくなってるのかもね。適当ですが‥‥。

そういえば片岡義男が愛用しているカメラはオリンパスOM1ということをどこかに書いていて親近感を覚えたものだけれど、今でも使っているのでしょうか。いきなりデジカメとか使ってないですよね。これも個人的な勝手な思い込みですけど、OM1でなくてもよいので片岡義男にはフィルムのカメラを使い続けてほしいです。

土曜日は中日黒を歩きまわり、日曜日はワールド八ピネスに。実を言うと前日まで日曜がワールドハピネスだってことを忘れていたのだけれど、夜、友だち誘われて気がついた次第。ちょっと体調が悪かったし、日曜にやろうと思っていたこともあって迷ったのですが、ミオ犬と電話で話していたら 「ワールドハピネスなんてあと3年は行けないよ」と言われ行くことに‥‥。そう言われちゃったらねえ~

今年は炎天下→夕立ちというワールドハピネス始まって以来の過酷な天気だったらしいのですが、まあぎりぎり持ちこたえました。もうちょっと気温も低くてときどき曇るような天気で、のんびりビールでも飲みながら見たかったってのはありますけどね。友だちがいろいろ食べものを作ってきてくれたりしたんですけど、ほんとのんびり食べたり飲んだりって感じじゃなかったですもん。

それでもライブのほうは楽しかった。特によかったのはビートニクスとKimonos、 Salyu×Salyu、そしてYMO。
YMOは初めてライブを見たのですが、原曲を崩しているわけではないのだけれど新しい音楽になっているという曲のアレンジと演奏がすごかった。この演奏を見るだけでも毎年来てもいいと思いましたね。あと、なにげに一番見たかったSalyu×Salyuは4人のメンバーとバツク合わせて全体のアンサンブルが、決まっていて隙がなかったです。逆にその隙のない分、ときどきマントラみたいな瞬間もありましたが(笑)。

なにげにキッズコーナーも充実していたし、下は芝生だし、子ども連れも多かったし、最後までいないにしても、天気が良かったら来年は漣くんを連れて行けたらねえ、なんて思ったりするけれど、どうだろうねえ。

「ウェイストランド・ガイド」-後藤繁雄-

◆僕らがポラロイドで写真を撮る理由。(そんなことはひと言も書いてない)
この本は何年か前に、カヌー犬ブックスで売ってしまったのをちょっと後悔していた本。先日、古本屋で見つけたので、後悔しないようとりあえず購入してみました。

前に持っていたときはポラロイドの写真だけしか見てなくて、旅日記のほうはまったく読んでなかったのですが、今回買いなおしたことだしと思い、日記のほうも読んでみたら、ピーター・グリーナウエイやデレク・ジャーマン、ガス・ヴァン・サント‥‥など、90年代のアイコン的な人が出てきて、ちょっぴり懐かしい気分になりつつ、ポラロイドの独特な色合いの写真と合わせてみていると、、今の現実から浮いてしまっているかのような錯覚に陥ってしまいます。

最近「ふらふら日記」「歩くキノコ」「世界漫遊随筆抄」となぜか旅の本ばかり読んでいるのは、まったくの偶然なんだけれど、なんとなくどこかに行きたいなあという気分のあらわれなのかもしれません。まあよくわからりませんが。そもそもわたしはあんまり旅行とかに行くほうではないのですよ。かといって、一日中家にいるのも好きじゃなくて、もし長い休暇があったら、毎日、カメラとか持って近場をふらふらして過ごすんじゃないかと思う。そうやってふらふらすることで旅への欲求を少しずつ発散させているのかも、なんて思ったりして。でもそう書くと、旅行好きの人は普段はインドアの人が多いみたいな感じになっちゃうけど、実際はどうなんでしょうねえ?
そんな気分で、長畸に行ってきました~、ってそれはけっこう前の話ですね。

さて、週末、中日黒のIMPOSSIBLE PROJECTに展示されている、水原希子をホンマタカシがポラロイドで撮った写真を見てきました。水原希子はモデル出身で「ノルウェイの森」に出ているらしいです。とはいってもわたしは「ノルウェイの森」も見てないし、最近はテレビもあんまりみていないのでよくわかりません。
店内には、元の写真はもちろん、かなり大きなサイズのものなども展示されていたのですが、モノクロ~セピアな色のイメージということもあり、意外ときれいに引き伸ばされていてよかった。やっぱりホンマタカシの写真はいいな、と思いつつも、「ニュードキュメンタリー」以降、どうもホンマタカシのことが信じられなかったりして‥‥。

ついでに、わたしの持っている690用のカラーフイルムをひとパック購入。春頃に690用のカラーフイルムが、IMPOSSIBLE PROJECTから発売されてから、なんとなく買うきっかけがつかめないままだったのですが、そんなに中日黒まで来ることもないだろうということで、記念ですね。(実際はマップカメラとかで買えますが‥‥)

これからもポラロイドカメラで写真を撮るかどうかで、やっぱりネックになってるのは、8枚入りで2500円という値段と撮った後すぐに遮光しなくてはいけないところ、かな。わたしはポラロイドはわりと日差し強いところで撮ることが多いのでちょっと使い勝手が悪い気がしてます。でも、今はちょっと高かったり使い勝手が悪いけれど、それでも使っていくことで、今後、フィルムが改良されていったりするんじゃないかな、という気持ちもあります。そんなにたくさんの写真をポラロイドで撮っているわけでもないし、仕事などに使っているわけでもないし、ときどき撮るくらいペースで貢献できればいいんじゃないか、と。

でもそのときどき撮るペースで、わざわざポラロイドを使って撮りたいものが何なのか、いまいち分かんないってところが問題なんだな。

「さくらんぼ」-永井龍男-

◆今週はギャラリーバウハウスで「ロバート・フランク写真展」を見たあと神保町をうろうろ。
永井龍男の長編はもともと期待していないのだけれど、それでもこれはどうなのか?という気はする。学校を舞台としているわりにはそれほど教育ということに焦点を当てているわけでもないし、男女4人の恋愛も最後の方で早急にまとめた感じになっていて中途半端。短編はあんなにいいのにね。
表紙は堀文子という画家のイラスト。ウィキペディアによると1967年から大磯に住んでいて、「花の画家」と呼ばれていた日本画家。「キンダーブック」「ふたば」などの挿画、装幀も手がけていたとのことで、ちょっと気になります。

今日から8月、東京は海の日くらいからあんまり天気がよくなくて、あんまり暑くなることもなく、夜に雨が降ったりする。日曜は夕方くらいまで雨が降っていたので珍しく一日中家にいたりした。雨が降らなければ散歩日和と言えるんだろうけど、カメラを持ってうろうろするにはなんとなく光が足りないんですよね。今日から8月、今年はこんな感じで夏が過ぎていくんでしょうかねぇ。

お茶の水のギャラリー・バウハウスでやっていた「ロバート・フランク写真展」が土曜までだったので、すぺりこみで見てきました。実を言うとギャラリーのホームページを見たら、「1950~90年代にパリ、ロンドン、デトロイト、ニューヨーク、ロサンゼルス、カナダのノヴァ・スコシア、東京などで撮影されたモノクローム作品」という説明がされていて、「いや、それってバラパラってことじゃないの?」などと思っていたのですが、ロバート・フランクのオリジナルプリントは、ワシントンのナショナル・ギャラリーに寄贈されていて、見る機会もあまりないようですし、ついでに神保町を歩くのもいいかな、と。
実際、作品のテーマと表現方法が大きく変わっているわけではないので、年代や場所の違いで違和感を感じるようなことはなかったです。
「1949~51年にかけてパリで撮影された花をテーマにした写真と、1955年の夏にヂトロイトの自動車工場リヴァー・ルージュで撮影された写真を対照的に構成」するというパート2は、9月3日から。こちらも見に行きたい。

そのまま駅まで戻って神保町へ行く前に、近江屋洋菓子店でサンドウィッチを食べる。近江屋に行くのは本当に久しぶり。調べてみたら神田のほうは2005年12月、本郷のほうは2008年2月に最後の行ってるみたいです。5年以上ぷりの神田店もお店の雰囲気も変わってないしフレッシュジュースなどのドリンクが飲み放題なのも変わってない。そしてケーキや総菜パンも相変わらず素朴な感じうれしい。今だとバイキングのメニューにかき氷もあってイチゴのシロップやあずきなどを自分でかけて食べられます。日曜にくらべれば土曜はときどき日差しが強くなったりして夏っぽかったけれど、かき氷をがんがん食べる気温でもなかったので、氷少なめ、シロップ、あずき多めして作ってみたり‥‥。

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もう少し近けれぱ、漣くん連れてきたりできるのかもしれませんが、さすがに本郷と神田じゃちょっと遠い。一緒に来たらジュース飲み放題だしめちゃくちゃ盛り上がりそう。
しかしひとり暮らしになってみると、2009年から時計が止まったものやことがたくさんあるなぁと思う。逆にそこから時計の針が進み始めたもの多んですけどね。

「男の風俗・男の酒」-山口瞳、丸谷才一-

◆写真展をはしごしてみた。植田正治、桀築&映里、安井仲治
今年の夏は、いろいろ展覧会とかをまわりながら近くを散歩する、みたいな感じで週末を過ごそうと思ってる。いまさらまとめて映画を観てもたかが知れてるし、夜遊びするような歳でもないし、いきなり山に登ったり、スポーツをしたりということもまぁできないし、特にこれをやりたいという趣味も意外とないんですよ。
で、さっそく日曜日にいくつかギャラリー巡り。ほんとは東京国立近代美術館でやってる「パウル・クレー展」とフォイル・ギャラリーの「川内倫子展」を見たかったのだけれど、前者はものすごく混んでいるみたいだったし、後者は土曜までだったの行けず。クレー展は31日までなのでまだ悩んでるけど‥‥。

一つ目は、植田正治の雲をカラーのフィルムで撮ったシリーズを中心に展示されている「雲のうつくしい日に。」。植田正治というとやはりモノクロ写真のイメージが強いし、基本的に演出されたものが多いので、たぶん何の前知識もなしにこの作品を見たら植田正治と気づかないんじゃないかと思う。
でも、晩年にカラーでしかも雲という演出できないものを撮っていたということだけでも興味深い。そして、演出できない雲の写真でも構図など植田正治っぽさを感じられるところが発見できたりするのもおもしろいところでした。まあたぶんわたしの思い込みに過ぎないんでしょうけれど‥‥。写真展は京橋にある72Galleryで今週末31日までやっています。

さて京橋から途中、戦前アパート建築と有名な奥野ピルの前を通って銀座に移動。奥野ピルは去年も何かの展覧会を京橋に見に行ったついでに寄って、その時はエレベーターに乗ったり、ギャラリーをちょっとのぞいたりしましたが、今回は玄関にちょっと入っただけで通り過ぎただけ。ピルの中はギャラリーが多いので、機会があればちゃんと調べて各階のギャラリー巡りをしてみるのもいいかも。
しかし古い建物にはたいていの場合ギャラリーかアンティークショッブが入ってる気がするのですが、なんでなんでしょうね。

銀座では資生堂ギャラリーで、「桀築&映里写真展一三生万物」を見る。築築&映里は中国人写真家の桀桀(ロソロン)と日本人写真家の映里(インリ)が夫妻で活動しているユニット、実を言うと今回いろいろ展覧会を調べているうちにはじめて知りました。
北京が開発されていく様子や二人で暮らしているときから子どもたちが生まれたり大きくなっていく様子をを6×6のフィルムで撮ったシリーズが展示されていましたが、時の流れに沿った作品ということや、そもそもの中国の風景、モノクロで正方形の写真の四隅が暗くなっている感じ、などどこか古い映画の一場面を見ているようでした。
しかし家族で同じ場所で同じような構図で定期的に写真を撮っていくというのはいいかも。わたしもやっておけぱよかったと思いました。もう遅いですけどね。

最後は、銀座から中野坂上へ。東京工芸大学の写大ギャラリーにて、安井仲治の写真展。社会的なメッセージ性の強いものから芸術的なフォトモンタージュ、そして街角のスナップまで、被写体として選ばれているものは幅広いけれど、どれも確固とした作風で貫かれていて素人には絶対近づけない作品としての重みに圧倒されてしまいます。

さて、来週はどこに行こうかな~。

「沢がに」-尾崎一雄-

◆長崎で60cmのパフェを食べてきましたっ
「昔日の客」を読んだせいで、かなり前に買ったまま本棚に置きっぱなしになってした尾崎一雄の本に手を伸ばしてみた。最近は積極的に尾畸一雄の本を探したり読んだりしなくなってしまっているので、こういう機会に読んでおかないとね。
なんて書いてみてるけど、尾崎一雄の随筆はやっぱりおもしろい。書かれていることと言えば、曽我での日々の暮らしの様子や昔の思い出話、友人についてなどいつも同じなのだが、その繰り返しさえも文章のうまさと相まって深く感じられてしまう。いや、時間を空けて読んだから、なんかゆつくりとしみ込んでくるような深みを感じられたのかもしれない、なんて。4、5冊続けて読むと、もういいかな、という気分になっちゃうのも正直なところなわけで‥‥。

ちなみに昔読んだ尾畸一雄の本のほとんどは二宮の実家に送ってしまってます。うちはわたしが小学生の時に横浜から二宮に引っ越してきたし、子どもの頃もあんまり小田原方面に遊びに行くこともなかったので、尾崎一雄が書いているような曽我の風景は、わたしにも、たぶん、親にも記憶にないと思うけれど、やはり親しみがわいて、よく読んでいるらしい。まぁうちの周りとか家は増えているけれど、風景としては子どもの頃からあんまり変わっていないような気もしますけどね。

さて、連休からミオ犬と漣くんが長崎に帰省するに合わせて、わたしも一緒に長崎に行ってきました。
二宮と違って長崎はいろいろと観光するところがあるけれど、まぁ今回は二人を長崎まで送り届けるってのが一番の目的でしたし、何よりも梅雨も明けた晴天続きで子どもを連れて歩くには暑かったです~!いや、子どもだけならいいんですけど‥‥。

それでも夕方くらいから出かけて、前々から食ぺようと思っていたオリンピックというカフェで60cmのパフェを食べました。ここはひとり一品注文しなきゃいけないというわけではなく、一つのパフェを何人で食べてもいいので、思い切って大きなパフェを頼めます。隣では6人くらいの大学生の団体が、「ひとり20cm<らいなら食べれるんじゃない」などと言いながら、100cmだか120cmだかのパフェを盛り上がりながら食べてましたが、うちなんて二人+二歳児で60cmを軽く食べられましたよ~
一応崩れないように真ん中に串が刺さっていますが、アイスとかソフトクリームがあいだに入っていたりするので、食べきれるかどうかよりもうまく崩さないで食べられるかということのほうが重要なのかもしれません。

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あとはグラバー邸に出かけたり、中華街でごはんを食べたり、港の近くを散歩したりって感じ。金曜日をお休みにしたので四連休だったのですが、最初と最後の日は移動で終わっちゃったし、そもそも旅行が目的ではないし、これだけ行けれぱ十分。たてまつるにも行きたかったけれど、それは、次回、9月後半に持ち越し。でもそのときはどんなこといなってるんでしょうねえ~観光とかしている余裕はないのかもしれませんねえ~ふふふ。

そんなわけで漣くんが生まれてから夏の終わりのころに帰省するようになっていたけれど、今年の帰省はちょっと長い。こんなに長い期間一人暮らしをするなんて10年以上ぶりなんでなんかドキドキしちゃってます。って、特に大きな予定もないんですけど、とりあえず展覧会にはいろいろ行きたいな、と思ってるんですけどね。

「昔日の客」-関口良雄-

◆古本屋と作家のやりとりと同じように中古レコード屋と音楽家のやりとりも読んでみたい、かも?
前回「正宗白鳥の本は前々から読んでみたいと思ってはいるんですが、実際どれから読んでいいのかよくわかんないんですよね」と書いた正宗白鳥の宅に競り落とした初版本20数冊を勝手に届けに行く話が一篇目に出てきて、つい引き込まれてしまった。世界はつながっているんですよ。正宗白鳥と奥さん、そして著者3人のキャラクターや著者の描写のうまさもあって、正宗白鳥宅での奥さんや本人とかわされる話の雰囲気が何ともいえずよくて、これを読んでいるとほんとに正宗白鳥の本を読まなくちゃという気にさせられてしまいます。ちなみにこれほど正宗白鳥のファンである著者でさえ、「評論的なものは面白いから殆ど目に触れるものは読んできたが、小説は相変わらず面白くなく、読んだものもあるが読まないものもある」とのことなので、まずは評論から読むことにしよう、と決めました。

このほかにも尾崎一雄、尾崎士郎、上林暁、野呂邦暢‥‥といった作家が登場し、古本を通したやり取りやエピソードがつづられている。一概に言えないけれど、青木正美さん出久根達郎さん、「月の輪書林」の高橋徹など、古本屋さんが書いた随筆、特に昔のものはおもしろい。
今でも神保町とか行けぱ古本屋と作家との交流があるんだろうか?と思うが、神保町だとちょっとつきあいの雰囲気が変わってしまいそう。普通の町の古本屋にふらりと売れない頃の作家がやってきたり、文学について語ったり、お金に困って本を売ったり‥‥というシチュエーションがよいのだと思う。
それからそもそも作家との交流が書かれているからこの本がおもしろい、というわけではなくて、関口良雄さんの本に対する情熱やその人柄、そして文章の巧みさ‥‥などがブレンドされているからこそのおもしろさ、だったりしますしね。

ふと、こんな風な随筆を中古レコード屋の店主が書いたらおもしろいかも、なんて思ったけれど、ダウンロードが主流になるつつ今となっては、それももう時代遅れなのかもしれません。80年代から90年代くらいの中古レコード屋さんのエッセイとか、なんとなく今読みたいような気もする。
本屋とかカフェとか雑貨屋、パンやケーキ屋の人が書いた本はたくさんありますが、レコード屋ってあんまりないですよね。ふと思いついたものとしてはパイド・パイパー・ハウスの店長が書いた「輸入レコード商売往来」くらいか。あとジャズ喫茶の店長とかだといろいろ出してそうなんだけど‥‥。