「A Life in Film & Design」-Saul Bass-

◆殿ヶ谷戸庭園の紅葉
前々から出ると言われていてなかなか出なかったソール・バスの作品集が、ようやく発売になったのでさっそくアマゾンで注文。今までソール・バスの作品集というとgggのシリーズかアイデアのものしかなかったというのが不思議くらいですが、大判で厚さも4cmくらいあるハードカバーで、企業のロゴ、CIといったグラフィックデザインや映画のタイトルデザイン、広告・ポスターなどが1400以上(って書いてあった。もちろん数えてはいない)収録されており、まさにソール・バスの集大成という感じです。クリスマスのプレゼントにもいいと思います。

こんな本が届くと、昔の映画のサントラを聴きながらココアとかチョコチップクッキーとか食べたりしながら、真夜中にずっと眺めて過ごしたいな一なんて学生時代みたいなことを夢見ちゃいますね。
もっとも学生時代は、こんな洋書高くて買えなかったけど‥‥。何かの雑誌のインタビューでカジくんが「写真集は未来の自分への投資なのでできるだけ買うようにしてる」って言っててうらやましかったもんな。その頃はアマゾンもなかったしな~
まあ実際はゆっくり眺めている暇もなく、年末の楽しみ、みたいなことになってしまってますが‥‥。いや、ただでさえ年末年始のお休みが少ないのに、年末の楽しみとして心の中でとってあるものがすでに多すぎ、という気も‥‥。

-土曜は、国分寺にある殿ヶ谷戸庭園に行ってきました。前回行ったのが冬だったので、あまり気にしていなかったのですが、この時期は紅葉はものすごくきれいで、12月にもかかわらずカメラを持った人たちが多く来ていました。2週間前くらいに来たら一番きれいだったのかもしれません。

庭園なので芝生に入ったりして遊ぶことはできないのですが、起伏のある地形に合わせて、庭園が作られているので、ちょっとした山道と登っているようなところやゆるやかな坂があったり、場所によって木や石など違うもので作られた階段を上がったり降りたり、池に橋がかかっていたり、飛び石が置いてあったりして、漣くんぐらいの小さな子どもにとってはぐるっと回るだけでも楽しそうでした。「赤いね~」とか「きれいね~」とか大声で叫びながら走り回るので、ちょっと周りには迷惑だったかも!?

年々、一年が過ぎるのが早くなっていくような感覚はすでに慣れっこになってしまっていて、今さらどうとも思わないけど、子どもと一緒に過ごしていると、ふと、この子もあっというかに大きくなって、こんな風に一緒にはしゃいだり遊んだりすることもなくなるんだろうな、と思う瞬間があったりします。
多分、20代や30代の初めの頃に子どもがいたとしたらそんな風には思わなくて、30代後半からの時間のスピードの速さを感じた後だからこそのように思う。ある程度歳をとってから子どもができた人が親バカになってしまうのはそんなとこるからくるのかもしれません。適当、かつどうでもいいことですが。あーそんなこと思うのも、誰のせい?それはあれだ!12月のせいだ!

「焼物雑記」-井伏鱒二-

◆年末恒例!20%オフキャンペーンをやってます~
骨董についてつづった随筆をまとめた本。別で単行本になっている「海揚り」をはじめ、青柳瑞穂の掘り出し物の話、庄野潤三と水甕の話など、前に読んだことのある随筆が多いので、テーマに合った作品をあとから編纂しなおしたものなのだろうと思う。とはいうものの、丼伏鱒二の随筆は何度読んでもおもしろい。一つのテーマでまとめなおしてるので印象が変わるってこともありますけどね。
全体的な構成や話のすすめ方もよいのですが、ちょっとしたやりとりや一言が妙におかしかったりすします。これ読むとついでにまた「珍品堂主人」を読み返したくなってきますね。ほかに井伏鱒二が骨董についてつづった随筆をまとめたものってないのかしらん。

あと、どうでもいいはなしですけど文化出版局と丼伏鱒二という組み合わせがいまいちわたしには結びつかない。ほかに文化出版局から出ている井伏鱒二の本はあるのかな。

12月に入ったので週末にクリスマスツリーを出しました。去年もつぶやいたりしてましたが、クリスマスツリーって、早く出しちゃうと自分が浮かれてるようでいやだし、かといって、気を抜くとクリスマスの一週間前とかになってしまったりしてなんとなく出すタイミングが難しい。いちおうわたしの中では12月の第一週日の週末をクリスマスツリー出す日と決めてるんですけど、アドベントカレンダーがだいたい12月1日から始まることを考えると、ほんとうは11月中に出すのが正しいのかも?なんて思ったりもしてます‥‥。

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うちにある電飾は、昔ながらのプラスチックのカバーがついたいろいろな色が混ぎったやつなので、全体的にオーナメントも含めて統一感がなくて完全に子供向け。電飾をつけると「きらっきらっ」とか言いながらツリーのまわりを回ったりして、けっこう楽しそう。
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色合い的に合っていたので会社からもらったおとうさん犬のつけてみた。しかしすぐに漣くんによってはずされてしまった。

ついでにクリスマスのCDも少しずつ買っていこうかな、と思ってます。ビーチボーイズとかフィルスペクターとか、シナトラとか、50年代の女性ボーカルのやつとか‥‥定番のものを毎年3、4枚ずつ買っていく感じで、漣くんたちが小学生になる頃までには、ある程度枚数が増えてるといいかな、なんて気長に思ってます。なんとなくまとめて買っても聴く期間が短いのであんまり聴かない気がしますしね。

あ、それから年末と言えば、カヌー犬ブックス恒例の20%オフキャンペーンを行ってます。17日(土)までですのでよろしくお願いいたします。

「安南の王子」-山川方夫-

◆半年ぶりくらいにニチニチ日曜市に行く
続けて山川方夫の「安南の王子」を読んでみる。あとは講談社文芸文庫から出ている「愛のごとく」とエッセイ集「目的をもたない意志」が手に入りやすいよう。2冊くらいならついでに読んでみて、あとは古本屋での出会い待ち、ってところかな。

この本では、バンド仲間で王子様的な存在の男の子を、亡命中の異国の王子に仕立ててパーティに繰り出すという都会の遊民の姿を描いた「安南の王子」や、父親の亡ぎ後、祖父と母親の壮絶な争いに挟まれる長男の心境を描いた「最初の秋」、子どもの頃に近所に住んでいた精神薄弱の少女に慕われ、好きになってしまうという 「千鶴」といった短編5篇を収録されてます。
山川方夫の作品の全体が伝わるように、寓話的なものから私小説的なものまでバラバラな作風の作品を意図的に選択しているのかもしれませんが、なんとなく捉えどころがなく、どこに感情を置いていいのか分かりにくくなってしまっている気がしますね。「夏の葬列」含めて、もう少し収録する作品の選択や並びを変えたら印象が変わるんじゃないかな。まあまだ2冊しか読んでいないので分かりませんが‥‥。

-週末は久々にニチニチ日曜市&籠太でバイキング、という我が家の定番コース。ミオ犬が、いつものようにTAIYODOのお菓子やスコーンを買ったり、ベトナム雑貨のお茶わんやフリマを見たりしているあいだ、わたしと漣くんは泡山さんの絵本を読んだり、ゆるひのシフォンケーキを試食してみたり、通りで遊んだりという感じ。
泡山さんは、前回会ったとぎに、お互いに奥さんのお腹が大きくていつ生まれるのかみたいな話をしたので、もう生まれたのかな、なんて思っていたら、なんと15日生まれたばかりとのこと。しばらくしたら赤ちゃん連れでニチニチに来たりするようになるのかな、ちょっと楽しみ。
そんなわけで夜のおやつはTAIYODOのチョコくるみスコーン。これチョコも自家製なんですよ。チョコって手作りって言っても基本溶かして成形しなおすというイメージですが、カカオから選んで作ってるって聞いてちょっとびっくり。

実際にどうやって作るのかよくわからなかったので検索してみたら、デイリーポータルZでやってました。おそるべしデイリーポータルZ!

 →デイリーポータルZ:完全手作りチョコレート

「夏の葬列」-山川方夫-

◆山川方夫の「二宮」は別な他の世界への入り口という感覚はなんとなくわかるな
山川方夫の本を読むのは初めて。なんで読もうと思ったかと言えば、先日「『洋酒天国』とその時代」を読んでいたら・山口瞳のあとに「洋酒天国」に関わっていた編集者として紹介されていて、それだけでも読んでみたくなるところなんですが、加えて“住んでいた二宮駅の国道でトラックにひかれて亡くなった”なんていう記述があったから。もうこれは読むしかないという感じで本屋さんに行ってみたら、意外と簡単に見つかってちょっと拍子抜けでした。タイトルとなっている「夏の葬列」は中学の教科書に載っているらしいですね。

それに合わせてかこの本自体も中高生が読むことを想定して、「疎開児童」「畦道」「ウクレレ」「納戸」といったかなり平易な言葉まで細かい注釈がついていたりします。でもそもそも疎開していた海岸の小さな町で空襲に会い、主人公をかばおうとした少女を動揺した主人公が突き飛ばしてしまい、少女は銃撃されて死んでしまう。それから何年か経ち成長した少年が思い出の町に戻ってくる‥‥という話は、結末は書きませんがかなり残酷。ほかにも夫婦げんかを題材にした話や幼い子供を亡くした夫婦がそれをきっかけに別居するという話、無個性な団地に住んでいたことに気づいた男の反乱を描いた話など、これは中高生向きなのか?中高年じゃないのか?というテーマの作品が収録されてるんですけど、どうなんでしょ。

わたしとしては海岸の小さな町(二宮)を舞台にした作品がいくつか収録されているのがちょっとうれしい。小学校の時、引っ越してきたばかりの頃(1970年代)の二宮の様子を、ぼんやりと思い出しながら読んでました。木造で銃撃された跡がまだ残ってる駅舎だとか、小学校の木造校舎だとか、舗装されていなくて岩肌がそのまま出ているトンネルだとか、山のてっぺんまトンネルが続いてた防空壕だとか、もちろん海岸の様子だとか‥‥ね。
山川方夫がなくなったのは1965年なので10年以上後の町の様子なんだけれど、たぶんそれほど変わっていないと思う。いや、ある意味、今でもそんなに変わってないのかも?実家に帰っても家のまわりから出ないので、今の二宮の様子なんてぜんぜん分かんないんですけどね。

「正弦曲線」-堀江敏幸-

◆最近よく聴いてるCD(と言っても1か月も放置していたわけですけど)
普段、すでに亡くなっている人の本ばかり読んでいるので、堀江敏幸の本くらいは新しく出たらすぐに読もうと思っているのだけれど、気がつけばこの本も出てから2年も経ってしまってます。
今年に入って刊行されている回送電車シリーズの最新刊「象が踏んでも」や育児をテーマにしたという今までの作品とはちょっ違う趣向の長編「なずな」ももちろんまだ未読のまま。本に限らず音楽に関してもそうなんだけど、新しい作品が出るのが待ちきれない思いをして、発売されるのを待って本屋やCDショップに行く、という楽しみを味わうのが苦手らしい。いや、すごく読みたかったり聴ぎたい気持ちはあるんですけど、なんででしょうね。単に本もCDも中古じゃなぎゃ買わ(え)ないという貧乏症なだけか、新刊の本屋とかに行くとたくさんものあって選択できなくなってしまうという優柔不断な性格のせいなだけなのかもしれないけれど‥‥。

そんなわけでいまだにネットで本やCDを買うこともあまりなかったりします。もうアマゾンとかでCDとか本をチェックし出したらあれも欲しいこれも欲しいというい感じになってしまってきりないんですよ。
基本的には週に一回か二回、古本屋や中古のCDショップに寄って、そこにあるものから、そのとき読みたい本だったりそのとき聴きたいCDを3枚とか4枚くらい買うというのが性に合ってる。

さて、たまには最近よく聴いているCDをいくつか紹介します。

夏の間はめずらしくAORばかり聴いていたのですが、ちょっと涼しくなったころから男性のジャズヴォーカルばかり聴いてます。それは、高円寺のCafe DRAPERIEでパスペールエールを飲みながらフィッシュ&チップスを食ぺていたときに、バックで流れていたバカラックの曲をカバーしたジャズボーカルが心地よかったから。BGMがよかったのか、お店の雰囲気が良かったのか、真夏の昼間から飲むパスペールエールがよかったのか、なんとも言えませんが‥‥。60年代から70年代くらいで、微妙にポップスやロックに傾倒しちゃったサウンドのジャズヴォーカルが今年の秋のテーマになってます。

-■「Right Now!」-メル・トーメ-
メル・トーメほどどんなことをやフてもさまになってしまうシンガーも珍しいんでじゃないでしょうか。このアルバムではサイモン&ガーファンクルの「Homeward Bound」やサークルの「Red Rubber Ball」、マンフレッドマンの「My Little Red Book」といった曲をカバーしています。単なるイメージでしかないのかもしれませんが、気負ったところがまったくなくて誦々とした軽やかなジャズになっているところがいいです。

-■「Lonely Is the Name」-サミー・デイヴィスJr.-
こちらはロジャー・ニコルスの「Don’t Take Your Time」が収録されていることで有名なアルバム。曲としてはアレンジがかっこいい「Up Up And Away」のほうが好きかも。サウンドもヴォーカルも真っ向勝負というか、オレが歌ったらこんなにかっこいいんだぞ、という自信たっぷり感が清々しい。一方「Lonely Is The Name」などのミドル~スローテンポの曲もなかなかよいのですよ。その辺のメリハリがこのアルバムの魅力かもしれません。

-■「Your Mind is on Vacation」-モーズ・アリソン-
モーズ・アリソンの76年のアルバム。ファンキーなピアノで始まる「Your Mind Is On Vacation」がまずかっこいい。この曲はコステロもカバーしているのですがわたしはまだ未聴。「King of America」のボーナストラックに収録されているようです。実を言うとどこどなく“気の抜けた”ようなモーズ・アリソンのヴォーカルが今までちょっと苦手だったのですが、今聞くとその“力の抜けた”感じがいい。改めて50年代60年代のアルバムを聴いてみようと思ったりしてます。

-■「THIS IS ERNlE ANDREWS」-アー二ー・アンドリュース-
アーニー・アンドリュースはジャズというよりもブルースやソウルに近いのかな。1曲目とかもうノーザンソウルですし、オルガンをパックにした曲があったり、曲によってはビッグバンドをバックに歌っていたりして、それも含めてポピュラー歌手という感じなんでしょうね。そういうなんでもあり的なところがまたかっこいい。そう昔はそんなにはっきりとジャンルわけがされてなかったんだよなぁ、なんて当たり前のことを思い出したりしてます。

-■「Tell Me The Truth」-ジョン・ヘンドリックス-
コーラスグループで有名なランバート、ヘンドリックス&ロスのメンバーのソロ。ランバート、ヘンドリックス&ロスを思い浮かべてしまうコーラスが特徴的な「フラット・フット・フルージー」から始まり、ファンキーな「ノー・モア」、ボサノヴァテイストの「テル・ミー・ザ・トゥルース」、ラテンな「アイル・ベット・ユー・ソウト・アイド・ネヴァー・ファインド・ユー」など、洗練されたモダンな演奏と洒脱なヴォーカルが心地よいアルバム。

「『洋酒天国』とその時代」-小玉武-

◆烏山第一住宅に行ってきました
文庫が出たことを知ったとき、山口瞳の命日が近づいたら読もうと思ったのだけれど、すっかり忘れてました。8月の終わりの頃、「命日の時になんか読もうと思ったんだけどなんだったけ?」なんてまぬけに思ってなんですよねえ。

サントリーの社長である佐治敬三をはじめ、開口健、山口瞳、柳原良平、坂根進、酒井睦雄といったスタッフ、そして「洋酒天国」への寄稿者たちについて、その時代背景を交えてつづられてるのだけれど、次々にいろいろな人が登場してきて、話のエピソードもちょっと盛りだくさんなので、もう少し絞ったほうがよかったんじゃないか、という気もしないでもない。でもスポットをあてる人や出来事を絞って小さくまとめるよりも、「洋酒天国」という小冊子を中心に、さまぎまな個性的な人たちがどんどんつながっていく様を描くことで、著者としては、「洋酒天国」そしてその時代への思いの強さを示したかったのかもしれません。
まぁ「その時代」って言ったって、誰もが実際にトリスパーに通ったり、「洋酒天国」を読んだりしていたわけではないだろうし、結局のところ 「時代」っていうよりも、サントリーにこんな個性的な人がいて「洋酒天国」を作ってたんだってことにつきるんじゃないかと。

さて今日は、市役所に申請を出しに行く必要があったので、午前休して府中周り新宿経由で会社に。前に引っ越しの時も思ったけれど、府中市役所って土日はほとんど業務を行ってないし、夜までやっている出張所もないのでちょっと不便。前に住んでいた杉並区は夜7時くらいまでやっている出張所がいくつもあったのにな~(それでも当時は7時までしかやってないの?みたいに思ってました)。

用事自体はすぐに終わったし、会社に行く時間まで少し時間があるし、せっかく午前半休したことだし、というわけで、千歳烏山で途中下車。前から行っておきたかった烏山第一住宅に行ってきました。転んでもただでは起きないタイプです。
ここは阿佐ヶ谷住宅を設計した前川國男氏が手掛けた団地で、阿佐ヶ谷住宅と同じように、当時としてはかなりモダンな低層のテラスハウスが立ち並んでいて、それが今ではレトロな雰囲気を醸し出しています。まあ団地というより集合住宅といったほう趣ですね。
ただ取り壊しがかなり進んでいて、五棟ぐらいしか残ってません。残っている棟も一つの棟に何世帯か入居できるタイプのもので、そのうちの1つに住んでいる人がいてほかの部屋は住んでおらず昔のままで半分朽ち果てようとしているものか、今でも人が住んでいる一世帯用の戸建でかなりの部分でリフォームなどが行われているもののどちらか、という感じでした。少なくとも3年くらい前に来たかったなー、なんて今ごろ言っても仕方ないですけど‥‥。
阿佐ヶ谷住宅と違って住んでいる人とのトラブルもあまりないみたいなので、2、3年後には全部が新しい建物になってるんでしょうね。

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モザイクタイルの棟名も阿佐ヶ谷住宅と同じ

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取り壊された建物の跡

それほど広い場所ではないのですが、ブラシコなど公園の跡もあり、建物がまだ現役で人が住んでいた頃は、阿佐ヶ谷住宅と同じように緑に囲まれたいい環境だったんだろう。わたしが行った時もお母さんの団体が小さな子どもを連れて遊びに来てました。車が入れないようになっているみたいだし、地面もちょうどいい程度に草が生えていて、子どもを遊ばせるにはちょうどいい感じです。
そういえばわたしも漣くんがまだ生まれて何か月かという時期に、阿佐ヶ谷住宅に行きましたね。あれからぜんぜん行ってないけれど、今はどんな感じになってしまってるかな。イベントとかもやってないみたいですしね。
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「その辺まで」-獅子文六-

◆「イケムラレイコ うつりゆくもの」と「宗廣コレクション 芹沢錐介展」
獅子文六のおもしろさの一つとして、長く海外生活を送っていたわりには、意外と日本的な考えが強かったり、ときに欧米の合理主義的な考えが前面に出てきたりするという、そのブレンド具合があげられると思う。そこは獅子文六が横浜出身で、小さなころから中国人をはじめとした外国人に囲まれて育ったからなんじゃないかと思ったりするけれど、特にほかの人で、海外生活が長かったせいで考え方が偏ったという具体的な例が浮かんでるわけでもないので、単なるイメージなのかもしれません。すみません。

さて三連休は、相変わらず展覧会三昧、今月末にはミオ犬と子どもたちが帰ってくるので、そろそろ打ち止めか、という感じですが、土曜日は東京国立近代美術館でやっていたイケムラレイコ、月曜は松涛美術館で芹沢硅介の作品を見てきました。

イケムラレイコはベルリンとケルンを拠点に作家として活動している現代美術家で、わたしは今回の展覧会で初めて知りました。暗闇(?)で横になっている女の子の絵がなんとなく奈良美智が描く子どもと似たような雰囲気で心に残って、展覧会が始まる前から気になっていたんですけど、会場の音楽を蓮沼執太が手掛けていたり、カタログやWebサイトでの写真を川内倫子が撮っていたりという情報を知るにつれてもう行くしかないという気持ちに‥‥。

で、実際に作品を見てみると、似たような感情を作品から受ける瞬間もあるのですが、本質的には奈良美智とはぜんぜん違いました。まあそれは当然。いや、そもそも奈良美智の作品もちゃんと見ているわけではないんですけど。
そんな女の子の絵画やスカートを広げてうつぶせで寝そべって煩杖をつく少女たちの彫刻などももちろんよいのですが、私としては、どこか原始的な手触りと雰囲気を持ち合わせた彫刻の作品に心がひかれました。このひかれる感じはなんなんだろう、と考えてみてるんですが、ちょっとよくわかんないんですよね。
会場の構成はイケムラレイコのパートナーで、建築家のフィリップ・フォン・マットによるもの。奇をてらった感じはまったくないのですが、それぞれの展示が丁寧に考えられた構成になっていて、それが現在から過去の作品へとさかのぼっていって、最後にまた最近の作品が展示されているという構成になっています。最後の展示室に入った途端、なんとなくそれまでの作品たちがつながったような、全体で一つの輪になるような感じがして、また最初から作品を見たくなりました。

かわって、芹沢錐介は、8月に民藝館でやっていたのも見たので2回目になります。民藝館の展覧会では、柳悦孝の作品も展示されていたし(それはそれでよかったのですが)、民藝館ということで、(もちろん庶民がそれを使えるわけではないのですが)一般の人たちが普段の生活で使うものが中心に展示されていましたが、今回の展覧会では、暖簾、着物といった染物だけでなく、大きな屏風やお寺などから依頼されて制作したもの、また硝子絵や板絵、スケッチなど、芹沢錐介の作品を広くカバーできるようになっています。
それからこの間、濱田庄司の陶磁器を見たときもそう思ったけれど、展示されている作品がどうやって作られたのか、そこで駆使されている具体的な技法がもう少しわかると、より楽しめるんじゃないかと思ってしまいますね。絵心がないので、実際に陶磁器を作ったり染物を体験したりということは、多分できないだろうけれど、少なくてもその課程がイメージできるようにはなりたいです。芹沢硅介以外の染色作家や染織物作家の作品も見てみたいですし‥‥。

今はまだ興味を持ち始めたばかりなので、どうなるかわかりませんが、芹沢錐介や演田庄司を入り口に日本の伝統工芸について調べていって、いつかカヌー犬ブックスにもそういった本を並べられるようになれればいいかもね(それまでの道は険しそうだけど)。

「イケムラレイコ うつりゆくもの」
 会場:東京国立近代美術館
 会期:2011年8月23日(火)~10月23日(日)

「宗廣コレクション 芹沢錐介展」
 会場:渋谷区立松篇美術館
 会期:2011年10月4日(火)~11月20日(日)

「文士と骨董―やきもの随筆」-森孝一-

◆漣くんはすっかりお兄ちゃん気取り?
志賀直哉、藤枝静男、青柳瑞穂、岡部伊都子、小林秀雄、青山二郎、白洲正子、井伏鱒二といった文士による骨董、とくにやきものついての随筆を集めたアンソロジィ。

たいていの人が陶磁器は李朝のものを最高のものとしている半面、李朝を評価した柳宗悦の民藝運動については軽く批判しているというところがおもしろい。しかしそんな人でも、李朝の陶器について、柳宗悦が主張していた無作為なところをほめていたりして、柳宗悦の影響の大きさがうかがえます。

それから中国の陶器についての言及がまったくと言っていいほどないのも不思議。まぁ柳宗悦や青山二郎の本でも言及されることはほとんどないですけどね。やきものの評価としてはそういうものなのだろうか。なんとなくその頃の文士って中国に憧れをもってる人が多いので、その辺も含めて中国の陶器についてなにか語る人がいてもいいんじゃないかと思うんですけど、どうなのかな。単に編者の嗜好の問題なのかもしれませんが‥‥。

9月の終わりに二人目の子どもが生まれました。今回はミオ犬が実家の長崎に帰っての出産だったので、9月の後半から東京と長崎を行ったり来たり慌ただしかったです。まぁその前の7月後半からの2か月間はのんびりと独り暮らしをしていたので、そのしわ寄せ、とも言えますが。
ミオ犬と子どもたちが東京に帰って来るのはもうちょっと先になりますが、男の子二人兄弟になったのでこれからさらに騒がしくなりそう。

しかし生まれた子が漣くんそっくりなんですよ。生まれた時から髪がフサフサだったり、目や鼻、口など顔のパーツはもちろん、動きもなんだか漣くんを見ているようでおもしろい。病室では漣くんもうれしいのか、横に並んで寝転んだり、頭をなでたり、泣き出すと胸をたたいたり、ミルクをあげたり、すっかりお兄ちゃん気取り。まぁどこかで赤ちゃんがえりをするんだろうなぁと思うけれど、これからもずっと仲良くしてほしいですね。

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「世界のグラフィックデザイナーのブックデザイン」-小柳帝-

◆アーティストの本いろいろ
ポール・ランド、ソール・バス、ブルーノ・ムナーリ、エンツォ・マーリ、オーレ・エクセル、スティグ・リンドベリ‥‥といったアメリカ・ヨーロッパのグラフィックデザイナーがデザインした本を紹介した本。有名なデザイナーが多いので、ページをめくっているとこういう本持ってなかったっけ?という気もちょっとしてしまう。でも各作家の作品を断片的に見た記憶があるだけで持ってない。まあそんなものです。

とはいうものの、最近はブックデザインの本よりもレコードジャケットの本のほうが気になってたりしますね。いろいろな種類のものがけっこう出たので、もう出尽くしたのかなという感じがするのと、自分がアナログ盤を買わなくなったから、かな。とりあえずジャイルス・ピーターンンが監修したポサ・ノヴァのレコードジャケット本は欲しい。あと今さらながらサバービア・スイートのディスクガイドとか‥‥。

日曜はビームスのトーキョー・カルチャートでやっていた 「Here is ZINE tokyo 3」へ。信藤三雄や伊藤桂司、若木信吾、テイ・トウワ、ヒロ杉山、箭内道彦‥‥といった42組のアーティストによる、テーマもサイズもページ数も自由に作った限定5部の手作り本が展示されてます。

異なる素材のマテリアルをビニール袋でまとめたものや、厚紙できた表紙できちんと製本されたもの、新聞紙にコラージュを施したものものなどから、写真やイラストを簡単にまとめただけのものまで、個性的な手作り本がずらりと並べられていて見ごたえがありました。ただ会場の作品が展示されているという感じで、適当に手にとって眺めたりできない雰囲気があったのが残念。少なくとも座って見たい気はしますが、そういうわけにもいかないんでしょうね。

今年の夏はAORばかり聴いてました。今までもAORを聴こうと思ったことが何回もあるけれど・いまいちはまれないままだったのは、やはりものすごくメジャーなものからマイナーなものまで幅が広すぎることと、たどっていくための軸寺決められないという理由が大きいです。実際、今でもその軸が分からなくてかなりぐらついている感じです。
基本的には、どの音楽を聴くにもメジャーなものもマイナーなものも含めた形で、自分がいいと思えるアルバムを追いかけられたら、と考えていて、たいていの場合、まずはプロデューサーやブレイヤーなどのスタッフかレーベルをたどっていけば、大きな間違いはないと思っているのですが、そもそもAORってプロデューサーやスタッフの音楽という面が大きいし、一応メジャーレーベルから出ているものがほとんどなので、この手が通用しないのです。

そんなわけで、AORのレコードを紹介しているサイトを見たりして、よさそうなものを別のところで視聴して、よかったらリストに入れる、みたいなことをしなくちゃいけなくてかなり面倒。いや、ほんとはいつもこのやり方でレコード買ってれぱ、はずれをかなり減らせるんでしょうけどねえ。

ついでにAORに関して言えば、レコードを買う時の最終手段、「ジャケ買い」もまったくできません。さっきレコードジャケット本もいろいろな種類のものがけっこう出たって書いたけれど、AORのレコードのジャケ本はさすがにないのではかと‥‥。

「民藝四十年」-柳宗悦-

◆さよならシナトラの「セプテンバー・オブ・マイ・イヤー」とほかのレコードたち
最近は駅まで自転車で通勤するようになったので、また少し読書時間が短くなってしまいました。パスに乗ってるのは待つ時間も含めて行き帰りでまぁ30分弱くらいですが、それでも毎日となると大きい。本を読む時間だけではないけれど、もっと意識的時間を作っていかないとダメだなと思う。それは自分のための時間もそうだし、漣くんと何かをする時間もそう。残された時間は少ないというほどの歳ではないと思うけれど、気がつくと、「今は仕方ない」という気持ちで、いろいろなことがなし崩し的になってしまいそうだからね。

そんなことを思いながら、フランク・シナトラの「セプテンバーソング」を聴いてます。このシナトラの「セプテンバー・オブ・マイ・イヤー」は、高校生の時に「セプテンバーソング」が聴きたかったためだけに買ったレコード。石川町のタワーレコードで1000円くらいだったと思うけれど、特にシナトラが好きというわけではなかったし(当時からアステア~メルトーメ派)、そこまでしてなんで「セプテンバーソング」を聴きたかったのかは分かりません。知識も情報もない1980年代の高校生としては、「『セプテンバーソング』が収録されているジャズのレコード」を探すってだけでも、けっこう大変だったんですよ。
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「5月から12月までの時間は長いけれど、9月の声を聞くと(人生の秋になると)残された日々は少なくなる。だから、貴重な日々をあなたと一緒に過ごしたいのだ」(セプテンバーソング)

しかしそんな歌詞の歌が入ったレコードを必死に探してる高校生ってねえ‥‥。
しかもいま知ったのですが、この「September of My Years」ってシナトラが50歳になったのを記念したバラード集だったのですね。そういや収録されてる曲も「IT GETS LONELY EARLY(淋しくなった)」だとか「LAST NIGHT WHEN WE WERE YOUNG(遥かなる青春)」、「IT WAS A VERY GOOD YEAR(楽しかったあの頃)」「ONCE UPON A T1ME」、そしてこの「セプテンバーソ
ング」と人生の秋を迎えるような歌ばかりですね。うあ、いや、何も知らないってすごいわ~。

あー、で、それから25年経って、まあ 「残された時間は少ないというほどの歳ではない」けれど、確実に夏は過ぎて9月に入っているな、とは思ったりするわけなんだな‥‥。

あれ、なんか暗くなってますね。なんでだ?別に夜中にひとりで飲んだりしてないよ。

ちなみにこのフランク・シナトラのレコードは今日ディスクユニオンに旅立っていかれました。さようなら。(50歳になるまでとっておくという選択もあったかな‥‥)