■「評伝 獅子文六」(牧村健一郎)
お正月に帰省した時に持って行った本。二宮に行くときは本を1冊か2冊持っていく。
武蔵小金井から神奈川の二宮まで電車で約2時間くらいなので、行き帰りで約4時間、子どもと話しながら読んだとしても1冊は読み終わるはずなんだけど、途中から寝てしまったり、子どものゲームにつき合わされたりして、たいてい読み終わることはない。別に読み終える必要もないんですけど。
2009年に出た獅子文六の評伝「獅子文六の二つの昭和」を加筆して文庫化したもので、昨年の12月に「やっさもっさ」と一緒に出ていた。県立神奈川近代文学館の「獅子文六展」に合わせて出した感じだろうか?
内容的にも獅子文六の幼少のころからパリ時代、文学座立ち上げ、戦時中・戦後と、どこかの時代を深く掘り下げるわけではなく、獅子文六の歩みがわかるようになっているので、「獅子文六展」の副読本としては最適かもしれない。展覧会を見てから読んでもいいし、本を読んでから展覧会を見てもいい。ただ本を読むともう一度「獅子文六展」を見に行って、確認したくなります。
この本の帯に「突然のブーム到来?」と書いてあったり、内容についても「再評価以降の動向も踏まえた原稿も収録」などと記載されているけれど、個人的には、自分が獅子文六の本を読み始めた2000年代前半の頃、すでに獅子文六は再評価されていたと思うし、それ以後もわりと途切れることなく獅子文六の本は読まれていると思えるのだけれどどうなんだろう?
古本屋での本の値段も、それほど高いわけではないけれど、100円などで売られていることもあまりない印象。もちろん簡単に本が見つかるわけではないけれど、こまめに古本屋を回っていると出会うことも多い。そもそもサニーデイ・サービスの「コーヒーと恋愛」が出たのって1995年だしね。
ちくま文庫や朝日文庫から過去の本が刊行されるようになって、新しいファンが増えたことも確かにあるだろうけど、そういう地道に獅子文六の本を読み続けてきた人がベースにあったからこそ、文庫化することでより広がったんじゃないだろうか、なんて思ったりもしてる。いや、実際にそういう人がどのくらいいたのかわかりませんが。
■「詩人の魂」(山田稔)
数日後にパリに来て一緒に過ごす約束をしていた友人が突然亡くなった、という知らせを受けたパリに留学中の主人公が、その現実を受け入れられずに、パリを離れてさまよう「岬の輝き」、その主人公が日本に帰ってきてからの「白鳥たちの夜」「詩人の魂」の3篇の連作(?)を含む6篇を収録した短編集。
連作のほうは、1979年の1月、パリ滞在中の山田稔が、その翌月から一年間パリで過ごす予定だったVIKINGの同人、大槻鉄男の訃報を受け取るという実際の経験をもとにしている。そのためか少し感傷的な部分もある。
これを読んでいて自分が、先行きが不透明だったり、なにか心に不安や哀しみを抱えた主人公が、知り合いなどのいない外国の街でひとりさまよう話が好きということに気がついた。堀江敏幸や辻邦生の小説に出てくる主人公などもわりとそんな雰囲気だし‥‥
逆に、檀一雄みたいにどこにいってもすぐに友人を作り、その土地での食材を使いつつ料理して食べたりする豪快な話も好きですが‥‥。
■「信子」(獅子文六)
九州から上京し東京の大都女学校に赴任する新米教師信子が、校舎移転という学校を二分する騒動に巻き込まれたり、生徒たちとの軋轢に向き合ったりするというストーリー。夏目漱石の「坊ちゃん」の主人公を女性にしたオマージュで、赴任してきた主人公に、さまざまな問題がふりかかるものの、もちろん最後は、大団円で終わる。
獅子文六はデビュー間もないころに編集者に「ぼくは昭和の夏目漱石をめざしているんです。忘れないでください。いつか必ず漱石の『猫』や『坊ちゃん』を凌駕するユーモア作品を書いてみせますよ」と言ったというくらい夏目漱石を敬愛していたらしい。
「坊ちゃん」を読んだのは中学のはじめくらいの頃で、それからまったく読んでいないので大まかな内容しか覚えてない。だから2冊を比較することはできないけど、獅子文六としてはあっさりと大団円を迎えてしまうのが、どこか肩透かしな感じがする。獅子文六の小説は基本的に大団円で終わるので、それほどドキドキすることはないけれど、もう少し「これからどうなるのかな?」とか「そんな偶然ありか!?」みたいなことを思いながら読みたい。
この「信子」と「おばあさん」の2編を合わせて「信子とおばあちゃん」としてドラマ化されたため、わたしの持っている単行本はこの2編が収録されている。でも状態があんまりよくなくて持ち歩くのに注意が必要なので、「おばあさん」のほうも文庫で買いなおすつもり。昨年末にちくま文庫から出た「やっさもっさ」も持っていた単行本の状態があんまりよくなかったので、文庫で読もうと思っていたのですが、調べてみたら単行本のほうを読んでた。なんかどれを読んだのかわからなくなっててまずい。
■「東京の空の下、今日も町歩き」(川本三郎)
青梅や八王子、福生、調布、亀戸、板橋‥‥など、東京の周辺の町を一人で歩き、その途中で出会った風景や建物の由来、土地土地について、そこにまつわる過去の文学作品や映画のエピソードをつづる。川本三郎はこういう町歩きの本を何冊出しているんだろう?と思ってしまう。
わたしは数冊しか読んでいないけれど、どの本でも目的の町に行き、ひたすら歩いて、夕方になったら、「そろそろビールを飲みたい時間」などと言いながら、その町に昔からあるような居酒屋でビールを飲み、ビジネスホテルに一泊、次の日の朝食を吉野家でとって、またちょっと歩く、という内容が繰り返されている。でおなぜか飽きない。
特に贅沢をするわけではなく、同じことを繰り返すことで、ちょっとした非日常を楽しむ様子が浮き彫りになっているのと、そこに過去の映画のシーンや文学作品などが絡んでくることで、時間も行き来しているかのような感覚になってしまうところが読んでいて心地よい。
そして明確に文章にそういうことが書かれているわけではないけれど、川本三郎が町を歩くのは、過去に読んだ本や観た映画にまつわる場所を実際に歩くことで、その時の自分と対話しているんじゃないのかなぁ、なんてことをなんとなく思った。初めて歩く町や道なんだけど、実は過去に来たことがある町。初めてなんだけど、どこか懐かしい、というとちょっと違う、昔から心の片隅で親しみを感じでいる町。そんな雰囲気がある。
定食屋や居酒屋でお店の人や居合わせた客との会話も、単にその町についての話を聞き出すというだけになってなくて、いい距離感を保ったほどよい温度感で、一人で歩いているときのモノローグといいバランスになっている。