「眼の引越」-青山二郎-

◆古本屋で蔵を建てた人はいないと言うけれど骨董屋で蔵を建てた人は多そう。レコード屋はどうか?
青山二郎という人知ったのは、マンスフィールドの池田正典のことを小西康陽が、現代の青山二郎みたいだと、どこかに書いているの読んだのがきっかけです。たぶん「リラックス」かなんかだったと思う。それに合わせてかどうか知らないけれど、その頃和服を着た池田正典が縁側でたたずんでいる写真もよく見かけました。
それからしばらくしてちくま文庫から出ている「青山二郎全文集」の(上)を読んでみたもののほとんど理解できなくって、いまだに(下)は読んでません。今回ひさびさに読んでみたけれどやっぱり難しい、そしてところどころ、ほんの少しおもしろい、という塩梅。そもそも青山二郎の書いたものが凡人に分かるはずもない、わからないからこそおもしろいんだ、といったところもあります。

8月は友だちに誘ってもらい久しぶりにDJをしました。結果的には、自分がDJすることよりも、ほかのDJの人たちが選んだ素敵な音楽が流れる中、ゆつくり音楽や映画とかの話しで盛り上がりながら、お酒が飲めたということのほうが楽しかったし、わたしにとって有意義でした。それって単なるお客ってわけでもなくて、自分がかけてるレコードのリアクションもあったりしつつ、でもほかのレギュラーDJの人たちとはちょっと違う立ち位置という、お客さんと主催者のあいだの楽しみというのでしょうか。
それにしてもみんな今でもアナログレコードが好きで、いまだにたくさんのレコード買い続けてて、それでもっていろんな音楽を知ってて、ほんとすごいな、と思う。わたしも普通の人に比べればまあまあCD買ってるほうだと思うけれど、そういう単なる楽しみのためにCD買ってるのと全然違うのね。当然、回すレコードの質も全然違う。

さきの小西康陽の文章を読んだとき、レコードコレクターを一流の骨董の目利きに例えるなんておおげさ過ぎるって思ったけれど、なんとなく少しその意味がわかるような気がしました。って書くと、これまた大げさですけどね。