「真夜中のギャングたち」-バリー・ユアグロー-

-■鈴木清順、深作欣二、北野武といった日本のヤクザ映画やギャング映画が好きというユアグローによる、ギャングを主人公にした短編を47編収録した短篇集。短編といってもユアグローなので、どれも1ページから5ページくらいの短く、そこにいたる過程はもちろん、主人公の経歴や心理、周辺の状況といったことは描かれません。1行目からいきなりやばい状態になり、事実のみが淡々と描かれ、最後にストーンと話が落ちていきます。柴田元幸の翻訳の文章も内容に合わせてかいつもと違っていて、かなり硬質な文体になっている気がするけど、それは気のせいかもしれません。
どれもだいたい悲惨な結末なのだけど、きちんとオチもある。幽霊が出てきたり、空中浮揚するチンピラが出てきたりする非現実的なものもあるので、ギャングもののみで47編あるにもかかわらず、読んでいて飽きないです。でもやっぱりいっぺんに読むよりも1日5編ずつとか少しずつ読んでいく形がいいんでしょうねぇ(これはほかのバリー・ユアグローの本にも言えるか)。といっても寝る前に読んだら悪い夢を見そうな気もしますが‥‥。
ヤクザ映画のなかの一つのエピソードや一場面をスケッチしたという趣なので、読んでいるとどこかタランティーノの「パルプフィクション」を見ている感じがします。これらの話をいくつかピックアップして矢継ぎ早に見せつつ、出てくる登場人物の相関関係をうまく作って、最後にはなんとなく話がつながってる、みたいな形にしたらおもしろい映画になるかもしれません。いや、適当。
あとがきにバリー・ユアグローが好きなヤクザ・ギャング映画のリストがあってこれも興味深いですよ(あえてここには書きません)。

■先週末は天気予報が雪だったこともあり、金曜日に子どもたちが見たいと言っていたDVDを借りつつ、夜自分が夜見るために「ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール」を借りてみました。自分が見るためにDVD借りるのなんていつ以来だろうか?でも、普段映画を観なくなってしまったので、いざ借りようとしてもぜんぜん映画のタイトルが思い浮かばなくて、まいった。これは前にブライアン・ウィルソンの「ラブ・アンド・マーシー」を観たときに予告でやってて、観に行きたいなと思ったのが記憶に残ってたんですよね。やっぱり予告編、というか映画館での映像の記憶は大事。ニュースとかでタイトルだけ見ても時間が経ったら記憶に残らないもの。
という話はおいといて、「ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール」は、ベル・アンド・セバスチャンのスチュアート・マードックが、脚本と監督を手がけた映画で、拒食症の治療のため入院していた女の子と売れないミュージシャンの男の子、そして彼が音楽を教えている女の子の3人が出会い、一緒に音楽を作り初め、ライブをやるまでが描かれます。
ちょっとミュージカル映画ぽくなってるところもあり、もう、主人公たちが、グラスゴーの街のいろいろなところで、スチュアート・マードックが作る歌を歌い踊ってる場面を見てるだけでいい!という感じなんですが、そんな中で、登場人物たちの暗い部分もきちんと描かれてて、そのバランスが見ていて心地よかった。多分、登場人物たちの内面にもっと切り込んでいって、時には衝突したりしながら物語を進めていくことも、逆に音楽とファッションをもっと中心においてスタイリッシュでおしゃれな映画にするという方向もあると思うんだけど、どちらにも偏ってないところが、ベル・アンド・セバスチャン、はたまたイギリスのインディーポップのバンドのたたずまいに合ってる気がして、なんか懐かしい気分になってしまいました。
シンプルに「拒食症で入院してる一人の女の子が、音楽を作ることによって、自分の生きる方向を見つけ、より広い世界に旅立っていく」というストーリーとして考えちゃうと、わかりにくい部分やものたりない部分があるんだろうと思う。でもこれを見る人ってだいたいベル・アンド・セバスチャンとかインディーポップが好きな人だろうしね。個人的にはこういう隙間のある映画が好きってことを再確認しました。次なに見よう?

「珈琲が呼ぶ」-片岡義男-

-■帯にも書いてあるように「なぜ今まで片岡義男の書き下ろし珈琲エッセイ本がなかったのか?」という編集者からの問いかけに答えてつづられたエッセイ集。わたしに限らず、この本が出ることを知ったとき、「ついに片岡義男のコーヒーの本かー!」と思った人は少なくないのでは。そして、片岡義男だったら単にコーヒーについての思い出や喫茶店の紹介などでは終わらないはずと思ったと思う。
実際、この本ではコーヒー豆についてやコーヒーの淹れ方、コーヒーの歴史などについてではなく、コーヒーを飲むシーンが出てくる映画やコーヒーが出てくる歌、マグカップについて、そして片岡義男か若い頃に通った喫茶店(森茉莉も登場!)など、コーヒーをキーに、さまざまなカルチャーとを結びつけた考察が展開されていて期待を裏切りません。なので、珈琲についてのエッセイなんだけど、書かれている内容はわりと範囲が広く、読んでいると次から次に違う話が出てくるような感じなので、もうコーヒーについての文章はお腹いっぱい、ということはない。
加えてそれらに付随して随所に出てくる60年代から70年代のエピソードがおもしろい。子どもの頃の話は昔からエッセイの中でつづられている気がするけど、作家になる前や小説を書き始めたばかりの頃の話は、これまであんまり出てこなかった気がします。「コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。」という自伝的な小説も出してるし(まだ読んでいない)、最近になってこの時代のことがよく語られるようになったのはなんでだろう?特に理由もなくて「そういえば書いてなかったな」というくらいの、軽い気持ちなのだろうか?

「マンハッタンを歩く」-ピート・ハミル-

-■ピート・ハミルの本を読んでいたのは、高校生の終わりから大学生の初めの頃までで、「ニューヨーク・スケッチブック」や「ニューヨーク物語」「ボクサー」などを読んだ記憶がある。でも80年代らしい、わりと軽めでちょっとおしゃれな雰囲気の小説という印象が強くて、それ以降はぜんぜん読んでなかった。最近、読んだ常盤新平の本で、ニューヨークに行ったときにピート・ハミルに会った話が出てきて、ふと思い出して読んでみようと思った次第。
帯にはピート・ハミルの自伝的エッセイと記載されているけれど、実際はそれほど自伝的な感じはしない。元新聞記者らしく知識と経験をもとに、オランダ人がニューヨークに移住してきた19世紀から、その後、アイルランドやイタリア、アフリカ、アジアなどさまざまな国の人が移住してくることで、街が拡大・変化していく様子が、その時代のニューヨークを代表する人物を中心に書かれている。もちろんニューヨークで生まれ、育った自身の経験も書かれているので、思い入れやノスタルジーがあふれ出ることもあるけれど、それにおぼれることはない。それはこの本を書くきっかけとなったのが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件だったということにも関係するのかもしれない。
そういう意味でひさしぶりにピート・ハミルの本を読んでちょっとイメージが変わったかな。大酒飲みだったピート・ハミルが37歳のときに断酒した顛末、そしてそれまでの友人たちについて、自身の半生などをつづった「ドリンキング・ライフ」もどこかで見つけたら読んでみたい。最近、わたし自身、自分でもちょっと飲みすぎだなと、思うことがまぁまぁあるけれど、アメリカ人の飲み方とかもうぜんぜん違うんだろうな。いや、「ピート・ハミルに比べれば‥‥」と、安心するために飲むわけではないですよ。

■ところで直接なにがあったというわけではないのですが、アメリカ同時多発テロ事件のあと、なんとなくアメリカ文学を中心とした翻訳文学に興味がなくなってしまい、日本の小説ばかり読むようになったんですよね。それまでも少しずつ食べもの関連の本や阿佐ヶ谷文士の本など、日本の作家の本を読むようになっていたし、特にテロ事件自体に衝撃を受けたということもないので、たまたま自分の中のタイミングと多発テロ事件とのタイミングが合っただけだと思うのですが、いまだに何でだったのかな?と思う。
そういうことがあって、持っていた海外文学の本を売ってみようと思い立ち、始めたのがカヌー犬ブックスなのですが、6月10日で15周年を迎えました。専業で古本屋をやっているというわけでもないですし、実際のお店があるわけでもないですし、自分がやめようと思わない限り続けられるという状況なので、15年続けたからといって、なんということもないんですが、それでもやめなかったのは、コツコツサイトを更新する作業も含めてわりと楽しくやってこれたからかな。わからん。
わざわざこんな個人のサイトを見にきていただいたり、さらに本を注文していただいたり、15年間ありがとうございました。ここ数年は、わりと無理せずにのんびりやってきた感じでしたが、今年、3days Bookstoreに参加するようになって、ただ出店するだけではなく、参加するほかの古本屋さんと一緒にイベントを作っていくという感じで、皆さんの話を聞いたりしていろいろ刺激になってます。この刺激が消えないうちに20周年に向けて動いていければと思っていますので、これからもよろしくお願いします。

「ロボッチイヌ 獅子文六短篇集 モダンボーイ篇」-獅子文六-

-■モダンガール篇と同時に刊行された、男性を主人公にした作品を収録した短篇集。ちゃんと覚えてないし、調べてもいないのだけれど、なんとなく読んだことがある作品が多い気がしました。
モダンガール篇では当世風の考えをした女中など、その当時の風潮を取り入れつつ、「おっそうきたか!」と思うようなキャラクターが、活躍(?)していたのに対し、モダンボーイ篇では、作者、もしくは作者をベースにした主人公の作品が多かったりするので、モダン「ボーイ」とという感じではないかもしれません。やっぱり女性のほうが世相に敏感だし、ストーリーにあったいい感じのキャラクターを作りやすいのだろうか。男性をデフォルメするとなんかイタイ感じになりそうだしね。あとこの本に限らず、長編でも獅子文六の小説では、全体的に女性のほうが強いというかキャラが立ってるような気がします。男性はわりと情けない場合が多いですよね。
なので、モダンボーイというテーマとしてはちょっと弱いのですが、どの作品も話としては獅子文六らしいし、当時の世相をユーモアたっぷりで皮肉ったもの(と言っていいのかな?)、私小説風なもの、パリを舞台にしたもの、幻想文学みたいなものなど、さまざまな種類の話が収録されているので、獅子文六をはじめて読む人でも楽しんで読めると思います。長編もストーリーが起伏に富んでいるので読みやすいけれど、新聞小説が多いのでまぁまぁ長いですから。
しかし、編者の千野帽子も書いているように、「ライスカレー」の終盤の展開はヒドい。そしてこの作品を一番最初に持ってくる千野帽子も性格が悪い(いい意味で言ってます)。

-■東京蚤の市に続いててのわ市も無事終了しました。当日は天気もよく、かなり暑い一日となりましたが、たくさんの人に来ていただき、大盛況のうちに終えることができました。
ここ数年、東京蚤の市では屋内に古本街が設置されているのですが、外でお店を出している人はこんなに暑い中に1日いるのだなと思ってしまいました(時には雨が降ることもありますし‥‥)。空調が効いた屋内のありがたさを実感しました。逆に屋外の心地よさもあるし、会場の様子がわかるという利点もあるんですけどね。
てのわ市は、駅からちょっと離れていることや、公園ということもあり近くに住んでいる家族連れの人が多く、お店の前で座り込んで絵本を見ている子どもやお母さん、お父さんがたくさんいました。子どもの本ってすぐには決められないし、子どもたちに気に入ったものを選んで欲しいので、次回こういうイベントに出店するときは、小さなイスを持って行こうと思います。
次のイベントは、3月に行った3days Bookstoreの2回目です。今のところ7月の終わりくらいに開催される予定なので(まだ未定)、エアコンの効いた部屋でのんびりしたり、喫茶店でコーヒーを飲みながら読めような、夏の読書に合いそうな本をセレクトするつもりです。詳細が決まったらまた告知しますので、よろしくお願いします!

「断髪女中 獅子文六短篇集 モダンガール篇」-獅子文六-

-■ついに出たという感じの獅子文六の短編集。しかも女性が活躍する作品を山崎まどかがセレクトしたモダンガール篇と、男性が主人公の作品を千野帽子がセレクトしたモダンボーイ篇の2冊が同時刊行。これまで出た作品もまぁまぁ売れてるみたいだけれど、ちくま文庫の獅子文六推しがすごいですね。ほかの出版社からも何冊か食べものに関する随筆なども出てるので、今、獅子文六を読もうと思ったらある程度はわりと簡単に手に入るような気がします(作品数も多いのでそれでも一部なんだけどね)。
家政仕事はテキパキできて完璧なんだけれど、髪型がモガ風の断髪という女中が主人公の「断髪女中」をはじめ、主人公が大学時代に吉原で馴染みだった花魁を自分の家庭の乳母として雇い入れる「おいらん女中」、夫が買ってきたキュリー夫人伝記を読んで、急に賢夫人になろうとはりきりだす「胡瓜夫人伝」など、ちょっと変わった、そして自分の意見を持ちつつも、その論理がどこか間が抜けているような憎めない愛すべき女性たちが、次々と出てきます。「えっ?これはありなの?」などと思うような展開もあるけれど、その辺を許容できるとストーリーも楽しいし獅子文六の小説はおもしろくなります。逆に許容できないと「なんだ?これ?」という感じになってしまうんでしょうね。

■ただ個人的には、このシリーズの表紙の絵が、小説の雰囲気とあってないような気がして、いまいち好きになれないので、古本で見つけられるものは、できるだけ当時の本を探したいと思ってます。でも最近の文庫本の表紙って、AKB48の人だったり、アニメ風のイラストだったりするので、まだ作品の雰囲気を活かしているほうと言えるかもしれません。子どもが買ってる名作の本の表紙を見ると、子どもの頃に読んだときのイメージとぜんぜん違っていてびっくりするけど、子どもの頃からこういう表紙の本を買って読んでたら、大人になってAKB48の人が表紙でも違和感ないだろうなと思う。まぁうちの子が大人になる頃は紙の本なんてほとんど読まれなくなってて、電子書籍になってしまうんだろうから、表紙なんて関係なくなるのか。その頃は本の装丁というなんてものもなくなってしまうのだろうか?ああ。

■週末は東京蚤の市でした。2日とも天気もよくたくさんの人に来場していただき、また古書展街まで足を運んでいただきありがとうございました。個人的には、回を追うごとに忙しくなってなかなか外に出てお店を回ったり、ライブを見たりということもできなくなってきて、帰ってきて来てくれた人がツイッターやインスタにあげている写真を見ながら、すごい人だなぁとかライブ盛り上がってたんだなぁなどと思ってます。2日目の朝、まだ開場していないときに30分くらい会場を回るのを毎回の楽しみにしてます。(1日目はお店の設置をしているので余裕がないのです。特に今回は、本と会場ぎりぎりまで本を並べてました。)
あ、でも2日目の昼にちょっと外に出たら、堂島孝平のライブの時間で、こち亀の曲を歌ってて、「おっ!」って思いましたね。

■続いて今週末は、国分寺の武蔵国分寺公園で開かれるてのわ市に出店します。2週続けて出店するのは初めて。蚤の市や3days bookstoreで一緒のまどそら堂さんや、一緒に出店したことはないけれどよくイベントであって話したりする泡山さんといった古本屋さんをはじめ、金工の関田くん、地域雑誌「き・まま」など、近所なだけに知っているお店もたくさん出てるので、東京蚤の市とは違った形で楽しみたいと思っています。今のところ天気もよさそうなので、国分寺~西国分寺を散歩しながら、遊びに来ていただければと思います。国分寺だし音楽関連の本を多めに持っていこうかな、などと思っていましたが、そんなになかった~

 【てのわ市】
 ◆開催日 :2018年6月3日(日) ※雨天中止
 ◆開催時間:10:30~16:00
 ◆開催場所:武蔵国分寺公園 こもれび広場
 ◆武蔵国分寺公園オフィシャルブログ:【開催予告】てのわ市

「大いなる不満」-セス・フリード-

-■古代人のミイラに出会った科学者たちが、ミイラに影響され態度や行動が変わっていく様子を描いた作品をはじめ、死者続出するにもかかわらずなぜか毎年開催され、そしてなぜか多くの住民が参加するというピクニックについての作品など、不思議な設定の中で不可解、不条理、そしてどこかグロテスクな物語が展開されていく短編集。なんとなくミルハウザーに似ているかも?と思いながら読んでいたんだけど、最後に解説を読んだら、セス・フリードが同時代の作家で気になっている作家の一人にミルハウザーをあげていたので、納得。
比べちゃうとなんだけど、ミルハウザーのほうが緻密というか、物語全体に覆われる非現実的な空気の密度が濃い気がします。その分、セス・フリードのほうが、物語の世界にすっと入れる。物語の世界に入るというとちょっと違うニュアンスになってしまうかもしれませんが。ミルハウザーって読み始めるときに、大げさに言うと恐る恐る足を忍ばせながら入って、そこからどんどん引き込まれていく感じなんですよね。一方、セス・フリードのほうは、読み始めてすぐにその世界に入れるので、ミルハウザーと比べると読みやすい。まぁ単なる個人的な印象でしかないですし、読みやすいといっても、「去年、ピクニックの主催者たちは私たちを爆撃した。」という書き出しで始まる小説なので、好き嫌いは分かれるんだろうなとは思いますが。

■最近、フミヤマウチさんの渋谷系洋盤ディスクガイド100をなんとなくチェックしている。渋谷系っていうと一般的には1992年くらいから1996年くらいの感じなんだけど、取り上げられているディスクが、渋谷系と言われるミュージシャンのディスクではなく、「1987年から1995年にかけてリリースされた洋楽アルバムから『渋谷系』を象徴する100枚」という切り口で、マンチェスター関連からアシッドジャズ~トーキング・ラウド、ヒップポップ、ネオアコ~ギターポップ、シューゲイザー‥‥などといったディスクがピックアップされてて懐かしい。
今はもう手放してしまってるものも含めて聴いたことのあるディスクばかりで、当時はちゃんと新譜を追っかけていたんだなぁと思う。そしてわりといろいろなジャンルがある程度の範囲で流行っていたんだなとも思う。たぶん、今から20年後の2038年に、2007年から2015年にかけて流行ったディスク100(なに系なのかは知らん)とかセレクトしたとしても、そのときの40代の人たちにそれほど共感されないと思うんですよね。いや、単にわたしが今の音楽を知らないだけですね。
まぁ見ていて懐かしいですけど、わたしにとって1980年代終わりから1990年代初めって、大学にまったくなじめず友だちもほとんどいないという暗い時代だったので、その頃何したとかはもう思い出したくありません。

■ところで「渋谷系」って音楽だけじゃなく、ファッションや映画なども含めたブームだったってよく言われるけど、まぁいつの時代も音楽のムーブメントってファッションや映画を巻き込んでるんじゃないかな、と思うんですよ。でもたいだい文学ってほかのカルチャーとあんまりリンクしてなくってつまんない。
個人的には「渋谷系」文学ガイドを誰かに作って欲しいんですけど(自分で作るほどの知識はなし)、実際、渋谷系洋盤ディスクガイド100に取り上げられているような音楽を聴いているような人たちが、みんな読んでるような本ってなかったから、でっち上げになっちゃう。個人的には、ミルハウザーの「イン・ザ・ペニー・アーケード」とか入れたい気分ですが、誰も読んでないよね。むしろわたしの読んでない岡崎京子の本とかなんだろうな。小沢健二の先生は柴田元幸だったというのにね。

「花火」-パトリック・ドゥヴィル-

-■高級車のディーラーで、ラジオで放送するちょっとしたコネタを作ったりしている主人公と、地理学者の友人、そしてその恋人の3人が、プジョーやメルセデスなどの高級車を乗り継いで北欧からイタリアまでを移動していくロードノヴェル。友人の恋人はときどき男性に変装して爆破事件や強盗事件を起こしたりする。
もともとジャック・ケルアックの「路上」を読んでいて、どこにいるのかわからなくなってしまい、何度も途中で読むのをやめてしまったというロードノヴェルが苦手なわたしですが、この本も主人公の行動が書かれていると思ったら、友人の話になっていたり、場面がいきなり変わったりするするので、ストーリーを追うのが難しかった。でも場面の切り替わりと登場人物のはちゃめちゃさがマッチしていて、頭の中に「?」が浮かびつつも読み進めてしまう勢いがある。「路上」と比べると長い話ではないので、その勢いで読み終わる感じ。解説にも書いてあったけれど、描写が映像的なので、場面が頻繁に切り替わる映画を見ているようでもある。
細かいところで、レコード屋に勤めている女の子が出てきたり、ポラロイドカメラで写真を撮ったり、PRINT/RUNのコマンドでプリントアウトする古いパソコンが出てきたり(といってもこの本が出たのは1990年代初めなので最新型だ)と出てくる小物がいい(ほかにもあっと思うものがいろいろあったけど思い出せない)。そういうところもちゃんと再現して映像化したらおもしろいと思う。

■気がつけばゴールデンウィークもおしまい(というか、終わってからけっこう経ってる)。毎年何をするわけでもないけれど、今年は特に何もしなかったような気がする。と言っても、板橋に駄菓子屋ゲームをしに行ったり、朝倉世界一の個展に2週続けて行って子どもたちの似顔絵を書いてもらったり、イケアに行ったり、くらやみ祭りを流したり、花やしきに行ったり、「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」を見に行ったり、まぁまぁ近場で遊んでましたけどね。ゴールデンウィークなんてそんなものです。

■「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」は、子どもがマーベルにはまってることもあって家族4人で見に行ったのですが、いろんなヒーローが出すぎてて、はじめて見るには、正直わかりづらかった‥‥逆にそれぞれのキャラクターは分かっててもストーリーが単純じゃないので、子どもたちに理解ができたのかは不明。少なくとも小学1年生には難しかったようだ。
登場人物が多すぎなので全体的に雑な感じもしつつ、でもみんな集まってお祭りみたいな映画を作りました!という感じでもない。敵のボスの内面に焦点が当てられたりするんだけど、なんかそれも素直に信じていいのかよくわからなくて、どういう風に解釈していいのか微妙なんですよね。これまでの映画をちゃんと見てて、それぞれのキャラクターとかそれまでの経緯をなどを把握していると違う見方ができてより楽しめるんでしょうかねぇ。とりあえず最後どん底で終わって、次回に続くので、それまでに各映画をチェックしておきますかね。
しかし、なんか味方も敵も含めて各人の強さが違いすぎて、ひとまとめにしちゃっていいの?という疑問はぬぐえません。

■近年は基本的に子どもとしか映画を観に行ってないので、今年に入って観た映画と言えば、「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」「ウルトラマンシード」に続いて3作目。「ウルトラマンシード」は置いておくとして、「スター・ウォーズ」も「アベンジャーズ」もちゃんと完結せずに、もやもやしたままで来年以降まで待たされるのは、なんだかなぁと思う。両方とも上映時間も長いんだから、ちゃんと完結して、すっきりした気分で映画館を出たい。まぁ自分がそんな映画ばかり観てるからいけないんだけどね。たまにはレコード屋に勤めている女の子が出てきたり、ポラロイドカメラで写真を撮ったりするようなシーン出てくる些細なストーリーでコンパクトに終わるような映画を観たいという気分が高まります。

「随筆 冬の花」-網野菊-

-■身辺雑記的な随筆と師匠である志賀直哉、芥川龍之介、宮澤賢治といった作家について、そしてきものについてつづった随筆が収録されています。
真ん中に収録されているきものについての随筆がわりと続くので、読んでいてこのまま読み続けるか、この部分を飛ばしてしまおうか、どうしようかな?と思いながら読んでました。正直、きものに関するものの言葉の漢字が読めないし(もともと漢字に弱い)、もし読めたとしてもそれが着物のどの部分にあたるのかわからないので、読んでいてもあまり理解できてない。それで、なんかこの感じ前にもあったな、もしかして再読かな?とも思ったけれど、同じ三月書房から出ている辻井喬の「幻花」だ、ということに途中で気づきました。これも中盤に花についての文章が続いたんですよねぇ。

■帯に森茉莉が推薦文(?)を書いているのがちょっと気になります。生前に交流があったのだろうか?それほど網野菊や森茉莉の随筆を読んでいるわけではないけれど、今のところどちらの随筆にもお互いのことが出てきてない、と思う。いつか森茉莉が出てくる網野菊随筆や網野菊が出てくる森茉莉の随筆に出会えるんでしょうかねぇ。ちなみに網野菊は1900年生まれで森茉莉は1903年生まれなので年は近い。ただし森茉莉は1957年、54歳で初めての本「父の帽子」を出しているのに対して、網野菊は戦前の1920年代から小説を書いているので、作家のとしての活動が重なっている期間はそれほど長くない。と言っても、網野菊が亡くなったのは、1978年なので20年くらいは重なってるのだけれども(森茉莉は1987年に亡くなっている)。

-■土曜日、DDCFに行く前に阿佐ヶ谷のVOIDというギャラリーでやっている朝倉世界一の個展「東と京子 2018」へ行ってきました。朝倉世界一というと地獄のサラミちゃんとかポップでかわいいけどちょっと毒のあるイメージなのですが、今回の展覧会では東京で暮らす中年の男女の日常を水彩画で描いた絵が展示されています。なんとなく知っているような風景の中に二人がいて、というかどの絵も二人しかいなくて、その二人の関係もよくわからなくて、仲はよさそうなんだけど、どこか淡々とした雰囲気が二人の間にあるという感じの絵で、特にストーリーはないらしいのだけれど、絵を眺めていると、ほんわかする一方でちょっと寂しい気分になったりしました。
その日は、中央線沿いの駅を八王子から途中下車して、いろんなところに寄り道したりしていたので、その日に歩いた町並みがちょっとだけ思い浮べたりしながら、ジンジャーエールを片手にぼんやりと絵を眺めたり、ガラスドアの向こうの暮れていく通りの様子を眺めたりしていました。

-■DDFCはカトウさんプロデュースのソフトロックナイト。DDFCは毎月いろいろなテーマで、それぞれのDJが曲をかけるんだけれど、今回は、その前にインスタグラムに書かれたカトウさんの熱いソフトロックへの思いに動かされたのか、それぞれアプローチは違うけれど、これぞソフトロック!という曲ばかりかかって盛り上がりました。ソフトロックって曲自体は一定の雰囲気はあるけれど、ジャンルとしてはわりとあいまいなので、どんな音楽を聴いてきても、だいたいどこかでソフトロック的なところをかすめたりしてるんじゃないでしょうか。適当。まぁ10代からパンク~ハードロックしか聴いてないっていう人はどうなのかわかりませんが。
あ、でも、この間の3days Bookstoreで、パンク~ハードコア好きという人と話していたら、普段あんまり言わないけど、渋谷系はわりと好きだったんだよね、という話になり、2時間くらい音楽の話をしてたなw。

「呑めば都―居酒屋の東京」-マイク・モラスキー-

-■著者のマイク・モラスキーは、アメリカのセントルイス市生まれで、大学を卒業後、日本に留学しそのまま日本で暮らし、一橋大学で社会学の教鞭をとったり、ジャズ・ピアニストとしてライブハウスで演奏したりしているとのこと。そんなアメリカ人の著者が、普段飲み歩いている東京の赤提灯について書いた本。登場するのは溝口や府中、立川、洲崎、赤羽、立石、西荻‥‥といった東京の周辺の路地にある居酒屋で、そのお店や周辺の地域の成り立ちや店主や常連客とのやり取りがつづられている。銀座とか六本木、新宿といったところは出てこないところがおもしろい。
社会学の教授らしく、戦後から今にいたるまでの町の変遷などを、古くから住む人からヒアリングしたり、図書館などの文献を調べたりしているし、文章もかなりしっかりしているので、読んでいると、これを書いたのがアメリカ人であるということを忘れてしまう。日本酒についての知識も深いし、居酒屋に対する基準も厳しい。本屋さんでこの本を初めてみたときは、居酒屋についてアメリカ人が書いているのはめずらしいし、どういう印象を持っているのだろうか?アメリカとどう違うのだろうか?などと思って手にとってみたのですが、そういう意味では、こういう居酒屋について語っている本を出している日本人と感覚的にはそれほど変わらないかもしれない。ただ日本人が書くとどうしても子どもの頃の町の記憶などと結びついて、どこかノスタルジックな感情が出てきてしまったりするけれど、この本では、開発によって自分の好きな居酒屋や町の横丁が消えていくことに対する焦燥感はあるにせよ、そういうノスタルジックなところは希薄なところがいい。

-■個人的には、ここに取り上げられているような飲み屋は好きだけど、わざわざ行くのもなんだよなぁと思ってる。自分の生活圏の中で、チェーンではなくて個人でやっているところで、そこそこおいしくて、一人で居ても居心地が悪くなければ、わたしはいいです。それほどたくさん飲めるわけでもないので、どこかにいって飲み屋をはしごするということもできないしね。
あと、たいてい一人で飲みに行くときは、平日休日かかわらず、古本屋やレコード屋に行った後が多いので、立ち飲みはきつい。まぁいろんなところに行って飲んで楽しそうなので、ときどきどこかに行ってみたくはなりますが。

「魔法の夜」-スティーヴン・ミルハウザー-

-■夏の夜更け満月の下、眠らずに町をさまよう人々を描いた作品。何年もひとつの小説を書き続けている39歳の独身男性やマネキン人形に恋する酔っ払い、仮面を着けて家屋に忍び込む少女たちの一団、屋根裏部屋の人形、14歳の少女‥‥といった登場人物たちの、ひと夜におきるそれぞれの物語が、短いセンテンスで同時並行的に語られいき、ときに交差しながら全体の物語が進んでいきます。
一つ一つの文章が短いので、状況をつかみ取れないまま次の登場人物が出てくるし、気がつくと前に出た人物がまた出てきたりするので、最初はちょっと戸惑うし、見落としもかなりあるんじゃないかと思う。でも、読み進めていくうちに次第に物語の中に入り込んでしまい、読み終えると不思議な感触が残ります。
しかし夏の夜の話ということがわかっていて、しかも帯に「月の光でお読みください。」と書いてあるのに、なんで冬のこんな時期に読んでしまったんでしょうね。夏の夜に読んで、読み終わったらそのまま外に出て、夜の町を散歩しながら物語を反芻したり、余韻にひたったりしたくなる作品でした。

■23日から25日かけて西調布にある手紙社のEDiTORSで行われた3Days Bookstoreが終了しました。開会期間中たくさんの人に来ていただきありがとうございました。本をとってじっくりと眺めたり、置いてあるイスに座って本を読んだりする人が多く、野外のイベントなどと違いゆっくりとすごしていただいた人がたくさんいて、よい雰囲気のお店になったのではないかなと思っていますが、いかがでしたでしょうか。
カヌー犬ブックスとしては、よかった点もありつつ、反省点もたくさんありました。次回は来てくれた人が、より楽しめるような本を並べられたら、と思っています。また個人的には、一緒に出展した古本屋さんの方とゆっくり話せたりして、いろいろ勉強になりました。野外のイベントで、ブースごとに会計を行う形ですと、自分のブースの対応で手一杯でなかなかほかの出展者の方と話す機会ってないんですよね。皆さんすごい人ばかりで話がおもしろい!

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