古本の楽しみ方at SPBSギャラリー

先週、会社帰りに渋谷に行く用事がったので、ちょっと足をのばして、SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS(SPBS)でやっている「古本の楽しみ方at SPBSギャラリー」に行ってみました。
「古本の楽しみ方at SPBSギャラリー」は、SPBSの現スタッフであり古本屋もやっているJulyBooksさんを中心に、YATAI BOOKSさん、ATRIERさん、スノウショベリングさん、まどそら堂さんが参加している古本市で、カヌー犬ブックスも参加しています。
店内の片隅あるギャラリースペースで行われているのですが、参加店舗ごとに本を分けるのではなく、本のジャンルごとに本が並べられていて、古本市というよりも一つの古本屋をSPBSの片隅でやっているという感じになっていました。本が並べられている場所も、ギャラリーのスペースをうまく利用していて、素敵な空間になっています。

最近はイベントでもわりといろいろなジャンルの本を持って行っているのですが、今回は、たくさんの本を持っていくわけではなかったので、食についての随筆やレシピの本ばかりに絞ってます。もう少しジャンルの幅を広げてもよかったかなという気もしましたが、SPBSのお店にある本もわりと食や暮らしに関する本が多かったので、お店の本を見つつぜひSPBSギャラリーで手に取っていただいていただければと思います。「古本の楽しみ方at SPBSギャラリー」は、今週末1月26日まで、夜11時まで営業していますので、会社帰りに寄ってもゆっくり本を見れると思いますよ。渋谷駅からちょっと歩きますが‥‥。皆さまよろしくお願いします。

    ■SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS
    営業時間:月~土 11:00‐23:00 / 日 11:00‐22:00
    住所:〒150-0047 東京都渋谷区神山町17-3 テラス神山1F
    電話:03-5465-0588

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929-bところで、前回、渋谷のパルコにパルコブックセンター/ロゴスや立川のオリオン・パピルスについて書いたけれど、SPBSで本を見ていたら、いろいろとほしい本が見つかって、やっぱり新刊の本屋さんに定期的に行くべきだなと思いました。子どもと行く大きな本屋さんでもいいんですが、大きな本屋さんは(子どもと一緒ということもあるけど)自分が興味のある本棚だけしかチェックできないので、こういうきちんとセレクトされた本が並べられていて、それほど時間をかけずに店内をくまなく回れるくらいの大きさの本屋さんだと、いつもなら見つけられない本に出会えて、うれしい。まぁ出会えても全部買えるわけでもないんですけどね。

SPBSでは「西淑 作品集 Shuku Nishi WORKS」を購入。年末くらいに出た記憶はあるんですけど、限定1500部だし、自分が行くような本屋さんで見つけることはないんだろうし、ネットで買うのもなんだし(自分はネットで古本屋をやってるのに!)、などと思っていたので、こんなところで!という感じでした。しかも最後の1冊でした。そのほかにも岡本仁の「続々 果てしのない本の話」や、オーストラリアの食と暮らしの雑誌など欲しい本があったけど、これらはお財布と相談して今回は保留。次回、会社帰りに渋谷に行く機会があったときにまた行ってみようと思っています。

「動きの中の思索―カール・ゲルストナー」展@ギンザ・グラフィック・ギャラリー

928-a12月に獅子文六展に行く前にギンザ・グラフィック・ギャラリーでやっている「動きの中の思索―カール・ゲルストナー」展に行ってきたので備忘録として。
カール・ゲルストナーは、スイス航空のCIやフォルクスワーゲン、シェル石油のロゴタイプなどを手掛けたことで知られるスイスを代表するグラフィックデザイナー。医薬品メーカーのガイギー社のデザインチームで、同社の広告を多数手がけた後、1959年にコピーライター兼編集者のマルクス・クッターと広告代理店「ゲルストナー+クッター」を設立、1970年からは同社を離れてからはよりアートな活動をしています。基礎理論を近代的なグラフィックデザインの手法に展開し、27歳で「冷たい芸術? Kalte Kunst?」、30歳で「デザイ二ング・プログラム」、その後も「色の形―視覚的要素の相互作用」といった著作を出している理論家でもあるそう。

928-b今回の展覧会では、ガイギー社に在籍していた頃のものからデザインと並行して取り組んだアート作品まで、広告デザイン25点、傑作ポスター9点などを展示しています。広告やポスターはマルクス・クッターのコピーと写真をうまく配置し、一見するとすごく洗練されたデザインだけれど、コピーの翻訳と合わせてみるとどこかユーモアもあって、広告デザインの見本のような作品ばかりでした。地下に展示されているアート作品のほうは、広告などでのタイポグラフィーの構成をより進めたもので、なんとなく北園克衛のコンクリート・ポエトリーを思い浮かべてしまったけど、たぶん、両者の関連性はないと思います。
こういうのを見ると、ついアイデアを拝借してショップカードとか作ってみちゃおうかななどと思ってしまうのは渋谷系育ちだからでしょうかね。まぁ実際にはデザインセンスがないので「なんかぜんぜん違う!」ってものにしかならないのが哀しい‥‥

928-cそんなわけで、久しぶりに「構成的ポスターの研究―バウハウスからスイス派の巨匠へ」を眺めてみたりしてます。この本は多摩美術大学ポスター共同研究会によるもので、デザインの研究に主眼をおいているので、デザインの理論的なところは読んでも理解できないんですけど、作家の紹介部分を読みつつ、ポスターの写真を見ているだけでも楽しい。この本を買ったくらいに、「Karl Gerstner: Review of 5 X 10 Years of Graphic Design Etc.」というカール・ゲルストナーの作品集も出ていて、よくリブロや青山ブックセンターでいつか買おうと思いながら立ち読みしてたことを思い出したりしました。
結局、その本は買ってはないんですが、そういう風に本を手に取れる場所があるってことは大事だと思う。アマゾンとかで欲しいものリストに入れておいても、買おうって気持ちが盛り上がらなくて、放置状態になっちゃうんですよね。なので、復活した渋谷のパルコにパルコブックセンター/ロゴスが入らなかったのは寂しい。今では渋谷なんてそんなに行かないけどね!
そういう意味では、子どもが生まれた後の本の情報源として、立川のオリオン・パピルスの存在は大きかった。武蔵小金井に引っ越してきてしばらく経って、吉祥寺より立川に行くことが多くなった頃、よく夫婦で順番に子どもたちに絵本の読み聞かせをしつつ、空いたほうが、自分の興味のある本を探したりしてました。子どもたちが大きくなって、本屋行くと2時間くらい児童書コーナーを行ったり来たりしているのを見ていると、今、オリオン・パピルスがあったら‥‥と思ってしまいます。実際には、売り場面積も広いし児童書も多いので、「オリオン・パピルスよりジュンク堂に行きたい!」って言われそうだけれど‥‥

【読書メモ】「わたくしのビートルズ」(小西康陽)

明けましておめでとうございます。今年もカヌー犬ブックスをよろしくお願いします。

927-a年末の12月はずっと小西康陽の「わたくしの二十世紀」を聴きながら「わたくしのビートルズ」を読んでた。ゴールデンウィーク前にパソコンが壊れたので、休み中にのんびりと読もうと思って買った本だったけれど、パソコンがすぐに直ってしまったために読みそびれていた本。なんとなく年中に読んでおいたほうがいいかな、と思って持ち歩いていたけど、思いもよらず夢中になってしまった。

収録されているのは業界の人を主人公にした恋愛もののコント(お笑いのじゃなくて軽妙な、ごく短い話ね)や、毎日のように通っている名画座で見た映画について、そしてもちろん最近のDJでかけているレコードやライナーノーツに収録された文章など、前の2冊と変わらない。でも時代が変わったせいか、好きなレコードやレア盤を読者にすすめるような文章はほとんどないし、そういう構成にもなってなくて、単にこういうレコードを聴いたり映画を見てこう思った、ここがよかった、ということが淡々と書かれているところがいい。そして全体的に歳をとった哀しさが覆っていて、大きな病気になった以後の心境や離婚した奥さんとの子どものことなどもところどころでつづられている。

最近、渋谷系の音楽がよく話題になっているけれど、その渋谷系と呼ばれる音楽が生まれた盛り上がりや喧騒とは関係なく、ピチカートファイヴ、小西康陽の創る音楽は哀しみにあふれていたことや、初期の2枚で見せたようなスタンダードな楽曲だったということに気づいた。それは「わたくしの二十世紀」を聴いているとわかる。発売された当時は、ピチカートファイブの曲を今の心境に合わせてアレンジしなおしただけではないかと思っていたけれど、たくさんの引用で彩られて見えづらかった楽曲をスタンダードな形にとらえなおしたものだったのだと、今さらながら気づく。
そういう意味でもムッシュかまやつがナレーションをしているものの、曲自体は本人が歌っている「ゴンドラの歌」が心に響く。小西康陽、本人もこの「わたくしのビートルズ」で、バード・バカラックについて、歌はうまくはないけど、本人が歌った曲が心に響くと言っているように‥‥

しかしそれぞれの文章を配置する構成はバラエティブックらしいけれど、イラストや写真などがほとんどないので、収録されている文章の量が多いので読みがいがあるというか、もうおなかいっぱい。また10年後に同じような体裁で本を出してほしい。なんかその時の自分の年齢も含めてすごく心に刺さってくるんじゃないかって気がする。でも実際問題10年後には、出版社が同じような体裁の本を作ることができなくなっているんじゃないかとも思ってしまう。これから本ってどうなっちゃうのかなぁ。

「没後50年 獅子文六展」@県立神奈川近代文学館

926-a12月になってちょっと自由な時間ができたので、小雨の降る中、横浜まで「没後50年 獅子文六展」を見に行ってきました。初日ということもあり、獅子文六は根強いファンも多そうだし、会場が混みあってたらどうしよう、などと、10年以上ぶりに元町を歩きながら思っていたのですが、まぁそんなこともなく、ゆっくり見れました。

展示内容としては、直筆の原稿や当時の写真、書簡、作品の説明などを中心に、実際のものを展示しつつ、獅子文六の足跡をたどりなおすという作家の展覧会としてはシンプルな構成。奇をてらったような展示の仕方などもなく、全体としては今まで随筆などで読んだ内容をじっくり確認するという感じ。
個人的には、獅子文六が演劇を見た時やアイデアを残したメモが興味深かったです。思い込みもあるけれど、獅子文六のパリ時代ってのんびりとしたモラトリアム的な雰囲気で、それほどお金にも困ってないし、パリのさまざまな文化にふれて楽しんでいただけと思っていましたが、連日のように演劇を見て、それを事細かにメモしたり絵に描いたりしていて、日本に帰ったらこれをもとに新しい演劇をやりたいという気概にあふれていてちょっとびっくりしました。
このほかにも小説や演劇のアイデアなどのメモがたくさんあり、こういうものをあとから見るのは、ちょっとのぞき見趣味もあるのかもしれないけど、楽しい。
獅子文六展は来年の3月8日(日)まで。2月29日には曾我部恵一のトークショウ&ライブもあります。

926-b展覧会を見に行ったあとに聞いたラジオで、細野晴臣が「メモ魔なので今まではきちんとメモを残していたけど、パソコンを使うようになってメモを全部パソコンに残すようになった。だからパソコンに全部入ってるんだけど、以前ハードディスクが壊れてしまって、全部消えちゃった」というようなことを言ってて、紙で残すのって大事だなと。今活躍している作家でどのくらいの人が、手書きでメモを残しているんだろうか?手書き原稿なんてもう0に近いのかな?ついでにいいうと、今だと、写真もデジタルだから、こういう展覧会で作家の写真が展示されたとしても、昔の色あせた写真じゃなくて、プリントされたばかりのきれいな写真になるのか。なんか不思議。
そういえば、片岡義男はモレスキンのノートにアイデアなどをメモしてて、だいたい半年くらいで一冊使ってしまうってどこかで書いていた気がする。片岡義男の展覧会があったらそういうメモを展示してほしい。あと、自身が撮ったオリジナルの写真も。

926-c神奈川近代文学館のあとは、こちらも20年ぶりくらいに中華街に出て関内~桜木町まで歩いて疲れた。中華街は、なんかイメージとしての中国のテーマパーク化がすごい進んでた。そういう意味で、子どもたちと来ても楽しいかも?なんて思う。小さな女の子がお母さんに「中国に行ったらどこの町もこんな風に赤ばっかなの?なんで赤なの?」って言ってて、お母さんが返答に困ってた。
わたしの中では中華街というと高校から大学のころ、関内から石川町まで歩く間で、喫茶ブラジルで休憩するというイメージしかない。しかも火事で焼失して立て直す前の喫茶ブラジル。火事で焼けたのって90年代半ばくらいだろうか?昔ながらの喫茶店で、入口に古いレジスターが置いてあったり、お客さんもおじいさん、おばあさんばかりで、中にいると窓の外が中華街とは思えない不思議な空間だった。実家を探せばそのころに撮った写真がどこかにあるはず。年始に帰ったら探してみようかな。

第16回 東京蚤の市に出店しました

第16回 東京蚤の市に出店しました

925-bもう一週間以上経ってしまいましたが、、11月15日から17日かけて昭和記念公園で行われた東京蚤の市に出店しました。初めて昭和記念公園での開催で、期間もこれまでより1日長い3日間でしたが、3日間とも天気に恵まれて、3日間で5万人以上もの来場者があったようです。来場していただいた皆さま、スタッフの皆さまありがとうございました。

今回は、初めて単独ではなくスプンフルさんと一緒に、17日だけ出店させていただきました。スプンフルさんは、私が住んでいるマンションからすぐ近くにあるカフェで、これまでも東京蚤の市に出店していたり、カヌー犬ブックスもときどき出店させていただいているはけのおいしい朝市を主催しています。
お店に立っている側としては、これまで家族だけだったのに比べ、バックエンドにいつも人がいてわいわい話したり、ごはんやおやつを食べたりして、にぎやかな雰囲気で楽しかったですね。結果的にお店としては、クッキーやマフィンを売るスプンフルさんと、古本屋が並んでいるというだけになってしまったような気もしますが、その辺からお店の雰囲気を変えつつ、次回一緒に出店するときは、もっといろいろできればと思っています。

925-a昭和記念公園で開催ということを知ったときは、これまでの京王閣と違い建物も、屋根のある所もないし、休んだりするところも少ないだろうしどうなるのかな?と思っていましたが、会場が再入場可能ということもあって、お店を周り疲れたら会場の外の芝生のエリアでちょっとのんびりして、また会場に入る、という人が多かったようです。公園自体が広いので、少し移動すれば適度に休憩をとれる場所があるという感じでよかったのではないでしょうか。
個人的には八角テントでのライブや、場所によってその付近の雰囲気が変わるところなど、京王閣も好きだったんですけど、来てくれるお客さんとしては昭和記念公園のほうが便利で過ごしやすかったのかもしれません。ちなみにわたしは子どもたちがソフトクリーム食べたいというので、イケアまで行ってソファに座って休んだりしてました。北欧市に行って帰りにイケアに行くという北欧好きの人も多そうですよね。

925-c古本屋としては、3日目だけ出店したことやフードエリアでの出店だったこともあり、子どもを連れた家族の方々にたくさん来ていただき、開場から閉場まで大にぎわいでした。ありがとうございました!「このお店、小さいけどいい絵本がたくさんある!」などと言われたりして、ちょっと嬉しかったです。次回は絵本以外でも、「いい本たくさんある!」といわれるようにがんばりますー!

「果てしのない本の話」-岡本仁-

-■雑誌「HUGE」に連載された読書エッセイ。
といっても取り上げられるのは、本ばかりではない。冒頭でロデオにあこがれるアメリカの子どもとロデオの写真集の話から、スパイク・ジョーンズが撮ったロデオのドキュメンタリーについて、そして片岡義男「ロンサム・カウボーイ」が取り上げられる。その後も、映画や音楽、建築、民芸品‥‥など、さまざまなものが連想形式で、かつそれまでに出会った人たちや旅の思い出とともにつづられ、本の最後に再び「ロンサム・カウボーイ」が登場して終わるという形になっている。
かつて「relax」を読んでいた人たちにとってなじみのあるものも、自身の思い出話などと結び付けられてるせいで、新鮮な気分で読めるし、知らないものでも、前後で知っているものと関連付けられているせいで、ついチェックしなくちゃという気になってしまうところは、さすが「relax」の元編集長という感じ。そういう気分になる本を読むのはひさしぶりな気がする。

日本のサブカルチャーって基本的にアメリカ(イギリス)の文化への憧れをベースにしていたのが、気がついたら漫画やアニメなど日本で生まれたものが中心となってて、いつのまにか変わってしまったと思ってるんだけど、「relax」という雑誌は、アメリカの文化への憧れをベースにした最後の雑誌だったのかな?とちょっと思った。いや、今の雑誌を読んでないので、実際「relax」以後がどうなっているのか知りません。
ただ、2019年の今、ここに書かれているようなことに憧れて読んでしまう世代と、嫌味というか、嫌悪感を抱いてしまう世代で分かれてしまってるんじゃないかなと、なんとなく思ってしまうのですがどうなんでしょうね。

ちなみにこの本は本の雑誌社から出ているのですが、続編がパピエラボというところから出てます。こちらはリトルプレスみたいで、今まで本屋でも古本屋でも見かけたことがないし、ネットで調べたら版元でも売り切れで再販予定もないとのこと。どこかで出会える日が来るのだろうか?

■秋はイベントの季節。カヌー犬ブックスはそれほどイベント出店しているわけではありませんが、10月13日に国分寺マンションアンティークアヴェニューで行われたてのわ夜市に出店しました。

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てのわ夜市は5月に国分寺公園で行われたてのわ市の夜編。「美味しい『お酒とお料理』、美しい『器や照明、古道具』たち。そして ほろ酔い気分に心地よい『素敵な音楽』。秋の夜長を彩る 多摩・武蔵野地域の魅力が集う たのしい『大人の夜市』です。」というキャッチコピーがついているとおり、大人がわいわいとお酒を飲みながらお店を回ったり、知り合いとしゃべったり、ライブを見たりしているいい雰囲気のイベントでした。

晴れた日に公園の芝生の上でのんびりしたり、子どもと遊んだりしつつ、お店を回ったり、ライブを見たりするのもいいけれど、個人的にはこういうこじんまりとしたイベントのほうが好きかもしれません。お店もたくさん出ているわけではないし、個々のスペースも大きくはないので、出展者の人と話したりしやすいし、なんとなくお客さんとの会話も弾みやすい。
ちなみに当日は和田誠が亡くなったばかりということもあって、和田誠の本をとって話しかけてきてくれるお客さんが多かったです。
まぁ何といっても今回は車を出さなかったので、自分がお店をやりながらビールを飲めたということも大きいですけどね。

こじんまりとしたイベントと書いてしまったけれど、主催するほうは、前日に台風が通り過ぎたりしたこともあり、公園でやるイベントと同じくらい大変だったと思います。スタッフの皆さま、来てくれた皆さまありがとうございました!

「遠くの街に犬の吠える」-吉田篤弘-

-■主人公の小説家と彼を担当する編集者、そして普通の人には聞こえない音が聞こえる音響技士の3人が、消えた言葉の辞書を作ることをライフワークとしていた亡くなった恩師の手紙の秘密を、聞こえない音をたどりながら解き明かしていくというストーリー(最終的に解き明かしたのかどうかはわからない)。
吉田篤弘の本は、「フィンガーボウルの話のつづき」や「それからはスープのことばかり考えて暮らした」など、ずっと前から本のタイトルや雰囲気が気になっていたし、クラフト・エヴィング商會の「どこかにいってしまったものたち」を、本が出たばかりの頃に買ったりしていたので、なんとなくこういう雰囲気の小説なんだろうな、とは思っていたけれど、実際に読むのは初めてです。気にはなりつつなんとなく敬遠してしまってきたのは、クラフト・エヴィング商會の作り出す世界は好きなんだけれど、細部まで作りこんだその世界にどこか素直に入り込めない感じがしてたから。
初めて吉田篤弘の本を読んだ感想としては、ちょっと現実から浮いたような設定やストーリーはやはり思っていた通りなんだけど、この本で言うとそれほど世界観が作りこまれた感じはしなくて、実際は現実離れした話なのにすっと入り込めて、そのまま一気に読んでしまいました。最後の手紙を読んだ後、登場人物たちのそれぞれの描かれなかった気持ちが、聞こえない音となって浮かび上がって、耳の中でかすかに余韻が残ります。

-■もう1か月以上前のことになりますが、3月に新井薬師前にあるスタジオ35分でやっていたジョナス・メカスの写真展に行ってきました。ジョナス・メカスは、身の回りの日常風景などを撮影した映像記録で知られているリトアニア生まれの映像作家・詩人。10分くらいの短編から5時間を超える長編まで多数の作品を制作し、映画館やギャラリーでの個展などさまざまな場所、さまざまな上映スタイルで作品を上映しています。アメリカに渡ってきたばかりのころ、まだ英語を話すことができなかったため、コミュニケーションの手段の一つとして16ミリのカメラで映像を撮るようになったとどこかで読んだ記憶があるけど、本当がどうかわかりません。
この写真展では16ミリのカメラで撮ったフィルムを現像し、3~4コマ組み合わせることで、イメージが連なるように構成された作品が展示されていました。撮影されている対象もぼんやりとした風景やものが多く、それがいくつか組み合わされることで意識の動きみたいなものが浮かび上がってきて、なんとなくジョナス・メカスの過去の記憶の断片をのぞいているような気もしてきます。いや、本来、写真って、人の記憶では忘れ去られてしまうような風景やもの、人をそのまま残すわけなので、まさに記憶そのものなんですよね。

-■昔に行った場所や会った人を映像としてはっきりと思えている人もいると思いますが、わたし自身はあまり記憶力がよくなくて、すぐに忘れてしまいます。何かきっかけがあって思い出したとしてもだいたいぼんやりとしているし、思い浮かんだいくつかのものたちのつながりなどもはっきりしていない場合が多かったりします。そういうことも含めて、ジョナス・メカスの作品を見ていると、行ったことも見たこともない風景なのに、被写体が日常的なものだけになんとなく自分の頭の奥にある記憶を探っているような気分になったりします。
本当は自分で撮る写真も、自分の記憶の中の映像のようなものを撮りたいと思ってるのですが、うまく伝わるような形で撮れているかいっているかはわからない。そもそも自分の記憶をうまく映像化できてない時点で記憶を表現するなんてことは無理なんだろうなとも思うわけですが‥‥

「真夜中のギャングたち」-バリー・ユアグロー-

-■鈴木清順、深作欣二、北野武といった日本のヤクザ映画やギャング映画が好きというユアグローによる、ギャングを主人公にした短編を47編収録した短篇集。短編といってもユアグローなので、どれも1ページから5ページくらいの短く、そこにいたる過程はもちろん、主人公の経歴や心理、周辺の状況といったことは描かれません。1行目からいきなりやばい状態になり、事実のみが淡々と描かれ、最後にストーンと話が落ちていきます。柴田元幸の翻訳の文章も内容に合わせてかいつもと違っていて、かなり硬質な文体になっている気がするけど、それは気のせいかもしれません。
どれもだいたい悲惨な結末なのだけど、きちんとオチもある。幽霊が出てきたり、空中浮揚するチンピラが出てきたりする非現実的なものもあるので、ギャングもののみで47編あるにもかかわらず、読んでいて飽きないです。でもやっぱりいっぺんに読むよりも1日5編ずつとか少しずつ読んでいく形がいいんでしょうねぇ(これはほかのバリー・ユアグローの本にも言えるか)。といっても寝る前に読んだら悪い夢を見そうな気もしますが‥‥。
ヤクザ映画のなかの一つのエピソードや一場面をスケッチしたという趣なので、読んでいるとどこかタランティーノの「パルプフィクション」を見ている感じがします。これらの話をいくつかピックアップして矢継ぎ早に見せつつ、出てくる登場人物の相関関係をうまく作って、最後にはなんとなく話がつながってる、みたいな形にしたらおもしろい映画になるかもしれません。いや、適当。
あとがきにバリー・ユアグローが好きなヤクザ・ギャング映画のリストがあってこれも興味深いですよ(あえてここには書きません)。

■先週末は天気予報が雪だったこともあり、金曜日に子どもたちが見たいと言っていたDVDを借りつつ、夜自分が夜見るために「ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール」を借りてみました。自分が見るためにDVD借りるのなんていつ以来だろうか?でも、普段映画を観なくなってしまったので、いざ借りようとしてもぜんぜん映画のタイトルが思い浮かばなくて、まいった。これは前にブライアン・ウィルソンの「ラブ・アンド・マーシー」を観たときに予告でやってて、観に行きたいなと思ったのが記憶に残ってたんですよね。やっぱり予告編、というか映画館での映像の記憶は大事。ニュースとかでタイトルだけ見ても時間が経ったら記憶に残らないもの。
という話はおいといて、「ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール」は、ベル・アンド・セバスチャンのスチュアート・マードックが、脚本と監督を手がけた映画で、拒食症の治療のため入院していた女の子と売れないミュージシャンの男の子、そして彼が音楽を教えている女の子の3人が出会い、一緒に音楽を作り初め、ライブをやるまでが描かれます。
ちょっとミュージカル映画ぽくなってるところもあり、もう、主人公たちが、グラスゴーの街のいろいろなところで、スチュアート・マードックが作る歌を歌い踊ってる場面を見てるだけでいい!という感じなんですが、そんな中で、登場人物たちの暗い部分もきちんと描かれてて、そのバランスが見ていて心地よかった。多分、登場人物たちの内面にもっと切り込んでいって、時には衝突したりしながら物語を進めていくことも、逆に音楽とファッションをもっと中心においてスタイリッシュでおしゃれな映画にするという方向もあると思うんだけど、どちらにも偏ってないところが、ベル・アンド・セバスチャン、はたまたイギリスのインディーポップのバンドのたたずまいに合ってる気がして、なんか懐かしい気分になってしまいました。
シンプルに「拒食症で入院してる一人の女の子が、音楽を作ることによって、自分の生きる方向を見つけ、より広い世界に旅立っていく」というストーリーとして考えちゃうと、わかりにくい部分やものたりない部分があるんだろうと思う。でもこれを見る人ってだいたいベル・アンド・セバスチャンとかインディーポップが好きな人だろうしね。個人的にはこういう隙間のある映画が好きってことを再確認しました。次なに見よう?

「珈琲が呼ぶ」-片岡義男-

-■帯にも書いてあるように「なぜ今まで片岡義男の書き下ろし珈琲エッセイ本がなかったのか?」という編集者からの問いかけに答えてつづられたエッセイ集。わたしに限らず、この本が出ることを知ったとき、「ついに片岡義男のコーヒーの本かー!」と思った人は少なくないのでは。そして、片岡義男だったら単にコーヒーについての思い出や喫茶店の紹介などでは終わらないはずと思ったと思う。
実際、この本ではコーヒー豆についてやコーヒーの淹れ方、コーヒーの歴史などについてではなく、コーヒーを飲むシーンが出てくる映画やコーヒーが出てくる歌、マグカップについて、そして片岡義男か若い頃に通った喫茶店(森茉莉も登場!)など、コーヒーをキーに、さまざまなカルチャーとを結びつけた考察が展開されていて期待を裏切りません。なので、珈琲についてのエッセイなんだけど、書かれている内容はわりと範囲が広く、読んでいると次から次に違う話が出てくるような感じなので、もうコーヒーについての文章はお腹いっぱい、ということはない。
加えてそれらに付随して随所に出てくる60年代から70年代のエピソードがおもしろい。子どもの頃の話は昔からエッセイの中でつづられている気がするけど、作家になる前や小説を書き始めたばかりの頃の話は、これまであんまり出てこなかった気がします。「コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。」という自伝的な小説も出してるし(まだ読んでいない)、最近になってこの時代のことがよく語られるようになったのはなんでだろう?特に理由もなくて「そういえば書いてなかったな」というくらいの、軽い気持ちなのだろうか?

「マンハッタンを歩く」-ピート・ハミル-

-■ピート・ハミルの本を読んでいたのは、高校生の終わりから大学生の初めの頃までで、「ニューヨーク・スケッチブック」や「ニューヨーク物語」「ボクサー」などを読んだ記憶がある。でも80年代らしい、わりと軽めでちょっとおしゃれな雰囲気の小説という印象が強くて、それ以降はぜんぜん読んでなかった。最近、読んだ常盤新平の本で、ニューヨークに行ったときにピート・ハミルに会った話が出てきて、ふと思い出して読んでみようと思った次第。
帯にはピート・ハミルの自伝的エッセイと記載されているけれど、実際はそれほど自伝的な感じはしない。元新聞記者らしく知識と経験をもとに、オランダ人がニューヨークに移住してきた19世紀から、その後、アイルランドやイタリア、アフリカ、アジアなどさまざまな国の人が移住してくることで、街が拡大・変化していく様子が、その時代のニューヨークを代表する人物を中心に書かれている。もちろんニューヨークで生まれ、育った自身の経験も書かれているので、思い入れやノスタルジーがあふれ出ることもあるけれど、それにおぼれることはない。それはこの本を書くきっかけとなったのが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件だったということにも関係するのかもしれない。
そういう意味でひさしぶりにピート・ハミルの本を読んでちょっとイメージが変わったかな。大酒飲みだったピート・ハミルが37歳のときに断酒した顛末、そしてそれまでの友人たちについて、自身の半生などをつづった「ドリンキング・ライフ」もどこかで見つけたら読んでみたい。最近、わたし自身、自分でもちょっと飲みすぎだなと、思うことがまぁまぁあるけれど、アメリカ人の飲み方とかもうぜんぜん違うんだろうな。いや、「ピート・ハミルに比べれば‥‥」と、安心するために飲むわけではないですよ。

■ところで直接なにがあったというわけではないのですが、アメリカ同時多発テロ事件のあと、なんとなくアメリカ文学を中心とした翻訳文学に興味がなくなってしまい、日本の小説ばかり読むようになったんですよね。それまでも少しずつ食べもの関連の本や阿佐ヶ谷文士の本など、日本の作家の本を読むようになっていたし、特にテロ事件自体に衝撃を受けたということもないので、たまたま自分の中のタイミングと多発テロ事件とのタイミングが合っただけだと思うのですが、いまだに何でだったのかな?と思う。
そういうことがあって、持っていた海外文学の本を売ってみようと思い立ち、始めたのがカヌー犬ブックスなのですが、6月10日で15周年を迎えました。専業で古本屋をやっているというわけでもないですし、実際のお店があるわけでもないですし、自分がやめようと思わない限り続けられるという状況なので、15年続けたからといって、なんということもないんですが、それでもやめなかったのは、コツコツサイトを更新する作業も含めてわりと楽しくやってこれたからかな。わからん。
わざわざこんな個人のサイトを見にきていただいたり、さらに本を注文していただいたり、15年間ありがとうございました。ここ数年は、わりと無理せずにのんびりやってきた感じでしたが、今年、3days Bookstoreに参加するようになって、ただ出店するだけではなく、参加するほかの古本屋さんと一緒にイベントを作っていくという感じで、皆さんの話を聞いたりしていろいろ刺激になってます。この刺激が消えないうちに20周年に向けて動いていければと思っていますので、これからもよろしくお願いします。