「ロッパの悲食記」-古川緑波-

◆「101年目の植田正治『軌道回帰』」@アツコバルー
■昭和19年、33年の日記と食に関するエッセイという構成。特に19年の日記は普通の人からすれば「悲食記」とはまったく言えないくらい食べまくっているのだけれど、ロッパの食べ物に対する執念がすごすぎて悲しいのか滑稽なのかただ圧倒されるのみでした。
前半と後半に戦争末期(昭和19年)と戦後(昭和33年)の食物日記、その間に食べものに関するエッセイを挟んだ構成がいい。
菊池寛に戦前に一流のレストランでごちそうになった思い出をつづったあと、戦争が始まり「僕あ、ああいう美味いものを毎日食いたいと思って、努力を続け、漸く、それ位のことが出来るようにな身分になりました。ところが何うでしょう先生、食うものが世の中から消えてしまいました」と菊池寛に言うところなど、この人らしい言葉が満載で、この倍くらいの分量で読みたくなるほど。

-■毎月第三週水曜は渋谷のエッジエンドへ。最近は渋谷に行くのなんて、このイベント時だけになってます(?)。月に一回になっちゃってるので、いろいろ行きたいところがあるなーなどと思いつつ、アツコバルーで3月12日からやっている「101年目の植田正治『軌道回帰』」を見に行く。
今回の展覧会では、1986年に私家版として1000部限定で発表された「軌道回帰」や山川惣治をモデルにした写真などが展示されています。去年行われた「植田正治の道楽カメラ」もそうだったけれど、規模は小さいながら、テーマや展示方法、展示される写真の形式(今回はあえて印刷)などこだわりのある展示がうれしい。
ここはお酒も飲めるのでほんとはゆっくり時間のあるときに行って、おつまみでもつまみつつゆっくりすごいしたいところなんですけどね。下にあるクラフトビールが飲めるGoodbeer FAUCETSも気になってます。

■今月のインザパシフィック@エッジエンドは、レギュラーメンバーが二人欠席したせいかギターポップがたくさんかかって、いつもと違う雰囲気でそれそれで楽しかった。そんな影響もあって、帰ってきてからThe Hang-UpsとかThe Orange Peels、Kincaid、Bikerideといった1990年後半から2000年代初めのアメリカのギターポップを聴いている。キンダーコア、フィルターレコード、エレファント6、ミンティ・フレッシュ、マーチ・レコーズ‥‥といったレーベルの屈託のない明るいサウンドがいまでもわりと好きで、ときどき何かのきっかけがあると聴き直したりしてる。春ですねぇ~こんな曲たちをiPhoneに入れて簡単なスピーカー持ってピクニックに行きたい。去年は、春分の日近くに花見をしたけど、今年はそういう雰囲気ではまだないですね。

■三連休の一日目は、上野の国立科学博物館へ。朝起きた時はそんなところに行く気もなく、午前中スプンフルさんに行ってのんびりと話し込んだりしていたため、ついたのは1時過ぎ。当然、全部見れるはずもなく、地球館だけざっと見て日本館は次の機会に。まぁ一日いたとしても子どもたちの体力的に全部見るのは無理そうだし、当然、全部の展示に興味があるわけではない。今回は恐竜の化石を中心にわかりやすいところをさらって見た感じでした。これから機会があるたびに見に行ったらその時々でいろいろ興味の移り変わりが分かって楽しいのではないかと思う。といいつつ、最近、漣くんは図書館に行くたびに宇宙に関する本を借りてきているので次は日本科学未来館に行きたいな。

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「虚の焦点」-鈴木信太郎-

◆週末は風邪をひいて寝込んでました
■こけしややマッターホーン、神田志乃多寿司などの包装紙のイラストでおなじみの画家のほうではなく、大正時代、翻訳さえもあまりされてなかった頃からフランス文学を研究し、東京大学文学部長をつとめたフランス文学研究の第一人者。大正から昭和にかけてのフランス文学の翻訳事情やフランス留学の話、辰野隆、豊島与志雄、山田珠樹などの仲間との交流、フランスのマラルメの研究者との交流など黎明期ならではのエピソードが興味深く、おもしろい。

■海外の文化を貪欲に吸収していこうとするさまは、年が明けてから毎回のように大滝詠一の話をしているような気もしますが、細野晴臣が「Daisy Holiday」で語っていた大滝詠一との出会いを思い出したりした。大滝詠一が始めて細野晴臣の家に来たときに、ヤングブラッズのシングル盤をステレオの上に置いておいて試したこと、バッファロー・スプリングフィールドのアルバムをレコードショップで見つけた大滝詠一が細野晴臣が買いに来るまで何時間も買われないように番をしていたというエピソード、「当時ね、わかったかわかんないかって大事だった」という話とか‥‥あ、強引ですかね。

■ちなみヤングブラッズのシングル盤の話は、80年代、小西康陽の家に初めて細野晴臣が来るというときに、ロジャー・ニコルスのアルバムをステレオの上に置いておいたという話につながります。小西康陽の場合は、試すのではなく回答なんだろうけど。

■3月になったのでiPhoneに入れているエレクトロニカ系の音楽を全部消して、イギリスのハーモニーポップに入れ替えてみた。今年の冬はあんまりエレクトロニカ~電子音楽を聴かなかったかも。入れ替えてみてよく聴いてるのはフレッシュメンかな。フレッシュメンは、1965年に北アイルランドで結成されたビーチボーイズフォロワーのバンドで、数曲のヒットも出している。かなり忠実にビーチボーイズのコーラスに迫ってるし、曲もアレンジもいい。でもどこか突き抜けた感じがないんだけれど‥‥なんてつい言ってしまうのではアイルランド出身という先入観に違いない。

■そう、たぶん、このバンドが紹介されるときに必ず言われるだろう「アイルランドでなぜビーチボーイズ?」という疑問は、世界各国の音楽を貪欲に食い散らかしている日本人が言う資格はなし。写真を見るとサーフィンをやるような感じではない、いかにもアイルランドの人という感じのごついメンバーが7人並んでいるのだけれど、どんな風にして7人ものメンバーが集まって意気投合し、バンドが始まったのかだろう?ある日、友だちに誘われてその友だちの家に行ったらステレオの上に「ペット・サウンズ」が置いてあったりしたのだろうか?(結成年とサウンドからから考えると「サーファー・ガール」や「リトル・デュース・クーペ」か?)なんて考えるとちょっと楽しい。アイルランドのサーフィン&ホットロッドの黎明期の話(妄想)

■週末は風邪をひいて寝込んでました。なんかここ一年で4回目くらい?前は、後から考えたらあの時無理してたのが悪かったと原因が思い当たったものだけれど、最近は原因が思い当たらない場合が多い気がします。あぁ歳を取ったということか?
今回は、金曜の昼くらいから熱っぽくなって、ちょっと早めに会社をあがって8時に寝てそのままご飯もほとんど食べず、日曜の昼まで寝てました。今回はそれほど熱が高くなることもなくて、最高は土曜の夜中に計ったとき8度3分だったので、まぁなんとかなったけれど、ほんとうなら土曜の午前中に病院に行くべきだったと思う。風邪をひいたらしっかり寝て自分の回復力に身を任すのだ、という人もいるけれど、わたしの場合は、39度近くになりがちなので、とりあえず薬で熱を下げないことには始まらない。でも会社の近くの病院が信用できないってのが難点なのです。

-■日曜の午後は風邪も直ってきた感じだったので、家族で「ウルトラマンギンガ」の劇場版を見に行く。制作費をあまりかけられないんだなあという感想しか出ないような内容でした。4歳と2歳の子どもが見るには十分なのかもしれないけれど。
わたしが子どもの頃は、ウルトラマン、仮面ライダー、戦隊シリーズという大きな3つの子ども向けの特撮番組がありつつ、そのほかにB級、C級の特撮ものがたくさんあったという記憶があるけれど、今ではその3つの番組がB級的な扱いに落ちてしまっているような印象。中でもウルトラマンの凋落が激しい気がするのは、ターゲットに大人も含めて新機軸を打ち出した仮面ライダー、あくまでも子どもがひっかかるギミックで押しまくる戦隊シリーズの間でターゲットが定まらないためか。意外と大きいってことがネックになってる気もしないでもない。

「森本書店 24号」

◆行けなかった喫茶店あれこれ
■そういえばこれについて書くのを忘れてた。前々から読んでみたかったフリーペーパーを、2月のはじめに高円寺のAmleteronでようやく入手(この号はフリーではなく300円)。そのときすでに数冊しかなかったので、もう手に入らないのかな。わかりません。
安田謙一、岡村詩野、平川雄一、犬伏功、キング・ジョー、江村幸紀、松永良平、菅野カズシゲ、樋口大輔、武末亮、藤瀬俊、オーナー森本泰弘といった人たちが、森本書店で2013年に再生時間の長かったレコードからレコードのマトリクスナンバー、1980年代初めのゲーム音楽、フリーペーパー、ソフビ‥‥などについて執筆していて、50ページくらいの小冊子ではありますが、内容は盛りだくさん、かつ濃密。写真なども素敵なものが多いですよ!

電車の中とかでさっと読んでしまうのがもったいなくて、木曜の夜、会社帰りに荻窪に寄ったときに、これを読むために6次元にでも行ってみようと思っていたけれど、10時までに荻窪に着くのは無理でした。

■最近はそうでもないのだけれど、昔は喫茶店で本を読むのがなんとなく苦手でした。なんかまわりの様子が気になってしまって集中できなかったんですよね。そんなわけで、喫茶店ではわりと軽めなエッセイとかをよく読んでました。あ、今は軽めの随筆しか読んでないから喫茶店でも普通に本が読めるのか?
それから古本屋やレコード屋を回った後には必ず、喫茶店でライナーノーツやクレジットを読んでましたね。20年前は、今ほどディスクガイド的な本も少なかったし、ネットもなかったから、ライナーノーツに書かれている内容が大きな情報源だったような記憶があります。
そんなわけで、ときどきそのレコードを買ったときとか思い出とか自分の話ばかりで、全然そのCDやミュージシャンについて書いてなかったりすると、ちょっとなんだかなぁという気持ちになったものです。まぁ小西康陽のはそれはそれで楽しめるんですけどね。
今は簡単にバイオグラフィーとかディスコグラフィーをネットで調べられるけれど、そういう時代になって、ディスクガイドがたくさん出版されるようになったのはなんでなんでしょうね。

-■先週の金曜は有給をいただき、子どもたちを連れて四谷三丁目にある消防博物館に行ってきました。いつの時代も小さな男の子は働く自動車が好き。去年、暁くんをべビーカーに乗せて行ったのですが、ここはビルの中に自動車が展示されているので、ベビーカーで階を上ったり下りたりするのは面倒。今年はベビーかなしで四谷まで行ってみたものの、博物館についたとたんに暁くんが寝るというアクシデントが発生。12キロの子どもを抱っこしながら階段を行ったりきたりするのはつらかったし、おまけに漣くんも「もう階段上りたくない」と言い出す始末。
というわけで、お父さんが楽しみにしていたフクナガフルーツパーラーでフルーツサンドを食べるという計画は断念、サイゼリアでごはんという羽目に‥‥。しかし平日の消防博物館は子どもを連れたお母さんの団体が多くて、なんだか居心地悪いです。

■続けて、週末は三鷹にあるJAXAへ(住所は調布か)。自転車で30分くらい。いつの時代も小さな男の子は働くロケットや飛行機が好き。というわけで、飛行機の実験機などの展示を見たり、動かしたりして楽しんだ後、漣くんのみ工作教室へ。集まったのは4歳から11歳までの子どもたち、ということはうちの子が最年少。
最初にJAXAの説明や飛行機が飛ぶ仕組みなどが紹介されるものの、大きな子どもたちがいろいろな質問に答えている中、漣くんは暇そう。お父さんも眠くなってくる。ちょっと資料から目を離して、顔を上げたら前に座ってるお父さんも熟睡中。
工作はゴム動力のプロペラ飛行機を作るというものだったのですが、こちらも一からは作れないので、わたしが作ったものに絵を描いたりするくらい。もう少し大きくなったらまた参加しよう。

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■JAXAから三鷹駅のほうに向かう途中にある古本カフェフォスフォレッセンスによく行っていたのは、三鷹台に住んでいるときだったか、久我山に住んでいるときだったか?ここでお茶してから、上々堂やパレードとか行って、そのまま吉祥寺を回って帰ってきたものです。あのなくなってしまった古本屋さんはなんて言ったっけ?
久しぶりにこの辺に来たので、フォスフォレッセンスに行きたかったけれど、さすがに小さな子どもを二人も連れてフォスフォレッセンスでお茶するのは無謀過ぎる。最近は、点滴堂や水中書店といった古本屋さんが三鷹にできているので機会があればいろいろまわってみたいと思う。

「林芙美子随筆集」-林芙美子-

◆3月30日にはけのおいしい朝市@江戸東京たてもの園に参加します~
■林芙美子というとやはり「放浪記」のイメージが強い。で、「放浪記」というと森光子のでんぐり返りが思い出されてしまっていまいち読もうとする気も起きないし、ましてやどこかで「自分の作品が世に出て認められるためには、ほかの作家を蹴落とすことでも目立つことでもなんでもする、手段を選ばない自己顕示欲のかたまりのような性格」などとという文章を読んでしまったらなおのこと。なんて思いつつも、「下駄で歩いた巴里」とかこの随筆集は読んでみたいと前々から思っていたのはなんでだったのだろうか?

この随筆集では友人との交流や住んでいる下落合周辺の様子など身辺雑記的な内容を中心に、旅に出たときの話や恋愛感などが加わるのだが、どれも楽しみながら書いている(いや、楽しみながら暮らしている)感じが伝わってきてよかった。中にはちょっとしたいざこざと書いたものとかありますけどね。恋愛感などはこの時代に女性がこういう考え方を書くということはどういうことだったんだろう、なんてちょっと思ったりしますが、実際にこの時代の人たちが、どういう考え方で恋愛をしていたか分からないのでなんともいえない。昔はこうだった、なんて紋切り型で示されることのほとんどは、人も思い込みの積み重ねでしかないからだ。
岩本素白の随筆を読んだ後だからかもしれないですが、(分量も含めて)もう少していねいな編集だったらよかったのにともちょっと思ってしまいますが‥‥

■3月に入ったので、もうダッフルコート、ニット帽、手袋で通勤するのはやめよう。少しくらい寒い日があっても我慢する、と思っていたのだけれど、2月の終わりに暖かい日があったと思ったら急に寒くなってしまい、まだニット帽、手袋が手放せない。自転車で駅までに行くときが寒いんですよね。
ニット帽は10年前くらいに買ったSILASのものをずっとかぶり続けてます。よく見ると外側が色あせてきているが、あまり気にしてない。代官山なんてもうずっと行ってないけど、どうなってるのだろう?今行ったら迷ってしまいそうだ。ボーネルンドもあるし暖かくなったら行ってみようかね。そういえば昔は、子どもが生まれたら子ども連れでOKURAに行きたいって思ってたな。

-■3月30日に小金井公園の江戸東京たてもの園で行われるはけのおいしい朝市に、参加します。今回は開園20周年&30棟完成 江戸東京たてもの園フェスティバルの一環として、30のお店が、下町風情が漂う昔の商家・銭湯・居酒屋などが立ち並ぶ東ゾーンに並びます。カヌー犬ブックスは、去年、小金井神社で行われた50回記念のときと同じく、レコード屋のHigh Fidelityさんと一緒に出店します。
まだどんな本を持っていくか、ちゃんと決めてませんが、場所にあわせてちょっと古めの本を中心に持っていきたいと思っています。ほんとは外に出店するときにいつも使っているカラーボックスではなく、もう少し渋い雰囲気の本棚にもしたいところなんですけどね。ちなみに本屋さんとしては、ニチニチ日曜市おなじみの古本泡山さんとやぼろじでギャラリーも運営しているcircleさんも出店します。

小金井公園は、武蔵小金井からバス5分というちょっと行きにくい場所ですが、たぶん、咲き始めの桜も楽しめる時期なので、江戸東京たてもの園だけではなく小金井公園でものんびりと楽しめるのではないかと思ってます。

 →はけのおいしい朝市オフィシャルサイト
 →はけのおいしい朝市オフィシャルブログ
 →江戸東京たてもの園フェスティバル

「忍び草」-川崎長太郎-

◆手紙社さんのアカテガミー賞の授賞式に行ってきました~
川崎長太郎の本を読むのは2冊目かな。
小田原の魚屋の長男として生まれにもかかわらず、家も継がず文学を志して東京に出るものの、東京での生活に行き詰まり小田原に戻り、37歳の時から20年以上、実家の庭の片隅にある二畳ほどの物置小屋での一人住まい。台所もないため三度の食事は外食(ちらし寿司多し)トイレも公衆便所に行き、外の明るいうちは散策、夜は読書と執筆という生活を送った作家。作品の内容は、どれもその生活ぶりや月に数回の遊郭通いや時折その物置を訪ねてくるファンの女性との関係などをつづった私小説なのですが、その女性との金銭のやり取りなどまで書かれていてすごいです。
何年か前に芥川賞を取った西村賢太を思い出すような生活ぶりですが(よく知らないけど)、昔の作家はこういう人がたくさんいたんだろうな。文学を志した段階で不良扱いだし、この後、読んだ鈴木信太郎の本でも東大に入ってフランス文学を専攻したときに親が嘆いたというエピソードが出てくるしね(東大なのに‥‥)。

この本では、まず川崎長太郎の実家について何代にもわたって苦労しつつ、魚屋として独り立ちした経緯が描かれていて、そのあと、師でもある徳田秋声や田畑修一郎、宇野浩二といった友人のことが描かれ、後半以降は年代を追って小田原での生活を、そして60歳を超えたときに30歳年下の女性との結婚し、その二人での暮らしの様子までが描かれている。そのため、最初に一人暮らしをしている背景や過去が分かるので、初めて川崎長太郎をはじめて読む人でも分かりやすい。
特に起伏があるわけでもない日々をつづった文章で、かつ読点で区切られた一文が長い文章にもかかわらず読みにくさが感じられないというところにこの人の作家としての文章の力を感じます。

しかし実家の手伝いをするわけでもなく、ほかに職を探すわけでもなく、日々を暮らしていく状況を何十年も続けているというところ、そして家族も特に手を差し伸べるわけでもなくそのままにしておくところに、鬼気迫るものを感じますね。もしあるのなら父親や家業を継いだ弟の話も読んでみたい気持ちにさせられます。

まぁ何冊か読んでみたら同じエピソードが出てきたりして、もういいや、ってことになるのか、それでもおもしろく読めるのか、どちらになるか知るためにももっと読んでみたいかな。
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週末は雨。2月以降雪が降ったりと週末の天気がよくなくて家にこもりがちです。それでも土曜の夕方には漣くんを連れて手紙社さんのアカテガミー賞の授賞式にちょっと行ってきました。会場となった柴崎になる手紙社の2nd STORYは、なかなかいく機会もなくて去年、開店する前のお披露目のとき以来になります。
おつまみを一品持っていくという形で、わたしはスプンフルさんのマフィンを持っていったのですが、皆さんの持ってきたおいしいものを食べながら、普通にビールをおかわりしてりして、しかも授賞式の途中で帰るという、何しにきたの?と言われそうな感じですみません。でも出席した人とちょっとだけ話したり、受賞された方のすてきな作品などちょっとでも見れてよかったです。


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一つずつ手作り(?)された羊モチーフのトロフィー&スクリーンの前で記念写真(笑)

なお当日は手紙舎さんの新しいお店troisのお披露目もありました。こちらは2nd STORYの上の階にあるアパートメントの一室を改装したお店で、テキスタイルや布をテーマにした作品、商品が、屋根裏をテーマにしたというお店の中に並んでいていい雰囲気でした。

しかし、新しく地下になった調布駅はいまだに慣れず、帰りは柴崎から各駅停車に乗り、調布で一本橋本行きを見送った後、逆側のホームについた準特急に乗ったら、それも橋本行きだったという‥‥パルコ側のホームで橋本行きとか、橋本行きが二本続くなんて、5年以上調布に住んでいたわたし(かなり前のことですけど)には罠としか思えません~

「素湯のような話」-岩本素白-

◆スプンフルさんとシャトー2Fさん
素白先生の随筆は、いろんなものが沈殿した水槽の上のきれいなところをていねいにつづりつつ、時折深いところが見え隠れする感じが好き。「酒は飲まず煙草は吸わず、碁も打たず将棋も指さず、謡も謡わず茶も立てぬ、世間的に云えば無趣味極まる男である。暇さえ有れば独り杖を曳いて気侭に歩くだけの事である」とはいうものの、自分の好きなものに対するこだわりは徹底しているし、専門分野の探究に関してもストイックというか厳しい考え方を持っていることが、そこかしこでうかがえます。そしてものすごく記憶力がいい。その深く広い知識と過去の記憶を軽やかに行き来し、それが無理なく表現されているという随筆がおもしろくないわけがない。

ところでカヌー犬ブックスでは、家の近くにあるスプンフルと武蔵小金井の駅の近く(でもない?)にあるシャトー2Fというカフェに本を置かせてもらっています。

-スプンフルさんには、去年の2月くらいからイベントで使っている四角いボックスを3つ分ほど本を置いていて、ボックスごとにちょっとしたテーマを決めて本を持っていっています。気持ちとしては、毎週、1つのボックス分の本を毎週入れ替えていこうと思っているのですが、最近は2週間に一回ぐらいになってしまっている感じですね。
ちなみに今週のテーマは「紙」。包装紙や封筒などのかわいい紙を紹介した本から切手、ぽち袋、フリーペーパー、ダンボールで作る子どもが遊べる家具の作り方などを紹介した本を置いています。

たいてい、土曜日に漣くんを幼稚園に送った後、迎えに行くまでの間に、本と暁くんを台車に乗せてスプンフルさんに行き、ついでにコーヒーを飲んだりスコーンやマフィンを食べながら、お店の人と話したり、スプンフルある丸太ストアの中で暁くんを遊ばせたりしながら本を入れ替えています。
スコーンもマフィンもおいしいのですが、わたしが好きなのはクッキーですかね。ちょっとやわらかめのクッキーに大き目のチョコなどが入っていて、ときどき家で食べるように持ち帰ったりしています。もちろんカレーやキッシュ、クスクスなどごはんメニューもおすすめ。それから夏になるとソーダやチャイ、スムージーなどいろいろな種類のドリンクがあるのもうれしい。

丸太ストアは、スプンフル以外にはお惣菜屋、お肉屋、魚屋があります。古い建物の中に昔からあるような小さな商店が集まっていて、お店の人も親切で温かくて、いい雰囲気。そして魚もお肉もここで買ったものを食べたらスーパーで買ったものが食べられなくなるくらいおいしいのです。うちは駅から離れていて周りは住宅街(?)とちょっと離れて大きな公園があるようなところなんで、近くにこういうお店があるのはほんとにうれしいです。

シャトー2Fのほうは、去年の12月から60cmくらいの本棚に本を置かせていただいています。こちらも月一くらいで本の入れ替えを行えればと思ってはじめたのですが、なかなか行区ことができない状態になっています(申しわけありません。)。始めたばかりなので特にテーマは決めてませんが、これから続けるにしたがって置く本の傾向を決めていければと思っています。カフェの置くにはキッズルームもあるので、半分くらい絵本を置いてもいいかな、とかね。

シャトー2Fも武蔵小金井に昔からあるシャトー小金井というちょっと大き目の建物の2階にあるギャラリーも併設したカフェ。カフェのメニューは漣くんと同じ幼稚園に通うお母さんが担当していて、幼稚園やはけのおいしい朝市のメンバーが集まったりしています。店内も広くゆったりしているのでキッズルームで子どもを遊ばせながらごはんを食べたり、本を手にとってもらえればと思っています。

ちなみにシャトー小金井にはほかにスポーツクラブや居酒屋、バー、などもあり、初めて行ったときはなんか不思議な建物だなぁと思いました。今では遅く帰ったときなどときどきその中の居酒屋で一人で飲んで帰ったりしてますけどね。

 →tiny little hideout SPOONFUL
 →KOGANEI ART SPOT シャトー2F

「随筆 泥仏堂日録」-川喜田半泥子-

◆「無茶法師」と「笛吹銅次」
川喜田半泥子は、伊勢の豪商の家に生まれた実業家であり、「東の魯山人、西の半泥子」と称された作陶家。
実業家としては25歳で百五銀行の取締役に就任、「安全第一」をモットーに堅実に業績を伸ばす一方、地元の中小銀行を買収・合併し、百五銀行を三重県有数の金融機関に成長させるなどの業績を残しています。また書画、茶の湯、写真、俳句と、その多芸ぶりを発揮するとともに、内田魯庵・泉鏡花・鏑木清方といったメンバーの交流を通して書画骨董の心眼を深めるうちに、自宅に窯を開き、自ら本格的な作陶を行うようになり、「昭和の光悦」とも呼ばれたらしいです。

この本はやきものの雑誌に連載したエッセイをまとめたもので、自宅に窯を開くまでのいきさつや、骨董について、ほかの作家の作品などについて書かれており、中には歯に衣着せぬ物言いで嫌いなものは嫌いと言い放っています。といってもそれほど嫌味には感じません。その辺は本人の性格によるものが大きいのだろうけれど、カタカナを多用したリズムのある文章のスタイルのせいも大きい気がします。それぞれで挙げているものを文章からピックアップしてみるのもおもしろいんじゃないかと思います。でもそのピックアップされたものの違いがわたしには分からないですが‥‥。

読んでいてなんとなく大滝詠一の話し方や文章を思い出してしまったのは、前述した文章のスタイルのせいか、それとも「無茶法師(むちゃほうし)」「莫加野(耶)廬(ばかやろう)」「鳴穂堂(なるほどう)主人」「紺野浦二(こんのうらじ)」「其飯(きはん)」「反古大尽(ほごだいじん)」「泥仏堂(でいぶつどう)」といった号のネーミングが、どこか「多羅尾伴内」「ちぇるしぃ」「笛吹銅次」「イーハトヴ・田五三九」「厚家羅漢」「RINKY O’HEN(臨機応変)」といった大滝詠一の変名になんとなく似ているからですかねぇ。(強引)

「冬の花」-立原正秋-

◆2013年にイコンタで撮った子どもの写真
前々から立原正秋の料理や骨董についての随筆を読んでみようと思いつつも、なかなか手が出なかったのは、小説のほうが古都を舞台にした恋愛ものというイメージがあったのと、昔、実家の本棚に何冊か置いてあった記憶があったせい。それから作品数が多いのでどれが小説なのか随筆なのか把握できてないというのもある。タイトルに「随筆集 ●●●●」と付けてくれればいいのに(笑)。

ものすごい知識と確かな審美眼があって、それに対しての自信、美意識が高くて、行間からそういった意識があふれるような文章を読んでいると年末に読んだ魯山人と共通したものを感じる。でもそれならばその世界の中で語ればいいのに、なぜかほかの人についてあれこれとを攻撃してしまうところが、なんだかなぁと思ってしまうところ。人が言っていることとか、わざわ別の人に確認して裏をとったいきさつを書いたうえで、やっぱりわたしの直感は正しかったみたいなことを言われると、いや、それは書かなくてもという気になってしまいます。そういう意味ではなんとなく読書の後味があまりよくないかな。ただ、こういう文章も収録されてしまっているのは、この本が死後にまとめられたものだからなのか、ほかの随筆集にも普通に収録されているものなのか分かりません。

そんなわけで、これから立原正秋の本を続けて読むかどうかは保留。読んだとしても随筆のみになるんでしょうけど。

毎年、イコンタで撮った写真で子どもたちが写っているものをスキャンしなおして、A4サイズにプリントアウトしているのですが、ようやく去年分のプリントアウトが終了しました。これまで一年に20枚くらいしかなかったのに去年は40枚くらいありました。
基本的には、子どもたちなどを撮るのは35mmのカメラで、自分のの趣味用の写真をイコンタで撮るよう決めているのですが、特に趣味で何をとるというテーマもないですし、なんとなく子どもたちの写真が増えてしまってます。逆にMFのカメラでで子どもの写真を撮れるのは今のうちだけかな、とも、引き伸ばした写真のピントがぼけている様子を見ながら思ったりしてます。
ほんとは自分で引き伸ばし作業をするとか、カメラ屋さんに持っていって引き伸ばしたいんですけどね。40枚だとまぁまぁお金かかるしね。でも、単にプリントアウトするだけでも写真を大きくしてみると、印象が変わったりして楽しいし、自分の写真の欠点とかがよくわかっておもしろい。

去年撮った子どもたちの写真で気に入ってるのはこの辺かな。

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で、ついでに最近はイコンタで撮った写真をインスタに上げているせいで、なんとなく放置気味になっていたFlickrに、今までにスキャンしてデジタル化したものをアップしてみました。スキャンした後、最終的に解像度72、サイズ640×640ピクセルまで落としてしまっているので、普段、iPhoneで見ている分にはあんまり気にならないんですけど、PCで見てみるとかなり画像が荒いが気になったりします。まぁこっちはどうでもいいや。

ちなみにイコンタは1930年代から1950年代にかけてツァイス・イコンが製造したスプリングカメラ。ツァイス・イコンは1920年代にドイツの4つのカメラメーカーが合併してできた会社で、このイコンタのシリーズはツァイス・イコンになっての初めてオリジナルのカメラだったらしいです。
-6×4.5cm判をスーパーセミイコンタ、6x6cm判をスーパーシックスそして6x9cm判をスーパーイコンタと呼んでいて、それぞれいくつもの機種があります。わたしが使っているイコンタは Super-Ikonta Six 3型で、1954年に登場したもの。6×6フィルムのカメラとしては小型で、蛇腹をしまった状態でなら持ち歩きもかなり楽。ちょうどモレスキンを携帯するためのポーターのモバイルバッグに入れるとぴったりだったので、どこかに出かけるときはたいてい肩からポーターのバッグをかけてます。

構造が単純ということもあるでしょうが、60年前のものを今でも普通に使えるというのがカメラのいいところだと思う。雑貨や家具とかだと普通にあるけれど、機械的なものだとそんなにないんじゃないかな。電気を使ってるものはだいたいもう今は使えないものになってる気がするし、ちょっと考えて思いつくのは楽器ぐらいかな。
わたし自身はまだ4年くらいしか使ってないんですけど、大切にして長く使っていきたいです。

「落穂拾い・犬の生活」-小山清-

◆今年は1963年のアメリカンポップスをテーマにしたい(のだが‥‥)
タイトルどおり一作目の「落穂拾ひ」と三作目の「犬の生活」をまとめたもの。編集しなおして作品集とするのではなく、そのまま全部を合わせた収録されているところがいい。最近のちくま文庫は充実していて、これが続くようにちゃんと新刊で買わねばと思うけれど、古本ばかり買ってしまって新刊はなかなか買えてないです。そんなわけであんまり売り上げに貢献できてませんが、この勢いでほかの本も文庫化してくれないだろうか。特に「幸福論」「日日の麺麭」はもともと筑摩書房から出ているわけだし‥‥(全集もですね)。ちなみに二作目の「小さな町」はみすず書房の大人の本棚から出てます。

基本的には生い立ちや日常生活、これまでの体験をつづった私小説なんですが、貧困で孤独な生活をつづりながらも、文章はどこか余裕やユーモアさえ感じられ、周辺の人たちの描写もどこかやさしく暖かい。その中でところどころでつぶやくように小さく小説家として独り立ちすることへの決意がつづられているところが心に響きます。
私小説だけに、もともと知っている小山清の実際の境遇や出来事と描かれているエピソードをつい重ね合わせてしまいますが、もちろんそれだけではなくて、登場人物や情景の描写など、はっとするところも多い。もう少しいい境遇で作品をある程度自由に書けたなら、もっと違うタイプの作品も残せたんじゃないかと思うと残念です。もっといろいろな作品を読んでみたかった。

年が明けてからは、なんとなく(いや、ほんとはなんとなくじゃないんだけど)、ビートルズ以前、1950年代後半から1960年代前半のロックンロールやアメリカンポップスばかり聴いてます。といっても、幅広すぎて改めて聴くには何から手を出していいのかわからないので、フィル・スペクター関連のものやエリー・グリニッチ&ジェフ・バリー、ジェリー・ゴフィン&キャロル・キングといったブリルビルディングのソングライターチームの楽曲を集めたもの、エルヴィス、バディ・ホリーといった基本的はロックンローラー、フォーシーズンズやディオン&ベルモンツ、アールズなどのホワイトドゥーワップ、あとはいわゆるガールポップスやティーンポップスなどをばらばらと聴いている感じ。
この辺のアメリカンポップスはジャンルの境があいまいなので、どこから手を入れてどこまでを聴き進めるかの按配が難しいのだけれど、そのジャンルの境があいまいないところがこの時代のポップスのおもしろさなんだと思います。

あと、言い方は変ですが、やっぱり歌が中心にあるってのがいい。ここ数年は、電子音楽とかエレクトロニカをはじめ、ポップスでもどちらかというとインストをよく聴いていて、どうしても歌(メロディ)よりもサウンドばかりに興味がいってしまいがちだったので、こういう歌のメロディとサウンドのバランスがぴったり寄り添った音楽を改めて聴くといまさらながらに楽しい。改めてキャロル・キングの曲のよさとか実感している次第です。

そんなわけで今年のテーマは1963年以前のアメリカンポップス、となるのだろうかな?(すぐに違う方面に興味がいってしまうのはいつものことか)

「春夏秋冬 料理王国」-北大路魯山人-

◆1月に行った展覧会。ルネ・ブリ&ヴォルフガング・ティルマンス
実を言うと北大路魯山人の本を読むのははじめて。気にはなっていたのですが、敷居が高いような気がしてなかなか手に取る機会がなく、そのままになってしまってました。実際、読んでみた後の感想としても敷居が高いことのは変わらなかったです。
といっても、料理全体に関わることから、鮎、河豚、豆腐、鴨、どじょうといった食材、山椒や日本芥子などの香辛料・調味料、ヨーロッパやアメリカ、デンマークを各地で食べた料理についてなど幅広いテーマについて、それぞれ短めの文章でつづられているので読みやすいし、それぞれの内容も真っ当な意見も偏見ぽい物言いも含めておもしろい。
でもやっぱり「味もわからず、普段適当なものばかり食べているお前なんか相手にしてないんよ」というところが基本になってると思う。「ああそのとおりだと思ったら、必ず実行していただきたい」と書いてあるけど、その後で括弧書きで(やれるもんならやってみろ)と書かれている気がしてしまうのはわたしがひねくれものだからでしょうか。
そういうわけで、これを読んで料理やたべものに向かう姿勢をちょっとだけでも取り入れようかな、なんていうのはちょっと違う気がしますね。そういう部分もあることは否定しないけれど、まぁ別の世界の話として読んで、その世界楽しむというのがいいのではないかと。
敷居は高いけど本としてはおもしろいので、平野雅章が編纂したものをもう少し読んでみようかなと思っている次第。「魯山人について」書かれた本はたくさんあるけど、魯山人が書いた本ってそれほど多くないんですよね。

さて、1月は、銀座のライカギャラリー東京でやっていたルネ・ブリの写真展とワコウ・ワークス・オブ・アートでのヴォルフガング・ティルマンス展を見てきました。

-ルネ・ブリの写真展は、1950年代末~60年代半ばにかけて撮影された代表作品が14点と、それほど点数も多くなかったのですが、モノクロで撮られたポートレートやスナップは、どれもプリントがきれいで、ついなんども見てしまうほどでした。
また写真自体も動きがあるというか、スナップでもどことなく切り取られたシーンの前後が浮かび上がってくるようだったり、ポートレートも被写体がそのとき話している動きが思い浮かぶような作品で、つい何度も行ったり来たりしてしまいました。ただし、ストーリーが浮かんでくるといっても、ドアノーのようにストーリーを想起させるために何かをしているわけではなくて、あくまでも自然な感じで想起されるところがいい。

しかし初めて行ったライカギャラリー東京は、場所が銀座ということもあり高級感にあふれたお店で、なんだか気後れしてしまいました。

-ヴォルフガング・ティルマンスのほうは、2004年にオペラシティーで行われた展覧会ぶり。10年前かと思うとなんだかびっくり。最近は世界各地を旅しながら撮影をおこなったり、印画紙を操作して抽象絵画のような作品を撮っているらしく、そういった作品を中心に展示されていました。世界各地といっても作品自体は、日常の延長というかミニマムな世界なんですけどね。

このところ、植田正治やラルティーグ、ゲイリー・ウィノグランド、そしてルネ・ブリとモノクロの銀塩写真や、ジョナス・メカスのようにフィルムのアナログ感が強く出ているものを見ることが多かったせいで、なんとなくプリントされたデジタルの写真を見るのは違和感がありました。いや、プリントもきれいだし、作風とも合ってるし、展示の仕方もデジタルの特色を活かしていてよいのだけれど、どこか写真展を見ているというよりも、アートを見えるような感じかな。単に慣れと先入観の問題なんでしょうけどね。

■ルネ・ブリ写真展「Rene Burri Photographs」
 ・ライカギャラリー東京
 ・東京都中央区銀座6-4-1ライカ銀座店2F
 ・2014年1月17日~4月13日

■ヴォルフガング・ティルマンス『Affinity』
 ・ワコウ・ワークス・オブ・アート
 ・東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル3F
 ・2014年1月18日~3月15日