「下駄の音」-三浦哲郎-

◆「1を知るには10を知れ」
もう1月も終わりですが、ここまでが去年読み終わった本。三浦哲郎の本は一昨年の年末くらいに随筆集を読んで、次は小説も読んでみようと思ったまま一年がたってしまいました。時のたつのは早い、というか自分が全然本を読めていないことを改めて実感してしまいます。
そんなわけで、今年は月に5冊以上を意識して本を読むことを目標としたいと思ってるのですが、どうなることやら。やっぱりある程度の量を読まないと、系統立てて本を読めなくなってしまうのが物足りない。実際はまぁいい加減な性格なので、系統立ててってほどちゃんとしてないのですが、決まったテーマに沿った本をある期間まとめて読むことで気がつくことってたくさんあるような気がします。

前にも書いたような記憶がありますが、「質」か「量」って言ったら「量」なのですよ(月5冊じゃ量とも言えないですが)。ひとつの作品は、それ単体で存在しているわけではなくて、その作者のそれまでの習作や失敗作、駄作の積み重ねによって生まれてくるものだし、またほかの作家の影響も欠かせないし、さらに影響を受けているのは小説の分野だけに限ったことではない。そういうひとつの作品を形成する作品との相関関係がわかることで、ほんとうのおもしろさがわかるようになるのだと思う。それは本に限ったことではなくてね。

量をこなしていき、点と点を結んで線にしていき、線と線を重ねることで面にたどり着くくらいじゃないとだめなんですよね。でもそれを頭ではわかってるんですが、なかなか実践できないのも事実なわけで‥‥。今年は「量」を意識していろいろなものにふれていきたいと思ってます。

そんなことを教えてくれたのが大滝詠一でした。
(もう一人同じことを教えてくれた人がいて、それは植草甚一です)

「1を知るには10を知れ」「1を知って10を知るじゃないんだよ。10を知るためには12まで知って2戻るくらいじゃないとダメなんだ」っていうようなことをどこかで言ってたなぁ~と。

「夕暮の緑の光―野呂邦暢随筆選」-野呂邦暢-

◆古本屋の思い出(と言うほどものでもない)
古本屋の思い出や故郷の諫早や長崎、自分の作品などについてつづった随筆集。野呂邦暢の本は講談社文芸文庫から出ている「草のつるぎ・一滴の夏」を読んだきりで、なかなか読む機会がない。この本のあとがきに書いてあるように、古本屋での値段が高いんですよね。かといって、今手に入る大人の本棚シリーズは3000円近くしますけど。どうにかならないもんですかね。もうこういう状態の作家の本を気軽に読むには電子書籍しかないんでしょうか(いや野呂邦暢の本が今電子書籍で読めるのかどうかは知らないが)。普通に紙の本で読みたいんだけどなぁ。こういっちゃなんですが、電子書籍って紙の本の代用品じゃないですか、と(少なくとも今の時点では)。
この本でも、野呂邦暢がものすごく読みたかった本を、人から借りてコピーをとって読むのだけれど、やっぱりコピーじゃ満足できないって話が収録されてます。これは編者の岡崎武志が、電子書籍を頭に浮かべて収録したんだろうなぁ、なんて勝手に思ってます。

そんな本について書かれたものだけでなく、古本屋との思い出がつづられているのも楽しい。本は読みたいけれどなかなか買えないもどかしさや、古本屋の主人の様子などがダイレクトに伝わってきます。身近なことについてつづられた文章でも、作者の一つ一つの文章に対する気持ちや妥協のなさが伝わってきて軽く読み飛ばせません。かといって、重いわけでも、それが強調されることもなく、あくまでも文体は静かで軽妙なところがすごい。やはり少々高くてもまずは大人の本棚シリーズ「愛についてのデッサン」と「白桃」を手に入れたくなります。

話が変わりますが、お正月は一泊で二宮へ帰省。気分としては子どもを親にあずけてわたしは近くに出かけたり、友だちと飲みに行ったりしたいところですが、まだまだ子どもが小さいこともあり、また親と離れて過ごすことにあまり慣れてないので、数時間だけ親に子どもたちの相手を任せて海に行ったり、駅前の商店街を歩いたりしただけでした。
できるなら平塚に出て見ていろいろ散歩してみたいと思ってるんですけどね。もう平塚なんて20年以上も歩いてないので、記憶にあるものはほとんど残ってないんだろうと思う。ときどき自分が平塚の町を歩いている夢をみるけれど、起きてから思い返すと、夢に出てきた町は自分の記憶とはまた違っていたりして不思議な気分になります。

高校が平塚にあったせいで、学校からの帰り道に毎日のように古本屋か貸しレコード屋に寄って帰ってました。特に古本屋は学校から駅までの間に5軒ぐらいあって、順番に寄りつつ帰ったものだけれど、これらの店ももうぜんぜん残ってないんでしょうね。特に特色のある古本屋というわけではなく、普通の街の古本屋だったしねぇ。むしろ古本屋というと横浜の古本屋でよく買っていたような気もします‥‥。

そういえば、それらのひとつに、別にお客に話しかけたりするわけではないけれど、古本屋にしては愛想のいい夫婦がやっていて、入りやすかったせいで、かなり頻繁に立ち寄って本を眺めたり、立ち読みしたりしていた古本屋がありました。

高校生の頃のわたしはアトピーが出たり、すぐに風邪をひいたりと、まぁいろいろ体が弱くて、午前中に病院に行ってから学校に行くということが多かったのですが、診察が終わると、すぐに学校に行くわけでもなく、本屋さんやレコード屋さんにちょっと寄って、昼休みが終わるくらいに学校に行くということをよくしていました。

ある日、例によって診察が終わってその古本屋に行ったら、いつもニコニコしている男の人がすごい剣幕で女の人を怒鳴りつけていて、あげく本を投げつけたりして、なんか怖くなって、入ってすぐにお店から出てしまったのを思い出します。それからなんとなく長い時間立ち読みをしたり、買う気もない本を取り出したりするのを躊躇するようになってしまったんですよねぇ~

あ、今年は平塚の七夕にでも行ってみましょうかね。

「ひまつぶし」-吉田健一-

◆ゲイリー・ウィノグランド展@タカイシイギャラリーとジョナス・メカス展@ときの忘れもの
婦人画報の連載をまとめたもの。婦人雑誌ということだけあって、「食」や「暮らし」といった身近なテーマを取り上げつつ、戦後の日本についてつづっている。吉田健一はこの手のエッセイが多いけれど、わりと「日本はだめだ」的な話になってそうでなっていないところがよい(なってる場合も歩けど)。この本ではわりとヨーロッパの国と比べるときでも、ヨーロッパが優れているということにはならなくて、ヨーロッパはこうで、日本はこうだけれど、そもそも歴史も違うし、日本はもともとこうだし、まだ戦争が終わって間もないのでこれからこうしていくことが大切なのだ、みたいな感じで話が進められていく。
また戦前戦中に比べて今(と言っても1950~1960年代だが)がよい、もしくは戦前戦中はひどかったと、単純に言うこともなく、戦前にはちゃんとした日本の文化があり、それが戦争をすることで忘れさられてしまったという認識で、きちんと戦前の日本の文化を評価ししているところも吉田健一のいいところだと思う。そして戦争中は、平時ではないのだからそれまでの文化が廃れたり、軽く扱われたりすることは仕方なくて、しかしそれはそれでもう戦争も終わったのだから、これからでも少しずつでもそれを取り戻していけばいいし、そういう文化を軽く扱うような状況を作る戦争をするべきではないのだ、と。ある意味すごく楽天的な人なのかもしれません。

ちなみにこの本の題字は井伏鱒二によるもの。吉田健一と井伏鱒二というと作品を読んでいるだけではなんとなく結びつきません。井伏鱒二の随筆で、銀座・新橋での飲み仲間だったことや一時期、同じ同人誌に参加していたいことが書いてあった記憶があるけれど、まさか飲み屋で飲みながら勢いで書いた(頼んだ)ものでもないだろうし。どういう経緯だったのかちょっと知りたいです。きっとおもしろいエピソードがあるはず‥‥

なんだか最近は展覧会の話しかしていないような気がしますが、年末は、タカイシイギャラリーでやっていたゲイリー・ウィノグランドと、ときの忘れものジョナス・メカスの展覧会を見てきました。

-ゲイリー・ウィノグランドは、もともとは広告の写真を撮っていたのですが、ロバート・フランクの影響を受けて1960年代前半からストリート・スナップを撮り始めた写真家。広角レンズを着けたカメラで、人物などを近い距離から撮影するという手法を用いています。そのため人物だけでなくその周りの風景や歩く人なども一緒に撮影されているのですが、広角レンズで撮っているため、被写体の比率が微妙に変わってしまったり、垂直に建っているはずの建物が斜めになってしまったりして、不安定な構図の写真になっています
ただ写真自体は実験的というほどのものではなく、基本的にはニューヨークの路上を写し取った作品という感じでした。
展覧会では「The Animals」(1969年)と「Women Are Beautiful」(1975年)の2つのシリーズからの写真が展示されており、基本的にはニューヨークの路上を写し取った作品と言えるもので、実験的な要素はちょっとしたスパイスという感じでした。
偶然にも、ちょうど何年かぶりにOM1にフィルムを入れて子どもを撮っていたので、すぐに真似をしたくなるわたしとしては、OM1に広角レンズを着けていろいろ撮ってみようと思ったりしてます。

-ジョナス・メカスのほうは「ジョナス・メカスとその時代展」というタイトルどおり、アンディ・ウォーホルやピーター・ビアード、ジョン・ケージといったアーティストの作品も展示されていて、ジョナス・メカスの作品は10点ほど。ただ日替わりでジョナス・メカス映像作品の上映も行われていました。わたしが行ったときも「Walden」という日常の風景を切り取った作品が上映されていましたが、時間がなくてちょこっと見て出てきてしまいました。映像もいいけれど、1時間以上見続けるのはちょっと辛いかも?それよりもやはりフィルムをつなぎ合わせてプリントした作品のほうが好きですね。ジョナス・メカスはきちんとまとめた形の展覧会をどこかでやって欲しいなぁ。

ほんとはもうひとつ、仕事納めの日にフレックスで早めに会社をあがって、ステーションギャラリーでやっていた「植田正治のつくりかた」も見ようと思っていたのだけれど、こちらは仕事が終わらず見れず。年が明けて開催期間が終わってしまいました。ザンネン。
大きな会場の展覧会はある程度時間をとらなくてはいけないので、なかなか行けないけれど、ちょっと時間が空いたときに寄れるギャラリーには、今年も都合がつく範囲で行きたいと思ってます。

「ちよう、はたり」-志村ふくみ-

◆やぼろじ ガーデンパーティー
明けましておめでとうございます。
今年もカヌー犬ブックスをよろしくお願いいたします。

志村ふくみの本を読むのは「一色一生」に続いて2冊目。仕事に対する探究心やひたむきさはどことなく辰巳芳子に似てる。二人とも1924年、大正13年生まれ。この時代に女性が仕事を持って生きていくためには、どれほどの決意と絶え間ない努力の積み重ねが必要だったんだろうと思う。ちなみに児童文学作家の神沢利子やいぬいとみこ、女優の淡島千景や高峰秀子、越路吹雪も同じ歳です。

志村ふくみは、母親が若い頃に柳宗悦の民芸運動に共鳴して織物を習っていた影響で、17歳の頃から母親から染色を習い、離婚後、30歳を過ぎてから本格的に染色家としての道を歩みます。1957年に、日本伝統工芸展に初出品で入選した後、数々の賞を受賞し、農村の手仕事だった紬織を「芸術の域に高めた」と評価さされることになるのですが、同時に柳宗悦からは「あなたはもう民芸作家ではない。」と言われ破門となります。このことはたびたび出てきて、これが自身の道を歩むきっかけになったと思われますが、わたしの知識では、その言葉がどういう意味を持って発せられたのか、いまいち理解できないままになっています。その後の柳宗悦との関わりについてもまったく書かれていないので破門になったことは事実だろう思うのですが、なんとなく腑に落ちない気分になってしまうのは、わたしがまだ柳宗悦について詳しく知らないからなんでしょうねぇ。

年末はやぼろじ ガーデンパーティーへ行ってきました。
やぼろじは、江戸時代からの旧家を改装してカフェや工房、ガーデン、オフィス、シェアハウスなどに利用しつつ、地元のつながりを大切にしたイベントを行ったりしているコミュニティ(?)。谷保駅というちょっと行きづらい所にあるのですが、自然や畑に囲まれたいい環境でガーデンパーティーでもレットエムインやアンティークエデュコ、古本泡山、ゆず虎嘯といった古道具屋さんや古本屋や、たいやき屋ゆい、やまもりカフェパンとお菓子mimosaなどの飲食店が出店するだけでなく、やぼろじ音楽隊によるライブや鼓狸、餅つきや豚の窯焼きといったイベントも開催されていました。そのせいか子ども連れの人も多く、庭はたくさんの人でにぎわっていました。

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この日ははけのおいしい朝市にも参加しているヨシタ手工業デザイン室の個展も開かれていました。
個展では吉田守孝さんがデザインしたお椀やおたま、ピーラー、ナベシキといった生活用品だけでなく、図面やプロダクトができる前のモック、完成前のパーツなども展示されていました。
どれもシンプルな形のプロダクトなのですが、とりわけ曲線の美しさが目を引きました
会場では手書きの設計図をもとに職人が製品に仕上げていく映像もiPadで見れるようになっていて、例えば一本のステンレスが丁寧に折り曲げられピーラーなどになっていく過程がわかるようになっています。
最初は何を作っているのかわからなくて、ただ金属を折り曲げているだけの映像なのですが、ある工程を経たときに完成する製品が分かる瞬間があり、それを見ていた人たちが、大人も子どもも同じく「あっ」と小さな声を上げて息を飲む光景が印象的でした。なんかマジックというか、ものが生まれる瞬間そこにあって、しかもよくテレビで工場で製品ができるまでの映像を映している番組がありますが、それとはあきらかに違う美しさがあるのです。残念なことにうちの子どもたちは会場で大騒ぎしてしまったので、外で遊ばせておいて、親が交代で展示を見たのですが、こういう瞬間を子どもたちに見て欲しかったですね。

「象が踏んでも 回送電車IV」-堀江敏幸-

◆「植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ-写真であそぶ」@東京都写真美術館

堀江敏幸の本では、エッセイから散文調の文章、身辺雑記ともフィクションともつかない掌編、評論のようなものなど、さまざまな領域の文章が、無造作に収録されているように思えるこのシリーズが一番好きかもしれない(といっても、たぶん、収録する文章も収録順も熟考されて選ばれていると思う)。ある一つのテーマに対してそれにまつわる本や写真、映画、自身の体験をまるで連想ゲームのようにつないでいくスタイル。
ほんとは取り上げられた写真や本の表紙、映画のスチールなどが、例えばページの下が区切られていて、注釈みたいについていたら親切なのだろうけど、あえて文章の説明だけで押し通す潔さが清々しい。いや、文章のみで表現していることによって、取り上げられていることの8割は知らないことでも、なんとなく想像することで楽しめるという利点もあるかな。注釈とかついてたら具体的になりすぎて隙間がなくなってしまうものね。
そもそもここにとりあげられているものが全部、実在するものとは限らないし‥‥(かなり疑い深いタイプ)

-アツコバルーの展覧会に続いて、写真美術館でやっている「植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ-写真であそぶ」展を見る。あとはステーションギャラリーでやっている展覧会を見るだけなのだが、年末までだしこちらはちょっと難しそう。
最初にこの展覧会のことを知ったときは、わたしは植田正治もラルティーグも好きなので、単純に一粒で二度おいしい展覧会だな、なんて思ったけれど、よく考えてみたら特に二人に交流などもなかったみたいだし、なんでこの二人なのかちょっと不思議。
二人とも生涯を通じてアマチュア写真家であったこと、作品が認められたのが遅かったこと、身近な人を被写体にして写真を撮っていること、などがあげられてましたが、ちょっと弱い気がしました。

植田正治って家族を撮った写真がよく知られているだけで、全体からしてみればそれほど多くの家族写真を残しているわけではないと思うのですがどうなんでしょう。事実、子どもたちが赤ちゃんの頃の写真、また10代、20代になった子どもたちの写真も作品としてはないですし。というか、植田正治の子どもの写真って、自分の子どもも含めて6、7歳から10歳くらいまでの年齢の子以外はあんまり見たことないかも?

逆にラルティーグは、赤ちゃんからおじいさんまで身近な人をまんべんなく撮っていて、今回の写真展でも2歳の子どもの写真の隣に、その子が大きくなって自分の赤ちゃんと一緒にいる写真が展示されたりしていて、まとめて見ると、被写体どうしの関係性や時間の経過がものすごく気になってきます。加えて、動きのある写真が多いので、その長い時間と関係性の一瞬を切り取ったという感じが伝わってきます。

そういった動きのあるラルティーグの写真に比べ、植田正治のほうは、構図や演出がきちんと決められていて動きはないというのは、もともとわかっていたものの、ラルティーグの写真と一緒に見ることによってその「静」がより強く強調されているようでした。

といった風に、わたしにとってこの展覧会で、二人の写真を交互に見ることで好きな写真家の作品の違いが際立ち、その違いを認識することによって、それぞれのよさを再認識したという感じです。

ちなみにどちらかというと植田正治の作風は、ドアノーに近いのかな、なんて思ったりしてます。ドアノーは、いかにも街角のスナップ写真ぽいけど、実際はかなり演出されたものだったらしいですしね。生まれも1912年で1歳違いだし。まぁドアノーにアマチュアぽさはあまりないですけどね。

そういえば堀江敏幸が翻訳したドアノー「不完全なレンズで」をまだ読んでない。

「再会 女ともだち」-山田稔-

◆command records、project3のレコード(ジャケット)

あとがきによると、1989年に新潮社から出たものに、「もうひとつの旅」を除き、1983年に福武書店から出た「詩人の魂」から「岬の輝き」を加えた7篇を収録した本。これが「決定版」とのこと。

気がつけばいつも身辺雑記的な随筆しか読んでないので、久しぶりフィクションを読んだ気がします。主人公はすべて山田稔ぽいのですが、ストーリーに関してはフィクションになるのかな。“死”や“忘却”といったことをテーマにした作品が多く、重いようでありながら軽快さも持ち合わせていて、かつその設定で私小説ぽさを出しながらも、それぞれのエピソードがきちんと絡み合い影響しつつ話が進んでいくところなど、フィクションとして計算されていたりして、なんだか不思議な味わいの作品集でした。

12月が近づくとなんとなくイージーリスニングのレコードが聞きたくなります。昔はこの時期になると、夜中にココアとか飲んだりクッキーを食べながら、フォー・フレッシュメンとかハイローズ、ミルズブラザーズ、パイドパイパーズといったコーラスグループを聴いていたものです。まだ家でお酒を飲むという習慣がなかった、20代真ん中くらいの頃。そう考えるといつから夜、家でお酒を飲みながらパソコンの作業などをするようになったんだろうか?わりと最近?

で、わたしはクリスマスアルバムというものをほとんど持ってないんですけれど、そういうコーラスものやイージーリスニングの軽快なオルガンやヴィブラフォンの音、リズミカルなテンポのストリングスのアルバムをクリスマスアルバムの代わりにしている感じですね。クリスマスアルバムって聴く期間が限られるので、なんとなく今買わなきゃ、今聴かなくちゃというせわしない気分になってしまうんですよね。逆に期間が限られてるところにクリスマスアルバムを聴く楽しさがあるんだろうな、とも思いますけど。

加えてイージーリスニングはCDで手に入れるのが難しいので、レコードで聴いてるってのものんびりした気分になっていいのかもしれない。同じ作業しながら聴くにしてもパソコンに取り込んだ音源を小さなスピーカーで流しっぱなしにするよりも、レコードを聴いてるほうが音楽をちゃんと聴いているような気がします。15分に一回レコードをひっくり返したり(昔のレコードは収録時間が短い)、レコードラックからレコードを探したりしなくちゃいけないのも、いい気分転換になってるしね。そんなわけで11月後半から久しぶりにレコードを聴きながら夜を過ごす楽しさを味わってます。ついでにたまにはビールやワインでなく、ココアとかカフェオレとか飲んでみようかな、なんて思ったりして‥‥。

そんなイージーリスニングのレコードを出しているレーベルといえば、キャピタルやUnited Artists、RCA、Dot、Decca、Dynagrooveなどが思い浮かびますが、なんといってもcommand records、project3が好きです。いや、直球で申しわけないです。モンド世代には有名な「スペースド・アウト」で有名なイノック・ライトが手がけたレーベル。パーカッションを多用しステレオを意識したギミックあふれるアレンジが特徴のアルバムが多く、今ではモンドなレコードとして取り上げられることが多いのですが、モンドというほど奇をてらったところはないような気がします。まぁしっとりとしたストリングスで聞かせるという類のものではないですけどね。ギミックとしていろいろな楽器を使用しているので、どのレコードを聴いても似たような感じで飽きてしまうということがないがいい(あくまでも個人的な感想)。

ジャケットも購買層に合わせてか、わりときちんと作ってあってダブルジャケットが多いし、厚紙もいいものが使われているような‥‥そして、ジャケットデザインもいいんですよ。基本的には色数も少なく幾何学模様を組み合わせたものや抽象的なパターンを用いたものが多いのですが、シンプルだけれどどこかモダンで、LPジャケットならでは雰囲気です。

そんなcommand recordsのジャケットデザインを多く手がけているのが、チャールズ E.マーフィー。アートディレクションということで、イラストなどが入るときは別の人に依頼しているらしいのですが、よくわかりません。command records以降の仕事もよくわからないのですが、なんかface bookもあってそちらを見ると、晩年は都会ニューヨークの街並みを油彩で描いていたらしいです。作風はまったく違いますが、こちらもなかなかいい感じで、こんな絵のイージーリスニングアルバムがあったら一枚買ってしまいそう。でもcommandとはまったく異なるサウンドなんでしょうけどね。

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「辻静雄コレクション3」-辻静雄-

◆今城純写真展「walk home in d elight」@ポーラ・ニュージアム・アネックス

「料亭『吉兆』主人・湯木貞一氏を案内してヨーロッパ最高の料理を味わってまわる美食三昧の旅の紀行『ヨーロッパ一等旅行』、フランス料理の最高水準を体現するパリの一流レストラン31店の興趣尽きないエピソードや特別料理の作り方をつづる『パリの料亭』を収録」

前回の雑記で、松浦弥太郎や岡本仁について、この人たちみたいなライフスタイルの生活はおくれないなぁ、なんてことを思わされてしまうって書きましたが、ここでつづられるのは、もう贅沢、そして優雅すぎてまったくの別世界。まったく同じ世界は味わえないけれど、ちょっと背伸びしたらの片鱗だけでも味わうことができるかも?といった可能性はまったくないし、辻静雄も「こういう料理を味わえたければここやあそこがおすすめ」みたいなことをさらっと書いているけれど、全体を通して素人にわかるかという気概が伝わってきます。その突き放した姿勢があるからこそ、40年前に書かれたもので、一応お金持ちのためのヨーロッパで美食を味わうためのガイドブックという体裁をとっているにもかかわらず、今読んでもおもしろいんだと思います。そもそも40年前にヨーロッパに旅行してここに書かれているお店に行くような人が、これをガイドブックとして利用するかというのは疑問な気がしますが。
まぁそんな内容なので、おもしろいことはおもしろいのですが、「ヨーロッパ一等旅行」と「パリの料亭」と2冊まとめられていっぺんに読んでると、正直最後のほうは食傷気味というかもういいかなという気分になりがちなのでほかの本と平行で読むのがおすすめ。あと湯木貞一にヨーロッパ最高の料理を案内するというわりには、あんまり湯木貞一の反応などについて書かれていないのがちょっと残念。

年末は忘年会の季節。めずらしく銀座で飲むことになったので、ちょっと早めに会社を出てポーラ・ニュージアム・アネックスでやっている今城純の写真展「walk home in d elight」へ。いや、ほんとうはギンザグラフィックギャラリーでやっていたヤン・チヒョルト展に行く気だったのですが、26日で終わってしまってたんで‥‥。てっきり月末までやってるかと思ってました。

今城純は、昔、青山ブックセンターで写真集をちょっと見たくらいで、それほど気にしてはなかったのですが、北欧のクリスマスをテーマにしたとういうこと、そしてちらしで使われていた横を向いているサンタのかっこうをした店員がいる小さな小屋のようなお店の前に立ってる二人の女の人の写真がよくてちょっと見に行きたくなりました。
全体的な淡い色合いのカラー写真で、夕方から夜にかけての寒そうな北欧の街を飾る暖かな電飾の光が印象的な写真が展示されています。わたしが北欧に行ったときは夏のはじめの頃で、11時くらいまで明るくて、夕方から夜になるまでの時間がゆっくりとしていてよかったのですが、クリスマス時期の北欧も楽しそう。寒さや日の短さでなんとなく沈んでしまいそうな気持ちとクリスマスが近づいてウキウキするような気持ちが、静かに混ざり合ってる。今城純はそんな街中をカメラ片手にどんな気持ちでどんな足取りで歩いたのだろうか。スキップしたい気持ちとつい方を丸めてしまいそうな気分を抱えながら、でもさ楽しみを胸に歩いて家に帰ったのだろうか(“walk home in d elight”)?

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ちなみに写真集のほうは綾瀬はるか、菅野美穂、蒼井優、市川実和子、夏菜、深田恭子、アリス、チェルシー舞花‥‥などの女優や女性ミュージシャン、モデルのポートレイトを収めた「milk tea」とロンドン近郊の土地を歩き、その風景を切り取った「earl grey」の2冊が出ているようです。

「日々の100」-松浦弥太郎-

◆石田倉庫のアートな2日間といろいろなライフスタイル

松浦弥太郎が書く文章は昔から好きだし、カウブックスも、今は行けないけど、中目黒や表参道に行ったときはたいてい寄っていたし、編集長になってからの「暮しの手帖」もいいと思うけれど、最近になって出ている自己啓発本ぽい本はどうなんだろうってちょっと思ってしまってます。前から本のことを書いていても、実は本の内容よりもどちらかというと自身の経験やライフスタイル、考えを語るということが多かったので、もしかしたら自然な流れと言えるのかもしれませんが、それを前面に出してしまうのはねぇ。あくまでも本や作家などを紹介しているという体裁の中で語られているというのがよかったと思うのです。
ましてや、これは単なる偏見だけど自己啓発本っていまを切り売りしてるイメージがあるので、そういった本を古本屋が書くってことに何となく違和感があります(読んでないのでどんな内容なのかあんまり知らないけど)。

これは、文房具や食器、衣類、食べもの‥‥など、松浦弥太郎の暮らしの宝物と呼べる「もの」についてつづった本。普通に買えるものよりもどこかの朝市で見つけたものや、出会った人にもらったり勧められたりしたものが多く取り上げられています。ということもあって、取り上げたものその自体を語るというよりも、やはり自身の体験や考えが多くつづられているのは変わらないけれど、やはり「もの」が前面になっていて、その背景として語られているのがいい。
「もの」についてつづっていて、しかも自分でその写真を撮っているという点で、つい岡本仁さんの「今日の買い物。」と比べてしまいますが、なんとなく雰囲気は似ているようで、でもちょっと違うと思ってしまうところが随所に感じられて興味深かったです。
どちらも、この人たちみたいなライフスタイルの生活はおくれないなぁ、なんてことを思わされてしまうところは同じですが(笑)

-11月24日に立川の石田倉庫で行われていた「石田倉庫のアートな2日間」に行ってきました。普段、石田倉庫をアトリエとして利用している造形家・家具工房・陶芸家・金属工芸家たちが、製作しているものやその制作方法・過程が分かるようなものの展示があったり、子供でも参加できるようなワークショップがあったり、そして食べものや飲みもののお店が出ていたりと大人の文化祭といった感じ。細い階段を登ったりしてちょっとかわった形の倉庫の中を歩き回っているだけでもワクワクします。
食べものもmarumiyaやラマパコス、お菓子工房くろねこ軒、焼き鳥 たかといったお店が出店しており、晴天の下でビールと飲みながらラマパコスのカレーを食べたり、ひと通り見た後でおやつにお菓子を食べたりと、絵に描いたような秋の休日でした。

漣くんも、壁に描かれている森に、自分の描いた葉っぱなどを貼り付けていくワークショップや、枠に毛糸を通して額のようにしたプラ版に絵を描くというワークショップなど、いろいろ参加できるようになってきて去年よりも楽しんだよう。

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石田倉庫は、前に一緒にイベントを行った金属工芸家関田くんがアトリエとして借りていて、それがきっかけでこのイベントも知ったのですが、関田くんやこの日カレーのお店を出していたラマパコスのみんなを見ているとほんとに自由で純粋に毎日の生活を楽しんでいる感じですごいなぁと思う。自分に必要なものとか欲しいものはどんどん自分で作っちゃうし、家もどんどん自分が住みやすいように自分でリフォームしてったりしちゃうしね。

しかしこれが終わった後のメンバーの打ち上げとか楽しそうだな~

「ナポリへの道」-片岡義男-

◆「植田正治の道楽カメラ」@アツコバルー

前に読んだ「洋食屋から歩いて5分」がタイトルのわりにはそれほどテーマのしばりもなくゆるい感じで食べものについて書かれたエッセイ集だったので、これもそんな感じだろうと思って買ってみたら、ナポリタンにまつわる話しか書かれてなくてちょっとびっくり。
戦後の日本でナポリタンが生まれたエピソードから、ネーミングの由来や考察、調理法、社会学的なアプローチ、ナポリタンに関する自身の思い出、軽い読み物風のエッセイなど、一冊丸ごとナポリタンづくし。そして随所に戦後の日本の世相やアメリカの影響などの考察がはさまれてるのも片岡義男らしい。ここまでたたみ掛けられるようにナポリタンについて書かれていると、なんとなく書かれていることがほんとうなのか、実は片岡義男が考えたフィクションが混ざってるのでははないか、という気もしてしまいます。特に子どもの頃の体験談やエッセイ的なものはかなりフィクションが入ってるのではないかと読みながら疑ってみたりして、単にナポリタンのことが書かれているだけではないおもしろさがあります。
加えて3月に新橋にあるポンヌフというところで昔ながらのナポリタンを食べたときに、ちょっとわたしの中でナポリタンブームが起きそうになったことも、この本がよりおもしろく感じられた原因かもしれません。
とはいうものの、わたし自身はピーマン嫌いなので、どこかに行ったときにナポリタンを頼むということはほとんどありません。もし注文したナポリタンに薄切りされたピーマンが入ってた場合、それを取り除きながらナポリタンを食べるなんて、あまりにも面倒だし味気ないですもんね。

-今年は、植田正治の生誕100周年のわりには、それほど企画展とかないなと思っていたら、秋になって東京ステーションギャラリーで「植田正治のつくりかた」、渋谷のアツコバルーで「植田正治の道楽カメラ」、東京都写真美術館「植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ-写真であそぶ-」と題された展覧会が行われ、テレビとかでも取り上げられているよう。個人的にはスケジュールをばらしてほしかったという希望もありますが、この機会にできるだけ見ておきたいと思ってます。

そんなわけで、先週の水曜は渋谷に飲みに行ったので、その前に会期が延長されていたアツコバルーへ。ここはほかの2つと比べて会場は大きくないけれど、家族をモデルにした初期のモノクロ作品、時折訪れた東京渋谷の街角、ファッション誌の子供写真など未発表作品を中心に展示されているとのことだったので気になってました。あと、会場が大きくない分、気軽に見に行けるのがいいよね。
-まぁ実際にはそれほど植田正治を研究しているわけではないし、記憶力もあまりないので、未発表かどうかはあまり関係ないんですけどね。被写体として見慣れている家族の写真だけでない子どもたちの写真や写真館など建物の写真が個人的には新鮮だったかな。
ついでに、前から欲しかった切手シートも購入。別に切手を集めているわけでもないし、絶対に使わないことを考えると、それ買ってどうするんだ?という気もしないでもないですけど。

あと、アツコバルーは、ギャラリーとしてはスペースが広めでゆったりしていて、ワンドリンクがついているので、ひと通り見た後でちょっと椅子に座ってお酒を飲んで、それからまた写真を見たり、とのんびりできる感じがよかったです。わたしが行ったときはカウンター席が満席だったのですが、カウンターに座ってギャラリーの方(アツコさん?)とちょっと写真について話をしたりするものいいかもです。お酒が入ってる分、気軽に話せそうですし。好きな写真家や作家の展覧会だから、というだけでなく、機会があればたびたび立ち寄ってみたいギャラリーです。

「故郷の本箱」-上林暁-

◆わをん2013 -秋-@千葉県 横田ファーム

毎回、興味深い本をこつこつと出している夏葉社から出た上林暁の随筆集。京都で善行堂という古本屋をやっている山本善行さんが収録作品のセレクトを行っています。親しみのある読みやすい作品が多く収録されていて、初めて上林暁の作品に触れる人でも入っていきやすいような作品がピックアップされている感じなのかな。ちなみに夏葉社さんからはこの前にも同じ山本善行さんの「星を撒いた街」という本が出ているけれどこちらはまだ読んでません。夏葉社さんの本は装丁もいいし、本の作りきれいだし、一冊一冊丁寧に作られている感じがとてもいいんですが、こういっちゃなんですが、2000円以上するので実際に買う踏ん切りをつけるタイミングがなかなか難しい‥‥
故郷や幼馴染の話、古本の話、作家との思い出‥‥どれも心にしみるような穏やかな雰囲気の作品で、読んでいると心に響くフレーズがたくさん出てきて、機会があるたびになんども読み直したく本なので2000円は安いのかもしれませんが。

上林暁の本は、後期のものはわりと古本屋で手軽な値段で手に入ると思うのですが、初期の頃の作品は難しくなってしまうので、その辺の作品をオリジナルで復刊してほしいです。
アンソロジーというのはそれを読んで気に入ってさらにほかの作品を読んでみるという入口だったり、いくつか作品を読んでいる場合にあらたに組みなおした作品を読んでみることで新しい発見ができるといった変化球だと思うんですよ。だから、どちらにしてもオリジナルが読める状況になってると、こういう本の意義もまた変わってくるんじゃないでしょうか、とか。いえ、適当。
ちなみにうちの下の子の名前は上林暁から取りました(ウソ)。

日曜は、千葉県の鎌取にある横田ファームで行われた「わをん」というイベントに行ってきました。横田ファームという名前のとおり、農場が会場として使われていて、ビニールハウス内に作られたステージでライブがあったり、DJが音楽をかけたりしつつ、農業体験やトラクタークルーズといった農場ならではのイベントがあるというちょっと変わったフェスでした。
出演したのはthe chef cooks meや後藤正文、ザ・なつやすみバンド、奇妙礼太郎、TGMX‥‥などで、わたしの目当てはComeback My Daughters、Turntable Films、坂本美雨といったところ。まぁ子ども連れなのでがっつりライブを見るという感じではなく畑の周りで遊んだり、簡単なワークショップに参加したりしつつ、ちょこっとライブを見れればという気持ちで行ってみました。実際、トラクターに乗ったり、ツリーハウスやハンモックなど遊ぶところがたくさんあるし、また農場で採れた野菜を使ったという食べものはだいたいフリーということで、遊んだり食べたり(飲んだり)で、ほんとにライブをゆっくり見てるどころではなく、Turntable Filmsも坂本美雨もちゃんと聴けたのは2曲ぐらいで、最初から最後まで見れたのはComeback My Daughtersだけというね。あ、ザ・なつやすみバンドもちょっと聴いたけどけっこうよかったな。

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そのComeback My Daughtersは、最近のアルバムはぜんぜん聴いてなかったし、ライブを見るのも5年以上ぶり、最新アルバムでは曲によっては歌詞が日本語になっているということだったので、見る前はちょっと不安でしたが、サウンドの方向性もそれほど変わらず、でも演奏はダイナミックになっていて、そんな不安を吹き飛ばしてくれたパフォーマンスでした。新譜から曲のみで、かつ時間も短かったので機会があればもっと聴きたいです。最初は「うるさい」って言ってた漣くんも途中で手を上げたり叩いたりして盛り上がってたしね。でも最後にはそれまで遊んだ疲れが出たのか寝てしまいましたけど。ほんとこれを見ただけでもよかったかも!?
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と思いつつも、東京の西から鎌取までは遠かったです。横田ファームまでシャトルバスも出ていたのですが、バスで15分くらいかかったし、会場にいた時間よりも移動していた時間のほうが長かったぁ~