◆古本屋の思い出(と言うほどものでもない)
古本屋の思い出や故郷の諫早や長崎、自分の作品などについてつづった随筆集。野呂邦暢の本は講談社文芸文庫から出ている「草のつるぎ・一滴の夏」を読んだきりで、なかなか読む機会がない。この本のあとがきに書いてあるように、古本屋での値段が高いんですよね。かといって、今手に入る大人の本棚シリーズは3000円近くしますけど。どうにかならないもんですかね。もうこういう状態の作家の本を気軽に読むには電子書籍しかないんでしょうか(いや野呂邦暢の本が今電子書籍で読めるのかどうかは知らないが)。普通に紙の本で読みたいんだけどなぁ。こういっちゃなんですが、電子書籍って紙の本の代用品じゃないですか、と(少なくとも今の時点では)。
この本でも、野呂邦暢がものすごく読みたかった本を、人から借りてコピーをとって読むのだけれど、やっぱりコピーじゃ満足できないって話が収録されてます。これは編者の岡崎武志が、電子書籍を頭に浮かべて収録したんだろうなぁ、なんて勝手に思ってます。
そんな本について書かれたものだけでなく、古本屋との思い出がつづられているのも楽しい。本は読みたいけれどなかなか買えないもどかしさや、古本屋の主人の様子などがダイレクトに伝わってきます。身近なことについてつづられた文章でも、作者の一つ一つの文章に対する気持ちや妥協のなさが伝わってきて軽く読み飛ばせません。かといって、重いわけでも、それが強調されることもなく、あくまでも文体は静かで軽妙なところがすごい。やはり少々高くてもまずは大人の本棚シリーズ「愛についてのデッサン」と「白桃」を手に入れたくなります。
話が変わりますが、お正月は一泊で二宮へ帰省。気分としては子どもを親にあずけてわたしは近くに出かけたり、友だちと飲みに行ったりしたいところですが、まだまだ子どもが小さいこともあり、また親と離れて過ごすことにあまり慣れてないので、数時間だけ親に子どもたちの相手を任せて海に行ったり、駅前の商店街を歩いたりしただけでした。
できるなら平塚に出て見ていろいろ散歩してみたいと思ってるんですけどね。もう平塚なんて20年以上も歩いてないので、記憶にあるものはほとんど残ってないんだろうと思う。ときどき自分が平塚の町を歩いている夢をみるけれど、起きてから思い返すと、夢に出てきた町は自分の記憶とはまた違っていたりして不思議な気分になります。
高校が平塚にあったせいで、学校からの帰り道に毎日のように古本屋か貸しレコード屋に寄って帰ってました。特に古本屋は学校から駅までの間に5軒ぐらいあって、順番に寄りつつ帰ったものだけれど、これらの店ももうぜんぜん残ってないんでしょうね。特に特色のある古本屋というわけではなく、普通の街の古本屋だったしねぇ。むしろ古本屋というと横浜の古本屋でよく買っていたような気もします‥‥。
そういえば、それらのひとつに、別にお客に話しかけたりするわけではないけれど、古本屋にしては愛想のいい夫婦がやっていて、入りやすかったせいで、かなり頻繁に立ち寄って本を眺めたり、立ち読みしたりしていた古本屋がありました。
高校生の頃のわたしはアトピーが出たり、すぐに風邪をひいたりと、まぁいろいろ体が弱くて、午前中に病院に行ってから学校に行くということが多かったのですが、診察が終わると、すぐに学校に行くわけでもなく、本屋さんやレコード屋さんにちょっと寄って、昼休みが終わるくらいに学校に行くということをよくしていました。
ある日、例によって診察が終わってその古本屋に行ったら、いつもニコニコしている男の人がすごい剣幕で女の人を怒鳴りつけていて、あげく本を投げつけたりして、なんか怖くなって、入ってすぐにお店から出てしまったのを思い出します。それからなんとなく長い時間立ち読みをしたり、買う気もない本を取り出したりするのを躊躇するようになってしまったんですよねぇ~
あ、今年は平塚の七夕にでも行ってみましょうかね。