「Concorde」-Wolfgang Tillmans-

渋谷のHMVの6階にある青山ブックセンターが9月で閉店してしまうそうです。オープンしたのが昨年の11月なので1年持たなかったのか~と思うとちょっと寂しい。たまに写真展を見に行ったりしただけだったけれど、いつもがらんとしてたからなー。近くにあるリブロのほうが行きやすい場所にあるし、タワーブックスみたいにHMVのポイントがつくわけでもないので、わざわざ6階まであがって行く気にあまりなれなかったのも事実。個人的にはABCは、レコード屋で例えると一時期のWAVEみたいな位置づけですね。いくらHMVが渋谷系をあおろうが、タワーレコードがビルになろうが、WAVEは別格、みたいな感じ。両方とも会社としてダメになっちゃったところも似てるのが哀しいけれど‥‥。まぁABCは、本店や六本木店などもまだまだ健在なので頑張って欲しいです(と、なぜか上から)。
そんなわけで、本格的なセールは9月7日から17日みたいですが、すでに50%OFFになっている本もあり。珍しくじっくり眺めていたら、前々から欲しかった「Concorde」があったので迷わず購入。7日にまたチェックしに行かなくては。

Wolfgang Tillmansの写真集は、TASCHENから出ているベスト的なものは持っているのですが、この「Concorde」だけは、単独で欲しいとずっと思っていたのでうれしい。というか、amazonで3500円くらいの本を5年以上待たなくても、と自分でも思うが‥‥。まぁそんなことはおいといて、この本が出たのが1997年、今からちょうど10年前、コンコルドの運航が廃止されたのがそれから6年後の2003年、そんなことを思いながら見ていると、遠くの空に小さく写っているコンコルドの姿が、発売されたときとはまた違う感慨に覆われているような気がしてしまいます。コンコルドの写真集であると同時に、それを含めた空の写真集でもあるとも思う。そして、コンコルドが過ぎ去っていく背景には夕暮れの空が似合う。いや、7年前だったら昼の突き抜けた青い空をコンコルドが飛び去っていく姿が美しい、なんて書いていたかもしれません。

8月最後の週末は、福生の横田基地日米友好祭に行ってきました。去年は行かなかったのだけれど、もう4、5回目になるので、昼間から行くと太陽を遮るものがなく、もちろんエアコンもないので暑いとか、花火が始まるのは8時半からだけど、6時半にゲートが閉まってしまうとか、牛浜から行くよりも福生まで行って散歩しながら基地まで戻った方が、米軍ハウスや雑貨屋さんなどいろいろ見れて楽しいとか、戦闘機の写真を撮るときは、座席や機体の頭と水平にカメラを向けた方がいいので脚立を持っていくべきとか(まさか持っていかないけど)、だんだん知恵がついてくるものなのだが、途中でお茶したDEMODE HEAVENで出てきたサラダとフィッシュ&チップスが、Sサイズなのに大盛り過ぎてお腹いっぱいになってしまい、基地内でケーキくらいしか食べられなかったり、6時半になるとゲートだけでなく戦闘機を展示しているスペースも閉鎖になってしまい、せっかく基地の中に入ったのに戦闘機を見ることもできなかったり(別に戦闘機が好きなわけでもないけどね)、効率よく友好祭を楽しむための道のりはまだまだ遠い。
2年ぶりに歩いた福生の街は、どことなく閑散としているようで、誰も住んでいない米軍ハウスも増えてきているようだし、前に来たときにハウスが並んでいたところが、普通の建て売り住宅に変わっていたりして、戦後60年以上経って少しずつ変わってきているのかもしれないとも思う。それでも、芝生の敷かれた敷地に誰も住んでいないハウスがぽつんと建っているのを見ていると、ここに引っ越してきたくなります。会社まで通うのも大変そうなので、ここは思い切って古本屋一本でがんばっちゃおうか、とかね。倉庫も安く借りれそうだし、新しい仕入れ先のルートも見つけられるかもしれないし、いやいや実店舗か!?‥‥なんて、妄想は膨らむばかり。‥‥なのだ。

「草のつるぎ・一滴の夏―野呂邦暢作品集」-野呂邦暢-

駒場東大前にあるNO.12 GALLERYでやっていた「コウガグロテスク」平野甲賀展を、お盆休み中12日に見てきました。11日には平野甲賀とSarudog(Mu-Stars)のトーク・イベントもあったのですが、これは行けず。というか、なんでMu-Starsなのか。展示の内容も、平野甲賀の作品に加えて、イルリメや阿部海太郎、かくたみほといった人たちによる『コウガグロテスク06』を使った作品も展示されていて、どういう人選なのかどうもわかりません。ギャラリー自体が広くないので、平野甲賀本人の作品をもっと展示してくれればいいのに、と思う。でも展示は多くなかったけれど、手書きの元原稿や切り抜き、ちらしなどがたくさん置いてあって見応えはありましたね。
わたしの中では、晶文社の本=平野甲賀の装丁、というイメージがあったので、和田誠の展覧会に行ったときとはまた違う意味で発見があったり、よく考えたら平野甲賀のことをあまり知らないことに気がついたりして、最近は全然チェックしていなかったけれど、やっぱりリブロから出ている「平野甲賀 装幀の本」が欲しくなってしまった。

夕方くらいに出かけていったので、駒場東大前や代々木上原の周辺の散策はあまりできなかったのですが、ハリッツでドーナツを買ったり、dish/Organic Cafeでごはんを食べたり、LOS PAPELOTESで本を見たり‥‥かなり満足な一日。
ハリッツは、手作り無添加ドーナツとコーヒーのお店。持ち帰りで買って、夜と次の日の朝に食べたのですが、しっかりとした食感があっておいしかったです。行ったのは夕方ということと、13日からお盆休みだったせいか、ドーナツの種類が3種類しかなかったのが残念だったけどね。レジ横に置いてあった板には、たくさんの種類のドーナツの絵が書いてあったので、また食べに行きたい。民家を改装した建物で、店内も落ち着いた雰囲気でよかったし。

「百鬼園先生言行録」-内田百けん-

私が勤めている会社は、お盆の期間に2日、共通のお休みがあって、7、8、9月のあいだにあと2日自由にお休みをとることができます。今年は13、14日が共通のお休み、残りをいつとるかはまだ決めてません。どうしようかな~。夏休みというイメージで考えると、お盆の頃になるともう後半という感じで、海にも行けなくなるし、もうそろそろ終わりだな~、読書感想文やポスターとか残りの宿題もしなくちゃね、気がつくとだんだん日も短くなってきたりしてるし‥‥という気分。そんな時期なのに我が家の朝顔は、まだ二葉のあいだから本葉が出始めたばかり。去年の様子から秋口まで花が咲いたりするのを知っているので、そんな状態でも毎朝水をあげているけれど、もしわたしが小学校一年生だったら、かなりがっかりしてしまうだろうと思う。梅雨が明けるのが遅かったとはいえ、8月に入ってこんなに暑い日が続いているのにね。で、それにしても暑い。何もする気も起きない~なんて思いつつ「百鬼園先生言行録」を読んでいたら、百鬼園先生の家は37度もあるそうで、それに比べればましなのか。どうなのか?

10日は仕事を早めに終わらせて、そのまま実家に帰る。いや帰らずに平塚で降りて、3月に同窓会で会った友達と飲む。6人ぐらい集まったのだけれど、地元の人たちは、3月から度々会って飲んだりしているらしい。小学校を卒業して中学までは一緒の学校だったけれど、高校以降はまったく会うこともなかったのに、何がきっかけでどういう交友が始まるのかわからないなぁ、と思う。まぁ私の場合、年に何回も帰るわけではないので、度々会うというわけにはいかないけど。そんなわけで、平塚在住の友だちに、店長が釣りに行ってその日にとれたもの出してくれるというお魚のおいしいお店に連れて行ってもらい、結局、実家に帰ったのは12時半くらいで、そのまま寝てしまいました。
で、こういっちゃなんだけど、まる1日いるとやることねーなーという感じで、次の日の夜には帰って来てしまいました。いや、暑くて、ちょっと海まで、あるいは駅の近くまで行ってみようかな、という気にもなれないし、もう10年くらい運転してないので、車でというわけにもいかず、家にある本も、今自分で読みたいと思ったり、カヌー犬で売るような本は、全部持ってきてしまって、中学生くらいに読んだどうしようもない本ばかりしか残ってないし、レコードも前回全部ユニオンで送っちゃったし、ピアノも妹が持ってちゃったし、なにすりゃいいのさ、と。まぁ1日だけの帰省なんてそんなものかもね。

「屋上がえり」-石田千-

「屋上がえり」も含めて、「月と菓子パン」「踏切趣味」「ぽっぺん」「部屋にて」など、石田千の本はひかれるタイトルばかりなので、本屋さんで見つけるとつい手に取ってしまう。石田千も“同時代に生きている作家の新作を心待ちにしている”作家の一人といえるかも。歳も近いしね‥‥(あまり意味はなし)。
とはいうものの、実はあんまりきちんとチェックをしているわけでもなくて、この本もちょっと前に、吉祥寺にあるダーチャというカフェで、北村範史は、石田千に同行して屋上の写真を撮った北村範史の写真集を見てはじめて知りました。その写真集がよかったので、個人的にはこちらの本にももう少し写真を載せて、片岡義男の本みたいに文章と写真が同じくらいの比重になっていたらなぁと思ってしまった。

大学生の頃、同じ研究室に喫煙者がいなくて、当然、研究室内は禁煙だったので、よく校舎の屋上に上ってたばこをすいながら、本を読んだりしてました。そういえば、学校がお休みの時に、ポータブルプレーヤーと簡単なお弁当とおやつを持っていってピクニックみたいなこともしましたね。まぁ今思えば、20歳も過ぎて高校生みたいなことしてるなぁ、という感じですが‥‥。
改築される前の古い校舎だったので、完全に閉まらない窓があるのは当然で、セキュリティもきちんとしてなかったし、屋上にあがる鍵も壊れていたし、はたまた階段はあるのにその先がコンクリートで固められているところがあったりして、夜中とか一人で校舎を歩いているとかなり怖かったです。

デパートは別にすると、なんとなく、屋上には入れないという気持ちがあるので、普通の雑居ビルなどで屋上に上がれたりするとうれしい。最近は高いビルが多いので眺めがいいというよりも、屋上という非日常的な空間と見上げる空の感じがいいのだと思う。屋上に上がったからといって、缶コーヒーとかを片手にたばこをすって、縁に寄りかかるくらいしか、特に何をすることもないというところもいい。住んでいる所や会社の近くに、そんな風に手軽に屋上に上れるようなビルがあったらいいのにな~。無理か。

「大福帳」-辻嘉一-

週末の富士見ヶ丘は、七夕祭りと題してなぜかサンバとよさこいソーランを踊る人たちが商店街を行進。通り沿いのお店が店の前に模擬店などが出してかなり盛り上がっていたけれど、なんだかなーという感じは否めません。先日、お店を閉めてしまったくだものやさんのおじさんが、模擬店の前で張り切っているのを見てちょっとほっとしてしまったりしたけどね。あと、「サンバカーニバルははなの舞までで終了です」というアナウンスが笑えました。普通の盆踊りは開催されるのだろうか。
そんな富士見ヶ丘を後にして、何年かぶりに阿佐ヶ谷の七夕祭りへ。二宮出身の私としては、子どもの頃から平塚の七夕祭りに行っていたので、なんとなく、8月に七夕というのがなじめなかったりするが、平塚に比べて規模が小さい分、飾りなども手作りっぽかったり、模擬店も通りの商店が出していたりして、町のお祭りという雰囲気がいい。ゲゲゲの鬼太郎のキャラクターの飾りが多かったのはなぜだったんだろうか?
お昼ごはんは、通りの模擬店を横目で見つつ、パール街から少し入ったところにあるオトノハであんかけそばを食べた。沖縄ラム酒や中国茶、たんかんジュースなどの飲み物があったりするし、メニュー的には、沖縄料理~中華風~アジア系という感じなのだろうか。よくわからない。でもこじんまりとして店内もキレイだったし、あんかけそばも具がたくさんは行っていておしかったので、今はお昼の営業をしていないみたいだけれど、8月26日には朝市もあるらしいのでまたそのとき来たい。夜でもいいんですけどね。なにげに阿佐ヶ谷に飲みに行きたいところがいろいろあるかもね!?

「I Can Fly」-Ruth Krauss、Mary Blair-

この本は、先月渋谷のロゴスでやっていた洋書バーゲンに行ったときに買った。といってもバーゲン会場で買ったわけではなくて、普通の売り場の絵本コーナーに置いてあったもので、値札に「セール」と書いてあったことを考えると、洋書バーゲンにあわせて値段を下げたのかもしれない。実際アマゾンよりで売られている価格よりも安かったし。
洋書バーゲンは、始まってすぐの頃と終わりの頃、2回行ったのだけれど、この本以外に特に買ったものもないです。初めの時は人が多すぎて本を見る気力がなくなってしまったし、終わりの方の時は、休日にもかかわらず会場はガラガラだったけれど、本棚も隙間ができていたし、ちょっと見た感じでもカバーが破れていたりして、なんだかなーという感じになってしまったのだ。バーゲンの会場とかで欲しい本を見つけられない、見つける気がなくなってしまうというのは、なんとなく勉強不足という感じがしますね。欲しい本があって、通常の本棚でそれを探すというのは、簡単なことだけれど、バーゲン会場みたいなところは、そういう本を買うのではなくて、今までちょっと手が出なかった本を探したり、今まで見たこともなかったけれどちょっとこれはいいかも、という本を見つける場所のような気がします。
あと、いかに背表紙だけでどんな本か推測できるか、ということにかかっているような気もするな。レコードと違って、CDや本は、ジャケットや表紙もよりも背で確認する要素が大きいから、きちんと文字を読んでいくわけではないので、ぱっと見て表紙を見るために本を引っ張り出すか、素通りするかの判断を、背でしなくてはいけない。で、その辺は普段どれだけ本を見ているかということに大きく左右される(なんて言ったら大げさか)。その本自体は見たことがなくても、シリーズものだと背の配置が似ていたりするしね。そういう意味でバーゲン会場で本を見つけられないというのは、勉強不足だと思うのですよ。最近ここで洋書や写真集を取り上げることもあまりなくなってきてしまっているしね。いや、いろいろ適当に書いてみたけれど、単に歳をとって体力と気力がなくなっただけなのかもしれないな、と‥‥。

「愚者の楽園」-獅子文六-

内容的には「最近の日本どうなってんの」的なコラムが多いので、これに「愚者の楽園」というタイトルをつけるなんて獅子文六にしてはストレートだなぁ、と思いながら読んでいたのだけれど、(といってもそんなに凝ったタイトルをつけることもあまりありませんが‥‥)あとがきによるとこのタイトルは、この連載の前の執筆者が名づけたものということです。獅子文六をストレートかひねくれているかという分類で分けると前者になると思うけど、なんとなく違和感があったので少し納得。
どうでもいいですが、この本は持ち歩くにはちょっと大きくて、普段、会社に持っていく鞄が小さいだけに、鞄に入らなくなることも度々あって、困った。獅子文六については、山口瞳と同じように、単行本ではなく文庫本で読もうと思っていたわりには、実際に読んでいるのは単行本のほうが多い。以前、友だちと獅子文六の話をしていた時、友だちが一冊一冊集めていくのが面倒なので、思い切って全集を買ってしまった、と言っていた気持ちがわかる。獅子文六の本って意外と見つからないものなのですよ。

何度も書いているけれど、ずっと海外文学ばかり読んできたので、全集を買うという選択肢が自分の中にあまりない。そもそも海外文学の全集って、(特に現代文学は)全然“全”ではなかったりするし、基本的に、ある作家の人気のある作品をまとめて出版しました、という程度のものでしかなく、装丁とかも普通。だからここ最近、同じ作家の作品を何十冊も読むようになって、はじめて全集を買いたくなる気持ちがわかりました。だいたい20冊くらい同じ作家の本が本棚に並ぶようになると、だんだん残りが手に入りにくくなることもあって、全集をセットで売ってないかネットでチェックしてみようかな、という気分になります。まぁ実際に買ったことはないんですけどね‥‥。

今日は暑かったので、夕方近くから、下北へ出て、マジックスパイスでスープカレーを食べた。レギュラーのものに辛さを「覚醒」「瞑想」「悶絶」「涅槃」「極楽」「天空」「虚空」の7段階で選べるんだけれど、わたしは辛いのが苦手なので、一番辛くない「覚醒」を選ぶ。応対した店員がちょっと大げさで、「覚醒」でも辛過ぎるという人もいます、とか、トッピングをなにもしないと私ならかなり寂しいです、みたいなことを言うのだが、「覚醒」はちょっと辛いかな、というくらいで、それほど辛くなくちょうどよかったし、野菜もたくさん入っていてぜんぜん物足りなくなかったです。バナラッシーも食べたせいかむしろお腹いっぱいで苦しい。でもエアコンが効いているにもかかわらず、テーブルの上になぜか団扇が置いてあるわけが食べていてわかりました。それにしても1階はジャムカヴァーで、2階はマジックスパイスというこの建物はどうなんですかね?

「大貧帳」-内田百けん-

なんだか貧乏話を続けて読んでしまった。普通なら「もういいや」という気分になってしまいそうなのだけれど、どちらも違う意味でどこかのんびりした雰囲気なので、気が滅入ることはなかったです。いや、吉田健一はほんとうに貧乏なのかわからない。乞食の格好をして文芸春秋社の前に座ったとか、戦後、米を転売しようとして東北まで行って、警察に捕まった話など、前に読んだことのある話でも、必要に迫られてというよりも、酔狂で、あるいはおもしろそうだから、みたいなところがある。あの吉田茂の息子で貧乏なわけないだろう、という気もするし、吉田茂はまったく息子に援助をしなかったらしいということなので、ほんとうに貧乏だったのかも、という気もするし、実際はどうだったのか。そんなことはどうでもよろしいって言われそうだが‥‥。
それに比べて内田百けんは、家財の差し押さえや給料からの直接の天引き、高利貸しからの呼び出し‥‥など、実情はかなり悲惨。でもそんな時でさえ無理矢理返済を迫る高利貸しに対して、相手の立場で考えてみれば‥‥なんて言い出してみたり、同情したりしてしまう本人の楽天的な言動と、おかしみのある文章にかなり救われている。いかにも明治時代の育ちのよいお坊ちゃんという感じですね。そもそも「士官学校へ出任して、初めて四十五円の月給を取り出した時、彼は月額八十円以上の生活をしていた。それが八十円に昇った時は百四五十円、百八十円になった時は三百円近くの生活といったような塩梅で~五百円あまりの棒給を取るようになっても、その時はもう僅かにその四分の一で生活しなければならないような目に遭っていた」なんてことがなんでできるのか。いい意味でも悪い意味でもそういう図太さがないと、借金さえできないということなのかもしれない。
借金というと、なんとなく思い出してしまうのが青山二郎だったりする。著作をそれほど読んでいるわけではないので単なる連想に過ぎないのだが、骨董屋で見つけたものを、自分の財布と相談せずに、借金してまでも買ってしまう、そんなイメージ。ただ青山二郎の場合は、借金してもそれ以上の価値のある品物が手には入っているし、それだけの鑑定眼もあったので、生活感はない。同じ借金でもずいぶん違うものだ、と思う。

うちの会社は凝り性の人が多くて、毎週のように旅行に行っていて一年先まで旅行のスケジュールが決まっているという人や、何十万もする自転車を何台も持っている人、暖かくなるとお休みの度に釣りに行って真っ黒に日焼けしてしまう人、家にホームシアターを設置している人、オーディオマニア、そしてソフトウェアも出していることもあり、パソコンやデジカメ、GPSなど新しいデジタル機器のチェックは欠かさない人‥‥など、さまざま。なんたって、インタビューで「うちの会社ははもともとハッカーが多い会社なんで~」なんて、ポロッと言ってしまい、そのままWebページが公開されてしまって、社内で問題になるような会社ですからね。だから飲みに行ったり、昼ご飯を食べながらそんな人たちの話を聞いていると、自分はまったく物欲がない人間なんだなぁ、とつくづく思う。わたしが最近買ったデジタル機器なんて、去年買ったiPod nanoくらいだもの。CDも無印で買ったコンポで聴いてるし、レコードプレーヤーも1万円もしないものだし、DVDは再生専用のものしか持ってないし、パソコンもノートだし、唯一買っているものといえば本とCDぐらいなものなのだけれど、それだってアナログを買わなくなったからレア盤とも無縁だし、本もだいたい500くらいで買える古本ばかり‥‥。だからといって給料の大半を貯金にまわしているってこともないっていうもの困ったものです。
そういう意味では、今借金があるわけじゃないけど、もしわたしに借金がかさんでしまうという状態が起きるとすれば、どちらかというと内田百けんタイプになるのだろうか。てきとう。

「乞食王子」-吉田健一-

カヌー犬ブックスも少し本の量が増えてきたし、これ以上分類分けをしてもわかりにくくなるだけになりそうなので、思い切って検索を作ってみました。といっても、全文検索は難しそうなので書名と著者名で引っかかるものだけ、複数語の単語は入れられないという簡単なものです。検索を考えたときからどうしようと思っていた著者名のゆれも考慮していません。海外文学は、翻訳者や出版された時期によって著者名の表記が変わってしまうのが困ったところ。ほかの検索サイトはどうしているのだろう。ちゃんとデータベース作ってるのだろうか。なので、例えば「ジョン・アップダイク」と入力しても「ジョン・アプダイク」は検索されないため、「ダイク」とか適当に入れてもらえるとうれしいです。もしくは少し増えてきたと言ってもそれほど多くの在庫があるわけではないので、「ジョン」でもいいと思います。
基本的に表示などは今動いているプログラムを使って作ったせいで、検索のプログラムと購入のプログラムがぶつかってしまい、昨日は購入のプログラムが動かなくなってしまってました。ご迷惑をおかけしまして申し訳ありませんでした。不具合があるたび思うのだけれど、そろそろプログラムもデザインもリニューアルするべきなのかもしれません。

「ロンドンのパブ」-吉田健一、高城明文-

10年ぶりくらいにUKロックを聴いてる、なんてことを前に書きましたが、意外にもまだそのブームが続いてます。結局今でもよく聴いているのは、The ViewとThe Riflesだったりするのだけれど、最近はLittle Man TateとかThe Ripps、Dogs、Jack Afroといったバンドをよく聴いてますね。前回聴いてみたいと書いていたMaximo ParkとかMilburnは、ちょっと飽きてきちゃってるし、Kaiser Chiefsなんか今では聴く気にもならなかったりして、なんだかんだ言って、もともと好きなJam~Buzzcocksあたりの音に近いのパンクぽいものに行き着いているという感じでしょうか。もっとさかのぼっちゃうとやはり60年代のブリティッシュ・ビート・バンド系の音と引き継いでいるバンドということになるのだけれど、かといってDraytonesはどうかな、どうしよう、と。ここまでくると60年代のバンドを聴けばいいのでは、と冷静に思ってしまうけれど、どうしたものなのか。
ところで話は変わりますが、UKロックという言葉はいつから使われ始めたんでしょうか。60年代の音楽はブリティッシュロックと言ってますよね。わたしのイメージ的にはパンク以降のバンドはUKロックで、それ以前はブリティッシュロック、微妙なこところでグラムロックは、ブリティッシュになるのですが、「レコードコレクターズ」あたりではどう使い分けてるんだろう?読んでないからわからないけど。でもネットを見ているとビートルズやストーンズ、ツェッペリンなども普通にUKロックを呼ばれていて、個人的にはちょっと違和感が‥‥。

なんて話を書きつつ、そんなわけで最近はレコード屋で新譜コーナーをチェックすることが多いのだが、先日ニック・ロウの新しいアルバムが出ているのを見つけて「おぉ!」と思ったことや、やっぱりパブロックとかSTIFFレーベルとかのバンド聴きたいなぁといったことを書きつつ、この本の紹介に持っていこうと思っていたのですが、やっぱり無理があったかも。そもそもパブロックのパブとこの本に出てくる「ロンドンのパブ」とは同じ“パブ”でも雰囲気違いすぎかぁ‥‥。