「ユーモア・エッセイ 王様と召使い」-檀一雄-

台風の通り過ぎた3連休の最終日にユーロスペースでケン・ローチの「ナビゲーター ある鉄道員の物語」を観に行ってきました。「ケン・ローチの映画 1969-2006」と題された特集で、14日から27日まで、「ケス」「マイ・ネーム・イズ・ジョー」「ブレッド&ローズ」「ナビゲーター ある鉄道員の物語」「SWEET SIXTEEN」「やさしくキスをして」「麦の穂をゆらす風」「明日へのチケット」の7作品が上映されています。“1969-”というわりには、「ケス」以外は最近の作品ばかりなのがちょっと不満なのだけれど、次にいつ見れるかわからないので、これを期に観ていない作品を観ておきたい。でも期間も短いしどうだろう。ちなみに観ていないのは「ブレッド&ローズ」「ナビゲーター ある鉄道員の物語」「明日へのチケット」の3作品ですね。もう少し長い期間で上映されるんだったら、「マイ・ネーム・イズ・ジョー」をもう一回観たいところなんですが‥‥。
「ナビゲーター ある鉄道員の物語」は、イギリスの鉄道が民営化され鉄道会社の再編化されることで右往左往する労働者たちの顛末を描いた作品。一緒に働いていた人が違う会社の人となり、ライバル会社の社員としてスパイ扱いを受けたり、効率化という名のもとにリストラが行われ、派遣社員として働かざるえなかったり、派遣社員が多くなるにつれて本来業務を受け持っていた会社に仕事が回らずに経営が悪化していく‥‥など、深刻なテーマを正面から取り上げているにもかかわらず単なるドキュメンタリー映画とならないのは、深刻でありながら登場人物たちのどこか滑稽なやりとりや、体制への批判だけではなく、労働者たちへの皮肉もときおり出てきたりするからか。まぁその辺は、この作品だけでなくケン・ローチのどの作品にもいえることだけど‥‥。目先の少しの利益のために(それだけではないんだけれど)会社を辞め、明日仕事があるかどうかもわからず、けがなどの対する保証もなく、道具や通勤費さえも自分で出さなくてはいけない派遣社員として、より過酷な状況で働き出す元鉄道員たちの様子を、冷静に映画を観ていると「なんだかなー」と思ったりしてしまうけれど、実際の自分もあまり変わらなくて、かなり気が滅入ってしまいます。いや、それもこの作品だけでなくケン・ローチのどの作品にもいえることだけど‥‥。

映画が終わった後、ちょっと時間があったので表参道まで足をのばして、岡本太郎記念館でやっている「タナカカツキの太郎ビーム展」を見てきました。タナカカツキによる岡本太郎へのオマージュという趣の展覧会で、スライドなど、うまく岡本太郎の世界とタナカカツキの世界が融合させた展示もあるものの、どちらかというとタナカカツキ色は薄く、太郎寄りの作品が多い。あともう少し展示が多かったらよかったのになぁと思う。場所が場所だけに数を増やすのは難しかったのかもしれませんが、数が多ければもう少しタナカカツキ寄りの作品も展示できただろうに‥‥。

「尾崎翠集成(下)」-尾崎翠-

先週はちょっと忙しかった。普段、働いていないわけではないけど、3、4日遅くまで働いたりすると、家に帰ってきてメールの返事を書いて、次の日に発送する本の梱包をしたら、もういっぱいいっぱいという感じになってしまいます。当然この雑記を書く気にもならず‥‥。まぁそういうときもあるよね、と。初めに入った会社が編プロだったせいもあり、締め切り間際にガーっと仕事して、終わったらちょっとのんびりして、で、また「さて次行きますかぁ」なんてぐあいに次の仕事が始まる‥‥という波があると仕事してるなーという気になったりします。まぁいつも山ばかりだともう体力がもたない、ということもあるけれどね。そんなわけで、今週は、とりえず山積みになっていた資料やプリントアウトを全部閉まったり捨てたりして、机の上もきれいになったので、窓際に避難しておいた多肉植物を机の上に戻したりしながら、ちょっとのんびりと仕事してます。
多肉植物は、先日、お弁当を食べた後に食べたチチヤスのヨーグルトの容器で育てているのだけれど、室温が一定しているのと(「チーム・マイナス6%」への参画とかで社内のエアコンもちょっと弱め)、週末は日の当たる窓際に移動させているせいか、家で育てているものよりも早く育ってきていてうれしい。今から心配することでもないけれど、社内だから冬も安心だしね。とはいうものの、チチヤスの容器は、ちょっと小さい。加えて底より口のところが狭まっている形なので、植物を育てるにはあまり向いてないかも。ほんとは牛乳プリンの容器とかがあっているのかもしれません。

週末に近所の西友で買い物をしていたら、たばこの自動販売機の横に下げられているキャンペーンの応募はがきの中にチチヤストリプルキャンペーンのはがきを発見。5000円のキャッシュバックはおいといて、チー坊のトートが欲しい。いやストラップでもいい。でも締め切りが7月31日で、対象商品10ポイント集めるのはちょっとなーと思いつつも、昼休みの後、会社でヨーグルトを食べていたら、会社の人も買って食べてくれて、2日で5ポイント。予想外に短期間で射程距離に入ったので、2口とか応募できるんじゃないか、なんて妙に張り切ってしまったりして。でもそのためにこれから7月いっぱいは昼休み後にヨーグルトを食べる日々が続くのか!?

「尾崎翠集成(上)」-尾崎翠-

じゃ、この晴天に便乗して、日曜日、西荻古本屋巡りでもするか?いやいや阿佐ヶ谷住宅にするか?なんてことを友だちと言っていたら、午後から雨ですよ。なんなんだ?
とはいうものの、浜田山で待ち合わせしてバスに乗って阿佐ヶ谷住宅へ。雨の阿佐ヶ谷住宅もなかなかいい。トタンギャラリーが期間限定で開いていたので、ちょっと中に入ったり(後で知ったのだけど、24日までだったらしい)、傘を差しつつ公園や通路を歩いたり、団地の階段を回ってみたりする。でていけーといわれたらすぐに出ていくので、取り壊される間の少しの期間でもいいのでここに住みたい。
阿佐ヶ谷住宅を出た後は、カルカッタカフェでカレーを食べる、。開店1周年だそうだ。去年、吉祥寺の三越のおもちゃ市で偶然会って、「阿佐ヶ谷にいい物件が見つかりそうなので、念願のカレーカフェをやることになったんですよ」なんて話を聞いたのは、去年の春か‥‥。はやいなー。いやいやその三越ももうなくなってヨドバシカメラになってますよー。7月にはタワーもその上に入るらしいし。早いというか、びっくりするな。
そのまま西荻移動して、古本屋を回ったり、それいゆでコーヒー飲んだりして、家にいたミオ犬と合流して、Aparecida(アパレシーダ)へ。ここはディモンシュのフリーペーパーで堀内さんが紹介していたお店で、「ブラジル」をキーワードにしたショップ。ブラジルの雑貨やレコード、CDがあってブラジルのお酒や料理などもあるということで、前々から気になっていたのです。とりあえず、おいてあるレコードや雑貨を見たり、ブラジルのおつまみをつまみながらビールを飲む。でもメニューにあまり食べ物がなかったので、やっぱりちゃんとご飯を食べたいねぇ、ということになって、隣の三人灯に移動、10時くらいまで飲んで、ちょうど雨の止んだ中、歩いて帰る。三人灯は日曜の夜というのにずっと満席。その中で塚本晋也やナゴムの話をする三人組でした。

さて話変わって、今日、仕事をしながら、隣の人と何かのきっかけで、「爆裂都市」の話になったとき(どんなきっかけだ?)、「あれに出てるよ俺」と。「クレジットには製作助手で出てる」「えぇそうなの?」「うん 石井総互監督と一緒に映画作ってた」なんて話しつつ、ググってみたらちゃんと名前が出ていてびっくり。前に大滝詠一のレコーディングに立ち会ったという話もしていたし、この人は何者なのか。なんでうちみたいな会社にいるのか?よくわからん。それで「遠藤みちろうはさぁ、すごいよ。普段は普通のどちらかというと礼儀正しい人なんだよ。それがさぁ~」「ライブになるとにわとりや豚ですもんね~」なんて会話が、午後の社内でもりあがるのもいかがなものか。ここは飲み屋か?

「海の泡―檀一雄エッセイ集」-檀一雄-

6月に入ってから天気がまったく読めない‥‥。見るたびに天気予報も変わるので、当日の朝にならないと、はっきりわからない。というのはすでに“予報”ではないんじゃないかと思うがどうなんだろう?おまけに先日、関東の梅雨入りは間違っていました、というニュースまで出ていて、なんとなく梅雨が明けてからが夏というイメージがあったりするので、それじゃ、先週までの晴れは春?初夏?なんて思ってしまったり、昨日今日の雨は春雨?なんて思ってしまったり‥‥。
そんなわけで、週末飲みに行ったときは、「明日は上野水上音楽堂でやるLOVERS FESTIVALに行くから雨が降らないといいなぁ。屋根はあるけど、一応野外だし‥‥」なんて言っていたのに、朝起きてみたら晴天で、それはそれでうれしいのだけれど、ここまで晴れなくても、という気分になった。出演者は、高橋健太郎、ChesterCopperpot、高橋徹也、朝日美穂、Chocolat & Akitoの5組。こう言ってはなんだけど、どこか懐かしいメンツ。ちゃんと今でも聴いてるのってChocolat & Akitoくらいか、というか、ショコラはあんまり聴いてないから、片寄明人くらいか。でもChocolat & Akitoの「Tropical」は良かったな。片寄明人のポップスを作る音楽家としてのいい面が出ていて、ロッテンハッツの「SMILE」、とりわけ「ノー・リグレッツ」を複雑な気持ちで聴いていた人間としては、感慨深いものがあります。それから片寄明人を音楽家として考えたことがこれまであまりなかったかも、ということにも気づかされたり、片寄明人がショコラにその「ノー・リグレッツ」を提供して、その後結婚したとき、山下達郎が、自分のアルバムと竹内まりや(あるいは、吉田美奈子、大貫妙子)のアルバムで、自分の音楽性を使い分けているように、グレイト3とショコラで使い分けていくのかな、と勝手な憶測をしていたな、なんてことも思い出したりしました。実際はぜんぜん違ったけれどね。もともと、一つの感情だけでなく対局にある感情や相反する感情、両方を一つの曲に入れたい、みたいなことを言っていたので、そんな風に簡単に切り分けられるものでもないのだろうと思うけれど、それより前に、そうやって職人のように使い分けられるほど器用な人でもないような気がします。これもわたしの勝手な憶測ですけどね‥‥。
ライブのほうは、ショコラのキーボードと片寄明人のギターのほかに、リトル・クリーチャーズの栗原務がドラムを担当。最小限のメンバーで片寄明人もギターを弾きまくるというタイプではないし、もちろんショコラもキーボードがうまいというわけではないのに、安定したいいライブに思えるのは、アレンジのセンスのせいなのか、栗原務のドラムがうまいせいなのか。それよりも片寄明人と栗原務に囲まれるとショコラの顔が小さいことが強調されすぎで、そればかり気になってしまいました。

「This Is Edinburgh」-Miroslav Sasek-

昨日は月に一度のイン・ザ・パシフィック。いつになく(失礼)人がたくさんいて盛り上がり、Heavenのスズキさんの誕生日当日ということで、最後にみんなでケーキを食べたりして、11時半くらいまでエッジエンドにいて、いつものように井の頭組でまとまって帰る。最近、下北周辺の人たちがタクシーで帰るので、井の頭組も少ない。ちょっと酔っていたので、本の発送作業などはやめにして(すみません)、慌ててお風呂に入って1時過ぎに寝た。

さて、今日はお弁当日ではなかったので(昨日帰ったのが遅かったせい?)、会社の人4人で、近くのレストランにパスタを食べに行く。飲み放題のドリンクを持ってきた後、パスタが出てくるまでいつものように他愛もない雑談していると‥‥。
「昨日は3時過ぎまで飲んでてタクシーで帰ったから今日はちょー眠い‥‥久々にやっちゃたよー」と机にあごを乗せそうなAさん。
「いやぁ昨日さぁ、麻雀やって4時くらいに家に帰ったら、部屋に入った床の上に奥さんが寝ててさ、布団はひいてあるんだけど、頭ぐらいしかたどり着いてないんだよ。どうやら酒を飲んで帰ってきてそのまま寝ちゃったらしいんだよね。で、起こしたあと、『酒癖が悪いんだからあんまり飲まないように』って一時間くらい説教しちゃったから、2、3時間しか寝てない‥‥」と、そもそも自分も4時帰りで、酔っぱらって帰ってバイクにひかれたことのあるBさん。
「それを言うなら昨日、旦那と飲みに行って帰ってきて、向こうがお風呂に入っている間についそのまま布団に入っちゃって、3時頃ふと起きたら、旦那は普通に隣で寝てて、自分は服着たままで、びっくりしちゃったよ。起こしてくれないんだよ。というか、起こしてくれたのに起きなかったのかもしれないから確かめられないけど‥‥」とCさん。
そんな話を聞きながら、11時半まで飲んでそのまままっすぐ帰って1時に寝るって、もしかしてかなり健全な生活なのでは‥‥と思うわたしでした。

「This Is Hong Kong」-Miroslav Sasek-

アマゾンのセールで安くなっているのを見つけてすぐに購入。ここでは取り上げていないけれど、最近、アマゾンでいろいろ買ってます。サセックの旅行絵本もいつの間にかたくさん復刊されていて、きちんと追い切れてないですね。今、何冊復刊されているのかなー。一時期の盛り上がりはなくなってきたと思うので、今でもきちんと買っている人はそんなにいないような気もしないでもないけど。復刊前は、洋書の古本屋さんや雑貨屋さんで、オリジナルの本がかなりの値段がつけられていたものですが、今でもそれなりの値段がつけられているのだろうか?わたしはオリジナルにこだわるほうではないし、このシリーズに関して言えば復刻版でも割ときちんとしているんじゃないかなと思ってるので、これはこれで満足です。まぁオリジナルを持っているわけではないので、細かい違いなどはわかりませんが‥‥。どちらにしろオリジナルにこだわる人と、復刻版で満足してしまう人のあいだには、どちらがいいかということではなく、その“もの”に対する関わりというか、姿勢に大きな違いがあるなーとは思います。

先日、「英国野郎」というイベントに行ったとき、終わってから友だちと飲みに行って、3時過ぎくらいまで音楽などの話をしたりしました。みんなだいたい同年代で、わたしのほかは、定期的にDJをやったりしている人たちだったのですが、全然レコード/CDにこだわっていなくて、DJのときは基本的に全部CDでかけてるという人や、オリジナルのUK盤でかけるということに意義があるという人、買うのはアナログ盤が主だけれどこすったりするので、全部CD-Rに焼いてから使っているという人などさまざまで、話を聞いていておもしろかった。
音楽や本は、最終的には曲が聴ければいいとか、内容が読めればいい、という側面があるだけに、人それぞれ考え方が大きく違ってしまうような気がします。今ならiTunesで音のデータだけダウンロードすればいいいう人も多いだろうと思うしね。

話は変わって‥‥。
週末、約2年ぶりに携帯を買い換えました。窓口で古い携帯から新しい携帯にデータを移すとき、「通常30分から1時間くらいかかるので、そのあいだ買い物などに出かけてきてもいいですよ」、と言われたのですが、実際に古い携帯に入っているデータを調べたところ、全然入ってなかったようで、5分くらいで終わってしまいました。そういわれてみると、携帯で写真を撮るということをほとんどしていないので、アドレスデータのほかに、データフォルダに入っているものといえば、2、3の待ち受け用の画像とYahoo!地図情報から落とした地図画像くらいなのだった。わざわざそんなものまで移動させる必要もなかったのですが、まぁ5分なら‥‥と。
携帯で写真を撮らないのは、カメラを持ち歩いているときは、あたりまえだけれど、それで撮るし、持ち歩いていないときも携帯で撮ってもなーと思ってしまうから。フィルムで撮ったり、デジカメで撮ったり、携帯で撮ったり、ポラロイドで撮ったり、できあがったメディアがバラバラになってしまうのが、なんとなく嫌なのだ。フィルムとポラくらいにしておかないと整理できないのですよ。

そういう意味で、音楽はできればCDのみでそろえたいし(でもレコードで持っていてCD化されてないものも結構あるんでしょうがない‥‥)、本も山口瞳は文庫でしか買わないとか、吉田健一は単行本でそろえたいとか、Dr.Seussのシリーズの新しい本は、表面がコーティングされていてつるつるした感じがいやなので、昔の本で買いたいとか思ったり、オリジナルかどうかなんかよりもそういうことが気になってしまう。う~ん、結局そういう結論なのかなぁ~?

「飲み・食い・書く」-獅子文六-

もう金曜日かぁ‥‥今週はあっという間に過ぎてしまいました。5月に休日出勤した分の代休を月曜日にとって、日月と伊豆の温泉に行って、帰ってきてから4周年記念のプレゼントやページを作ったりして、13日は誕生日だったので、仕事中に会社の人が買ってきてくれたケーキを食べたりして、夜は久しぶりに渋谷のカンティプールでネパール料理をお腹いっぱい食べて、次の日も仕事中にケーキなんて食べたりしながら、夜は会社の人に誕生会を開いてもらって、帰ってきてからは、ちょっと酔っぱらったままプレゼントページをアップしたり、メルマガの準備をしたり‥‥。とうとう梅雨に入っちゃったな、なんて思っていたら今日は晴天で、週末はどうなんだろう?

4周年記念のプレゼントキャンペーンは、ほんとはオープンした10日から始めたかったのですが、なかなかプレゼントの内容が決まらず、ちょっと過ぎてしまいました。そもそもプレゼントなんてどうなのよ、という気持ちもあって去年はやらなくて、今年もいいかな、と思っていたのだけれど、5月の終わりにスキャナを修理に出したら、(当たり前だけれど)調子が良くなったので、たまには写真集でも作ってみようかなという気分になりました。で、写真集にパリの写真を入れることにしたので、パリに関係のあるものとしてモールスキンの手帳を、と。やはり(いいものかどうかは別として)オリジナルのものでないと気分的にやる意味がないような気がしますね。来年は5周年なので、トートバックとかちゃんとオリジナルグッズを作ってみたい。
それにしてももう4年も経っちゃったかぁという気持ちはあります。それにしては進歩があまりないけど‥‥。それでも続いてきたのは、ページを見てくれる人や喜んでくれる人がいるからで、注文時のコメントを読んで元気づけられたり、反省したり‥‥きちんと返事を書けてませんが、かなり励みになっています。皆さまありがとうございます。5年目もよろしくお願いします。

「老イテマスマス耄碌」-吉行淳之介、山口瞳-

庄野潤三の「星に願いを」のときに「人間の晩年なんてこんな静かな心境じゃないでしょう」なんて書いてしまったけれど、歳をとって病気の話ばかり書かれるのもちょっとなぁ~と思う。この本は、ある意味軽い感じの対談集なので良いけれど、「男性自身」の最後の方は病気の話ばかりになってそうな気が‥‥(まだ「江分利満氏の優雅なサヨナラ 」は未読)。
そういえば「おしまいのページで」だったか何人かの作家が順番にエッセイを書いている本で、一人が病気の話をし出すと、次に書く人がそれに対して自分の病気の話を書き出して、また別の人がそれに続く‥‥というすごいことになってたのを思い出しました。

ゴールデンウィーク前くらいに、中古レコード屋でスパイラル・ステアケースの「More Today Than Yesterday」の紙ジャケを見つけたので、なんとなく買ってiPodに入れて通勤の時に聴いてみたら、ちょうどお休み前だったし天気がよかったこともあって、すっかりはまってしまい、これから夏くらいまではソフトロックを聴いて過ごそうかな、なんて思いつつ、ユア・ソング・イズ・グッドの新譜を試聴しながら最近オルガンジャズとか聴いてないなぁとか、ディモンシュのフリペを読んでボサノバのCDがどんどん再発されてるみたいだしこれを機に集めちゃおうかなとか、スペシャでよく流れてるJUSTICEの「D.A.N.C.E.」を聴きながら、やっぱり今までにあまり聴いたことのないジャンルの音楽を聴きたいし今年はフレンチエレクトロか!‥‥なんて、相変わらず優柔不断な誕生日前30代後半男なのだった。

「東京っ子」-秋山安三郎-

先日、会社で回覧されてきたPC関連の新聞(?)を読んでいたら、最近が読めない人が多くなってきている、というテーマのコラムが掲載されていました。そのコラムでは、漢字が読めなくなったその原因として、字を書かずにキーボードで打つようになったからということをあげる人が多いと、よく言われる理由をあげておいて、その後、昔の開発者たちが、いかにPCに2バイトの漢字をキーボードで打ち、画面で表示させるために努力したかということが、文章の4/5くらいに渡って書かれ、最後の最後に、「でも、漢字が読めなくなったのは、パソコンのせいではなく、テレビのせいだと思う。~」と、いきなりそれまでのことがなかったかのような理由を出してきてひっくり返してしまうという、業界に気を使った結論で笑ってしまいました。

「東京っ子」は、前半で昔の東京の風習や風俗、暮らしについて、後半は戦時中に書かれた芝居についての文章が収録されてます。当時の演劇の様子はもちろん、出てくる役者の名前などがまったくわからないので、後半は、かなりちんぷんかんぷんで、実を言うと途中で読むのをあきらめてしまった。でも前半もわからない言葉が出てきたりしてあんまり理解できていないような気がするな。旧仮名遣いで書かれているわけではないのだけれど、読めない漢字もかなり出てくるし‥‥。いや、内容はおもしろいんだけどね。
でも「僕ら、私ら」は関西弁で、東京ッ子は「僕たち、私たち」というとか、東京ッ子は「かける」なんて言わない、「走る」と言う。なんて言われてしまうと、別に困らないけれど、なんだか困ってしまいます。ほかに「霧雨」は、関西では「きりさめ」、東京では「きりざめ」と濁る、「ド真ん中」など関西は「ド」をつけたがる、松茸は東京は「松だけ」と濁る‥‥といった言葉が例に挙げられてます。正しい言葉なんてないということはわかっているけれど、正しい日本語で話したり、書いたりするのには、その成り立ちや変遷までもわかっていないといけないのだな、と思ったりもします。う~ん、難しいなぁ~。

さて、わたしも含めて漢字を読めなくなったのは、パソコンのせいでも、テレビのせいでもなく、漢字を使わなくても普通に暮らしていけるからだ。特に不自由がなければ、無理して覚える必要もないし、覚えたとしても忘れやすいものだと思うのだけれど、どうなのだろう?適当。

「星に願いを」-庄野潤三-

ミオ犬が図書館で借りてきた本。わたし的には晩年に近づいた夫婦の日常を描いた「貝がらと海の音」以降のシリーズは、あまり食指がのびないのだけれど、ちょうど小沼丹全集が出た頃を重なっていて、小沼丹についていろいろ書かれているということだったで読んでみることにしました。
ここに書かれていることがすべてではないとしても、これほど作家として、ひとりの人として幸せな人生を送っている人も珍しいのではないだろうか。恵まれた環境で育ち、見かけ上は大きな苦労もないように見えるけれど(20代はじめの戦争に行く前の頃を描いた「前途」でさえ切実な暗さはないし)、実際は見えないところでものすごく努力をしていたり、意志の強い人なのだろう。朝日放送時代の庄野潤三は厳しい上司だったということを、誰かが書いているのをどこかで読んだこと記憶もある。
夫婦の日常が、まるでただ日記を書き写したかのようにさらり(だらり?)と描かれている感じのこの本でも、実は取り上げる出来事の取捨選択や、全体の流れ、ものすごく平易な言葉の一つ一つにも周到な計算されているように思う。あまりにも隙がない(あるいは隙間だらけ?)ので、読んでいて、これは実はフィクションなのではないか、という気さえしてしまうのはわたしだけではないはず。現実ではすでに奥さんも亡くなっていて、実は庄野潤三自身も病院に入院しながら病室でこれを書いているのでは、なんて、ひどいことまで思ったりしてしまうのは、単にわたしの性格がひねくれているだけですけど‥‥。いや、描かれている日常が平和で平坦過ぎてるので、人間の晩年なんてこんな静かな心境じゃないでしょう、と思ってしまうのですよ。庄野潤三がそういう作家ではないことは、わかっているのだけれど、その辺の葛藤とかがバックにまったく感じられないのもどうもどうかと。

さて、Rock yaというところで友だちがイベントやっていたので、夕方から高円寺に行って古本屋とかレコード屋とかをちょっとまわって、9時前くらいからで飲んだ。「英国野郎」というタイトルのイベントで、トニー・マッコウレイ系のハーモニーポップから、フーなどのビートバンド、ジャムやスミスなどのパンク、ニューウェイブ、そしてヴュー(リトル・マン・テイトはかからず)まで、幅広くイギリスの音楽がかかる。
高円寺という場所柄か、単に昔からの遊び友だちがそのまま歳を取っているだけなのかわからないけれど、同じくらいの歳の人たちがたくさん集まってDJの回す音楽を聴きながら、酒を飲みながらしゃゃべったり騒いだりしているのを見ていると、いろいろなことをやり続けていれば、歳をとってもそれなりに楽しんで暮らしていけるのだろうとも思う。