「大貧帳」-内田百けん-

なんだか貧乏話を続けて読んでしまった。普通なら「もういいや」という気分になってしまいそうなのだけれど、どちらも違う意味でどこかのんびりした雰囲気なので、気が滅入ることはなかったです。いや、吉田健一はほんとうに貧乏なのかわからない。乞食の格好をして文芸春秋社の前に座ったとか、戦後、米を転売しようとして東北まで行って、警察に捕まった話など、前に読んだことのある話でも、必要に迫られてというよりも、酔狂で、あるいはおもしろそうだから、みたいなところがある。あの吉田茂の息子で貧乏なわけないだろう、という気もするし、吉田茂はまったく息子に援助をしなかったらしいということなので、ほんとうに貧乏だったのかも、という気もするし、実際はどうだったのか。そんなことはどうでもよろしいって言われそうだが‥‥。
それに比べて内田百けんは、家財の差し押さえや給料からの直接の天引き、高利貸しからの呼び出し‥‥など、実情はかなり悲惨。でもそんな時でさえ無理矢理返済を迫る高利貸しに対して、相手の立場で考えてみれば‥‥なんて言い出してみたり、同情したりしてしまう本人の楽天的な言動と、おかしみのある文章にかなり救われている。いかにも明治時代の育ちのよいお坊ちゃんという感じですね。そもそも「士官学校へ出任して、初めて四十五円の月給を取り出した時、彼は月額八十円以上の生活をしていた。それが八十円に昇った時は百四五十円、百八十円になった時は三百円近くの生活といったような塩梅で~五百円あまりの棒給を取るようになっても、その時はもう僅かにその四分の一で生活しなければならないような目に遭っていた」なんてことがなんでできるのか。いい意味でも悪い意味でもそういう図太さがないと、借金さえできないということなのかもしれない。
借金というと、なんとなく思い出してしまうのが青山二郎だったりする。著作をそれほど読んでいるわけではないので単なる連想に過ぎないのだが、骨董屋で見つけたものを、自分の財布と相談せずに、借金してまでも買ってしまう、そんなイメージ。ただ青山二郎の場合は、借金してもそれ以上の価値のある品物が手には入っているし、それだけの鑑定眼もあったので、生活感はない。同じ借金でもずいぶん違うものだ、と思う。

うちの会社は凝り性の人が多くて、毎週のように旅行に行っていて一年先まで旅行のスケジュールが決まっているという人や、何十万もする自転車を何台も持っている人、暖かくなるとお休みの度に釣りに行って真っ黒に日焼けしてしまう人、家にホームシアターを設置している人、オーディオマニア、そしてソフトウェアも出していることもあり、パソコンやデジカメ、GPSなど新しいデジタル機器のチェックは欠かさない人‥‥など、さまざま。なんたって、インタビューで「うちの会社ははもともとハッカーが多い会社なんで~」なんて、ポロッと言ってしまい、そのままWebページが公開されてしまって、社内で問題になるような会社ですからね。だから飲みに行ったり、昼ご飯を食べながらそんな人たちの話を聞いていると、自分はまったく物欲がない人間なんだなぁ、とつくづく思う。わたしが最近買ったデジタル機器なんて、去年買ったiPod nanoくらいだもの。CDも無印で買ったコンポで聴いてるし、レコードプレーヤーも1万円もしないものだし、DVDは再生専用のものしか持ってないし、パソコンもノートだし、唯一買っているものといえば本とCDぐらいなものなのだけれど、それだってアナログを買わなくなったからレア盤とも無縁だし、本もだいたい500くらいで買える古本ばかり‥‥。だからといって給料の大半を貯金にまわしているってこともないっていうもの困ったものです。
そういう意味では、今借金があるわけじゃないけど、もしわたしに借金がかさんでしまうという状態が起きるとすれば、どちらかというと内田百けんタイプになるのだろうか。てきとう。