「ちいさい隅」-大佛次郎-

大佛次郎の随筆を読みたいな、とずっと思いつつも、機会がなく時間が過ぎてしまった。「猫のいる日々」について書いたのが去年の3月、ようやく2冊目です。
日々の移り変わりや出来事をとおして想う事柄が、適度な力加減でつづられていていい随筆だなぁと思う。10年後ぐらいにまた読み返したい。実際のところ、読み終わった直後にまた読み返したい、と思わせる随筆やエッセイはそれほどないものなのだ。ちなみにあとがきは永井龍男。これから10年、20年経って新しい作家との出会いがあったとしても、この大佛次郎や永井龍男、吉田健一、小沼丹、井伏鱒二、木山捷平といった作家は、ときおり読み返すことになるのだろう。

そんなことを考えたのは、夏の初めくらいに、今買っているこのCDを自分はいつまで聴き続けるのだろうか、自分にとって一生つきあっていけるアーティストやジャンルはなんなんだろうか、ということを、ふと思ってしまったから。少なくとも60や70歳になったとき、ハーフビーやジャスティスは聴いていないのではないだろうか。ソフトロックやギターポップはどうなんだろう?ボサ・ノヴァ?ジャズ?なんて考えたり‥‥。でもこれから20年、30年後と思うと、1960年代の音楽なんて60年、70年前の音楽になってしまうのか、なんて計算をすると愕然としてしまいます。まぁどうでもいいことだけれど、どうなっちゃうんでしょうねー。そもそも今持っているCDを20年、30年後に聴くことができるのか?という疑問もありますしね。そういえば昔、CDが出始めた頃、CDのデータは10年くらいで全部消去されてしまう、なんて噂もあったな~

で、おじいさんになっても演奏したり歌ったりしている音楽ならば、歳をとっても聴き続けられるのではないか、という安易な考えのもと、今年の夏は、おじいさんのCDばかり聴いてました。
まず頭に浮かんだのが顔が、イブライム・フェレールとカルトーラ、それからリコ・ロドリゲス、アンリ・サルバドール。とりあえず、ブームから10年遅れの「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」から聴いてみたら、あのときは嫌な経験もあってキューバ音楽を聴く気になれなかったのだけれど、今聴いてみるとよさがわかるというか、あのとき聴かずに今になってはじめて聴いてよかった、なんて思う。映画公開後に、ルベーン・ゴンサレスやコンパイ・セグンド、エリアデス・オチョアといった人の単独のCDが意外とたくさん出ていたのにびっくりしつつ、このまま古いソンまで聴いてみるかどうかちょっと思案中。やっぱり個人的には、ファニアみたいな盛り上がりまくりのサルサよりも、ゆったりとしたメロディが心地よいソンの方が好きだ。

サンバのほうは、もともと好きだったカルトーラをはじめ、ネルソン・サルジェントやギリェルミ・ジ・ブリート、オス・イパネマズ、ウィルソン・モレイラといったCDをよく聴いてました。
そんなわけで、コンポの横に積み上げられたCDのジャケットは、どれもおじいさんの顔ばかりで、平均年齢も80歳を越えているのではないかと思う。なんたって「愛するマンゲイラ」を発表した時のカルトーラの歳が69歳で最年少なのでは?という状態ですから。でも、どの人もいい顔をしていて、いつかこんなおじいさんになりたいなぁ、とコンポに入っているCDを変えるたびにちょっと思ったりもします。