「正弦曲線」-堀江敏幸-

◆最近よく聴いてるCD(と言っても1か月も放置していたわけですけど)
普段、すでに亡くなっている人の本ばかり読んでいるので、堀江敏幸の本くらいは新しく出たらすぐに読もうと思っているのだけれど、気がつけばこの本も出てから2年も経ってしまってます。
今年に入って刊行されている回送電車シリーズの最新刊「象が踏んでも」や育児をテーマにしたという今までの作品とはちょっ違う趣向の長編「なずな」ももちろんまだ未読のまま。本に限らず音楽に関してもそうなんだけど、新しい作品が出るのが待ちきれない思いをして、発売されるのを待って本屋やCDショップに行く、という楽しみを味わうのが苦手らしい。いや、すごく読みたかったり聴ぎたい気持ちはあるんですけど、なんででしょうね。単に本もCDも中古じゃなぎゃ買わ(え)ないという貧乏症なだけか、新刊の本屋とかに行くとたくさんものあって選択できなくなってしまうという優柔不断な性格のせいなだけなのかもしれないけれど‥‥。

そんなわけでいまだにネットで本やCDを買うこともあまりなかったりします。もうアマゾンとかでCDとか本をチェックし出したらあれも欲しいこれも欲しいというい感じになってしまってきりないんですよ。
基本的には週に一回か二回、古本屋や中古のCDショップに寄って、そこにあるものから、そのとき読みたい本だったりそのとき聴きたいCDを3枚とか4枚くらい買うというのが性に合ってる。

さて、たまには最近よく聴いているCDをいくつか紹介します。

夏の間はめずらしくAORばかり聴いていたのですが、ちょっと涼しくなったころから男性のジャズヴォーカルばかり聴いてます。それは、高円寺のCafe DRAPERIEでパスペールエールを飲みながらフィッシュ&チップスを食ぺていたときに、バックで流れていたバカラックの曲をカバーしたジャズボーカルが心地よかったから。BGMがよかったのか、お店の雰囲気が良かったのか、真夏の昼間から飲むパスペールエールがよかったのか、なんとも言えませんが‥‥。60年代から70年代くらいで、微妙にポップスやロックに傾倒しちゃったサウンドのジャズヴォーカルが今年の秋のテーマになってます。

-■「Right Now!」-メル・トーメ-
メル・トーメほどどんなことをやフてもさまになってしまうシンガーも珍しいんでじゃないでしょうか。このアルバムではサイモン&ガーファンクルの「Homeward Bound」やサークルの「Red Rubber Ball」、マンフレッドマンの「My Little Red Book」といった曲をカバーしています。単なるイメージでしかないのかもしれませんが、気負ったところがまったくなくて誦々とした軽やかなジャズになっているところがいいです。

-■「Lonely Is the Name」-サミー・デイヴィスJr.-
こちらはロジャー・ニコルスの「Don’t Take Your Time」が収録されていることで有名なアルバム。曲としてはアレンジがかっこいい「Up Up And Away」のほうが好きかも。サウンドもヴォーカルも真っ向勝負というか、オレが歌ったらこんなにかっこいいんだぞ、という自信たっぷり感が清々しい。一方「Lonely Is The Name」などのミドル~スローテンポの曲もなかなかよいのですよ。その辺のメリハリがこのアルバムの魅力かもしれません。

-■「Your Mind is on Vacation」-モーズ・アリソン-
モーズ・アリソンの76年のアルバム。ファンキーなピアノで始まる「Your Mind Is On Vacation」がまずかっこいい。この曲はコステロもカバーしているのですがわたしはまだ未聴。「King of America」のボーナストラックに収録されているようです。実を言うとどこどなく“気の抜けた”ようなモーズ・アリソンのヴォーカルが今までちょっと苦手だったのですが、今聞くとその“力の抜けた”感じがいい。改めて50年代60年代のアルバムを聴いてみようと思ったりしてます。

-■「THIS IS ERNlE ANDREWS」-アー二ー・アンドリュース-
アーニー・アンドリュースはジャズというよりもブルースやソウルに近いのかな。1曲目とかもうノーザンソウルですし、オルガンをパックにした曲があったり、曲によってはビッグバンドをバックに歌っていたりして、それも含めてポピュラー歌手という感じなんでしょうね。そういうなんでもあり的なところがまたかっこいい。そう昔はそんなにはっきりとジャンルわけがされてなかったんだよなぁ、なんて当たり前のことを思い出したりしてます。

-■「Tell Me The Truth」-ジョン・ヘンドリックス-
コーラスグループで有名なランバート、ヘンドリックス&ロスのメンバーのソロ。ランバート、ヘンドリックス&ロスを思い浮かべてしまうコーラスが特徴的な「フラット・フット・フルージー」から始まり、ファンキーな「ノー・モア」、ボサノヴァテイストの「テル・ミー・ザ・トゥルース」、ラテンな「アイル・ベット・ユー・ソウト・アイド・ネヴァー・ファインド・ユー」など、洗練されたモダンな演奏と洒脱なヴォーカルが心地よいアルバム。

「『洋酒天国』とその時代」-小玉武-

◆烏山第一住宅に行ってきました
文庫が出たことを知ったとき、山口瞳の命日が近づいたら読もうと思ったのだけれど、すっかり忘れてました。8月の終わりの頃、「命日の時になんか読もうと思ったんだけどなんだったけ?」なんてまぬけに思ってなんですよねえ。

サントリーの社長である佐治敬三をはじめ、開口健、山口瞳、柳原良平、坂根進、酒井睦雄といったスタッフ、そして「洋酒天国」への寄稿者たちについて、その時代背景を交えてつづられてるのだけれど、次々にいろいろな人が登場してきて、話のエピソードもちょっと盛りだくさんなので、もう少し絞ったほうがよかったんじゃないか、という気もしないでもない。でもスポットをあてる人や出来事を絞って小さくまとめるよりも、「洋酒天国」という小冊子を中心に、さまぎまな個性的な人たちがどんどんつながっていく様を描くことで、著者としては、「洋酒天国」そしてその時代への思いの強さを示したかったのかもしれません。
まぁ「その時代」って言ったって、誰もが実際にトリスパーに通ったり、「洋酒天国」を読んだりしていたわけではないだろうし、結局のところ 「時代」っていうよりも、サントリーにこんな個性的な人がいて「洋酒天国」を作ってたんだってことにつきるんじゃないかと。

さて今日は、市役所に申請を出しに行く必要があったので、午前休して府中周り新宿経由で会社に。前に引っ越しの時も思ったけれど、府中市役所って土日はほとんど業務を行ってないし、夜までやっている出張所もないのでちょっと不便。前に住んでいた杉並区は夜7時くらいまでやっている出張所がいくつもあったのにな~(それでも当時は7時までしかやってないの?みたいに思ってました)。

用事自体はすぐに終わったし、会社に行く時間まで少し時間があるし、せっかく午前半休したことだし、というわけで、千歳烏山で途中下車。前から行っておきたかった烏山第一住宅に行ってきました。転んでもただでは起きないタイプです。
ここは阿佐ヶ谷住宅を設計した前川國男氏が手掛けた団地で、阿佐ヶ谷住宅と同じように、当時としてはかなりモダンな低層のテラスハウスが立ち並んでいて、それが今ではレトロな雰囲気を醸し出しています。まあ団地というより集合住宅といったほう趣ですね。
ただ取り壊しがかなり進んでいて、五棟ぐらいしか残ってません。残っている棟も一つの棟に何世帯か入居できるタイプのもので、そのうちの1つに住んでいる人がいてほかの部屋は住んでおらず昔のままで半分朽ち果てようとしているものか、今でも人が住んでいる一世帯用の戸建でかなりの部分でリフォームなどが行われているもののどちらか、という感じでした。少なくとも3年くらい前に来たかったなー、なんて今ごろ言っても仕方ないですけど‥‥。
阿佐ヶ谷住宅と違って住んでいる人とのトラブルもあまりないみたいなので、2、3年後には全部が新しい建物になってるんでしょうね。

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モザイクタイルの棟名も阿佐ヶ谷住宅と同じ

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取り壊された建物の跡

それほど広い場所ではないのですが、ブラシコなど公園の跡もあり、建物がまだ現役で人が住んでいた頃は、阿佐ヶ谷住宅と同じように緑に囲まれたいい環境だったんだろう。わたしが行った時もお母さんの団体が小さな子どもを連れて遊びに来てました。車が入れないようになっているみたいだし、地面もちょうどいい程度に草が生えていて、子どもを遊ばせるにはちょうどいい感じです。
そういえばわたしも漣くんがまだ生まれて何か月かという時期に、阿佐ヶ谷住宅に行きましたね。あれからぜんぜん行ってないけれど、今はどんな感じになってしまってるかな。イベントとかもやってないみたいですしね。
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「その辺まで」-獅子文六-

◆「イケムラレイコ うつりゆくもの」と「宗廣コレクション 芹沢錐介展」
獅子文六のおもしろさの一つとして、長く海外生活を送っていたわりには、意外と日本的な考えが強かったり、ときに欧米の合理主義的な考えが前面に出てきたりするという、そのブレンド具合があげられると思う。そこは獅子文六が横浜出身で、小さなころから中国人をはじめとした外国人に囲まれて育ったからなんじゃないかと思ったりするけれど、特にほかの人で、海外生活が長かったせいで考え方が偏ったという具体的な例が浮かんでるわけでもないので、単なるイメージなのかもしれません。すみません。

さて三連休は、相変わらず展覧会三昧、今月末にはミオ犬と子どもたちが帰ってくるので、そろそろ打ち止めか、という感じですが、土曜日は東京国立近代美術館でやっていたイケムラレイコ、月曜は松涛美術館で芹沢硅介の作品を見てきました。

イケムラレイコはベルリンとケルンを拠点に作家として活動している現代美術家で、わたしは今回の展覧会で初めて知りました。暗闇(?)で横になっている女の子の絵がなんとなく奈良美智が描く子どもと似たような雰囲気で心に残って、展覧会が始まる前から気になっていたんですけど、会場の音楽を蓮沼執太が手掛けていたり、カタログやWebサイトでの写真を川内倫子が撮っていたりという情報を知るにつれてもう行くしかないという気持ちに‥‥。

で、実際に作品を見てみると、似たような感情を作品から受ける瞬間もあるのですが、本質的には奈良美智とはぜんぜん違いました。まあそれは当然。いや、そもそも奈良美智の作品もちゃんと見ているわけではないんですけど。
そんな女の子の絵画やスカートを広げてうつぶせで寝そべって煩杖をつく少女たちの彫刻などももちろんよいのですが、私としては、どこか原始的な手触りと雰囲気を持ち合わせた彫刻の作品に心がひかれました。このひかれる感じはなんなんだろう、と考えてみてるんですが、ちょっとよくわかんないんですよね。
会場の構成はイケムラレイコのパートナーで、建築家のフィリップ・フォン・マットによるもの。奇をてらった感じはまったくないのですが、それぞれの展示が丁寧に考えられた構成になっていて、それが現在から過去の作品へとさかのぼっていって、最後にまた最近の作品が展示されているという構成になっています。最後の展示室に入った途端、なんとなくそれまでの作品たちがつながったような、全体で一つの輪になるような感じがして、また最初から作品を見たくなりました。

かわって、芹沢錐介は、8月に民藝館でやっていたのも見たので2回目になります。民藝館の展覧会では、柳悦孝の作品も展示されていたし(それはそれでよかったのですが)、民藝館ということで、(もちろん庶民がそれを使えるわけではないのですが)一般の人たちが普段の生活で使うものが中心に展示されていましたが、今回の展覧会では、暖簾、着物といった染物だけでなく、大きな屏風やお寺などから依頼されて制作したもの、また硝子絵や板絵、スケッチなど、芹沢錐介の作品を広くカバーできるようになっています。
それからこの間、濱田庄司の陶磁器を見たときもそう思ったけれど、展示されている作品がどうやって作られたのか、そこで駆使されている具体的な技法がもう少しわかると、より楽しめるんじゃないかと思ってしまいますね。絵心がないので、実際に陶磁器を作ったり染物を体験したりということは、多分できないだろうけれど、少なくてもその課程がイメージできるようにはなりたいです。芹沢硅介以外の染色作家や染織物作家の作品も見てみたいですし‥‥。

今はまだ興味を持ち始めたばかりなので、どうなるかわかりませんが、芹沢錐介や演田庄司を入り口に日本の伝統工芸について調べていって、いつかカヌー犬ブックスにもそういった本を並べられるようになれればいいかもね(それまでの道は険しそうだけど)。

「イケムラレイコ うつりゆくもの」
 会場:東京国立近代美術館
 会期:2011年8月23日(火)~10月23日(日)

「宗廣コレクション 芹沢錐介展」
 会場:渋谷区立松篇美術館
 会期:2011年10月4日(火)~11月20日(日)

「文士と骨董―やきもの随筆」-森孝一-

◆漣くんはすっかりお兄ちゃん気取り?
志賀直哉、藤枝静男、青柳瑞穂、岡部伊都子、小林秀雄、青山二郎、白洲正子、井伏鱒二といった文士による骨董、とくにやきものついての随筆を集めたアンソロジィ。

たいていの人が陶磁器は李朝のものを最高のものとしている半面、李朝を評価した柳宗悦の民藝運動については軽く批判しているというところがおもしろい。しかしそんな人でも、李朝の陶器について、柳宗悦が主張していた無作為なところをほめていたりして、柳宗悦の影響の大きさがうかがえます。

それから中国の陶器についての言及がまったくと言っていいほどないのも不思議。まぁ柳宗悦や青山二郎の本でも言及されることはほとんどないですけどね。やきものの評価としてはそういうものなのだろうか。なんとなくその頃の文士って中国に憧れをもってる人が多いので、その辺も含めて中国の陶器についてなにか語る人がいてもいいんじゃないかと思うんですけど、どうなのかな。単に編者の嗜好の問題なのかもしれませんが‥‥。

9月の終わりに二人目の子どもが生まれました。今回はミオ犬が実家の長崎に帰っての出産だったので、9月の後半から東京と長崎を行ったり来たり慌ただしかったです。まぁその前の7月後半からの2か月間はのんびりと独り暮らしをしていたので、そのしわ寄せ、とも言えますが。
ミオ犬と子どもたちが東京に帰って来るのはもうちょっと先になりますが、男の子二人兄弟になったのでこれからさらに騒がしくなりそう。

しかし生まれた子が漣くんそっくりなんですよ。生まれた時から髪がフサフサだったり、目や鼻、口など顔のパーツはもちろん、動きもなんだか漣くんを見ているようでおもしろい。病室では漣くんもうれしいのか、横に並んで寝転んだり、頭をなでたり、泣き出すと胸をたたいたり、ミルクをあげたり、すっかりお兄ちゃん気取り。まぁどこかで赤ちゃんがえりをするんだろうなぁと思うけれど、これからもずっと仲良くしてほしいですね。

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「世界のグラフィックデザイナーのブックデザイン」-小柳帝-

◆アーティストの本いろいろ
ポール・ランド、ソール・バス、ブルーノ・ムナーリ、エンツォ・マーリ、オーレ・エクセル、スティグ・リンドベリ‥‥といったアメリカ・ヨーロッパのグラフィックデザイナーがデザインした本を紹介した本。有名なデザイナーが多いので、ページをめくっているとこういう本持ってなかったっけ?という気もちょっとしてしまう。でも各作家の作品を断片的に見た記憶があるだけで持ってない。まあそんなものです。

とはいうものの、最近はブックデザインの本よりもレコードジャケットの本のほうが気になってたりしますね。いろいろな種類のものがけっこう出たので、もう出尽くしたのかなという感じがするのと、自分がアナログ盤を買わなくなったから、かな。とりあえずジャイルス・ピーターンンが監修したポサ・ノヴァのレコードジャケット本は欲しい。あと今さらながらサバービア・スイートのディスクガイドとか‥‥。

日曜はビームスのトーキョー・カルチャートでやっていた 「Here is ZINE tokyo 3」へ。信藤三雄や伊藤桂司、若木信吾、テイ・トウワ、ヒロ杉山、箭内道彦‥‥といった42組のアーティストによる、テーマもサイズもページ数も自由に作った限定5部の手作り本が展示されてます。

異なる素材のマテリアルをビニール袋でまとめたものや、厚紙できた表紙できちんと製本されたもの、新聞紙にコラージュを施したものものなどから、写真やイラストを簡単にまとめただけのものまで、個性的な手作り本がずらりと並べられていて見ごたえがありました。ただ会場の作品が展示されているという感じで、適当に手にとって眺めたりできない雰囲気があったのが残念。少なくとも座って見たい気はしますが、そういうわけにもいかないんでしょうね。

今年の夏はAORばかり聴いてました。今までもAORを聴こうと思ったことが何回もあるけれど・いまいちはまれないままだったのは、やはりものすごくメジャーなものからマイナーなものまで幅が広すぎることと、たどっていくための軸寺決められないという理由が大きいです。実際、今でもその軸が分からなくてかなりぐらついている感じです。
基本的には、どの音楽を聴くにもメジャーなものもマイナーなものも含めた形で、自分がいいと思えるアルバムを追いかけられたら、と考えていて、たいていの場合、まずはプロデューサーやブレイヤーなどのスタッフかレーベルをたどっていけば、大きな間違いはないと思っているのですが、そもそもAORってプロデューサーやスタッフの音楽という面が大きいし、一応メジャーレーベルから出ているものがほとんどなので、この手が通用しないのです。

そんなわけで、AORのレコードを紹介しているサイトを見たりして、よさそうなものを別のところで視聴して、よかったらリストに入れる、みたいなことをしなくちゃいけなくてかなり面倒。いや、ほんとはいつもこのやり方でレコード買ってれぱ、はずれをかなり減らせるんでしょうけどねえ。

ついでにAORに関して言えば、レコードを買う時の最終手段、「ジャケ買い」もまったくできません。さっきレコードジャケット本もいろいろな種類のものがけっこう出たって書いたけれど、AORのレコードのジャケ本はさすがにないのではかと‥‥。

「民藝四十年」-柳宗悦-

◆さよならシナトラの「セプテンバー・オブ・マイ・イヤー」とほかのレコードたち
最近は駅まで自転車で通勤するようになったので、また少し読書時間が短くなってしまいました。パスに乗ってるのは待つ時間も含めて行き帰りでまぁ30分弱くらいですが、それでも毎日となると大きい。本を読む時間だけではないけれど、もっと意識的時間を作っていかないとダメだなと思う。それは自分のための時間もそうだし、漣くんと何かをする時間もそう。残された時間は少ないというほどの歳ではないと思うけれど、気がつくと、「今は仕方ない」という気持ちで、いろいろなことがなし崩し的になってしまいそうだからね。

そんなことを思いながら、フランク・シナトラの「セプテンバーソング」を聴いてます。このシナトラの「セプテンバー・オブ・マイ・イヤー」は、高校生の時に「セプテンバーソング」が聴きたかったためだけに買ったレコード。石川町のタワーレコードで1000円くらいだったと思うけれど、特にシナトラが好きというわけではなかったし(当時からアステア~メルトーメ派)、そこまでしてなんで「セプテンバーソング」を聴きたかったのかは分かりません。知識も情報もない1980年代の高校生としては、「『セプテンバーソング』が収録されているジャズのレコード」を探すってだけでも、けっこう大変だったんですよ。
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「5月から12月までの時間は長いけれど、9月の声を聞くと(人生の秋になると)残された日々は少なくなる。だから、貴重な日々をあなたと一緒に過ごしたいのだ」(セプテンバーソング)

しかしそんな歌詞の歌が入ったレコードを必死に探してる高校生ってねえ‥‥。
しかもいま知ったのですが、この「September of My Years」ってシナトラが50歳になったのを記念したバラード集だったのですね。そういや収録されてる曲も「IT GETS LONELY EARLY(淋しくなった)」だとか「LAST NIGHT WHEN WE WERE YOUNG(遥かなる青春)」、「IT WAS A VERY GOOD YEAR(楽しかったあの頃)」「ONCE UPON A T1ME」、そしてこの「セプテンバーソ
ング」と人生の秋を迎えるような歌ばかりですね。うあ、いや、何も知らないってすごいわ~。

あー、で、それから25年経って、まあ 「残された時間は少ないというほどの歳ではない」けれど、確実に夏は過ぎて9月に入っているな、とは思ったりするわけなんだな‥‥。

あれ、なんか暗くなってますね。なんでだ?別に夜中にひとりで飲んだりしてないよ。

ちなみにこのフランク・シナトラのレコードは今日ディスクユニオンに旅立っていかれました。さようなら。(50歳になるまでとっておくという選択もあったかな‥‥)

「芹沢銈介の世界」-文藝春秋デラックス-

◆「可否道」の装幀って芹沢銈介によるものだったんですね!
民藝館で芹沢銈介の作品を見た後、この質感や細かさは印刷では魅力が半減してしまうなあと思ったけれど、古本屋でこんな本を見つけたらつい買ってしまいますよ。織物だけでなく、芹沢銈介が手がけた本の装幀や挿絵、陶器、のれんや団扇などの生活雑貨‥‥など、さまざまな分野の作品が収録されています。獅子文六の「箱根山」や「可否道」の装幀も芹沢銈介だったとは!?で、いきおい最近出た別冊太陽の「染色の挑戦 芹沢銈介」も買っちゃおうかと迷いはじめたりして‥‥。

週末は汐留ミュージアムでやっている「濱田庄司スタイル展」を見てきました。濱田庄司は、柳宗悦とともに民藝運動の中心人物として活動した陶芸家。バーナード・リーチとともにイギリスに滞在、ロンドンで個展を開くなどしたのち、益子で民家を移築しそこで暮らしながら、自身にとっての理想の生活と作陶を追求しました。また柳宗悦の没後は日本民藝館の第2代館長にも就任しています。

陶芸については、まったく知識がないので、技法の説明などがされていてもそれがどの部分を指しているのかさえ分からない場合があったりするくらいなのですが、今回の展覧会では陶芸の現場や作品が濱田庄司の生活にどのように活かされていたのかわかるようになっていて、初心者でも楽しめました。益子での生活と言ってもイギリス滞在時に影響を受けたライフスタイルが元になっているので、単なる田舎の生活ではないのです。

ところで、今思い返してみても柳宗悦の本を読もうとしたきっかけって特になくて、ただなんとなくという感じだったとしか思い出せません。でも読み始めてみたら、静岡市にある芹沢銈介美術館の開館30周年記念だったり、それに合わせて太陽の別冊が出たり、濱田庄司の展覧会が開かれていたり、デパートのイベント会場ではあるけれど、9月15日からは銀座の松坂屋で柳宗悦のコレクションを集めた展覧会が開かれるなど、いろいろイベントがあって、なにやらわくわくしてしまいます。なんでかな?と思って調べてみたら今年は柳宗悦の没後50年と、日本民藝館の開館ア5周年でもあるとのこと。

こういうのって自分で意識してなくてもサブリミナルな感じで少しずつどこかでインプットされてるんでしょうね。自分で選んでいるような気持ちになっていてもけっきょくまわりの影響を受けているんだよ、という好例でした。わたしとしては、それがいいとも悪いとも思ってなくて、むしろこの機会を利用して見れるものは積極的に見ておきたいと思ってます。

さて、話変わりますが、汐留まで行ったついでにお台場の日本科学未来館まで足をのばして、レイ八ラカミが音楽を手掛けた「暗やみの色」の特別上映を見てきました。谷川俊太郎が詩を書き、原田郁子がナレーションをしているという作品。2005年から2007年にかけて上映されていたらしいのですがぜんぜん知りませんでした。
光イメージした抽象的な映像を交えつつ星空の映像と、レイ八ラカミの音楽、原田郁子のナレーションの声がぴったり合ってて心地よかった(そしてちょっと寝た‥‥)。当然、その辺の人が好きな人に向けて作られたものではないし、大人向けというわけでもなくて、子どもが見て普通に楽しめるものだけれど(ちょっと難しい?)、こういう風に自然とレイ八ラカミの音楽を聴いたり、谷川俊太郎の詩にふれて、大人になってからそれらに気づくっていう経験はいい。気がつかない人がほとんどだとしてもね。

ちなみに今上映されているのは、原案・詩・ナレーション構成が谷川俊太郎で、麻生久美子が朗読を担当というこれまたうれしい内容。未来館まで来る機会もそうそうないので、一瞬、入場券2枚買って両方見ようと思ったくらいです。

「眼の引越」-青山二郎-

◆古本屋で蔵を建てた人はいないと言うけれど骨董屋で蔵を建てた人は多そう。レコード屋はどうか?
青山二郎という人知ったのは、マンスフィールドの池田正典のことを小西康陽が、現代の青山二郎みたいだと、どこかに書いているの読んだのがきっかけです。たぶん「リラックス」かなんかだったと思う。それに合わせてかどうか知らないけれど、その頃和服を着た池田正典が縁側でたたずんでいる写真もよく見かけました。
それからしばらくしてちくま文庫から出ている「青山二郎全文集」の(上)を読んでみたもののほとんど理解できなくって、いまだに(下)は読んでません。今回ひさびさに読んでみたけれどやっぱり難しい、そしてところどころ、ほんの少しおもしろい、という塩梅。そもそも青山二郎の書いたものが凡人に分かるはずもない、わからないからこそおもしろいんだ、といったところもあります。

8月は友だちに誘ってもらい久しぶりにDJをしました。結果的には、自分がDJすることよりも、ほかのDJの人たちが選んだ素敵な音楽が流れる中、ゆつくり音楽や映画とかの話しで盛り上がりながら、お酒が飲めたということのほうが楽しかったし、わたしにとって有意義でした。それって単なるお客ってわけでもなくて、自分がかけてるレコードのリアクションもあったりしつつ、でもほかのレギュラーDJの人たちとはちょっと違う立ち位置という、お客さんと主催者のあいだの楽しみというのでしょうか。
それにしてもみんな今でもアナログレコードが好きで、いまだにたくさんのレコード買い続けてて、それでもっていろんな音楽を知ってて、ほんとすごいな、と思う。わたしも普通の人に比べればまあまあCD買ってるほうだと思うけれど、そういう単なる楽しみのためにCD買ってるのと全然違うのね。当然、回すレコードの質も全然違う。

さきの小西康陽の文章を読んだとき、レコードコレクターを一流の骨董の目利きに例えるなんておおげさ過ぎるって思ったけれど、なんとなく少しその意味がわかるような気がしました。って書くと、これまた大げさですけどね。

「なにを買ったの?文房具。」-片岡義男-

◆福生友好祭に行ってきました。
文房具を紹介した本やムックってかなり多く出版されているようだし、海外の文房具や昔の文房具を取り扱う文房具屋さんもあちらこちらにできている気がしますが、みんなそんなに文房具って使ってます?わたしは手帳とペンとはさみとカッター、あとはクリップとかくらいで普段はほとんど使ってないです。
手帳ももう6年以上モルスキンだし、ペンもゼブラのSARASA(これが書きやすいんですよ、一時期ラミーの万年筆を使ってましたが、また戻りました)、はさみとカッターは無印。なので、単に文房具を紹介しているだけの本だと、見ていて楽しいし欲しいなあとは思うけれど、実際、今使っているもの以外に必要なものもないし、それらに不満があるわけでもないので、なんて考えると、いまいち興味がわかないんですよね。
そういう意味では、これはあくまでも主は文房具よりも片岡義男で、彼がそれをはじめにどうやって手に入れたかとか、どこか気に入っているのか、実際にどうやって使ってるかといったことが書かれているところがいいです。

土曜日は福生の友好祭へ。天気予報では夕方から雨ということだったのですが、夜になるまで雨も降らず、涼しくて、めずらしくビールとハンバーガーを両手に持ち、ゆっくり戦闘機とかを眺めたりしてしまいました。ここ10年くらい頻繁に友好祭に行っているけれど、たいてい快晴のいい天気で、それはそれでいいんですが、基地の中はさえぎるものがないのでけっこう辛かったので、今年は一番いい天気だったのかもしれません。これなら漣くんも連れていたのに~

ところで、いままでほとんど気にしていなかったけれど、友だちが言うには、展示されている戦闘機は、古く型落ちしたものや退役しているものがほとんどらしいです。その人とは4、5年前に一度一緒に友好祭に行ったのですが、今回行ってみてすぐに「あー前回とほとんど変わってないね。展示用なのかもね」って言ってて、歩きながらいろいろ説明してくれておもしろかった。でもほとんど忘れちゃってるけど‥‥(すみません)。

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たぶん7月の海の日に「今日は一日AOR三昧」をちょっとだけ聞いたせいだと思うけれど、今年の夏は洋楽も邦楽もAORっぽいものばかり聴いている。土曜からはわたしの中で南佳孝まつり。まあ単純に片岡義男、福生ときて「スローなブギにしてくれ」を聴きたくなっただけなんですけどね。
といっても、小説のほうはもちろん読んでいないし、映画のほうも昔深夜にテレビでやっていたのを流しながら見たくらいで、ちゃんと見てないんですけどね。今の福生とはまったく違う風景なんだろう。なんとなくいろいろ本とか読んだりしてると、意外に福生って60年代、70年代、80年代、90年代以降で雰囲気が変わってきているいるような気がしますがどうなんでしょうか。とりあえず1970年代後半の福生の様子を見るために「スローなブギにしてくれ」を今度ツタヤで借りてみようか。

「蒐集物語」-柳宗悦-

◆「芹沢銭介と柳悦孝-染と織のしごと-」@日本民藝館
この本を読んでいたら駒場東大前にある日本民藝館に行ってみたくなって、サイトを調べてみたら、特別展で「芹沢銭介と柳悦孝-染と織のしごと-」をやっているとのこと。染物も織物もまったくわからないわたしですが、しばらくのあいだ柳宗悦の本を中心に、骨董に関する本を読んでみようと思っているので、行くことに意義がある、行けるときに行っておこう、といった軽い気持ちで見てきました。

しかし、急な思いつきと勢いで見に行ったにもかかわらず、思っていた以上に中芹沢珪介と柳悦孝の作品が素晴らしくてちょっと感動しました。Webで作品の画像を見たときは、模様などが素敵だな、くらいだったのですが、実物を見てみたら、色合いや質感、微妙なグラデーション、細かい細工などWebでは分からない部分の細やかさや凝り方がすごくて、そんな簡単に“素敵だな”なんて言えるようなものじゃなかったです。

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この本を読んでいると、柳宗悦の自分がいいと思ったものに対する執看がすごいんですけど、こういう作品を見てみると、そのとりつかれるような気持ちが少しだけ分かるような気がしますね。かといって、わたしに手に入れられるものでもないし、柳宗悦的にはこういうもう評価が固まっているものは蒐集ではないんでしょうけど。

ちなみに静岡の芹沢鐘介美術館では、開館30周年記念として「巨匠・芹沢錐介-作品でたどる88年の軌跡-」が今開催されていて、ちょっと行きたい気分になってます。でも、ほかに静岡に何があるのかまったくわからないんで、さすが踏ん切りがつかずって感じです。