「新・東海道五十三次」-武田泰淳-

大阪から来た友達と久しぶりにあった。去年の9月から東京に来ていたのだから、“来た”というのはちょっと間違っているかもしれない。
何カ月ぶりに久しぶりにミクシィにログインして、その人の日記を見たら、BMXバンデッツのダグラスのライブを見に行ったとか、渋谷に映画を見に行った‥‥とか、書いてあったので、「もしかして東京にいる?」というメールを出してみたら、「9月からずっといる、気づけよ」みたいな返事が返ってきた。いやミクシなんて見てねぇよ、と。前回会ったのは、もう1年半くらい前なのかな、よく覚えていないけれど、その日の5時頃に「今、恵比寿にいるんだけど‥‥」という電話がかかってきて、吉祥寺の豆蔵でカレーを食べて、ハモニカキッチンで飲んで、別の友達に電話をかけて呼び出したのは覚えてる。そのときは出張で出てきたのだけれど、今回は道玄坂に事務所ができたのでずっとそこに泊まっていたらしい。
で、金曜日は、渋谷のユニオンで待ち合わせて、前々から一度行ってみるのもいいかもしれないと思っていた麗郷で台湾料理を食べ、土曜日は一年ぶりのパレードに行った。

今週は、ホール&オーツの「アバンダント・ランチョネット」ばかり聞いている。1973年の作品。1980年代のポップさはないけれど、ゆったりとしたいいメロディと伸びのあるヴォーカルが心地よい。もともと嫌いではなくて、どちらかというと好きなグループではあるのだけれど、中学くらいの時に聴いた以来、自分からはまったく聴くこともなかったのだが、ちょっと前に初期の頃のホール&オーツのライブをテレビを見て、また聴きたくなってしまったのです。
「アバンダント・ランチョネット」を買ったのはそのライブが1973年のものだったからなのですが、これってフリーソウルでは定盤になっているんですね。最近はまったくチェックしていなかったので知りませんでした。ホール&オーツのフリーソウル版ベストなどレコード屋さんに置いてあってびっくり。というか、今じゃなに聴いてもフリーソウル関係が関わっているような気がするなぁ。ちなみにプロデュースは、アリフ・マーディン。これもなんだか久しぶりに聞く名前で懐かしい。

「随筆 あまカラ」-小島政二郎 編-

「あまカラ」に掲載された随筆をまとめた本で、編者をつとめた小島政二郎はもちろん、志賀直哉、永井龍男、獅子文六、福田恆存、徳川夢声‥‥といった作家の随筆が収録されている。あとがきには二冊目、三冊目と続けていきたい、といったことが書いてあって、実際にこの後、何冊か刊行されたらしい。

旅行から帰ってきてから、神楽坂のKADOにご飯を食べに行って来ました。行く前は、古い家なのですきま風とかあって寒かったらどうしよう、なんてどうでもいいことを気にしたりしていたのだけれど、もちろんそんなこともなく、ビールを飲みながらゆっくりとご飯が食べられてよかった。結局のところ、わたしには、小皿に盛られたお総菜料理をゆっくりビールを飲みながら食べるのが性に合っているのだなぁ、と思う。ここで日本酒じゃなくて、ビールという時点で、間違っている気もするけどね。しかもこの「あまカラ」では、そういうお総菜料理は“所詮”みたいな扱いにされがちだし‥‥。そうやって靴を脱いで家に上がって畳の上にあぐらをかきながら、ご飯を食べながらお酒を飲んでいると、気分だけは吉田健一。でも実際は足がしびれてちょっとつらい。

ついでにもう一つ。吉祥寺にある「お茶とお菓子 横尾」でお茶をした。先日、一人で吉祥寺をうろうろしているときに見つけたカフェで、古めの木の椅子やテーブルがこぢんまりと置かれていたり、壁際に本が置いてあったりするのが外から見えて、いい感じだったので、気になっていたお店。マンデリン好きのわたしとしては、コーヒーのメニューにマンデリンブレンドがあるのがうれしいし、スウェーデン紅茶のメニューもある。私が食べたのはクッキーでしたが、おしるこや粟だんごといった和風なお菓子も気になるし、比内地鶏のそぼろごはんや温野菜-比内地鶏の甘辛みそ添えなどのご飯もおいしそうです。でも全席禁煙なので一人では絶対に行かないお店ではあります。
南口には、ご主人がやっている「日本酒と料理 横尾」という和食のお店もあるとのこと。次回はそちらに行ってみることにしよう。

「南の男」-獅子文六-

どのよう意図でまとめられた本なのかよく分からないし、それぞれの初出も書いていないので、どのような経緯で書かれた文章なのかもまったく推測できない本。基本的には本人の体験談を語った随筆なのだけれど、どの作品も獅子文六のストーリーテラーの才が光っていて、短編小説のような雰囲気があって、それでいて力の抜けてリラックスした文章がとてもいいです。まぁ1964年、獅子文六70代の頃の作、ということを考えると、リラックスした雰囲気も、いぶし銀のストーリーテラーもなんとなく納得がいくような気がします。
そんなことを調べていて気がついたのだけれど、獅子文六も安藤鶴夫も1969年に亡くなっているんですね。獅子文六は1893年、安藤鶴夫は1908年生まれなので、亡くなった歳はぜんぜん違いますが、自分が生まれた年だけになんとなく、ふふふ~んという気持ちになってしまいます。ちなみに今読んでいる小島政二郎は1894年に1994年に亡くなっていて、ということは、獅子文六と一歳に違い。活躍した時期の違いも大きいのだけれど、イメージ的には芥川龍之介や菊池寛と関わりが印象深い小島政二郎よりも、戦後に映画化された大衆小説の印象が大きい獅子文六の方が、1歳とはいえ年上というのも意外な感じがしないでもない。それよりも小島政二郎が1990年代までに生きていたことに驚かされたり、そういえば獅子文六も小島政二郎も慶応出身じゃなかったか、なんて思ったりもします。

ところで、歳をとるにつれて人の生まれた年や年齢がわからなくなりませんか。自分と比べて前後1、2歳くらいならばいいのですが、5つくらい離れてしまうとぜんぜんダメで、だいたいその人の年齢を初めて聞いたときの歳のまま進まなかったりします。例えば、出会ったときに25歳だったとすると、それからもう8年も経ってるし、自分の歳も増えているのに、なんとなくその人が今でも24歳のままの感じがしてしまって、で、ちょうど誕生日近くにその人に会って、改めて歳を聞いたら「もう32歳なの?」などと驚いたりして。いや、特定の人のことを言ってるわけじゃじゃないですよ。
そんな具合なので、昔の作家の生まれ年なんて覚えられるわけもなく、本を読むときにその作家の何歳の時の作品なのかとか、同時代にはどんな作品があって、まわりのどんな作家と交流があったのか、なんてことがすぐにわかるといいな、と思って、年表なんかも作ってみたこともあるけれど、その時代の出来事さえも頭に入ってない私には、いまいちイメージとしてとらえることができなくて、今回のようにときどき調べてみてびっくりするわけです。
最近は、関東大震災(1923年)の時に何歳くらいだったか、終戦の時に何歳くらいだったか、というのをひとつの指標として考えているのだけれど、震災について書いていない作家については、あまり意味がなないのかな、とも思う。まぁ結局は、いろいろと本を読んでいくしかないんだろうけどね。

「あんつる君の便箋」-安藤鶴夫-

“あんつる君の便箋”とは、安藤鶴夫が小泉信三の誕生日に贈り、後に「気に入ったので注文したらまた作ってもらえるだろうか」と問い合わせがあったほど、気に入られた便箋のことで、小泉家ではその便箋のことを“あんつる君の便箋”と呼んでいたらしい。
このエッセイ集は、安藤鶴夫の死後に未刊行の文章をまとめられたもので、奥付の発行日は17回忌の命日、昭和60年9月9日にあわせてあります。あとがきによると、安藤鶴夫は、自分の書いた文章には、通し番号を入れて、すべて保管していたようだ。そして一番はじめの仕事は昭和20年8月の「随筆、浅草六区」で、最後の仕事は、亡くなる直前の昭和44年9月、7958番とナンバリングされた「三木助歳時記」の連載だったとのこと。よく戦争で焼けなかったなぁ、とも思うけれど、それよりもその一貫とした仕事ぶりがいかにも安藤鶴夫らしい、という気がする。
普段、手紙を書く機会のほとんどない私などは、つい使いやすい便箋を特別にあつらえる、ということが今でもあるのだろうか、なんてことを考えてしまいがちなのだけれど、文具店や紙屋さんの一画にいろいろな便箋や封筒が、必ず置いてあったり、どこにいってもポストカードが売っていたりするのを見ると、やはり今だからこその手紙であったり、便箋というものがあるのだろう。でも、昔はともかく、基本的に男は手紙なんて書かないよなぁ、というのは単なる偏見ですかねぇ。

「大東京繁盛記 山手編」-島崎藤村・高浜虚子ほか-

東京に関する本を読もうと思っていた年末頃に探していた本を、今ごろになって見つける。関東大震災で大きく変わった東京を描くことを目的に昭和3年に編纂され、その後の多くの東京本に影響を与えた本らしい。「どんな風に」といわれてもその辺はよくわかりませんが。芥川龍之介、泉鏡花、北原白秋、久保田万太郎らが執筆した下町編もあります。
ずっと平凡社ライブラリーから出ているのを探していて、うまく見つかれば、新書版だしパリに持っていこうか、なんて思っていたのだけれど、手に入ったのは単行本。表紙はもちろん、それぞれの文章に違う人がつけた当時の東京の風景を描いたイラストもいいだけに、こうなると下町編も単行本で欲しくなってしまうのが人情というもの。平凡社ライブラリーもなかなか見つからなかったのに、いつになったら手に入るんことやら。

週末にCome Back My Doughtersの「A Palade Of Horses」とZOOT16の「MUTINY」をタワーレコードのポイントを使って買う。3000円引きで2枚で1400円。なんだか得した気分。
ZOOT16は、一度ざっと聴いたかぎりでは、曲によってばらつきがあって(もちろん私の主観的な問題だけれど‥‥)ファーストが予想外に良かっただけにちょっと期待はずれかも、という感じで、もっぱらCome Back My Doughtersばかり聴いている。ライブで演っていた新曲がどれもスローでメランコリックなものばかりだったので、ある程度予想はついていたものの、どの曲もミディアム~スローなテンポで、どこか憂いのあるメロディとギターのアルペイジオが、いろいろな意味で懐かしい気分にさせてくれる。次回ははじけたサウンドも、なんて思ったりもするけれど、これだけアルバム全体を通したイメージがきちんと固まっていると、なにも言えません。春が来て暖かくなるまでの当分のあいだ、我が家のヘビーローテーションになりそうです。
アルバムの発売にともなって、雑誌やテレビなどで見ているうちに、「サーフショップの店長」なんて勝手に名付けていたメンバーも、なんとなく普通の人っぽく見えてきたり、バラバラだと思っていたメンバーの年齢がだいたい同じと聞いてびっくりしたり、相変わらず音楽以外で驚かされることも多し。3月のシェルターはもうソールドアウトだろうけれど、5月のクアトロには行きたい。

「OU SE SCHTROUMPFE LE SCHTROUMPF COSTAUD?」-Peyo-

気がつけば旅行から帰ってきて日にちが経ってしまったので、なんだかここにパリの話を書くのもなぁとか、考えてみればとりたてて書くこともないしなぁ、なんて思ったりもする。

この本は、「パリのおみやげ」という本に載っていたモナリザ(多分)という古本屋さんで購入。日本語版も出ているストーリーものではなく、スマーフ版「ウォーリーを探せ」といった風の内容なのでフランス語でも楽しめます。もっとも本気で探して遊んだりはしないけれど‥‥。
スマーフの作者はベルギー出身ということもあり、フランスならお隣だし旅行中に見つけたらできるだけ買っておこうと思ったのだけれど、日本語版で持っている「キング・スマーフ」だけを何回か見かけただけで意外と見つかりませんでしたね。新刊の本屋に行ったら普通に置いてあったのかもしれない。スマーフのだけではなく、蚤の市でも古本市でも本はあまり買わなかったな。行く前はカヌー犬ブックスのための本なども仕入れよう、なんて思っていたのですが、実際に蚤の市などに行くと、灰皿とかティポットとか卓上の時計とか自分が欲しいものについ目がいってしまいますね。
それから古本屋の名前のところに(多分)と書いたのは、「パリのおみやげ」には“CULTURE”という名前で紹介されていたから。でも住所をたよりに通りの名前を探しまくって、ようやくたどり着いてみると看板には“MONA-LISAIT”と書いてあったのです。店の雰囲気も写真どおりだし、扱っている本も映画関係のものや写真集など同じようなものだったので、同じ店だとは思うのですが、本がまったく置いてなくて、内装のリフォーム中といった感じの一画もあったりしたので、オーナーが変わったりしたのかもしれません。期待するほど欲しい本も見つからなかったし。

「ザボンの花」-庄野潤三-

旅行から戻って、時差ぼけが戻らないまま、終電近くまで仕事したりして、ようやく週末。さすがにぐったりとしてしまって、昨日、今日は、朝、目が覚めたら12時近くなってました。そのせいで体はすっきりしたけれど。
「ザボンの花」はパリに持っていった本。これに加えて前に読んだ庄野潤三の本を3冊持っていきました。3泊5日の旅行で移動もまったくないし、前回のバリのようにホテルでのんびりと、という感じではないし、飛行機の中でもほとんどの時間は寝ているだろうし、映画も見たりするだろうから本を読む時間なんかないとわかっているのに、つい多めに持っていってしまうのは「もしかしたら‥‥」と思ってしまうからなんだけれど、やはり旅行中に読み終えたのは、この「ザボンの花」だけでした。
最初の予定ではパリといえば獅子文六、というわけで新しく獅子文六の文庫本を手に入れて、それに加えて何冊か持っていこうかと思っていたのだけれど、いざ探そうとすると見つからず、断念。いや、パリに行くからといって獅子文六という発想もどうかと思うけれど、私の拙い知識では、フランスといえば、獅子文六以外には堀江敏幸や山田稔、あるいは河盛好蔵、金子光晴、青柳瑞穂、くらいしか思い浮かばなかったりします。あるいは島崎藤村とか林芙美子とか‥‥。でも戦前までは文学といえば、アメリカ文学なんて論外だし、イギリス文学よりもフランス文学という感じだったと思われるので、ちゃんと調べてみれば普段読んでいるほかの作家の中にも仏文科出身だったり、渡仏している作家は多いはず。だからといってわざわざ調べる気もあまりないのですが‥‥。

「ザボンの花」は、1955年に日本経済新聞に連載されたもの。時期的には第一作品集である「愛撫」、そして芥川賞を受賞した「プールサイド小景」に続いて発表された初期の作品なのだが、内容的にはあまり暗い影もなく、ときおり強引な押し売りや強盗に襲われることもあるけれど、基本的にはサザエさん一家のような幸せな家族の記録です。そう考えると、庄野潤三は50年間、“幸せな家族の記録”というテーマで作品を書き続けているわけで、個々の作品のでき云々よりも、その姿勢だけでも評価に値するような気もします。家族の性格はまったく違うけれど、ある意味「ゴッドファーザー」みたいだな、と。盛り上がりがないので映画化してもおもしろくないだろうけれどね。

「感想B」-吉田健一-

今週は家に帰ってくるのが遅かったのでなかなか雑記を書いている時間がとれず。新着本もお休み前にもう少し更新する予定だったのだけれどぜんぜん更新できませんでした。そんな状態なのですが、明日からパリ(フランスのほうね)に行くためカヌー犬ブックスは少しのあいだお休みさせていただきます。昨年の10月にバリ(インドネシアのほうね。モニターだと点と丸の違いがわかりにくいからなぁ)に行ったばかりなのに‥‥という感じではあります。まぁこの時期だからチケットが安いとかいろいろいろいろあるわけで‥‥。

話は変わりますが、日曜日に「なんじゃもんじゃ」(角川文庫だと「コーヒーと恋愛」)を見に行ってきました。前にも書いたけれど、獅子文六の「可否道」を映画化した作品で、中年増で決してきれいではないけれど親しみあるとして人気のあるテレビタレントの坂井モエ子を森光子が、若くて美人で奔放な丹野アンナを加賀まりこが演じている。1963年の映画。なんだか今と変わらないような変わったような、よく分からない森光子ばかり気になってしまった。といったら大げさか。森光子は1920年生まれなので当時43歳かぁ。モノクロのせいかかなり若く見えるような気がする。40年後、85歳になっても、東京ドームで、ひ孫とも言えるような年齢のジャニーズのタレントに囲まれて大晦日にテレビに出てる、なんて当時誰も想像しなかっただろうなぁ。当然、1963年にジャニーズはないし。
ストーリーはほぼ小説と同じで、映画ならではのアディショナルはないけれど、配役もぴったりだし、テンポもいいし、きっちりと作られた映画という感じで良かったです。それにしても1963年に貯金が300万あるってすごい。そして実際にはそんなにかからなっただろうけれど「100万あればパリに行けるわよ」という時代と、3泊5日だけど●万でパリに行けるようになった今のギャップはすごい。そういえば、最後に坂井モエ子がパリにいくところが、小説では、もう少し前向きに描かれていたような気がしたけれど、どうだったのだろう。わすれました。

「第3食いしん坊」-小島政二郎-

去年の夏、京都の下鴨神社の古本市で「食いしん坊」「第2食いしん坊」と一緒に3冊セットで買ったもの。途中まで読んで、カバーを掛けたまま本棚に置きっぱなしにしていたので、すっかり忘れてました。小島政二郎はおもしろいのだけれど、割といろいろなことに対する愚痴というか文句が多いので、続けて読むと「もういいや」という気分になってしまったりもします。

なんとなく神保町へ行きたくなって、昼頃から出かけてみる。特になにをしたいというわけではなくて、「そういえばたまには国立へ行ってみよう」といった軽い気持ちだったのだけれど、なんせ、寒い。そしてほとんどの場合、安い本は、店の外に置いてある。けっきょく寒いし、欲しい本もあまりないし、ただ疲れて帰ってきました。
本を買い込むというタイプではないので、家に3冊読んでいない本があると、今週読む本は確保してるのだから‥‥と、途端に購買意欲が薄れてしまいます。
基本的には、最寄り駅から家に帰るまでに、遅くまでやっている古本屋が2つくらいあって、特にマニアックではないけれど、幅広いジャンルの本が置いてあって、それぞれのジャンルでちょっとした本がいつもそろっているような古本屋で、読んでいる本が終わりそうになる頃に会社の帰りにその古本屋に寄って、次に読む本を買っていく‥‥というスタイルで本が読めたら、と思う。なんてことを前にも書いたような気もするが。で、ということは西荻か、荻窪か‥‥中央線沿いに引っ越すか。いや、いまでも週に一度は、会社帰りに西荻に寄って、30分くらいかけて歩いて帰ってきたりしているわけで‥‥。

夜は、シネセゾンで「たべるきがしない」を見た。綾瀬はるか主演の短編映画、監督は「『ぴちょんくん』『ポカリスエット』などの広告で知られているCMディレクター伊藤由美子」とのこと。あれかな?とは思うけれど、具体的にどんなCMだったかははっきりとは思い出せない。映画の方は短いせいもあって綾瀬はるかのプロモーションフィルムみたいな感じ。入り口では、まるで写真集のようなパンフレットが配られたし。まぁ映画よりもパンフやポスターの写真のほうがかわいいかも。というか、写真の撮り方次第で、たいていの女の子はかわいく見せることができると思うので、あんまり写真は信用できないわけで‥‥。

「角帯兵児帯・わが半生記」-木山捷平-

「角帯兵児帯」は、三月書房から出ている小型愛蔵本で読んだし、木山捷平に限らず私小説作家の場合、作品の中に過去の出来事が出てくるので、「半生記」といってもどこかで読んだことのなるような内容が多いので、再読に近い。そういうこともあって、先週、名古屋に行くときに持っていく本を、「べつの鍵」にしたのだけれど、この雑記的には木山捷平の本の時に首が痛い話になるようにすればよかった、なんて思ったりもする。しかも今日、ラピュタ阿佐ヶ谷で「特急にっぽん」を観て来たばかりなのだ。

ラピュタ阿佐ヶ谷は、前々から観てみたい映画の特集がたくさんあって、ことあるごとに特集の内容やここの映画についての説明、上映時間‥‥などをチェックしているのだけれど、近いくせになかなか行けなかったのは、単にわたしが面倒くさがり屋というか、その日、映画を観るつもりで家を出ても、高円寺や荻窪あたりでうろうろしているうちに、映画の上映時間になってしまうという感じだったから。一つの映画を一日中、何回も上映しているわけではないし、土日の上映を逃すと平日は昼間しか上映されなかったりするので、一回逃すと見れなくなってしまう。
「特急にっぽん」は、獅子文六の「七時間半」という作品を映画化したもの。東京大阪間の特急が6時間半かかっていたときの話で、東京から大阪までの特急こだまの中で繰り広げられるドタバタの様子が描かれる。“こだま”と言ってももちろん新幹線ではなくて、食堂車などの車内や東京、名古屋、京都、大阪‥‥と停車する駅の構内、窓からの風景を見ているだけで楽しめる。当時の観客にとっても東京から大阪までの疑似旅行的な意味合いを思っていたのではないだろうか。適当ですが‥‥。むしろ映画で表現されるストーリーなんて、こんな他愛のないもので充分なのではないだろうか、なんてことも思うわけで、物語を複雑にすればするほど、そこからこぼれていってしまうものも多くて、結果、矛盾ばかりが目立ってしまうのではないかなぁ。
来週は同じ獅子文六の「可否道」を原作にした「なんじゃもんじゃ」が上映されます。しかも坂井モエ子役は森光子、丹野アンナ役は加賀まりこ‥‥これも絶対に観に行こう。