“あんつる君の便箋”とは、安藤鶴夫が小泉信三の誕生日に贈り、後に「気に入ったので注文したらまた作ってもらえるだろうか」と問い合わせがあったほど、気に入られた便箋のことで、小泉家ではその便箋のことを“あんつる君の便箋”と呼んでいたらしい。
このエッセイ集は、安藤鶴夫の死後に未刊行の文章をまとめられたもので、奥付の発行日は17回忌の命日、昭和60年9月9日にあわせてあります。あとがきによると、安藤鶴夫は、自分の書いた文章には、通し番号を入れて、すべて保管していたようだ。そして一番はじめの仕事は昭和20年8月の「随筆、浅草六区」で、最後の仕事は、亡くなる直前の昭和44年9月、7958番とナンバリングされた「三木助歳時記」の連載だったとのこと。よく戦争で焼けなかったなぁ、とも思うけれど、それよりもその一貫とした仕事ぶりがいかにも安藤鶴夫らしい、という気がする。
普段、手紙を書く機会のほとんどない私などは、つい使いやすい便箋を特別にあつらえる、ということが今でもあるのだろうか、なんてことを考えてしまいがちなのだけれど、文具店や紙屋さんの一画にいろいろな便箋や封筒が、必ず置いてあったり、どこにいってもポストカードが売っていたりするのを見ると、やはり今だからこその手紙であったり、便箋というものがあるのだろう。でも、昔はともかく、基本的に男は手紙なんて書かないよなぁ、というのは単なる偏見ですかねぇ。