「海揚り」-井伏鱒二-

というわけで、井伏鱒二の「海揚がり」を読む。表題は、瀬戸内海に沈んだ骨董品を引き揚げる仲間に入らないか、と誘われる話で、このほかに徴用中の戦死した戦友のことを書いた「ブキテマ三叉路と柳重徳のこと」「徴用時代の堺誠一郎」、木山捷平、上林暁についての随筆など、8編が収録されている。

週に一度は、荻窪を自転車でふらふらするようになって3年くらいになる。せっかくなので、荻窪のいろいろなところで、ご飯を食べたり、お茶したりしたいとずっと思ってはいるのだけれど、実際には友達とは居酒屋で飲んでしまうし、お茶するときはついドトールかPOMATOですましてしまう。
ささま書店近くの地下道を南口から入って出たところに、戦後にできたような古い小さな商店街、その周りにも細い路地があり小さなバーや居酒屋があって、たいていの場合、意味もなくこれらの路地を通って、青梅街道に出る。そしてその度に、井伏鱒二や小沼丹、上林暁‥‥といった人はこの辺で飲んだりしていたのだろうか、たまにはこんな場所で飲んで帰るのもいいかな、とちょっと思う。いや、建物はそのままかもしれないけれど、店自体は変わっているのだろう。実際、最初に来た頃に比べて、ところどころ入り口の雰囲気が変わっている店があるし、最近は、建物自体が壊されて、建物と建物のあいだにぽっかりと小さな更地ができていたりする。吉祥寺のハモニカ横町みたいになることはなさそうだし、何年後かには再開発とかいわれて大きなビルが建っていたりするのかもしそうな気がするので、行くなら今のうちかもしれない。
そしてこの頃は、そんなことばかりなので、それを寂しいとあまり思わなくなってしまったのが、寂しかったりもする。

天気がよかったので、自転車で西荻まで行って、駅前に自転車をおいて、途中のしみずやで総菜パンを買って、善福寺公園に桜を見に行ってきました。もっとも先週雨が降ったり、風が吹いたりしたせいで、桜の花はほとんど散ってしまっていたけど。
でも、善福寺公園に行くのははじめてだったせいもあり、ベンチでパンを食べて、池のまわりを一周して、何年かぶりにボートに乗っただけだったのですが、さわがしい学生の団体もいないし、小さな子どもづれや犬をつれたおじいさん、おばあさんが散歩していたり、井の頭公園とは違ったのんびりした雰囲気があって、すっかり気に入ってしまった。またお休みの日に散歩したり、テーブルや椅子も置いてあったりしたので、友達とピクニックをしたりしたい。というより、駅から遠くても良いから、この辺に住むのもいいなぁ、と思う。ここも外環道路の地下道計画があるみたいだから、いつまでこの環境を残せるか心配。
家に帰って東京外かく環状道路のホームページを見たら、「それは都会に住むのだから止むを得ない。いやなら引越せばいい。地域エゴで邪魔されたら、多くの人がいい迷惑です」なんて意見もあったりする。こわいなぁ、こういうことわざわざ手紙で送るという行為も、それを平気で公開する神経も信じられない。見てると気が滅入ります。

「聖ヨハネ病院にて」-上林暁-

「私小説というのは関わり合う作家たちの作品を全部合わせて、一つの壮大でかつミニマムな作品として成立しているのでは」‥‥なんてことを書いたばかりだけれど、尾崎一雄、庄野潤三、小山清、上林暁と続くとちょっとお腹いっぱい。たまには違う系統の本を読みたくなってきてしまう。と言いつつ、この本の後、今読んでいる本は、井伏鱒二だったりするのだが‥‥。新しい出会いを期待してしまう季節だし。

暖かくなってきたし、先日、会社の帰りに電車を乗り過ごして中目黒まで行って、目黒川沿いを歩いてみました。平日の夜なので、川沿いのお店はほとんど閉まっていたせいか、人でごった返していたり、出店が出ていたりということはなかったけれど、店の前にビニールシートを敷いて酒盛りをしている人たちがそこいら中にいて、かなりフリーダムスペースな感じ。わたしはといえば、缶コーヒー片手に、桜を見上げながら、結局、神泉までいって電車に乗って帰りました。
ほんとは途中のPacific57で、なにか食べようと思っていたのですが、閉店してしまったみたいでがっかり。この季節になると、会社を抜け出して、ここの窓際の席で桜を見ながらコーヒーを飲みながら、会社の人としゃべったりしていたことを思い出します。開けた窓から桜の花びらが入ってきたりしていい場所だったのになぁ。店内も壁際にウクレレが飾ってあったり、古そうなステレオがおいてあったりして、落ち着けるし、わりと好きなカフェだったので残念です。いや、もう何年も行ってなかったんですけどね。
桜を眺めていると、なんとなく小沢健二の「春にして君を想う」とかUAの「ミルクティ」を聴きたくなります。

「カヌー犬・ガク写真集 しあわせな日々」-野田知佑-

初めてあった人に「カヌー犬ブックスという古本屋をやってます」という自己紹介をすると、たいていの場合「なんでカヌー犬?」と言われます。そんなときはとりあえず「本名がガクなんで」と答えているのですが、最近は分かってくれる人が少ない。昔は逆に「じゃ椎名誠のファンなんだ」と言われたりして、椎名誠の本と言えば、高校生の時に母親が記念だからと(なんの記念だ?)買ってきた「岳物語」しか読んでないわたしとしては、それはそれで返事に困ったものでしたが、「ガクだとなんでカヌー犬?」といわれるのもなんだか説明しづらい。
実際、昔、仕事で某プロバイダーの掲示板の管理人をしていたときに、適当につけたハンドルネームをそのまま使っているだけで、それほど思い入れもなかったりする。
とはいうものの、カヌー犬ブックスを始めたときから、“カヌー犬・ガク”関係の本を一冊は持っておくべきだな、とは思い続けて、気がつけば3年、ようやく手に入れました。
改めて、というか、初めてきちんとガクのことを見たり、読んだりしてみると、単にカヌーの前にちょこんと座っているだけではなく、かなり凛々しく、たくましく、独り立ちした犬で、アウトドア犬としての威厳さえ感じます。まじめな話、わたしみたいな人間が勝手に名前を使ってしまってすみません、という気持ちになります。
写真に写っているガクの姿はもちろん、野田知佑さんの文章もすごいし。「ガクは可愛いペットではなく、対応の同居者であり、よく理解し合った同性の友人であった」とか「彼の息子たちは、まだ人間と対等な付き合いはできない。ガクとは実力が違うのだ」ですから。それだけ信頼関係があったのだろう。
これからは簡単に「本名がガクなんで」なんて答えられなくなってしまったな。

「昔・東京の町の売り声」-安藤鶴夫-

ニッポン放送で放送されたラジオエッセイを活字として起こした本。なので、落語の一場面や豆腐屋、納豆屋などの売り声など、安藤鶴夫以外の人の声が入るところが区切られていたりして、どことなく台本にちかい。本では、それらの売り声が直接伝わらないことと、安藤鶴夫自身の声が想像できないのがちょっと残念。検索してみたらどこかのサイトの紹介文に「甲高いダミ声」と書いてありました。「甲高いダミ声」ねぇ~。ちなみにカセットテープは出ていたらしいです。
こういう音源こそ、パッケージはいらないので、ネットで販売してくれればいいのに、と思うのだが。いや、そういうサイトを見たことがないのでわかりませんが、すでに出ているのかな。「大滝詠一と山下達郎の新春放談」とか「大滝詠一の分母分子論」とかあったらわたしは買いますね。でも曲の部分は、著作権関係がからんでしまったりして、意外と難しいんだろう。

先日、ちょっと用事があって新宿御苑から新宿まで歩いたのだけれど、新宿通りと靖国通りに挟まれたこの区域は、なんだかよく分からない場所だなぁ、と行くたびに思う。ちょうど花見の直前の頃だったせいで、新宿通り沿いでは、店の前で声を張り上げてお弁当や飲み物を売っていたりするし、一方、靖国通りでは、何のコンサートか知らないけれど、厚生年金会館の前に人だかりになっている。
でもその2つの通りのあいだは、人通りもほとんどなくものすごく静かで、普通の飲食店なども土日は営業していなかったりする。で、バーとかスナック、アダルトショップなどがある割には、歌舞伎町のような雰囲気はないし、その横に普通に昔からあるような喫茶店があったり、バブルの名残か、建物と建物のあいだにぽっかりと更地ができていたり、建て壊し前のビルが囲われていて廃墟のようになっていたり、そんななかで末廣亭みたいな場所があったりする。そしてちょっと歩いたところには、伊勢丹や三越、ヨドバシカメラ‥‥などが立ち並ぶ新宿の繁華街というのも、なんだか信じられない。

安藤鶴夫が住んでいたという「新宿区若葉町1丁目」は、この地域から少し離れた四谷三丁目と四谷、信濃町に囲まれた場所になる。この辺もあまり行ったことのない地域で、地図を見てみると意外とお寺が多かったり、赤坂御用地と明治神宮外苑、新宿御苑に三方を囲まれたところに、小さな建物が密集しているのが分かる。地図や衛星写真では、高低差がわかりにくいのでなんともいえないけれど、イメージだけで言うとやはり坂の多い地域なのだろうか。

「日々の麺麭・風貌」-小山清-

小山清の本なんてそうそう手に入るものでもないだろうから、ゆっくり落ち着いて読むべきだよなぁとか、どうせならもっと収録してくれてもいいのに、などと思いながらも一気に読んでしまった。もったいない。
ついでにamazonで調べてみたら、「風貌―太宰治のこと」(津軽書房)、「二人の友」(審美社)、「落穂拾ひ・聖アンデルセン」(新潮文庫)の三冊、そして筑摩書房から「小山清全集」が出てきたけれど、どれもすぐには手に入りそうにない。小山清は、生涯に短編50足らずしか発表していない作家なので、ちょっと値段もはるし、持ち歩きもできないけれど、もし手に入るならば、全集を買ってしまってもいいかもしれない、とも思ったりするが、どうだろう。全集といっても一冊だし‥‥。

気がつけば、私小説と呼ばれるジャンルの本ばかり読んでいて、なんとなく自分が今読んでいる本が小説なのか、随筆なのか分からないときがときどきあったりする。そしてどの本を読んでいても、どこかに井伏鱒二が出てきたりして、他の作家の小説を読めば読むほど、なんだかわたしの中で井伏鱒二という作家の重要度が増していくという‥‥。最近では“すべての道は井伏鱒二に通ず”とさえ思ってしまう。
その一方で、井伏鱒二自身の作品はというと、どちらかと言えば登場人物をきちんと設定して、ストーリーを作っていく作風というのが不思議だ。もちろん井伏鱒二の場合、小説と違ったおもしろさが随筆にあるし、小説のほうもストーリーとは直接関係のないエピソード作りが巧みたっだりするところがよかったりするわけなのだが‥‥。
そういう意味で私小説のおもしろさの一つは、いろいろな小説の中で、それぞれの見方、とらえ方としながら人物が交錯していくところにある、とも言えるのではないかな。だから一人の作家の小説を読みつつけるよりも、いろいろな人のものをバラバラに読んでいった方がおもしろいし、もしかしたら私小説というのは関わり合う作家たちの作品を全部合わせて、一つの壮大でかつミニマムな作品として成立しているのでは、なんて思ってみたりもするわけです。

「文学交友録」-庄野潤三-

学生の頃に授業で習ったティペラリーやラムといったイギリスの随筆家から、伊東静雄、佐藤春夫など文学における先生、島尾敏雄、林富士馬ら友人たち、安岡章太郎、井伏鱒二、小沼丹など東京に来てから知り合った作家たち、兄であり児童文学者の庄野英二‥‥と庄野潤三が出会ってきた人々との思い出がつづられている。個人的には、出てくる人の関係や住んでいるところの地理がなんとなくわかるだけに、やはり東京での話のほうがおもしろい。その辺の“わからなさ”というのは、富士正晴の本を読んでいて感じることと同じような気が。直感的に「あんな感じなんだろうなぁ」ということが分かると、もっと興味がわくんだろう。いや、関西のことは興味ない、ってわけではないし、神奈川・東京のことならなんでも分かるってわけでもないんですけどね。

「縷縷日記」-市川実和子、eri、東野翠れん-

市川実和子、eri、東野翠れんの3人の手描きの交換日記をスキャンして、そのまま掲載した本。文字や絵だけでなく、古い切手、押し花、写真、お菓子の包み紙、シール‥‥といったものが貼り付けられたりしていて、かわいいけれど、なんだか男の子には立ち入れない雰囲気が漂ってます。普通、交換日記って男はしないものだし。
モールスキンの大きめのノートを使っているらしいのですが、同じモールスキンでも文字ばかりの私のノートとは大違い。きれいにスキャンされているので、貼り付けられたものの質感が微妙に伝わるし、汚れとかもあって、かなりリアルに再現されているような気がします。もう少しページ数が多ければいいのにな、とは思ったりもする。
当然、これは私が買ったものではなくて、ミオ犬が買ってきたもの。昨日、リブロ渋谷店で行われた“縷縷(るる)判子大会”に行って来たことを書きたいだけなのだった。

“縷縷(るる)判子大会”は、リブロ渋谷店で「縷縷日記」を購入した人、先着100名を対象に購入した「縷縷日記」に3人が作った判子を押してくれるというイベント。前に嶽本野ばらのサイン会に行った友達が「一人一人、握手して写真を撮った」と言っていたので、もしかしたら、と思ってデジカメも持ってミオ犬についていったのだけど、さすがに写真撮影禁止、しかも前も後ろも大きな板で囲われていて、外からは見えない状態になってました。周りには「なんでこんなに?」と思うくらいパルコの店員がうろうろしてたし(単なるファンか?)。お客さんのほうは、やはりというか、ほとんどが女の子で、キャッキャ、キャッキャ言いながらページいっぱいに、小さな判子を押す3人、そしてパルコの店員も含め、これも男の子には立ち入れない雰囲気。一人で来ている男もいるにはいたけれど、カップルできている人もあまりいなかったのはなぜ?
いやいや、もうそんなことはどうでもよくて、ただ東野翠れんかわいかったなぁ、という‥‥だけで満足なわたしですけどね。

「単線の駅」-尾崎一雄-

世田谷文学館で開かれている「花森安治と『暮しの手帳』展」に行ってきました。特に目新しいものはなかったけれど、原画とか手紙とかを見ていると“手描き”の力強さを感じますね。ただ、「暮しの手帖」という雑誌が、編集長である花森安治の思いをストレートに表したものであることはわかるけれど、今もあるわけじゃないですか。それなのに「暮しの手帖」=花森安治という図式があまりにも強くて、それはどうなのか、と。松浦弥太郎なんて、「今こそ僕らの『暮しの手帖』作らなくてはいけない」といった意味のことをコメントしてるし‥‥。
それから、一番はじめに書かれていた「~最先端の『ロハス(Lifestyles Of Health And Sustainability)=ココロとカラダと地球にやさしいライフスタイル』といった言葉には、花森安治が雑誌でくり返し主張して来たメッセージと共通するものがありそうです。~」というコメントを読んで、なんだかこの展覧会に対する興味が薄れてしまったということもある。「LOHAS」なんて企業が儲けるためのキーワードに過ぎないわけで、その企業や政府を敵に回しても自分の生活を守れってことなんじゃないか。「地球にやさしいライフスタイル」だけを主張する人が、トースターの性能実験ののためだけに、何万枚もの食パンを焼くのか。その行動を突き動かしているのは、企業や政府への強烈な不信感ではないのか。それをタイアップ記事ばかりの「クーネル」と一緒にされてもね。そういう意味では、「花森安治と『暮しの手帳』展」という企画自体が矛盾しているといえるかも。適当。
そういうこともあって今回はカタログも買わずじまい。強い風が吹き荒れる中、入り口で開店していた旅する本屋「traveling cowbooks」が、寒くて気の毒だったなぁ、なんてことばかりが気になってしまいました。

「昔の仲間」-久保田万太郎-

前回(この項続く?)なんて書いたのに気がつけば一週間経ってしまいました。最近、本を読むペースが遅くなっていますね。

で、そのあとなにを書こうと思っていたか、簡単に書いておくと、
・姿を見せなくなったサバは2週間ぐらい経った頃、家に帰ってくると4匹の子猫をつれてまた窓の下に来ていた。
・しばらくの間、窓の下には5匹の猫がいつも寝ていたり、じゃれていたりするようになって、ちょっとさわがしくなった。
・そのうち子猫が大きくなると2匹の猫はどこかに行ってしまって黒猫と白と黒の猫の2匹が家に残った。
・黒いほうをジュジュ、白黒のほうをテムテムと名付けた。
・3匹の猫は1年くらい一緒に家に来ていたのだけれど、ある時からサバが来なくなり、テムテムが来なくなり、最終的にはジュジュ一匹だけとなった。
・そのあとも、ジュジュは、そのアパートが取り壊しになるため、引っ越すときまでずっと“外様猫”として朝夕、私が家にいるときは窓の下にいた。
‥‥といったところか。

親が犬や猫が嫌いだったせいで、子供の頃から動物を飼うということがほとんどなかったわたしとしては、“猫のいる日々”といえば、その何年かだけですね。猫アレルギーということもあるし、これからも猫を家でかうことはないんだろうなぁ。とはいうものの、日曜に猫を飼っている友達の家に遊びに行って、猫と遊んだりしていると家に猫がいるのもいいかも、なんて思ったりもして‥‥。

話は変わって、実際に読み始めるまで、この本を、久保田万太郎の実際の“昔の仲間”について書かれた随筆だと勘違いしてしまいました。でもちゃんと読んでみたら「昔の仲間」というフィクションで、この作品を中心に6編の短編が収録されている。
江戸ッ子、というか明治から昭和の初期の頃の東京ッ子が主人公が、昔、お世話になった人の二十三回忌を記念して、法事を行うために当時の仲間の消息をたどるという話。東京ッ子丸出しの登場人物たちの性格や行動だけでなく、それを語る語り口も東京ッ子言葉で書かれている。私は、久保田万太郎の本をそれほど読んでいるわけではないけれど、文学、あるいは小説というものに対するこの軽やかさが好きだ。

「猫のいる日々」-大佛次郎-

前にも書いたことがあると思いますが、20代の中頃、調布でひとり暮らしをしていた時に、通いの猫、大佛次郎風に言えば“外様猫”を飼っていたことがありました。その頃、住んでいたアパートは、ベランダもなく、窓を開けるとそのまま外に出られるようなところで、目の前は畑が広がっていて、アパートとの間には割と高い囲いがあって、庭とは言えないけれど、小さな空間ができていました。その空間は、その猫の通り道になっていたようで、部屋の中で何かしていると、塀の向こうから猫があらわれて部屋の前を通って、またどこかに行ってしまうのが、ときどき視界の隅にかすかに見えたりしていました。

何度か通り過ぎていく猫を見ているうちに、ある日、餌を飼って窓の外に置いておくことを思いついて、スーパーで猫の餌を買って、朝、バイトに行く前に窓の外に置いておきました。はたして、夜、家に帰ってくると餌はなくなっていたのです。でも、家にいるときに餌を置いておいても、なかなか姿を見せません。そのくせ、お風呂に行って帰ってきたりすると、餌がなくなったりしています。そんな風に朝、餌を置いて家を出て、帰ってくるとなくなっている、という状態が数週間続きました。

そのうち何がきっかけだったのか忘れましたが、わたしが餌を用意していると、囲いの向こうから顔をだしたりして近づくようになって、いつの間にか餌を食べ終わってもしばらくのあいだは、部屋の前で寝ころんだりしたり、頭をなでてやるとすり寄ってきたり、部屋の中に入りたがって網戸をガリガリするようになってきました。でも、そのころ私は、腕や首筋にアトビーが出ていたし、季節の変わり目には、必ずぜんそくの発作が出ていたので、部屋の中に入れてやることはできず、実際、何回か入れてやったこともあるのですが、30分くらいでわたしのほうがゼイゼイいって、苦しくなったりしたのです。

わたしはその猫にサバをいう名前をつけてました。サバは次第に、わたしが部屋にいるときは部屋の外にいることの方が多くなってきました。たいていは窓の下で寝ころんでいるのですが、部屋にいる私が立ち上がったりすると、餌をもらえるのかと思い、起きあがってガラスを叩きます。わたしが出かけているあいだは、どこかに行っているようで、帰り道、家の前の道を歩いていると、アパートの向こうから走ってくる音が聞こえ、部屋の電気をつけると、立ち上がってガラス窓寄りかかっているサバの姿が、曇りガラスの向こうで影となって見えました。

そんなサバがあるとき姿を見せなくなったのです。(この項続く?)