「角帯兵児帯」は、三月書房から出ている小型愛蔵本で読んだし、木山捷平に限らず私小説作家の場合、作品の中に過去の出来事が出てくるので、「半生記」といってもどこかで読んだことのなるような内容が多いので、再読に近い。そういうこともあって、先週、名古屋に行くときに持っていく本を、「べつの鍵」にしたのだけれど、この雑記的には木山捷平の本の時に首が痛い話になるようにすればよかった、なんて思ったりもする。しかも今日、ラピュタ阿佐ヶ谷で「特急にっぽん」を観て来たばかりなのだ。
ラピュタ阿佐ヶ谷は、前々から観てみたい映画の特集がたくさんあって、ことあるごとに特集の内容やここの映画についての説明、上映時間‥‥などをチェックしているのだけれど、近いくせになかなか行けなかったのは、単にわたしが面倒くさがり屋というか、その日、映画を観るつもりで家を出ても、高円寺や荻窪あたりでうろうろしているうちに、映画の上映時間になってしまうという感じだったから。一つの映画を一日中、何回も上映しているわけではないし、土日の上映を逃すと平日は昼間しか上映されなかったりするので、一回逃すと見れなくなってしまう。
「特急にっぽん」は、獅子文六の「七時間半」という作品を映画化したもの。東京大阪間の特急が6時間半かかっていたときの話で、東京から大阪までの特急こだまの中で繰り広げられるドタバタの様子が描かれる。“こだま”と言ってももちろん新幹線ではなくて、食堂車などの車内や東京、名古屋、京都、大阪‥‥と停車する駅の構内、窓からの風景を見ているだけで楽しめる。当時の観客にとっても東京から大阪までの疑似旅行的な意味合いを思っていたのではないだろうか。適当ですが‥‥。むしろ映画で表現されるストーリーなんて、こんな他愛のないもので充分なのではないだろうか、なんてことも思うわけで、物語を複雑にすればするほど、そこからこぼれていってしまうものも多くて、結果、矛盾ばかりが目立ってしまうのではないかなぁ。
来週は同じ獅子文六の「可否道」を原作にした「なんじゃもんじゃ」が上映されます。しかも坂井モエ子役は森光子、丹野アンナ役は加賀まりこ‥‥これも絶対に観に行こう。
どうやら寝違えたらしくて、朝起きたら、首が痛くて回らない状態になってしまいました。そして、こういう日に限って出張で名古屋に行かなくてはいけなかったりするわけで、とりあえず、今読んでいる本をいったんやめて、この本を持って家を出る。
金曜の夜にちょっと外に出てみたら、微かに雪が降ってきていて、「やっぱり雪になるのかなぁ」、なんて思っていたら、土曜の朝起きて、カーテンを開けたら、雪が降り積もってました。時期が時期だけに寒いのは仕方がないとは思うけれど、前の週の土曜日は雨が降ってしまったし、今週は雪だし、どうもロバロバの古本市も天気に恵まれません。
年が明けてからなぜかヴィジュアル本をよく買っている。これはエールフランス、KLMオランダ航空、スカンジナビア航空、スイス航空、ルフトハンザ・ドイツ航空‥‥など、エアラインのアメニティキット、100枚を越える封筒、スタンプ、切手を集めたもの。特に沼田元氣のファンをいうわけではないけれど、この人の引き出しの中、そしてそこから取り出すときのタイミング、その出したもの並べ方はすごいと思う。いったいこの人の家(部屋)はどうなっているのか?
ある意味タイムリーな本かも、なんて思ってみたりして‥‥。
写真家としてのキャリアをスタートさせた16歳からの6年間に撮りためた作品をまとめた写真集。東野翠れんのロシアの旅をホンマタカシが撮った「アムール 翠れん」(宮崎あおいの中国や蒼井優の米国・メキシコなど、最近そういう企画が多いような気が‥‥)と同じくらいの時期に発売されたこともあって、そのときは勢いで両方買ってしまおうと思っていたのだけれど、なんとなく買わないままでいたら一年が経ってました。いや、実はこれを買おうと思って前に書いた「アムール 翠れん」のときの雑記を読み返してみたら、日付が2005年1月30日になっていて、はじめて一年前って気がついたのでした。一年前かぁ~。
「感想A」そして「感想B」は、「新聞一束」の一部に「乞食王子」と「甘酸っぱい味」を加えて再編集した本なので、中には読んだことのある文章が出てくるし、ひとつひとつの文章は短いのだけれど、ささっとは読めるものでもなく、ひとつひとつの言葉を追うようにして読んでいくので、なかなか読み終えることができなかったりします。もちろんそれは独特の文体のせいもあるけれど、旧漢字・旧仮名遣いで書かれている、という理由も大きい。少しずつ旧漢字にも慣れてきてるといっても、やはり実際に読めない漢字も多く、飛ばしている言葉もかなりあります。ただ内容的には、政治のことにしても、東京の街についてにしても、文学についてにしても、食べ物に関することにしても、言っていることはまっとうな正論で、正論過ぎて話の話題にもならないような気がするほどで、今ではもうこういう正論を堂々と発言する作家なんていないだろう。
なぜかデザイン関係の本が続いてますね。「Magazine Covers」はリブロの洋書バザールで、これは代官山のCollexの片隅でやっていたユトレヒトの人たちが出品しているフリーマーケットで購入。多分、ロバロバカフェでもなんか買いそうだし、年の初めはこの手の本が多くなるような予感‥‥。フリマの方は、出店(?)している人が人だけにスペースは狭いけれどおしゃれなものが並んでいて、いろいろ欲しくなってしまいましたが、ぐっとこらえてこのほかにはフレンチキーホルダーやカフェオレボウルだけを買って帰りました。
グラフィックデザインの代表的な媒体としては、ポスターと広告があげられるのだろうけれど、個人的には雑誌(本)の表紙もわりと好きで、一時期そんな表紙を集めた本をよく買ってました。広告もそうだけれど、雑誌の表紙はある期間同じデザイナーがてがけていることが多くので、とおしてみるとその人のデザインの傾向や変遷が分かったりするし、ときどき実験的な手法を用いていたりするときがあって、興味深い。ただ雑誌の表紙というのはアメリカが中心でヨーロッパのものはあまりまとめられたものがないような気がします。そもそも雑誌というメディアがアメリカ的なのかもしれません。偏見ですが、アメリカという国は、分量の多い長編小説や何年もかけて連載される新聞小説よりも、雑誌に掲載される短編小説やコラムの方が重要視されているように思います。
今年中にもう一冊くらい読んで、大晦日あたりにここの更新ができるといいのだけれど、どうなるのだろうか。