どのよう意図でまとめられた本なのかよく分からないし、それぞれの初出も書いていないので、どのような経緯で書かれた文章なのかもまったく推測できない本。基本的には本人の体験談を語った随筆なのだけれど、どの作品も獅子文六のストーリーテラーの才が光っていて、短編小説のような雰囲気があって、それでいて力の抜けてリラックスした文章がとてもいいです。まぁ1964年、獅子文六70代の頃の作、ということを考えると、リラックスした雰囲気も、いぶし銀のストーリーテラーもなんとなく納得がいくような気がします。
そんなことを調べていて気がついたのだけれど、獅子文六も安藤鶴夫も1969年に亡くなっているんですね。獅子文六は1893年、安藤鶴夫は1908年生まれなので、亡くなった歳はぜんぜん違いますが、自分が生まれた年だけになんとなく、ふふふ~んという気持ちになってしまいます。ちなみに今読んでいる小島政二郎は1894年に1994年に亡くなっていて、ということは、獅子文六と一歳に違い。活躍した時期の違いも大きいのだけれど、イメージ的には芥川龍之介や菊池寛と関わりが印象深い小島政二郎よりも、戦後に映画化された大衆小説の印象が大きい獅子文六の方が、1歳とはいえ年上というのも意外な感じがしないでもない。それよりも小島政二郎が1990年代までに生きていたことに驚かされたり、そういえば獅子文六も小島政二郎も慶応出身じゃなかったか、なんて思ったりもします。
ところで、歳をとるにつれて人の生まれた年や年齢がわからなくなりませんか。自分と比べて前後1、2歳くらいならばいいのですが、5つくらい離れてしまうとぜんぜんダメで、だいたいその人の年齢を初めて聞いたときの歳のまま進まなかったりします。例えば、出会ったときに25歳だったとすると、それからもう8年も経ってるし、自分の歳も増えているのに、なんとなくその人が今でも24歳のままの感じがしてしまって、で、ちょうど誕生日近くにその人に会って、改めて歳を聞いたら「もう32歳なの?」などと驚いたりして。いや、特定の人のことを言ってるわけじゃじゃないですよ。
そんな具合なので、昔の作家の生まれ年なんて覚えられるわけもなく、本を読むときにその作家の何歳の時の作品なのかとか、同時代にはどんな作品があって、まわりのどんな作家と交流があったのか、なんてことがすぐにわかるといいな、と思って、年表なんかも作ってみたこともあるけれど、その時代の出来事さえも頭に入ってない私には、いまいちイメージとしてとらえることができなくて、今回のようにときどき調べてみてびっくりするわけです。
最近は、関東大震災(1923年)の時に何歳くらいだったか、終戦の時に何歳くらいだったか、というのをひとつの指標として考えているのだけれど、震災について書いていない作家については、あまり意味がなないのかな、とも思う。まぁ結局は、いろいろと本を読んでいくしかないんだろうけどね。