早稲田の古本屋でこの「旅は驢馬をつれて」を見つけて、慌てて銀行に行ってお金をおろした、なんてことを書いていたのは、堀江敏幸だったと思うけれど、その印象が強くて絶対に手に入らない本だと思ってました。だから読みたいものはあるけれど、普段はちょっと高くてなかなか買う機会のない大人の本棚シリーズでもつい手が‥‥。いや嘘です。古本屋で購入しました。でも本を読み終えてから検索してみたら、岩波から文庫で出ていることがわかり、こちらでもよかったかな、とちょっとがっかり。アマゾンでは「2点在庫あり。ご注文はお早めに。」となっているし、ユーズド商品にも出品されているのを見て、やはり思いこみはよくないなぁ、とあらためて思いましたね。
1878年、28歳のスティヴンスンはちいさな驢馬をつれ、南フランスの山々を抜ける旅に出る。その旅の途中で出会う人たちとの交流や、思うように歩いてくれないやっかいな驢馬とのやりとり、悪天候の中の野営の様子などをつづった作品で、スティヴンスンの楽天的とも思える思索が、ただの旅行記に終わらせない“なにか”を付け加えてます。もちろん小沼丹の訳のせいもあるかもしれないけれど‥‥。スティヴンスンは、生まれつき病弱だったこともあって、こういう旅行を度々しているらしく、このほかにもいくつか紀行文があるみたいなので、いつか読めたらいいなと思う。
最近、明治とか森永、雪印といった牛乳関連のノベルティグラスをよく買っているような気がします。そもそもずっと前から西荻や下北などの雑貨屋で見かけるたびに、気にはなっていたのだけれど、割と値段も高いし、そもそも置く場所もないだろうとあきらめていたので、手頃な値段で店先に並べられているのを見たりすると、つい買ってしまう。
実際に使うのはすぐ割りそうでなんだか怖いし、コレクションとしては、ずっと集めているスノードームより、保管が難しそうなので気に入ったものだけちょこっとあればいいなと、思ってはいるのだけれど、どうなることやら。部屋が広かったら、西荻あたりで売られている、木の枠でできた昔の商店に置いてあるようなショーケースを買ってきて並べたりするのになぁ、などと思いながら、ノベルティグラスを集めたサイトとか見てると、夢が広がっちゃってます。
3月くらいから1970年代のAORを中心に聴いているのだけれど、ジャンルがジャンルだけになかなか中古屋さんで欲しいCDを見つけることができません。この辺の音楽は、ほんとうはCDよりもアナログ盤で買った方がいいレコードを安く手に入れられるような気がするのですが、いまさらアナログを買う気にもなれないし‥‥。
というわけで、チャールズ・ラムの随筆を読んでみる。でもちょっと大げさで古いような文体と固有名詞などの注釈が多いので、朝、電車の中で眠い目をしながら読んでいると訳が分からなくなってしまい、読み終わるまでに時間がかかってしまいました。こういう本は、もっと時間のとれるときとか、旅行に持っていたりして読むべきなのかもしれません。それよりも庄野潤三の解説に、先に書いた福原麟太郎、吉田健一、庄野潤三の3人の対談の時の話が書かれていて、びっくり。そのときの様子を吉田健一が書いた随筆があったなら、ぜひ読んでみたいです。
今では海外文学といえばまず英米文学、ということになるのだろうけれど、戦前の世代だったら、まずフランス文学だったはずで、事実、大学でフランス文学を学んだ作家や評論家は多いのに、その中であえて英文学(米はつかない)を学ぶというのは、福原麟太郎と含めてどういう人たちなのだろう、ということは前にも書いたような気がしますが、そういう意味で、福原麟太郎の本は前々から読んでみたいと思ってました。それに合わせてイギリスの随筆家の本も読んでみたいのだけれど、どうもなにから読んで良いものか分からない状態が続いていたりします。それからやはり私の中で吉田健一の存在が大きいということもあげられるかな。だからここに収録されているNHKのラジオ番組のために、福原麟太郎、吉田健一、庄野潤三の3人で対談しているときに、、福原麟太郎の芸術院会員いりが決まったという知らせが来て、お祝いとして3人でウィスキーを飲んだ、という話は、個人的に興味深かったですね。
気がついたら7月ももう10日?、なんてことを最近、ずっと書いている気が‥‥。なんだかんだいっても土日はちゃんと休んでいるのだけれど、昼過ぎまで寝てしまったりして、気がつけば夜になってるという感じ。このサイクルを何とかしなくては、と、昼もとうに過ぎているのにパジャマのままでたばこを吸いながら、予想以上に繁ってしまい、6月の終わりから花が咲き始めているあさがおを眺めつつ思ってます。
なんとなく、普段からいつか読んでみたいなぁ、と思っていて、本屋で名前を見かけたり、何かの時に話題に出たりするたびに、そういえば、と思うのだけれど、なかなか手に取る機会もなく、気がつけば何年も過ぎてしまっている、わたしにとってそんな作家の代表的な人が、幸田露伴と幸田文だったりします。
終戦三部作の一作目。表現の方法は違うけれど、終戦直後の価値観の変化に対する違和感の吐出は、どこか山口瞳と共通のものを感じます。ただ山口瞳の方が若いだけに、そして深刻に受け止めているために、よりストレートに嫌悪感が出ているけれど、獅子文六の方は、それをうまくユーモアで包んで作品として表現している。そういう意味では好みは分かれるのかな、どうなんだろう?
「スーパーマーケットいらっしゃいませ」を読んだから、というわけではないけれど、続けてスーパーマーケットの本。実際、買ったのはこちらのほうが早かったりします。月並みだけれどこういう本を見ていると、またどこかに行きたくなりますね。ただ最近こういうヨーロッパの雑貨を紹介するような本ばかり出ているなぁという気もして、個人的にはかなり食傷気味なことも確か。本屋さんに行くとものすごい勢いで平積みされているし、もうこの手の本は買う必要はないかな、とも思ってます。同時にカヌー犬ブックスの品ぞろえも少し違う方向にシフトしていくときなのかも、なんてことも考えてしまったり、しなかったり‥‥。まぁこれからことなんて、まったく分かりませんよっ。
平野恵理子の展覧会は、たいてい2年に一回6月~7月頃に行われていて、昔はこれを見るとなんだか夏が始まったような気がしたものです。なぜか雨が降っていた記憶もないし、暑い中、表参道を歩いたり、迷いながら広尾まで歩いて有栖川公園でサンドウィッチを食べたりしたせいかもしれません。友達からメールが来たときは、前回からもう2年も経ったのか、と、時の経つ早さにびっくりしていたのだけれど、これを書く前に、過去の雑記を調べてみたら、前回は2005年2月でした。あれっ冬?しかも一年前?
気がついたら6月ももう半分過ぎてました。うはぁ~。なんだか、なにが忙しいというわけでもないけれど、本の更新をするだけで精一杯で、雑記を書く余裕がなかったりします。いちおう“あれについてこう書こう”なんてことを、会社帰りとか寝る前とかに考えたりしているのですが、いざパソコンにむかうと書く気になれず、iPodに曲を入れてみたり‥‥。で、次の日になると、“なんだかわざわざ書くほどのことでもないな”と思ってしまう。って、こんなことこそどうでもいいことですね。最近は本もあまり読んでいないな。