「書斎の無い家」-福原麟太郎-

今では海外文学といえばまず英米文学、ということになるのだろうけれど、戦前の世代だったら、まずフランス文学だったはずで、事実、大学でフランス文学を学んだ作家や評論家は多いのに、その中であえて英文学(米はつかない)を学ぶというのは、福原麟太郎と含めてどういう人たちなのだろう、ということは前にも書いたような気がしますが、そういう意味で、福原麟太郎の本は前々から読んでみたいと思ってました。それに合わせてイギリスの随筆家の本も読んでみたいのだけれど、どうもなにから読んで良いものか分からない状態が続いていたりします。それからやはり私の中で吉田健一の存在が大きいということもあげられるかな。だからここに収録されているNHKのラジオ番組のために、福原麟太郎、吉田健一、庄野潤三の3人で対談しているときに、、福原麟太郎の芸術院会員いりが決まったという知らせが来て、お祝いとして3人でウィスキーを飲んだ、という話は、個人的に興味深かったですね。
そもそも今まで翻訳文学ばかり読んできたわりに、アメリカ文学にくらべ、現代のイギリス文学をそれほど読んでいないのは、常盤新平や青山南、村上春樹‥‥などといった紹介者に恵まれなかったこと大きいと思う。ちゃんと大学の英文学科などに行けば、そういう人もいるのだろうけれど、もっとポピュラーな存在で英文学を紹介する人があまりいないのは、どうしてだろう。本当に好きだったら紹介者なんて関係なく、読みたい本を探し出すはずだ、という意見もあるのだろうけれど‥‥。入り口の入りやすさというのは大事。「敷居は低く奥は深く」ってよく言うじゃないですか。

ところで、音楽に関していえば、聴く音楽のほとんどをイギリスのフィルターを通して聴いて来たような気がします。特に10代から20代初めの頃は、いきなり本場の音楽を行くということはあまりなくて、イギリスのミュージシャンが演っているのを聴いてから、それに影響されて本場の音楽を行くということが多くて、簡単な例をあげると、スペシャルズやトロージャンズを聴いてスカを聴き始めたり、スタイル・カウンシルやジェームス・テイラー・カルテットを聴いてオルガンジャズを聴いたり、「ビギナーズ」を見てジャイヴを聴いてみたり‥‥といった感じ。そういう風に考えると、ポール・ウェラーの影響をかなり受けていると言えるかも知れない。

さて、最近は、プライマル・スクリームのニューアルバムをよく聴いている。「バニシング・ポイント」が出た頃にリキッドルームにライブを見に行って、やっぱりプライマルはオアシスなんかと格が違うと思ったことがあったが、今でもわたしにとってはそれは変わらない。実際、ファーストの「ソニック・フラワー・グルーブ」が出たときは、ほんとクリエーションとかアノラックとか聞き始めたときだったし、「スクリーマデリカ」の時はもちろんわたしの中でもマンチェスター全盛だったし、その後、スティーヴン・スティルスから聞き始めて、ちょうどトニー・ジョー・ホワイトとかスワンプを聴き始めた頃に、トム・ダウドがプロデュースした「ギブ・アウト・バット・ドント・ギブ・アップ」が出たり、「バニシング・ポイント」のときも思いっきりダブにはまっていた頃だったり、その後はぜんぜん聴いていないけれど、そのときに自分が聴いている音楽を不思議なシンクロしていて、妙に思い入れがあったりもする。それは単にバンド自体(ボビー?)が時代の雰囲気を読むのがうまいということもある。でもおそらくわたしくらいの年代の人は、そう思っている人が多いんだろうなぁ。