「朽葉色のショール」-小堀杏奴-

なんとなく、普段からいつか読んでみたいなぁ、と思っていて、本屋で名前を見かけたり、何かの時に話題に出たりするたびに、そういえば、と思うのだけれど、なかなか手に取る機会もなく、気がつけば何年も過ぎてしまっている、わたしにとってそんな作家の代表的な人が、幸田露伴と幸田文だったりします。
もちろん名前が一緒だから、という理由もあるけれど、それだけでもなくて、露伴の理系的な合理主義や神秘主義、理想主義などが入り交じったひとつの形に収まらない不思議な深さを辿ってみたいと思う。でも正直な話、敷居が高すぎてどこから読み始めて良いのかさえ、分かりません。そもそも有名な作品以外は、旧仮名遣い(文語体?)になってしまうので、スムーズに読むことすらできないだろうし‥‥。仮名遣いというのは、明治の作家の大きな壁になってしまってますね。あと数十年したら一部の研究者をのぞいて誰も読めなくなってしまうのだろうか、と思うとちょっとこわい気もします。
幸田文は、微妙にいつのときも人気あったりするので、さけてしまっているだけかもしれない。あるいは、どこか昔の日本の女性の理想型、みたいなイメージがなんとなく嫌なだけかもしれない。いや、単にきっかけがつかめないだけかもしれない。わかりません。

ということで、すこし切り口を変えて「作家の娘」というテーマで本を読んでみることしてみました。森鴎外の娘である小堀杏奴も前から気になっていたけれど、なかなか手に取る機会がなかった作家の一人だし、ちょうどいい。個人的にはいいアイデアだと思ってるんですけど、どうなるんでしょうか。だいたい、作家の娘の本といってもこの二人と森茉莉、ほかには太宰治の娘の津島佑子と太田治子、作家ではないけれど、青柳いずみこ(青柳瑞穂の娘)ぐらいしか思いつかないんですよね。