本というのは、文字を読むだけではないのだなぁと。行間のみならず、少しすれかかった函や背だけが焼けて薄くなった布張りの本体、黄色の紙、押したように少しへこんだ活字‥‥など、そういったものすべてがこの小説の醸し出す雰囲気や世界観を作り出していて、それはおそらく文芸文庫などで読んでも味わえないものだろうという気がします。かといって、初版とかオリジナルにこだわっているわけでもなくて、読めればいい、聴ければいい、というのが基本ではあるのですが、やはりその小説や音楽が初めて世の中に出たときの“かたち”で、接したいという気持ちもあったりして、その辺のバランスが微妙で、かつ難しい問題なのは、本好き音楽好きだけでなく、誰もが抱える課題だろうと思う。わからん。まぁ逆に、そういった雰囲気ではなく、言葉だけで人を感動させるのがほんとうの小説である、音だけで人を感動させるのがほんとうの音楽である、という言い方もできると思うけれどね。
今週は、月曜日、火曜日と夏休みをとったのですが、どこに行くわけでなく、だらだらと過ごしてしまいました。何かしたといえば、わたしが今年の夏行ったイベントで、唯一フェスと呼ばれるイベント、大人計画フェスティバルぐらい。それも、前々日くらいまで行くかどうか迷っていたせいで、せっかく行ったのにもかかわらず、まったく無計画。とりあえず午後から行って、ドッジボール大会とお化け屋敷見て、松尾スズキのママさんコーラス聴いて、展示をさらっと見つつ、純喫茶マンハッタンでコーヒーでも飲んで、エンディングセレモニー見て帰れればいいかな、と簡単に思っていたのですが、そう甘くなかったです。
ドッジボール大会は人だかりでぜんぜん見れず、お化け屋敷は校舎の中のみならず、運動場まで列ができていて、松尾スズキのママさんコーラスは、2時間前から並び始めているという状況。純喫茶マンハッタンなんて、3時の時点でコーヒー売れ切れ‥‥という状態。エンディングセレモニーで校庭に集まった人たちを見て、改めて大人計画って、松尾スズキって、クドカンって、‥‥すごいんだなぁと実感。今どきこんなに人を集められる劇団があるのだろうか?
といいつつ、出店も割と充実していたし、ちょこちょこホットドッグなどを食べながら、校舎の中を回ったり、サケロックの星野源の弾き語りを聴いたり(普通過ぎ!)、文化祭気分を味わいました。
なんとなく、昨日のつづき‥‥
なんとなく8月は、昼間はだらだらしてしまって、夕方頃になってから、ちょっと出かけてご飯を食べて、その辺を歩いて帰ってくる、という休日を過ごしてしまいます。朝、起きるのが遅かったりすると、でかける時間がちょうど一番暑いときだったりするのがいけない。それにしても海とかプールとか山とか‥‥もう何年も行ってないなぁ。
犬を題材にした古今東西の文学作品をめぐるエッセイ集。ロジェ・グルニエは、愛犬のユリシーズが死んだときに、もう犬は飼うまいと決心し、その代わりに犬に関しての本を集め出したのだそう。愛犬家の作家による思い入れたっぷりのから犬を機械とまで定義した厭犬家まで、さまざまな文章が縦横無尽に引用されつつ、グルニエの犬への、特にユリシーズへの思いがつづられてます。私自身は、カヌー犬ブックなんて名前をつけているわりには、それほど犬好きというわけでもなくて、むしろ、小学校くらいまでは犬が嫌いだった、というか怖かった、というほうだったりします。というのも、私が小学校低学年くらいの頃までは、まわりに野犬がいて、しょっちゅう追い回されていたから。学校に行くときにかみつかれて、病院で検査とかされたりしてました。背が低いから顔とかかみつかれちゃうんですよ。
銀座で友達と待ち合わせしていたので、自転車で荻窪まで出て、阿波踊りとも知らず好書会でも行こうと思って高円寺に行ったら、駅前からすごい人でした。
安藤鶴夫の本は、「昔・東京の町の売り声」や「あんつる君の便箋」、「年年歳歳」、「雪まろげ」、「ごぶ・ゆるね」‥‥など、タイトルを見ているだけで読みたくなってしまうものが多い。この本のタイトルとなった「おやじの女」は、安藤鶴夫がものごころついたときから死ぬときまで、父親に女の人がいなかったことはなくて、ときには堂々と家につれて泊めてみたり、母親とその女の人がお酒を飲んだりしていたことを書いた短い文章なのだが、なんてこともないさらりした文章に時代を感じたりもします。タイトルとしても、義太夫だった父親をとおして明治の芸人たちの生き方を、遠く昔に眺めているような感じがするような気がしていいな、と思う。ところで、原作:安藤鶴夫となっている松竹新喜劇の「おやじの女」は、この随筆が元になっているのだろうか。ほかに「おやじの女」という作品があるのだろうか。ちょっと気になります。
部屋のスペースなどの問題もあって、基本的にスマーフとフレッドくん以外のキャラクターグッズは買わないようにしているのだけれど、最近はどちらもあまり見かけないような気がします。スマーフのフィギュアも、前はおもちゃ屋や雑貨屋にも普通に置いてあったのに、ちょっとマニアックなお店にしか置いていなくて、そういうお店ではたいてい高い値段がつけられているので、買う機会もほとんどない。
チャールズ・ラムをめぐる10日間のイギリス滞在記。実際にラムゆかりの場所に行ったときの印象をはじめとして、その場所についてのラムの文章の引用や庄野潤三のラムに関する思い出だけなく、福原麟太郎、吉田健一、小沼丹、河盛好蔵といった作家たちによるイギリス滞在記からの引用などが多くあり、いろいろな面から楽しめます。イギリスに行ったのが1980年にもかかわらず、雑誌「文學界」に連載されたのが1982年から1983年にかけて、ということからも、単なる滞在記ではなく、帰国後にかなり関連する資料を調べたり、内容を練ったりしたことがわかります。と言っても、やはり「エリア随筆」を先に読んでおいたほうが面白いと思いますが。いや、逆にこれを先に読んでおいてから、「エリア随筆」を読むという順番のほうがいいかもしれない。そんなことはどうでもいい?
一時期、山口瞳と永井龍男の本ばかり読んでばかりいたような気がするのだけれど、最近はなかなか手に入らなくてほとんど読んでいない。山口瞳に関しては、まだ普通に手に入る本(文庫)で、読んでいないものがあるので、今年の命日あたりにまた何冊か続けて読んでみようと思ってる。
なかなか梅雨が明けませんね。関東地方で梅雨明けが8月になるのは3年ぶりだとどこかに書いてありましたが、そう言われると意外とよくあることなのだなぁ、なんて思ってしまう。まぁ晴れたら晴れたで暑くていやになッちゃうんだけど。