「野上弥生子短篇集」-野上弥生子-

ゴールデンウィークに入って天気がよい日が続いているので、一日中、トロージャンのボックスセットを家で流してます。5、6年くらい前、スカ~ロックステディ、ダブ、ラバーズにかなりはまっていて、これからの人生、ジャマイカの音楽とソウルだけを聴いて過ごすのもいいかも、なんてことをちょっと思ったりしたものですが、それ以来あんまり聴いてなくって、かなり久々。最近はエレクロトニカとか電子音楽ばかり聴いていたので、演奏者の顔が見えるような、ごつごつした演奏が新鮮です。
ただ、レゲエ関連の音源って、CDの再発よりもアナログ盤の再発が充実しているので、アナログ盤しか買っていなかったんですよ。だからトロージャンのボックスセットも「Calypso」と「Ska Rarities」「Sunshine Reggae」の3組しか持ってません。デタミネーションとかスカフレイムス、初期のリトルテンポなど日本のスカバンドのCDは、何枚かあるんですけどねぇ。これから夏に向けて、中古屋でトロージャンのボックスセット見つけたら買っておこう、という感じですかね。
ほんとはコンピじゃなくてきちんと集めたいとは思うけれど、アナログで持っているものもあるのに、いちからCDで集め直す気力もないし、当分の間、アナログ盤でじっくりと音楽を聴くなんていう環境でもなさそうなので、まぁしかたない。

ところでわたし自身は「夏=ジャマイカの音楽」というイメージもあんまりなくて、季節よりも「晴れの日の音楽」という感じですが、「夏=ジャマイカの音楽(レゲエ)」というイメージは、いつ誰が言い始めて、浸透していったのかちょっと気になってます。そもそも、中南米の音楽のほとんどが「夏」と結びつけられているような気がするし、確かに暑い国の音楽なのかもしれないけれど、どうも売らんとする戦略、洗脳が見え隠れするような気がしてしまうのでは、わたしがひねくれているだけでしょうか。でも夏をテーマにした曲を集めたコンピがトロージャンから出るくらいなので、「夏=ジャマイカの音楽」は日本だけのものではないんだろうな~。
あと、ついでに書くと、ジャマイカの音楽=レゲエ、レゲエ=ルーツロックレゲエ+ダンスホールみたいなイメージになってしまっているので、それ以外のジャマイカの音楽が好きなわたしとしてはちょっと困るなあ、と。いや、そんなに困ってもいないんですけどね。なんとなく‥‥ね。

「アイロンと朝の詩人」-堀江敏幸-

エッセイや書評、散文などを、特にテーマなども決めずまとめた回送電車シリースの3冊目。全体としてはうまくカテゴライズできなくて、一見寄せ集めみたいな印象もあるけれど、何気なく集められた文章も、実はきちんと全体のバランスなどを考えて選ばれていると思われるし、収録順もかなり熟考されていて、細部に堀江敏幸に本領が発揮されているシリーズ、と言えるんじゃないでしょうか。
以前、クレストブックスのアンソロジー「記憶に残っていること」が出たときに、青山ブックセンターで行われたトークショーでも、アンソロジーを組むときにはものすごく順番にこだわっていて、本当ならその組み合わせのバリエーションすべてを読んで順番を決めたかったけれど、10作品の並び変えたとき、ぜんぶで何通りになるのか計算するだけでクラクラしてしまった、みたいなことを言っていたような記憶もありますし‥‥。そのときは、それってアルバムの曲順を決めるときの大滝詠一じゃーん、なんて思ったりしましたけどね。

さて、今日からゴールデンウィーク。今年は30日をお休みにしたので、7連休。今年もどこかに行ったりする予定もなく、毎日、近くを散歩したりして過ごす予定。
今日はちょっと買いたいものがあって立川に行って来ました。といっても、グランデュオの中の中華街で中華を食べて、月餅をお土産に買ったり、上から一階ずつ降りていって、洋服を見たり、スイマーで面白キャラグッズを見たりしながら、最後にアメリカンファーマシーに寄って帰るという、ほとんど駅から出てない感じなんですけどね。
それにしても、なんで今、アメリカンファーマシーが立川にあるのか分かりませんが、輸入雑貨やお菓子、化粧品(これはわたしには関係ないけど)など、置いてある品物も、隅にペーパーバックが置いてあったりする店の中の様子も、昔、日比谷にあった頃のままで、銀座に映画を見に行くときに、アメリカンファーマーシーやソニプラに寄ってお菓子を買ったりしていた高校生や大学生の頃を思い出したりして、懐かしい気分になりました。
結局、ほんの3時間くらいしか出かけてないけれど、漣くんが一歳になって大人と同じものを食べられるようになったせいで出かけるのがほんと楽になりましたね~。で、多分、今日がこの7連休のうち一番の遠出になるのではないかと‥‥。

「石蕗の花―網野菊さんと私」-広津桃子-

広津桃子は、松川事件の追求・支援したことや長い文学的生活をつづった回想録「年月のあしおと」で知られる広津和郎の娘。
広津和郎は、長い間奥さんと別居していたらしく、森茉莉や室生朝子と違って父親を見る目はわりと冷静ですね。まぁこの本は父親の話よりも網野菊との交流をつづった随筆が中心なので、「父広津和郎」を読んでみないとわかりませんが‥‥。
でも、この本を読んでいると、広津桃子の歳の離れた網野菊に対する親愛の情がじんわりと伝わってきて、網野菊の本も読んでみようかな、なんて気分になってしまいます。実際に読むかどうかはまだ保留ですけど。

先々週から漣くんの体調が悪くて、夕方熱を出したり、おなかをこわしたり、吐いたり‥‥という毎日が続いていたので、週末もどこに出かけるわけでもなく、家で漣くん遊んでるだけで終わってしまってます。春になったら歩き始めるのかなぁなんて淡い予想もはずれ、本人もつらいらしくハイハイさえもあまりせず、ごろごろ転がっているか、泣いて抱っこをせがむかという、なんだか半年前にもどった雰囲気。でも半年前に比べて確実に体重は増えているので、そうそう抱っこばかりもしてられないわけで‥‥。今週は体調もよくなってきたみたいなので、もう一週様子を見て、ゴールデンウィークにはちょっと出かけたいですね。

「あやめ随筆」-室生朝子-

室生朝子は室生犀星の長女。室生犀星の小説「杏っ子」のモデルと紹介のされることが多いけれど、わたしは「杏っ子」を読んだことがないので、どんな風に描かれているのかわかりません。森茉莉もそうだけれど、これだけ父親に心酔(?)していると、結婚生活を続けるのもなかなか難しいんだろうなぁ、と思う。それが本人にとって幸せなのか不幸せなのかわたしには分かりませんが‥‥。

さて、これまで借りていたサーバーの期限が3月で終わってしまったので、カヌー犬ブックスのファイルを、4月から新しいサーバーに移行しました。今までのサーバーは、縁があってただで使わせていただいていたのですが、都合によりそれも終了。カヌー犬ブックスを始める前、PickwickWebのみの時から利用させてもらっていたので、2001年から約9年、思えばかなり長い間使っていたことになります。
移管に際しては、もう5年近く更新していなかったPickwickWebとミオ犬のLittleChopWebを削除しました。残しておいてもよかったのですが、両方とも放置の状態が続いていたし、PickwickWebのほうは、2001年に作ったときのままだったので、今どきフレームのレイアウトはないよな、と。
ついでになんとなくリンク集に入っているホームページを見てみたら、すでになくなっているものやブログに移行しているものが多くて、なんだか自分でホームページを作るという時代ももうおしまいなのかな、と思いました。

昔は、htmlの知識がなくても書きたいことがいろいろある人が、本などを見ながら作ったページとかが多くて、そういうホームページは、レイアウトとは稚拙なんだけれど、内容はものすごくマニアックできちんとしている、といったものが多くて、おもしろかったような気がします。ブログが主流になったことで、わりと誰でもホームページ(?)を作れるようになったためか、そういうおもしろいサイトが少なくなってしまったと思うのはわたしだけでしょうかね。というのも、最近、ミュージシャンのディスコグラフィとか、作家の作品リストとか、映画監督の作品リストとか、レベールのリリースリストとか‥‥完全なものを調べようとすると意外と難しいんですよ。ウィキペディアは、項目によってかなりむらがあるし‥‥。わたしがチェックしていないだけかもしれませんが、今どき、個人の趣味で、ブログではなく、一からホームページを作ってるって人がどのくらいいるんでしょうかね~。
ブログは、構造的に日記やコラムを書くのにはいいんでしょうけれど、まとまったもの、例えば雑誌やフリペみたいなものを表現するのにはむいてないような気がするんですけど、どうなんでしょう。‥‥とか、PickwickWebを削除しながら、そんなことを思ったりもしていたのですが、そもそもブログの最盛期もとっくに終わっていて、その後にSNSもあったし、今だとツイッターだったりするし、ネットに上がっている個人が発信する情報はだんだんうすくなっていて、10年くらい前は個人が発信する場としての意味がわりと大きかった(と思われる)ネットも、今では主に企業が情報を発信する場となっていて、実は個人が隅に追いやられていたり、企業の作った器の中で遊ばされているだけになっている、という‥‥いやいや、こんなこと書くつもりじゃなかったんですが‥‥。

「父の帽子」-森茉莉-

ちょっと暖かいと思ったら、コートが必要なくらい寒くなったりして、今年はなかなか春らしい時が来ない。去年、漣くんが生まれた時はほんと春らし暖かい日が続いて、根津駅から病院まで歩いていると、花を見たり散歩している人がたくさんいたのになぁ、と思い出したりしてます。それでも4月に入ってからの週末は、わりと暖かかったりしたので、花見に行ったりした人が多いんじゃないかな。
わたしも、多磨霊園の中を散歩したり、府中の桜まつりに行ったりしてきました。まぁ多磨霊園の方は桜を見るだけでなにもないんですけど、桜まつりのほうは子ども向けの遊び道具があったり、ミニSLが走ってたり(両方とも漣くんにはまだ無理ですけど)、ステージの上では、おじさん、おばさんが民謡?にあわせて踊っていたり、模擬店も青年会とか自治会、NPOなどが手作りっぽいものを出していて、かなりファミリー向け、地域密着型の花見でした。
なんか今まで見てきた井の頭公園とかとはまったく違う雰囲気で、しばらくのあいだは花見といえばここかな、と思ったりして‥‥。とはいうものの、今の家の近くは、小金井公園をはじめ武蔵野公園、野川公園、府中の森公園‥‥など、桜が楽しめる公園や場所が多いので、毎年いろいろなところにちょこっとずついってみるのもいいかもね。

「神楽坂・茶粥の記」-矢田津世子-

年末に売れない作家と芸者の駆け引きの話もなぁ~と思ったにもかかわらず、年明けの1冊目は妾の話ってのどうかと‥‥。矢田津世子は、坂口安吾に結びつけられて語られることが多い作家。なんとなく今年は女性の作家の作家の本を読んでみようと思っていて、なんとなくこの本を選んだだけなので、もう少し他の作品も読んでみたいと思っているのですが、他の作品を手に入れるのは難しそうな気がしますね。KindleとかiPadとか本が電子化されたらそういう今手に入らないような本でも読めるようになるのかな?やっぱりそれとこれとでは話は別、って感じなのだろうか。
ちょっと話が変わるけれど、音楽をダウンロードする割合が増えているのに、ダウンロードされる音楽はアナログ盤やCDの時と同じというのはどうなんですか。個人的にはダウンロードという提供方法の変化によって、音楽自体もそれに合わせたおもしろい提供の仕方ってのがあるんじゃないかと思ったりもしてます。私が知らないだけで、いろいろな試行錯誤が行われているのかもしれませんが、今の状態ってダウンロードで手軽になりました、以上、ってだけで、テクノロジーの進化に人間の創造力がついていってないのでは、なんて思ったり‥‥いうと大げさですが。

「耽溺・毒薬を飲む女」-岩野泡鳴-

昨年、最後に読んだ本。年末ののんびりした時期に、東京の奥さんを置いて脚本を書くため国府津に滞在する売れない作家とそれほど美人というわけでもない芸者の駆け引きの話なんて読まなくても‥‥なんて思ったことを覚えてます。
この作品は、三人称で書かれていますが、自身をモデルとした私小説に近い作品で、いわゆる5部作と呼ばれている「発展」「毒薬を飲む女」「放浪」「段橋」「憑き物」という連作の2作目となります。この後、岩野泡鳴は、文学を放棄し北海道に渡って蟹の缶詰工場を作るという事業を始めるのですが、事業が軌道に乗ることもなく、北海道でも色町には遊びに入り浸って、そこで芸者といい関係になったりしてと、どうしようもない話が続くんですけど、もし手にはいるようだったらほかの作品も読んでみたい。それにしても昔の作家は、ほんといろんな意味で“ろくでなし(ほめ言葉)”ばかりだったのだなぁと。

土曜日は、「マザーディクショナリー春の会」へ。今回の会場は、新宿御苑に隣接した「ラミュゼ de ケヤキ」という一軒家。もともとはピエール・バルーご夫妻の住居だったのを、現在は夫妻が中心となってレンタルスペースとして貸し出したり、コンサートを行ったりしているらしいです。マザーディクショナリーのイベントは前回の森のテラス(仙川)といい、会場のチョイスがとてもよくて、ワークショップに参加したり、コンサートを聴いたりしなくても、その場所に行って、アートマーケットを眺めたり、ご飯を食べたりするだけで楽しい。
マザーディクショナリーのイベントだけあって、子どもや赤ちゃんを連れたお母さんや夫婦が多いのだけれど、最近はうちの子も、同じくらいの赤ちゃんを見ると近づいてって、手や顔を触ったりするようになってきたので、こういうイベントがあると、家では見れない行動や仕草が見られたりするのもいいですね。

「小津安二郎の食卓」-貴田庄-

多分、何に対しても「質」より「量」をこなすってのが大切で、吉田健一も言っているように、おいしいものだけ少しずつ食べるのはありえず、おいしいものもまずいものも全部含めてたくさん食べないと、本当においしいものはわからない。そういう意味では、1回の食事の量が多くないわたしは、ほんとうにおいしいものを食べることはないのかもしれないんだろうなぁと思ったりします。いや、小津安二郎が大食漢だったなんて話はここにはほとんど出てこないんですけど‥‥。
でも、食べものにかぎらず、音楽や本とかもそうで、いい音楽だけ聴いたり、おもしろい本だけ読むなんてことがありえなくて、たくさんの音楽を聴いたり、本を読んでいくうちに、自分の好きな音楽が分かってくるというものです。そもそもあんまり音楽を聴かずにいいものだけって、その「いい」は誰が決めるのさ。とか思うわけですよ。なんていいつつ、「量」のほうが大事とは思うけれど、どんなものでも「量」をこなすのは、体力や執念、経済力‥‥といったものがいるもので、なかなか難しい‥‥なんてことを思いつつこの本を読んでいたのは去年の終わり。最近ほんと雑記の更新が遅いので、いまだ去年読んだ本を取り上げているありさま。次の本で、去年の分が終わって今年に入って読んだ本に入ります。

「夏の光満ちて」-辻邦生-

なんてことを前回書きつつ、結局パリ滞在記に逃げちゃったりしてますが‥‥

3月になってもちょっと雪が降ったりして、春になる気配がなかなか訪れなかったけれど、さすがに春分の日ともなると暖かくて、ベランダでたばこをすっていると、多磨霊園にはお墓参りの人でにぎわっているのが見えたりします。加えて添えられた花のせいで、お墓全体が、なんとなく緑だったり黄色だったりといつもの灰色の風景とは違う気がしてしまうのは、春がやってきてちょっとだけ、気分が浮き立っているせいかもしれません。ただそのせいで駅に向かうバスがかなり遅れたり、小金井街道が車で渋滞になったりして、ちょっと不便。お彼岸の時期は毎回こうなのだろうか?

そんなわけで、天気もいいことだし、連休だし、週末は吉祥寺に出てみたり、国立に行ってみたり、しました。前にも書いた国立でやっているニチニチ日曜市には、できるだけ毎月行って、そのあと少しずつ国立を散歩できれば、と思ってます。
今回は、TAIYODOの人に教えてもらった匙屋やレット・エム・インまで線路沿いの住宅街を歩きつつ、昔一回だけ行ったことのある国立本店をのぞいたりしました。
匙屋は、もともとは国立でアトリエを構えていたオーナーの夫婦が開いたお店で、自身が作っている木の匙やお玉、しゃもじ、また漆や陶器、ガラスなどの食器などがギャラリーのように置かれているお店。古い商店だった建物を改築したと思われる落ち着いた店内に、広くとられた入り口から日の光が差し込んでよい雰囲気でした。
レット・エム・インは、日本の古い家屋などで使われていた家具などが売られている古道具や中古の家具屋さん。かなりセンスのよいものばかりなので、うちで使うのはちょっともったいないかも、なんて思いながら、見ていました。いや、お店の人には悪いですが、見ているだけでも楽しいんですけどね。

このほかにも、フジカワエハガキや黄色い鳥器店といったお店を教えてもらったのですが、0歳児をベビーカーで押しながらだと、ちょっと遠いかも、と思って次の機会にとっておくことに。あまり無理せずに少しずつね‥‥という感じで。

「廻廊にて」-辻邦生-

革命によって故国を捨てたロシア人の娘であるマーシャという芸術家の人生を、彼女の日記や手紙、友人や母親たちのの証言、そして語り手である日本人の「私」から見た姿‥‥といったさまざまな断片を織りまぜることによって再構築した作品。
辻邦生の本は、今までパリでの滞在記や、自身をモデルとしたと思われる短篇(かなりフィクションが入っていると思われる)しか読んでいなかったので、完全なフィクションの世界が構築されているこの作品は、よい意味で予想を裏切られた気持ちになってしまいながらも、読み進めるにつれて、その世界に引き込まれてしまいました。ここ数年、私小説を中心に本を読んでいたわたしとしては、ここまでフィクションの世界に引き込まれるのはかなりひさしぶりなので、逆に辻邦生のほかの作品を読むのが怖いくらい。次にどの作品を読むかというのが、かなり重要な気がします、なんて書いたら大げさですね。

昨日は訳あって会社を休んだのだけれど、その“訳”がなくなってしまったのでイケアに行って来ました。今年2回目。というか、前回買った本棚では本が収まりきらず、壁一面本棚、を改め、壁一面半本棚にすることにしたのでした。
平日のイケアは子ども連れでいっぱいで、週末に比べれば人は少ないのに、カート+ベビーカーで通路が埋まってしまう感じ。最近、どこに行っても赤ちゃんや小さな子どもがいる気がして、小さな子どもがいると行ける場所が限定されてくるし、時間や行動パターンも似かよってきちゃうんだろうなぁ、とつくづく思いますね。それはそれで仕方ないし、無理にそこと違うところに行こうとも思わないですけど、それはそれでいいのか、という疑問も少しはあったりして、なかなか難しい‥‥。まぁ選択肢はかなり限られてしまってるので、考えるまでもなかったりするんですけどね。
で、本棚のほうは、明日届く予定なので、3連休は再び組み立て&部屋の片づけで終わりそう、というか、なんかうちのなかが本棚だらけになりそうで怖いです。