「おふくろの妙薬」-三浦哲郎-

◆三鷹 星と森と絵本の家
三浦哲郎の初めての随筆集。なのに、なんだか故郷の母親や姉の話が多いなぁと思って読んでいたのですが、途中でタイトルが「おふくろの妙薬」ということに気がつきました‥‥。
ちなみに「おふくろの妙薬」は三浦哲郎の母親が若い時に湯治に行ったときに、親切してくれたお返しにといって寺の住職に教わった目ボシに聞く薬のこと。この薬はたばこのヤニから作るため、三浦哲郎がパイプからヤニを集めている様子などが描かれている。

と、そんなことよりも、この本を読んで、三浦哲郎が大学では小沼丹に習い、小説も書き始めの頃から井伏鱒二に読んでもらい師と仰いでいたということを初めて知り、なんでもっと早く読まなかったのかと後悔してます。ここでも木山正平や庄野潤三といった作家が出てきたり、阿佐ヶ谷文士の様子をまた違う視点から読めておもしろかったです。こういう阿佐ヶ谷文士の交友録的な話を読むと、これらを横串にしたアンソロジーを組んでみたいと思いますね。「将棋についての話」とか「●●という飲み屋について」など切り口としてはいろいろありそう。

日曜日は、前々から行きたいと思っていて、周りにも行ったら絶対楽しいとすすめられていた三鷹の星とと絵本の家に行ってきました。

星と森と絵本の家は、国立天文台の敷地内にあり、絵本との出会いやさまざまな体験を通じて自然や科学への関心につながることを目的としたところ、らしい。大正時代の古い、でもきれいに保存された建物の中に絵本が展示されていたり、広い庭には自然のものを使った遊び道具が置いてあります。星と森と絵本の家自体はそれほど広い場所ではないし、絵本もものすごくたくさんあるわけでもないけれど、家の中の長い廊下を歩きまわったり、ちょっとしたおもちゃで遊んだり、外に出てみたり、緑の多い天文台の敷地内を散歩したり、もちろんソファに座って絵本を読んだりしているだけで、子どもも飽きずに楽しめます。

-
すだれがかかっているので建物の様子が分かりにくいのが残念

わたしが行ったときは、まだ暑かったけれど、午後からかき氷屋さんが出て来て、太陽系の惑星に合わせた色のシロップのかき氷を縁側で食べたりできたのもよかった。見た目はなんてことのない色のついたシロップだったのですが、ちゃんとその果物の味がしておいしかったです。どこかにシロップが売っていたら欲しい!
天文台のほうで別に受付をしたら天文台の見学もできるそうなので、次回は天文台にも行くつもりです。

-
こんな足踏みミシンやオルガンなども置いてありました

「たべもの草紙」-楠本健吉-

◆約1か月ぶりの雑記だけど書いてる内容も1か月前の話。ボリショイサーカスに行ってきました
特に忙しいわけでもないし、書くことがなにもないというわけでもないのですが、なんとなく雑記を書くのが億劫になってしまってます。ツイッターをチェックしてみたら、この本を読み終えたのが7月26日だったので1か月以上も経ってる。7月の読んだ本について書くとか、1か月のあいだに何したんだっけ?なんて思いながら雑記を書いてるなんて、なんだか夏休みの宿題の日記を8月の終わりにまとめて書いている小学生みたいな気分。なんてことを言っているうちに9月になってしまってるんですけどね。

三月書房から出ている小型本。俳人らしく季節ごとに、旬だったりその時期に行われる行事で食べるような食べものについて、作者の経験談なども交えつつ紹介しています。基本的にはその食べもの自体を紹介することに主眼をおいているので、わたしとしてはちょっともの足りない。でも、さまざまな食べものをわりと短い章で分けて紹介するという構成も文章の内容も小型本にあっていると思う。だからといって普通に身辺雑記をつづったような随筆集が小型本に合っていない、というわけではないですが。

さて8月は、夏休みをとってどこかに行くということもなく、1日だけ有休をとってボリショイサーカスに行ってきました。ボリショイサーカスは、昔、東京ドームでやっている時に見たことがあるのですが、わたしもミオ犬も、サーカスというとフェリーニの映画や「二十世紀少年読本」などを思い浮かべてしまっていたので、わりと現代的なその内容に肩透かしな気分になってしまった記憶があります(もちろんシルク・ド・ソレイユみたいなアクロバティックなショーに比べたらかなりノスタルジックですが)。そんなわけでそのあとしばらく経って、味の素スタジアムでやっていた木下大サーカスにも行きました。こちらはイメージ通りのサーカスでしたね。今住んでるところは、味の素スタジアムまで自転車で行ける距離なので、またやってほしいなぁ~

10年ぶりくらいに見たボリショイサーカスは、子どもと一緒ということもあり家族4人でかなり盛り上がりました。いや、家族4人はウソです。暁くんは分かってないです。まぁたぶんサーカスに限ったことではないと思うのですが、小さい子どもと一緒に見ると、ステージで起こっていることを説明したり、質問してみたり、いろいろ話しかけながら見ることになるので、どうしても自分もテンションが上がってしまうということろがありますね。

わたしとしては、ステージの上のほうでBGMを演奏している人たちを見ているのがおもしろかったです。ドラム、ベース、キーボードの3ピースに録音されたものを組み合わせて、演目に合わせたアップテンポだけれどちょっとノスタルジックなメロディを、おじいさんが演奏していました。上のほうで客席からみにくいところにいるせいか特に楽しそうな振りをするわけでもなく、逆に冷めた感じでもなくたんたんと演奏している様子が“らしく”てよかった。もちろん動物たちの動きに合わせたブレイクもやり慣れている感じでピッタリ、なんだけど、それも特にどうということもない。
なんかステージが終わったあとは楽器なんか放り出して、三人で話に盛り上がるわけでもなく言葉も少なく静かに飲んでるイメージだよな、なんて想像してしまいましたね。そう、サーカスってのは、ステージの上だけでなく、それが終わったあとのストーリーを(たとえありきたりなものだとしても)想像できる余地があるところがいいんじゃないかと。それは人と人の関係だけではなくて、ステージ上での人と動物のちょっとした仕草からも浮かびあがってきますよね。

そんなことは大人の楽しみに過ぎないけれど、現代的とはいえ演目もどちらかというと素朴だし、アクロバティックなものはそれほどないし、動物もたくさん出るし、小さい子どもが楽しめる内容なので、暁くんが漣くんくらいになったらまた行ってもいいかも、なんて思ってます。

「杏の花」-芝木好子-

◆宮内優里ライブ@江戸東京たてもの園下町夕涼み
本の内容ももちろんいいんですが、本自体がものとしてすばらしい。芹沢錐介による装丁のデザインや色合いのよさはもちろん、函も普通のものではなく本を包んでマジックテープでとめるという凝った作りになっています。しかも署名の入ったしおりがはさんであるという‥‥いつまでも大切に手元に置いておきたいですね。ちなみに芹沢錐介は、このほかにも「湯葉・隅田川」や「染彩」「下町の空」といった芝木好子の本の装丁を手がけています。

本に限らず音楽もそうだけれど、中身だけがあればいいというものでもなくて、パッケージのデザインや仕掛けなどとの相乗効果でその作品の世界がより鮮明になることも多いし、またそれをきっかけに興味の広がっていくことも一つの楽しみとしてあると思うんですよね。なので、パッケージがなくなっていくということに関してはかなりさみしいです。ほんと、レコードジャケットや本の装丁などを入り口に知ったデザイナーや写真家などがどれだけいるか!ってことですよ。

-いろいろ技術が進歩したというけれど、本当の進歩というのは、「今までこういう本を作るのはものすごく手間がかかったけれど、手間が削減されてより簡単に同じものを作ることができるようになりました」ということなんじゃないかな。「こういう本を大量に作るのはやっぱり難しいから、より簡単に作れる本で大量生産を可能にしました。」ってのは進歩と言わないんじゃないだろうか、とか。あるいは「これからは○○だ」ではなく「今までは△△が主流だったけど、これからは△△とOOのそちらかが選べます」とか。こういう本に触れるといろいろ考えてしまう。多分、そうやってすべてにおいて昔に作られたきちんとしたいいものにちゃんと接するということが大事なんじゃないかな。そうしないと今ものとの違いや、これからのどういうものと自分がつきあっていくべきなのか、ということの判断ができなくなってしまうのではないかと思う。

昔のものに接するということでつなげるわけではないですが、先日は、小金井公園の江戸東京たてもの園でやっていた下町夕涼みというイベントに行ってきました。たてもの園は、江戸時代から昭和初期までの建造物が復元されて展示されているのですが、そんな中で焼きそぱや焼き鳥といったいろいろな屋台が出ていたり、駄菓子が売っていたり、盆踊りや歌謡ショーが行われていたりするのを見ながら、ビール片手に歩いているとなんだかタイムスリップしたかのようでした。まあ実際は、漣くんが展示してある路面電車で遊ぶのに夢中でぜんぜん離れなかったのと、目的のライブがちょっと離れたところでやっていたため、その雰囲気を存分に味わえなかったんですけどね。

で、そんな昭和なイベントでなぜか宮内優里とausのライブ。なぜエレクトロニカ?という疑問もわきますが、涼音堂茶舗が温泉やお寺でライブイベントをやっていたりするし、意外と日本的な環境とエレクトロニカは合っているのかもしれません。実際、甚平姿で演奏する宮内優里は、古い日本家屋をバックにしたステージ?にかなりマッチしてました。音楽的にも、音に隙間が多い分、周りの虫や鳥の鳴き声や木々が風に揺られる音などがまじりあい、野外ならではの相乗効果で心地よかったです。また途中から観客の小さな子どもが前に出て音楽に合わせて踊りだしてみんなを盛り上げ(ちょっとドラゴンアッシュで踊っている人風のダンスでこれがまたうまいんですよ)、それに合わせて宮内優里もちょっとアップテンポな曲を演奏したり、いろいろ話しかけたりしてして暖かい雰囲気のライブでした。

-

ausのほうは子どもたちがちょっとぐずりだしてあまり見れず。かなりアンビエントな音だったので子どもには無理があったか。単に昼寝をしてなかったせいで眠かっただけか。

来年は漣くん、暁くんに甚平でも着せて盆踊りのほうをゆっくり楽しみたいと思ってます。

「皿皿皿と皿」-永井龍男-

◆三連休はバーベキュー三昧(ってほどでもないか)
二つの家族の暮らしの一場面を、2~3ページ程度の短い文章で切り取った連作長編。それぞれの文章が直接つながっているわけではなくて、独立しつつも関連しているという趣向になっていて、読者は行間ならぬ「章」間を読むことで一つの物語を組み立てていく感じになっています。
一つ一つの章の切り取り方や描いているものへの焦点の当て方がうまいので、ストーリーや文章自体はあっさりとしているのに、つい引き込まれてしまいます。また会話が多いので、タイトルではないけれど「さらさら」読み進めてしまって、あとからもう少しゆつくり読めばよかったと後悔したりしました。一日にちょっと時間があいた時に、二章くらいずつ読み進めるような形で読みたい。もちろん電車の中とかではなくてね。

一つの章で大きく場所が変わったリストーリーが動くということがないので、それを一場面と考えると、ある意味、シナリオ的な本とも言えるのかもしれません。単純に考えるとそのまま映画化できそうな気がするけど、文章だからおもしろいのであって、映像化したらそれはそれで退屈な感じになってしまうんでしょうかね。

さて、三連休は、ガラにもなく2日間バーベキュー。

14日は会社の人と有明にある新しくできたそなエリア東京バーベキューガーデンに行ってきました。ここはみんな集まることを考えるといい場所だし、利用料金だけでテーブル・イス・コンロセットなどの機材も借りられるのでかなり便利。まぁうちからは遠いですけど…。できたばかりということもあって機材もきれいでした。

今回は、お肉もちゃんと下味をつけたものを持っていったり、当日に築地に寄って魚介類を仕入れたりして、みんな普段はバーベキューなんてしなさそうな人たちばかりなのですが、かなり本格的になりました。ただ3時間という時間制だったのであまり長居ができず、ほんとうに焼いて食べて終わりという感じになってしまったのが残念。時間があれぱもっと遊んだり、休憩しながら第二弾の食材を焼いたりできたんでしょうけどね。
ただ場所的に大きな木があるわけではなく、単に芝生が広がっているだけなので木陰がなく、一応ターブを借りていたのですが、夏場は一日いるとかなり暑くなりそうです。

16日は、はけのおいしい朝市のメンバーに誘われて武蔵野公園で朝食会。こちらは基本的には参加者がそれぞれ料理を持ち寄ってみんなで外で食べよう、という感じ。それぞれが持ち寄る食事もおいしいのですが、武蔵野公園はバーベキューもできるので、何人かの人がコンロや小さなバーベキューセットを持ってきて、お肉や野菜はもちろん焼き鳥を焼いたり、ダッチオーブンで野菜のラタトゥーユ(?)を作ったりしてもしました。
大人も子どもも20人くらいで合わせて40人以上という朝食会で、初めて会う人もいたりしましたが、なんとなく普通にみんな話したりしていい雰囲気でした。こういう雰囲気がはけのおいしい朝市にもあらわれてるんだろうなと思います。誘っていただきありがとうございました~!

そんな風に続けてバーベキューや朝食会など外でごはんを食べてると、バーベキューの器材を買いたくなってしまいますね。とりあえず小さめで手軽なものから手に入れたいと思って、なんとなくネットで調べたりしてみてるんですけど、そもそもクーラーボックスとかテーブルとかイスとかもないですから、まだまだ先は遠いです。

しかし考えてみれば、あと2、3年したらバーベキューとまでいかなくても、近くの公園にちょっとした器材を持っていって、いろいろ焼きながらごはん食べたりってことを、家族だけでできるんですよね。なんか不思議な気分になってしまいますが、そういう意味では子どもたちの成長というかできることに合わせて少しずつ集めていければって感じでしょうかね。

「店じまい」-石田千-

◆今年、前半の後半によく聴いたCD
手芸屋、文房具店、銭湯、自転車屋、居酒屋といった個人商店から大型デパートまで、閉店したお店の思い出を軸に、現在と過去の風景や心情が交差する石田千らしいエッセイ集。この前に読んだ「きんぴらふねふね」は、「食」をテーマにしていて、石田千のエッセイのテーマとしてはちょっと広いかなと思った記憶がありますが、今回は全体の世界観が際立っていていい塩梅です。一つのエッセイの中で時間の移動がわりとあるので、空間的に動かないものをテーマにしたほうがおもしろくなるのかも?なんて適当なことを思ったりしますね。
あと、全体的な文章の雰囲気も、文章にひらがなが多く使われてるのもあまり変わらないけど、なんとなく読みやすくなったような気がするのはなんでだろう?

今年の前半は、1960年代のイギリスのハーモニーポッブ、ポッブサイケばかり聴いていたけれど、後半は、アメリカのグループを中心に聴こうと思っています。こんなに60年代の音楽ばかり聴いてるのはひさしぷり。聴いているつもりで持ってなかったCDとか、いつのまにかCD化されていたものなど、今年は60年代のポップスにこだわって聴いていくつもりです。

そんなわけでこの間もちょっと紹介しましたが、今年前半によく聴いたCDをいくつか。前半の後半はほんとポップサイケの定番といったCDばかり聴いてました。

■「Tomorrow」-Tomorrow-
-トゥモロウに限らず、ニック・ロウが在籍していたというキッピントン・ロッジや「ティーンエイジオペラ」「ラテン・ア・ゴー・ゴー」といったソロなどマーク・ワーツ関連のCDをけっこう聴いてましたね。マーク・ワーツはCD化されてないイージーリスニング~ラウンジ系のソロアルバムなどもたくさんあるみたいなのでそれらも機会があれば聴きたいところ(高そうだが)。で、このトゥモロウですが、テープの逆回転やインド風味なテイストなどをサイケデリックな要素をうまく取り入れつつも、プリティッシュビート~スウィンギソロンドン的なポッブなサウンドマナーをしっかり守っている感じが気に入ってます。

■「an Apple a day」-Apple-
-キンクスのプロデューサーとして知られるラリー・ペイジによるレーベル、ペイジ・ワンから1969年に発売された唯一のアルバム。オリジナル版はン十万円もするらしいです。グループ名とジャケットからなんとなくビートルズのアップル関連のグループなのではないかと思ったりしてましたが、どうやら違うらしいです。サウンド的にはビートルズの影響は大きいですけど。いや、ビートルズの影響を受けていないイギリスのポッブサイケのバンドなんてないんじゃないかと。メロディやサウンドもポッブで聴きやすいのですが、何回か聴いていると意外とハードなギターが鳴っているのに気がついたりして、それが聴き飽きないアクセントになっています。

■「Tangerine Dream」-Kaleidoscope-
-力レイドスコーブという名前のバンドは、アメリカにも日本にありますが、ジャケットもサウンドもアメリカからは出てこないバンド。サイケとフォーク(イギリスのね)とブログレ的な要素がまじりあって、なんとなくつかみどころがないサウンドになってる気がします。いや、端的にサウンドを説明すると直球のサイケなのですが‥‥。加えていい意味でも悪い意味でも強い個性を持ったメンバーがいないため、ポッブなんだけど地味な感じは否めないです。そういう部分も含めて、すべてがイギリスぼいスタイルで統一されているところがよかったりするんですけどね。あとマイナーなメロディがわりと多いんですが、メロディがマイナーになると一気に日本のGSぽい雰囲気になりますね。

■「The Huge World Of Emily Small」-Picadilly Line-
-男性二人によるデュオによる1967年のアルバム。二声のコーラスで歌われる柔らかなメロディに、繊細なオーケストラが全体を覆う優しいサウンドで、トリップ感や妖しい感じはまったくなく、ポッブサイケというよりソフトロックに近いです。アメリカのバンドのような開放感はなく箱庭的なせいか、初期のドノヴァンとかアル・スチュアートなどの音を思い出したりします。あとニック・ドレイクとか。あそこまで繊細じゃないか。この後、二人はエドワーズ・八ンドと改名し、ジョージ・マーティンのプロデュースのもと、英国的な叙情性を持ち合わせたトラッドなアルバムを発表することを考えると、時代的な影響でこういうサウンドになったという感じなのかもしれません。

■「Tinkerbells Fairydust」-Tinkerbells Fairydust-
-バッ八の「誓いのフーガ」が日本だけでヒットしたというグループ。クラッシックをもとにした曲って日本人好きですよね。これは当時録音はされたもののお蔵入りとなったアルバムにシングルトラックをカップリングしたもの。スパンキー&アワ・ギャングの「Lazy Day」やアソシエイションの「Never My Love」のカバーなどが収録されていたり、ビーチボーイズ風のコーラスが聴ける曲があったりとソフトロック度はかなり高め。でも油断して聴いているとヴァニラ・ファッジのバージョンをベースにした「(You Keep Me)Hangin’On」やヤードバーズのカバーなどハードな曲がはじまったりしてびっくりします。

しかしカレイドスコーブでアルバム二枚。そのほかは一枚とかお蔵入りと、なんか裏道にひっそりと開店して、ちょっとだけ固定客がついたと思ったらすぐに閉店してしまったお店みたいですね。強引にまとめると。

「すれちがい夫婦」-獅子文六-

◆病み上がりにカフェスローへ
結婚してみたもののさまざまな理由で生活のパターンがずれてしまい、一緒に過ごす時間がほとんど取れなくなってしまった夫婦を何組が紹介する「すれちがい夫婦」や、父親が子どもが自分にそっくりな性質を持っていることに気がついた瞬間を描いた「因果応報」、学生時代に吉原に通っていた学生が学校の卒業を機に、吉原通いも卒業し結婚することになるが、そのナジミだったおいらんがその家庭に女中として働くことになるという「おいらん女中」など、夫婦や家族をテーマにした作品を収録した作品集。

獅子文六には、いろいろな夫婦の形をレポートする形で、自身の夫婦論や雑誌の読者から寄せられたちょっと変わった夫婦の姿を描いた「夫婦百景」という作品もあり、戦後の夫婦の多様化にかなり興味を抱いていたようです。ただこの本は、「夫婦百景」ほど強く日本の夫婦について調べ、描いてみようという主旨ではなさそう。どちらかというと短編集を組むにあたって作品をピックアップしてみたら、夫婦や家庭を題材にしたものがいくつかあったのでそれをまとめてみた、という感じでしょうか。まあ、あくまでもわたしの印象なので、実際はどうかわかりませんが。

-木曜の夜から熱を出しまして、金曜、土曜と一日中寝込んでいたのですが、日曜になってようやく治ってきた感じだったので、気分転換も兼ねて国分寺に出てカフェスローに行ってきました。ちょうどカフェスローではゆっくり市が開催されていて、中庭(?)もにぎやか、お店のほうも満席に近い感じでした。ここはお店自体も広いし、机と机の間がゆったりしているので、満席に近くてもそれほど人がいる感じがしなくて、普通にベビーカーをお店に入れられるので家族で行くにはちょうどいいです。意外と漣くんも玄米のおにぎりやチリビーンズをのせたパンなどぱくぱく食べますしね。
でも、できれば次回は空いているときに行って、奥の野川が眺められる(のかな?)席に座りたいです。

ゆっくり市のほうは、毎月第1日曜にやっていて無農薬野菜やフェアトレードのスパイス、紅茶、国産の蜂蜜、天然繊維を草木染めしたもの、石鹸‥‥などが売られていて、ちょっとしたライブなども行われたりしていました。ニチニチ日曜市でもおなじみの古本泡山さんも出店していて、なんとなくあいさつを交わしたりして‥‥。

屋外にこのくらいのスペースがあって、そこにいくつものお店が集まるとまさに“市”という雰囲気になりますね。このくらいの規模で、ある程度テーマが決まってるけど売ってるもの種類は違うというお店が集まる市が、いろいろなところで定期的に開かれたら楽しいかも。などと思いながらゆっくりごはんを食べていたら、風邪がぶり返してきたのか頭痛がひどくなってしまい、そそくさと家へ帰ることに‥‥。あぁ今週末はせっかくの梅雨の中休みだったのに無駄に過ごしてしまいました。また来週も晴れることを願ってますっ!

「作家の食卓」-コロナブックス編集部-

◆作家の食卓がおいしそうなのは文章の力なのかもしれない
永井荷風、壇一雄、色川武大、澁澤龍彦、立原正秋、内田百けん、谷崎潤一郎、池波正太郎、開高健、山口瞳‥‥といった作家たちの日常の食卓の再現したり、行きつけのお店や好んだおやつを紹介した本。それぞれのメニューなどに対して、その作家の作品から関連する箇所が引用されていたり、近親者のエッセイが収録されるなど、「作家の酒」「作家のおやつ」‥‥とその後に続くシリーズに引き継がれる構成になっています。

ただシリーズで最初に出た本ということもあり、取り上げられている内容に焦点が絞られていないような、いろいろ詰め込んでしまっていて、全体的に緩慢になってしまってるような気がしますね。
元々コロナブックスは、大型サイズでも厚い本でもないので、内容を盛りだくさんにするよりは、いかにテーマに沿った内容をいかにコンパクトにまとめられるかが重要だと思うので、こういう広げようと思えばいくらでも広げられるテーマだと難しいのかもしれません。そういう意味でその後、「酒」「おやつ」とテーマを絞っていった正解。実際、その二冊のほうがおもしろかったですしね。

あと、こう言ってはなんですが、再現された食卓にいまいち華がないような気もしないでもない、かな。もちろん、全部ではないけれど。豪華と言っても日常の食卓なので、そもそも「みせる」ためのものではないですし当然なんですけどね。逆にこういう日常の食卓を、いかにおいしそうに表現するかが、作家としての文章の力なのかもしれません。

そんなことを言ってみたりもしますが、有名な作家がひと通りおさえられているので、前に読もうと思っていてすっかり忘れていた人を思い出したり、以前に読んだ本をもう一度読み返したくなったりします。料理関係の本は定期的に読み返したり、新しい本を読んだりしておかないといけないなと思っているので、そのためにもこういう本を読むことは大切。
まぁ現実は、月に読む本が少なすぎて、読みたい本のリストが増える一方なんですけどね。多分、月に10~15冊くらい本を読めたら、いろいろな分野の本を読めて、さらに新しい本との出会いも増えて楽しくなるんじゃないかと思うんですよ。今は月に4冊くらいか本を読めていないので、ちょっと古本屋に行って、読もうと思っていた本を買って読むだけで終わってしまいます。
同じように月に20枚くらいCD買ったらもっといろいろなジャンルの音楽が聞けるようになるんじゃないかと思ってる。

しかも歳をとればとるに従って読みたい本も、聴きたい音楽もどんどん増えていくんですよ。若い頃も「あれも読みたい、これも読みたい、あれも聴きたい、これも聴きたい‥‥」って感じだったけれど、今になるとそれも狭い世界だったんだなーと思ってしまいます。
いつまで本を読んだり、音楽を聴いたりし続けるのか分からないけれど(できればまた映画も観に行きたい)、そうやって広がって行く一方で、これからは読まない本や聴かない音楽を決めて、読むべき本、聴くべき音楽を絞るということがより大切になっていくのかもしれません。まあそれが大人の節度ってことなんですよ。‥‥多分

なんてことを、小西康陽の「これからの人生」を聴きながら書いていたら、昔のアジアや日本の歌謡曲が流れてきて、ジャンルで聴く音楽を絞るなんて無意味なことなんじゃないかと思ったりして、節度を失いかけてます。

「心づくし」-芝木好子-

◆電子音楽/ノイズ音楽の耐久レースライブイベント+ポーチでふるまいバーベキュー@セプチマ
「作家生活30年、ますます円熟味を加えた著者が初めて世に送る随想集。川端康成、鏑木清方、壺井栄、林芙美子など心に残る想い出の人々との交友を通じて得た数々のエピソードやこばれ話を的確な目でとらえてつづる珠玉のエッセー集」(帯より)

中でも近所に住み毎日のように会い、会わない日は電話で話し、夏には軽井沢で過ごしたという壺井栄や何かあるたびに銀座で買い物に行ったという佐多稲子といった親しい作家との思い出話が興味深い。男の作家の交友録は、たいていの場合、酒の話が中心になるのでちょっと新鮮でした。

また浅草三社祭、ほおずき市、羽子板市といった生まれ育った浅草をはじめとした昔の東京の様子や風俗、青磁や焼きもの・染色などの伝統工芸にについてなどについてつづったものも収録してしていて、都下生活のわたしとしては、浅草のほおずき市とか行けるときがくるのかな、なんて思いながら読んでました。まぁ西東京もゆるい感じのイベントがたくさんあって楽しいんですけどね。

週末は、立川にあるギャラリーセプチマでやっていた電子音楽/ノイズ音楽の10組の出演者のライブ聴きながら、ポーチで七輪で肉や野菜を焼いてみんなで食べるというイベントに行ってきました。

-

実際には最後までいなかったので数組しか聴けなかったし、漣くんがすぐに大きなしゃべりだしたりするので、ほとんどギャラリーの中にいられず、どんな人がどんな音を出しているのかまったくわからなかったんですけど、電子音楽/ノイズと言っても、絶え間ないドローンが響きそれにかぶさるような電子音のノイズの中を不協和音や威嚇するようなパーカッションが鳴り響く、というようなことはなく(どんなイメージだよ)、総じて聴きやすいものが多かったです。意外とバーベキューのBGMに合ってるような気さえしました。

また来ている人もみんなフレンドリーで漣くんがはしゃぎながら庭を走るのを暖かく見守ってくれ、七輪を囲みながらいろいろ話をしたりしてセプチマらしいいい雰囲気のイベントでした(話した人の名前とかぜんぜん聞かなかったけどまたどこかで会えるかな?)。

-

しかしこういうイベントに子どもを連れて行くとたいていほかの子どもに声をかけられて、結果的に一緒に遊んでる、という感じになりがちですね。遊ぶ子どもの人数が増えると漣くんも楽しそうだし、それはそれでいいんですけど‥‥

夏のあいだにもう一回くらいセブチマで昼間のイベントやらないかなぁ~

「一本の茎の上に」-茨木のり子-

◆カヌー犬ブックスも9周年を迎えました。ありがとうございました。
山之口貘、吉野弘、山本安英、木下順二‥‥と著者にとって師とも言える人たちの思い出や、50歳を過ぎて習い始めた韓国語を駆使しながらの韓国旅行、そして詩や散文などについてつづったエッセイ集。
茨木のり子の本を読むのはこれが初めてなんですが、やっぱり詩も読んだほうが、エッセイももっと楽しめるのかも、って思ったりします。室生犀星とかは随筆を読んでいるときに、強く詩ということ意識しないで楽しめるのですが、茨木のり子は、随筆(散文)と詩がそれぞれ独立しているのではなく、互いに影響を受けあって一つの世界を作ってるような気がしましたが、どうなんでしょうか。
かといって室生犀星の随筆と詩(と小説)がまったく別物というわけでもないし言い方が難しいですね。文章全体から醸し出す雰囲気みたいなものなんですよね。まぁこれだけしか読んでいないのでなんとも言えないですけど。

さて、6月10日でカヌー犬ブックスは9年になります。
前にも書いていると思うけれど、2003年の春くらいに急に自分の持っている本を商品にして古本屋のサイトを作ってみようと思いたち、当時、趣味のサイトとしてやっていたPickwickWeb内にコーナーを作って数十冊アップしてみたのがはじまり。それが4月くらいだったと思うんですが、アップしていない本を含めても在庫は200冊くらいしかなかったし、ものすごいスモールスタート、というか思いつきだけで始めた感じでした。さすがにこれはないなと思い、古本屋としての新しいサイトを作り直して、2か月、6月10日に本スタートしました。

それから9年のんびりとやってきて思うのは、いまだに古本屋としてはアマチュアだってことですね。それは自分の気合の入れ方や勉強が足りないこともあるし、単に会社勤めをしながらという状況もあるかもしれないし、そのほかいろいろな理由がありますが、やっぱり一番の理由はわたし自身がどの分野でも専門家になりきれないという性格にあるような気がしてます。

多分、ここ数年は、会社勤めもあるし、漣くんや暁くんも生まれてそんなに古本屋に時間や手間をさけるわけではないという状況で、ブロに近づくにはどうしたらいいんだろう、という感じでいろいろ中途半端になっていたのかな、と。春くらいからそんなことを考えながら、毎日の更新やはけのおいしい朝市や東京蚤の市の準備をしていたのですが、ここにきてふと“このままアマチュアでもいいんじゃないか”って結論に落ち着きました。ははは。

アマチュアとしてもっと楽しんでできればいいと思うし、仕入れなどもかなり制約があるけれど、その制約の中でどういう本をセレクトしていって見せて行くかって余地もまだまだあるのかな、と。レア盤ばかりかけるのがDJじゃないぞ、と(別にわたしはDJでもないんですけどね)。

こんな風にして9年間ほんとに行き当たりばったりでやってきましたが、ここまで続けてこられたのも皆さまのおかげです。ほんとうにありがとうございました!
そんなわけで、9周年記念、日ごろの感謝を込めまして、6月10日 (日)から24日 (日)まで、全品20%オフセールを行います。前から欲しかった本や買い逃していた本、あるいは買うかどうか迷っていた本などがありましたら、この機会にぜひご利用ください。よろしくお願いします~

「みつまめ随筆」-秋山安三郎-

◆ゴーグリーンマーケット@京王フローラルガーデシアンジェ
タイトルの「みつまめ随筆」は、自分の書くものには駄菓子の味がするという人に言われることから駄菓子に縁のある「蜜豆」を題にしたとのこと。なので内容としては、お菓子や食べものの話というわけではぜんぜんなくて、小学校を卒業した後、職を転々をしながら新聞社で働くようになるまでのことがつづられてます。若い頃の話を中心とした自伝的な随筆集って感じでしょうか。

一週間経ってしまいましたが、先週末は京王多摩川にある京王フローラルガーデシアンジェでやっていたGo Green Marketへ行ってきました。ゴーグリーンマーケットは、生活をシンブルに、環境に対して各自が小さな事から始めることで、“RE-USE(再利用)”“RE-DUCE(軽減)”“RE-CYCLE(資源再生)”の3Rを実行するという”GO GREEN”精神をもった全国各地のアンティークやクラフト、植物、食べものなどのお店が集まったマーケット。会場となったフローラルガーデシアンジェのイングリッシュガーデンもちょうどバラをはじめとしたいろいろな花が咲いている時期だったので、庭の様子とお店のたたずまいがマッチしていて、会場を歩いてるだけでも楽しかったです。

-

まぁ実際は、ミオ犬がチクテベーカリーのパンを買っただけで、アンティークのおもちゃとか雑貨、多肉植物とかいろいろ気になるものはありましたが、、わたしはなにも買わなかったし、そのあとに行くところもあったので会場でなにか食べたりすることもできなかったんですけどね。

-

-


偶然にも、東京蚤の市に続いてなんとなく似たようなイベントが開かれて、二週連続で京王多摩川に通ってしまいましたが、どちらもそれぞれの主催者や出店者の個性が出ていてこういうイベントがたくさんあって毎週のように楽しめたらいいのに、なんて思いますね。