「coyote winter 2015」

■年始に二宮に行くときに持っていく本を買いに年末にリブロ行ったときに、ラッピングしてもらう間に店内をうろうろしていたら、「NEW YORK NEW BEAT GENERATION」という特集のタイトルが目に入って、つい衝動買いしてしまった1冊。
「coyote」でビート・ジェネレーションと言えば、以前、サンフランシスコ特集に掲載されていた松浦弥太郎の手書きの地図を持って、City lightsやAdobe Books、Green Apple Booksなどの古本屋やビート・ジェネレーションにまつわる場所を回ったことを思い出す。
この特集では、直接ビート・ジェネレーションに言及しているわけではなくて、ブルックリンから郊外に移って生活するアーティストなどを紹介している。ジム・ジャームッシュやジョナス・メカスのインタビューもあるけれど、どれも今の視点から現代のビート・ジェネレーション的なものを紹介するという感じで、当時の様子に直接言及するほぼないというところがいい。

-■西東京のスカイツリー、田無タワーの近くにある多摩六都科学館へ行ってきました。「六都」って何?ともってサイトを見てみたら、小平市、東村山市、田無市、保谷市、清瀬市、東久留米市の6市で設立されたことから、らしい(現在は統合により小平市、東村山市、清瀬市、東久留米市、西東京市の5市)。
展示は、チャレンジの部屋、からだの部屋、しくみの部屋、自然の部屋、地球の部屋の5つに分かれていて、ただ展示を見せるのではなく、実際に手を動かしたりして楽しめるようになっているので、子どもでもけっこう楽しめました。大人からするとちょっと意味不明な遊具的なものもあったりするしね。
漣くんが宇宙や恐竜などに興味を持つようになったので、機会があれば博物館に行こうと思っているのですが、博物館に行って困るのは、やっぱり3歳と5歳では興味の対象も違うし、理解度もぜんぜん違うということ。-だいたい、展示に添えてある説明文を漣くんに説明して、それをなんとなく理解した漣くんがいろいろ操作としようとすると、わけが分かってない暁くんが邪魔をして、けっきょく、けんか、というパターン。まぁこれは博物館に限ったことではないけれど‥‥。
プラネタリウムも見ましたが、わたしはほとんど寝てました。で、プログラムによるとは思いますが、こちらはちょっと5歳児には難しかったみたいです。やっぱりちゃんと起きてて、スタッフの解説に対して、その都度、きちんと説明してあげないとだめですね。反省‥‥ちなみに六都科学館のプラネタリウムは、23m以上の大型ドームでは世界初となる高輝度LED光源を採用されていて「最も先進的なプラネタリウム」として世界一に認定されてるらしいですよ。寝てたけど。

「屋根の花」-大佛次郎-

■全集未収録の随筆を、道ばたの草木や京都、奈良などへの旅、幼少の頃のこと、交遊録‥‥などに分類しバランスよく収録した本。1つ目を読み始めてすぐに「これ読んだことがあるな」と思ったら、やはり以前読んだ文芸文庫の「旅の誘い」に収録されていた本でした。タイトル変わってるし買う時は気がつきませんよね。
で、ついでに過去の雑記を読み返してみたら「「屋根の花」はいずれ読み直すことになるんだろうなぁ~。」って書いてありました。日付は2008年の2月18日で、多分、この時、初めて大佛次郎の随筆を読んだんじゃないかと思う。それから7年で4、5冊くらいなので、ぜんぜん進んでない。もっとも小説はまだ読む気がしないので、随筆だけだとどのくらいの冊数があるのかは分かりません。
この本は、ちょっと大きめの函入りで表紙の絵もきれいなので、どちらかと言えば、こちらの単行本を手元に置いておきたいと思ってます。「旅の誘い」も巻末に著作のリストがあるので手放せませんが。

-■先日は、中目黒のデッサンで行われていたswish!の「off the shelf展」に行ってきました。まぁわたしにニットの趣味はないのでミオ犬のリクエスト。ニットの靴下やマフラーなどと一緒にかわいい人形などもあったりしましたが、一番気になったのは、グラスゴーのライブハウスで行われるパステルズとウェイクのライブ告知のポスターだったりして。デザインもよくて、売り物だったらちょっと欲しかった。
ちなみにデッサンは写真集やデザイン関連の本、絵本などが中心の古本屋さん。ミオ犬がswish!を見ている間に写真集などを見ていたら欲しい本がたくさんあって、こういう古本屋さんになるにはどうすればいいんだろう?とか思ってしまったりしてね。

■最近は出店していませんが、デッサンは前は東京蚤の市に出店していました。そのときにお店にいた人の子どもが、実は、そのあと漣くんが入る幼稚園に通っていたという不思議な縁。
その人に教えてもらってアラスカというベジタリアンカフェでお昼ごはんを食べました。野菜のフリッターをメインにした玄米ご飯プレートを食べたのですが、野菜の食感ところものバランスが良くておいしかったです。木のさりげない感じの感じのテーブルや椅子、ぼんやりとゆがんだ視界になるガラス窓など店内の雰囲気もよかったです。

-■中目黒に行くのは何年振りだろう?漣くんが生まれてからは、夜に一回会社の飲み会で行ったくらいなので、少なくとも6年くらいは行ってない。
昔、西郷山公園の近くの会社に勤めていたころにしょっちゅう行っていたオーガニックカフェはとっくになくなって、そのあとに大きなマンションが建ってるし、春に窓際の席に座って桜を眺めていたPACIFIC57も、カプチーノがめちゃくちゃおいしかったマンゴスチンカフェも、わたしがその会社を辞めた後、表参道から移転してきたカフェエイトもなくて、どこに行ったらいいか分からず。
雨も降っていたしとりあえず、カウブックスで本をちょっと見て帰ってきただけだったので、次にいつ中目黒に行けるのかわかりませんが、いつかまたデッサンでいい展示があったら、その時はもう少し川沿いを歩いてみたい。しかしドンキホーテができてたのはびっくりしたなぁ~

「Holiday in」-masacova!-

■特に集中して集めているわけではないけれど、ポラロイド写真の写真集は、今後もう新しいものが出ないと思うので見つけた時に買うようにしている。一応、どんな写真集が出ているのか調べたとこがあるけれど、それほどなかったしね。そういう意味では岡本仁や岡尾美代子の本は雑貨の本というよりもポラロイド写真集として手元にある感じ。今でもインポッシブル・プロジェクトからポラロイドのフィルムが出ているけれど、どのくらいの人が使っているのだろうか。ここ数年でチェキが見直されているように、ポラロイドも見直されてもいいように思うけど、なかなか難しそう。というか、富士フィルムでポラロイドと同じくらいの大きさのチェキを出せばいいのにと思ってる。

■この本は、カリフォルニアやハワイのどこかノスタルジック風景が、ポラロイド特有の柔らかな光の淡い色彩で撮影されている。撮影したmasacova!は、帯の説明には「カメラ日和」の連載や「ポラロイドライフ」でおなじみ、と書かれていたけれど、「カメラ日和」は読んでないし、「ポラロイドライフ」もあまり気にしてなかったので、知らなかったです。ほかに写真集が出ているわけではなさそう。
日本で撮られているポラロイドは、だいたい淡い感じになるのに比べて、タルコフスキーなど海外の写真は、わりと暗めでコントラストがはっきりしているのはなぜだろうか。被写体とか撮影場所とかも異なる気がするし、その辺のポラロイドの文化の違いも興味深い。サンプル数が少ないので、単なるわたしの思い込みかもしれませんが‥‥

-■実を言うと、ikontaを修理に出している間、なんとなく、インポッシブル・プロジェクトのポラロイドフィルムを買ってしまった。でも、けっきょくポラロイドカメラを持って出かける機会もなく修理から戻ってきました。どういう時に持っていって何を取ればいいのかわからないんですよね。税込だと8枚で2500円くらいなので、1枚300円くらいになっちゃうということや、8枚しか撮れないのにあの大きなカメラを持っていくことを考えると、なかなか、ね。そもそも以前のフィルムでも人を撮るとぼやっとしてしまっていたので、子どもを撮るのは、どうかと思うし、どこかに出かけるわけでもないので、風景を撮る機会もないし、近所の風景を撮るのもなんだかなぁという気分になってしまいます。春になって日差しが強くなってきたら公園でピクニックするときとかに持っていってみようかしらん。

■タワーレコードの意見広告「NO MUSIC, NO LIFE?」広告集をまとめた「DOCUMENTARY PHOTO & MESSAGE OF “NO MUSIC, NO LIFE?”」の発売記念で行われた、あらかじめ決められた恋人たちへを見に行ってきた。あらかじめ決められた恋人たちへは、ダブを基調に深いエコーとピアニカで演奏されるちょっと哀愁ただようメロディとハードコアからの影響がうかがえる激しいサウンドがうまくミックスされたインストのバンド。ライブだとその振り幅が大きくダイレクトに伝わってきてかっこよかった。メロディを奏でたり時にはノイズを出すなどパーカッションの人のテルミンの使い方も効果的だし、リズム隊も曲に合わせて重かったり、激しかったりして盛り上げるし、ピアニカもかなり太いはっきりした音で、バックの音に負けてなくて最高でした。

「なんたってドーナツ」-早川茉莉 編-

■ドーナツについて書かれたエッセイを中心にレシピや物語、詩などを収録したありそうでなかったアンソロジー。といってもドーナツだけでは、一冊の本にならなかったということで、堀江敏幸や林望、角野栄子、いしいしんじなど書き下ろしのものも多い。
別のシリーズでのカレーと同様に、最後の清水義範の小説に明示されてるように、ドーナツと言って思い浮かぶものは人それぞれだけれど、誰もがどこかなつかしい気分になる感じが全体に漂っている。それは、カレーやドーナツという食べものの特性なのだろうか?食べものについて書いたものをまとめると自然にそうなってしまうものなのだろうか?あるいは編者がそういう思い入れを持って選んでいるからなのだろうか?まぁドーナツというとなんとなく古き良きアメリカ的な雰囲気もあるしね。いや、それは単にわたしがミスタードーナツに行き過ぎているだけか?

-■1月の初めに修理に出したikontaが戻ってきた。もともと壊れていたフィルムを巻くダイアルもスムーズになったのをはじめ、ところどころ剥げていた外側もきれいになり、ファインダーもちょっと鮮明になってうれしい。11月にフィルムが入っているかと思って巻いたら、動かなくなってしまい、無理やり巻いたりしてだましだまし使っていたのですが、やはりこれを機会に直すことにしてよかった。といっても、試し撮りして現像に出して実際に写真を見るまでは安心できないけど。ということは再来週か‥‥
中古カメラ屋を除いてももうフィルムカメラも少なくなってるし、ikontaなんてなかなか見かけることもなくなってきたので、こういうことがあった時のために、もう一台ikontaを買っておきたい。といいつつ、それだったら二眼レフのカメラが欲しい、とか、それ以前に調子が悪いターンテーブルをちゃんとしたものに買い替えたい、とかいろいろ思ってしまう。物欲の春。というほど、欲しいものがいっぱいあるわけではないけれど(欲しいCD、レコードは常にいっぱいある)。

-■いろいろな音楽を気の向くままに聴いてきたせいで、本当に自分が何が好きで、何を買わなくちゃいけないのか、わからなくなってる。年が明けてからはミニマル・ミュージック(と初期の電子音楽)に夢中。もともとは前にも書いたように、エレクトロニカを聴こうと思っていたのだけど、ついエレクトロニカのルーツってなんだろうなんて考えながらYouTubeでいろいろ聴いているうちにはまってしまった感じ。といっても、ミニマル・ミュージックのほうは、基本のスティーブ・ライヒとかフィリップ・グラス、テリー・ライリーくらいしか聴けてないんですけどね。ミニマル四天王と呼ばれているわりにはラ・モンテ・ヤングのCDが手に入りにくい状態になってしまっているのはなぜだろう?

■ミニマルといえば、一つのフレーズが繰り返されていくというイメージしかなかったのだけど、まぁその繰り返しの快感もありつつ、やはりそれが少しずつずれたり、変わったり、違う楽器に変わったりするところがよい。想像していたよりも、ふくよかな音楽だったというのが正直な感想。もっとストイックな音楽をイメージしてた。エレクトロニカを通過したせいか?人がやることでズレなどが生じるというおもしろさは、PC使って簡単にできてしまう今でこそ注目されるべきなのではないか、とか。
いや、普通に通勤時間や作業中のBGMとしてもいい。でも音に集中せずに流しているといつの間にか変わっていたりして「あれっ?」と思う。なんか、何かをしながら、つけっぱなしにしてビデオを見ていて、ちょっと目を離しているうちに事件が起きてがらりと雰囲気が変わってしまって巻き戻したくなる、感じ?ちょっと違う?かといって、繰り返されるフレーズに集中して聴き続けていると、つい意識が音楽から離れてしまいがちになったりして、難しい。木琴などの楽器で構成された曲は、なんだかガムランを聴いてる気分になったりするしね。

■それから、フィリップ・グラスのピアノ曲を聴いて、初めてマイケル・ナイマンが実験音楽~ミニマルの影響を受けていることに気づいた。なんか、「ピアノ・レッスン」の曲を作曲した人と、「実験音楽―ケージとその後」を書いた人、というのが長い間、いまいち結びつかなかったんですよ。聴けばすぐにわかるのに、そういうちょっとしたことをしないまま、知らないままで放置してしまうのはダメだな、と。

「アンソロジーお弁当。」

■このシリーズを読むのも三冊目。夏の間に読もうと思っていたビール編ははまだ読めていない。さて、お弁当ですが、幸田文が「自分の過去にあるおにぎりの影をたどると、誰しも大抵ちょっとした一代記の材料になるのではないかと思ふ」と書いているのですが、それはお弁当全般に言えるのではないかと思う。「にぎにぎ頂戴とねだった幼い日から学校の運動会遠足、勤め先のグループでのハイキング、若い母として初子に握ってやるおむすび‥‥」とこの文に続くのだ。幸田文の文章はこのアンソロジーを言い当てているような気がします。そういう風に思うと、ここに収録されているものでも、女性が書いた文章のほうがおもしろい。
ちなみに写真は阿部了。この人のことはまったく知らなかったのですが、おやつ(岡本真菜子)、カレーライス(佐内正史)と比べると、個人的には一番好みかもしれません。

-■タワーレコード渋谷店で行われた小島麻由美のレコ発ライブを見てきました。小島麻由美は「愛のポルターガイスト」くらいまではなんとなく聴いていてわりと好きだったのですが、それ以降は全然聴いてなくて、年末に友だちから恵比寿ガーデンホールでのライブのチケットをもらった勢いで、新しいアルバム「路上」を買ったり、年が明けたくらいから昔のアルバムも含めてよく聴いている。「路上」は、バックバンドが今までとは違い、ハッチ、カジヒデキ、塚本功のトリオになったせいか、アップテンポな曲もスローな曲も含めて、勢いがあっていい。ジャズやロックンロール、シャンソン、歌謡曲などの要素のブレンド具合が絶妙。ライブではMCのとぼけた感じと歌ってる時の感じのギャップがよかった。
ガーデンホールでは、Asa-changやDr.kyOnといったメンバーを率いての過去の曲を演奏した一部と、バックのメンバーを入れ替えて新しいアルバムからの曲を中心にした二部とで分かれていて二度おいしいという感じでしたが、タワレコでのライブを見て、やはり「路上」の曲はライブハウス向きだなと思った次第。

-■ウルトラマン・スタンプラリーが首都圏のJRを駅で2月の終わりまで行われていますが、我が家も小さな男の子がいる家庭としてやっぱり盛り上がってしまい、日曜日に西荻から東京までの総武線、東京から浜松町までの山手線を各駅停車し、スタンプを押してきました。改札を出たところにスタンプ台があるのですが、複数改札がある場合は、駅を降りた時にスタンプ台がどこにあるのか分からなかったり、ある駅では電車の最後尾のほうに改札があったのに、次の駅では先頭のほうに改札があったりして、意外と大変でした。予定では、総武線の後、東京駅から山手線を一周するつもりでしたが、時間切れで打ち切り。コンプリートを目指しているわけではないので、まぁいいんじゃないかと。
それにしても、ポケモンのスタンプラリーで夏休みに駅の中を走り回っている子どもたちを見ると、「たいへんだなぁ」と他人事で思っていたのに、自分が回ることになるとはね‥‥

「のれんのぞき」-小堀杏奴-

■生まれ故郷の団子坂から父である森鴎外が眠る三鷹の寺など江戸の気質を感じる老舗、職人をめぐり、その主人の話を聞きつづった本。雑誌「酒」に昭和30年代から40年代にかけて連載されたものをまとめたもので、偶然にも「「酒」と作家たち」に続き、雑誌「酒」、そして佐々木久子関連の本が続いてしまいました。
小堀杏奴は、姉の森茉莉に比べて独特の世界もないし、随筆などを読んでいてもなんだか普通、という印象を受けてしまってますが、こういう風にテーマを持った随筆だと、自分が主人公にならなくていいということもあり、よさが出るような気がしますね。ちなみに父親の森鴎外について書いた本は読んだことがないです。小堀杏奴に限らず、作家の子どもが親について書いた本っていまいち興味がわかないんですよね。親の本を読みこんだりした後に読むとおもしろいのだろうか?

-■何がきっかけだったのか忘れてしまいましたが、去年の10月くらいから我が家では「スターウォーズ」ブームが起きてます。多分、ドラえもんのプラネタリウムと買うと約束した時に、結局品切れで買えず、R2-D2のプラネタリウムを買ったのが直接のきっかけだったと思うのですが、いきなりR2-D2というわけではないと思うので、その前になにか前ふりがあったはず‥‥。
最近では、子どもたちは、何かとグッズなどを欲しがるは、映画のストーリーや登場人物について細かく聞いてくるは、で、「妖怪ウォッチ」や「ウルトラマン」について話している時間よりも圧倒的に長い。多分、わたしの反応がいいというのも大きな理由なんでしょうけどね。

-■実を言うとわたしは今まで映画を見たことがなかったのですが、去年のはらっぱ祭りのフリマで買った「エピソード2/クローンの攻撃」を年末に見て、年が明けてから「エピソード4/新たなる希望」「エピソード5/帝国の逆襲」、3連休には「エピソード3/シスの復讐」を見て、あとは「エピソード1/ファントム・メナス」と「エピソード6/ジェダイの帰還」を残すのみ。今年の年末に「エピソード7/フォースの覚醒」が公開されるにあたって発行されたスターウォーズ新聞まで買って、なんとなく全容が見えてきた感じです。それにしてもお正月に2本続けてみたのですが、約4時間飽きずに見ていたのがすごい。

■でもスターウォーズのグッズって大人向けのものばかりで子ども向けのものって少ないので困ります(値段も高いし、フィギュアも基本的に飾るのが目的のものばかりだしね)。というか、出かけるたびにグッズのあるお店に連れてくようせがまれて見に行っているうちに自分が欲しくなってしまってたりして‥‥。
さて、年末の「エピソード7/フォースの覚醒」までブームは続くのだろうか?

「ニッポン・ポップス・クロニクル 1969-1989」-牧村憲一-

■あけましておめでとうございます。2015年もカヌー犬ブックスをよろしくお願いします。
気がつけばもう12年、干支が一回りしましたね。漣くんが生まれてから「子どももいるしまぁマイペースでやってます」なんて言い続けていますが、そんなマイペースの期間ももう6年。半分くらいマイペースでやってきてる状態になってしましました。そろそろ気持ちだけでも切り替えてやっていかなくては、と思っております。

■さて、2015年の一冊目は(読んだのは2014年ですけど)、牧村憲一の「ニッポン・ポップス・クロニクル 1969-1989」、はっぴいえんどから、シュガー・ベイブ、加藤和彦、竹内まりや、大貫妙子、そしてフリッパーズ・ギターまで、牧村憲一が関わったミュージシャンを中心に、1969年から1989年までを1年ごとに、その年のポップス・シーンを代表するような音楽関係者をゲストに迎え日本のポップス史を語った本です。。
基本的に自分がかかわったミュージシャンについて語っているにもかかわらず、日本のポップス史を俯瞰するような内容になっているところがすごい。でももちろんこれは日本のポップス史のある側面でしかないことも認識しておくべきだと思う。
といっても、小学校の頃に大滝詠一に出会い、中学時代にナイアガラ関連、はっぴえんどなどに聴き、その後、ノン・スタンダードレーベルのレコードを聴いたのち、フリッパーズギターに夢中になったわたしにとっては、ある意味自分における日本のポップス史をたどっているようでかなり懐かしく、冷静にこれは「日本のポップス史のある側面」だからと割り切れるものではないですけどね。

■わたしは上の兄弟もいなかったし、学校で音楽のことを話すような友だちや先輩もいなくて、なんだか一人で回り道しながら音楽をたどっていったという気持ちが大きかったのだけれど、今になってみれば、わりとポップスのメインストリートをとぼとぼと歩いてきただけだったのだな、と思う。不思議。
いや、主観的に見れば、同級生に変な音楽ばかり聴いてると言われていた地方の高校生にとっては、自分がきいてきた音楽が、ある日、メインストリートとして上書きされてしまったという認識が強いかも?ミュージシャンには悪いですけど、10代に聴いていた音楽としてそっと埋もれていてほしかった。で、ときどき聴きかえしては懐かしんだり、新しい発見をしたりしたかった、という気持ちもありますね。

■そんなことを思いつつ、年末年始はエレクトロニカばかり聴いて、体系とか系譜とかといったことを考えていました。というのも、年末にインザパシフィックでDJをしたときに友だちが「Youtubeでいい曲をつまみ食いしながら聴くのではなくて、自分の好きな音楽を体系づけて聞くのが好きなんだ」みたいなことを言っていたから。わたしも一人のミュージシャンを軸に、そのルーツや横のつながりをたどっていくのが好きなほうだけれど、エレクトロニカに関してはルーツが辿りにくいし、たどることに意味があるのかとも思ってしまいます。
ルーツ的には、テクノ(電子音楽を含む)とアンビエント、ミニマムあたりがルーツになっているのだろうけれど、同じ時に全然違う国で、なんの横のつながりもなく背景も違うと思われるミュージシャンが同じようなサウンドを切り開いたりするし、なかなかピースが一つの線や面としてつながりにくい。先にあげたテクノとアンビエント、ミニマムというルーツもたどろうとするとめちゃくちゃ広範囲になってしまうしね。もっといろいろ聴きこんでいくと違うんでしょうけど、そればかり聴いているわけではないし、エレクトロニカ~電子音楽の奥は深い。

■それから普段インストの音楽ばかり聴いている身としては、音楽における言葉の意味ということも考えてしまいます。単純になんで作曲家よりも作詞家のほうが地位が高いのか?とか、音楽と言葉が結びつくことでなんで人はのめりこんでしまうのか?とか、みんな小山田圭吾の音楽に対してはわりと冷静に接しているように思えるのに、小沢健二に対しては、なんであんなに熱くなってしまうのか?青春の一曲と10代の頃の読んだ本の思い入れの違いはどこからくるのか?などなど。音楽によって言葉が人の中で増幅されてしまうメカニズムや、経験と結びつきやすくなる理由などを解説した本があったら読みたい。

「「酒」と作家たち」-浦西和彦-

■雑誌「酒」は、株式新聞社の社長、小玉哲郎が、酒好きという自らの趣味が昂じて酒に関する雑誌を創刊したという雑誌。創刊にあたって新聞に「『趣味の雑誌』編集記者募集」三行広告を出し、それに応募・合格したのが、編集長を務めることになった佐々木久子です。3歳からお酒を飲み、もともと酒好きだったという佐々木久子は、上司の大学時代の同期だった火野葦平と知り合ったことをきっかけに、尾崎士郎、檀一雄、江戸川乱歩、丹羽文雄、吉田健一、梶山季之といった作家たちと酒の席で知り合いになっていき、誌面には彼らの文章が並ぶようになります。また日本各地の蔵元を訪ね歩いては、隠れた美酒を発掘していきます。創刊当時は売れず、休刊のまで追いこまれた時期もあったようですが、火野葦平の力を借りつつも、株式新聞社から独立しするなど、さまざまな波乱を乗り越え、最終的には1955年の創刊から1997年まで42年刊行し続けました。

■佐々木久子自身の著作もかなりあり、多くは日本酒に関する濃い話のものになってしまうのでなかなか手に取りにくいのですが、こんな風にアンソロジーとしてまとめられると読みやすくていいです、特にここでは「酒」に掲載された酒に関する文章といっても、自分のことを書いているのではなく、作家が友人や師匠についてつづったり、編集者が担当した作家を書いたりしている文章が収録されているのがおもしろいです。42年間の歴史もあるので、もっといろいろな切り口でアンソロジーが組まれるといいなと思う。

-■年末まで12月のできごとをさらさら振り返るシリーズ
12月14日は出茶屋さんの10周年を記念したバーベキューに行ってきました。ミオ犬から言われた時は「え、この時期にバーベキュー?10周年でなんでバーベキュー?」という気もしましたが、実際はたくさんの人が集まり、いろいろなところからおいしいにおいや温かい湯気が立って、寒さなんてあまり気にせずに、出茶屋さんの常連さんたちがつくる食べものを堪能し、おしゃべりを楽しみました。最後にはチアリーダーが盛り上げたりして、「ああ、10周年を祝うのにいちばんいい形だったなぁ」と思いました。出茶屋さん10周年おめでとうございました!そしてこれからもよろしくおねがいしますー!

-■そういえばその前の日は、井の頭動物園に行ってましたね。めずらしく一圓でごはんを食べて、中道通りから井の頭通りに移転したプチに初めて行ってみました。まぁ暁くんを抱っこして行くには遠かったです。
昔はペッツやらスマーフやらスヌーピー、ラムチョップ、ストロベリーショートケーキなどのキャラクターグッズが家中にあったこともあって中道通りのお店はよく行ってましたね。かなりごちゃごちゃしてて奥深い感じでしたが、新しい店舗ではかなりきれいになっていました。通路が狭いのは変わんないかもしれません。いや、昔は通路と呼べるものもなかったかも?
わたし自身は、手頃な値段の欲しいものがいくつかあったのですが、漣くん向けのスターウォーズグッズはないし(そもそも小さい子ども向けのスターウォーズグッズってあんまりないですよね)、暁くんが欲しがったウルトラマンの怪獣のソフビは、まぁいろいろ気にしなければいま売っているもののほうが安いし、それをうまく説得させておきながら、でもお父さんのものは買う、いうのもどうなのか?という気がして、今回はパス。次回は一人で行ってゆっくりみようっと(笑)
ちなみに今回調べてみてお店の名前がプチであることを初めて知りました。

「朝夕 感想・随筆集」-里見トン-

■この本を読んだのは9月くらいかな。なんか9月くらいから通勤時間に読書に集中できなくなって読むのに時間がかかってしまいました。気がつけば12月ももう半分くらい過ぎてしまい、雑記もぜんぜん追いついてない。個人的には、年末恒例のセールをやったらもう年も明けるという感じですね。今年は少なくとも50冊以上の本を読んで、50は雑記を書こうという目標だったのだけれど、今のところ雑記数はこれ入れて42。あと7、8冊読んだけれど書いてない本があるのですが、もう27日なので年内に50は無理そう。3月くらいまではいいペースで本を読んでいたんですけどね。あと、やっぱり少なくとも本を読んでから1週間以内に雑記をアップするようにしたい。途中まで書いて放置しすぎなのです。どこかで今年読んだ本についてまとめようと思ってますが、全体としては今年はわりと料理随筆を読んだような気がします。逆に小説はほとんど読んでなくて、ほぼ随筆・エッセイ。来年は夢中になれるような小説に出会いたいかも。

■というわけで年末までに12月のできごとを少しずつ書いていければと‥‥

■12月6日は石田倉庫のアートな2日間へ遊びに行きました。今年で3回目。秋は毎年恒例になりつつあるイベントが多い(もう冬だけど)。例によってラマパコスのキーマカレーやカフェ キュイッソンのポトフを食べたり、ビールやワインを飲んだりしながら、倉庫での展示を見たり簡単なワークショップに参加してみたり、giguのライブをちょっと聴いてみたり‥‥。ラマパコスが赤ちゃんを囲んでカレーを作っているところや、人でにぎわっている中を子どもたちが走り回っているのをお酒片手に友だちを話しながら見ていると、この雰囲気は西東京ならではだなぁと思う。ちゃんとイベント概要を確認しなかったせいでワークショップに参加できなかったのがザンネン。子どもたちは、展示の全面がガラス張りになっている部屋が気に入ったらしく何度も入っては、中で大声を上げてました。

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「長野陽一の美味しいポートレイト」-長野陽一-

■近藤恵介の個展を見た時にNADiff Galleryで購入した写真集。「ku:nel」などの雑誌で撮影してきた「料理写真」が収録されており、お店のの片隅でも「長野陽一の美味しいポートレイト」というタイトルで、写真の展示もしてありました。「ku:nel」の料理写真は前々からいいなとは思っていたけれど、雑誌自体もう何年も買ってなかったし、長野陽一も「シマノホホエミ」でのポートレイトの印象が強かったので少し意外。この本も「12ヶ月のための絵画」と同じ形式の小冊子なのでちょっと物足りないけれど、雑誌に掲載された料理の写真集がちゃんと刊行されるとも思えず買ってしまい、同じように夜寝る前に、さらっとページをめくって写真を眺めてたり、石田千のエッセイを読んだりしてます。夜遅く会社から帰ってきて、しかもちゃんとごはんも食べてなくて、微妙にお腹がすいているときなどかなりあぶないんですけどね。

-■写真展と言えば、新しい写真集「FRANCE」は出たせいか10月11月とマイケル・ケンナの写真展が続き、ちょうどタイミングよく見に行けました。世界各国の風景をモノクロで切り取った作品は、その構図や現像のコントラストも含めて完璧だと思う。そして隙がないのに息苦しさを感じない。ある意味モノクロ写真の完成形なのではないだろうか。そしてマイケル・ケンナは、シャッターを押す段階でどこまで写真のあの世界が見えてるのかが気になります。撮ったあと現像の段階で完成形に近づけていくのだろうか?あの世界を作るにはシャッターを押す段階でかなり具体的な形で完成形が見えてないと現像の作業だけでは作れないのではないかとも思うしね。
でも完璧だからと言ってマイケル・ケンナが1番好きな写真家か?と言われるとそうではないというところが人の不思議さなのですよ。(音楽とかでもそうですよね)

-■このところ六本木のギャラリー気になる写真展が多い。開催が明日までということで、急きょ昼休みを利用して、ミッドタウンのFUJIFILM SQUAREでやっていた蜷川実花の写真展も見てきました。こちらは美意識としてはある意味同じ方向なのかもしれませんが、作品は対極ですね。ピンクや青などの原色が強調された人工的な世界(マイケル・ケンナの写真も風景だけれど、モノクロの人工的な感じがします)で、思っていたよりも作品のサイズが大きく、また展示されている写真の数も多く、なんだかめまいがするようでした。
しかし、撮影可といえ、写真の横に立って記念撮影をしている人が多いのにびっくり。しかも女の子だけでなく、普通のおじさんも記念撮影していたりして、なんだか不思議でした。

-■11月29日、30日に行われた第6回東京蚤の市に参加しました。土曜日は雨が降ってしまいましたが、日曜日は晴れて、たくさんの人で大盛況でした。カヌー犬ブックスのブースにもたくさんの人に寄っていただきありがとうございました!毎回いろいろ考えて本を選んだり、少しずつブースのレイアウトを変えたり、本棚を増やしたりしているのですが、なかなか思うようにはいきませんね。いろいろ難しいです。
しかしなんだか回を追うごとに、会場を見てまわれなくなってしまい、お客さんとして楽しむ時間が少なくなってしまっているような気がします。まぁそれはそれでいいことなのかもしれませんが、少しさみしい。ほんとは土曜日にちょっと買い物をして、車で持ち帰りたいんですけどね。(日曜は本を持ち帰る必要があるので‥‥)今回はWATER WATER CAMELのライブを楽しみにしていたのですが、いつの間にか終わってました。注目のカジヒデキは最初のほうちょこっと見れました。カジヒデキのライブを見るのは、ソロでは初めてかな。もう10何年もカジくんのアルバムとか聞いてないので、「いきなりエレクトロニカになってたりしても驚かない」なんて一緒に見た友だちと話していたのですが、昔と同じく短パンで登場し、今でもスウェーデンでレコーディングしてるなんて話を聞いて逆にびっくりしましたよ。