「北園町九十三番地 天野忠さんのこと」-山田稔-

-■かなり前に買ってはみたものの、天野忠という詩人についてはまったく知らないし、山田稔の回想がいくらおもしろいうはいえ、一人のことで一冊はちょっとハードル高いかなと思って、そのままにしてなってました。実際読んでみたらどんどん引き込まれてしまって、一気に読んでしまった。もっと早く読んでおけばよかったということと、もっとゆっくり読めばよかったという2つの後悔。
天野忠は、山田稔が若い頃に非常勤講師を勤めていた奈良女子大の図書館に同時期に勤めており、両方とも家が京都だったことから、帰り道に一緒になったエピソードから始まり、その何十年後かに、天野忠が読売文学賞を受賞したことを新聞で見つけ、手紙を出したことから本格的な交際が始まります。お互いに自分の著作を郵便ポストに入れ合ったり、編集者と同行して天野忠の家を訪ね、文学について映画についてなどの話を、出されるお酒を飲みながら聞いたりという話が、天野忠の詩や随筆の内容とともにつづられていきます。
最後に天野忠が亡くなったときに、山田稔が奥さんに「何度も伺わせていただいて、ありがとうございました」と言うところなど、これまでの交際の様子が一気によみがえってくる。そして、その頃、山田稔もやっと定年退職して、「わたしは、いつでもヒマですさかい」と言える身分になったのに、天野忠はいないという余韻で、ちょっと泣いてしまいました。
ところで山田稔によると天野忠は詩もいいけど、それよりも随筆がよいとのことなので、読んでみようと思い、amazonで調べてみたら、ほぼ全部在庫切れでした。気長に探してみることにします。(いつ手に入ることやら)

■前回、「平野甲賀と晶文社展」に行ったことを書いたけれど、この本の装丁は平野甲賀なので、今回に残しておけばよかったということに今気がつきました。晶文社じゃなくて編集工房ノアですが。

-■このところ、1980年代に活躍したイギリスのブルーアイドソウルやフェイクジャズ、ファンカラティーナなどのレコードを聴いている。ブロウ・モンキーズやキュリオシティ・キルド・ザ・キャット、ファイン・ヤング・カニバルズ、ワーキング・ウィーク、カリマ、ニック・プリタス、モダン・ロマンス‥‥などなど。去年、DDFCの80年代特集でDJをさせてもらったときに、改めて聴いてみて、いいけどもう当分は聴かないんだろうなと、思っていたんですけど、一年もただないうちに自分の中でのブームが復活という感じ。この辺をよく聴いていた高校生の頃(1985年~1987年)がちょっと懐かしい。
わたしは、高校くらいまでちゃんとジャンルを意識して洋楽を聴いてなくて、テレビやラジオなどで流れてきた曲でいいと思ったものを聴いてただけだったんですよね。アズテック・カメラやニック・ヘイワード、ハウスマーティンズを聴いてるときもぜんぜんネオアコということを意識してませんでした。そもそもネオアコという言葉を知ったのは、高校3年の終わりくらいじゃないか?という。
そんな中、唯一緩やかにジャンルを意識してたのが、この辺のバンドだったのです。たぶん「ビギナーズ」を見て、その後、サントラを買ったということが大きい。このサントラでいろんなアーティストがつながって、広がった気がしますね。ちょっと話が違うけど、サントラに収録されていたスリム・ゲイラードを聴いてジャイヴをいう音楽を知ったりしました。当然のことながら映画の内容自体は、もうまったく覚えてません。今度、DVDを借りて見てみようかしら。

■どのレコードを聴いてもソウルやジャズそのまま演っているわけではなくて、ソウルやジャスをベースにしながら80年代の音楽を再構築しているので、本格的なソウルやジャズを聴いたあとでは、打ち込みの音や軽めのサウンドが物足りない。と、90年代以降ずっと思ってたし、なにかの折りに実際に聴いてみてもそういう感想しか持ってなかったんですが、今聴くとそのブレンド感や軽さがいい。こういうあからさまな折衷音楽ってもうないんじゃないかな。でも自分の好きな音楽をベースに新しいものを作ろうという気概は伝わってきます。でもその新しさが、時を経てひどく古いものになってしまった、という事実はあるし、今後も当時を知らない若い人たちに、これらの音楽が再評価されるということもないんじゃないかと思うけれど。

「ちょっと町へ」-常盤新平-

-■経済界という会社から出ている「蘇る!」という雑誌に1995年から1998年にかけて連載されたもの。1回だけ経済界大賞の授賞式に行ったときの様子をとりあげてるけど、ほかは町田に引っ越す前によく行っていた平井や神保町、銀座、浅草などに行き、行きつけのお店でごはんを食べたり、喫茶店でコーヒーを飲んだりする様子がつづられています。なんで、経済の雑誌に3年にもわたって連載されたのか不思議。どんな人が読む雑誌なのでしょうか?雑誌を読む人たちにどのように受け入れられたんでしょうか?
行く場所はたいてい同じで、連載中に同じお店が何回も出てきたりします。お店の紹介にフォーカスしたものではないけれど、同時期に出た「東京の小さな喫茶店」の食べもの屋さん編とも言えるかもしれません。
先日読んだ「私的読食録」で、角田光代が、「昔の男の人って『食べものについてまずい、旨いをいうな』と言われて育ったせいか、男性作家は何がおいしいとかあまり書いていない気がする」と言っていたけど、この本でも、お店で食べるものそのものよりも、お店の人との関係や、お店の成り立ち、一緒に食べている人との話などに重点が置かれている感じですね。
2000年以後の常盤新平の本は、過去のことの悔恨や歳を取ったことの嘆きなどが強く出ていて、10代の頃から読んでいるわたしとしては、複雑な気持ちになってしまうんですが、(それがまたよかったりする)ここでも歳を取った嘆きが随所でつづられているけど、来年見る桜に思いをはせたりして、ところどころに明るい部分があって救われるところがあって、ほっとします。この頃(1990年代半ば)の本を最近読んでないけど、2000年代の本を読んだ上で読み直したら、初めて読んだときと違った印象を受けるような気がします。

-■土曜は、ギンザグラフィックギャラリーで開催されている「平野甲賀と晶文社展」へ。
1階では自身の装丁と舞台やコンサートのチラシやポスターを手直しし、大きめの紙に刷り出した作品が、B1では、晶文社の装丁本が展示されているという構成でした。
普段、本などで見るものよりも大きいサイズで、4つの壁に90点もの作品が展示されているのを見ると、改めて平野甲賀の描く文字の力強さを感じてしまいます。文字の形や文字と文字とのレイアウトの構成など、普段、なんとなく平野甲賀の文字だなと、思いながら見ているだけでは気がつかない発見もあったりしました。もしもカヌー犬ブックスが店舗を持つことがあったら、お店のどこかに飾りたいと思う。(絶対にないと思うけど)
B1の書籍の展示のほうも、展示数が多く、また見たことのない本もあったり、シリーズでまとめられて展示されていたりして、楽しかった。読んでみたい本、手に入れたい本がたくさんあって、欲しくなってしまったり、また昔、持っていたけどもう手放してしまった本があると、懐かしい気分&やっぱり手放さなければよかったなどと思ったりしました。
せっかく銀座に出たのだから、事前にもう少しちゃんと調べて、ギャラリーめぐりをすればよかったと後悔してますが、当日は、高円寺の古書展から御茶ノ水→神保町で、本やレコードをたくさん買ってしまい、荷物が重くて仕方なかったので、じっくり散歩するという感じではなくなってしまったんですよね。

-■さて、3月23日から25日の3日間、手紙社の西調布にあるEDiTORSで開催される3days Bookstoreに参加します。参加する古本屋さんはMAIN TENTさん、古書まどそら堂さん、古書モダン・クラシックさん、古書玉椿さん、クラリスブックスさん、古書むしくい堂さんとカヌー犬ブックスの7店。よくある古本市のように7つの古書店がそれぞれ出店する、ということではなく、7つのお店が集まって、3日間限定の古書店をひらくというコンセプトで、キッチンや休憩広場(?)などもともとあるEDiTORSの設備を活かしながら、ちょっと変わった雰囲気の、でも本好きの人に楽しんでもらえるような古本屋にしたいと思っています。皆さま、ぜひ遊びに来てくださいね。

 【開催概要】
 日程:2018年3月23日(金)~3月25日(日)
 時間:11:00~18:00
 入場料:無料
 会場:EDiTORS(東京都調布市下石原 2-6-14 ラ・メゾン 2階)

「私的読食録」-角田光代、堀江敏幸-

-■小説、絵本、詩集、料理本など、さまざまな本で登場する「食」について、角田光代と堀江敏幸が交互につづったエッセイ集。雑誌「dancyu」での連載をまとめたものになります。単行本にするにあたっての二人の対談も収録されてます。基本的に今手に入る本を紹介しているので、読みたい本をリストにして本屋さんで探してみるのにちょうどいいと思います。
なんとなく、角田光代は食に関する表現について語ることが多くて、ときには、小説に書かれている食べものを実際に食べた気にさえなって、実際にそれを食べた時に違和感を覚えたりするのに対して、堀江敏幸のほうは、その本に書かれている食にいたるまでの過程だったり、意味合いを語ってることが多いように思う。ただ、その意味合いが堀江敏幸の過去の経験やほかの本に出てくる同じ食べものについて書かれていたりするので、一読すると論理的な気がするけれど、よく考えると論理的でもない気がします。
そういう意味では、二人とも普通の食べものに関するエッセイとは、どこかアプローチが違っていて、しかも二人のアプローチが違うので、紹介されている100冊もあるわりには飽きずに読めてしまいます。まぁ個々の文章が短い、ということもあるんですけどね。
角田光代の本は読んだことがないので、よく分からないけど、堀江敏幸は、掲載している雑誌が「dancyu」で、かつ短めの文章ということで、ほかの本での本の評論と違ってさらりとしている。堀江敏幸の本の紹介(評論)って、いろいろ枝葉が広がって複雑になってしまって、まぁそこがおもしろいと言ったらおもしろいんだけど、読んでて迷子になってしまうことがわりとあるのです(わたしの理解力が低いせいもあります)。

■週末は吉祥寺のにじ画廊でやっていた渡部知樹くんの個展へ。わりと明るい色調の抽象画で、これまでの個展で展示されているものを大きくは変わらないのですが、じっと見ていると前回とはどこか違う雰囲気があって、それがなんなのか分からないけれど、年を追いつつ何回か個展に通っていると(というほど毎回見ているわけではない)、その変化の移り変わりがおぼろげな感情として浮き上がってくるような気がするけど、それがなんなのかはわかりません。知樹くんにしかわからないのかもしれないし、知樹くんにも分からないのかもしれない。
今回、展示されていた絵では、赤い線を基調とした「背景」という絵が、なんとなくひかかったのだけれど、でも実は、一番ひかれたのは、ソファーの後ろにあった、はがきサイズの小さな絵だったりします。具体的なものが描かれているような感じなんだけど、でもなんだかはっきりはしてないのに、小さなサイズの中に行儀よく絵が座ってるという感じがよかったです(なに書いてるのかわからない)。
そのほかにもおなじみの鳥のオブジェやこれまでの活動のスクラップ帳、一冊ずつしかないちょっとシュールな絵本などが置いてあって、あれこれ見ていると、なんかほっとしたりしました。そう、知樹くんの作品って、見てるとなんだか幸せな気分になるんですよ(気のせいかもしれないけど)。そして今回も鳥オブジェを一つ購入。展覧会に行くたびに一つずつ買っている鳥もけっこう集まってきました。

-

「ナイフ投げ師」-スティーヴン・ミルハウザー-

-■すこしずつ海外文学の本を読むのを増やしていこうと思っているけど、なかなか読めません。昔名に読んでたんだろ?で、ミルハウザー。ミルハウザーの本を読むのはほんとひさしぶり。「イン・ザ・ペニー・アーケード」や「バーナム博物館」など、この作家の作り出す世界が大好きでした。
「イン・ザ・ペニー・アーケード」は、白水社の「新しいアメリカの文学」シリーズから出てて、このシリーズはほとんど読んだんじゃないかな。ポール・オースターの「鍵のかかった部屋」やティム・オブライエン「僕が戦場で死んだら」などもこのシリーズに入ってました。1990年代くらいまでは、同じ白水社から「新しいイギリスの小説」や「新しいフランスの小説」、集英社から「ラテンアメリカの文学」(これは80年代か)、国書刊行会から「文学の冒険シリーズ」など、海外文学の新しい作家を紹介するシリーズがいろいろなところから出てて、片っ端から読んでました。最近は、わりと有名な作家の全集ぽいのは出てるけど、新しい作家を紹介するということがあまりなくなってしまっている印象なのですが、どうなんでしょうか。新潮社のクレストブックくらいですかね。わたしが知らないだけかもしれませんが。ちゃんとチェックしてないという前提で言うと、翻訳という作業が入る分、新しい洋楽を聴いてない音楽ファンよりも、新しい海外文学を読まない本好きのほうが、今は多いんじゃないか?という気もします。

■「イン・ザ・ペニー・アーケード」でもう一つ言うと、b-flowerの「ペニーアーケードの年」というアルバムが出た時に、この人たちもミルハウザーが好きなんだな、と思って、すぐにCD屋で探しに行った思い出があります。音も繊細なサウンドで、歌詞もどこか不思議な感じがして、勝手にミルハウザーとか好きな人の歌だよなぁ、などと思ってました。でもあとから考えると、多分、ペニー・アーケードというバンドのほうのことを言ってたんですよね。ファンの勝手な思い込みでした。
b-flowerは活動休止期間もあったけれど、近年また活動を再開して、年末にはThe Laundriesと対バンでライブをやっていたりしてます。活動再開後はシングルしか出してないんですが、アルバムが出たらまた買うかなぁ。

■さて、「ナイフ投げ師」ですが、表題のナイフ投げや自動人形の作家、遊園地や百貨店の経営者など、前時代的なものが取り上げられ、その魅力に人々が熱中していくにしたがって、その快楽を提供している側もどんどんエスカレートして最後には‥‥という話が、独特の語り口で語られていきます。次にどんな展開が起き、どんな風に人々が熱狂していくのか、そしてどこに向かうのか、独特の世界が題材として取り上げられているだけに予測できないし、読み進めるにしたがってどんどん濃密になっていく世界に引き込まれてしまいます。
翻訳者の柴田元幸もあとがきで書いているように、これ以上、この世界を書き続けてたら、ミルハウザーはどこへ行ってしまうのだろうという気持ちになってしまうけれど、作品で描かれている、遊園地や自動人形館に熱中する大衆のように、作品を読むごとに引き込まれていってしまうのかもしれません。

「猫は夜中に散歩する」-田中小実昌-

-■前回もちょっと書いたけれど、前半は、戦中に徴兵されたときのことから、戦後まだストリップという名称もない時代にストリップを始めたこと、その後、バーテンやテキヤなど職を変えたころのできごとなどがつづられており、後半は自身が翻訳した小説の解説を収録している。自身の体験については、ほかの本で読んだことのある内容が多いし、解説のほうは推理小説が多いので、小説自体は読んでないものばかりなのですが、語り口がいいのでついつい引き込まれてしまう。まぁ飲み屋で奥に座っている常連さんの話を聞いてるという感じでしょうか(単なるイメージです)。
ただ前述のストリップの話や、飲み屋で女の子が田中小実昌の”もの”をひっぱる描写が繰り返される話、女の子と熱海のホテルに行く話とかそういう話が多いので、なんとなく昼休みに会社の社食で読んでいると、ここでこれ読んでていいのかな?という気にちょっとなってしまったりした。別に一人で食べてるので、周りに知り合いがいるわけでもなく、いたとしても田中小実昌に興味を持つような人はいないと思うので、どんな本を読んでるかなんて、人に言う機会もないんですけどね。

■3連休の日曜は、子どもたちのレスリングの大会へ。といってもわたしは自分の子どもたちが試合の時間前後に会場に行って、試合を見るだけでしたが。レスリングに限らないと思うけど、個人競技の大会はどうしても待ち時間が泣かくなってしまいますよね。子どもたちは、8時半に西早稲田の会場に行って、終わったのが6時半でした‥‥
うちはそれほど本格的にやっているわけではなく、週に1回程度の練習なので、まぁ体の動きがよくなればいいかな、という感じなのですが、ほかのチームの子どもたちはかなり真剣にやってて、もう構えも動きも違う。うちのチームなんて、出番が来るまでお菓子を食べたり、スマホでゲームしたり、追いかけっこしたりしてたけど、ほかのチームはずっと練習してましたから。
そんな状態ですが、こういう試合がきっかけになって、練習を真剣にやれるようになればいいかなと思ったりしてます。

■で、お父さんはそのあいだ何をしていたかというと、古本屋や中古レコード屋に行っていたわけですが、西早稲田ということで、近くの戸山ハイツを歩き回ったりしてました。戸山ハイツは、戦前は軍事施設が設置されていたところに、戦後、建設された都営住宅で、今残っているのは、1970年代に立て替えられた鉄筋コンクリートの高層住宅になります。近くには箱根山を中心とした戸山公園があったり、図書館、郵便局、幼稚園、小学校もあるというマンモス団地なんですが、高層住宅が多い分、それほど古い感じはしないです。あと、似たような形の建物が多く、敷地もかなり広いので、なんとなく歩き回っているうちに、もういいかな、という気分になってしまいました。普通に公園で家族連れの人たちが、遊んでいたりするし、実際はどうかわかりませんが、普通のマンションとあまり変わらないかも。転んだのか頭から血を出して老人が人に囲まれてて、救急車を呼んでいたりしましたけどね。
でもこういう団地ってWebで調べたりすると、たいてい外国人がたくさん住むようになったとか、年月が経って住んでいる人が高齢者ばかりになった‥‥みたいな書き方をされているけれど、わたしが歩いている印象だと、どこもわりと普通に公園で子どもたちが遊んでいたりして取り残されている建物、みたいなイメージはそれほどないです。お年寄りはあまり外に出ることもないだろうし、実際はどうなんでしょうねぇ。

■それから、今回は行かなかったけど、隣の東新宿には、軍艦マンションというのがあって、子どもが生まれる前のことなので、もう10年くらい前になると思うのですが、大久保の健保会館で会社の人10人くらいで、中華を食べて、そのあと散歩がてら、見に行ったことがあります。中まで入って歩き回ったり、途中の階のちょっと空いているスペースから上を見上げたりしました。どこかの部屋から爆音で音楽が流れてきたりしてましたね。その頃も、もう部屋自体をリフォームして、若い人たちなどが入居し始めてたりする記事が出ていたり、リフォームした部屋の内覧の案内が出たりしていたけど、今はどうなってるんでしょうか。次に同じ場所で大会が行われたときはちょっと見に行ってみたい。

「白いプラスティックのフォーク」-片岡義男-

-■戦後の幼年期に、ハワイに住む祖父から送られてきた缶詰やお菓子の話から大学時代、そして現在までの食体験をつづったエッセイ集。キャンベルのスープ缶、びん入りのマヨネーズ、ハーシーズのチョコレート、スニッカーズ、ジェロ‥‥など、戦後の日本の状況やアメリカとの関係などと絡めた幼年期のエピソード中心になっている。片岡義男の場合、日本とアメリカが自分のルーツとして並列で存在していて、どちらがどうということがなく、両方をわりと客観的にとらえているところが読んでいておもしろい。
たまたまこの後、田中小実昌のエッセイを読んでて、戦後に中国から戻ってきてストリップで働きはじめたり(まだストリップという言葉はなかった)、米軍将校のお店でバーテンをしたり、的屋を始めたりしたことが書かれてて、年齢も境遇もまったく違うのだけれど、同じ年代をつづったものとしてなんとなく比較してしまったりする。二人ともどんな境遇になっても悲壮感がないのが共通しているので、どんな時代の話でも重くならずに読むことができる。
これが山口瞳だったら悲壮感の塊みたいになるわけで‥‥(それはそれでおもしろいんですけどね)

-■年末からコーラスものを中心にイージリスニングばかり聴いている。ジョニー・マン・シンガーズ、レイ・チャールズ・シンガーズ、アニタ・カー・シンガーズ、フラバルー・シンガーズといった○○シンガーズというグループだったり、○○シスターズ、○○ファミリーだったり、インスト中心のレコードでも、クレジットにコーラスが入っているものをチェックしてしまう。クリスマスの時期など、冬の夜に小さめの音で流しているといい感じなのですが、各グループで大きな個性があるわけではないので、聴き続けているとちょっと飽きてきて、ハイローズやシンガーズ・アンリミテッドなど、もっとうまいコーラスや、アーバーズのようなソフトロックに近いテイストのものに変えてみたりしている。
でも、コーラスものを聴いていて結局思うのは、ジャズの色合いが近いものやイージーリスニング的なもの、そしてソフトロックぽいものなどその時の時代の音にあわせつつも常に最高のコーラスを聴かせてくれるフォー・フレッシュマンが一番、最高だなってことですね。ちなみにフォー・フレッシュマンは、1948年に大学の新入生だった4人で結成され、2年に進級することなく、大学ではフレッシュマンのままだったそうですが、メンバーチェンジを繰り返しながらいまだにグループとのしての活動が続いているようです(オリジナルメンバーは1993年まで在籍していたらしい)。在籍メンバーはのべ26人!そして今年は結成70周年!がっかりするかもしれないけど、いまのフォー・フレッシュマンの歌もちょっと聴きたくなりますね。

「藁屋根」-小沼丹-

-■電車の中や一人でごはんを食べる時はできるだけ本を読むようにしている。特に電車の中はちょっと混んでるとついスマホを見てしまいがちなので、そこは流されないようにしつつ、隣の人を少し押してでもカバンから本を出す。
とはいうものの、役に立つ本とか読んでいるわけではなく、基本的に暇つぶしの娯楽なので、実際、どちらを見ていても大きな差はない。選択の問題ですね。というわけで、今年に入ってからわりといいペースで本が読めているような気がします。この雑記のほうも、去年、書きそびれた本をさかのぼるのではなく、基本的には今読んだ本について書いていきつつ、過去の本も交えていくという形にしようと思います。で、今年一番初めに読んだ本ってなんだっけ?と思ってツイッターをさかのぼったら、小沼丹の「藁屋根」でした。期せずして小沼丹が続いてしまった。

■「木菟燈籠」の時も書いたけど、「藁屋根」も年末に講談社文芸文庫から文庫版が出たので、年末年始に読もうと思っていたら、文庫本よりも安い値段で単行本を発見。記憶が正しければ「木菟燈籠」を買った古本屋さんと同じところ。気が早い古本屋。
内容も大寺さんの若い頃の話、谷崎精二を中心とした作家たちとの交流を描いたもの、そしてチロルやミュンヘン、イギリスを訪れた際の紀行文が収録されている短篇・随筆集で、「木菟燈籠」と同じといえば同じ。そしてこの本でもやはり大寺さんものがおもしろい。
特に大きな出来事が起こるわけでもなく、大寺さんと奥さんの日常が描かれているだけなのですが、ちょっとした不思議な縁で繋がったり、大寺さんが見る光景が少し現実離れする瞬間があったり、登場人物たちの会話のあいだで「え?なんでその表情?」みたいな描写があったりしてひっかかってしまう。特に大寺さんの話に対する奥さんのリアクションが不思議。奥さんが変わった人というわけでもなく、9割は普通の夫婦のやり取りが描かれているし、不思議といっても目立ったリアクションが描かれているわけでもないので、うまく説明できない。気になったところを引用すればいいんだろうけど、面倒なのでやりません。引用しても伝わるかどうかもわからないし。
あと、昔、銀行だったお屋敷の2階や小学校の片隅などに住んでいるという設定が、日常を描いているのにどこか非日常ぽいという全体の雰囲気を方向づけていると思う。

■1月の初めにNHKのBSプレミアムで再放送されたスティーヴ・ライヒの80歳記念コンサートを録画して、週末にシャツにアイロンをかけたりしながら少しずつ見てる。反復されるフレーズを聴きながら演奏者の動きを見ていると、ついでテレビのほうに夢中になってしまうくらいおもしろい。実際にここの演奏者がどういう風に演奏しているのかはわからないけれど、手の動きが入るが音を補足してて、音だけを聴いているよりも曲の構造が分かるような気がする。いや、ほんとうは全然分かってないんだけど、そういう錯覚してしまう感じがいい。実際に演奏されている音を聴いたら、ホールでの響きも合わさってまた違ったように聴こえるんだろうな。一度でいいので聴いてみたい気もする。年齢的にスティーヴ・ライヒがまた来日することはないのかもしれないけど。でも、手の動きなしで遠くで大きなアクションなどもなく小さく演奏している人を見ながら、これらの音楽を薄暗い中で聴いていたら絶対寝ちゃうと思う。
そういえば、1990年にステファン・グラッペリが初来日した時に、80歳を超えてるので年齢的にこれが最初で最後の来日になるかも?という紹介がされてたのに、その後、亡くなる直前くらいまで何回か来日してて、ステファン・グラッペリすごい、と思ったことを思い出した。でも、来日するたびに行きたいと思いつつ、結局行けなかったんですけどね。

「木菟燈籠」-小沼丹-

-■去年の年明けくらいに神保町の古本屋を回っていたら、この本が安く売ってて、小沼丹の本も安くなったなぁなどと思いながら購入。あとで調べたら、講談社文芸文庫から文庫版が刊行されてたので、その影響なのかもしれない。でも講談社文芸文庫は、新刊の単行本と同じくらいの値段なので、それよりも安くする必要はないんじゃないかと思うので、関係ないかもしれない。ちなみに去年の年末には「藁屋根」が講談社文芸文庫から出て、買わなくちゃと思っていたところに、手ごろな値段の単行本を見つけたので、講談社文芸文庫からいろんな本をどんどん出してほしい。
逆に木山捷平の「酔いざめ日記」は、誕生日のプレゼントにミオ犬からもらった1週間後くらいに単行本を見つけて、失敗したと思った例。でもかなりボリュームのある本なので、文庫本のほうが持ち歩きやすいし、読みやすくてよかった、と、自分を納得させてる。まぁ文庫本をもってたって単行本も買っちゃえばいいじゃんという話ですが。CD持ってたってアナログが安く売ってたら買っちゃうわけで。

■さて、話を「木菟燈籠」に戻すと、表題は、教師を辞めて小鳥屋を始めた教師仲間のことを描いた作品。その小鳥屋の店先に置いてあった木菟燈籠の顛末が描かれている。そのほかに師匠の井伏鱒二のことや妻の入院について、そして小沼丹の作品に欠かせない大寺さんものなども収録されてる。収録されている作品に統一感はないけれど、どれも飄々とした文体で読んでいると落ち着きます。大寺さんものはいろいろな単行本にばらばらに収録されているので、大寺さんものだけをまとめた本を読んでみたいと前々から思ってるけど、実際、まとまった本を読んだらどんな感じなのだろうか。別々の本でときどき出会うことによって、気分的におもしろさが増しているという気もしないでもない。

-■先週の東京は雪。朝、駅に向かう時から雪が降り始めて、昼くらいには本格的になり、夕方にはかなり積もるという感じでした。こんなに雪が降るのは3年ぶりくらいかな。台風は特にテンション上がることはないけれど、雪が降っているのを見るとなんとなくテンションが上がるのは、雪の少ない神奈川~東京で育ったせいでしょうか。別に雪だるまやかまくらを作ったりするわけではなくて(むしろ生まれてから雪だるまやかまくらを作った経験なんてほとんどない)、普段見ている景色が変わるのを見てるだけで楽しい。さすがにいい大人なので、次の日に会社休んでどこかに出かけたりはしないけど、ほんとうは、裏道のたくさんある街に出かけて行ってうろうろしたいと思う。歩き回って体が冷えたら喫茶店でコーヒー飲んで暖まったりしてね。

-■そんな雪が降ったあとの週末に北海道から友だちが遊びに来て一緒にごはんを食べたり、伊千兵衛でやっていたサウンドマナーに行ったりしました。東京が寒いと言っても札幌に比べれば寒くないよと言っていたけど、7年くらい前かな、その友だちが東京に来てうちに泊まった時も、たしか雪が降ってた。
その友だちは、90年代の終わりころに、Club Heavenで知り合ったんだけど、20年近く経って、Dropから変わった伊千兵衛でのイベントに行くというのもなんだか不思議なタイムスリップ感がありました。ただ残念なことにイベントにはその人を知っている人は来てなかったんですけどね。伊千兵衛は、一時期イベントをやってなかったのですが、最近ギターポップなど、昔のClub Heavenからつながっているようなイベントが多くなってきてるのに、サウンドマナーという不思議な曲ばかりかかるイベントだったので、楽しんでもらえたかどうかはわかりません。やなぎはらさんがかけるアジアの曲にかなり反応してて、「今東京ってこういうのがはやってるの?」って言ってましたが、まぁ流行ってません。やなぎはらさんだけです(笑)。

「彼とぼくと彼女たち」-片岡義男-

-■エッセイとショートストーリーが交ざっているのだけれど、エッセイのほうもどこかフィクションの部分があるような気がしてその境界線はあいまい。もちろんフィクションの中にも片岡義男の実体験が混ざっているのだろう。不思議な雰囲気を持っている本。1983年に晶文社から出ているのですが、1983年と言えば、角川から次々と作品が発表され、そして映画化された時期で、そのイメージを保ちつつ、ある意味、実験的なことをしてみたともいえるんじゃないかな(そんな大げさでもないか)。そもそも角川から出た作品も、コミックのような世界を小説で描いたらどうなるのかという試みだったと、どこかで書いていた記憶があるので、本人としては常に新しいことに取り組んでいる認識なんだと思う。でも描かれている内容がライトなせいでそういうイメージはないのがもったいない。といっても、わたしも片岡義男はエッセイばかり読んでいて、小説はまったく読んでません。

■でも昔の中間小説とか読んでると、けっこうたあいもない話でストーリーもご都合主義だったりするわけです。所詮、小説なんて娯楽の一つなのでそういうものでいいんじゃないかと思います。なんかみんな本を読むということに対して、リターンを求めすぎなんだと思う。読んでいる時間を楽しめて、その後、ちょっと余韻があればそれだけでいいんじゃないかと。この間、本屋に行ったら人生が変わった本のコーナーがあったけど、本を読んで人生が変わるとかまぁどうでもいい。もしかしたら変わるかもしれないけど、それは単なる結果だし、実際、そんな本は、何百冊読んで1冊出会えるかどうかなので、それをその確率に期待するよりも、単にその時に自分が楽しめるかどうかで本を選んで読めばいいんじゃないですかねぇ。
それにしても片岡義男の本に出てくる女性は自立していてきれいな人ばかりだな。

-■年末に紅白歌合戦を見ていたらABK48が「11月のアンクレット」という曲を歌ってて、「めちゃくちゃナイアガラサウンドじゃん!」と一人盛り上がってしまったのですが、はじめてAKB48のCDまで買ってしまいました。この間、ネットのニュースで、やっぱりまだまだテレビの影響力は大きいという見出して、紅白後に出演者のCDの売上げが上がったという記事が出てましたが、中高年の典型ですね。といってもブックオフで280円。まぁもう少し待てば100円になりそうなので、高い気もするけど、まぁいいかな、と。あとAKBっていまだに収録曲が違うやつが何種類も出てるみたいですけど、ほかの曲はどうでもいいので適当。実際、「11月のアンクレット」は一回聴いてみたけど、もう聴かないと思う。

■で、買ってよかったと思うのは、ヴォーカルオフのバージョンが入ってること。こればっかり聴いてる。いや、「幸せな結末」と交互に聴き続けてる。ストリングスもそうなんだけど、ピアノやギターの音色やフレーズが完全にナイアガラ。で、カスタネットも入ってきちゃうし、途中ではいる手拍子も山下達郎の「ヘロン」にしか聴こえないです。ヴォーカルオフばかり聴いてるのは、ヴォーカルが大勢なのでバックの音が隠れちゃうんですよね。おまけにコーラスも入ってるわけで、ヴォーカルは一人じゃないと、バックの音との相乗効果が出ないんだな。あと、仕方ないのかもしれないけどドラムが軽い。流行のアイドルなんでいろいろ注文つけてもしょうがないですけど。これのヴォーカルあり、なしで7インチが欲しい。
これを買ったのが金曜だったんですけど、もう少し早く買っていたら、土曜のDDCFの新年会パーティの選曲がナイアガラ~アメリカンポップスになってましたね。実際にかけた曲とどちらが盛り上がったかはわかりませんが。

「冬の本」-夏葉社-

-■青山南、天野祐吉、武田花、北澤夏音、高山なおみ、堀込高樹、小西康陽、山田太一、又吉直樹など82名による冬に読んだ本。冬になると思い出す本など、冬にまつわる話を集めたエッセイ集。見開き2ページずつで、執筆者が幅広く、収録順も五十音順になっているので、雑誌の小さなコーナーを読んでる感じでサクサク読めます。一冊の本としてもコンパクトにまとまっていると思う。でもあっという間に終わってしまうので、もう少し読み続けたいと思うものもあったり、1000文字ではどこかまとまりきれてなくて、もう少し文字数があったら面白くなったのにと思うものがあったりして、ちょっと物足りない部分もあるかな。
しかし「春の本」でも「夏の本」でも「秋の本」でもなく「冬の本」で、見開き2ページというのがいい。書かれている内容とは関係なく、その体裁だけで気持ちがピンとする気がします。

■去年はあまりギャラリーや美術館に行けなかったし、写真集などもほとんど買えなかったので、今年はできるだけ足を運びたいなと思って、金曜、定時にあがって恵比寿のpostでやっているホンマタカシの写真展に行ってみました(ほんとうは写真美術館でやっているユージン・スミスの写真展に行こうと思っていたのだけれど、時間的に無理だったのです)。
今回展示されているエド・ルシェへのオマージュシリーズは、エド・ルシェの写真の構図そのままに写真を撮るという試みとのこと。シリーズ自体は2014年にスタートし、すでに5回目になるそうです。今回は、アメリカのガススタンドを撮影した「TWENTYSIX GASOLINE STATIONS 」、タイプライターを車から投げ落とし、その破損状況を記録した「ROYAL ROAD TEST」、洋菓子とその重量を淡々と記録した「BABYCAKES」の3冊が刊行され、それらに収録された写真が展示されています。エド・ルシェの写真集も置いてあり、展示されている写真の元になった写真がどれなのか分かるので、エド・ルシェを知らなくても楽しめました。

■これってホンマタカシの「たのしい写真―よい子のための写真教室」に書かれていたことの実践になると思うのですが、本のほうもエド・ルシェの写真集と同じ綴じ方、装丁になっていたりして、どちらかというと見るというより、たとえ実際にやってる人たちのほうがおもしろがってるのではないんでしょうか。プロによる真剣な遊び、ですね。
ホンマタカシって「東京郊外 TOKYO SUBURBIA」のイメージが強いけど、波やきのこを被写体にしたり、まるで自分の子どもの記録のような写真なのに実は友人の子どもという、見る人を混乱させるような作品があったり、街の一角にあるホテルや高層建築物などの一室をピンホールカメラ化したり、カメラ、そして写真で遊んでて、イメージが固まらない。いや固まろうとするのを常に交わしていておもしろい。これほど活動内容が一貫していない写真家もめずらしいんじゃないかな。その辺で評価がかなり分かれそうだけど、わたしはけっこう好きです。

■ちなみに「冬の本」でホンマタカシが取り上げているのはマーリオ・リゴーニ・ステルンの「雷鳥の森」で、猟解禁前夜の猟師についてつづっている。ホンマカタシの写真を見ている人がこれを読んだら、あの写真や映像が頭に浮かんできますよね。