「続 飲み・食い・書く」-獅子文六-

気分的にはその前に「饗宴」を読んだばかりだし、獅子文六の随筆もまとめて読んだばかりなので、しばらくいいや、って感じではある。獅子文六なら随筆ではなくて小説の方を読みたい。でもこういうときに限って100円コーナーの片隅にこういう本を見つけたり、気を抜いてほかに読む本がない、なんて状態になったりする。読み始めるとおもしろいんだけれど、もう少しお腹がすいた状態のときに・・・・という気分がつきまとってしまうのはしょうがない。
なんてことを考えつつ、井伏鱒二の「多甚古村」と平行して読んでいたら、久しぶりに中華街へいくことに。獅子文六の本を中華街へ向かう東横線の中で読む、なかなかいいシチュエーションではないか、と、一人納得してみたり・・・・。

明治26年、横浜出身の獅子文六は、幼い頃から中華街で遊んだり、ときには中華料理を食べたりしているのだが、明治から大正の頃の中華街というのはどんな街だったのだろうか。そもそも横浜という街はどんな街だったのだろうか。獅子文六の随筆にも、ホテルニューグランドは外国人しか入れなかった、など断片的には当時の様子が書かれているけれど、東京生まれの作家がこぞって、昔の東京について書いているのと違い、横浜についてのそういう回顧録やみないな本はあまりないような気がする。横浜出身の作家を私が知らないだけという理由もあるけど・・・・。大正時代の横浜を舞台とした小説とかも今度探してみることにしよう。

「ぼくのニューヨーク地図ができるまで」-植草甚一-

例えば今の若い人たちに、植草甚一という人はどのように受け入れられているのだろう。去年の9月からスクラップブックが再発されていて、時々本屋で平積みされているのを見かける。やはりある程度は売れているのだろうか、よく分からない。自分が興味をなくしてしまっただけなので、知らないところで意外と盛り上がっているのかもしれない。なんだか、私より少し下の世代で1990年代の半ばに植草甚一がブームだったときに、絶版で手に入れられなかった人たちが、まとめて買っているだけじゃないだろうか、という気もしないでもない。ほんとは持っていない分を再発で埋めてコンプリートにしたいところなのですが、実家に送ってしまってある──しかも冷蔵庫の裏に段ボールに入れたままで仕舞われているらしい──ので、自分がどの本を持っているのか正確に分からないという・・・・。

もうちょっと書くと、アメリカの雑誌を英語で直接読んで、今アメリカでどのようなムーブメントが起こっているか、なにが新しいか、なにがおもしろいか、ということを紹介するという行為に、今、どのような価値が価値があるのか分からない。そういうアメリカでの最先端の出来事や物事に価値があったのは、1980年代──おそくとも1990年代はじめ──までなのではないだろうか。そういうふうに思ってしまうのは、私の年齢のよるものなのか、世の中全般がそうなってきているのかは分かりませんが、少なくともCDのレビューなどで、“洋楽的な”とか“同時代性”といった言葉を見かけることがなくなったような気がします。

さて、この本は、何年か前に、“実際にその土地に行かなくても読んで楽しめる旅についての本”を集めようと思ったときに、西荻の音羽館で見つけたのですが、3500円という値段に躊躇しているうちに売れてしまったという経験もあって、先日、古本屋見かけてつい買ってしまった(値段もそれほど高くなかったし)。
さすがにニューヨークに行って、植草甚一と同じようなコースで、ガラクタ市や古本屋を巡ってみようなどとは思わないけれど、旅先で見つけたものをを使ったコラージュも含めて、読んでいるだけで楽しい。ものへの執着やアメリカの文化に憧れていた若い頃に読んだら、また違った感想を持っただろう。話を戻すと、植草甚一のすごさは、時代的な要因もあったにせよ、どんなに歳をとっても、そういう“あたらしいもの”や“おもしろいもの”を探すために情熱を注ぎ続けられた、ところにある、ということを再認識させられました。

「饗宴」-吉田健一-

あとがきには

「昔書いた『饗宴』という随筆が中心になっているこの本の内容は、出版元の編集部の御好意によって集められたものである」

と書いてあるけれど、「あまカラ」に掲載された食に関する随筆をまとめたものだろうということ以外、実際にどのようなにまとめられたのかよく分かりません。初出も書いてない。ちなみに「饗宴」は昭和33年に発表された「舌鼓ところどころ」に収録されています。というわけで、前にどこかで読んだ文章が出てきたり、あるいは全体を読むと初めての文章なのだが、一部分だけ前に読んだ記憶のある文章が出てきたりします。そんなことは普段あまり気にしないのに、気になってしまったのは、

「最近、『教えて!goo』質問が減ってきているような気がする。それはWebの場合、前に書いた文章がいつまでも残るので、アーカイブがだんだん溜まってくると、質問する方も解答する方も、書き込む前に前のログを参照すればこと足りてしまうからだ。同じようにブログの日記も1年2年と経つうちに毎回書くことが同じになってしまい、廃れてしまうだろう」

という日記をちょっと前に読んだから。
一週間のうちに5日は会社に行って、しかもだんだん歳を取ってくると、ほんと毎日が、そして季節ごとが繰り返しになってしまい、日記なんて書くことなくなってしまう。それを防ぐために「読んだ本、買った本」についてというとっかかりでこの日記を書いているのだけれど、同じ作者の本を読み続けていれば、あんまり変わらなくなってしまいますね。そこで話を吉田健一に戻すと、逆に、同じとことを書いても違う文脈の中でだったり、違う結論に結びついたり、書き方を変えたりすることで、同じ文章でもそれをあまり感じさせないようにはできるわけだ。少なくとも吉田健一や山口瞳の文章にはそれがある、と思う。

ついでに同じこいえば、3月21日。今年は「Niagara Moon 30th Anniversary」らしい。1995年に「Niagara Moon」ほかナイアガラレーベルの作品が再発されてから、毎年、Anniversaryを繰り返しているような気がします。去年は「EACH TIME 20th Anniversary Edition」だったので、これから10年間また続くんだろうか。今回も新曲(?)、未発表曲、リズムトラックとボーナストラック満載。とりあえず買わねば。私と同じくらいの歳のナイアガラファンは、中学くらいの時にソニーから過去のアルバムが再発されたり、ボックスセットが出たりしていて、でも中学生なのでそんなに買えるわけでもなく、大学くらいになって買えるようになったらものすごく高くなってしまってた。という経験を持っているので、どうしても買っておかなくちゃという気分になってしまう。最近は、アナログにこだわらなければ、時間が経っても普通にCD買えますけどね。
ところで大滝詠一は、なぜか今週のテレビブロスに清水ミチコと対談してます。しかも現在の姿の写真が!こちらも必見!

「パリのおさんぽ―パノラマでいこう!」-プロジェ・ド・ランディ-

「旅のカケラ-パリ・コラージュ」もうそうですが、パリってフォトジェニックな街なのだなぁ、と思う。「旅のカケラ」では、看板や標識、マンホールなど、ミニマムな視点で撮り集めた写真がおもしろかったし、こちらは通りや建物を大きく捕らえたパノラマ写真が楽しい。このほかにもちょっと視点を変えれば、もっといろいろな写真を撮ることができるかもしれない。私は特にフランスかぶれというわけでもないし、パリに行ったこともないし、近いうちにパリに行くという予定もないので、観光案内というよりも写真集として楽しめるかどうかが、買うかどうかの基準となるのだけれど、そういう基準で選んでもパリのガイドブック(?)はおもしろいものが多いような気がします。意外と写真がおもしろいアメリカの本ってないような気がします。やはり街の写真といえば、ヨーロッパなのだろうか。よくわかりませんが。別に街にこだわっているわけでもないんですけど・・・・。

ところでいつの間にかパノラマ写真ってなくなってしまいましたが、パノラマ写真が流行っていたのはいつ頃だろう?私は、昔から古いカメラばっかり使っていたので、パノラマの撮れるカメラを持っていなかったけれど、、写真屋さんにフィルムを持っていくと必ず「パノラマ写真は入っていますか?」って聞かれたし、小型のカメラにはたいていパノラマと普通の大きさとの切り替えがついていたような気がする。あれって結局フィルムの上下を切って写したものを大きなサイズで現像するから、現像代が高いんですよね。当時バイト先の仲間、10何人でバーベキューをしたときに、友達がパノラマで写真を撮りまくっていて、後で焼き増ししたら、ものすごい値段になってしまっていたのを思い出します。
この本に載っているパノラマ写真は、それとは違い、普通の写真をつぎはぎした形で、ところどころずれたりしていて、好みもあるだろうけれど、私は雰囲気が出ていていいと思う。ただちょっと素人っぽい。でもそれはこの本に限ったことではなく、最近の本――特にこういう旅行関係の本――は、「プロが撮った写真」というのが少なくなってきたよう思います。実際このくらいの写真なら、私でも何回か、あるいは何日かパリで過ごしたら、撮れるんじゃないだろうかという気がしてしまいます。それを“味”と取るか単なる手抜きと取るかは、それぞれなんでしょうけど、それならば、プロがちゃんと撮ったスナップ風の写真を載せるべきで、これが許されるのは、DTPが普及したせいなのか、それとも単なる不景気で予算が取れないだけなのか。イラストなどと違って、写真はカメラさえあれば誰でも撮れるものだからこそこだわって欲しいです。
ただそういうことを抜きにして、久々に切りあわせのパノラマ写真を見て、今度自分でもやってみようかな、と思ってます。

「大阪の宿」-水上瀧太郎-

いつか大正・昭和初期の文壇における学閥(というのかな)について――具体的に書くとまずは早稲田、慶応から、――きちんと調べてみたいと思っている。思いつくままに簡単に書くと、早稲田は、横光利一、正宗白鳥、井伏鱒二、尾崎一雄、広津和郎、小沼丹・・・・あと個人的には、稲垣達郎とか岩本素白も入れたいところ。それから慶応では、小島政二郎、久保田万太郎、池田弥三郎、戸板康二、そしてこの水上瀧太郎などがあげられると思う。早稲田、慶応のほかに、東大仏文というのも気にはなっている。といっても、太宰治とか芥川龍之介、山田稔、澁澤龍彦、大江健三郎くらいしか思い浮かばないが。しかもあまり脈絡がない。

水上瀧太郎は、大正15年に「三田文学」を復刊させた人物、そして明治生命専務取締役として実業家と文学者の二重生活を続けた人物として、慶応出身のさまざまな作家の回想録に書かれているのを読んで興味を持った作家。
東京山の手生まれの潔癖すぎるきらいのある主人公と、周りに住むどこかいい加減な大阪人との対比が強調されて描かれるこの「大阪の宿」は、明治生命の大阪支店勤務時代に書かれた作品。もっともこの前に書かれた「大阪」に比べれば、その潔癖さもかなり緩やかになっているらしい。確かに周りの人に振り回されつつも、一方で振り回されることを楽しんでいるような感じもうかがえて、それが、小島政二郎や里見弴のさばさばした性格とは違った山の手ッ子の気質が現われているようでおもしろい。個人的には、水上瀧太郎の書く東京を舞台とした東京人たちの話を読んでみたい。

「初舞台・彼岸花」-里見弴-

講談社文芸文庫のいいところは、巻末に年表と作品の一覧が載っていることで、この本でも、生涯に20以上の長編、300以上の短編、そして随筆や紀行文など、膨大な作品を残したという里見弴の作品がリストアップされていて、それを眺めるだけでもなんとなく楽しい。といっても手に入れられるのはその中のほんの少しだけですけど。ついでにアマゾンで里見弴の作品を検索してみたら「極楽とんぼ」「道元禅師の話」「多情仏心」「善心悪心―他三編」「文章の話」「安城家の兄弟」「今年竹」「里見弴随筆集」「桐畑」「雑記帖」「秋日和・彼岸花」と、この「初舞台・彼岸花」が表示されました。12冊、これを多い見るか、少ないと見るか。
でも教科書に載っているような一部の有名な作家ではない限り、戦前に発表された作品を気軽に読むというのは、もう不可能なんじゃないと思う。当時出た本そのものを手に入れるのは難しいだろうし、もし手に入れられたとしても、旧仮名遣いの本を読めるかどうかも怪しい。そうした本も終戦直後には復刊されたのだろうけれど、それから60年も経っているわけで、そのあいだに手に入らなくなっってしまった本が、これからまた復刊されるとは考えにくい。それにしても、こんな一覧を載せておいて「300以上の短編の中から8編を選んで収録」なんて言われてもなぁ、という気はする。

昨日は代休を取って久しぶりに銀座に行ってみた。ほんとうは3月3日から大丸ミュージアム東京で「チャールズ&レイ・イームズ」展が開催されているので、ついでにそれを見ようと思っていたのだけれど、有楽町の無印でお茶したり眼鏡を買ったりしていたら、時間がなくなってしまったためキャンセル。
実際、、今、この時点で、イームズというのは、どうなんでしょう?もちろんいつ見てもいいデザインだと思うし、こういうのを一過性の流行みたいにとらえるはイヤなんですけど、現実問題として、家具というプロダクトとしてイームズを考えた場合、イームズの椅子を日本の狭いアパートやマンションにいくつも置くわけにもいかないし、部屋に合うとも思えない。ものが実用的なものだけに、そう考えると、わざわざ展覧会にいってもねぇ・・・・という気分になってしまいます。私自身、なにかデザインに関わるような仕事をしているわけでもなく、そういう方面に才能があるわけでもなし・・・・。

「Stamp stamp stamp Europe」-塚本太朗-

切手収集というのは、子どもの頃誰もが一度は夢中になるものなのでしょうか。私は集めたことのがないので分かりません。子どもの頃、集めていたものといえば、キーホルダーと切符くらいかな。キーホルダーは遠足や旅行に行ったときに必ず買ってましたね。特になにかに付ける、といったことをしていなかったので、ただ厚紙の箱に入れっぱなしで、たまってくると金属なのでその箱が重くなってしまって、持ち上げたら底が抜けたのを覚えてます。
切符の方は、もともと父親が子どもの頃、駅員さんと親しくなって、貨物列車とかに乗せてもらったりしたときにもらったものがたくさんあったので・・・・。でも単に電車に乗るたびに改札を出るときに駅員に言ってもらったり、そのまますり抜けてしまったり、という感じなので、たいしたものはない。というか、二宮発(もしくは大磯発)のものしかない。なんでかというと、私が小学生の頃は、まだ二宮駅には自動発券機というものがなくて、隣の駅に行くときも窓口で切符を買っていて、その切符がまだ厚紙だったのです。集めるのなら厚紙の切符じゃないと感じが出ないし、そもそも自動発券機の切符って一年くらい経つと文字が消えてしまうので、集める意味がない。なので、いつだったか忘れたけれど、駅が改装されて、自動発券機になった時に切符を集めるのはやめてしまいました。といっても鉄道自体にはまったく興味もなく、近くに住んでいた従兄弟たちはNゲージとか買ったり、ブルートレインの写真を撮りに行ったりしていたけれど、私は一緒にそれで遊んだことも、行ったことも、ない。今、思うとなんで切符だったのかわからん。

さて、話を戻すと、この本は、デザインの良さやかわいさで選んだヨーロッパの切手を集めたもの。もちろん、古い切手や記念切手のように一時期しか手に入らないものもあるけれど、基本的にはものすごく手に入りにくいものが載っているのではなく、ちょっと前1990年代後半に発行されたものや、今でも普通に使われているものなどが多く載っているのがうれしい。これを見て切手を集めてみよう、なんて思う人がきっと多いはず。もしくはこれまで海外旅行に行ったときに、郵便局に行くなんて思ったこともなかったけれど、次に行ったときは郵便局をのぞいてみよう、と思うはず。ちょっと前にパルコのデルフォニックスで同じような切手の展覧会(?)もやっていたし、今、切手が流行っているののだろうか?
と、書いていて思い出したのだけれど、、一昨年の12月にロンドンの骨董市に行ったときに、乗り物や建物、動物・・・・など、絵柄にあわせたテーマで何枚か束になっている切手が売られていて、カヌー犬ブックスのプレゼント用に買いましたね。ロンドンのおみやげプレゼント企画って結局やらなかった気がするし、あれって今はどこに?

「集金旅行」-井伏鱒二-

荻窪にあるあるアパートの主人が死んで、小学生の男の子がひとり取り残された。主人と親しかった主人公は。部屋代を踏み倒して逃げた人たちから勘定を取り立てるため、昔の恋人に慰謝料を請求する年増美人と一緒に、岩国、下関、福岡、尾道、福山と集金旅行に出る・・・・という話。
といっても取り立てに手こずるようなトラブルもなく、どちらかというと主人公たちとその土地で出会う人々とのやりとりがおもしろく、紀行文(というとちょっとおおげさかも)としても読めます。小説なんてそんな大げさではなく、こんなちょっとした話に、ちょっとした+αがあればいいんじゃないのかな。もちろん文章自体の魅力というのもあるけれど。ちなみに1957年に佐田啓二、岡田茉莉子主演で映画化されてます。

土曜日は午前中から表参道へ。で、用事が済んだ後に、ドラゴンフライカフェでキッシュを食べて、カウブックスをのぞいて、近くの雑貨屋(名前は忘れた)でパリのフローディングペンを買って、ギャラリー360°で、「日本の60年代のグラフィック」を見て、ロンズデイル、ブックオフといつもの道を歩き、明治通りから渋谷に出たのだが、スーツに革靴のせいか、荷物が重いせいか、太股がすでに筋肉痛。普段、私服で会社に行っているにしても、会社員としてそれはどうなんですかねぇ。

「吟味手帖」-小島政二郎-

雑誌「あまカラ」のせいで、なんとなく小島政二郎というと食べ物に詳しい、食通というイメージがあるけれど、久米正雄に「小島なんか、鼻ッつまりじゃないか。鼻ッつまりに、物のうまいまずいが分かってたまるものか」なんて言われていたとは。とはいうものの、日本のあちらこちら出かけていっておいしいものを求めるさまを読んでいると、ほんとうにたべることがすきなのだなぁ、と思う。もちろん“好き”なだけではないのだろうけれど・・・・。今の世の中なんて小島政二郎に言わせれば、まずい食材に過度に人工的な手を加えたどうしようもないものばかり、ということになるのだろうか。いや、食べ物だけでなく、空気までまずいと言われそう。

こんな本を紹介しつつ書くのもなんですが、日曜日に中目黒にあるくろひつじにジンギスカンを食べに行ってきました。倉庫を改装したという店は、古い木の柱や窓など、ところどころにその面影を残しつつ、高い天井と大きく取られたガラス窓、白いテーブル・・・・など、一見するとここでジンギスカン?と思ってしまうくらい。入り口にある上着や鞄を入れるロッカーなどもカラフルで、でもきつい印象を与えることのなくていい感じ。
その印象とは逆に、メニューはジンギスカン、追加肉、追加野菜、ライス、キムチ、あとはソフトクリームとドリンクのみ。肉の方も一般的にジンギスカンに使われる生後1歳未満のラム肉ではなく、生後1~2歳未満のマトンを使っているとのこと。帽子のようにまんなかが盛り上がった鉄板で、やわらかいお肉を焼きながら、昼間からビールを飲んでいると、いくらでも食べられそうな気分になってしまいます。隣でどこかのお店の店員らしき男の人が2人いて、まるで定食のようにガンガンお肉や野菜を焼いていたのもなんだか今の中目黒っぽい。
私は鼻ッつまりなんでぜんぜん気がつきませんでしたが、帰りに渋谷に寄って、タワーレコードのエレベーターに乗ったら、すごい羊の肉の匂いがしていたそうです。

「婚約」-山口瞳-

3月になっても寒い日が続いていて、なかなか春らしい暖かい日は来ない。しかも今日の夜から明日にかけては雪が降るらしい。まだ外は薄日が差しているという感じだけれど、どうなのだろう。

ここ一年はいろいろなことをどうもマイナス方向に考えがちだったような気がする。そしてそのマイナス方向が、どうも山口瞳の作品とマッチしていたような気もする。あいかわらず「血族」や「家族」を読む勇気はないけれど、解説では、大衆文学から純文学への移行期に書かれた作品と評されているこの短編集も、気むずかしい、悲観主義的な主人公(≒山口瞳本人)の様子が、文章や会話のあちらこちらに描かれて、全体を覆うトーンはグレーだ。黒ではないところが山口瞳らしいと思う。自分の心情としては黒なのだが、白の気持ちも分からないではない、そんな黒と白のあいだを行き来しているうちに、どんよりとしたグレーに染まってしまう。そんな感じ。

しかしどんなに寒い日が続こうともいつかは春になり、暑い夏が来るわけで、私たちはそれを待ち続けるしかない。ただいつ春になってもいいようにその準備をきちんとしておくことは大切で、それがないと単に暖かくなっただけになってしまう。そして私はまだ山口瞳の最後の文章を読んでいないけれど、「血族」や「家族」を書いた後に、山口瞳にとっての春は訪れたのだろうか。