気分的にはその前に「饗宴」を読んだばかりだし、獅子文六の随筆もまとめて読んだばかりなので、しばらくいいや、って感じではある。獅子文六なら随筆ではなくて小説の方を読みたい。でもこういうときに限って100円コーナーの片隅にこういう本を見つけたり、気を抜いてほかに読む本がない、なんて状態になったりする。読み始めるとおもしろいんだけれど、もう少しお腹がすいた状態のときに・・・・という気分がつきまとってしまうのはしょうがない。
なんてことを考えつつ、井伏鱒二の「多甚古村」と平行して読んでいたら、久しぶりに中華街へいくことに。獅子文六の本を中華街へ向かう東横線の中で読む、なかなかいいシチュエーションではないか、と、一人納得してみたり・・・・。
明治26年、横浜出身の獅子文六は、幼い頃から中華街で遊んだり、ときには中華料理を食べたりしているのだが、明治から大正の頃の中華街というのはどんな街だったのだろうか。そもそも横浜という街はどんな街だったのだろうか。獅子文六の随筆にも、ホテルニューグランドは外国人しか入れなかった、など断片的には当時の様子が書かれているけれど、東京生まれの作家がこぞって、昔の東京について書いているのと違い、横浜についてのそういう回顧録やみないな本はあまりないような気がする。横浜出身の作家を私が知らないだけという理由もあるけど・・・・。大正時代の横浜を舞台とした小説とかも今度探してみることにしよう。