「日本のよさ」-吉田健一-

日本のよさとかわるいところとか考えていると、いやな気分や憂鬱な気分になりがちなので、あまり考えたくないというのが本音。加えて私の少ない知識で、歴史等について中途半端なことを書くのもどうかと思うし、カヌー犬ブックスの雑記としてもどうかと思うので書かない。いや書けない。けれど、ときどき疑問に思うのは、あれほど戦争は悪いということを主張しつつ、いまだに歴史の教科書で戦国武将を英雄扱いするのはどうゆうことなのだろうか、ということだったりする。国内だったら戦争をしてもかまわないということなのだろうか。まっどうでもいいんですけど。

さて、昼間少し時間が空いたので、ギンザ・グラフィック・ギャラリーでやっている和田誠のグラフィックデザイン展を見に行く。今まで何度も行きたい展覧会があったにも関わらず、ギンザ・グラフィック・ギャラリーに行くのは初めて。なのに、行ったことがある気分で銀座の街を歩いて行って、たどり着いたのは資生堂ギャラリー。すっかり勘違いしてました。慌てて本屋で場所を調べたら、資生堂ギャラリーから近くだったので良かった。
和田誠のイラストやデザインに関しては、失礼だけれど、ものすごく好きという人は、おそらくあまりいないのではないか、と思う。でも嫌いという人もいないのではないか、と思う。展示されているポスターや装丁、表紙、ロゴマークなどを眺めていると、どれもクオリティは高いし、本人のイラストを使用していないデザインだけのものでもうまい。そしてどの時代の作品も平均点はものすごく高い。それからこうして並べて見るとさまざまな手法を使った幅広い作風のものがある一方で、あまり時代に左右されていないということに気がつかされます。その辺が思い入れにくい部分なのかなぁ。好きだけれど、好きなデザイナーは?、と聞かれたら違う人を挙げてしまうだろうなぁ。
会場には和田誠本人もいて、インタビューを受けていたので、ついその言葉に耳を傾けてしまい、気がつけば30分以上会場をうろうろしてしまいました。ついでに書くと、NHKのテレビカメラも入っていたのですが、「50年近くイラストやデザインを手がけてきたことを1分で語れなんて無理だ。だからテレビは嫌いなんだ。」などと怒鳴られていました。

「ハリーのセーター」-ジーン・ジオン-

「どろんこハリー」「うみべのハリー」に続いてハリーシリーズも3冊目。これでそろったと思ったら「ハリーのだいかつやく」という本もあるらしい。定価で1000円くらいなのだからわざわざ古本屋に並ぶのを待たないで、新品で買えばいいのでは?と、自分でも思う。実際、パルコブックセンターの絵本売場に行けば、「ハリーのだいかつやく」も見つかると思うけれど、新品で買うことがほとんどないのは、「明日の電車の中で読む本がない」というようなせっぱ詰まった状況にならないから、ということと、実際には頻繁にそれらの本を読み返すこともないから。子供がいたらちょっと違うのかもしれないけどね・・・・。

それからこれは絵本に限ったことではなくて、普通の本やレコードに関しても同じことが言えるのだけれど、購入する優先順位を古本屋さん(中古レコード屋さん)に決めてもらっている、という面もあります。前述したようにパルコブックセンターに行けば、「ハリーのだいかつやく」はあります。でも同じように堀内誠一や柳原良平、プロヴェンセン、ロジャー・ディボアザン・・・・といった普段欲しいと思っている絵本も同じように置いてあるわけで、そうなると絵本を買うお金もそれを置くスペースも限られている私としては、どの本を買っていいのか分からなくなってしまうのです。そういう優柔不断な性格もあって、古本屋(中古レコード屋)で出会った本(あるいはレコード)を順に買っていくというスタイルに落ち着くわけですね。
だからレコードに関しても、あるミュージシャンのレコードをコンプリートにそろえているということも、名盤と言われている、あるいはベーシックなレコードをきちんと買っているということもなく、コレクションとしてはいつまで経っても不完全なままなんですけど、まぁそういう性格なのでしょうがない。もちろん今、絶対に欲しいと思うものは、新品で買いますよ。その基準については、またいつか書こうと思います。

「子午線を求めて」-堀江敏幸-

「現代詩手帖」や「ユリイカ」に連載されたコラムを中心に、セリーヌと1980年代のロマン・ノワールの関係を探った文章などを加えてまとめられた本。文字数の決まった短めのものと論文ともいえる内容のものなどがバランスよく並べられていて、それがいいテンポになっている。

中でも、パリの郊外を舞台としたロマン・ノワールを考察し、同時に自身の「郊外へ」につながる文章が特に興味深い。私は、ロマン・ノワールはもとよりフランス文学やフランスの移民問題などに疎いので、書かれていることのほとんどは理解できておらず、そういえばゴダール「はなればなれ」では、主人公たちが大金を強奪するのに川を行ったり来たりしていたことを思い出したりしました。(ちゃんと調べてみたら大金のある叔母の屋敷が郊外で、主人公たちのアパートがパリの市内という構図でした)
ただし郊外における移民やその二世、教育、犯罪・・・・といった問題を取り上げてはいるものの、問題の提起や告発を主題としている訳ではないことはいうまでもなく、どちらかといえば、中心における居心地の悪さを感じて周辺(郊外)に移動していったらそこに問題があった、といったほうがあっている気がします。そして「中心に対する理由の分からない居心地の悪さ、そして周辺への逃避・移動、そこに留まることへのこだわり」は、堀江敏幸の作品に共通するテーマの一つであると思う。

「取材旅行」-井伏鱒二-

定期入れをなくした。月曜日に駅でいらなくなったパスネットを捨てて、荷物が多かったのでリュックのポケットにパスケースを入れられず、違うところに入れたところまで憶えているのだが、部屋中探してみても、ない。ジーンズのポケット、テーブルの下に重ねてある本の間、CDラックの隙間、部屋の鍵置き場、靴箱・・・・思いつくところを探してみても、ない。定期が入っていたわけではなくて、SUICA(残り2000円くらい)とパスネット(残り900円くらい)を入れていたので、合計でも損害額としては3000円くらいなんですけど、パスケースをなくす、なんてことは、高校に入った時に初めて定期を持って以来、初めてのことなので、すこしショックでもある。
部屋の中に思い当たるところがないので、とりあえず最寄り駅で聞いてみることにする。駅員の話では、「2、3日前にSUICAの入ったパスケースを拾ったのだが、明大前にある拾得物取扱所に送ってしまった」とのこと。問い合わせ先が書いてある紙を受け取り、ほっとした気持ちで家に帰り、さっそく取扱所にかけてみると、「該当するような落とし物は見あたらない」との答え。「でも渋谷駅発行のSUICAが入っているのでJR渋谷駅に送った可能性がある」と。ちょっとがっかりしつつ教えられた問い合わせ先に電話。それまでの経緯を話し特徴を告げると、確認して折り返し電話してくれるということ。なので、たまっているシャツのアイロンがけをしながら待っていると、しばらくの後、電話があり、担当者が検索してみた結果、該当するものはなかったらしい。これはスタートに戻ってもう一度部屋の中を探す必要があるわけで、頭の中であのときの行動をもう一度辿りつつ、アイロンがけに戻る。が、どこに置いたのかまったく思い出せない・・・・。たかが3000円だし、なんだかだんだんどうでも良くなってきて、なかばあきらめかけていたところ、シャツのポケットからなくしたパスケースが!そう、リュックのポケットにもジーンズのポケットに入れられず、シャツのポケットに入れたのでした。それで、そのまま洗濯してしまったらしいのだが、干す時にも全然気がつかなかった・・・・。
結局、問い合わせに答えてくれた担当者を振り回しただけ、という話でした。まっ見つかって良かったです。

「へっぽこ先生その他」-永井龍男-

古本屋イベントも無事終了し、気分的にも、体調的にも、部屋の中の様子も、ようやく今日から“通常通り”という感じです。はじめてのことだったので、本当に高校の文化祭というか、お店屋さんごっこ、という感じがぬぐえませんでしたが、たくさんの人に来ていただきほんとうにありがとうございました。
初めて会う人や久しぶりに会う人(8年ぶりくらいに会う友達が来てくれたりしました)、いつも会っている人・・・・ほかほか、いろいろ話せたりして主催者として楽しかったです。またいつか、来年の今くらいの時期に、少しだけパワーアップさせて開催したいと思ってます。

そんなわけで、4月の終わりくらいからイベントの準備に追われてぜんぜん本を読んでません。この本も、実を言えば最初から最後まできちんと読んだわけではなくて、読んだことのあるものを飛ばしつつ、という感じです。さすがに永井龍男の本も20冊近く読んでいるので、こういうアンソロジィ的な内容だと、前に読んだものがかなりあります。前にも書いたように講談社文芸文庫は、巻末に作品リストと年表があるのでそれだけでいいんです。永井龍男に関しては、最近は「明日はどっちだ」や「風ふたゝび」といった映画化された作品や、新聞や週刊誌に連載されたような中間小説的なものを探しているのだけれど、意外に見つからない。ときどき新書版の本を見かけても、ハードカバー、函入りの本より高かったりするしね。

「使うハッセル」-赤城耕一-

いつかブラウニーのフィルムで写真を撮ってみたいなぁ、なんて思いつつ、なんの知識もなく、そのいつかのためにブックオフにて100円で買ったのだけれど、家に帰って中古カメラ屋のサイトやヤフオクで調べてみたら、きれいなものは50万近い価格がついているようなカメラということが判明、即あきらめました。本の中でも「中判カメラの最高峰」「ハッセルを購入することは人生の一大事」「3年くらいのろーんを組み」といった言葉が踊っておりました。やれやれ。もっとも最近は安くなっきているとのことですが・・・・。

特に無理をして探しているわけではないけれど、サントリーのビールのCMのバックで流れている「ドゥクドゥンドゥドゥドゥドゥ~」という曲が、ずっと気になってます。始まった頃には、クレジットもなかったのですが、4月に入ったくらいからミシェル・ルグランというクレジットが入って、サントリーのサイトを調べたところ「Digue-Ding-Ding」というタイトルも判明。でもどの映画のサントラか分からず。分かったとしてもわざわざ買うかどうかは分からないので、それ以上は調べてませんでした。

今日は、朝からイベントの荷造りやMOサイズの写真集作り。同時にBGMに使う曲をMDに入れる作業も。80分のMDをLP4で録音するので310分分。とりあえず気の向くまま聴きたい曲をどんどん入れただけなのだけれど、ちょっとだけ流れを考えているので、普段聴かないようなCDを聴きまくってしまいました。一応、懐かしい感じをあんまり出さないようにはしたつもりです。で、ですね、ありました、「Digue-Ding-Ding」。Karminsky Experienceのコンピ「In Flight」の17曲目。普段なら絶対に気にかけないような終盤、といっても、一時期、ほんとによく聴いてたCDなので、全然記憶になかったことに少しあきれると同時にCMのBGMのネタなんてこんなものなのね、とちょっとがっかり。サントラ名が出てないわけだ。

「わたしのいるわたし」-池田弥三郎-

「まだまだ先だから・・・・」なんて思っているうちに、気がつけば、fooでの3日間カヌー犬ブックス開店も今週末に。本を並べる簡単な棚や看板を作ったり、写真を大きく引き伸ばしたり、久しぶりにMOサイズの写真集を作ったり、必要なものを買いそろえたり・・・・いよいよ準備も佳境です。
週末は、当日配る予定のお散歩マップを作るために、東麻布や麻布十番を歩き回って、ついでに有栖川公園まで歩いてみました。だいたい30分~40分くらいかな?ゴールデンウィークは六本木ヒルズや東京タワーも混んでいるだろうから、有栖川公園&ナショナル麻布スーパーマーケットに行くというのはなかなかいい散歩コースではないかと、思います。それから、どうでもいいけど、麻布十番の駅の近くの公園で子どもを連れた布袋を見かけました。今井美樹はいなかったけど。

散歩マップとは関係ないけれど、今回、東麻布を歩いてみての一番びっくりしたのは、fooのすぐ近くにカフェ8の事務所があったこと。表参道にあったカフェ8は、自然食をテーマにしたカフェで、しかも料理がどれもおいしくて、一時期よく通っていました。料理が出てくるのが遅かったりしたので、時間がない時は向いてないけれど、ごはんからデザートまで注文してゆっくりとしていると心地よくて、時間の経つのを忘れるようなカフェでした。BGMに当時、再発されたワッキーズのレゲエがかかっていたのも、個人的にレゲエにはまっていた時期だったのでいい気分で聴けたし・・・・。最近は、駅からの距離あって、どちらかというとピュアカフェに行くことが多くなってました。ピュアカフェは隣がお店なので、どうものんびりできないんですよね。
それで、話を戻すと、赤羽橋のイースト通り商店街を歩いていたら、中にはドリンクを入れる冷蔵庫やテーブル、椅子おいてあるまだ開いていないカフェのような、事務所のような建物があって、いい感じだったので、中をじろじろと見ていたら、入り口に、カフェ8、ピュアカフェのロゴが。先日、ピュアカフェの店員さんからカフェ8が閉店したと聞いていたので、ここに移転したのかと思って中にいる人にたずねてみたら、事務所でした。カフェ8のほうは、店舗を持たずにイベントなどに出張したり、ケイタリングをしたりしているそう。ちょっと残念、さすがにケイタリングをお願いするなんてことはないだろうけれど、こまめにチェックしてイベントとかで出店しているときに行ってみたい。

「マジメ人間」-山口瞳-

私小説とも少し違うような、身辺小説、もしくはエッセイとも言えるような作品と、フィクションと思われる作品が、半分ずつ収録された本。例によってかなり自虐的なのだが、これだけ山口瞳の本を読み続けていると、それほどつらい感じを受けなくなってしまう。ちょっと慣れてしまってると言えるかもしれない。

小学校の4年くらいの時だっただろうか、通信簿に「何ごともそつなくこなす」と、褒められてるんだかなんだか分からないコメントが書かれていたのを憶えている。多分、今でもそうなんだろうと思う。初めてのことでもなんとなく“こなして”、そのままになってしまっているような気がする。頭のいい人間ならば、一番初めのときでもちゃんとそれを理解して取り組むし、一番始めにつまずけば、初歩の基本的なところで足を止めて取り組む。でも初めの一歩をなんとなくカンでやり過ごしてしまうと、そのときはいいけれど、その後の努力をしないで過ごしてしまい、後で痛い目に遭う。「何ごともそつなくこなす」というのは、そういうことだ。だから今でも何ごともひと通りはできると思うけれど、得意なものはまったくない。でも、それは山口瞳にとって“できる”とは言わないんだろうけれど・・・・。

「ごぶ・ゆるね」-安藤鶴夫-

エレベーターを出ると、さっきまでの雨はすっかりやんでいて、ガラスのドアの向こうはまだ明るい。会議室をでたときに、視界の片隅に入った廊下の奥のガラス窓を見た時には、外が暗く見えたので、少しびっくりした。ガラス自体に暗い色が入っていたのだろうか。
4月も終わりの頃になると、6時くらいになってもまだ明るい。冬から春の日々は、春っぽい暖かい日とが続いたと思ったら急に寒くなったり、逆に5月を思わせるような、半袖のTシャツで外に出かけられるような日があったりして、行ったり来たり、時には急ぎ足で時にはゆったりとした足取りで、右に寄ったり左に寄ったりしながら、過ぎていくのだけれど、太陽が出ている時間はそれとは関係なく、寒い日も暖かい日も、晴れの日も雨の日も、毎日規則正しく長くなっていくので、気温に一喜一憂していると、日が長くなっていることを忘れてしまい、ある時、ふといつまでも明るくなっていることに気づいたりします。

春になる前に観ようと思っていた「花とアリス」をようやく借りて、深夜に本の整理などをしながら観る。高校入学前から文化祭までの、二人の女の子の毎日を描いたこの映画は、桜のシーンが印象的ではあるけれど、ちゃんと観てみると春とはあまり関係のなかったりする。
10代の半ばをこんな風に鮮やかに、清々しく過ごしている高校生は、今時いないだろうし、おそらく、どの時代にもいなかったに違いない。でも毎日の生活の中でそのような感情や風景がまったくなかったわけでもなくて、ほんのちょっとかもしれないその感情や風景を、虫眼鏡で拡大したり、足りない部分を補完したりして、この映画は作られている。いや、すべての映画も、小説も、音楽もそうやって作られているんだけれど、その世界観の作り方が岩井俊二はうまいと思う。でもどの作品からも同じような印象を受けてしまうのと、その世界観がどこかあざとい感じを受けてしまうのは、私だけだろうか。

「河岸忘日抄」-堀江敏幸-

2月に出たばかりの堀江敏幸の長編小説。正直言ってこんな早く手に入るとは思ってませんでした。しかもブックオフで。最近、ブックオフで前の作品もときどき見かけるようになったけれど、少しずつ売れてきているのかな。
物語のストーリーとしては、30代初めから半ばくらいの主人公「彼」が、妹の死や仕事での何かが理由で日本を離れ、異国のとある河岸に係留された船で生活をはじめる。そして日々、本を読んだりレコードを聴いたり、食事作ったりコーヒーを淹れたりして、過ごす。外部との関わりは公園で何年ぶりかで会った老人、その船の持ち主である大家と、時おり「彼」に郵便物を届けに来る配達夫、枕木さんという日本での友人とのFAXや手紙でのやりとり・・・・くらい。そのためらうこと、待機すること、逡巡することに身を委ねる「彼」の静かな生活と思索が、「彼」が読んだ本や映画の内容などと連想ゲームのように絡み合いながら、淡々とつづられていく。いくつもの挿話が、唐突とも思えるつながりで語られていくのだが、読んでいて違和感はまったくなく、むしろやわらかくなめらかな言葉のつらなる文章を目で追いかけていると、心地よい気分になってしまう不思議な感触の作品です。

日曜日、イベントのポストカードを置くついでにオーガニックカフェに行って来ました。オーガニックカフェは、再開発地域になっているのだけれど、まだ営業してますね。周りを見るとほとんどの店が閉まっていて、なんだか逆側のGTタワーができる前の商店街を思い出しました。そのとき、一回、夜に再開発前の商店街に行ってみたことがあるのですが、すべての店が閉店していて、街灯もついていないくて、まさ廃墟という感じでめちゃくちゃ怖かったです。
中目黒はいろいろ再開発しているけれど、結局盛り上がっているのは川沿いで、GTタワー周辺とか寂しいまま。やはり駅を出てすぐに通っている山手通りがネックなのか、なんてことを中目黒生まれの友達と話したのは、もう10年くらい前のことで、あれから中目黒もかなり変わったけれど、駅前の周辺はあんまり変わっていないような気がします。