金曜の夜にちょっと外に出てみたら、微かに雪が降ってきていて、「やっぱり雪になるのかなぁ」、なんて思っていたら、土曜の朝起きて、カーテンを開けたら、雪が降り積もってました。時期が時期だけに寒いのは仕方がないとは思うけれど、前の週の土曜日は雨が降ってしまったし、今週は雪だし、どうもロバロバの古本市も天気に恵まれません。
東京でこんなに雪が降ったのは1998年1月15日以来で8年だそう。それで思い出したのだけれど、そのときわたしは会社の引越してました。30人くらいの小さな会社だったし、旧山手通の渋谷側から目黒側への数百メートルの距離だったこともあり、自分たちで引越の作業をしたのだけれど、まさか雪が降るとは思ってなかくてたいへんでした。社長のスキー用の手袋をして雪の積もった坂道を転びそうになりながらPCや机を抱えて運んでいたのを思い出します。
ついでに書くと引越前のオフィス(?)は、古い洋館をそのまま区切って仕事場にしていて、普通に台所やお風呂、女中部屋みたいな狭い部屋などがあったのだけれど、壁に立てかけていた板をはがしたら、煉瓦造りの暖炉が出てきたときは、思わずみんな声を上げてしまいましたね。
そういうわけで、古本市も今日でおしまい。会期中は、皆様、わざわざ足をのばして来てくれてありがとうざいました。わたしもほとんど毎週、週末に顔を出して、店番したり、普通のお客さんみたいにただコーヒーを飲んで、ほかの古本屋さんの人としたり、と楽しい2週間でした。
山口瞳のサラリーマン小説(?)を読むのは久しぶり。自身を題材にした小説やエッセイと違い、どこかの酒場で聞いたような話を組み合わせたり、補ったりして、まとめられたこの手の作品は、何となく気楽な気持ちで読めるような気がします。が、この本には、登場人物の
「世の中に悪い女なんていやしない、女ってのは、全部、悪い奴なんだよ」
「存在自体が悪なんだよ」
「彼女らには、惻憶の情とか、思いやり、感受性が徹底してかけている。人間の弱さや、愚かしさや、悲しさや、哀れさを知らない」
「女にもののあわれは不必要なんです」
という言葉に代表されるように、山口瞳のペシミストぶりがかなり強調されいて、こちらの気楽さを吹き飛ばすような芯の強い、主張の激しい3つの連作が収録されている。
基本的にはどれも女性に振り回され、都合よく使われてしまう男たちの話で、まぁ使われてしまう男も男、という雰囲気も漂っているものの、それにもまして女性の計算高さや冷たさ、打算‥‥みたいなものが強調されている。たとえ酒場に入り浸りだったとしても、結婚してから奥さん一筋だった山口瞳が、ストーリーは別として、女性に対してこういう認識をぬぐい去れなくなってしまったのは、どういうきっかけがあったんだろうか。そしてそういうことを小説の中で言ってしまえば、さらなる反論があるとわかっていても、あえて作品にして、はっきりと言わざるえなかった心境というのはどういうものだったんだろうか。