「感想A」そして「感想B」は、「新聞一束」の一部に「乞食王子」と「甘酸っぱい味」を加えて再編集した本なので、中には読んだことのある文章が出てくるし、ひとつひとつの文章は短いのだけれど、ささっとは読めるものでもなく、ひとつひとつの言葉を追うようにして読んでいくので、なかなか読み終えることができなかったりします。もちろんそれは独特の文体のせいもあるけれど、旧漢字・旧仮名遣いで書かれている、という理由も大きい。少しずつ旧漢字にも慣れてきてるといっても、やはり実際に読めない漢字も多く、飛ばしている言葉もかなりあります。ただ内容的には、政治のことにしても、東京の街についてにしても、文学についてにしても、食べ物に関することにしても、言っていることはまっとうな正論で、正論過ぎて話の話題にもならないような気がするほどで、今ではもうこういう正論を堂々と発言する作家なんていないだろう。
というわけで、いつまでも、読めない旧漢字を推理しながら読んでいくのは面倒なので、去年の終わりくらいから旧漢字が載っている古い辞書を探しているのだけれど、意外と「これは」というものに巡り会えないまま年を越してしまいました。古本屋さんに辞書を持ち込む人ってあまりいないのか、それとも古本屋が引き取らないのか、引き取ったとしても売れないので処分されてしまうのか、理由はたくさんあるような気がする。
そういえば、子供の頃、「辞書と地図は年々変わっていったり、新しいものが増えるのでので、新しいものを買うべきだ」、なんて言ったのは誰だったのか。言葉の使い方も、書き方も、読み方も本来の意味からどんどん離れていって、今出ている辞書なんてもう信用できないような気さえしてしまうのは、そんなことを言うほど言葉を知っているわけではないわたしの思いこみですね。いつかは昔の辞書がない=昔の本を判読できない、というときがくるわけで、そういうことを考えるとなんだか怖い気がします。すでに明治の頃に書かれた文語体の文章とか読めないもんね。