「大東京繁盛記 下町編」-芥川龍之介、泉鏡花ほか-

「大東京繁盛記 山の手編」を読んだのは、今年の2月頃だったか?ほんとうは新書の大きさの平凡社ライブラリーを買ってパリに持っていこう、なんて思っていたのだけれど、ネットで調べてみたら「山の手編」の単行本だけ安く売っているのを発見して、ついを買ってしまったのだった。それから10カ月、ようやく両方そろったという感じです。それにしても年末のこの時期になってみると、パリに行ったのなんて、かなり昔のことのような‥‥。
今年の冬も、大正の終わりから昭和の初めに書かれた、東京についての本を読んでみようと思っているのですが、なかなか古本屋さんで見つけることができなくて、まだこの本しか手に入れてません。去年いろいろ調べてピックアップしたリストも、手帳がかわってしまったせいで、あんまりチェックしてないので、忘れてしまっている書名もかなりありますね。とりあえず、休みになったら吉祥寺のリブロに行って、ちくま文庫から出ている幸田文の「ふるさと隅田川」を買ってみようか、と思っているところ。そういえば「作家の娘」というテーマも、最近で言えば津島祐子くらいしか進んでない。
本当はその頃の地図を片手に、文章に出てくる地名を確認しながら読んだらおもしろいのだろうと思う。20代の頃は、よく銀座の本屋さんの前で売っている古地図に群がっている人たちを見て、そんな地図のどこがおもしろいのだろう、と思っていたものだったけれど、だんだんとそういう方面に興味がわいてくる自分がいて、歳を取ったのだなぁ、と感じたりしますね。もっとも時代劇や時代小説には、いまだにまったく興味はないので、江戸時代の地図にはまだ用はないわけですが。

12月は珍しく2本も映画を観ました。「麦の穂をゆらす風」と「イカとクジラ」。ケン・ローチの映画は、たいていは銀座のシネ・ラ・セットで2週間くらいくらいしかかかっていなくて、気がついたら終わっている、ということになりがちなので、ここは絶対に観に行かなくては、と思っていたら、渋谷でもやっていたりして、しかも私が観たときは満席。カンヌのパルムドールを受賞したことをあとで知ったりして、ファンとしてはかなりまぬけ。でも、もともとケン・ローチの「大地と自由」とか歴史物って個人的にあんまり興味がひかれなかったりします。「ケス」は別格としても、「リフ・ラフ」や「レイニング・ストーンズ」「マイ・ネーム・イズ・ジョー」のようにイギリスの労働者階級、普通の人たちを主人公にした映画がやはり好きだな。ところで、「麦の穂をゆらす風」は、1920年代のアイルランドを舞台に、独立戦争から内戦にいたる課程が2人の兄弟をとおして描かれた映画。上映が始まってすぐに、なんとなく終わりはこんな風になるんだろうなぁ、と予想できるのですが、やっぱりその
とおりで、いつもにもまして救いのないエンディングで、席を立つ腰が重くなってしまいました。もう1作上映されていた、アッバス・キアロスタミ、エルマンノ・オルミとのオムニバス映画、「明日へのチケット」は見損ねました。
「イカとクジラ」は、「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」「ライフ・アクアティック」のウェス・アンダーソン監督が製作をつとめた作品。両親の離婚によって混乱する子どもたちを描いているのだけれど、雰囲気的に「サム・サッカー」に似ているような気がしました(「サム・サッカー」の両親は離婚しないけどね)。
あと、父親がポスト・モダン的な小説を書く元売れっ子作家という設定の割には、話の中にカフカ、フィッツジェラルドとかしか作家の名前が出ないのは納得がいかない。少なくともピンチョンとかバーセルミ、自分と同時代の作家を認めたくないのなら、シャーウッド・アンダーソンとかフラナリー・オコナー、ハックスリー‥‥う~ん、あと思い出せないけど、そういうのが出てきてもいいのではないか。字幕で訳してないだけ?

「平凡パンチ 大橋歩表紙集」-大橋歩-

クリスマスプレゼント。
1964年から1971年まで、大橋歩が描いた平凡パンチ表紙をすべて収録した本。4分割とかせずに1ページごとに掲載されているのがうれしい。前にも書いたけれど、はじめの頃のアイビールックの男の子を描いたものが、やっぱり好き。描かれている題材や作風もあるけれど、それに加えてこの頃のイラストは、絵自体に勢いがあると思うし、1970年代から1980年代のイラストみたいに画面を塗りつぶしていないということではなく、どことなく隙間ががあるような気がします。なにげに「THE MAGAZINE FOR MEN」のサブタイトルや特集の文字の配置も工夫がしてあったり、特集自体も「カリフォルニア州知事になった俳優の評判=共和党の大統領候補ロナルド・リーガンという男」「クローズアップされた防衛問題=保守・革新の考え方」といった硬派なものから、「熱狂!ザ・ビートルズ帰る」「モッズ(おしゃれ)対ロッカーズ(かっぱ頭)“血の決闘騒ぎ”の真相=全英警察に非常警戒を布かせたイギリス」といったカルチャー、はたまた「20代未婚女性の“生活”レポート」「日本にもあったフリーセックスパーティ」など、「平凡パンチ」ならではというものが多くて見ても飽きません。「特集号・スカンジナビアのすべて」の一番目にくるのが「スウェーデンのポルノ編集部潜入ルポ」だったりするしね。
で、こういう本を読んで育った世代が今、セカンドライフとか言っちゃてるんだろうか、なんて思うと今の50歳以上をターゲットにしたファッション雑誌とぜんぜん変わっていないようで、なんだかなぁ、と思ったりもしますが‥‥。

「アイクラー・ホームズ―理想の住まいを探して」-J.ディットー、L.スターン、旦敬介-

モダンな外観と構造をもつ家族向け住宅を大量生産して、戦後のアメリカを一世風靡したアイクラー・ホームのモデルを100点以上収録した写真集。奥付を見るとこの日本語版が出たのは1999年だから、もう7年も経ってるんですね。この頃はまだ「Casa BRUTUS」とか買ってましたねぇ。いまさら買ってどうするの?という気持ちがないわけではないし、そもそもミッドセンチュリーの家具って、日本の賃貸住宅で暮らしているあいだは、場所をとりすぎるし、まわりとの調和も乱すし、実際には使えないものだと思っていて、そう思ったらなんだか興味が薄れてしまったのだけれど、やっぱりこういう写真を見ているのは楽しい。
こういう家に住んで、大きなステレオセットで、イノック・ライトやレス・ポールのレコードを聴くのはどうだろう。いや、ちょっと違うかな、もう少しヨーロッパよりの音楽の方が似合うかもしれない、なんてことをあれこれ考えていたら、MPSコンピ「SNOWFLAKES」を思い出した。
ジャズとイージーリスニングの中間、適度にメリハリのついたリズムと洗練されたサウンドが冬の始まりに心地よいコンピレーションで、前は1曲目のフランク・プレイヤー・オーケストラの「ノー・プロブレムズ・エニモア」のイントロを聞くだけでウキウキしたものです。ついでに今年の冬は、MPSを聴くことにしようと思って、MPSのCDをちょっと調べてみたら、アプレミディとかジャイルズ・ピーターソンなどのコンピくらいしかCDが出ていなくて、単独では、シタール人気のデイヴ・パイク・セット、ウォルフガング・ダウナー、ジャズコーラスの定番、シンガーズ・アンリミテッド、ノヴィ・シンガーズ、あとモンティ・アレキサンダー、オスカー・ピーターソン、ジム・ホール‥‥といったところ。もちろんイージーリスニング系のビッグ・バンドなんてのは出てません。やっぱりこういう音楽は、アナログ盤を買わなくちゃいけないわけだな、と。ふ~。

「アンデルさんの記」-獅子文六-

12月も半ばを過ぎて、今年ももうおしまい、という時期ですね。忘年会やらなんやらで飲みに行く機会が多かったりもするし、年末年始のお休みがひかえていたりするし、12月は短いなぁ、なんてつい思ったりもするけれど、よく考えたら、うちの会社のお休みは29日からなので、23日が土曜ということを考えると、12月のお休みは29日、一日しかなくて普通の月とぜんぜん変わりがない。いや11月よりも働いている日数は長い。う~ん。そういえば、秋の暖かい日に、中央線を八王子から下る古本屋ツアーとか早稲田の古本屋巡りをしようと思っていたのだけれど、秋どころか、今年中はもう無理そう。

そんなことを思いながら、土曜日の夜、友達のピンチヒッターでFLOWERSというバーでレコードをまわすために国立へ。駅を出たらいつもの駅舎がなくて、中央線のどこにでもあるような普通の駅になっていてちょっとびっくり。特にあの駅舎や国立という街に思い入れがあるわけでも、思い出があるわけでもないけれど、なんだか国立に来たという気がしない。後で話を聞いたら2、3日前に囲いがはずされて今の駅が出てきたとのこと。その何カ月前に旧駅舎の取り壊しがあってそのときはカメラを持った人たちがたくさん集まっていたらしいです。
イベントの方は、どんな曲がかかるのかはもちろん、ほかのDJの人たちもぜんぜん知らなくて、かなり不安ではあったのだけれど、みんないい人でよかった。3時閉店なのに近所の人たちがたくさん来ていて、こういう雰囲気の中でお酒を飲んだりレコードをまわしたりしていると、国立っていい街だなぁ、と思う。ちょっと遠いけど今度は普通に遊びに来ようかな、という気になりますね。ちなみにわたしはあいかわらず、ソフトロックとイージーリスニングばかりで持ち時間1時間押してしまいました。はっきり言って前回、下北のリボルバーでまわしていたときと曲順が変わっただけでほとんど選曲は変わらず。ちょっと申し訳ない。

「夜のティーパーティ」-津島祐子-

Heavenに遊びに行くのは何年ぶりか、2or3年ぶりくらいか。前回行ったときが思い出せないくらいなのだけれど、レギュラー最後と聴けば行くしかない。昼間ずっと降り続いていた雨も夜になってやんできたし、今日はたくさん人が来てるんだろうなぁ、なんて、年甲斐もなくちょっとわくわくしながら、毛糸の帽子に手袋をして寒さ対策ばっちりのかっこうで井の頭通りを自転車走らせて、久しぶりにDropの扉を開けたらメガネが曇って周りがまったく見えなくなってしまった。暑い‥‥店内に入ったときのことをまったく考えておらず‥‥。
で、よく考えてみたら、Heavenに毎月のように遊びに行っていたのは、1997年あたりのたった1年間くらいだけで、その頃はまだUKロックの新しいレコードを普通に追いかけていた頃だったし、20代後半だったし、ある意味最後の力を振り絞りつつ遊んでいたという感じの1年だったのかもしれない。「Heavenが青春でした」なんて言うほど若くはなかったけれど、Heavenで初めて聴いた曲も数知れないし、今でも聴いている曲もたくさんあります。でも、実を言うと曲なんてどうでもよくって、すみっこの椅子に座ってビールを飲みながら盛り上がっているフロアを眺めたり、ときどき混じってみたり、そこで知り合った友達としゃべったり‥‥そんなイベントの雰囲気が好きだったのだと思う。Uくんに「裏切りもの」と言われようとも、わたしはスペアミントの「A Week Away」よりも、その元ネタのフォー・トップスの「I Just Can’t Get You Out of My Mind」のほうが好きなのですよ。
それにしても先月はパレードが最後だったし、いつでも気が向いたときに気軽に遊びに行けるイベントがなくなってしまって寂しい。この歳になるともう新しいイベントに行く気力もないので、思いついたときに遊びに行くと、好きな音楽がかかっていて、誰かしら知っている人がいて‥‥というイベントはかなり貴重。なので、DJの皆さん長い間お疲れさまでした、と思う反面、またやってね、という気持ちも強いです。でも冬は寒いので春頃に‥‥。

「天下一品」-小島政二郎-

だんだん寒くなってきて、布団から出るのも、外に出るのも億劫になってきて、そんなことを思いつつ、一日を過ごしていると、まだなんにもしていないのにもう外は暗くなり始めて‥‥なんて季節になってしまってます。冬は空気がきれいなので、写真を撮るには絶好の季節と言うけれど、すぐに暗くなってしまうのでなんとなくカメラを持って出歩く気にもなれなくて、北海道に行ったときに取ったフィルムの残りがカメラに入ったまま、1カ月が過ぎてしまってます。実を言うと、北海道で撮った写真も現像が楽しみという感じでもなかったりして、昔だったらシャッターを押したときに「これはよく撮れただろう」という感触があったのものだけれど、そういうのが最近はまったくない。むしろ“なんか失敗したな”という気分ばかりが残ってしまってる感じです。困ったものだなぁ。
土曜日、映画を観るついでに寄った渋谷のデルフォニックスでは、「Camera People」の発売を記念した展覧会が開かれていて、そういえば、夏頃、写真を募集していてちょっと応募してみようかな、なんて思ったことを思い出しました。こうやってプロではない普通の人が撮った写真を見ていると、少しだけカメラ熱が再燃するのだけれど、写真とともにポラロイドカメラやオートハーフ、LOMOなど、今人気のあるカメラが売られていたりしているのをみたりすると、ちょっとどうなのかなぁ、とも思う。オートハーフ高すぎだし‥‥。
ついでにパルコミュージアムでやっていた「サンダーバード イン ジャパン」展も見て来ました。サンダーバードは、世代的にはわたしよりもう少し上の世代なので、わたしはリアルタイムで見たことはなくて、お兄さんがある友達の家に行くとおもちゃが置いてあって、それで遊んだ記憶があるくらい。あとは小松崎茂が書いたプラモデルの箱といったところ。サンダーバードに限らず1970年代くらいまでの子どもにとって、小松崎茂の絵の印象というか影響は大きい。先日まで逓信総合博物館ていぱーくでやっていた「ぼくらの小松崎茂展」も行きたかった‥‥。
ところで、この本の表紙を見たときに、「食いしん坊の記録」という副題とあってるし、文字とのバランスもいいし、いいなぁ、と思って、軽い気持ちで装丁を手がけた田代光という人を調べてみたら、“昭和の出版美術界、挿絵の世界において巨星と称される洋画家”とか小松崎茂が師事していたということなどが書かれていたりして、違う意味で驚いた。安藤鶴夫の「巷談本牧亭」の挿絵も手がけているらしい。本は中の文章だけ読んでいてもダメで、隅から隅までチェックすることで新しい発見に出会うのだな、とあらためて思います。

「あまカラ(抄)2」-高田宏編-

「あまカラ(抄)」第2巻は学者・評論家篇。私が知っている名前をピックアップすると、池田弥太郎や池島信平、福田恆存、小泉信三、小林秀雄、串田孫一、奥野信太郎、高橋義孝‥‥といったところか。前に読んだ「巻頭随筆」の時も思ったけれど、学者による随筆は名前をぜんぜん知らなくても面白い。まぁ知識があるということもあるし、海外に行く人があまりいなかった時代に、研究などの目的でわりと普通に海外に行っていたりしているということもある、かもしれません。といっても、やはり食べ物のこととなると、ほとんどの人が日本の食べ物のことを書いているんですけどね。

うちのリビングに置いてあるテーブルは、何年か前の夏に自分で作ったもので、おおざっぱに言うと、底のない箱を横にして、下に車輪がつけたというだけのものですが、もう4、5年使っていることもあって汚れてきてしまっているし、ソファーをソファーベッドに買い換えたせいで少しじゃまになってきたので、シンプルで小さめのテーブルを探しに、前々から行ってみたかった横浜のIKEAに行って来ました。
第三京浜港北インターチェンジから2分という立地や、1階と2階が売場、レストラン、食品売場、3階から上は駐車場となっているところから、基本的には車で来る人が対象となのだろう、新横浜からのシャトルバスはぎゅうぎゅう詰めで、(気分的なものも含めて)15分くらいかかるし、店に行く前から疲れ気味になってしまう。確かに品物のデザインはいいし、欲しいものはたくさんあるけれど、引っ越しをひかえているわけでもなく、電車で来ている以上、持ち帰れる量も限られているので、当初の目的だったテーブル以外は、それほど買うものはなかったです。でもディスプレイが工夫されているので見ているだけでもけっこう楽しいので、今度は船橋のほうに行ってみようかな。個人的には、なんとなく家具の安売りと北欧のイメージが結びつかなかったりもするんですけどね。いい家具を何十年、あるいは何代にも渡って使い続けるのが、北欧の国々の人々のよさではなかったのか?ついそんなことを思ったりもします。
そんなわけで、ソファーもテーブルも買い換えて、前に書いたようにカヌー犬用の本を移動させたとこもあって、週末は部屋の掃除をしたりしていました。でもクローゼットの奥から段ボールを引っ張り出して、いるものといらないものを仕分けたり、ものをこっちに置いたり、あっちにしまったりといろいろ移動させたりして、一日中動き回ってみたわりには、終わってみるといつもの部屋とあまり変わらず。なんだか労力の割にはきれいになったという実感がわかないのが悔しい。そのせいで今週は脚と腕が筋肉痛だし‥‥。まぁ部屋の片づけなんてそんなものか。

「夫婦百景」-獅子文六-

いろいろな夫婦の形をレポートするという内容で、前半は獅子文六自身の夫婦論に始まり知り合いの夫婦について、後半では雑誌の読者から寄せられたちょっと変わった夫婦について、それぞれ「婦人倶楽部」「主婦の友」に連載されたもの。
“ちょっと変わった”と言っても現代からみれば、そう変わった感じもしなくて、それよりも見合い結婚がより人間らしい理性的な結婚の仕方であるといった主張がところどころにでてくるのがおもしろい。よほど一番最初の時のフランス人との恋愛結婚で懲りたのだろうか(その後の2回の結婚は見合いなはず)。横浜で生まれ育って若い頃にフランスに行ったような人でも、そういう考え方をするものなのだなぁ、と何度も思うところ多し。もちろん新たしい考え方がいいとか、古い考え方のほうはいいとか、そういうことではなくてね。中には離婚にいたっちゃうケースもあるけれど、それを含めても全体的にハッピーエンドで終わるケースが多いところがいいです。

ところで、30も半ばを過ぎたので、周りで結婚する人ももういないだろうと思っているのだけれど、今年も、10、11月と2次会やら結婚パーティに参加してます。そういえば、直前になって都合が悪くなってしまい出席できなかったのですが、9月にも親戚の結婚式がありました。先日、パーティを開いた友達は、大学の頃からのつきあいなので、もう15年以上か。でも「●●もついにねぇ」とか「なんだか気がつけばみんな結婚しちゃったなぁ」とか思ったりもするけれど、それほど大きな感慨はなかったりします。まぁそんなものですよ。「昔は2人でむちゃしてさ」なんて感じでもないし。もちろんわたしの知らないところでいろいろあったのだろうけどね。なんて書いていると「あんなこともあったなぁ」なんて思い出したり、思い出さなかったり‥‥。う~ん、なんか書いちゃまずそうなことばかり思い出したりしてあとが続かん。
そういえばこの本のあとがきにも、「人から材料をもらって書くのは、ラクな仕事だと考えていたら、事実はそれに反した。~要するに、夫婦百景なんていうものは、見物するのも、容易ではないことがわかった」と書いてある。

「ひざ小僧」-秋山安三郎-

個人的には銀座というと、映画を観に行くということが多かったので、映画を観なくなった最近は、年に数回行くか行かないかという感じになってしまってます。この秋山安三郎とか安藤鶴夫、池田弥三郎といった人たちの本を読んでいると、銀座を歩いているだけで楽しかった、といったことが書いてあって、そういう文章を読むのは好きなほうなので、ときどき、東銀座の方まで裏道を歩いてみたらそういう風景がまだ少しは残っているかもしれない、などと思ったりもするけれど、やはりそれは銀座に夜店が出ていたり、資生堂パーラーや千疋屋、風月堂といったお店がハイカラだった時代の話で、少なくとも私には、今の銀座は歩いているだけで楽しいという感じの街ではないですね。かといって、じゃ、歩いているだけで楽しい街ってどこ?と聞かれると困りますけど‥‥。
でも小林旭の「銀座旋風児」とか「銀座の次郎長」を観ていると、下町的なところもあったりして楽しそうな街だと思ってしまいます。人が住んでいる街かどうか、というのも大きいのかもしれません。

昨日の夜は、早めに会社を出て、銀座でやっていた大橋歩の展覧会「歩のあゆみ」展を見て来ました。土日、祝祭日お休みで、平日は7時半、水曜だけは8時半までという会社勤めにはやさしくない開館時間、しかも24日まで、なので、今日しかない、と。健康診断のため午後から会社に行ったのに、夕方の打ち合わせが終わるとともに7時前には会社を出るという‥‥ぜんぜん仕事してないよ、という状態だったわけですが、まぁしょうがない。そういうときもある。
展覧会は、クリエイションギャラリーG8とガーディアン・ガーデンの二会場で行われていて、学生時代の習作から初期の代表作「平凡パンチ」の表紙、1980年代の「ピンクハウス」関連のイラストレーション、村上春樹の本の挿絵、そしてすべてを自身の手で行っている季刊誌「Arne」までが展示されていて、大橋歩のデビュー当時から現在までを網羅できるようになっています。こういう風に作品を見てみると、そのときどきでの作風が変わりぶりに改めて気がつきますね。同時になんとなくデビュー当時からあまり変わっていないような気になってしまうのは、そのときどきでのスタンスやポジションにあまり変化がないせいかもしれません。あくまでも個人的な意見ですけどね。でもやっぱり1960年代後半、アイビールックの男の子たちを描いていた頃の絵が好きだなぁ。

「私のなかの東京」-野口冨士男-

11月から倉庫として駅前のトランクルームを借りたので、毎日、会社から帰ると段ボールに本を詰めて少しずつ運んでいたのですが、週末にラストスパートで4往復してようやく引越完了しました。いままで本を置いていたキッチンの片隅がすっきりして気分がいい。もともとカヌー犬ブックス用の部屋があるわけでもなく、キッチンの隅にカラーボックスを2つ置いてそこに本を詰め込んでいただけだったので、半年くらい前からいろいろ迷っていたのです。一時期は、どうせなら、と引越まで考えたりしたんですよ‥‥。駅前のトランクルームは、古いビルの一画なのでいきなり閉鎖されてしまうのではないかとちょっと不安ですが、まぁとりあえずよかった、という感じ。といっても、そんなに在庫を抱えているわけでもなくて、現在でも850冊くらいだったりするんですけどね。いや実を言うとはじめは100冊くらいだったのです。いくら趣味といえども、いま考えるとかなりひどい。普通1000冊くらいは在庫を作ってからサイトを始めますよね。ここ半年はほとんど在庫が増えていない状態でしたが、これからは少し増やせるようにがんばります。年末だし買取強化キャンペーンでもやろうかしらん。