「あまカラ」に掲載された約3000本の随筆の中から、“生きていることが何とはなしにうれしくなるもの”というテーマで選んで、3巻130篇を選んだ本。この第1巻は“作家篇”ということで、幸田文、武田泰淳、今東光、伊藤整、開高健、獅子文六、大岡昇平、大佛次郎‥‥といった作家の随筆が収録されています。一人1作品という制約を設けているので、個人的にもっとこの人の随筆を読みたいなと思うこともありますが、それはそれでまた個々の作品を読めばいいことで、この本の主旨とはなれてしまうのでしょうがない。でも新書で持ち運びやすいし、そばに置いておいて何回も読見たい本かな。
前に表参道にあったカフェエイトが、中目黒で新たにお店を開いたせいで、神泉で電車を降りて、道玄坂から旧山手通りに出て、青葉台の坂を降りていってエイトでちょっとご飯を食べて、その後、コーネリアスの「Breezin」のジャケット写真にも使われていた赤い橋を渡ったりしながら、目黒川沿いを歩き、駅まで来たら代官山の方へ上がって、ボンベイバザールでお茶。ここまで来てまだ余裕があれば歩いて、なければ電車で渋谷という散歩コースが、最近定番になりつつあります。晴れた日に目黒川沿いを歩くのは気持ちいいし、この辺はわりと古い建物が残っていたり、外は古いままで内装だけリフォームしたお店があったりするし、一つ裏の道を歩いてみるとまた違う雰囲気の路地があったりして、さくらの季節でなくても歩いているだけでけっこう楽しい。
日曜日は、風は強かったけれど天気も良かったので、午後から家を出て、そんな定番コースに加えて、山手通りを渡って関口ベーカリーまで行ってきました。関口ベーカリーは、もともと「私の部屋」でパンの出張行商をしていた人が開いたお店で、パン好きの間では有名なパン屋さんらしい、のですが、そういうことをあまりチェックしない私はぜんぜん知りません。で、どこかのお店でもらった簡単な地図を見て、途中、迷ったりしながら、実際に行ってみた感想をひと言で言うと、とても感じのいい街のパン屋さん。訪れた人はみんな誰もが「自分の家の近くにあったらいいのになぁ」と思うと思います。店に置いてある棚とかも趣味のよい古い家具が使われていたり、お店の外観ももともとの建物をうまく使っていたり、いろいろ細かいところにもこだわっているのだろうけれど、それが過度になっていないところに、センスの良さを感じますね。もっともこの通りは大きな木が並んでいたりして、周りの風景もいいんですけど。
高橋鏡太郎を題材にした「諷詠詩人」や、死期が迫り寝臥せっている父親を見舞うために故郷に戻ったときの様子を描いた「目下帰省中」や「生家にて」、刑務所にいるらしい幼なじみからきたお金の工面のための手紙に対してあたふたとするする「番外番地からの手紙」‥‥といった作品を収録した短編集。高橋鏡太郎については、上林暁だけでなく、吉屋信子が「月からきた男」で、石川桂郎が「俳人風狂列伝」でとりあげているとのこと。もちろん私は知りませんでしたが、「戦後、東京新宿西口の酒場に入り浸り、その店主に死ぬまで面倒をみてもらった」、「まわりの友人に迷惑をかけ続け、愛想をつかされたため、重症の結核患者の痰を飲んで病状を悪く見せた」など、数多くの逸話がある(らしい)無頼派俳人。ついには市ヶ谷の崖から転落死を遂げる。「諷詠詩人」では、その死をきっかけとして、数は多くないが、著者にとってなんとなく気になってしまうといった感じの高橋鏡太郎との交流が描かれてます。
三連休に北海道に行って来ました。
この作品は、完全なフィクションなのか、なにか実在の芸人をもとにしたモデル小説なのか、どっちなんだろう。今まで、安藤鶴夫に対しては、評論家や随筆家というイメージしか持っていなかったし、直木賞を受賞した「巷談本牧亭」もモデル小説と思っていたので、フィクションとしてとらえていいのかどうもわかりません。ただ戦後の銀座を舞台に若い芸人たちがさまざまな人たちに見守られながら独り立ちしていくストーリーが、久保田万太郎の作品にどことなく近い雰囲気がありつつ、でも戦後の新しさみたいなものもあって‥‥単なる人情話にとどまらなくて、安藤鶴夫の新しい面を知ったような気がします。というのはちょっとおおげさか。
途中で会社を抜け出して、青山ブックセンターでやっていた堀内隆志のトークショーに行ってきました。店内の片隅で行われたのだけれど、思っていたよりも人が来ていて、しかもほとんどが女の子という中で、スーツ姿の男性が混じっていたりしてました。話の内容としては、最近出た「珈琲と雑貨と音楽と―鎌倉のカフェから“好き”をかたちに」に関連して、お店を始めたきっかけや開店したばかりのころのことなどが中心で、堀内さんって意外と話がうまいのだなぁなんて思ったりして‥‥。25、6歳の頃は、誰でもあいつより自分の方が知ってる、と思うときで、そのときだからこそカフェを始められた、という言葉が印象的でした。
このところリリー・アレン「オーライ・スティル」ばかり聴いてます。MTVかなにかで初めて「スマイル」を聴いたときから、イギリスらしい、レゲエというには軽快なリズム感がいいなとは思っていたんだけど、結局アルバムを買ってしまった‥‥。お休みの日にこういう音楽を聴きながら朝食を食べて、そのあと映画を観に渋谷に行って、ついでに原宿まで歩いたり、洋服を見たり、カフェでお茶したり、小さなギャラリーでやっている展覧会を見たりしていると、なんだかイマドキの若者みたいだな、なんて思ってしまうのだけれど、実際の若い人がどんな休日を過ごしているかなんて知るよしもないです。でも西荻のそれいゆとかで遅い朝食を食べて、そのまま西荻、荻窪の古本屋をのぞいたりしつつ、高円寺の古書会館に行ったりしているよりは若者らしいんじゃないかな。だからどうしたということでもないけれど‥‥。
アンソロジーなどに収録されていたものは別として、開高健の本を読むのは実は初めてだったりする。深夜タクシーや屋台のオデン屋、うたごえ喫茶、下水処理場‥‥など、1960年代前半、東京オリンピック前後の東京のあちらこちらに行き、そこにいる人の話を聞くという昭和38年10月~39年11月にかけて「週刊朝日」に連載されたルポタージュ。
普段はそれほど気にしているわけではないけれど、先日、オイリ・タンニネンなどの絵本を買ったせいで、最近、古本屋さんに行くと必ず絵本コーナーをチェックするようになってしまいました。でも、うちでは絵本用のコーナーとなっている棚の1列が、もうすでに埋まってしまっていて、2月にパリに行ったときに買った本などはクローゼットのなかに無造作に置かれているという状態なので、実際に買うまではなかなかいたらないんですけどね。気持ち的には、今ある本を少し整理しつつ2段くらいは確保したい、けど、なかなかそうもいかないもので‥‥。そんなことを考えているうちに、ものの適正な量ってどこくらいなのだろう?なんてことを考えたりしてしまう。本は?レコードは?CDは?スノードームは?ファイヤーキングのマグは?スマーフ、フレッドくんグッズは?‥‥。ひとつひとつ考えていくとものすごく広い部屋に住まなくちゃいけないことになってしまうんだろうなぁ。現実的に絵本も含めて年末までにいろいろ部屋の中を整理したい、と思っている今日この頃です。
「娘と私」と対をなす作品。“父親と息子”をテーマに、10歳の時に亡くなった父親のおもかげを追いかけながら、自分の少年時代を描いた前半と、60歳になって初めて男の子の父親となり、「自分はこの子が10歳になるまで生きられるだろうか」と思いつつ、男の子が生まれたうれしさを描いた後半とで構成されている。そのあいだの出来事は「娘と私」という関係。
雑記を書かなくちゃなぁ、と思いつつ、なんだか9月はそんな余裕もなくて、いつのまにか10月に入ってしまいました。この本を読んだものもかなり前のこと。