「諷詠詩人」-上林暁-

高橋鏡太郎を題材にした「諷詠詩人」や、死期が迫り寝臥せっている父親を見舞うために故郷に戻ったときの様子を描いた「目下帰省中」や「生家にて」、刑務所にいるらしい幼なじみからきたお金の工面のための手紙に対してあたふたとするする「番外番地からの手紙」‥‥といった作品を収録した短編集。高橋鏡太郎については、上林暁だけでなく、吉屋信子が「月からきた男」で、石川桂郎が「俳人風狂列伝」でとりあげているとのこと。もちろん私は知りませんでしたが、「戦後、東京新宿西口の酒場に入り浸り、その店主に死ぬまで面倒をみてもらった」、「まわりの友人に迷惑をかけ続け、愛想をつかされたため、重症の結核患者の痰を飲んで病状を悪く見せた」など、数多くの逸話がある(らしい)無頼派俳人。ついには市ヶ谷の崖から転落死を遂げる。「諷詠詩人」では、その死をきっかけとして、数は多くないが、著者にとってなんとなく気になってしまうといった感じの高橋鏡太郎との交流が描かれてます。

札幌から帰ってきて、スペースシャワーTVで放送されていた中目黒テレビを見ながら、コーネリアスのライブのチケットを取った。来年3月9日のリキッドルームなので、まだまだ先だけれど、堀江博久、清水ひろたか、あらきゆうこというバックのメンツもいいし今から楽しみです。番組の方は、9月29日に六本木で行われた完全招待制のコンベンションの模様を独占オンエア、ということでかなり期待していたのだけど、期待していたよりもライブの様子が流れず、本人が出てきたりすることもなく、「SENSUOUS」からのPVがほとんどでちょっとがっかり。PV自体は音とシンクロしていていいんですけどね。それにしても今回のアルバムではベックなみにPV撮ってます。DVDとか出るのかな。

ところで、10月の終わりにコーネリアス、11月には延期されていたドゥーピーズのアルバムが出たら、今年はそれだけでいい年だ、なんておおげさに考えていたのだが、ドゥーピーズのほうはまた延期になったらしいですね。う~ん。11年ぶりだし、あと1年くらい延びてもぜんぜん違いはない、といえばない、のですが、出るのかどうか不安‥‥。

「庭の山の木」-庄野潤三-

三連休に北海道に行って来ました。
札幌に行こうと思いたったときから、あまり動き回ったりせずにのんびりとしたいと思っていたので、行きの飛行機も昼ごろ羽田を出発する便だったし、帰りも午後には東京に着くような便だったので、札幌にいたのは実質、一日だけ。いや単に飛行機の予約が取れなかっただけなんですけど‥‥。
昔は、どこかに行くとなると、その街の周辺の喫茶店やカフェ、レコード屋、雑貨屋‥‥などをチェックして、一日になん店もカフェをはしごしたりしたものだけれど、今回はわざわざ出かけていって‥‥という気にもなれず、まぁどこかでカニとジンギスカンを食べて、一つくらい札幌の喫茶店にでも入って、羊ヶ丘展望台で羊でも見ながらソフトクリームでも食べられればいいかな、という軽い気持ちで羽田を出発。実際、ほんとにそれしかしなかったです。基本的に自分たちだけではほとんどなにもせず、札幌に住んでいる友達に車で案内してもらっていたしね。

そんな中で気になった場所といえば、狸小路を抜けたところ、FAB cafeの周辺とロイズ珈琲館かな。Fab cafe自体は、ちょっとおしゃれな普通のカフェなんだけれど、昔からあるような建物がまわりに残っていたり、そういう建物を改造した雑貨屋さんがあったりして、しかも通り全体に適当に寂れた感が漂っているのがよかった。ロイズ珈琲館は、旧小熊邸と言う昭和2年に建てられた建物を移築復原した喫茶店。まさに昭和初期のモダンな建築。私は特に建築に関して興味があったり、知識があるわけではないけれど、その土地に昔からある建物を見るのは、旅行の楽しみの大きな一つだと思う。結局のところ喫茶店とかカフェ、雑貨屋‥‥なんて言っても、売っているのものは東京とそう変わらなかったりするわけだし‥‥。
けっこう楽しみにしていた羊ヶ丘展望台は、寒かったせいで(といってもこの時期の札幌にしては暖かかったのですが)、柵のすみにひつじたちがかたまったまま動かず、中には寝そべったままで口だけ動かして草を食べているものぐさなひつじもいたりして、なんとなく勝手に広い草原をひつじたちが走り回っているところを想像していただけに少し肩すかしでした。でも晴れていたので見晴らしはよかったし、ソフトクリームもおいしかったです。

「竹とんぼ」-安藤鶴夫-

この作品は、完全なフィクションなのか、なにか実在の芸人をもとにしたモデル小説なのか、どっちなんだろう。今まで、安藤鶴夫に対しては、評論家や随筆家というイメージしか持っていなかったし、直木賞を受賞した「巷談本牧亭」もモデル小説と思っていたので、フィクションとしてとらえていいのかどうもわかりません。ただ戦後の銀座を舞台に若い芸人たちがさまざまな人たちに見守られながら独り立ちしていくストーリーが、久保田万太郎の作品にどことなく近い雰囲気がありつつ、でも戦後の新しさみたいなものもあって‥‥単なる人情話にとどまらなくて、安藤鶴夫の新しい面を知ったような気がします。というのはちょっとおおげさか。
一方で、この作品は発表当時どんな人に読まれ、どのような反響があったのだろうか、とも思う。というのは、この本が出たのは昭和39年、1964年といえば、なんといっても東京オリンピックの年、高度成長期の象徴のような年で、先日読んだ開高健の「ずばり東京」に描かれているような風景の中では、懐古にさえならないような気もしてしまうのだけれど、実際のところはわかりません。
ちょっと調べたところによると1964年のベストセラーは「行為と死」(石原慎太郎)、「楡家の人々」(北杜夫)、「秀吉と利休」(野上弥生子)、「砂の上の植物群」(吉行淳之介)、「されどわれらが日々」(柴田翔)‥‥、ヒット曲は「君だけを」「お座敷小唄」「ウナセラディ東京」「アンコ椿は恋の花」「涙を抱いた渡り鳥」「東京五輪音頭」「プリーズ・プリーズ・ミー」「ダイアモンド・ヘッド」「イパネマの娘」‥‥、話題の映画は、洋画では「マイ・フェア・レディ」「007/危機一発」「シャイアン」「シェルブールの雨傘」「突然炎のごとく」‥‥、邦画では「喜劇・駅前茶釜」「砂の女」「赤い殺意」「愛と死をみつめて」「赤いハンカチ」‥‥とのこと。う~ん、ぜんぜんイメージつきません。もっとも「巷談本牧亭」は1963年の直木賞受賞作なんですけどね。ちなみ1962年の直木賞は「江分利満氏の優雅な生活」です。

「朱色の卵」-上林暁-

途中で会社を抜け出して、青山ブックセンターでやっていた堀内隆志のトークショーに行ってきました。店内の片隅で行われたのだけれど、思っていたよりも人が来ていて、しかもほとんどが女の子という中で、スーツ姿の男性が混じっていたりしてました。話の内容としては、最近出た「珈琲と雑貨と音楽と―鎌倉のカフェから“好き”をかたちに」に関連して、お店を始めたきっかけや開店したばかりのころのことなどが中心で、堀内さんって意外と話がうまいのだなぁなんて思ったりして‥‥。25、6歳の頃は、誰でもあいつより自分の方が知ってる、と思うときで、そのときだからこそカフェを始められた、という言葉が印象的でした。
質問コーナーの途中で会社に戻ったのですが、カヌー犬ブックスもだらだらと3年間続けてしまってるなぁ、と反省。これからでも少しずついろいろやっていこう、なんてことを歩きながら考えてしまいました。そろそろまた鎌倉にも遊びに行きたいです。

「家族」-山口瞳-

このところリリー・アレン「オーライ・スティル」ばかり聴いてます。MTVかなにかで初めて「スマイル」を聴いたときから、イギリスらしい、レゲエというには軽快なリズム感がいいなとは思っていたんだけど、結局アルバムを買ってしまった‥‥。お休みの日にこういう音楽を聴きながら朝食を食べて、そのあと映画を観に渋谷に行って、ついでに原宿まで歩いたり、洋服を見たり、カフェでお茶したり、小さなギャラリーでやっている展覧会を見たりしていると、なんだかイマドキの若者みたいだな、なんて思ってしまうのだけれど、実際の若い人がどんな休日を過ごしているかなんて知るよしもないです。でも西荻のそれいゆとかで遅い朝食を食べて、そのまま西荻、荻窪の古本屋をのぞいたりしつつ、高円寺の古書会館に行ったりしているよりは若者らしいんじゃないかな。だからどうしたということでもないけれど‥‥。

さて、前売りを買って、公開したらすぐにでも見に行こうと思っていたのに、なかなか行くことができなかったマイク・ミルズの「サムサッカー」を見てきました。親指を吸うクセが直らない17歳の少年を主人公にした物語で、「大切なのは、答えのない人生を生き抜く力。」という30代半ばのわたしにはちょっと青いテーマの作品なのだけれど、主人公の少年だけでなく、両親や先生、主人公が治療を受けている歯科医の先生など大人たちの心理もきちんと描かれているところが良かったです。舞台となる郊外の風景のいかにもサーバービアという感じもいいしね。イントロで映させれる風景の感じがなんだかホンマタカシっぽい。と思っていたら、マイク・ミルズとホンマタカシは友達なんですね。後で知りました。実をいうとマイク・ミルズについて断片的にしか知らないんですよ。
ついでに原宿まで歩いて、ドゥファミリィ美術館でやっている「WORKSHOP MU」の展覧会を見る。ドゥファミリィ美術館なんて行ったことがなかったのですが、思っていたよりも広くて、でも土曜日なのにお客さんは自分たち以外誰もいないという‥‥不思議な空間でした。「WORKSHOP MU」は、1970年代に小坂忠、細野晴臣、大滝詠一、はっぴいえんど、YMO、サディスティックミカバンドなどのレコードジャケットのデザインを手がけたデザイナー集団。そのうちの一人が現在、ドゥファミリィの役員をしていることから、ここで展覧会が開かれたらしい。なので、音楽関係のレコードジャケットやポスターだけでなく、その後の作品としてドゥファミリィの販促なども置いてありました。
個人的には、ナイアガラレーベル一連のオールディーズっぽいジャケットのイメージが強かったので、今回、細野晴臣とかYMOのジャケットも手がけていることを知ったり、特に大滝詠一のトレードマークとなっている(と思われる)丸い円の中で男女がキスしているイラストが、WORKSHOP MUによるもので、しかも大滝詠一だけではなく、サディスティックミカバンドのジャケットでも使われていたことにちょっとした衝撃を受けました。本も出ているので、近いうちに手に入れようと思ってます。

「ずばり東京」-開高健-

アンソロジーなどに収録されていたものは別として、開高健の本を読むのは実は初めてだったりする。深夜タクシーや屋台のオデン屋、うたごえ喫茶、下水処理場‥‥など、1960年代前半、東京オリンピック前後の東京のあちらこちらに行き、そこにいる人の話を聞くという昭和38年10月~39年11月にかけて「週刊朝日」に連載されたルポタージュ。
あとがきで本人が書いているように、各章をさまざまな文体でかき分けていたりするので、どことなく習作っぽい雰囲気もあるけれど、それぞれの完成度は高いし、それによってより対象に迫っている感じで出ている面もあるので、前後の作品を読んでいないわたしには、この本が開高健の中でどういう位置にあるのかの判断は難しい。ただこの連載が終わった後に、連載終了の褒美として、朝日新聞の臨時海外特派員としてベトナム戦にいくことになったらしいので、ある意味、転機の作品と言えるのかもしれない、言えないのかもしれない。
そして確かに1960年代前半に、その当時の東京を取材したものではあるけれど、取材されている人々の話を読んでいると、実は2006年の今、同じような場所を同じように取材しても、大きな変化はないのではないか、と思ったりもする。確かに表面的な街の様子や人々の暮らしは変わっただろうけれど、実はそれは見かけだけなのかもしれない。いや適当。

そんなわけで、週末は、ラピュタ阿佐ケ谷でやっている倍賞千恵子特集の「下町の太陽」を見る予定だったのだが、10時半からの上映時間に間に合うように起きれず、断念。下町の工場を舞台に、下町長屋での生活を脱し、ホワイトカラーの団地生活を夢みる若者を描いた1963年、山田洋次監督作、ということで、山田洋次監督や倍賞千恵子にはそれほどひかれないけれど、この本と同じ1960年代初めの東京を描いた作品として比べてみるのもおもしろいのではないかと思ったのだ。映画だったらストーリーだけでなく当時の町並みも映像で見ることができるしね。21日までなのでチャンスはあと一回しかないのだが、はたして見れるかどうか‥‥。

「Krakel Spektakel Koper En Klubba」-レンナート・ヘルシング/スティッグ・リンドバーグ-

普段はそれほど気にしているわけではないけれど、先日、オイリ・タンニネンなどの絵本を買ったせいで、最近、古本屋さんに行くと必ず絵本コーナーをチェックするようになってしまいました。でも、うちでは絵本用のコーナーとなっている棚の1列が、もうすでに埋まってしまっていて、2月にパリに行ったときに買った本などはクローゼットのなかに無造作に置かれているという状態なので、実際に買うまではなかなかいたらないんですけどね。気持ち的には、今ある本を少し整理しつつ2段くらいは確保したい、けど、なかなかそうもいかないもので‥‥。そんなことを考えているうちに、ものの適正な量ってどこくらいなのだろう?なんてことを考えたりしてしまう。本は?レコードは?CDは?スノードームは?ファイヤーキングのマグは?スマーフ、フレッドくんグッズは?‥‥。ひとつひとつ考えていくとものすごく広い部屋に住まなくちゃいけないことになってしまうんだろうなぁ。現実的に絵本も含めて年末までにいろいろ部屋の中を整理したい、と思っている今日この頃です。

こんなところに書くのもなんですが、連休の最終日に熱を出して寝込んでしまったために、本の出荷が遅れてしまいました。申し訳ありませんでした。自分では昔に比べて健康になったと思っているのけれど、熱を出して寝込むのが今年3回目ということを考えると、あまり健康でもないのかもしれない。でも3回とも一晩寝た後の次の日には、普通に会社に行ったり、遊びに行ったりしているので、回復力は意外とあり。というか、寝込んでいるときはものすごい汗をかいたりして大変なのだけれど、あまりにも簡単に直ってしまうので、なんだか気が抜けてしまう。そもそもこれは風邪なのか?いや風邪なんだろうなぁ‥‥と。

「父の乳」-獅子文六-

「娘と私」と対をなす作品。“父親と息子”をテーマに、10歳の時に亡くなった父親のおもかげを追いかけながら、自分の少年時代を描いた前半と、60歳になって初めて男の子の父親となり、「自分はこの子が10歳になるまで生きられるだろうか」と思いつつ、男の子が生まれたうれしさを描いた後半とで構成されている。そのあいだの出来事は「娘と私」という関係。
大正時代から昭和の初めにかけての横浜の様子を随所に入れ込んだ前半は、おもしろいのだけれど、遅く生まれた長男ということで、かわいくてしょうがないという気持ちが、あふれんばかりに出てしまっていたり、慶応の幼稚舎に子どもを入れるために奮闘したり、学校帰りに誘拐されないかと心配してみたり‥‥と、意図的なのかもしれないけれど、親バカぶりばかりが目立ってしまう後半には、ちょっと閉口してしまった。個人的には、後半部分は蛇足のような気もしないでもない。でも獅子文六としては後半の出来事が前半部分を思い起こす呼び水となっただけに、息子について書かずにいられなかった、というところなのかな。

「血族」-山口瞳-

雑記を書かなくちゃなぁ、と思いつつ、なんだか9月はそんな余裕もなくて、いつのまにか10月に入ってしまいました。この本を読んだものもかなり前のこと。

8月30日は山口瞳の命日だったので、その近辺に山口瞳の本を読もうと思っていたら、8月の中頃からCSで「血族」が放送されていて、ドラマなんてめったに見ないのに、めずらしく毎回見てしまい、ついには本のほうも読んでしまいました。
母方の親戚をたどっていって最終的には実家が女郎屋だったことを知るという、エッセイなどで何度もふられている内容なので、だいたいの事実関係や話の流れはわかるのですが、一つの作品の中で、ここまで執拗に追求する様子を読んでいると、気持ち的にはちょっとひいてしまう部分もあったりするけれど、ほっと肩の荷の降りるようなラストが用意されていて、今まで後回しにしていたのを後悔するくらいよかったです。わたしは年代順に本を読んでいるわけではないので分かりませんが、この「血族」の前後でエッセイの書き方が変わってしまっても不思議ではないと思う。

ドラマの方は、もとは1980年にHNKで放送された番組で、主演は小林桂樹。小林桂樹といえば、岡本喜八監督によって映画化された「江分利満氏の優雅な生活」でも、江分利満(≠山口瞳)を演じているだけに、どうしても山口瞳と同一視していまいます。もちろん小説とはすこし違うし、鬼気迫る様子がコメディっぽく見えてしまうところもある。特に会話の部分、本では独白との部分と会話がそのまま続いているので、気持ちの流れに違和感がないのだけれど、ドラマではナレーションが押さえられている分、普通に会話をしているときに急に小林桂樹が怒り出したりする場面が出てきてしまうので、単におかしな怒りっぽい人みたいな印象を受けてしまう。でもストーリーの流れとしては押さえるところは押さえてあって、ドラマ化としては及第点という感じかな。それよりもこんなドラマをNHKで放送していいのか、という気持ちになったりもするけど。
ミーハーなわたしとしては、つい横須賀に行ってみたいような、どうでもいいような‥‥。いや、テレビで見た柏木田の寂れた風景がなんとなくよかったんですよね。でも26年前の風景なのでかなり変わっているんだろうなぁ。
そういえば「居酒屋兆冶」のモデルになった国立のお店も9月で閉店しちゃったみたいですね。

「三の酉」-久保田万太郎-

本というのは、文字を読むだけではないのだなぁと。行間のみならず、少しすれかかった函や背だけが焼けて薄くなった布張りの本体、黄色の紙、押したように少しへこんだ活字‥‥など、そういったものすべてがこの小説の醸し出す雰囲気や世界観を作り出していて、それはおそらく文芸文庫などで読んでも味わえないものだろうという気がします。かといって、初版とかオリジナルにこだわっているわけでもなくて、読めればいい、聴ければいい、というのが基本ではあるのですが、やはりその小説や音楽が初めて世の中に出たときの“かたち”で、接したいという気持ちもあったりして、その辺のバランスが微妙で、かつ難しい問題なのは、本好き音楽好きだけでなく、誰もが抱える課題だろうと思う。わからん。まぁ逆に、そういった雰囲気ではなく、言葉だけで人を感動させるのがほんとうの小説である、音だけで人を感動させるのがほんとうの音楽である、という言い方もできると思うけれどね。

今週は、月曜日、火曜日と夏休みをとったのですが、どこに行くわけでなく、だらだらと過ごしてしまいました。何かしたといえば、わたしが今年の夏行ったイベントで、唯一フェスと呼ばれるイベント、大人計画フェスティバルぐらい。それも、前々日くらいまで行くかどうか迷っていたせいで、せっかく行ったのにもかかわらず、まったく無計画。とりあえず午後から行って、ドッジボール大会とお化け屋敷見て、松尾スズキのママさんコーラス聴いて、展示をさらっと見つつ、純喫茶マンハッタンでコーヒーでも飲んで、エンディングセレモニー見て帰れればいいかな、と簡単に思っていたのですが、そう甘くなかったです。
ドッジボール大会は人だかりでぜんぜん見れず、お化け屋敷は校舎の中のみならず、運動場まで列ができていて、松尾スズキのママさんコーラスは、2時間前から並び始めているという状況。純喫茶マンハッタンなんて、3時の時点でコーヒー売れ切れ‥‥という状態。エンディングセレモニーで校庭に集まった人たちを見て、改めて大人計画って、松尾スズキって、クドカンって、‥‥すごいんだなぁと実感。今どきこんなに人を集められる劇団があるのだろうか?
といいつつ、出店も割と充実していたし、ちょこちょこホットドッグなどを食べながら、校舎の中を回ったり、サケロックの星野源の弾き語りを聴いたり(普通過ぎ!)、文化祭気分を味わいました。