「回想」-小堀杏奴-

2月に入ってからずっと、中国の農薬入りギョーザのニュースが流れ続けていますが、雑誌などでは普通に“餃子”と書かれているのに、ニュースではギョーザがカタカナで表記されているのがちょっと気になります。なぜ?いつから?チンジャオロースやホイコーロー、バンバンジーなどは読みにくいのでカタカナなのは分かるし、シューマイやチャーハンなどもなんとなくわかるのですが、ギョーザは逆になんとなく馴染めない気がするのは私だけでしょうか。
ちなみに杏仁豆腐の“杏”は、この使い方だと表外漢字になるらしい。当て字だから?と言っても、もちろん小堀杏奴は普通に表記できます。内田百けんのように[門構えに月]みたいな注意書きも当然いらない。でもいくら森鴎外の娘といえども、1909年(明治42年)生まれで“杏奴”と名付けられた女の子というのは、子どもの頃どういう扱いを受けたのだろうか、なんて余計なことを思ってしまいます。旅館で“あんずやっこ”と呼ばれたこともあるらしいし‥‥。まぁ、父親のことをかなり尊敬していたみたいなので、あまり気にせずに育った感じではあるし、子どもの頃の環境がわからないので、何とも言えませんが‥‥。
ついでにもう一つ、先日、社会保険庁で、派遣労働の中国人が、漢字読み違えや名字と名前の区切りを間違えて、転記ミスをするというニュースがありましたが、逆に、森鴎外の本名、森林太郎は、日本人だと知っていてもつい「もりばやし/たろう」と読んでしまいがちですよね。

ハーモニー・コリン監督の8年ぶりの映画「ミスターロンリー」を観る。と言っても「ガンモ」も「ジュリアン」も観ていなくて、観たものと言えば脚本を手がけた「KIDS」ぐらいなので、8年ぶりもなにもないですが。
パリの道ばたでマイケル・ジャクソンの物まねをして生計を立てている青年が、マリリン・モンローのものまねをする女性に恋をする。そして彼女と仲間たちが暮らす、物まね芸人だけが集まる共同体に招待されるのだが‥‥というストーリーで、他人を演じることでしか生きられない男の不思議で不器用な恋、そして葛藤が繊細に描かれています。ストーリーだけ取り出すと、ある意味普遍的でありがちなテーマを、奇をてらった設定で描いたものという感じではあるけれど、全体を覆う物まね芸人たちの哀しみ(どの人もあまり似てないし‥‥)や、主人公の心のうちが丁寧に描かれているのがよかった。
登場人物たちが舞台で歌う歌の内容など、多分、私が気がつかない(分からない)裏の意味もたくさん込められているような気がするので、何年かして観たらまた違う印象を受けるような映画です。

連休前の金曜日は、小学校の同級生と飲みに行くつもりだったのですが、相手が体調を崩してしまい延期になってしまいました。仕事中に倒れて救急車で運ばれたらしい。メールには、原因も分からないし年を取ったかなぁと書いてあったけれど、年も取ったけど、これからもまだ長いので原因がちゃんと分かって、全快とまで行かなくても元気になって欲しい。
昨年の3月に小学校の同窓会があってから、2、3回何人かの人と飲みに行ったりしているのだけれど、もちろん今はみんなバラバラで、それぞれ違う環境で生活していても、本質的なところでは小学校の頃とあんまり変わってないな、と思うことがときどきあります。同時に、今自分が仕事をしたり、日々暮らしたりしながら「こういうところは直していなくちゃ」とか「こういう風になりたいけれど、なかなか難しい」などと思っていることが、実は小学校の頃、先生や周りの友だちに言われていたことだったり、当時のクラスの中での役割が、そのまま会社の中での役割になっていることに気がついて、ちょっとびっくりします。そう思うと、20代から今までの自分は無理してきたのかもしれない。いや、そんなことはないって声も聞こえてきそうですが。「三つ子の魂百までも」ってところだろうか。

 「モーにあったよ。彼女はまあまあ元気な様子。
 彼女が言うには、人なんてそんなに変わるものじゃない」(アズテックカメラ)

そして一つ言えることは、生まれたときにマイケル・ジャクソンだったという人は、マイケル・ジャクソンだけってことですかね。いくらその後、マイケル・ジャクソン本人がどんな風に変わろうとも‥‥。そしてマイケル・ジャクソンや小堀杏奴という名前が一つの記号でしかないにしても‥‥。

「極楽寺門前」-上林暁-

土曜日は、近江屋へ行ってきました。毎年、寒い季節になるとボルシチ目あてに近江屋に行ってるような気がしていたけど、ちょっと調べてみたら、前回神田のほうの近江屋に行ったのは、2005年12月で、2年前でした。ということは、本郷の近江屋に行くのはは何年ぶりなんだろう?どうでもいいけど‥‥。
近江屋にはちょうど3時くらいだったので、私たちがいる間はずっと満席で、中には席がなくて帰っていく人がいたほどなのに、なんとなく、行くたびに店内が寂しげな雰囲気になっているような気がするのはなぜだろう?もともと席も少なく天井が高かったりスペースに余裕があるせいか?商品の種類も減っているわけでもないのにね‥‥。(むしろ週末はいつもないと思われる、お総菜パンが土曜日はありました)

で、本当なら本郷三丁目から東大前や後楽園くらいまで古本屋をのぞいたり、裏道の建物を眺めたりしながら、のんびりと散歩したいところだけれど、寒い時期なのでそういう元気もなく、スコスと駅前の大学堂に寄るくらいで帰ってきてしまうのもちょっともったいない。「本郷菊富士ホテルの跡」の碑も一度は行ってみたい場所の一つ。正宗白鳥・真山青果・大杉栄・竹久夢二・直木三十五・坂口安吾・宇野浩二・三木清‥‥といった作家が滞在したことで有名なこのホテルについては、近藤富枝が「本郷菊富士ホテル」という本を出していて、前々から読んでみたいと思っているのだけれど、なんとなくその機会がないままになってしまってます。
上林暁も本郷菊富士ホテルの近くの旧菊坂町に住んでいたことがあって、この本でも、そこで暮らしていた頃のことがが「菊坂二丁目」「駒込アパートメント」の2編に描かれてます。下宿先で一緒だった人たち、本郷菊富士ホテルに宇野浩二に会いに行った時の話、「ジョン・クレアの詩集」にも出てきた英詩人のブランデン先生‥‥など、次々を当時であった人たちについて、熱くもならず完全な客観的にもならずに、走馬燈のように次々とつづられているこの2編は、この本の核となっていると言えるのではないだろうか。

「江戸前食物誌」-池波正太郎-

東京は、朝から雪で、一日家から出ずテレビを見たりして過ごす。
前回、中途半端に(つづく)なんて書いてしまったけれど、正直2日しかなかったし、市街をMUNIやバスで移動しながら、買い物をしたり、古本屋を回ったりしただけなので、サンフランシスコについて特に書くこともなかったりする。しいて観光的な場所といえば、「アメリカの鱒釣り」の表紙になっていたワシントン・スクウェアくらい。気持ち的にはCity Lightsも観光ですけど。

そんなわけでサンフランシスコで行った古本屋について。

■Books & Bookshelves(99 Sanchez St San Francisco)
お店の名前通り本棚と本が置いてあります。行く前に調べていたときはリストに入っていなかったのですが、松浦弥太郎が本であげているのを見て行ってみたのですが、どちらかというと本棚が主で、入り口から中ほどまでシンプルな木の本棚がさまざまなサイズごとにたくさん置いてあり、本は奥の方に詩や小説のペーパーバックを中心に置いてある。という感じでした。ちゃんと題名を読んでないからはっきりとは言えませんが‥‥。

■Aardvark Books(227 Church St San Francisco)
店の広さなども含めて、いろいろなジャンルの本が一律に置いてあるところからも、多分、サンフランシスコの平均的な古本屋なのではないかと思います。

■Adobe Book Shop(3166 16th St San Francisco CA)
大きなソファーが置いてあったり、天窓があって店内が明るかったりしてのんびりできることもあり、今回回った古本屋では一番居心地がよかったです。写真集や絵本、料理関係の本もたくさんあったので、そんな本を抱えてきてはソファーに座って読んだりして、けっこう長居したかも。いや、そもそも店員がずっと店の入り口付近にあるソファーに座っておしゃべりしてました。

■Dog Eared Books(900 Valencia St San Francisco)
前にミオ犬が、もらってきたサンフランシスコ、ロサンゼルス特集の小冊子に載っていた古本屋。ネットで調べたらRed Hill Books、Phoenix Booksと3つの古本屋が同系列であるらしいです。こっちでいうと象のあし書店、ねこの手書店、たらの芽書店、キノコノクニヤ書店‥‥みたいなものか、適当。この周辺には、Forest Booksとかいくつか古本屋並んでいましたが、そこはちょっとパス。Red Hill Booksは、バスに乗っているときに見かけましたが、なかなかいい感じの店構えでしたが、駅からかなり離れている場所だったので、急にバスから降りるわけにも行かず断念。

■Green Apple Books(506 Clement St San Francisco)
Golden Gate Park周辺にある古本屋で市街からはちょっと離れているのですが、前述の小冊子に出ていた写真がよくてわざわざ足を伸ばしてみました。でも。バスから降りたら目の前にあって思わず入ったのですが、なんだか写真と様子が違って「??」。本もコミック系、小説が主だし、併設されているレコード屋の方に音楽・映画関係の本があるだけだし‥‥せっかく遠くまで来たのになんだかな~なんて思って店から出たら、一つ違う店を挟んだ通り沿いにもう一軒あり、そこが写真に載っていた方だったという‥‥。こちらは3階まであって見応え充分。しかーし、なんとクロージングセールやってました。ほんとか?。店員にちゃんと聞かなかったし分かりません。でもぎりぎりで行けてよかったです。

あとは蚤の市に置いてある本屋リサイクルショップみたいなお店の本コーナーとかくらいですね。Black Oak Booksは絶対近くを通ったはずなので、ちゃんと探して行きたかったなーとは思う。そもそも調べてる段階で2軒あるとは知らなかったんですよね~

「ON THE ROAD」-Jack Kerouac-

というわけで‥‥。
三泊五日でサンフランシスコに行ってきました。自由になるのは初日の午後からと2日間だけだったのですが、サンフランシスコ行きの飛行機は、大雨のため上空を一時間半旋回し、結局オークランドの空港へ着陸、給油後、再びサンフランシスコ空港へ向かうというアクシデント。予定よりも4時間以上遅れてサンフランシスコに到着、でももちろん外は大雨で、街を歩き回ることもできず‥‥かなりへこむものの、2日目、3日目は、昼間は曇り、夕方から夜にかけて雨という天気が続き、少し救われました。

今回の大きな目的は、ファーマーズ・マーケットと蚤の市に行くこと、市内の古本屋をちょっと回ること、そしてCity Lightsにいくことで、City Lightsでは、読めもしないのに、「On The Road」のペーパーバックを買ってしまいました。近くには「アメリカの鱒釣り」の表紙にもなっているワシントン・スクエアもあり、さずがにブローティガン御用達のコインランドリーや行きつけのカフェ&バーには行かなかったのですが、なんだか大学の卒業旅行みたいだなーと。いや、勝手なイメージですが‥‥。そういう卒業旅行に行きたかったなーという願望もあり。(つづく)

「小さな町」-小山清-

ようやくというか、今さらというかハーモニーグラスの「This Is Us」のCDを買いました。emレコードから出ているサマーワインもキャスタウェイズもソルト・ウォーター・タフィーの「Finders Keepers」のカバーが一曲目に収録されたトニー・リヴァースのCDも持っているのだけれど、なぜかハーモニーグラスだけは買っていなかったのです。このCDが出たのが1998年なので、気がつけば10年。よく廃盤にならなかったものだと思います。普通のメジャーなレコード会社から出ていたらとっくの昔に廃盤になっているんじゃないかな。
そんなわけで、前述のCDを全部iPod nanoに入れて、電車の中などでずっと聴いているのだけれど、トニー・リヴァースは、基本的にビーチボーイズフリークというか、コーラスも含めてかなりサウンド全体がアメリカ寄りだし、カバーも多いので、何枚も続けて聴いているとちょっとお腹いっぱいな気分になりますね。個人的には、コーラスだけでなく、メロディやサウンド全体に、もう少しトニー・リヴァースらしいさやイギリスっぽさがあるとうれしいのだけれど、まぁ基本作曲家ではなくて、ヴォーカリストだと思うので、その辺は仕方ないのかもしれません(よく分かりませんが。)。

その点、同じトニーでも、マコーレイのほうが(この人のカタカナ表記の仕方がわからん)、サウンド的には、A&M的なMOR(ってすご言い方だな)にもかかわらず、ちょっと曲を聴くだけでトニー・マコーレイだとわかるし、どことなくイギリスっぽさがあって好きかも。ファンデーションズの「Build Me Up Buttercup」や「Baby now that I’ve found you」、ペーパー・ドールズの「Something Here In My Heart」ピケティウィッチの「That Same Old Feeling」、フォーチューンズの「Here Comes That Rainy Day Feeling Again」、エジソン・ライトハウスの「Love Grow」‥‥などなど、一聴すると普通のポップなヒットソングなんだけれど、全然飽きないしね。
でも1960年代後半から1970年代初めにかけてのある意味ブリティッシュロック全盛の時期に、トニー・マコーレイやジョン・カーター、ロジャー・クック&ロジャー・グリーナウェイといった職業作家が、セッション・ヴォーカリストを中心にした実体のないセッショングループを作ってヒットを出していたということ自体が不思議な気もします。しかもモンキーズやアーチーズみたいに、最初からヒットを狙ってグループをでっち上げているという感じもあまりない。それはお国柄の違いか!?
そもそもフラワー・ポットメンが、どういう経緯で作られたのかいまいち分かりません。デモ?で、デモにしち出来過ぎてるからそのまま発売しちゃおう、てな感じで出した「Let’s Go To San Francisco」がヒットしちゃったので、気をよくしていろいろ作っちゃった~という感じなのか?適当。よく考えたら「Let’s Go To San Francisco」ってタイトルもすごいですよね。「そうだ、京都に行こう」みたいな‥‥「そうだ、サンフランシスコに行こう」。

「一本の道」-小林勇-

先日、会社帰りに古本屋さんに寄ったら、レジの横にアルバイト募集の張り紙がしてあって、応募条件のところに「大卒もしくは大学生」と書いてありました。どこの古本屋かは書かないけれど、大学に行かないと町の古本屋でも働けないのかーと思うと、ちょうどこの本を読んでいた時だったけに複雑。小学校卒の小林勇が代表取締役を勤めた岩波書店も、もちろん今では、そんなことはありえないだろう。そういえば、「文芸別冊 池波正太郎」にも、小学校卒で作家になったのは池波正太郎が最後になるのでは‥‥、と書いてあったっけ?
その小林勇の自伝。本を読みながら付箋を貼るような習慣がないので、改めて書き出そうとすると、きちんと思い出せないのだけれど、明治生まれの堅実でひたむきな生き方がにじみ出てます。出版社が、とりあえずタレントに本を書かせて儲かればいい、みたいな感じになってしまっている今、出版社に勤めているすべて人に読んで欲しいような、どうでもいいような‥‥なんてことを言える立場でもない。草思社の倒産とか見ていると、出版社も大変そうなので、こうなったらタレントでも何でもいいからめちゃくちゃ売れる本をいっぱい出してもらって、儲かったお金で、昔の優れた作家の本や、これから100年間読み継がれていくような新しい作家の本を出して欲しい‥‥なんてことも言える立場でもないです‥‥。

話は変わりますが、年末からずっと原田知世の「music & me」ばかり聴いてます。デビュー25周年記念、5年ぶりということで、過去の曲のセルフカバーがあったり、鈴木慶一、大貫妙子といったつながりのあった人たちが参加したりと過去を振り返る要素を入れつつ、プロデュースは伊藤ゴローで、高木正勝やキセルが曲を提供していたりとそのバランスがとてもいい。ずっと追いかけているわけではないけれど、原田知世は、そのときのサウンドを適度に取り入れつつ、でもマニアックにもならず、基本的には自分の声を活かすということに重点が置かれていて、あまりブレがない。「時をかける少女」をボサノヴァのリズムで再演するというありがちな手法も、原田知世が演るといいなと思ってしまうのは、単にわたしがファンだから、というだけではないと思う。

「文芸別冊 池波正太郎」

「鬼平犯科帳」の最後には、「人間というものは妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事を働く。心をゆるし合う友をだまして、その心を傷つけまいとする」と妻に向かって鬼平が言い、この本のどこかで“ただ偉い人を書いてもおもしろくない。」みたいなことを言っていたような気がする(該当箇所が見つからず)。
でも、池波正太郎に関してはっきり言ってしまうと、欠点が見あたらないのが大きな欠点なんじゃないかと思う。池波正太郎のエッセイには、酔っぱらって醜態をさらすようなことも出てないし、一人で悶々と悩む姿もない。経歴的にも、親が離婚して苦労したことも出てこないし、戦時中、軍隊で嫌な目にあったということもないし、デビューするまでに苦労したということも出てこない。また脚本を書くだけでなく、演出もするし、原稿は締め切りの3日までにはきちんとできてるというし、絵もうまいし、料理もできる‥‥。そういう部分はあえて出す必要はなく、裏で努力するもの、と考えているのかもしれないけれど、読み手としてはなんだか堅苦しい気持ちになってしまう。人間なんてこうしたい、こうあるべきだ心がけていても、実際にはなかなかそうはいかないものじゃないだろうか。そういう意味で、わたしは、池波正太郎の「男の作法」よりも、山口瞳の「礼儀作法入門」が支持したい気持ちになってしまうのだ。

「温泉へ行こう」-山口瞳-

「未老先白頭」
1日に浅草寺に初詣に行ってことを前回書きましたが、その時に引いたおみくじに書かれていた言葉。「それ程の年令でもないのに白髪が目立つのは心労が多いためでしょう」という意味らしいです。大きなお世話です。そんなに白髪目立ってないぞー。というと苦労してないみたいでそれもちょっとどうなのか、という感じになってしまいますね。そもそもこれは占いの言葉として適当なのか?「今年は心労が多くて白髪が増えますよ」ってことなのかし知らん。それもそれでいやだなぁー。
だったら温泉でも行ってのんびりしようか、というわけではないけれど、去年はあまり山口瞳の本を読めなかったので、年の終わりくらい読んでおこうと思って、ストックしてあったこの本を年末から読んでみました。タイトル通り、西伊豆や由布院、奥鬼怒など、国内の温泉を巡る紀行文なのですが、「酔いどれ紀行」や「湖沼学入門」といった紀行文のように珍道中というわけではなくて、多少のトラブルはあるにしても、大筋ではつつがなく旅が終わります。まぁ物足りないと言えば物足りない。どことなく「仕事ではあるけれど、山口先生の体調が悪いので、すこしゆっくりしてもらおう」という編集者(スバル君)の心づかいも見え隠れするような気もします。実際、この「温泉へ行こう」の単行本が出たのは1985年12月、山口瞳が“還暦老人”と称して絶筆宣言をした年でもあるのだ。

さて、今日で年末年始のお休みもおしまい。朝ゆっくり起きて、日の出ている頃は家にいて、夕方から出かけることが多かったので、なんとなくだらだらとしているうちに、三が日が過ぎて、気がついたら普通の週末しかお休みが残ってなくて、明日からは仕事始め、みたいな気がするけれど、うちで新年会をやったり、友だちのうちに遊びに行ったり、実家に帰ったり‥‥、よく考えれば、忙しくはないけれど、休みが長いだけにいろいろ遊んだな、という気はします。「遊んだな」というより、「よく食べて、よく飲んだな」の方が正しいのだけど‥‥。お正月というのはそういうものかねぇ~。

「残夢三昧」-内田百けん-

あけましておめでとうございます。今年もカヌー犬ブックスをよろしくお願いします。
年が明ける前にこの雑記のまとめをしておこうと思っていたのですが、年末は九段下ビルで行われていたカウントダウンのイベントに行ったり(カウントダウンといっても29日)、大掃除したり(30日)、大晦日は吉祥寺でちょっと買い物をして、夕方からのんびりしつつ、夜は近くの銭湯に行って、ワインを飲みながらぼんやりとテレビを見ているうちにジャーニーズカウントダウンになっていて、気がついたら年が明けてました。そんなわけでざっと数えてみたら、昨年は69冊でした。一番多かったのは、やはり内田百けんで13冊(今回を含めると14ですか)、次が山口瞳で7冊、あとは1~3冊くらいが続いているという感じですね。今年は大佛次郎の現代物と随筆を読みたいというのと、自分にとって新しい作家との出会いがあるといいなという感じです。

さて、新年になって、浅草に初詣に行って来ました。出かけた時間が遅かったので、落語を聞いたりということはもちろんできなくて、浅草に着いてすぐに天国でお茶して、お詣りしただけで帰ってきました。元旦の渋谷はすいてていいな。
天国は、伝法院通りを歩いていったところにあるホットケーキやホットボッグが主なメニューの小さなかわいい喫茶店。前に浅草に行った時に見つけて、それ以来行きたいな、とは思っていたのですが、行く機会がなかったので、ちょうど店内から人が出てきたタイミングで入れてうれしい。ちなみにディモンシュの店長、堀内隆志さんも前にABCで行われたトークショーの時に、「トークショーの前に浅草にある天国でホットケーキを食べてきました」と言ってました。店の様子もいい感じですが、コーヒーカップやコーヒー豆からピンバッジ、帽子などお店のオリジナルグッズがたくさんあったり(わたしもカヌー犬ブックスグッズ作りたいー。そもそもロゴもキャラも決めってませんが‥‥)、包装紙がかわいかったり、大滝詠一や南佳孝、EPOといった曲がBGMで流れていたりしていて、お店の人に親近感を覚えてしまいます。
でも浅草に行く機会もそんなにないし、浅草にはアンジェラスを含めていい雰囲気の喫茶店がいっぱいあるし、次に行けるのはいつになるのかなぁー。

「今日の雪」-大佛次郎-

7月くらいに買ったものの、さすがに真夏に「今日の雪」を読むのもなぁと思って、冬が来るまで寝かせておいた本。内容のほうは「飛騨の朝市」「散歩について」「物を書く話」など身近な出来事やどこかに旅行に出た時の話、ビートルズ来日公演の見物記である「ビートルズを見た」など、特に“冬”とは関係はない随筆集。ちなみにタイトルは、“フォランソア・ヴィヨン以後用いられているという「昨日の雪」の反語”とのことです。“フォランソア・ヴィヨン以後用いられている”という意味がわたしにはわかりませんが。

私が持っているジャクソンファイブのベスト盤が、クリスマスソングから始まるせいか、12月に入ってからは何年かぶりにモータウン→ノーザンソウルばかり聴いてます。といっても7インチを集めるようなマニアではなし、そもそも個々のアルバムさえ買わずにベスト盤とコンピですましているだけですけど‥‥。でも、例えばコンピ10枚分、約250曲のノーザンソウルのシングルを手に入れるために、どれだけ手間とお金がかかるかと思うと、私のような自分内ブームを追いかけているような人間には手が出ません。基本的にはKENTとかGoldmineから出ているコンピを買っているだけなのですが、思ったよりも簡単に手に入らないです。イギリス盤だから新品は割と高かったりするし‥‥。新宿ユニオンのソウル館とか行くとぜんぜん違うんでしょうけどね。パレードが終わって一年以上経つけれど、久しぶりにノーザンがかかるようなイベントに行きたくなります。
今年もそんな風に無節操にCDを買ってました。だいたい月に10枚~12枚くらいCDを買っている感じなので、年に100枚くらいですかね。その中から特によく聴いたものと言えば、まずは、去年の終わりに出たスペシャル・アザーズの「Good Morning」。これはコーネリアスやToeのアルバムと合わせて聴いてましたね。珍しく過去のミニアルバムもほぼ一気にほぼそろえてしまったし、ライブにも行ったし、かなり聴き込んだグループかもしれません。でもポストロック系、ジャムバンド系のインストは、定期的に聴きたくなるけれど、結局、何を聴いたらいいのか分からなくて意外ときちんと聴き進めていくことがないですね。
それからThe Viewの「Hats Off to the Buskers」。これがきっかけになって、今年は10年ぶりくらいにUKロックに夢中になりました。ある意味、十代のくせにまとまっているなーとも思えるけれど、メロディもサウンドもストレートで、変にマニアックな感じがしないのがいい。あ~ライブにも行きたかった~。
あまり期待していなかったハーフビーの「SIDE FARMERS」もよく聴いた一枚。この手の人はアルバムを重ねると、結局、4つ打ち、女性ヴォーカルみたいな形式に固まってきたりしてつまらなくなるものだけれど、サンプリングの仕方や曲の作り方がいい意味でこなれてきて、聴きやすくて完成度の高いポップスのアルバムになったと思う。
夏の終わりに聴いていたEpstein & El Conjuntoの「Canto de Hermanos」は、前にも書いたようにタワーレコードで偶然試聴して気に入ったCD。この辺のラテン系移民によるブレイクビーツももっと聴きたかったけれど、これ1枚で終わってしまいましたね。
10月、11月は生まれて初めてピアノトリオ(ヨーロッパジャズ限定)にはまったりしていたのですが、そのきっかけとなったのがウォルフガング・ダウナーの「Music Zounds」。ウォルフガング・ダウナーといえばシタールが入った「The Oimels」が有名ですが、こちらはすべてトリオの演奏。ちょっと軽るめのピアノの音と、グルーヴィーとかブルージーな要素がほとんどないライトタッチのノリのよさがなんとなく新鮮でした。ピアノトリオではスティーヴ・キューンの「Watch What Happens」もよく聴きました。で、ついECMまで手を伸ばしたくなってみたりして‥‥