「蜜蜂が降る」-尾崎一雄-

20%OFFセールも終わってなんとなく今年も終わりという雰囲気ですね。あとは、いつもどおりマイペースに本を更新していくだけか。雑記も久しぶり。20%OFFセールでいつもより少しだけ忙しかったということもあるけれど、単に忘年会やらなんやらで飲んで帰ることが多かったことが大きい。前に飲んで帰ってきて発送作業をしたら、間違えて違う本を送ってしまったことがあって、それ以来、飲んで帰った日は基本的に発送作業などはしないようにしているので、飲まない日に発送作業がたまってしまい、雑記どころではなかったのです。とはいうものの私は営業職ではないので、取引先やクライアントなどの飲みはあまりないし、言うほど飲んでもいないんですけどね‥‥。
そんな毎日を送っているせいで、あまり本も読んでませんが、これから31日にかけていろいろ今年を振り返ってみたいと思います。年々一年が短くなっていく中で、振り返るものがなくなっているような気もしないでもないし、やり残したこともあるような、ないような‥‥。いや、「今年はこれをやりたいなぁ」なんてこともここ数年は考えたこともないので、そもそも“やり残し”なんてものは存在しないわけで‥‥。なんてことをぐだぐだと書きつつ今回は予告だけ。

‥‥というのもなんなので、備忘録として。
デビュー40周年を記念して八王子夢美術館で行われている「林静一展」とそれに合わせて行われた「林静一展 トークショー」に、週末、行ってきました。林静一と言えば、有名なのはやはり小梅ちゃんか「赤色エレジー」。そんなわけで、展覧会の方も、女性の絵を中心にイラストレーションや漫画、日本画などが展示されており、ちらしに書かれていた「現代の竹久夢二」という内容。わたしは「ガロ」とか読んでいないので、「赤色エレジー」よりも、「僕は天使ぢゃないよ」やはっぴいえんどのファーストアルバムの印象が強いですね。あのゆでめんのジャケットの絵が「赤色エレジー」一場面ということも初めて知ったくらいです(オリジナルだと思ってました)。
トークショーは、最近出版された作品「夢枕」が、夏目漱石の「草枕」を下敷きにしたものだったり、美術史を語った部分が大きいことから、林静一、夏目房之介、山下裕二、湯浅学というメンバーで、どの出演者も「俺は、俺は」といった、どちらかというと押しが強い雰囲気もありましたが、話の内容としてはおもしろかったです。話しすぎて時間が過ぎてしまい、質問コーナーとかなかったし‥‥。あの質問コーナーって自分が何か質問するわけではないけれど、「えーそんな質問しちゃうの~」とか「そもそも質問の意味がわかんないよ~」みたいな質問があったりして、なんとなくドキドキしちゃうんですよね~。
「林静一展1967~2007」は、2008年2月3日(日)まで。「林静一・浜田真理子 上映会&ライブ」「原マスミ ライブ」などのイベントもあります。八王子夢美術館は、八王子駅からけっこう歩くけどあるので、冬はつらい。

「蜻蛉玉」-内田百けん-

さて、内田百けん集成も後半に突入。

1日は映画の日、しかも土曜日。ということで、ウディ・アレンの新作「タロットカード殺人事件」を観ました。個人的にはウディ・アレン作品としてはいまいちだった前作の「マッチポイント」同様、スカーレット・ヨハンソン主演でイギリス撮影なので、ちょっと心配していたのだけれど、ウディ・アレンが出ているだけあって、いつもの軽快なコメディタッチのミステリーになっていてほっとしました。もうウディ・アレンが画面に出てきてちょこまかと動き回って、おもしろいんだかおもしろくないんだかわからないユダヤをネタにしたギャグを連発して、周りの人を困惑させている様子が出てくるだけでOKです。欲を言えば、「カイロと紫のバラ」みたいな作品を最後に撮ってほしい。

映画の日なので、たまには2本くらい映画を観たいと思いつつも、特に観たいものもなく、家に帰って「アタゴオルは猫の森」をテレビで見る。去年、ガーデンシネマで予告を見たときは、「アタゴオル」なのにCGっぽいアニメはないよなとか、音楽、石井竜也かよとか、不安要素がありすぎて見に行く気になれなかったのだけど、結果としては見に行かなくてよかったです。もうね、最初の石井竜也をモデルにした人がお祭りで歌っているところからダメ。ストーリーもなんだかな~という感じだしね。先日、「ますむらひろしの世界展」に行ったときに、会場で流れていたビデオが「銀河鉄道の夜」だったのがうなずけました。

続いて「進め!ジャガーズ 敵前上陸」「ザ・タイガース 華やかなる招待」「ザ・テンプターズ 涙のあとに微笑みを」と、GS映画を3連チャンで、いろいろやりながら横目で見る。ジャガーズの映画は、中原弓彦が脚本を書いているだけあって、なんとなくモンキーズのテレビシリーズを思い浮かべてしまいそうなめちゃくちゃなコメディ。今度放送されたらちゃんと見直したい。そのあとは、タイガース→テンプターズと進むに従って、だんだん話が湿っぽくなっていくのがどうもね‥‥。タイガースは「世界はボクらを待っている」の方を見てみたいかな。

「ア・ピース・オブ・ヘブン」-蜷川実花-

気がつけば週の真ん中。
先日、世田谷文学館でやっていた植草甚一の展覧会に、終了間際駆け込みで行って来ました。会場はそれほど大きなところではありませんが、植草甚一の幅広い仕事(趣味?)をコンパクトにポイントを抑えて展示してあって、思っていたよりもいい展覧会でした。もっともそんな風に思えるのは、個人的に、植草甚一を追っかけていたころから、かなり時間が経ってしまっているからなんだと思います。もし夢中になっている頃だったら、物足りない部分やもっと自分を知らない部分を求めてしまっただろうしね。
まぁ、植草甚一の展覧会を、世田谷文学館でやる、ということに大きな意味があるような、ないような‥‥。

で、改めて植草甚一が選んだものを見てみたら、どの分野に関しても選ぶ基準がはっきりしていることと、かなり真っ当なセレクトをしていることにに気がつきました。特に音楽に関しては、過去のさまざまなジャンルのお墓を掘りおこし尽くしたピチカート・ファイヴ→サバービア→モンド・ミュージックを通り抜けたあとだけに、植草甚一のこだわりがより目立つました。
あとは手紙やノートなどの私物を見られたことがよかったです。私物や私信であっても、どれも丁寧にきちんと書かれていたり、作られていたりして、昼間は神保町などを歩き回り、夜は映画を観て、帰ってきてこんなものをコツコツと作っていたとすると、この人は一体いつ寝てたんだろうという疑問が頭を離れません。あー、お酒飲まないから?いや知らないけど、あまりお酒のこと書いないような気がするし‥‥。

「シェリー酒と楓の葉」-庄野潤三-

庄野潤三が1957年秋から翌58年夏まで、米国オハイオ州ガンビアのケニオンカレッジに留学していたときのことを、後年、そのときの日記を見ながらつづったエッセイ集。
ガンビアのシリーズとしては、留学生活の前半を描いた「ガンビア滞在記」が1959年、その19年後、1978年にこの「シェリー酒と楓の葉」、後半を描いた「懐かしきオハイオ」は、さらに10年以上経った1989年という長いスパンで発表されています。なんとなく「ガンビア滞在記」など読んだようなエピソードがあるような気がするけれど、そんな気がするだけで、実際はどうなのかわかりません。でも今になると、さらさらと三冊続けて読むこともできますが、リアルタイムで庄野潤三の本を読んでいた人にとっては(もしくは庄野潤三本ににとっては)、ほんとに忘れられた頃に届けられる(書き始める)、という感じだったのだろうから、ある程度、エピソードを重ねることによって、前のエピソードを思い出してもらうという意味合いがあったのかもしれません。

週末は、古今亭駿菊独演会を見に鈴本演芸場に行ってきました。駿菊さんは、真打ちになった6年(くらい)前から、毎年秋になると独演会を開いてます。ここ3年くらいは毎年見に行っているので、駿菊さんの落語を聞くともう今年も終わるなぁ~と思う。で、お正月くらいまでは、なんとなくまた落語でも聞きに行こうかとか、初詣は浅草にして帰りに浅草演芸ホールに寄ってみようか、なんて気分になるのけれど、実際に行くことはあまりない。今回は土曜だったせいもあって会場前から列ができ、開演時にはほぼ満席という盛況ぶり。こう言ってはなんだけれど、駿菊さん以外には特に有名な人も出ていないのにね。前座に出ていたのは、ミオ犬に記憶によると去年、座布団をひっくり返したりしていた人だったらしく、客席も暖かく見守るといった感じで、こういう人が、だんだんとうまくなって、やがては真打ちになったりするのを見るのも落語の楽しみなのかもしれないと思う。でも、それだけに駿菊さんが話し始めると、話に引き込まれてしまい、改めて駿菊さんの話のうまさを実感しました。特に2つ目の「宗珉の滝」は、人情話なので大きな笑いはない。それにもかかわらず、駿菊さんの身振り・手振り、手ぬぐい、扇子といった小道具だけで、観客を引きつける様子を見ていると、普段、“落語=笑い”のイメージを抱きがちだけれど、実は、落語のおもしろさはその話芸にあって、その中の一つの要素して“笑い”があるのだな、と思ってしまう。いや適当。

落語を“話芸”とするならば、小説は“文芸”って、あらら、そのまんま。小説の場合は、“文章”自体で引きつけるか、“物語”で引きつけるかという2つの選択肢があって、庄野潤三は間違いなく前者。でも、個人的には、昔ほど庄野潤三の文章に引きつけられるということがなくなってるので、前者の代表に選ぶのはちょっと‥‥という気はする。クセはないし、読みやすいんですけどね。

「タンタルス」-内田百けん-

11月に入ってからいろいろあって雑記を書いているような状況ではなくて、気がつけば半月ぶりになってしまいました。本も全然読んでないしね。そんな感じではあるのですが、今日でこの雑記も500回目です。初めてから4年半くらいなので、一年で約100ちょっと、3日に1回くらいですか。まぁ多いのか、少ないのかわからん。
内容はともかくとりあえず長く続けていると、それだけで個人的には、去年とか一昨年に何していたか確認するのに役立っていたりします。気持ちとしては、古本屋の店主が奥のレジに座って本を読んでいる様子が出ればと思っているのですが、どうなんでしょう。店主が閑そうに店番している古本屋なんて実際にあるのかどうか知りませんけどね。

雑記も500回ですが、内田百けん集成もこの「タンタルス」で12冊目。ようやく折り返し地点です。しかも新刊ではなくほとんどを古本で手に入れたのに、読んだ12冊は、なぜか1巻の「阿房列車」から12巻の「爆撃調査団」の前半。もちろん順番はバラバラだけれど、もともと12巻までだったものが、24巻に増えたのを考えると、実は12巻までは売れたけど、その後はあんまり売れていなくて、これから手に入りにくいのでは、なんて思ったりもします。
どちらにしろこの様子だと今年中に読み終えるのはちょっと無理で、来年の夏頃になりそうですね。

あー500回目なのにこんなんですみません~

「ぽっぺん」-石田千-

前に読んだ「屋上がえり」のようにテーマがきちんと決まっていないので、ときどきこれは実はフィクションなのではないかと思うときがあるのだが、実際はどうなのだろう。よくわからない。でも気分的には、実は半分くらいフィクションだったらなぁ、とも思う。

前回、ヴィブラフォンのCDを紹介してから気がついたら1カ月経ってしまってました。「9月によく聴いたヴィブラフォンのCD8枚」なのに、もう11月‥‥。でも毎回、前半だけ書いて放置、というのもなんなので、今回は後編も書きます。いや、もう一回ぐらい続けちゃおうかなぁ~ということで、「深まる秋とヴィブラフォン」と題して、“中編”にします。後半は来月かな~

■「Jungle Fantasy!」-Bobby Montez-
オリジナルはかなり高い値段がついているらしいクラブ・ジャズのクラシック、とのこと。でもわたしは、こんなジャズがかかっているような、クラブに行かないのでわかりません。もう少し早く、夏の初め頃に聴いていたらアフロキューバンにはまったかもしれない。解説に書いてあるけれど、ジャケットも含めてどこかエキゾチックな雰囲気もあります。

■「Easy Living」-Joe Roland-
ジョー・ローランドは、ジョージ・シアリング・クインテット出身のヴィブラフォン奏者。このアルバムもかなりジョージ・シアリングに近いかなり端正なイージー・リスニング・ジャズ。前半で紹介したエミル・リチャードもジョージ・シアリングのバンドにいた人だし、一度、その辺をきちんと調べたいですね。

■「Sam Francisco」-Bobby Hutcherson-
フュージョン前夜という趣のサウンド。全体的にスローなテンポ、かつ重いリズムの曲が多く、1960年代後半から1970年代初めのサスペンス映画のサントラ、と言われても納得してしまいそう。

■「Got The Feelin’」-The Dave Pike Set-
デイブ・パイクにはずれなし!ジェームス・ブラウンの「Got The Feelin’」、クラッシックIVの「Spooky」、「You Know the Way to San Jose」などの曲をカバー。オルガンの入った編成もよいのだが、リズムがちょっとチープなのでどことなくB級っぽいです。

「朝夕」-里見弴-

久しぶりに旧字体の本を読むと、すっかり忘れていてスムーズに読み進めることができない。つくづく記憶力がないことに気づかされます。文章自体はくせがなくて読みやすいので、何とか読めるけれど、定期的に読むようにしないと、吉田健一とか読めなくなってしまいそう。

9時過ぎに買取の荷物が届いて起こされたのはいいけれど、もう一回寝ると昼まで寝てしまいそうだし、かといって外は雨なのでなんにもできず、テレビを見ながらだらだらとしていたら、行定勲が「ロックンロールミシン」について語るという番組が放送されていた。わたしは過去の行定勲の作品を見たこともないし、「ロックンロールミシン」にも、ましてや「クローズド・ノート」とか「世界の中心で、愛をさけぶ」とかまったく興味がないのだけれど、なんとなくそのままつけっぱなしにして、届いた本のチェックをしていたら、主人公たちが住んでいたアパートのロケ先が、前にわたしが勤めていた会社の目の前にあった建物だったので、思わず見入ってしまった。
壁一面が草に覆われている古いアパートで、夏になると緑色の葉っぱが、もりもりと生い茂り、冬になると枯れて一面が茶色になってしまうため、ガチャピン・ムックと呼んでいた建物で、よくベランダでたばこをすいながら眺めてたのを思い出す(ときどきビール飲んだり‥‥)。映画では逆に、アパートから周りを眺めているという映像の片隅に、会社の建物やベランダが映ったりして、なつかしい。いや、会社やめてからも、ときどきその辺を歩いたりしているので、それほどなつかしくもないんですけど‥‥。でも、映画が公開されたのが2002年、撮影されたのは2001年くらいとすると、まだその会社に勤めていた頃の風景なわけで‥‥。
そう考えると、あのアパートでなんか撮影っぽいことをしていた記憶があるような、ないような。場所的には高級住宅街の真ん中なので、よく有名人が歩いていたり、ロケが行われていたりしたし、池内博之、りょう、加瀬亮といった人たちにも興味なかったしね。一度こっそり中に入ってみようと思いつつもその機会がなく、会社を辞めてしまったので、建物の中や屋上がこんな風だったのかなどと、今さらながら知ることができて、またあの辺を散歩してみたくなったりして‥‥。

「贋作吾輩は猫である」-内田百けん-

本家の「我が輩は猫である」を読んだのは、小学校6年か、中学1年の頃か?新潮文庫で読んだ記憶があるのだが、当然細かい内容は忘れてしまっている。この本は、設定はもちろん、登場人物のネーミングなど、「我が輩は猫である」のかなり細かいパロディとなっているらしい。となれば、やはり「我が輩は猫である」をもう一度読んでからでないとだめかな、と思っていたのだけど、寝る前にベッドに腰掛けて、なんとなくページをぱらぱらとめくっていたら、繰り広げられる会話がなにやらおもしろそうだったので、読んでしまった。
きちんと元ネタの詳細を把握して読むとまた違ったおもしろさがあるのだろうけれど、正直な話、ストーリー的には、「我が輩は猫である」を意識したものではないと思うし、元ネタがわからなくても普通におもしろい。いや、どちらかというとストーリーは二の次で、登場人物たちが酒を飲みながら話している内容を読んでいるだけでいい。なんてことを書きながら、雰囲気はまったく違うけれど、それって吉田健一の小説と同じではないか、なんて思った。どこか世の中の流れから離れて(浮いて?)過ごしているようなスタンスが、ベクトルは違うけれど、内田百けんにも吉田健一にもある。そうでなければ、45円の月給を初めて取り出した時、見栄を張ったり贅沢をしているわけでもないのに、月に80円以上の生活を送るなんていう芸当はできない。

「ふるさと・東京」-池田弥三郎-

9月の終わりくらいから、仕事が終わった頃に「今日どうする?」「お腹空かない?」「ちょっと飲んで帰る?」みたいな感じで飲みに行けなくなっているのだけど、15年勤めていた人がやめてしまったり、新しい人が入ってきたり、人事異動があったり、加えて、前の会社の人と会う機会が、10月に入ってから続けてあったりしたので、それでも週に3回は飲みに行くことになってしまってます。でも一年ぶりとかで何人か集まると、なにやら意味なく盛り上がってしまいますね。
中には、ゆっくり話すのは久しぶりだけれど、よく考えてみれば、この前電車の中で会ったね、とか、そういえばその前にも下北で会ったね、とか偶然よく会う人もいて、改めて確認すると、意外と久しぶりでもなかったりすることがわかっておもしろい。前の会社のその人に限らず、何カ月かに一回ぐらいの割合で、どこかで偶然に会う友だちというのは、なんとなく不思議で、レコード屋や本屋で会うというのは、まぁあるとしても、たまたま道を歩いていてすれ違ったり、なんとなく入ったドトールにいたり、電車の中で前の席に座っていたり‥‥。そういった友だちが、近くに住んでいるというわけでもなくて、逆に近所に住んでいるのに、もう何年も会ってなかったりする人もいるし、行動パターンが似ているというだけでは、説明できない何かがあるような、ないような‥‥。

池田弥三郎に限らず、街や酒に関する随筆を読んでいると、どこどこの飲み屋やカフェで誰を見かけたとか、どこどこで誰と偶然会い、そのまま一緒に飲んだ、といった話がよく出きます。でも週に何回も飲みに行って、行ったら行ったではしご酒で、しかもある程度行動パターンが同じ、とくれば、偶然とは言えないのかもしれないけれど‥‥。

「屋上アイランド」

こういう写真集を眺めていると、毎週とは言わないまでも、月に一回くらいの割合で、何かしらのテーマにあうような場所を、身軽な格好でカメラだけ持って散歩したら楽しいだろうなぁ、と思ってしまいます。次にどこへ行くかを調べるだけでも楽しそうだけれど、なかなか実行にうつせないのは、テーマさえ決まらない、という状態だから、です。別にどこかに発表したりするわけでもないので、テーマなんてなんだっていいのかもしれないし、誰かのまねでもいいのかもしれない、なんて思うと気が楽になるのですが、そうなると逆に「あれも撮りたい」「これも撮りたい」という気持ちになってしまい、逆にまとまらないという‥‥。ダメダメです。とりあえず適当にテーマを決めて、今週末はどこかに行こう。いやその前に、そろそろ植草甚一展に行かないと。