「鬼平犯科帳」の最後には、「人間というものは妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事を働く。心をゆるし合う友をだまして、その心を傷つけまいとする」と妻に向かって鬼平が言い、この本のどこかで“ただ偉い人を書いてもおもしろくない。」みたいなことを言っていたような気がする(該当箇所が見つからず)。
でも、池波正太郎に関してはっきり言ってしまうと、欠点が見あたらないのが大きな欠点なんじゃないかと思う。池波正太郎のエッセイには、酔っぱらって醜態をさらすようなことも出てないし、一人で悶々と悩む姿もない。経歴的にも、親が離婚して苦労したことも出てこないし、戦時中、軍隊で嫌な目にあったということもないし、デビューするまでに苦労したということも出てこない。また脚本を書くだけでなく、演出もするし、原稿は締め切りの3日までにはきちんとできてるというし、絵もうまいし、料理もできる‥‥。そういう部分はあえて出す必要はなく、裏で努力するもの、と考えているのかもしれないけれど、読み手としてはなんだか堅苦しい気持ちになってしまう。人間なんてこうしたい、こうあるべきだ心がけていても、実際にはなかなかそうはいかないものじゃないだろうか。そういう意味で、わたしは、池波正太郎の「男の作法」よりも、山口瞳の「礼儀作法入門」が支持したい気持ちになってしまうのだ。