■北は北海道から南は鹿児島までの旅の様子をつづった晩年の随筆集。昭和30年代後半から40年代初めに書かれたものを中心にまとめられている。晩年にこうした本が出たのは昭和37年に「大陸の細道」が芸術選奨文部大臣賞を受賞したあと、さまざまな雑誌や新聞からの原稿依頼が多くなり、その一つとして紀行文が書かれたようだ。
中国(満州)での話や交通事故に遭い指を怪我し、その療養に温泉にいった話、ふるさとでの話などが印象的なため、いろいろなところに行っている気がしていたが、これらのものは雑誌社の依頼によるもので実際はそうでもなかったらしい。そう言われてみると、確かに作品のほとんどが阿佐ヶ谷や西荻~吉祥寺あたりの近所での出来事ばかりではある。と言っても、依頼されての旅行でも飄々とした趣はそれまでの木山捷平の随筆と変わりない。が、わりと律儀に好きな作家の碑など観光したり、土地の人に会ってインタビューしたりしていて、それはそれできちんとした紀行文になっているとも言えるかもしれない。
■週末(っていつの週末だ?)70年代バイブレーションを見に行こうと思って、横浜に向かっている電車の中で、ごはんを食べるところとか調べていたら、「上菅田町は横浜のチベット自治区」というタイトルで笹山団地を紹介しているブログを見つけ気になってしまい、そのまま笹山団地に行ってみた。
笹山団地はわたしが生まれてから小学生まで住んでいたところ。もう40年前のこと。横浜の保土ヶ谷区のすみっこにあり、横浜から相鉄線に乗って、西谷で降りて20分くらい歩いたところにある。隣には竹山団地もあって、全体でいうとどのくらいの棟があるのか分からないくらい多くの団地が集まっている。
さすがに西谷から歩いていくのは暑いので、横浜からバスに乗って行ってのだけれど、団地内だけでバス停が3つもあって、まずどこで降りたら、自分が住んでいた棟に一番近いのかわからない。とりあえず終点まで行き、案内板を見ていると、団地内は大きく変わっていないせいもあって、記憶通りに歩いたらだいたい自分の行きたい場所に行けるようになった。小学校の時の記憶ってちゃんと残ってるものですね。
団地自体は40年もたっているのでかなり老朽化しているが、荒れた感じはなくて、昭和40年代に作られた団地なので一つ一つの棟が小さくてコンパクトにまとまっているといった感じ。前述したとおり棟の数が多いので、全部解体して新しいマンションにするのは難しそう。住んでいる人もお年寄りが多そうだしね。
■ついでに近くを散歩。記憶では小さな商店街というか、小さいお店が数軒集まっているところが2箇所あったと思うのですが、1箇所は普通のドラッグストアになってました。もうひとつは残っていたけれど、お店のほうは開いているのか、閉店しているのかよく分からない状態。週末だからといって賑わっている感じでもなし。団地にはまだ人が住んでいるのだから、もっと人が居てもいいのにと思う。
■なんだか昭和40年代を象徴しているような雰囲気で、いろいろ考えることはあるけれど、それは懐かしい気分とはちょっと違っていて、自分の中でうまくまとまらない。なんとなくこの団地の存在そのものが終戦から経済成長~バブル期の境目にあるような気がする。で、境目にあるからこそ、終わったものとしてなくなるわけでもなく、そのまま存在し続けてしまっているように思えた。
多分、もう行くことはなだろうけど、これからあの場所はどう存在し続けるのか、それともあたらしく生まれ変わるのか、自分が生まれた場所ということとは関係なく気になります。