「僕たちの七十年代」-高平哲郎-

■大学時代に企画したイベントのエピソードから晶文社の本に関わるようになったきっかけ、雑誌「ワンダーランド」の発刊から「宝島」になるまで、そして「宝島」の編集長を辞めたあとの、赤塚不二夫やタモリ、山下洋輔らとの仕事まで、高平哲郎の70年代を振り返った本。
高平哲郎の名前を知ったのは晶文社関連だったか?「笑っていいとも」のクレジットだったか?随分前のことだけどなんとなく著作を読むのを避けてきたのだけどようやく読んでみた。すごいなぁと思うし読んでいておもしろいけれど、なんとなくひっかかるものがないのは、わたしが歳を取ったせいなのか。こういう話ってどの時代でもたくさんあるんだよなーとか思ってしまう。そこから一歩抜けてない気がするのは何が足りないのか、わたしにはうまく言えませんが‥‥ただやっぱり読むんだったらまずは「スタンダップ・コメディの勉強」や「みんな不良少年だった―ディープ・インタヴュー」にすればよかったという気はしてる。

-■この本を読んでしばらく経った頃、「月刊宝島」と「キューティ」休刊のニュースが出ててちょっとびっくり。もちろん最近の「宝島」がどんな雑誌になっているのか、なんてまったく知らない。逆にまだ出ていたのか?と言う気もする。「宝島」ほど時代によって内容をがらりと変えることで生き続けてきた雑誌はないんじゃないかと思う。それほどまでに「宝島」という名前を残したいという執念はなんだったのだろう?高平哲郎の怨念か(笑)ぜったい無理だろうけど、「ワンダーランド」から休刊にいたるまでの「宝島」通史というのを読んでみたい気がする。

■ぜんぜん話は変わるけど、前に会社の人が新しく入ってきた人に「子どもの頃、『ジャンプ』に連載されてた漫画で何が好きだった?」という質問をすると世代が分かるって言ってたけど、「『宝島』ってどんな雑誌のイメージ?」って聞いても世代によってぜんぜん違いそう。というか、若い人は「宝島」を知らないか。

-■暑い時は涼しい美術館だよな、なんて思って、現代美術館のオスカー・ニーマイヤーの展覧会「ブラジルの世界遺産をつくった男」を見た。しかし美術館は涼しいけど、現代美術館にしろ、8月のはじめに行った原美術館にしろ、逗子の近代美術館 葉山にしろ駅から遠いので、美術館に行くまでがつらいというね。

■オスカー・ニーマイヤーはブラジルの建築家。ル・コルビュジエに師事し、国民会議議事堂や外務省、大聖堂など首都ブラジリアの主要な建物の設計を手がけている。オスカー・ニーマイヤーが設計した建物の写真・映像・ジオラマが展示されている。大胆な曲線とモダニズムの幾何学模様、そしてはっきりとした色使いが特長なのですが、ジオラマではそれがあんまり伝え切れてなくて、やはり写真や映像に目が行って行ってしまう。建築を学んでいる人にとってはわかりやすいのかもしれませんが、わたしは建築に詳しいわけではないので、建物そのものよりも回りの地形や風景も含めた調和によりひかれるということもあるかもしれない。あと首都ブラジリアをはじめとした建築途中の映像ね。これは特にブラジリアという都市が、何もないところから建設されたということもあって、単純におもしろい、というかすごい。
おそらく今後の人生でもブラジルに行くことはないような気がするけど、建築を学んでいるわけではない自分でも、いつか、これらの建築を見に行くためだけでも、ブラジルに行ってみたいと思わせるような展覧会でした。