「Lumi`ere」-東野翠れん-

写真家としてのキャリアをスタートさせた16歳からの6年間に撮りためた作品をまとめた写真集。東野翠れんのロシアの旅をホンマタカシが撮った「アムール 翠れん」(宮崎あおいの中国や蒼井優の米国・メキシコなど、最近そういう企画が多いような気が‥‥)と同じくらいの時期に発売されたこともあって、そのときは勢いで両方買ってしまおうと思っていたのだけれど、なんとなく買わないままでいたら一年が経ってました。いや、実はこれを買おうと思って前に書いた「アムール 翠れん」のときの雑記を読み返してみたら、日付が2005年1月30日になっていて、はじめて一年前って気がついたのでした。一年前かぁ~。
サイズも小さいし、印刷も写真集としては特別きれいというわけではなく、普通の印刷なので、基本的には写真の中身よりも全体的な雰囲気を味わうといった作りで、冷静に言ってしまうと、その辺が東野翠れんの立ち位置の微妙さだったり、購買層に対するマーケティングだったり‥‥を露出していると思うし、文章とか入れないで欲しいなぁとも、思う(まったく読んでませんが)。わたしももう30代後半なんで、10代の女の子のつぶやきみたいな文章を読みたくないわけですよ、と。

ロバロバカフェの古本市も気がつけば後半、ということで、土曜日に雨の中、夜から本の入れ替え作業を行いました。実際にちゃんと売れているのかあんまり売れてないのかわからないけれど、少しは減っているようでちょっと安心。
去年、東麻布で古本屋やったときは、1店舗だけだったし、期間が短かったので、とりあえず持っていける本を全部出す、という感じでもよかったのだけれど、今回みたいにいろいろなお店と一緒に、ある程度長い期間ということになるといろいろ難しいなぁ、と、入れ替えをしながら改めて思いました。まず古本市に出すものとサイトに残すもの選択をもっときちんとするべきだったし、それからほかの店との兼ね合いももう少し考慮するべきでしたね。特にうちはぜんぜんマニアックな本屋ではないので、基本的には普通の本好きの人に買ってもらえればいいのですが、海外文学自体が狭いサークルだしね~。どう考えても「ヴィトゲンシュタインの箒」なんて本を探している人がロバロバカフェに来るとは思えないし、かといって売れそうなものばかり並べるわけにもいかないし‥‥。
そういう意味で、今回いろいろな本屋さんに混ざってみることで、これからカヌー犬ブックスをどういう本屋にしていくか、ということを考えさせられました。そもそもそういう風にうろうろしていること自体間違っているのかもしれません。
来年また開かれるかどうかも、そしてもし開かれたとしても誘われるかどうかもわかりませんが、次にやるときはもっと考えて参加したい。いや、今回なにも考えていなかった、というわけではないし、あと一週間古本市はつづくわけですけど‥‥。

「感想A」-吉田健一-

「感想A」そして「感想B」は、「新聞一束」の一部に「乞食王子」と「甘酸っぱい味」を加えて再編集した本なので、中には読んだことのある文章が出てくるし、ひとつひとつの文章は短いのだけれど、ささっとは読めるものでもなく、ひとつひとつの言葉を追うようにして読んでいくので、なかなか読み終えることができなかったりします。もちろんそれは独特の文体のせいもあるけれど、旧漢字・旧仮名遣いで書かれている、という理由も大きい。少しずつ旧漢字にも慣れてきてるといっても、やはり実際に読めない漢字も多く、飛ばしている言葉もかなりあります。ただ内容的には、政治のことにしても、東京の街についてにしても、文学についてにしても、食べ物に関することにしても、言っていることはまっとうな正論で、正論過ぎて話の話題にもならないような気がするほどで、今ではもうこういう正論を堂々と発言する作家なんていないだろう。

というわけで、いつまでも、読めない旧漢字を推理しながら読んでいくのは面倒なので、去年の終わりくらいから旧漢字が載っている古い辞書を探しているのだけれど、意外と「これは」というものに巡り会えないまま年を越してしまいました。古本屋さんに辞書を持ち込む人ってあまりいないのか、それとも古本屋が引き取らないのか、引き取ったとしても売れないので処分されてしまうのか、理由はたくさんあるような気がする。
そういえば、子供の頃、「辞書と地図は年々変わっていったり、新しいものが増えるのでので、新しいものを買うべきだ」、なんて言ったのは誰だったのか。言葉の使い方も、書き方も、読み方も本来の意味からどんどん離れていって、今出ている辞書なんてもう信用できないような気さえしてしまうのは、そんなことを言うほど言葉を知っているわけではないわたしの思いこみですね。いつかは昔の辞書がない=昔の本を判読できない、というときがくるわけで、そういうことを考えるとなんだか怖い気がします。すでに明治の頃に書かれた文語体の文章とか読めないもんね。

「構成的ポスターの研究―バウハウスからスイス派の巨匠へ」
-多摩美術大学ポスター共同研究会-

なぜかデザイン関係の本が続いてますね。「Magazine Covers」はリブロの洋書バザールで、これは代官山のCollexの片隅でやっていたユトレヒトの人たちが出品しているフリーマーケットで購入。多分、ロバロバカフェでもなんか買いそうだし、年の初めはこの手の本が多くなるような予感‥‥。フリマの方は、出店(?)している人が人だけにスペースは狭いけれどおしゃれなものが並んでいて、いろいろ欲しくなってしまいましたが、ぐっとこらえてこのほかにはフレンチキーホルダーやカフェオレボウルだけを買って帰りました。
ずっと前から欲しかった本ではあるけれど、内容的には多摩美術大学ポスター共同研究会によるものだけに、内容的にはただ眺めて楽しむ、というよりも、デザインの研究に主眼をおいていて、目次だけ見ても「構成的芸術・グラフィックデザインの年代順動向」「構成的ポスターの属性と属性図」「スイス派の造形方法」「構成的ポスターにおけるサンセリフ体」「ポスターの記号論的考察」「印刷と用紙から見る近代ポスター」‥‥といった難しそうなタイトルが並んでます。当然、わたしなどには理解不能な、あるいは実践不能な面も多いわけで、こんな本をわたしが持っていても宝の持ち腐れなのでは、と思ってみたり、たまにはじっくり読んで、わかるところだけ、できるところだけ、取り入れられれば、と軽く考えてみたり‥‥しながら、まずはポスターの写真を眺めたり、気のひく部分を流し読みしたりしてます。

ところでわたしにとって年の初めといえば、山下達郎、大滝詠一の新春放談である。はじめて聴いたのは1985年なので、もう20年もこの二人の対談を聴いて年の初めを過ごしてきたことになわけで、気分的には、もう大滝詠一のニューアルバムは期待していないかわりに、この新春放談が年に一度のニューアルバムみたいな感じになってます。にもかかわらず、今年はなんと録音しそこねてしまいました。あぁ~。日曜日、ロバロバカフェに行く前にちゃんとタイマーをセットして、帰ってきてからスイッチを入れたらFM東京が流れて来たのにもかかわらず、なぜか録音されていない。タイマーの設定もちゃんと録音するようになってたのになぁ、バナナレコードの年賀状のお年玉クジ(?)に当選して1000円の商品券をもらったのが吹っ飛ぶくらいがっかり。しかも今年の新春放談は一回だけらしい‥‥。

「Magazine Covers」-David Crowley-

グラフィックデザインの代表的な媒体としては、ポスターと広告があげられるのだろうけれど、個人的には雑誌(本)の表紙もわりと好きで、一時期そんな表紙を集めた本をよく買ってました。広告もそうだけれど、雑誌の表紙はある期間同じデザイナーがてがけていることが多くので、とおしてみるとその人のデザインの傾向や変遷が分かったりするし、ときどき実験的な手法を用いていたりするときがあって、興味深い。ただ雑誌の表紙というのはアメリカが中心でヨーロッパのものはあまりまとめられたものがないような気がします。そもそも雑誌というメディアがアメリカ的なのかもしれません。偏見ですが、アメリカという国は、分量の多い長編小説や何年もかけて連載される新聞小説よりも、雑誌に掲載される短編小説やコラムの方が重要視されているように思います。
この本には、1920年代から2000年までの表紙が掲載されていて、ひとつひとつの雑誌については、それほど多くの表紙が掲載されているわけではないので、そのデザイナーの変遷という意味では物足りない。およそ100年という長い期間でのデザイン全体の流れ、というか印刷技術の進歩の様子がわかるという感じではあります。まぁ月並みですが、1950年代から1960年代にかけて作られたものが好きだ。それは好みの問題もあるけれど、ある意味、印刷技術とデザイナーのアイデアがちょうどいい具合のバランスを保っているような気がします。それより前の時代は、アイデアよりも技術の方が追いついていない気がするし、それ以降は技術の方が進みすぎているような‥‥。ただの個人的な印象に過ぎませんけどね。

さて、週末からロバロバカフェの新春古本市が始まりました。わたしは基本的には社交的な性格ではないので、こういう機会がないとほかの古本屋さんの人と話したりすることもないし、来てくれた人と話したりすることもないので、特に店番の当番でなくても、行けるときはできるだけ顔を出して、用もないのに店の中をうろうろしたり、人が沢山はいってくると居場所がなくなってときおり外に出てみたり、コーヒーやケーキを食べたり、ほかの本屋さんの本を眺めたりしてるつもり。ロバロバカフェ自体もかなり居心地のいいカフェですしね。

「年年歳歳」-安藤鶴夫-

今年中にもう一冊くらい読んで、大晦日あたりにここの更新ができるといいのだけれど、どうなるのだろうか。
「あまカラ」に「食べもののでてくる話」という題名で連載されていたものをまとめた「雪まろげ」の続編。当然のことながらこちらのほうも、食べもののことよりも身辺雑記が中心になっているが、「雪まろげ」の一番最初に取り上げられた浅草の駒形どぜうが、「年年歳歳」の最後にふたたび取り上げられてたりする。
江戸っ子の言葉なんて、わたしにはぜんぜんわからないし、ときどき意味のわからない言葉も出てくるけれど、安藤鶴夫や秋山安三郎の文章の、ていねいできれいな言葉の使いようと、「ン」など話し言葉を表した勢いのあるカタカナの使いようのバランス、その適度なリズム感が好きだ。江戸っ子という狭い範囲を超えて、日本語の一つのお手本といえるのではないかと思う。特に、小説のように肩に力の入ったものではなく、内容的に気楽なもの・ことを書いているだけに、文章の流れやリズムが強調されるのかもしれない。こういう本を、もっと前、10代の頃に少しでも読んでいたら、わたしの書く文章も少しは違ったものになっただろうに、なんて後悔も少しだけしてしまいますね。別に文章を書く仕事をしているわけではないので、独自のスタイルを駆使したり、難解なロジックを組み合わせたりする必要はぜんぜんなく、ただ正しくてきれいな日本語を使って、流れがスムーズで読みやすい文章が書けたらいいな、と思うのだけれど、まず正しい日本語を使うということから難しいわけで・・・・。

「青春忘れもの」-池波正太郎-

20代の後半頃は、毎年12月になると池波正太郎の随筆ばかり読んでいたものだけれど、最近ではもうほとんど読むことはなくなってしまってます。この雑記でもちゃんとした池波正太郎の本が取り上げられたのははじめてになるのではないかな。時代物まで手がのばさなかったせいもあるし、随筆ばかりだと、読み重ねていくうちにタイトルは違っても内容は似たようなエピソードが書かれているなんてことが多くなってきたりして、気がついたらまったく読まなくなってしまった。でも池波正太郎を読み、檀一雄や吉田健一、獅子文六、小島政二郎・・・・といった人の料理に関する随筆をたどっていったことによって、今の私の読書傾向が決まったという意味では、池波正太郎の存在は大きいといえるかもしれません。よくわかりませんが・・・・。

さて、クリスマスだからといってそれほど気合いを入れているわけではないのだけれど、小さなツリーもあるし、クリスマス用の電飾も2つあるので、毎年なんとなく部屋の飾り付けをしてます。近年は23日や24日になってやっと用意して、大掃除の時はそのままにしておくことが多くなってしまった。今年も少し大きめのツリーを買おうと思っていたのに、気がついたら23日になっていて、慌てて買いに行ったらちょうど良い大きさのものは売れ切れになっているという始末。「210cmのものならあるんですけど・・・・」と言われてもね。で、今年は、24日は、荻窪にあるル・ジャルダン・ゴロワのブッシュ・ド・ノエルを買って、毎年恒例になっているチーズフォンデュ(年に一回しかフォンデュ鍋を使う機会がない・・・・)して、25日は、友達が来て大きなチキンを3人で食べました。だいたいこのくらいからお正月にかけて、食べ過ぎの日が続くようになりますね。
来年こそは、大きめのツリーを買って、もう少し早めに部屋の飾り付けをしたり、ビーチボーイズやフォーシーズンズ、モータウン、フィル・スペクターなどのクリスマスアルバムをそろえたりして、クリスマスを迎えられるようにしようと思う。なんたって、うちにあるクリスマスアルバムと言えば、ビンス・ガラルディの「スヌーピーのクリスマス」と、Hair stylisticsやSxOxB、Seagull Scrueaming Kiss Her Kiss Herなどが参加している「the Christmas Album」、そしてコレクターズやワウワウヒッピーズ、ヤングオデオン(小西康陽)、オリジナル・ラヴなどの曲が収録されている「Mint Sound X’mas Album」の3枚だけですから・・・・。

クリスマスも終わればもう気分は年末。プリンターを修理に出していたせいで年賀状もぜんぜん作ってないし、スキャナーも使えず(複合機なんで)先週まったく本の更新ができなかったので、年末年始のあいだに少し更新しておきたいし、ロバロバカフェの古本市の準備もまったくしてないし、行きたいところもいくつかあるし、飲みにも行きたいし、大掃除もしなくちゃいけないし・・・・なんて考えるだけで歳が明けてしまいます。できるだけ来年に持ち越さないようにして、年明けは少しのんびりしたいと思っているのだけれど、どうなることやら。なんかバタバタしているうちにお休みも終わってしまいそう。

「下町今昔」-秋山安三郎-

「年始名刺」「初湯初床」「神田ばやし」「酉の市」「江戸まえ言葉」「筆の話」「深川めし」「鍋焼きうどん」「うり声」「豆腐」「どじょう汁」「あんころ」「そばやの看板」・・・・など、昔の下町の風物や習慣、言葉、人々などについて、語ったもので、一つ一つ1ページから2ページくらいでまとめられている。
こういう本は、電車の中でとかで一気に読むのではなく、手元にいつも置いておいて気が向いたときに少しずつ、進んだり戻ったりしながら、あるいは適当に開いたページを読むという感じで接したいと思う。なかなかそういうわけにもいかず、いつものように通勤電車にもまれながら、読み切ってしまいました。来年の今頃の季節になったらまた読み返してみたい。

「東京味覚地図」、「下町今昔」と東京に関連する本を続けて読んだついでに、これから年末から年始にかけて、大正から戦前・戦後の東京についての随筆や小説を何冊か読んでみようと思ってます。ほんとは大正から戦前・戦後の横浜を舞台とした随筆や小説を読んでみたいのけれど、どんな本があるのか、しらん。
横浜にゆかりのある作家といえば、獅子文六、大佛次郎、吉川英治、谷崎潤一郎、北林透馬らが思い浮かぶのだが・・・・。北林透馬は、10年くらい前からずっと気になっている作家なのだけれど、未だに手に入れることができてません。amazonで検索したら「花ひらく亜細亜 『帝国』戦争と文学」だけしか出てこないし、しかも22050円という・・・・。「波斯(ペルシャ)猫」「街の国際娘」「レスビアンの娼婦」といった作品があるらしいですけどね。

「東京味覚地図」-奥野信太郎 編-

それぞれゆかりのある人たちに東京の各地域を受け持ち、それぞれの地域のいろいろな味や店について書いたものを集めた本。「浅草」(檀一雄)、「新宿」(戸板康二)、「築地界隈」(池田弥三郎)、「神田」(高橋義孝)、「渋谷・世田谷」(奥野信太郎)、「吉祥寺」(江藤淳)・・・・といった文章が収録されています。こういう本で紹介している店が、今でも残っていることは稀だろうし、もしあったとしてもその当時の様子とは変わっているだろう。そういうお店を探して回るという趣味もあまりないので、それよりもその周辺で描かれるお店の主人や一緒に行った仲間とのやりとり、その頃の街の様子などが随所に出ているようなものがおもしろい。そういう意味では、この本はどちらかというと店の紹介が中心になっているので、その点ではちょっと物足りないような気もします。でも吉祥寺のところで浜田山の旭寿司が出てきたりすると、「そういえば浜田山の駅を通り過ぎるとき、旭寿司の看板が見えるけれど、そこなのだろうか?」とか、「ケーキがなくなってからボアにもすっかりいかなくなってしまったなぁ」とか、思たりしてしまいます。

週末は、なぜかギャラリー三昧でした。

「スイスポスター100年展」
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 2005年12月2日~12月22日
タイトルのとおりスイスポスター100年の歴史たどった展覧会。ギンザ・グラフィック・ギャラリーなので、100年をたどるには展示数は多いとは言えないけれど、アール・ヌーボーの影響を受けた19世紀終わりから20世紀初頭のものから、第二次世界大戦後のノイエ・グラフィーク、コンピューターを用いた最近のものまで、一つ一つの作品はすばらしいものばかり。

「新しい紙『タントセレクト』による私的装幀デザイン展」
紙百科ギャラリー 2005年12月2日~2006年2月25日
仲條正義氏・羽良多平吉氏・工藤強勝氏・松田行正氏・古平正義氏、5人のグラフィックデザイナーによる私的な本の装幀デザイン展。新しい紙「タントセレクト」と言われても私にはそれがどんなものなのかぜんぜんわかりませんが・・・・。

「タナカタナ夫展~アンビエント・マンガの世界」
ラフォーレミュージアム 2005年12月14日~12月28日
「バカドリル」やトン子ちゃんで有名なタナカカツキ初の大展覧会。初期の叙情的な作品から最近の映像作品、Tシャツはもちろん、小学生・中学生のころに書いた漫画なども展示されてます。これが小学生の割にはクオリティが高く、そして今でもきれいに保存されていることにびっくりさせられます。誰が書いているのかわかりませんが、作品に添えられたキャプションもおもしろい。

「クリスマスの宿題工作展」
原宿LAPNET SHIP 2005年12月14日~12月25日
安齋肇&朝倉世界一がプロデュースした、しりあがり寿、高橋キンタロー、白根ゆたんぽ、薙野たかひろ、なんきん、ミック・イタヤらが参加している工作展の第三弾。先生役はナンシー関、山田五郎に続きクリスマスと言えばこの人(?)パラダイス山元が担当。ゲストの女子生徒の東京モダンアート娘って誰?真剣さとちゃらんぽらんさが同居したクリスマスをテーマにしたバカバカしい工作の数々に大人の余裕を感じます。適当。

「Pretty Things」
ペーターズ・ショップ・アンド・ギャラリー 2005年12月9日~12月25日
作品集「Pretty Things」を出したばかりのイラストレーター、原子高志さんの個展。原子高志さんといえば、ランブレッタ、モッズ、そして「礼儀作法入門」。そうしたアイテムがスタイリッシュな作風で描かれています。印刷ではわからない原画ならではの線や色の塗りの微妙な感じだとかがわかったり、鉛筆で描かれた下書きが展示されていたりして興味深いです。23日にクリスマス・パーティも開かれるのですが、行きたい・・・・でも行けないかなぁ・・・・。

「牧野伊三夫展」
HBギャラリー 2005年12月16日~12月26日
音、呼吸、記憶をテーマにした作品や即興絵画、スコットランド取材をした「ウイスキーヴォイス」の来年のカレンダーなどが展示されています。

「小えびの群れ」-庄野潤三-

庄野潤三の作品は初期の頃をのぞくと、そのほとんどは郊外での子どもたちとの静かな生活の、ほんのささいな出来事や、遠くで暮らす兄弟とやりとり、学生時代のことなどをつづったものなのだけれど、読んでいて静かな共鳴を受けるようないい作品に感じられるものと、読み進めるのがちょっと苦痛なくらい退屈さを感じてしまうものがあるのはどうしてだろう。そういう風に感じるのは私だけなのだろうか。そう感じながらも作品によってどこかどう違うのかよくわからなくて、実はその時の自分の気分に合うかどうかによって、印象が変わっているだけなのかもしれないとも思ったりもする。
この「小えびの群れ」は、前作「丘の明り」から続く、日常生活の、ほんのちょっとした会話をきっかけにして、童話や民話の世界に入っていく作品や、戦時中、学生時代に中国に旅行したときの話、夫婦でアメリカへ行ったときの話・・・・など、ほかの作品でも見られるような題材が取り上げられている。でもその日常的な世界がとても心にしみます。ついでに「丘の明り」を読んだときの雑記をみてみたら、「どれも日常的な断片を紡ぎ合わせたような穏やかで静かな作品で、こういう作品を読んでみると機会があれば60年代くらいまでの作品は読んでみようかな、と思ってしまう」と書いてあったので、やはりなにかしらの基準があるのかもしれない。

さて、寒い季節になると近江屋に行きたくなるのは、食べ放題のボルシチが目当てだからで、温かいボルシチを軽い食事にして、ケーキと飲み放題のジュースをデザートにするという感じだろうか。いくら甘いもの好きな私でもこの歳になれば、ケーキとストロベリーやみかん、マンゴスチン・・・・などのジュースを飲み続けてたら、胸焼けがしてしまいます。いつもは本郷の方のお店に行ってスコスや古本屋をのぞいたり、東大の周辺を歩いたりするのだけれど、天気が良かったせいもあり、土曜日にはじめて神田の方の近江屋に行ってみました。神田といってもJRの神田駅からも神保町からもちょっと離れていて、最寄り駅は都営新宿線・小川町、丸の内線・淡路町になります。お店の内装や雰囲気、メニューは本郷とほとんど同じ。本郷では、お休みの日に行くことが多いので、ノートとか広げながら時間をつぶしている東大の学生らしい2、3人の団体がいるくらいで、たいていすいていたけれど、神田の方のお客さんは、背広の男性や何人かできておしゃべりしているおばさんたちから親子連れ、若いカップルまで幅広く、それほど多くない席がいつも埋まっている感じですぐには入れず。地図を見た感じでは繁華街から少し離れていたので、混んでいて入れないことなんて予想もしてませんでした。みんな近江屋が目当てなのか知らん。で、いつものようにボルシチやジュースを何度もお代わりして、モンブランを食べてお腹いっぱい。モンブランはケーキ部分ももちろんおいしかったけれど、栗がとてもおいしかった。

そのまま、先週吉祥寺で見つけたちらしを見て知ったアテネ・フランスのバザーへ足をのばす。アテネ・フランスに行くのははじめてだったのですが、ピンクの色がゲバゲバしく感じられない建物の外装から、中で使用されている棚や椅子、テーブルなどもいい雰囲気でした。こんな学校に通ってみたいとちょっと思ったりもするけれど、特にフランス語やギリシャ語を習いたいと思うことはない。映画の上映会などもときどきやっているようなので、これからはこまめにホームページなどをチェックすることにしたい。バザーそのものはカフェテラス(自習室?)の片隅で、有志の人たちが、ワインや灰皿などの雑貨、クッキーやマフィンを、こじんまりと売っているという感じでしたが、こういう機会があってアテネ・フランスに来た、ということだけで満足かもしれない。灰皿とかも欲しかったけれど、とりあえずマフィンとビクコッティを買って帰ってきて、今日の朝食にしました。

「踊る地平線」-谷譲次-

中国からロシア、そして大陸横断の国際列車に乗り込んでヨーロッパへ。昭和のはじめ、1927年から1年超にわたって、中央公論社特派員の名目で夫婦でヨーロッパを旅行した際の旅行記。前に読んだ「テキサス無宿」もそうだったけれど、カタカナ、英語混じりで軽快、そしてユーモアあふれる文体は、当時としてはかなりハイカラかつモダンだったに違いない。が、なんだか今の私にはちょっと読みづらいというか、途中で文字を追いかけるのが面倒になってしまって、上巻でとりあえず挫折。けして嫌いではないのだが・・・・。下巻はまた気が向いたら読むことにしたい。

週明けぐらいには告知を入れようと思っていますが、年明けの1月7日(土)から22日にロバロバカフェで行われる「ロバロバカフェの新春・古本市」に参加することになりました。出店するお店は、a2g+(books) booby bookstallchotchke booksninon books貸本喫茶ちょうちょぼっことらんぷ堂書店ブックピックオーケストラの8店。どの店も独自の視点でそれぞれにいい本を扱っている本屋さんなので、こんな中に私が混ざってしまっていいのかしらん、なんて、送られてきたフライヤーやフリーペーパーの原稿を読みながら思ってしまいます。まぁあれこれ考えてもどう仕様にもないですけどね。あれこれ考えたって自分でやれることしかできないわけで(時にはやれないことをあえてやってみるというのも必要なことなのかもしれませんが・・・・)、それよりもやはり楽しみの方が大きいかも。