「タンタルス」-内田百けん-

11月に入ってからいろいろあって雑記を書いているような状況ではなくて、気がつけば半月ぶりになってしまいました。本も全然読んでないしね。そんな感じではあるのですが、今日でこの雑記も500回目です。初めてから4年半くらいなので、一年で約100ちょっと、3日に1回くらいですか。まぁ多いのか、少ないのかわからん。
内容はともかくとりあえず長く続けていると、それだけで個人的には、去年とか一昨年に何していたか確認するのに役立っていたりします。気持ちとしては、古本屋の店主が奥のレジに座って本を読んでいる様子が出ればと思っているのですが、どうなんでしょう。店主が閑そうに店番している古本屋なんて実際にあるのかどうか知りませんけどね。

雑記も500回ですが、内田百けん集成もこの「タンタルス」で12冊目。ようやく折り返し地点です。しかも新刊ではなくほとんどを古本で手に入れたのに、読んだ12冊は、なぜか1巻の「阿房列車」から12巻の「爆撃調査団」の前半。もちろん順番はバラバラだけれど、もともと12巻までだったものが、24巻に増えたのを考えると、実は12巻までは売れたけど、その後はあんまり売れていなくて、これから手に入りにくいのでは、なんて思ったりもします。
どちらにしろこの様子だと今年中に読み終えるのはちょっと無理で、来年の夏頃になりそうですね。

あー500回目なのにこんなんですみません~

「ぽっぺん」-石田千-

前に読んだ「屋上がえり」のようにテーマがきちんと決まっていないので、ときどきこれは実はフィクションなのではないかと思うときがあるのだが、実際はどうなのだろう。よくわからない。でも気分的には、実は半分くらいフィクションだったらなぁ、とも思う。

前回、ヴィブラフォンのCDを紹介してから気がついたら1カ月経ってしまってました。「9月によく聴いたヴィブラフォンのCD8枚」なのに、もう11月‥‥。でも毎回、前半だけ書いて放置、というのもなんなので、今回は後編も書きます。いや、もう一回ぐらい続けちゃおうかなぁ~ということで、「深まる秋とヴィブラフォン」と題して、“中編”にします。後半は来月かな~

■「Jungle Fantasy!」-Bobby Montez-
オリジナルはかなり高い値段がついているらしいクラブ・ジャズのクラシック、とのこと。でもわたしは、こんなジャズがかかっているような、クラブに行かないのでわかりません。もう少し早く、夏の初め頃に聴いていたらアフロキューバンにはまったかもしれない。解説に書いてあるけれど、ジャケットも含めてどこかエキゾチックな雰囲気もあります。

■「Easy Living」-Joe Roland-
ジョー・ローランドは、ジョージ・シアリング・クインテット出身のヴィブラフォン奏者。このアルバムもかなりジョージ・シアリングに近いかなり端正なイージー・リスニング・ジャズ。前半で紹介したエミル・リチャードもジョージ・シアリングのバンドにいた人だし、一度、その辺をきちんと調べたいですね。

■「Sam Francisco」-Bobby Hutcherson-
フュージョン前夜という趣のサウンド。全体的にスローなテンポ、かつ重いリズムの曲が多く、1960年代後半から1970年代初めのサスペンス映画のサントラ、と言われても納得してしまいそう。

■「Got The Feelin’」-The Dave Pike Set-
デイブ・パイクにはずれなし!ジェームス・ブラウンの「Got The Feelin’」、クラッシックIVの「Spooky」、「You Know the Way to San Jose」などの曲をカバー。オルガンの入った編成もよいのだが、リズムがちょっとチープなのでどことなくB級っぽいです。

「朝夕」-里見弴-

久しぶりに旧字体の本を読むと、すっかり忘れていてスムーズに読み進めることができない。つくづく記憶力がないことに気づかされます。文章自体はくせがなくて読みやすいので、何とか読めるけれど、定期的に読むようにしないと、吉田健一とか読めなくなってしまいそう。

9時過ぎに買取の荷物が届いて起こされたのはいいけれど、もう一回寝ると昼まで寝てしまいそうだし、かといって外は雨なのでなんにもできず、テレビを見ながらだらだらとしていたら、行定勲が「ロックンロールミシン」について語るという番組が放送されていた。わたしは過去の行定勲の作品を見たこともないし、「ロックンロールミシン」にも、ましてや「クローズド・ノート」とか「世界の中心で、愛をさけぶ」とかまったく興味がないのだけれど、なんとなくそのままつけっぱなしにして、届いた本のチェックをしていたら、主人公たちが住んでいたアパートのロケ先が、前にわたしが勤めていた会社の目の前にあった建物だったので、思わず見入ってしまった。
壁一面が草に覆われている古いアパートで、夏になると緑色の葉っぱが、もりもりと生い茂り、冬になると枯れて一面が茶色になってしまうため、ガチャピン・ムックと呼んでいた建物で、よくベランダでたばこをすいながら眺めてたのを思い出す(ときどきビール飲んだり‥‥)。映画では逆に、アパートから周りを眺めているという映像の片隅に、会社の建物やベランダが映ったりして、なつかしい。いや、会社やめてからも、ときどきその辺を歩いたりしているので、それほどなつかしくもないんですけど‥‥。でも、映画が公開されたのが2002年、撮影されたのは2001年くらいとすると、まだその会社に勤めていた頃の風景なわけで‥‥。
そう考えると、あのアパートでなんか撮影っぽいことをしていた記憶があるような、ないような。場所的には高級住宅街の真ん中なので、よく有名人が歩いていたり、ロケが行われていたりしたし、池内博之、りょう、加瀬亮といった人たちにも興味なかったしね。一度こっそり中に入ってみようと思いつつもその機会がなく、会社を辞めてしまったので、建物の中や屋上がこんな風だったのかなどと、今さらながら知ることができて、またあの辺を散歩してみたくなったりして‥‥。

「贋作吾輩は猫である」-内田百けん-

本家の「我が輩は猫である」を読んだのは、小学校6年か、中学1年の頃か?新潮文庫で読んだ記憶があるのだが、当然細かい内容は忘れてしまっている。この本は、設定はもちろん、登場人物のネーミングなど、「我が輩は猫である」のかなり細かいパロディとなっているらしい。となれば、やはり「我が輩は猫である」をもう一度読んでからでないとだめかな、と思っていたのだけど、寝る前にベッドに腰掛けて、なんとなくページをぱらぱらとめくっていたら、繰り広げられる会話がなにやらおもしろそうだったので、読んでしまった。
きちんと元ネタの詳細を把握して読むとまた違ったおもしろさがあるのだろうけれど、正直な話、ストーリー的には、「我が輩は猫である」を意識したものではないと思うし、元ネタがわからなくても普通におもしろい。いや、どちらかというとストーリーは二の次で、登場人物たちが酒を飲みながら話している内容を読んでいるだけでいい。なんてことを書きながら、雰囲気はまったく違うけれど、それって吉田健一の小説と同じではないか、なんて思った。どこか世の中の流れから離れて(浮いて?)過ごしているようなスタンスが、ベクトルは違うけれど、内田百けんにも吉田健一にもある。そうでなければ、45円の月給を初めて取り出した時、見栄を張ったり贅沢をしているわけでもないのに、月に80円以上の生活を送るなんていう芸当はできない。

「ふるさと・東京」-池田弥三郎-

9月の終わりくらいから、仕事が終わった頃に「今日どうする?」「お腹空かない?」「ちょっと飲んで帰る?」みたいな感じで飲みに行けなくなっているのだけど、15年勤めていた人がやめてしまったり、新しい人が入ってきたり、人事異動があったり、加えて、前の会社の人と会う機会が、10月に入ってから続けてあったりしたので、それでも週に3回は飲みに行くことになってしまってます。でも一年ぶりとかで何人か集まると、なにやら意味なく盛り上がってしまいますね。
中には、ゆっくり話すのは久しぶりだけれど、よく考えてみれば、この前電車の中で会ったね、とか、そういえばその前にも下北で会ったね、とか偶然よく会う人もいて、改めて確認すると、意外と久しぶりでもなかったりすることがわかっておもしろい。前の会社のその人に限らず、何カ月かに一回ぐらいの割合で、どこかで偶然に会う友だちというのは、なんとなく不思議で、レコード屋や本屋で会うというのは、まぁあるとしても、たまたま道を歩いていてすれ違ったり、なんとなく入ったドトールにいたり、電車の中で前の席に座っていたり‥‥。そういった友だちが、近くに住んでいるというわけでもなくて、逆に近所に住んでいるのに、もう何年も会ってなかったりする人もいるし、行動パターンが似ているというだけでは、説明できない何かがあるような、ないような‥‥。

池田弥三郎に限らず、街や酒に関する随筆を読んでいると、どこどこの飲み屋やカフェで誰を見かけたとか、どこどこで誰と偶然会い、そのまま一緒に飲んだ、といった話がよく出きます。でも週に何回も飲みに行って、行ったら行ったではしご酒で、しかもある程度行動パターンが同じ、とくれば、偶然とは言えないのかもしれないけれど‥‥。

「屋上アイランド」

こういう写真集を眺めていると、毎週とは言わないまでも、月に一回くらいの割合で、何かしらのテーマにあうような場所を、身軽な格好でカメラだけ持って散歩したら楽しいだろうなぁ、と思ってしまいます。次にどこへ行くかを調べるだけでも楽しそうだけれど、なかなか実行にうつせないのは、テーマさえ決まらない、という状態だから、です。別にどこかに発表したりするわけでもないので、テーマなんてなんだっていいのかもしれないし、誰かのまねでもいいのかもしれない、なんて思うと気が楽になるのですが、そうなると逆に「あれも撮りたい」「これも撮りたい」という気持ちになってしまい、逆にまとまらないという‥‥。ダメダメです。とりあえず適当にテーマを決めて、今週末はどこかに行こう。いやその前に、そろそろ植草甚一展に行かないと。

「むにゃむにゃ童子」-山口瞳-

「私の女房は機嫌のわるいときに歌を歌う。もっと機嫌がわるいときは、くちのなかで『むにゃむにゃ童子』と唱える。これが、いちばん辛い。『パパが悪いんだからね』女房が言う。私のすすめで、女房は二度の堕胎をし、生まれることのなかった子供に、私の知らない戒名をつけていた」

“むにゃむにゃ童子”というのは、そういうことだ。よく事情も知らないで、と言われそうなのを承知で言うと、その辺に山口瞳の怖さというか冷静さがあらわれているようで、読んでいてすこし怖くなってしまう。山口瞳の作品を、「私小説」というには違和感があるのも、書くことで自分を追いつめていったり、自分自身を切り刻んでいくだけではなく、どんな状況を描いていても、どこか第三者的な冷静な視線が見え隠れするからなじゃないだろうか、と思う。どんな状況に追いつめられたとしても、それに溺れることはなく、判断は常に冷静で、しかもある意味容赦ない。
ついでに貧乏ということに関して言えば、ここに収録されている「貧乏遺伝説」では、

「私小説を書く人は貧乏であるという。私小説とは貧乏を書くことだった。僕はそう思って愛読してきたのであるが、たとえば何かの折りに書物の口絵かなんかで、その小説家の生家が写真で紹介されたとする。僕は吃驚仰天する。裏切られたように思う、なんと、その小説家の生家は、城のように大きくて、今も現存しているのである。
たとえば、いよいよいけなくなって都落ちするという。そういう小説がある。僕は都落ちということが羨ましくてならなかった。なぜなら僕には落ちていく先きがないからである。どこに行くことも逃げることもできない。」

といったことを書いている。またこうも書いている。

「第一、貧乏生活を書けるということは、それ自体、金持ちなのである。本当の貧乏人は、恥ずかしくって書けない」

本人にとっては、他の私小説作家よりも深刻な状況下で、自分を切り刻みながら創作活動をしている気持ちなのだろうし、作品を読み続けていると、実際にそうであることもわかる。そういう気持ちで読んではいるのだけれど、深刻であれば深刻であるほど、滑稽さが表面にでてしまうという面もあったりして‥‥困る‥‥。

「まあだかい」-内田百けん-

この本を題材にした黒澤明の「まあだだよ」がなかったら、もっと早く内田百けんの本を読んでいたように思う。そういう意味では、遠回りしてしまった気もするけれど、本質的に天の邪鬼なので、そんなことが多すぎて最近では、どうも思わない。まぁ今、この本を読んだり、この音楽を聴いたりするのは、必然的な巡り合わせだった、と、よいように考えてしまうのは、元来の楽天的な性格のためか。それにしても常盤新平から山口瞳、高橋義孝と師匠をさかのぼって、ようやく内田百けんにたどりついたというのは、遠回り過ぎるというものか。高橋義孝の本をそれほど読んでいないので、摩阿陀会に出席していたのかどうかはわからない。この本を読んでいると教え子だけが出席していたようではないようだが、いつか高橋義孝による摩阿陀会の様子を読んでみたいものだ。

連休中は、予定通り、印刷博物館でやっている「キンダーブックの80年」展を見に行ってきました。博物館ではなくギャラリーでの展示だったので、昭和2年からのキンダーブックの展示が主なものだったのだが、さすがに80年分ともなると圧巻。個人的には戦前から戦後の表紙がやはり気になりました。武井武雄が描いた日の丸の国旗の周りを子どもたちが囲んでいる絵がいろいろな意味で印象的だったかな。他にもいいなぁと思う表紙があって、こういうときにきちんと作者をメモして、後で調べるようなマメさがあれば、いろいろなものをもっと深く知るようになるんだろうな、と思うけれど、そういう性格でもないのでしょうがない。って済ませられるものでもないが‥‥。
そんなことを書きながらも、実は私はキンダーブックを子供の頃読んでいたわけではなくて、20歳過ぎに何かのきっかけで知った後追いなのです。親もわりと本好きだったし、子供の頃も絵本とかよく買ってもらっていたのに、なんでかなーとずっと思っていたのですが、キンダーブックは、幼稚園などを通して販売されていたということを、今回はじめて知って納得がいきました。わたしは幼稚園に行ってないんですよね。これまで幼稚園に行かなかったことで、実際に困ったことはあまりなかったけれど、ときどきそういうことがあります。みんな普通に知っている童謡とか童話を知らなかったりとかね。

「Zurich-Milano」-Hans Hoger-

まだ夏の暖かさが少しの残る秋の始まりに、涼しげな音色や弾むようなリズムが合うような気がして、久しぶりにヴィブラフォンのCDを聴いているのだけれど、今年の9月は真夏のように暑い日が続いたと思ったら、急に寒くなったりして秋の日らしいなかなかピッタリな気分になれず、期待はずれでした。おまけに暑いなーと思ってたら今週いきなり寒くなってしまうし。いや、一度、しばらくはこれを聴いてみようと思ったら、意外と気候なんて関係ないものなんですけどね。
というわけで、「秋の始まりとヴィブラフォン」と題して、9月によく聴いたヴィブラフォンのCD8枚、前編。前回は、面倒になってしまって後編はなかったことにしてしまいましたが、今回はどうなるのか?とりあえず前回より1枚増やして4枚。

■「Jazz’n’Samba」-Milt Jackson-
前半にはストレートなジャズ、後半にはボサノヴァ・サンバのリズムの曲が収録されていて、ヴォーカルやスキャットが入ったものなどもあり聴きやすい。A面B面を意識したこういう構成は、アナログ盤だとちょっと得した気分になったものなのだが、CDだとそういう感じはなくなってしまう。音楽的には、あくまでもサイドワークスというかミルト・ジャクソン本来の音楽性が全面に出ているとは思えなくて、その辺のリラックス感もこのアルバムのいいところかもしれません。

■「Mucho Mucho」-Shirley Scott-
イージーリスニングで使われるオルガンの音とジャズファンク系のオルガンの音の中間といった感じの音色とヴィブラフォンの音、そして弾むような軽いリズム感がマッチしていて心地よいアルバム。というか、なんでこのアルバムを今まで買ってなかったのか不思議なんですけどね。

■「New Time Element」-Emil Richards-
「Girl Talk」や「Call Me」「Sunny」といったヒット曲を変拍子で演奏するという変わったアルバム。もともと変拍子で演奏されていた「TakeFive」だけ4分の4拍子で演奏されているというところもひねくれ具合に念が入ってていいです。とはいえ、ヘッドフォンで聴いていると、リズムにのれそうでのりきれずに、知っている曲ばかりなだけになんだかが不思議な気分になってしまいます。

■「This Is Walt Dickerson!」-Walt Dickerson-
ウォルター・ディッカーソンは、ヴィブラフォンのコルトレーンと呼ばれているらしいのですが、コルトレーンを聴き込んでいるわけでもない私にはよくわからないです。全体的には、ラテンぽい曲があったり、ミディアムテンポでころがるようなヴィブラフォンが楽しめる曲があったりして聴きやすいと思います。

「Swissair Posters」-Georg Gerster-

渋谷の青山ブックセンターでの閉店セールで購入。終盤の3連休中に行ったら、それまで全品30%オフだったのが、50%オフになっていたのでかなり得した気分でした。洋書は、お店のセールに行っても、結局はamazonで買った方が安い場合もあったりするので困ります。いや、それなら最初から普通にamazonで買えばいいじゃん、という気もしますが、「洋書バーゲン」なんて文字をどこかで見たりするとつい出かけていってしまいます。
さてこの本は、1975年から1995年までに作られたスイスエアのポスターを集めたもの。各国の歴史的建造物や遺跡を空から撮った写真が、まるでスイスのグラフィックデザインをそのまま写真化したような構成になっているのがすごい。写真を撮ったゲオルグ・ゲルスターという人は、約40年かけて主要5大陸を旅し、ヘリコプターの上からさまざまな写真を撮っている航空写真家とのことですが、わたしはこの本を見るまで知りませんでした。今年の初めには大英博物館で展覧会も行われていたらしく、いつか日本で展覧会があったらいってみたい。個人的には、部屋にサビニャックのポスターを貼るんだったら、こっらの方を貼りたいと思う。

週末は、雨だし、寒いし、どこにも行く気になれず、豆本店の搬出のほかは、近くをうろうろしたりして過ごしたので、特に書くこともない。本当は印刷博物館でやっている「キンダーブックの80年」を見に行こうと思っていたのですけどね。まぁそれは来週ということで。でも世田谷文学館でやっている植草甚一の展覧会も見に行きたいし、渋谷に行ったらロゴスギャラリーの「東京町工場より-機械部品と工具の展示即売-」も寄りたいし、トタンギャラリーの「トラフ『くらしとあかり』展」見るついでに阿佐ヶ谷住宅を歩きたいし、「建築と暮らしの手作りモダン アントニン&ノエミ・レーモンド展」のついでにたまには鎌倉散歩もしたいし、エッジエンドにも何回か行きたいし、今月は高円寺で「Boy Meets Girl」もあるし、暖かいうちに国立のFlowersにも顔出さなきゃ‥‥なんてピックアップしていくと、10月はなかなか忙しい。
まぁ1つか2つ行ければいいところかもしれないけど‥‥。