庄野潤三が1957年秋から翌58年夏まで、米国オハイオ州ガンビアのケニオンカレッジに留学していたときのことを、後年、そのときの日記を見ながらつづったエッセイ集。
ガンビアのシリーズとしては、留学生活の前半を描いた「ガンビア滞在記」が1959年、その19年後、1978年にこの「シェリー酒と楓の葉」、後半を描いた「懐かしきオハイオ」は、さらに10年以上経った1989年という長いスパンで発表されています。なんとなく「ガンビア滞在記」など読んだようなエピソードがあるような気がするけれど、そんな気がするだけで、実際はどうなのかわかりません。でも今になると、さらさらと三冊続けて読むこともできますが、リアルタイムで庄野潤三の本を読んでいた人にとっては(もしくは庄野潤三本ににとっては)、ほんとに忘れられた頃に届けられる(書き始める)、という感じだったのだろうから、ある程度、エピソードを重ねることによって、前のエピソードを思い出してもらうという意味合いがあったのかもしれません。
週末は、古今亭駿菊独演会を見に鈴本演芸場に行ってきました。駿菊さんは、真打ちになった6年(くらい)前から、毎年秋になると独演会を開いてます。ここ3年くらいは毎年見に行っているので、駿菊さんの落語を聞くともう今年も終わるなぁ~と思う。で、お正月くらいまでは、なんとなくまた落語でも聞きに行こうかとか、初詣は浅草にして帰りに浅草演芸ホールに寄ってみようか、なんて気分になるのけれど、実際に行くことはあまりない。今回は土曜だったせいもあって会場前から列ができ、開演時にはほぼ満席という盛況ぶり。こう言ってはなんだけれど、駿菊さん以外には特に有名な人も出ていないのにね。前座に出ていたのは、ミオ犬に記憶によると去年、座布団をひっくり返したりしていた人だったらしく、客席も暖かく見守るといった感じで、こういう人が、だんだんとうまくなって、やがては真打ちになったりするのを見るのも落語の楽しみなのかもしれないと思う。でも、それだけに駿菊さんが話し始めると、話に引き込まれてしまい、改めて駿菊さんの話のうまさを実感しました。特に2つ目の「宗珉の滝」は、人情話なので大きな笑いはない。それにもかかわらず、駿菊さんの身振り・手振り、手ぬぐい、扇子といった小道具だけで、観客を引きつける様子を見ていると、普段、“落語=笑い”のイメージを抱きがちだけれど、実は、落語のおもしろさはその話芸にあって、その中の一つの要素して“笑い”があるのだな、と思ってしまう。いや適当。
落語を“話芸”とするならば、小説は“文芸”って、あらら、そのまんま。小説の場合は、“文章”自体で引きつけるか、“物語”で引きつけるかという2つの選択肢があって、庄野潤三は間違いなく前者。でも、個人的には、昔ほど庄野潤三の文章に引きつけられるということがなくなってるので、前者の代表に選ぶのはちょっと‥‥という気はする。クセはないし、読みやすいんですけどね。
11月に入ってからいろいろあって雑記を書いているような状況ではなくて、気がつけば半月ぶりになってしまいました。本も全然読んでないしね。そんな感じではあるのですが、今日でこの雑記も500回目です。初めてから4年半くらいなので、一年で約100ちょっと、3日に1回くらいですか。まぁ多いのか、少ないのかわからん。
前に読んだ「屋上がえり」のようにテーマがきちんと決まっていないので、ときどきこれは実はフィクションなのではないかと思うときがあるのだが、実際はどうなのだろう。よくわからない。でも気分的には、実は半分くらいフィクションだったらなぁ、とも思う。
久しぶりに旧字体の本を読むと、すっかり忘れていてスムーズに読み進めることができない。つくづく記憶力がないことに気づかされます。文章自体はくせがなくて読みやすいので、何とか読めるけれど、定期的に読むようにしないと、吉田健一とか読めなくなってしまいそう。
本家の「我が輩は猫である」を読んだのは、小学校6年か、中学1年の頃か?新潮文庫で読んだ記憶があるのだが、当然細かい内容は忘れてしまっている。この本は、設定はもちろん、登場人物のネーミングなど、「我が輩は猫である」のかなり細かいパロディとなっているらしい。となれば、やはり「我が輩は猫である」をもう一度読んでからでないとだめかな、と思っていたのだけど、寝る前にベッドに腰掛けて、なんとなくページをぱらぱらとめくっていたら、繰り広げられる会話がなにやらおもしろそうだったので、読んでしまった。
9月の終わりくらいから、仕事が終わった頃に「今日どうする?」「お腹空かない?」「ちょっと飲んで帰る?」みたいな感じで飲みに行けなくなっているのだけど、15年勤めていた人がやめてしまったり、新しい人が入ってきたり、人事異動があったり、加えて、前の会社の人と会う機会が、10月に入ってから続けてあったりしたので、それでも週に3回は飲みに行くことになってしまってます。でも一年ぶりとかで何人か集まると、なにやら意味なく盛り上がってしまいますね。
こういう写真集を眺めていると、毎週とは言わないまでも、月に一回くらいの割合で、何かしらのテーマにあうような場所を、身軽な格好でカメラだけ持って散歩したら楽しいだろうなぁ、と思ってしまいます。次にどこへ行くかを調べるだけでも楽しそうだけれど、なかなか実行にうつせないのは、テーマさえ決まらない、という状態だから、です。別にどこかに発表したりするわけでもないので、テーマなんてなんだっていいのかもしれないし、誰かのまねでもいいのかもしれない、なんて思うと気が楽になるのですが、そうなると逆に「あれも撮りたい」「これも撮りたい」という気持ちになってしまい、逆にまとまらないという‥‥。ダメダメです。とりあえず適当にテーマを決めて、今週末はどこかに行こう。いやその前に、そろそろ植草甚一展に行かないと。
「私の女房は機嫌のわるいときに歌を歌う。もっと機嫌がわるいときは、くちのなかで『むにゃむにゃ童子』と唱える。これが、いちばん辛い。『パパが悪いんだからね』女房が言う。私のすすめで、女房は二度の堕胎をし、生まれることのなかった子供に、私の知らない戒名をつけていた」
この本を題材にした黒澤明の「まあだだよ」がなかったら、もっと早く内田百けんの本を読んでいたように思う。そういう意味では、遠回りしてしまった気もするけれど、本質的に天の邪鬼なので、そんなことが多すぎて最近では、どうも思わない。まぁ今、この本を読んだり、この音楽を聴いたりするのは、必然的な巡り合わせだった、と、よいように考えてしまうのは、元来の楽天的な性格のためか。それにしても常盤新平から山口瞳、高橋義孝と師匠をさかのぼって、ようやく内田百けんにたどりついたというのは、遠回り過ぎるというものか。高橋義孝の本をそれほど読んでいないので、摩阿陀会に出席していたのかどうかはわからない。この本を読んでいると教え子だけが出席していたようではないようだが、いつか高橋義孝による摩阿陀会の様子を読んでみたいものだ。
まだ夏の暖かさが少しの残る秋の始まりに、涼しげな音色や弾むようなリズムが合うような気がして、久しぶりにヴィブラフォンのCDを聴いているのだけれど、今年の9月は真夏のように暑い日が続いたと思ったら、急に寒くなったりして秋の日らしいなかなかピッタリな気分になれず、期待はずれでした。おまけに暑いなーと思ってたら今週いきなり寒くなってしまうし。いや、一度、しばらくはこれを聴いてみようと思ったら、意外と気候なんて関係ないものなんですけどね。