■エッセイとショートストーリーが交ざっているのだけれど、エッセイのほうもどこかフィクションの部分があるような気がしてその境界線はあいまい。もちろんフィクションの中にも片岡義男の実体験が混ざっているのだろう。不思議な雰囲気を持っている本。1983年に晶文社から出ているのですが、1983年と言えば、角川から次々と作品が発表され、そして映画化された時期で、そのイメージを保ちつつ、ある意味、実験的なことをしてみたともいえるんじゃないかな(そんな大げさでもないか)。そもそも角川から出た作品も、コミックのような世界を小説で描いたらどうなるのかという試みだったと、どこかで書いていた記憶があるので、本人としては常に新しいことに取り組んでいる認識なんだと思う。でも描かれている内容がライトなせいでそういうイメージはないのがもったいない。といっても、わたしも片岡義男はエッセイばかり読んでいて、小説はまったく読んでません。
■でも昔の中間小説とか読んでると、けっこうたあいもない話でストーリーもご都合主義だったりするわけです。所詮、小説なんて娯楽の一つなのでそういうものでいいんじゃないかと思います。なんかみんな本を読むということに対して、リターンを求めすぎなんだと思う。読んでいる時間を楽しめて、その後、ちょっと余韻があればそれだけでいいんじゃないかと。この間、本屋に行ったら人生が変わった本のコーナーがあったけど、本を読んで人生が変わるとかまぁどうでもいい。もしかしたら変わるかもしれないけど、それは単なる結果だし、実際、そんな本は、何百冊読んで1冊出会えるかどうかなので、それをその確率に期待するよりも、単にその時に自分が楽しめるかどうかで本を選んで読めばいいんじゃないですかねぇ。
それにしても片岡義男の本に出てくる女性は自立していてきれいな人ばかりだな。
■年末に紅白歌合戦を見ていたらABK48が「11月のアンクレット」という曲を歌ってて、「めちゃくちゃナイアガラサウンドじゃん!」と一人盛り上がってしまったのですが、はじめてAKB48のCDまで買ってしまいました。この間、ネットのニュースで、やっぱりまだまだテレビの影響力は大きいという見出して、紅白後に出演者のCDの売上げが上がったという記事が出てましたが、中高年の典型ですね。といってもブックオフで280円。まぁもう少し待てば100円になりそうなので、高い気もするけど、まぁいいかな、と。あとAKBっていまだに収録曲が違うやつが何種類も出てるみたいですけど、ほかの曲はどうでもいいので適当。実際、「11月のアンクレット」は一回聴いてみたけど、もう聴かないと思う。
■で、買ってよかったと思うのは、ヴォーカルオフのバージョンが入ってること。こればっかり聴いてる。いや、「幸せな結末」と交互に聴き続けてる。ストリングスもそうなんだけど、ピアノやギターの音色やフレーズが完全にナイアガラ。で、カスタネットも入ってきちゃうし、途中ではいる手拍子も山下達郎の「ヘロン」にしか聴こえないです。ヴォーカルオフばかり聴いてるのは、ヴォーカルが大勢なのでバックの音が隠れちゃうんですよね。おまけにコーラスも入ってるわけで、ヴォーカルは一人じゃないと、バックの音との相乗効果が出ないんだな。あと、仕方ないのかもしれないけどドラムが軽い。流行のアイドルなんでいろいろ注文つけてもしょうがないですけど。これのヴォーカルあり、なしで7インチが欲しい。
これを買ったのが金曜だったんですけど、もう少し早く買っていたら、土曜のDDCFの新年会パーティの選曲がナイアガラ~アメリカンポップスになってましたね。実際にかけた曲とどちらが盛り上がったかはわかりませんが。
■青山南、天野祐吉、武田花、北澤夏音、高山なおみ、堀込高樹、小西康陽、山田太一、又吉直樹など82名による冬に読んだ本。冬になると思い出す本など、冬にまつわる話を集めたエッセイ集。見開き2ページずつで、執筆者が幅広く、収録順も五十音順になっているので、雑誌の小さなコーナーを読んでる感じでサクサク読めます。一冊の本としてもコンパクトにまとまっていると思う。でもあっという間に終わってしまうので、もう少し読み続けたいと思うものもあったり、1000文字ではどこかまとまりきれてなくて、もう少し文字数があったら面白くなったのにと思うものがあったりして、ちょっと物足りない部分もあるかな。
■1978年に刊行されたエッセイ集で、晶文社ではないけれど、どこかヴァラエティブックぽい雰囲気を持った本です。内容も美空ひばり、ビートルズ、アンディ・ウォーホール、下着の広告、現代の世相といったカルチャー的なことを中心に、自身の娘の子育てなどについてもつづられていて幅広い。ただ武市好古の「ぼくの遊びはヒップ・ステップ・キャンプ」を読んだ時も、こういう本は50近いおじさんが読む本ではなく、若い頃に読んでおくべき本だよなと、思ったけれど、この本もそんなイメージ。でも子育てのところとか今だから分かったり、共感できたりするするんだろうなぁと思う部分もありますけどね。
■SWALLOWは、ライブのあとにCDも買って、通勤の行き帰りに毎日聴いてる。数曲バンド編成の曲もあるのですが、基本的には弾き語りの曲が中心。でもどの曲もメロディはいいしギターが単調じゃないので飽きない。単調じゃない、と言っても曲によってスタイルがぜんぜん違うとか、すごいテクニックで弾きまくってるとかではなくて、たいだいは歌に寄り添ってる感じなんだけど、気持ちがいいところでアクセントとなるようなフレーズが出てきたり、弾き方がちょっと変わったりしてつい聴き入ってしまいます。ヴォーカルもライブを聴いた後で聴いたので、最初はちょっとナイーブに聴こえてしまったけれど、ギターとのバランスがちょうどよくて聴きやすいし、ヴォーカルが強くない分、ときおり入るコーラスが気持ちいい。しばらくの間、愛聴盤になりそうです。ライブもまたどこかで機会があると思うので楽しみにしてます。
■教育について、男と女について(特に男)、雑記的なもの、知の創造についてと4つカテゴリのエッセイを収録。正直に言うと前半(教育について、男と女について)は、ちょっと飽きる箇所もあります。特に教育については、さまざまな大学の教授を務めてきただけに、エッセイとしてはかなりまじめで、のんびり読むという内容ではないかもしれません。かといってずごい教育論が展開されるわけではないし、語り口が軽妙なので、エッセイとして成立しているとは思いますが。後半の雑記的なものがおもしろかったので、次回、外山滋比古の本を読むとしたら、この辺のものかな、と思ってます。
■武市好古は、1950年代後半から1960年代初めに劇団四季演出部に在籍し、その後、アメリカに渡りラスベガスでショービジネスの演出などをして、帰国後は、ステージの演出家、映画監督、ジャズや映画の評論家として活動した人。といってもわたしはそのステージも映画も見たことはないです。本もそれほど多く出ているというわけでもないですしね。これは、劇団四季に在籍した頃かラスベガスでショーの演出をしていた頃のことをつづった本で、基本的には楽しければ、おもしろければいい!仕事はそれにともなってやってくるし、生きてく、そして遊ぶためのお金もついてくるって感じが1960年代から1970年代ぽい。
■4月からなんとなく仕事が忙しくなって、家に帰るのが遅くなったせいで、帰ったら発送とかやらなくちゃいけないことだけやって、レコードを聴いたりしながらビールを一本飲んでおしまい。という日々が続いてまして。もうぜんぜん雑記を更新する気も起きず。特に書くこともない、というか書くことなんて考えないと出てこないわけで、考える気分にもならず、気がついたら半年以上経ってしまいました。このままなしにしちゃってもいいかなとも思っていたのですが、自分の備忘録的な意味もあるし、のんびりでも書いておこうかなと思って再開することにします。
■年末くらいからソウル・ミュージックを聴き続けていたので、年が明けたらこの本を読みながら、またミニマルミュージックとかエレクトロニカとかを聴いてみようと思って読んでみたものの、実際にはほとんど聴かないままで読み終わってしまった。
■同じシリーズの「山の手の子町ッ子」はときどき見かけるけど、こちらは見たことがなかったので、ちょっと値段が高めだったけれど、めずらしく即購入。しかし収録されているうち半分くらい読んでました。でも獅子文六の随筆は何度読んでもおもしろいので許す。話のテンポがよくて読みやすいということもあるけれど、話の持って行き方に品があるというか、慶応の野球選手だったお金持ちの旧友が、後年後楽園の入り口でモグリの客をさばいていたりする話なんて、書き方によっては下世話になってしまいそうなのに、そういう方向にはいかない。旧友なんだけれど、旧友だからと言うわけではなく、威厳を持ってその仕事をしている様が描かれており、悪意がない(まぁ実際はどうなのかは別で、獅子文六はそう感じてる)。そういう品の良さが小説にも出ていて、それをよいと思うか、軽いと思うかで獅子文六への評価って変わってしまうんだろうな、と思う。
■漣くんがちょっとだけ戦国武将に興味を持ってきてるので、3連休は二宮に行くついでに小田原城に行ってきました。お城の中に入るのは小学生くらい以来かな。子どもの頃は平塚に出ることが多かったし、中高生になると横浜まで行っちゃうことが多かったので、あまり小田原に行った記憶がない。でも車から外の景色を見ていたら、昔ながらの建物がまだいくつも残ってるし、川崎長太郎の小説に出てくる抹香町もあるし、今になるとゆっくり歩きたいと思うところがたくさんある。
■もう3月も半ばですが、これを読んだのは年末年始にかけてで、新年ということで浅草を舞台とした小説を読んでみたんですよね。不良集団「浅草紅団」の女首領弓子とのやり取りを中心に、カジノ・フォウリイの出し物や踊子たち、浮浪者、娼婦‥‥といった登場人物が、関東大震災以降の浅草という町を案内する。ちょっと表現や言い回しが古いというか大げさな気もするけれど、これは当時のこういう小説の文体を意識しているだろうか?それとも川端康成の文体なのだろうか?川端康成の本をちゃんと読むのは初めてなんじゃないかな?というくらいなのでわかりません。
■もう3月に入っちゃってますが、ここまでが2016年に読み終えた本になります。溜まっちゃってるな。本当は、本を読んだら1週間以内に雑記に書くという感じで回していきたいんですけどね。で、1週間に1冊くらいのペースで本を読めればと。
■週末は前々から行こうと持っていた「あけぼの子どもの森公園」へ。ここはムーミンの世界をモチーフにした公園で、ムーミン屋敷や川のそばの水浴び小屋、子ども劇場、ムーミン資料館などがあります。
■で、帰ってきて、その頃のアルバムを見ようと思ったら、奥にしまっているようで見つからず、旅先でのメモ帳が出てきました。このころは旅行に行くときはポラロイドカメラを持って行って、街並みとか食べたものとか写真を撮って、夜ホテルでノートに張り付けてコメントを書いたりしてました(ポラロイドがiPhoneになっただけで今と変わらない?)。改めて見ると、ムーミンワールドのチケットやキップなども貼ってあったりして、その時のことが思い浮かびます。ときどき抜けていて日付が飛んでいたり、そもそもノートを作ってないときがあったりするところはB型なんで仕方ない(仕方なくない)。