「Martin Munkacsi」-Klaus Honnef-

◆ムンカッチ展とデパートの美術館についての雑感
「写真術」のインタビューで、ブレッソンをはじめとした何人かの写真家が、ムンカッチのファッション写真に衝撃を受けたと話しているのを読んで、あらためてムンカッチの写真集が欲しくなった次第。いつかちゃんとした写真集を買おうと思いつつも手に入れるきっかけがなくて、1994年に小田急美術館でやっていた「マーティン・ムンカッチ展」の図録だけしか持ってなかったのです。

そういえば、デパートの美術館って一時期たくさんあったけれど、今はほとんどなくなってしまって、今、東京で残ってるのってパルコミュージアムとラフォーレミュージアム、Bunkamuraザ・ミュージアム、サントリー美術館くらいになってしまってるみたい。昔はデパート美術館でいろいろな企画展をやっていて、あまり美術などに詳しくないわたしみたいな人にとってはいい入り口だったんですけどね。
今、普通の美術館でもいい企画展をやっているのは、ある意味、昔デパート美術館がやっていた企画展の役割と引き継いでより深く・より拡大したものなんだと思ったりします。まぁデパート美術館の役割を普通の美術館が引き継ぐという言い方ものどうかと思いますが。でも、先日まで府中市美術館でやっていた石子順造の展覧会や、金沢21世紀美術館で始まった雑誌「オリーブ」の展覧会などは20年前ならデパート美術館でやっていたような企画だと思うんですよ。
そして、きちんとした確証もないし調べてもいないのですが、その辺の分岐点ってなんとなく2001年、グルーヴィジョンズがディレクションを担当した東京都美術館での「イームズ・デザイン展」だったのではないでしょうか。イームズ展は、当時の東京都美術館としては企画自体も展示方法も宣伝の仕方もかなりポップな感じでしたし、見に来る人も多くて入場制限ができるほどでしたよね。で、一方でデパート美術館のほうは、その前後、1999年に西武・セゾン美術館、新宿・三越美術館、2001年に小田急美術館、2002年に伊勢丹美術館が相次いで閉館してるという‥‥。

あと、デパート美術館についてちょっと調べていて驚いたのは、横浜のそごう美術館がまだやっていたこと。今年に入って八王子店が閉店したりしてるそごうだけれど、横浜の別格ぶりはすごい。ちなみにそごう美術館では、3月20日まで「京都細見美術館展Part1・都の遊び・王朝の美」、3月29日からは「宮沢賢治・詩と絵の宇宙・雨ニモマケズの心」という展覧会をやってます。

さて、話を戻してマーティン・ムンカッチについて一応書いておくと、ムンカッチは、1896年、ハンガリー(現在はルーマニア領だそう)生まれで、1930年代~1940年代にかけて雑誌「八一パース・バザー」の専属カメラマンとして活躍した写真家です。
一時期はアメリカで最も高額のギャラを得る写真家といわれるくらいだったのですが、戦後は、体を壊して療養したり、ファッション写真のトレンドやモノクロからカラーという写真技術の変化に対応した写真を撮ることができす、晩年はその財産を使い果たし、失意のまま亡くなったようです。

もともとヨーロッパにいた頃に撮っていたスポーツ写真や報道写真の手法を取り入れ、それまでスタジオ撮影が主だったファッション写真を野外で撮影したり、単にポーズをとるのではなく、動きのある躍動感あふれる写真が特徴。ただ今見ると、スタジオでありがちなモデルを引き立たせるための過剰な演出があるわけではないし、動きと言ってもモデル(と服)という素材を最大に活かすために動きを加えているだけで、ある意味シンプルと言えるかもしれません。モノクロですしね。

「明るい部屋―写真についての覚書」-ロラン・バルト-

◆iPhoneで撮ったデジタルの写真は“写真”って言っていいんでしょうか?
こういう本を読むと普段自分がどれだけぬるま湯に浸かっているような本の読み方しているか痛感します。雑な本の読み方に慣れてしまっているので、文章の理解度のスピードに合わせて文字を追う目の動きを合わせられないんですよ。いつもの本を読むようなスピードで読んでいくと、頭の中にきちんと文章の意味が収まらないまま次に進んでいってしまうため、同じ行を何回も読んだり、一行の中でも行ったり来たりしてやっと頭の中に落ち着く感じ。ようやく半分くらいまで来たところで目の動きがゆっくりになってきて、読むスピードと理解度が(まあ実際にどのくらい理解しているという話は別として)合ってくるという状態でした。まったくもってなさけない。

そんな千鳥足のような歩き方で読んだのですが、有名な写真家の写真をとりあげながらも個人的な視点を投影させたどちらかというと総体的な写真論を考察する前半から、母親の死と生前の写真を中心に、より個人的な事象を軸にして写真の本質にたどろうとする後半へと、次第に深くなる内省の過程が、短めの文章を重ねることで重くならずに展開されていてどんどん引き込まれてしまいました。とはいうものの、ロラン・バルトが模索している内容をすべて理解できたわけでは当然ないので、また何回か読み返したい。その度に読み返してもその度に新しい発見があるような気がします。

ちょっと気になったのは、さまぎまな視点から写真についての模索がつづられている中で、「写真が“かつて、それは、あった”というノエマをもっていること」という主張(前提?)が一貫としてなされていること。、デジタル技術、CGが発達した現在においてその前提は今でもいきているのかな?

というのも、先日、渋谷のパルコに行ったときついでにP.M.Kenという写真家の「crosspoint」という写真展を見たことを思い出したから。
この写真展では、一見すると普通の風景写真のなんですが、よく見ると日本の風景と海外の風景が合成されていて、一回それに気づくと見れば見るほど、不思議な違和感が浮かび上がってくるという作品が展示されていたました。おそらくそれぞれの風景に関しては「“かつて、それは、あった”というノエマをもっている」と思うのですが、全体としては存在としてあり得ない風景なわけで、そういう表現をする写真の作品ってこれからもどんどん増えて行くと思うんですよね。
もちろんフィルムの時代からそういった合成はあったわけですが、それに比べてあまりにも完成度を高いものができてしまうのだなぁとその時も写真をみながら改めて思ったわけです。

こういうことを含めて、このところ写真に関する本を続けて読んでいて、フィルムからデジタルに移行したことによって、写真というものの存在意義や意味が大きく変わったのかもしれないということを考えたりしてます。わたし自身はいまだにフィルムを使い続けているせいで、そういうことをあんまり気にしてなかったんですよね。

そう考えると、会社の新年会で写真の話になったときに「写真と撮ったら加工したくなりません?」って言われて、こちらはトリミングさえしちゃだめなんじゃないかと思ってるのに、今の人は加工を前提にして写真を撮ってるんだなと思ったり、わたし自身iPhoneを使い始めて普段撮るデジタルの写真が携帯の時に比べて格段によくなって、「フィルムがメイン、デジタルがサブ」と言いきれなくなったりなど、自分の周りでも、写真ってなんだろうと思うような出来事もいくつか思い当たったりします。

大げさに言ってしまうと、10何年前にデジタルカメラという名前のものが出てきて、なんとなくフィルム写真から地続きのような感じでデジタル写真に移行したけれど、本質的には全然違うものだったのではないかなんて考えもあるような気がするわけです。
そうやって考え出すと、

・そもそもフィルム写真とデジタル写真では表現されるアウトプットが違うわけですよね。アウトプットが違うものを同じ写真としてくくっていいのかな?

・本の表紙をカメラで撮ったものとスキャンしたものはどう違うんだろう?カメラで撮ったら写真でスキャナーでとったら画像なの?

・どこまでも修正や変更ができてしまうデータにとってデジタル写真の時代のオリジナルプリントってなんなんだろう?

・単純にiPhoneで写真を撮ってiPhoneで見てると写真を撮って見てる気がしない、ってのはわたしが古い人間だからなのかな?

など、どんどん疑問が浮かび上がってきます。

そんなわけで、前回は今読もうと持っている写真についての本は、写真の評論家のものはリストから外していると書きましたが、その辺を含めたデジタル以後の写真のあり方みたいな評論も読んでみたくなってきました。

「写真術―21人の巨匠」-ポール・ヒル、トーマス・クーパー-

◆昔は写真家の情報言えば「スタジオヴォイス」の“写真集の現在”特集でした。
今年に入って写真に関する本しか読んでないです‥‥。基本的には写真の評論家の本じゃなくて、写真家、もしくは本業が写真とは関係ない人の本を選んでてて、カメラの紹介や、写真の撮り方といった本もなし。いつまで続くかわからないけれど、リストアップした本がなんとなく途切れずに古本で買えているあいだは写真の本ばかり読む感じになりそうです。
しかし、荒木経惟と森山大道は写真集以外の本もたくさん出てますねぇ。

さて、この本は、マン・レイ、ジャック=アンリ・ラルティーグ、アンドレ・ケルテス、プラッサイ、口ベール・ドアノー、アンリ・カルティエ=プレッソン、セシル・ビートン、ジョージ・ロジャー、ヘルベルト・バイヤー、ヘンリー・ホームズ・スミス、ポール・ストランド、ヘルムート・ゲルンシャイム、ユージン・スミス、エリオット・ポーター、イモジェン・カニンガム、ローラー・ギルビン、マヌエル・アルバレス・プラボ、ブレット・ウェストン、ウィン・バロック、マイナー・ホワイト、ボーモント・ニューホールという21人の写真家へのインタビュー集。
サブタイトルが「21人の巨匠」となっているようにインタビューされているのは20世紀を代表する写真の大家ばかり。インタビュー自体は1975年前後に行われているのですが、その数年後に亡くなっている写真家も多いです。もちろんわたしは全員の名前と作品が一致するわけもないので、読みながらネットで作品を調べたりしてました。写真家の名前を検索するだけで簡単に略歴がわかったり、作品の画像が見られたり、気に入ったらついでにアマゾンで買えちゃうなんて便利な世の中なんだ、などと思ったりもするけれど、そんな世の中になって10年以上経ってるわけで‥‥いやはや。昔だったら、この本を読みすすめるためにもう一冊、写真史みたいな本を副読本として併読する必要があったと思うし、買うんだったらリプロとか青山ブックセンター、嶋田洋書、あとは専門店といった感じで限られてたもんなあ。しかも本の値段も高かった‥‥。

インタビューの内容としては、写真との出会いから経歴、影響を受けた人、自分の作品についてや手法、写真に対しての考え方、同時代の写真家や芸術家たちとのかかわり‥‥など、かなりオーソドックスにその写真家の経歴や考え方を聞いているので、資料性はかなり高いんじゃないでしょうか。今、写真家と作品が結びついてなくても、いつかその写真家の写真集を買ったときなどに読み返せばいいかなという気持ちもちょっとあり。逆にこれを読んで、プレッソンやラルティーグ、ブラッサイなど自分が今持っている写真集をまた見返したりね。まぁ、あまり作品にこだわる必要もなくて、各人の写真や芸術に関する考え方を読んでいるだけでもいろいろ考えさせられます。

それから20世紀の写真が、現像やプリントといった技術の習得という職人的な側面を持ちつつ、その上でいかに写真を芸術として高めるかということをどの写真家も考えていることに、あらためて感銘を受けました。最近は、写真を見る場合でも、写真を撮ることが手軽になったせいもあり、その作品を「いいな」程度にしか考えていなくて、芸術という観点で見ることが少なくなってるような気がするし、そんな気持ちにさせるような作品にもあんまり出会ってないかも。まぁ写真だけではなく芸術と呼ばれていたすべての分野において、作る方も見る方もカジュアルになってるのかもしれませんけどね。

「The World of Smurfs」-Matt. Murray-

◆「パンラボ」展やら蓮沼執太のインストアライブやら。表参道~渋谷散歩
映画化に合わせて刊行された(と思われる)スマーフ読本。(多分)漫画として発表された当時から、今回の映画になるまでが網羅されています。もちろん文章は読めない(読む気がない)んですけど、大型の本で絵もたくさん入ってて、フィルムやシールなどが入っているポケットがついているページがあったりしてなかなか豪華です。今なら渋谷パルコのLOGOS洋書ストックセールで1600円!まだあるかわかりませんが19日までです。

スマーフは、映画化されたわりにはいまいち盛り上がらなかったような気がしますが、どうなんでしょう。タンタンもそうだけれど、やっぱりCGの質感や描画の感じがわたしは馴染めないんですよね。あと、住んでる村の森の滝からワープして、現代のNYにやってきた!という強引なアメリカ寄りの設定もダメだなぁ。素直にスマーフ村の話にするか、ベルギーとか百歩譲ってフランスとかを舞台ならいいのにな。ヨーロッパの風景のほうがぜったい合うと思うんですけどね。
そんなことを言いつつも、最近、DVD化されたみたいなので、とりあえずツタヤで借りてきてみようかな、とは思ってます。で、おもしろかったら買おうかな。ほんとは昔、テレビ東京で放映していたハンナ・バーベラ制作のアニメが見たいんですけど、カートゥーソネットワークとかでやってないのかしらん。

しかしどんなに「スマーフ、スマーフ」って子どもに教えても、卜ーマスやアンパンマン、ドラえもんに対する食いつきやはしゃぎっぷりはすごいし、長崎に行っていたときにディズニーチャンネルをずっと見てたせいで、今では「ディズニーランドに行きたい」とまで言い出すし、まったく親の思うとおりにはいきません。
そういえばミオ犬の友だちにラムチョップのすごいコレクターの人がいるのだけれど、その人の子どもでさえ、ちょっと大きくなってきたらラムチョップ以外のキャラクターに夢中になってしまったって言ってましたしね。

この日は、昼間は表参道に行って、漣くんを抱っこしたままかなり歩き回りました。

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AtoZ Cafeで食べたお魚のランチ。南蛮漬けがちょっと酸っぱくて漣くんが嫌がるかなと思ったけれど、意外にパクパク食べてくれたのでよかった。
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店内は奈良美智が2006年に青森で行った展覧会の会場を再現したらしい。いろいろなところに奈良美智の絵やオブジェが飾ってあったり、テーブルに描かれていたりします。中央には奈良美智のDrawing Roomと呼ばれている作業部屋もあります。
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岡本太郎美術館に併設しているピースオブケークは、もう何年ぶりなんだか分からないくらいひさしぶり、前にこの辺にIDEEがあった頃、よく行ってました。ケーキ自体は高価なので漣くんに食べさせるのがもったいないくらいなのですが、たまにはね、ということで。漣くんが好きそうなフルーツがラム酒につけてあったりして、あんまり食べさせられなかったんですけどね。そういうことは注文したときに教えてほしいですよねぇ。

-UTRECHT/NOW IDeAでは読むパン屋「パンラボ」展がやっていて中日黒にあるシャポー・ド・パイユというパン屋さんのサンドウィッチがテラスで食べられたりしていました。でも事前にぜんぜんチェックしてなかったので、テラスでサンドウィッチが食べられることも知らず、お腹いっぱいの状態で行ってしまい、大しっぱい。テラスで食べても寒くない程度に暖かったし、テラスの雰囲気もよかったので(ビル全体がいい感じでした)、ゆっくりしたかったです。毎月第2、第4週末はヨーロッパの地方菓子をベースにしたケーキやタルトをテラスで食べられるみたいなので、また機会をみて行ってみたい。

で、表参道から渋谷まで歩いてきて、リブロでこの本を買ったあと、渋谷のタワーレコードでやっていた蓮沼執太のインストアライブを見てきました。蓮沼執太は、ここ一年でスパイラル、O-nestとフリーライブばかり3回目。フリーといえども一年で3回、同じ人のライブを見るのもめずらしい。ただどれもバンドセットで、時間も短めということで、どれもわりと似たような構成になってしまってる気がしました。まぁフリーなんでその辺は仕方ないですけどね。
イベント終了後にもらったフライヤーによると、3月にはラフォーレミュージアム原宿でオーケストラ/アンサンブル編成の「蓮沼執太フィル」として昼と夜の2公演を行うらしいです。オーケストラ/アンサンブル編成ってのが気になります。昼公演だったら15時開演なので行けるかな、とかちょっと思って見たりして‥‥。

「写真の時代」-富岡多恵子-

◆今世紀、初めてのドライブ
実を言うと今まで富岡多恵子の本を読んだこともない。それでもこの本を読んでみようと思ったのは、年末に、写真についての本を読もうと思った時に思い浮かんだのが、写真の評論家ではない人が写真について書いた本、もしくは写真家自身の本だったから。いや、単に評論家が書いた本も含めて調べていたらきりがなくなってしまった、ってだけですけどね。

1976年6月から1978年5月にかけて『カメラ毎日』という雑誌に連載されていた写真についての時評をまとめた本。富岡多恵子自身がもともと写真に興味があったり、趣味で写真を撮っていたりするわけでもなさそうだし、ここで取り上げられている写真集も編集部の人が、毎月何冊か持ってきたものから選んでて、特に毎回美術館やギャラリーに足を運んだりということはないようです。それにもかかわらず、写真に関して展開している内容は的確かつ明快だし、時評というわけには今の時代にも当てはまる内容が多いし、随所にひっかかる言葉があっておもしろかったです。

1つ、「JPS編『日本現代写真史』を見て」で「21世紀に編まれる「現代写真史」は万葉集のように天皇から防人までの写真を収録しなくてはならないのではないか」と言及されているのだけれど、30年後にフィルムからデジタルに移行することによって、カメラや写真がより手軽なものになり、毎日すごい量の写真が撮られかつ共有されていることによって、写真の万葉集のようなサイトがいくつもできてしまっているという今の状況の異常さを何となく感じたりしました(まあわたしも食べたごはんとかアップしてますけどね)。

-土曜日は、近くの安いレンタカーで車を借りて練習がてら福生まで行ってきました。もともと車でどこかに行くという習憤がないので、実際にどこに行こうか考えるとぜんぜん思い浮かばないし、11時くらいにうちを出て5時くらいに帰ってくるとして、どこまで行けるのかもわからいというあり様。まあ主の目的は運転の練習なのでどこでもいいんですけど。去年、暁くんが生まれる前にひとりになったときに、ペーパードライバー講習を受けて、12年ぷりに車を運転したのだけれど、その後、結局運転する機会もなく気がついたらそれから4か月が経ってしまいましたからね。当分は車を買う予定もなかったりするので、これからは意識して定期的にどこかに行かなくては。

-で、どこに行ったかと言えば、電車で行くにはちょっと面倒な立川にあるゼルコバという天然酵母のパン屋さんだったり、そのまま福生の町中を走ってみたりって感じで特にどこに行くわけでもなにをするわけでもなく一日が過ぎてしまいました。
ゼルコバには、12時くらいに着いたのですが、お店の中はすでに満席になってしまっていてパンもかなり売れてしまっていたようです。そんなわけで外のテラス席でピーナツクリームのサンドやチーズのパンを食べて、週末め朝ごはん用に山型のレーズンパンやラムカランツとくるみのプチなどを購入。でも土曜日は暖かったし庭の雰囲気もよくて、むしろ外で食べたほうが気持ちいいくらいで、長居したくなる感じでした。ただ駐車場もあんまりなくて(多分)隣の鈴木農園の庭先に車を止めているような状況だったので、なんとなく早めに切り上げなくては、みたいに気分になってしまいましたけど‥‥。結果的にはそのあとどこかに寄ってお茶したくなるような場所もなかったので、もっといろいろ食べてゆつくりすればよかったです。
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あとは福生の町を走り回りつつ、ちょこちょこ寄り道をしながら帰宅。いつもは福生も拝島、牛浜、福生の駅から16号の間くらいしか歩きまわれないんですけど、ちょっと車を走らせると、まだハウスがいくつか集まっているところが残っていたり、知らないお店が見えたりして新たな発見がありました。車でしか行きにくいようなお店がたくさんあるんだろうなと思うので、次回はもっときちんと調べてから遊びに行きたいですね。ちなみに福生を走っているときの車内ではiPhoneで南佳孝の「SILK SCREEN」をかけまくってました。

「居ごこちのよい旅」-文:松浦弥太郎、写真:若木信吾-

◆居ごこちのよい旅、居ごこちのよいカフェ
雑誌「coyote」での連載をまとめたもので、カリフォルニア、ハワイ、ニューヨーク、パリ、サンフランシスコ、マサチューセッツ、台湾、ロンドン‥‥など12の都市が、松浦弥太郎らしい視点で紹介されています。紹介されているお店や場所、出会う人々などをつづった文章ももちろんいいんですが、松浦弥太郎による文中に出てきたお店や施設を記した手描きの地図や若木信吾による写真も素敵です。特に若木信吾の写真は、文章との距離感がいい感じで、実は写真メインで、松浦弥太郎のほうが写真を説明していると言っても過言ではないかも?いや過言かな。実際は、旅の間ほとんどの時間をふたりで行動していたらしいのですが。

それにしても、このサンフランシスコの回の切り抜きを持ってサンフランシスコに行ったのは2008年の冬、もう4年も前のことになってしまうんですね。City Lightsで「On The Road」のペーパーバックを買ったり、ワシントンスクエアに行ったり、中華街を歩いたり、そしてもちろん古本屋やアンティークショッブ、蚤の市、マーケットなどまわって、ほんと短い旅行だったけれど、楽しかったな。そう、で、サンフランシスコから帰ってきたら、会社が買収されてしまって、その春から違う会社で働くことになったのでした‥‥。今にして思えば、あれがこの4年間の生活のスタイルの大きな変化の始まりだったのかもしれません。とかなんとか。しかし今度、海外に行くとしたら自分たちのパスポートも切れてしまってるし、家族4人分のパスポートを作らなくちゃいけなんですもんねぇ。それだけで大変な気がしてきました。

最近は、漣くんと出かけるたびにカフェめぐりみたいなことになってます。まあ子どもと一緒ならサイゼリアとかでもいいし、そういうお店のほうが子ども向けのメニューもいっぱいあるんですけどね。でも出かけると言っても、バスや電車に乗れて、デパートの中を歩き回らせたり、ちょっとおもちゃ売り場やキッズコーナーで遊んだりして、帰りにおやつを買って帰ってくるだけなので、なんとなくそれだと物足りなくて、お昼ごはんくらいは、って気分になってしまうんですよ。

そんなわけで1月に行ったカフェ、4軒。

■DADA CAFE
-代々木にある古い一軒家をそのまま利用したカフェ。前に行ったのがいつだったのか思い出せないけれど、プチグラのセールに行った帰りに寄ったのを覚えてます。ごはんを食べてたら偶然に友だちと会ったんですよね。
その時にソファー席があったという記憶があったのと、下北にある同じように古い家を使ったmois cafeに行ったことがあったので、ホンマタカシの写真展の帰りに寄ってみました。でもタイミングが悪かったのか、女のひと一人というお客さんが多く、静かにご飯を食べているという雰囲気で、すぐに大きな声をあげる漣くんを連れていくにはちょっと無理があったようです。注文したタンドリーチキンの入ったカレーも大人にはおいしかったけれど、子どもには辛かったようで、ことあるごとに「カレーからかったねえ」って言われる始末でした。

■キィニョンカフェ
国分寺にあるパン屋さんのカフェ。マルイにもお店が入っているので、これまではたいていこちらでパンやドーナツツを買って帰って家で食べてました。カフェのほうはパン屋に併設されている感じなので、それほど広くはないのですが、店内はかわいいキャラクターの絵がいろいろなところに書いてあったり、絵本やオモチャが置いてあってかなりかわいいお店です。もちろんパンもおいしいです。ここでしか売っていないパンもありますしね。
ここでパンを食べて駅までのあいだにある絵本屋さんおばあさんの知恵袋に寄って帰るのがおすすめ。

■バーニーズカフェ
国分寺の南口から5、6分歩いたところにあるカフェ。どことなく倉庫っぼい店内に、イームズのイスが置いてあり、アメリカの雑貨が飾ってあり、「リラックス」や「スタジオヴォイス」などの雑誌や絵本が置いてあり、そしてファイヤーキングのカップでコーヒーが出てくる‥‥という特徴をあげていくだけで、雰囲気は伝わると思います。まぁ好きな人は好きってことで。
食べたのがチャーハンだったこともあって、料理についてはあんまり言えませんが、居心地はとてもいいです。お店の人もやさしいし雰囲気的にも子どもを連れて行っても楽しめます。置いてある雑貨とかに手を出したりするのでちょっとヒヤヒヤしますが‥‥。でもほんとは夜に自転車とかで来て電車を気にせずに飲んだりしたいお店です。

■ハティフナット
-こちらもキィニョンに負けないくらいファンシーなカフェ。高円寺のほうには行ったことがあったけれど吉祥寺のほうに初めて行ってみました。つうか、漣くんがいなきゃこんなカフェ行げませんって。
いくつか席の種類はあるようですが、靴を脱いであがるフローリングの上に、小さめのテーブルと座椅子が置いてある形だったので、長居するとおしりが痛くなりますが、かなりくつろげます。高円寺よりもちょっと広いのかな?壁中に女の子や動物などの絵が描いてあるので、子どもも指をさしたりて「ぞうさん」とか「たこ」とか「きのこ」とか言いながら楽しんでました(席に区切りがない分、動き回ると隣の人にちょっと迷惑)。
食べものもドリアやカレー、クロックムッシュなど、わりと子ども向けですし、食べなかったけれどケーキもかわいいものが多かったです。

「私の写真作法」-植田正治-

◆植田正治が生きてたらデジタルカメラについてなんて書くのだろう
植田正治が、1974年から1985年の間に写真雑誌などに発表した文章を、金子隆一が再構成した本。植田正治がこれまでに使ったカメラについてや撮影や月例、展覧会といった自身の体験談からオリジナルプリントや現像・引き伸ばしなど専門的なものまで、基本的には思いつくままの内容がつづられているのだと思う。でも写真雑誌に連載されていたものだけあって、読者であるアマチュア写真家を叱咤激励するような文章があったりして、意外と熱い。いやかなり熱い。各章の最後に金子隆一によって付記されているその文章と植田正治の作品の関わりやその文章が書かれた時代背景も、知識を補完する意味で興味深かったです。
そういえば最近モノクロフィルムをカメラに入れてないな。漣くんが動き回るようになってからあまり使わなくなってしまったオリンパスOM1にモノクロフィルムを入れてみますかね。

しかしコダックが経営破綻したのでフィルムは富士フィルムが頼みの綱になってしまった感じですね。わたしとしては子どもの写真を頻繁に撮ったりするのって小学校くらいまでと思っているので、あと10年くらいはちゃんとした形でフィルムが残ってほしいけれど、どうだろう?どちらかというとフィルムの維持よりも現像すお店・ラボの維持のほうが難しい気がします。デジタルでもプリントはし続けるかもしれないけど、現像はないですもんね。う~ん。

ポラロイド社が破たんしてからインポッシブルプロジェクトでフィルム開発・発売の様子を見ていると、会社がなくなるとその技術が受け継がれないまま会社だけでなくその技術も消えてしまうことがあるのだな、と思う。インポッシブルプロジェクトで工場や機械類をリースして元ポラロイドの熟練工と言われる人があらたにフィルムの開発をしているけれど、実際に発表される商品は、悪いけれど今のところポラロイドから出てたものにおよばない、と思う。
今後、どんな風にして使う人が満足するような製品になっていくのか分からないけれど、たぶん、それはこれまでポラロイドから出ていた製品とは違ったものになっていくだろう。逆に万が一、ポラロイドからフィルムを出そうとしてももう生産できるはずもないですよね。
もちろん、インスタントカメラは富士フィルムからも出ているし、デジカメが主流の今、ポラロイドフィルムの技術なんて、時代遅れの技術で気にしてる人も多くないのかもしれない。でもこれって単なるポラロイドフィルムユーザーのノスタルジー以上の意味合いがあるんじゃないかと思ってしまいます。

昔はフィルムさえ残ってれば大丈夫って考えてたものだけれど(何が大丈夫なのか?って気もするが)、もしかしたら50年後には、フォルムを持っててもフィルムをプリントする技術がなくなってしまってて、どうすることもできなくなっているのかもしれません。(まあ少なくともスキャンはできるだろうからそんなことはないのかな?)

「その森の子供」-ホンマタカシ-

◆ホンマタカシ写真展『その森の子供 mushrooms from the forest 2012.
代々木のBlind Galleryでやっている「その森の子供」というホンマタカシの写真展に行ってきました。
震災と原発事故で放射性物質が降り注いだため、一部の地域できのこの採取が禁止された東北の森。この展覧会では、その森に震災後数度に渡って入り撮影した森とその“子供”であるきのこの写真が展示されています。
白をバックに図鑑の写真のように撮られたきのこの写真と、その間にそのきのこが育った森の写真が展示されているという構成になっていて、森ときのこを切り離して写真の中に収めることで、きのこの質感がダイレクトに伝わってくるとともに、かつ森との関係性もきちんと提示されているという感じです。「ニュードキュメンタリー」の時も思ったけれど、ホンマタカシは写真の見せ方がホントうまい。

-ついでに会場となっているBlind Galleryがそれほど広くないスペースということもあり、展示されている写真は20点余りなのですが、この写真集には150点近くの写真が収録されているということで写真集も購入。
これも展示では点数は少ないけれどきのこの質感や色合いがダイレクトに伝わってくるプリントの精密さ力強さを感じましたが、写真集のほうは、そのたたみかけてくるようなきのこと森の写真の量にまず圧倒されるという、同じ写真のはずなのに受け取るものはかなり違うものになっています。

Blind Galleryは、昨年オープンした代々木ヴィレッジという複合施設の中の一つで、このほかにもレストランやバー、コーヒーショッブ、パン屋、本屋などがあり、庭園には世界の植物が植えられていたりします。施設内にはテーブルやいすが置いてあり、庭園の植物を見ながら、パンを食べたりコーヒーを飲んだりできるようになっているのですが、今の時期だとちょっとつらかったです。もう少し暖かくなった頃にまたおもしろそうな展覧会があったら行ってみたいかも。

-あーでもそんなに長い時間楽しめるという場所でもないし、代々木だし、施設のプロデューサーは小林武史だったり、なぜか大沢伸一とかも絡んでいたりで、まあ微妙に不思議な場所なのでどうかなーという気も。

 ホンマタカシ『その森の子供 mushrooms from the forest 2012.
  2012.12月17日(土)~2012年1月29日(日)
  会場:東京都 代々木 blind gallery
  時間:11:00~20:00
  料金:無料

「写真の秘密」-ロジェ・グルニエ-

◆一番初めにさわったカメラ
小さい頃、父親の眼鏡屋の一角に写真スタジオがあったということから始まり、ローライフレックスライカ、オリンパスなど愛用のカメラで、10代の頃から、戦時中、記者時代、作家になってから、と生涯を通じてスナップショットを撮り続けてきたグルニエが、自身と写真、カメラについてつづったエッセイ集。
自身の写真論を展開するというよりも、思い出やエピソードを2、3ページの短めな分量で書いてるものがほとんどだし、内容も学生の頃に友だちのお母さんのヌード写真をプリントするといった軽いものから、1944年のパリ蜂起のときに隠し撮りをしていてドイツ兵に射殺されそうになるといった興味深いものまで幅広く取り上げられているので読みやすいです。
こういうテーマが決まってて各章が短めな軽いタッチのエッセイ集っていいね。フィリップ・ドレルムの「ビールの最初の一口とその他のささやかな楽しみ」とかさ。で、ほんとはこういう本は、毎日寝る前に一章ずつ読んでいく、ってのが正しい読み方って気がします。

子どもの頃、うちに壊れた二眼レフのカメラがあって、よく上からのぞいて遊んでいたのが、わたしのカメラに関する一番古い記憶。横浜にいるときなので小学校に上がる前の話。二眼レフは子どもでも簡単にのぞけるし、壊れているとはいえシャッターは切れたので、楽しくてよく持ち歩いてました。わたしがいまだに古いフィルムカメラを使うのは、その記憶があるからなのかもしれません。
しかしそのカメラがちゃんと動いているときに、父親がどんな写真をとっていたのかは聞いたことがないんですよね。後年、父親が結婚する前、まだ山登りをしていたときに撮ったモノクロ写真が、物置の奥からたくさん出てきたことがあって、一時期額に入れて飾ったりしていたけれど、さすがに昔の話とはいえ二眼レフを持って山に登っていたとは考えられないし‥‥。まだ写真が残っているとは思えないけれど、今度、二宮に帰ったときにでも聞いてみるかな。
それから今度中古カメラ屋さんに行ったら、ジャンクだけど一応ファインダーがのぞける二眼レフのカメラを探してみようと思う。子どもたちのおもちゃになるかもしれないし、ならなかったとしても部屋に飾っておくだけでもいいしね。

「石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行」

◆年末年始はイコンタで撮った写真をA4サイズでプリントアウトして遊んでました。
月に数回は府中の森公園に遊びに行っているのだけれど、府中市美術館の展覧会は見れそうにないので、お正月明けに遊びに行ったついでにとりあえず図録だけ買っておいた。でも、まだぜんぜん読んでません。3か月くらいかけて適当なページを開いて少しずつ読んでいければいいかな、という感じだろうか。
適当なページを開いて少しずつ読むといえば、去年、年頭に小西康陽の「ぼくは散歩と雑学が好きだった。」を読んだせいで、植草甚一や小林信彦、筒井康隆、双葉十三郎、長谷川四郎といった晶文社のヴァラエティ・ブックや、安田謙一の「ピントがボケる音」、川勝正幸の「ポッブ中毒者の手記」といった今のヴァラエティ・ブックを読もうと思ったんだった。いや、すっかり忘れてたわ。あ、あと大友良英の「MUSICS」とかも読もうと思ってたなあ。ちょうど大友良英が井の頭公園でフリーライブをやった頃だ。

話は変わりますが、年末に新しいプリンタを買ったので、年末年始はイコンタで撮った写真を高解像度でスキャンしてA4サイズでプリントアウトして遊んでました。ほんとはちゃんとフィルムからスキャンしたかったのですが、今、フィルムスキャンできる複合機ってあんまりないんですよね。というか、会社の20代の男の子に「フィルムスキャンできる複合機が欲しいんだけど何がいい?」って聞いてみたら「フィルムスキャンってなんですか?」って言われちゃいましたよ。とほほ。

でもまあ別に個展とか開くわけではないし、それなりにきれいだし、今回は漣くんの写真ばっかだったし、かなり満足です。次は子どものじゃない写真をスキャンしよう。あー個展とか開く気はないですけど、お店とかで飾りたいとか、一緒にグループ店開きたいなどという奇特な方がおられましたら気軽にご連絡いただけれぱと思います(笑)。

 こんな感じの写真です。→Canoe_Ken’s photostream

今まででイコンタで撮った漣くんの写真で気に入っているのはこの4枚かな。

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