前回(この項続く?)なんて書いたのに気がつけば一週間経ってしまいました。最近、本を読むペースが遅くなっていますね。
で、そのあとなにを書こうと思っていたか、簡単に書いておくと、
・姿を見せなくなったサバは2週間ぐらい経った頃、家に帰ってくると4匹の子猫をつれてまた窓の下に来ていた。
・しばらくの間、窓の下には5匹の猫がいつも寝ていたり、じゃれていたりするようになって、ちょっとさわがしくなった。
・そのうち子猫が大きくなると2匹の猫はどこかに行ってしまって黒猫と白と黒の猫の2匹が家に残った。
・黒いほうをジュジュ、白黒のほうをテムテムと名付けた。
・3匹の猫は1年くらい一緒に家に来ていたのだけれど、ある時からサバが来なくなり、テムテムが来なくなり、最終的にはジュジュ一匹だけとなった。
・そのあとも、ジュジュは、そのアパートが取り壊しになるため、引っ越すときまでずっと“外様猫”として朝夕、私が家にいるときは窓の下にいた。
‥‥といったところか。
親が犬や猫が嫌いだったせいで、子供の頃から動物を飼うということがほとんどなかったわたしとしては、“猫のいる日々”といえば、その何年かだけですね。猫アレルギーということもあるし、これからも猫を家でかうことはないんだろうなぁ。とはいうものの、日曜に猫を飼っている友達の家に遊びに行って、猫と遊んだりしていると家に猫がいるのもいいかも、なんて思ったりもして‥‥。
話は変わって、実際に読み始めるまで、この本を、久保田万太郎の実際の“昔の仲間”について書かれた随筆だと勘違いしてしまいました。でもちゃんと読んでみたら「昔の仲間」というフィクションで、この作品を中心に6編の短編が収録されている。
江戸ッ子、というか明治から昭和の初期の頃の東京ッ子が主人公が、昔、お世話になった人の二十三回忌を記念して、法事を行うために当時の仲間の消息をたどるという話。東京ッ子丸出しの登場人物たちの性格や行動だけでなく、それを語る語り口も東京ッ子言葉で書かれている。私は、久保田万太郎の本をそれほど読んでいるわけではないけれど、文学、あるいは小説というものに対するこの軽やかさが好きだ。