この作品は、完全なフィクションなのか、なにか実在の芸人をもとにしたモデル小説なのか、どっちなんだろう。今まで、安藤鶴夫に対しては、評論家や随筆家というイメージしか持っていなかったし、直木賞を受賞した「巷談本牧亭」もモデル小説と思っていたので、フィクションとしてとらえていいのかどうもわかりません。ただ戦後の銀座を舞台に若い芸人たちがさまざまな人たちに見守られながら独り立ちしていくストーリーが、久保田万太郎の作品にどことなく近い雰囲気がありつつ、でも戦後の新しさみたいなものもあって‥‥単なる人情話にとどまらなくて、安藤鶴夫の新しい面を知ったような気がします。というのはちょっとおおげさか。
一方で、この作品は発表当時どんな人に読まれ、どのような反響があったのだろうか、とも思う。というのは、この本が出たのは昭和39年、1964年といえば、なんといっても東京オリンピックの年、高度成長期の象徴のような年で、先日読んだ開高健の「ずばり東京」に描かれているような風景の中では、懐古にさえならないような気もしてしまうのだけれど、実際のところはわかりません。
ちょっと調べたところによると1964年のベストセラーは「行為と死」(石原慎太郎)、「楡家の人々」(北杜夫)、「秀吉と利休」(野上弥生子)、「砂の上の植物群」(吉行淳之介)、「されどわれらが日々」(柴田翔)‥‥、ヒット曲は「君だけを」「お座敷小唄」「ウナセラディ東京」「アンコ椿は恋の花」「涙を抱いた渡り鳥」「東京五輪音頭」「プリーズ・プリーズ・ミー」「ダイアモンド・ヘッド」「イパネマの娘」‥‥、話題の映画は、洋画では「マイ・フェア・レディ」「007/危機一発」「シャイアン」「シェルブールの雨傘」「突然炎のごとく」‥‥、邦画では「喜劇・駅前茶釜」「砂の女」「赤い殺意」「愛と死をみつめて」「赤いハンカチ」‥‥とのこと。う~ん、ぜんぜんイメージつきません。もっとも「巷談本牧亭」は1963年の直木賞受賞作なんですけどね。ちなみ1962年の直木賞は「江分利満氏の優雅な生活」です。