「テクノイズ・マテリアリズム」-佐々木敦-

■佐々木敦はツイッターをフォローしたり、Webでのインタビュー、そしてHeadzのサイトなどはよく見ているけれど、著作を読むのは初めてだったりする。
電子音楽を聴き始めたころ、何から聴いていいのかも、どういう系譜があるのかもぜんぜん分からなくて、Headzのサイトに掲載されていた佐々木敦の電子音楽の歴史についての文章を繰り返し読んでいたのだけれど、いつのまにかページが削除されてしまっていて、ダウンロードしておかなかったことを後悔している。
それほどたくさんの電子音楽を聴いているわけではないけれど、今読んだらその時は分からなかったことがわかるかもしれないし、また違う感想を持つかもしれないと思う。そうやって少しずつ音楽を聴いて、文章などで隙間を補完したり、ちょっと先のことを学んだりしながら、聴き進めていくという過程が好きなのだ。思うように聴き進められないジレンマも含めて。

■この本を本屋さんでちょっとページをめくってたら、それっぽい章があったので、それが掲載されてるのかなと思って購入してみました。でも、記憶ではもっと詳しかったような気がするので、もしかしたらほかの本に掲載されているのかもしれない。全体としては、初期の電子音楽については一部でしかなく、大友良英の変遷やデレク・ベイリーのフリー・インプロヴィゼーション、ジョン・ケージの「4分33秒」などを通じて「音響」について語っていてそれはそれで勉強になったのですが。

■個人的には、何人かで1分とか2分とか時間を決めてそのときに聞こえるものをすべて書き出してみて、お互いに読み上げてみるというサウンドエデュケーションがおもしろそうで、自分でもやってみたいと思った。自分と人とがどんな風に音を聞いているのかという差がどんな感じなるのかドキドキする。それだけでなく定期的に自分一人でもやってみて意識的に音を聞くということをやることによって、音楽の聴き方が変わるかもしれないと思う。
昔、友だちとリード楽器が複数あるインストの曲のメロディを、口ずさんだら、人によって認識しているメロディが違っていたということがあったのを思い出しました。まぁよく言われるベーシストは曲のほかの人よりもベースの音をはっきり聴いている、みたいなことなのでしょうけどね。

■そういえば、佐々木敦といえば、先日大学入試センター試験に著作の文章が引用されたって話題になってましたね。これがきっかけで古本屋で、佐々木敦の本を見かけるようになったら、もっと本を読む機会が増えるんじゃないかと期待してるんだけど、どうかな?。基本的に古本屋でしか本を買わない人間なんで‥‥。

「coyote winter 2015」

■年始に二宮に行くときに持っていく本を買いに年末にリブロ行ったときに、ラッピングしてもらう間に店内をうろうろしていたら、「NEW YORK NEW BEAT GENERATION」という特集のタイトルが目に入って、つい衝動買いしてしまった1冊。
「coyote」でビート・ジェネレーションと言えば、以前、サンフランシスコ特集に掲載されていた松浦弥太郎の手書きの地図を持って、City lightsやAdobe Books、Green Apple Booksなどの古本屋やビート・ジェネレーションにまつわる場所を回ったことを思い出す。
この特集では、直接ビート・ジェネレーションに言及しているわけではなくて、ブルックリンから郊外に移って生活するアーティストなどを紹介している。ジム・ジャームッシュやジョナス・メカスのインタビューもあるけれど、どれも今の視点から現代のビート・ジェネレーション的なものを紹介するという感じで、当時の様子に直接言及するほぼないというところがいい。

-■西東京のスカイツリー、田無タワーの近くにある多摩六都科学館へ行ってきました。「六都」って何?ともってサイトを見てみたら、小平市、東村山市、田無市、保谷市、清瀬市、東久留米市の6市で設立されたことから、らしい(現在は統合により小平市、東村山市、清瀬市、東久留米市、西東京市の5市)。
展示は、チャレンジの部屋、からだの部屋、しくみの部屋、自然の部屋、地球の部屋の5つに分かれていて、ただ展示を見せるのではなく、実際に手を動かしたりして楽しめるようになっているので、子どもでもけっこう楽しめました。大人からするとちょっと意味不明な遊具的なものもあったりするしね。
漣くんが宇宙や恐竜などに興味を持つようになったので、機会があれば博物館に行こうと思っているのですが、博物館に行って困るのは、やっぱり3歳と5歳では興味の対象も違うし、理解度もぜんぜん違うということ。-だいたい、展示に添えてある説明文を漣くんに説明して、それをなんとなく理解した漣くんがいろいろ操作としようとすると、わけが分かってない暁くんが邪魔をして、けっきょく、けんか、というパターン。まぁこれは博物館に限ったことではないけれど‥‥。
プラネタリウムも見ましたが、わたしはほとんど寝てました。で、プログラムによるとは思いますが、こちらはちょっと5歳児には難しかったみたいです。やっぱりちゃんと起きてて、スタッフの解説に対して、その都度、きちんと説明してあげないとだめですね。反省‥‥ちなみに六都科学館のプラネタリウムは、23m以上の大型ドームでは世界初となる高輝度LED光源を採用されていて「最も先進的なプラネタリウム」として世界一に認定されてるらしいですよ。寝てたけど。

「屋根の花」-大佛次郎-

■全集未収録の随筆を、道ばたの草木や京都、奈良などへの旅、幼少の頃のこと、交遊録‥‥などに分類しバランスよく収録した本。1つ目を読み始めてすぐに「これ読んだことがあるな」と思ったら、やはり以前読んだ文芸文庫の「旅の誘い」に収録されていた本でした。タイトル変わってるし買う時は気がつきませんよね。
で、ついでに過去の雑記を読み返してみたら「「屋根の花」はいずれ読み直すことになるんだろうなぁ~。」って書いてありました。日付は2008年の2月18日で、多分、この時、初めて大佛次郎の随筆を読んだんじゃないかと思う。それから7年で4、5冊くらいなので、ぜんぜん進んでない。もっとも小説はまだ読む気がしないので、随筆だけだとどのくらいの冊数があるのかは分かりません。
この本は、ちょっと大きめの函入りで表紙の絵もきれいなので、どちらかと言えば、こちらの単行本を手元に置いておきたいと思ってます。「旅の誘い」も巻末に著作のリストがあるので手放せませんが。

-■先日は、中目黒のデッサンで行われていたswish!の「off the shelf展」に行ってきました。まぁわたしにニットの趣味はないのでミオ犬のリクエスト。ニットの靴下やマフラーなどと一緒にかわいい人形などもあったりしましたが、一番気になったのは、グラスゴーのライブハウスで行われるパステルズとウェイクのライブ告知のポスターだったりして。デザインもよくて、売り物だったらちょっと欲しかった。
ちなみにデッサンは写真集やデザイン関連の本、絵本などが中心の古本屋さん。ミオ犬がswish!を見ている間に写真集などを見ていたら欲しい本がたくさんあって、こういう古本屋さんになるにはどうすればいいんだろう?とか思ってしまったりしてね。

■最近は出店していませんが、デッサンは前は東京蚤の市に出店していました。そのときにお店にいた人の子どもが、実は、そのあと漣くんが入る幼稚園に通っていたという不思議な縁。
その人に教えてもらってアラスカというベジタリアンカフェでお昼ごはんを食べました。野菜のフリッターをメインにした玄米ご飯プレートを食べたのですが、野菜の食感ところものバランスが良くておいしかったです。木のさりげない感じの感じのテーブルや椅子、ぼんやりとゆがんだ視界になるガラス窓など店内の雰囲気もよかったです。

-■中目黒に行くのは何年振りだろう?漣くんが生まれてからは、夜に一回会社の飲み会で行ったくらいなので、少なくとも6年くらいは行ってない。
昔、西郷山公園の近くの会社に勤めていたころにしょっちゅう行っていたオーガニックカフェはとっくになくなって、そのあとに大きなマンションが建ってるし、春に窓際の席に座って桜を眺めていたPACIFIC57も、カプチーノがめちゃくちゃおいしかったマンゴスチンカフェも、わたしがその会社を辞めた後、表参道から移転してきたカフェエイトもなくて、どこに行ったらいいか分からず。
雨も降っていたしとりあえず、カウブックスで本をちょっと見て帰ってきただけだったので、次にいつ中目黒に行けるのかわかりませんが、いつかまたデッサンでいい展示があったら、その時はもう少し川沿いを歩いてみたい。しかしドンキホーテができてたのはびっくりしたなぁ~

「Holiday in」-masacova!-

■特に集中して集めているわけではないけれど、ポラロイド写真の写真集は、今後もう新しいものが出ないと思うので見つけた時に買うようにしている。一応、どんな写真集が出ているのか調べたとこがあるけれど、それほどなかったしね。そういう意味では岡本仁や岡尾美代子の本は雑貨の本というよりもポラロイド写真集として手元にある感じ。今でもインポッシブル・プロジェクトからポラロイドのフィルムが出ているけれど、どのくらいの人が使っているのだろうか。ここ数年でチェキが見直されているように、ポラロイドも見直されてもいいように思うけど、なかなか難しそう。というか、富士フィルムでポラロイドと同じくらいの大きさのチェキを出せばいいのにと思ってる。

■この本は、カリフォルニアやハワイのどこかノスタルジック風景が、ポラロイド特有の柔らかな光の淡い色彩で撮影されている。撮影したmasacova!は、帯の説明には「カメラ日和」の連載や「ポラロイドライフ」でおなじみ、と書かれていたけれど、「カメラ日和」は読んでないし、「ポラロイドライフ」もあまり気にしてなかったので、知らなかったです。ほかに写真集が出ているわけではなさそう。
日本で撮られているポラロイドは、だいたい淡い感じになるのに比べて、タルコフスキーなど海外の写真は、わりと暗めでコントラストがはっきりしているのはなぜだろうか。被写体とか撮影場所とかも異なる気がするし、その辺のポラロイドの文化の違いも興味深い。サンプル数が少ないので、単なるわたしの思い込みかもしれませんが‥‥

-■実を言うと、ikontaを修理に出している間、なんとなく、インポッシブル・プロジェクトのポラロイドフィルムを買ってしまった。でも、けっきょくポラロイドカメラを持って出かける機会もなく修理から戻ってきました。どういう時に持っていって何を取ればいいのかわからないんですよね。税込だと8枚で2500円くらいなので、1枚300円くらいになっちゃうということや、8枚しか撮れないのにあの大きなカメラを持っていくことを考えると、なかなか、ね。そもそも以前のフィルムでも人を撮るとぼやっとしてしまっていたので、子どもを撮るのは、どうかと思うし、どこかに出かけるわけでもないので、風景を撮る機会もないし、近所の風景を撮るのもなんだかなぁという気分になってしまいます。春になって日差しが強くなってきたら公園でピクニックするときとかに持っていってみようかしらん。

■タワーレコードの意見広告「NO MUSIC, NO LIFE?」広告集をまとめた「DOCUMENTARY PHOTO & MESSAGE OF “NO MUSIC, NO LIFE?”」の発売記念で行われた、あらかじめ決められた恋人たちへを見に行ってきた。あらかじめ決められた恋人たちへは、ダブを基調に深いエコーとピアニカで演奏されるちょっと哀愁ただようメロディとハードコアからの影響がうかがえる激しいサウンドがうまくミックスされたインストのバンド。ライブだとその振り幅が大きくダイレクトに伝わってきてかっこよかった。メロディを奏でたり時にはノイズを出すなどパーカッションの人のテルミンの使い方も効果的だし、リズム隊も曲に合わせて重かったり、激しかったりして盛り上げるし、ピアニカもかなり太いはっきりした音で、バックの音に負けてなくて最高でした。

「なんたってドーナツ」-早川茉莉 編-

■ドーナツについて書かれたエッセイを中心にレシピや物語、詩などを収録したありそうでなかったアンソロジー。といってもドーナツだけでは、一冊の本にならなかったということで、堀江敏幸や林望、角野栄子、いしいしんじなど書き下ろしのものも多い。
別のシリーズでのカレーと同様に、最後の清水義範の小説に明示されてるように、ドーナツと言って思い浮かぶものは人それぞれだけれど、誰もがどこかなつかしい気分になる感じが全体に漂っている。それは、カレーやドーナツという食べものの特性なのだろうか?食べものについて書いたものをまとめると自然にそうなってしまうものなのだろうか?あるいは編者がそういう思い入れを持って選んでいるからなのだろうか?まぁドーナツというとなんとなく古き良きアメリカ的な雰囲気もあるしね。いや、それは単にわたしがミスタードーナツに行き過ぎているだけか?

-■1月の初めに修理に出したikontaが戻ってきた。もともと壊れていたフィルムを巻くダイアルもスムーズになったのをはじめ、ところどころ剥げていた外側もきれいになり、ファインダーもちょっと鮮明になってうれしい。11月にフィルムが入っているかと思って巻いたら、動かなくなってしまい、無理やり巻いたりしてだましだまし使っていたのですが、やはりこれを機会に直すことにしてよかった。といっても、試し撮りして現像に出して実際に写真を見るまでは安心できないけど。ということは再来週か‥‥
中古カメラ屋を除いてももうフィルムカメラも少なくなってるし、ikontaなんてなかなか見かけることもなくなってきたので、こういうことがあった時のために、もう一台ikontaを買っておきたい。といいつつ、それだったら二眼レフのカメラが欲しい、とか、それ以前に調子が悪いターンテーブルをちゃんとしたものに買い替えたい、とかいろいろ思ってしまう。物欲の春。というほど、欲しいものがいっぱいあるわけではないけれど(欲しいCD、レコードは常にいっぱいある)。

-■いろいろな音楽を気の向くままに聴いてきたせいで、本当に自分が何が好きで、何を買わなくちゃいけないのか、わからなくなってる。年が明けてからはミニマル・ミュージック(と初期の電子音楽)に夢中。もともとは前にも書いたように、エレクトロニカを聴こうと思っていたのだけど、ついエレクトロニカのルーツってなんだろうなんて考えながらYouTubeでいろいろ聴いているうちにはまってしまった感じ。といっても、ミニマル・ミュージックのほうは、基本のスティーブ・ライヒとかフィリップ・グラス、テリー・ライリーくらいしか聴けてないんですけどね。ミニマル四天王と呼ばれているわりにはラ・モンテ・ヤングのCDが手に入りにくい状態になってしまっているのはなぜだろう?

■ミニマルといえば、一つのフレーズが繰り返されていくというイメージしかなかったのだけど、まぁその繰り返しの快感もありつつ、やはりそれが少しずつずれたり、変わったり、違う楽器に変わったりするところがよい。想像していたよりも、ふくよかな音楽だったというのが正直な感想。もっとストイックな音楽をイメージしてた。エレクトロニカを通過したせいか?人がやることでズレなどが生じるというおもしろさは、PC使って簡単にできてしまう今でこそ注目されるべきなのではないか、とか。
いや、普通に通勤時間や作業中のBGMとしてもいい。でも音に集中せずに流しているといつの間にか変わっていたりして「あれっ?」と思う。なんか、何かをしながら、つけっぱなしにしてビデオを見ていて、ちょっと目を離しているうちに事件が起きてがらりと雰囲気が変わってしまって巻き戻したくなる、感じ?ちょっと違う?かといって、繰り返されるフレーズに集中して聴き続けていると、つい意識が音楽から離れてしまいがちになったりして、難しい。木琴などの楽器で構成された曲は、なんだかガムランを聴いてる気分になったりするしね。

■それから、フィリップ・グラスのピアノ曲を聴いて、初めてマイケル・ナイマンが実験音楽~ミニマルの影響を受けていることに気づいた。なんか、「ピアノ・レッスン」の曲を作曲した人と、「実験音楽―ケージとその後」を書いた人、というのが長い間、いまいち結びつかなかったんですよ。聴けばすぐにわかるのに、そういうちょっとしたことをしないまま、知らないままで放置してしまうのはダメだな、と。