「アンソロジーお弁当。」

■このシリーズを読むのも三冊目。夏の間に読もうと思っていたビール編ははまだ読めていない。さて、お弁当ですが、幸田文が「自分の過去にあるおにぎりの影をたどると、誰しも大抵ちょっとした一代記の材料になるのではないかと思ふ」と書いているのですが、それはお弁当全般に言えるのではないかと思う。「にぎにぎ頂戴とねだった幼い日から学校の運動会遠足、勤め先のグループでのハイキング、若い母として初子に握ってやるおむすび‥‥」とこの文に続くのだ。幸田文の文章はこのアンソロジーを言い当てているような気がします。そういう風に思うと、ここに収録されているものでも、女性が書いた文章のほうがおもしろい。
ちなみに写真は阿部了。この人のことはまったく知らなかったのですが、おやつ(岡本真菜子)、カレーライス(佐内正史)と比べると、個人的には一番好みかもしれません。

-■タワーレコード渋谷店で行われた小島麻由美のレコ発ライブを見てきました。小島麻由美は「愛のポルターガイスト」くらいまではなんとなく聴いていてわりと好きだったのですが、それ以降は全然聴いてなくて、年末に友だちから恵比寿ガーデンホールでのライブのチケットをもらった勢いで、新しいアルバム「路上」を買ったり、年が明けたくらいから昔のアルバムも含めてよく聴いている。「路上」は、バックバンドが今までとは違い、ハッチ、カジヒデキ、塚本功のトリオになったせいか、アップテンポな曲もスローな曲も含めて、勢いがあっていい。ジャズやロックンロール、シャンソン、歌謡曲などの要素のブレンド具合が絶妙。ライブではMCのとぼけた感じと歌ってる時の感じのギャップがよかった。
ガーデンホールでは、Asa-changやDr.kyOnといったメンバーを率いての過去の曲を演奏した一部と、バックのメンバーを入れ替えて新しいアルバムからの曲を中心にした二部とで分かれていて二度おいしいという感じでしたが、タワレコでのライブを見て、やはり「路上」の曲はライブハウス向きだなと思った次第。

-■ウルトラマン・スタンプラリーが首都圏のJRを駅で2月の終わりまで行われていますが、我が家も小さな男の子がいる家庭としてやっぱり盛り上がってしまい、日曜日に西荻から東京までの総武線、東京から浜松町までの山手線を各駅停車し、スタンプを押してきました。改札を出たところにスタンプ台があるのですが、複数改札がある場合は、駅を降りた時にスタンプ台がどこにあるのか分からなかったり、ある駅では電車の最後尾のほうに改札があったのに、次の駅では先頭のほうに改札があったりして、意外と大変でした。予定では、総武線の後、東京駅から山手線を一周するつもりでしたが、時間切れで打ち切り。コンプリートを目指しているわけではないので、まぁいいんじゃないかと。
それにしても、ポケモンのスタンプラリーで夏休みに駅の中を走り回っている子どもたちを見ると、「たいへんだなぁ」と他人事で思っていたのに、自分が回ることになるとはね‥‥

「のれんのぞき」-小堀杏奴-

■生まれ故郷の団子坂から父である森鴎外が眠る三鷹の寺など江戸の気質を感じる老舗、職人をめぐり、その主人の話を聞きつづった本。雑誌「酒」に昭和30年代から40年代にかけて連載されたものをまとめたもので、偶然にも「「酒」と作家たち」に続き、雑誌「酒」、そして佐々木久子関連の本が続いてしまいました。
小堀杏奴は、姉の森茉莉に比べて独特の世界もないし、随筆などを読んでいてもなんだか普通、という印象を受けてしまってますが、こういう風にテーマを持った随筆だと、自分が主人公にならなくていいということもあり、よさが出るような気がしますね。ちなみに父親の森鴎外について書いた本は読んだことがないです。小堀杏奴に限らず、作家の子どもが親について書いた本っていまいち興味がわかないんですよね。親の本を読みこんだりした後に読むとおもしろいのだろうか?

-■何がきっかけだったのか忘れてしまいましたが、去年の10月くらいから我が家では「スターウォーズ」ブームが起きてます。多分、ドラえもんのプラネタリウムと買うと約束した時に、結局品切れで買えず、R2-D2のプラネタリウムを買ったのが直接のきっかけだったと思うのですが、いきなりR2-D2というわけではないと思うので、その前になにか前ふりがあったはず‥‥。
最近では、子どもたちは、何かとグッズなどを欲しがるは、映画のストーリーや登場人物について細かく聞いてくるは、で、「妖怪ウォッチ」や「ウルトラマン」について話している時間よりも圧倒的に長い。多分、わたしの反応がいいというのも大きな理由なんでしょうけどね。

-■実を言うとわたしは今まで映画を見たことがなかったのですが、去年のはらっぱ祭りのフリマで買った「エピソード2/クローンの攻撃」を年末に見て、年が明けてから「エピソード4/新たなる希望」「エピソード5/帝国の逆襲」、3連休には「エピソード3/シスの復讐」を見て、あとは「エピソード1/ファントム・メナス」と「エピソード6/ジェダイの帰還」を残すのみ。今年の年末に「エピソード7/フォースの覚醒」が公開されるにあたって発行されたスターウォーズ新聞まで買って、なんとなく全容が見えてきた感じです。それにしてもお正月に2本続けてみたのですが、約4時間飽きずに見ていたのがすごい。

■でもスターウォーズのグッズって大人向けのものばかりで子ども向けのものって少ないので困ります(値段も高いし、フィギュアも基本的に飾るのが目的のものばかりだしね)。というか、出かけるたびにグッズのあるお店に連れてくようせがまれて見に行っているうちに自分が欲しくなってしまってたりして‥‥。
さて、年末の「エピソード7/フォースの覚醒」までブームは続くのだろうか?

「ニッポン・ポップス・クロニクル 1969-1989」-牧村憲一-

■あけましておめでとうございます。2015年もカヌー犬ブックスをよろしくお願いします。
気がつけばもう12年、干支が一回りしましたね。漣くんが生まれてから「子どももいるしまぁマイペースでやってます」なんて言い続けていますが、そんなマイペースの期間ももう6年。半分くらいマイペースでやってきてる状態になってしましました。そろそろ気持ちだけでも切り替えてやっていかなくては、と思っております。

■さて、2015年の一冊目は(読んだのは2014年ですけど)、牧村憲一の「ニッポン・ポップス・クロニクル 1969-1989」、はっぴいえんどから、シュガー・ベイブ、加藤和彦、竹内まりや、大貫妙子、そしてフリッパーズ・ギターまで、牧村憲一が関わったミュージシャンを中心に、1969年から1989年までを1年ごとに、その年のポップス・シーンを代表するような音楽関係者をゲストに迎え日本のポップス史を語った本です。。
基本的に自分がかかわったミュージシャンについて語っているにもかかわらず、日本のポップス史を俯瞰するような内容になっているところがすごい。でももちろんこれは日本のポップス史のある側面でしかないことも認識しておくべきだと思う。
といっても、小学校の頃に大滝詠一に出会い、中学時代にナイアガラ関連、はっぴえんどなどに聴き、その後、ノン・スタンダードレーベルのレコードを聴いたのち、フリッパーズギターに夢中になったわたしにとっては、ある意味自分における日本のポップス史をたどっているようでかなり懐かしく、冷静にこれは「日本のポップス史のある側面」だからと割り切れるものではないですけどね。

■わたしは上の兄弟もいなかったし、学校で音楽のことを話すような友だちや先輩もいなくて、なんだか一人で回り道しながら音楽をたどっていったという気持ちが大きかったのだけれど、今になってみれば、わりとポップスのメインストリートをとぼとぼと歩いてきただけだったのだな、と思う。不思議。
いや、主観的に見れば、同級生に変な音楽ばかり聴いてると言われていた地方の高校生にとっては、自分がきいてきた音楽が、ある日、メインストリートとして上書きされてしまったという認識が強いかも?ミュージシャンには悪いですけど、10代に聴いていた音楽としてそっと埋もれていてほしかった。で、ときどき聴きかえしては懐かしんだり、新しい発見をしたりしたかった、という気持ちもありますね。

■そんなことを思いつつ、年末年始はエレクトロニカばかり聴いて、体系とか系譜とかといったことを考えていました。というのも、年末にインザパシフィックでDJをしたときに友だちが「Youtubeでいい曲をつまみ食いしながら聴くのではなくて、自分の好きな音楽を体系づけて聞くのが好きなんだ」みたいなことを言っていたから。わたしも一人のミュージシャンを軸に、そのルーツや横のつながりをたどっていくのが好きなほうだけれど、エレクトロニカに関してはルーツが辿りにくいし、たどることに意味があるのかとも思ってしまいます。
ルーツ的には、テクノ(電子音楽を含む)とアンビエント、ミニマムあたりがルーツになっているのだろうけれど、同じ時に全然違う国で、なんの横のつながりもなく背景も違うと思われるミュージシャンが同じようなサウンドを切り開いたりするし、なかなかピースが一つの線や面としてつながりにくい。先にあげたテクノとアンビエント、ミニマムというルーツもたどろうとするとめちゃくちゃ広範囲になってしまうしね。もっといろいろ聴きこんでいくと違うんでしょうけど、そればかり聴いているわけではないし、エレクトロニカ~電子音楽の奥は深い。

■それから普段インストの音楽ばかり聴いている身としては、音楽における言葉の意味ということも考えてしまいます。単純になんで作曲家よりも作詞家のほうが地位が高いのか?とか、音楽と言葉が結びつくことでなんで人はのめりこんでしまうのか?とか、みんな小山田圭吾の音楽に対してはわりと冷静に接しているように思えるのに、小沢健二に対しては、なんであんなに熱くなってしまうのか?青春の一曲と10代の頃の読んだ本の思い入れの違いはどこからくるのか?などなど。音楽によって言葉が人の中で増幅されてしまうメカニズムや、経験と結びつきやすくなる理由などを解説した本があったら読みたい。