「犬の歴史」-山口瞳-

◆「おじさん、“わぎだ”ってなんですか?」横須賀、遊郭跡散歩
8月30日が山口瞳の命日ということもあって、文庫本でタイトルを見たことがなかった単行本を読んでみたのだが、数ページ読んだだけで、どこかで読んだことがあることに気がついた。。全部読んだことがあるかというと、そこまでの記憶はない。
「男性自身」の単行本と文庫本の収録内容が異なっていることは有名ですが、これも文庫化するにあたって、タイトルを変えたり、収録内容を再構成したりしたのだろう。一番最後に収録されている「谷間の華」をタイトルにした文庫本があるので、それとどのくらいかぶるのか確認したいのだけれど、どうも「谷間の花」が本棚に見あたらくて、ちょっと気持ち悪い状態。作品の「谷間の花」を読んだ記憶があるのだから、「谷間の花」の文庫も読んだはずなんだけれど、どこにいっちゃったのかな?

わざわざ一人で「ブルーノ・ナムーリ展」を見に横須賀まで行こうと思ったのは、横須賀に行ったら、行ってみたい場所があったから。それは、山口瞳の「血族」のテーマでもあった「和木田」。すなわち「柏木田」遊郭跡。もちろん今ではその面影はまったく残ってないらしいけれど、命日も近いし、行くなら今しかないような気がしたわけです。まぁさすがに子どもを連れて家族で行くような場所ではないですし‥‥。

小説では「和木田」と書かれていた「柏木田」は、もう地名さえも残ってなくて、現在では横須賀市上町3丁目あたりになります。最寄り駅は京急の県立大学駅で、そこからちょっと歩く感じ。
実際に歩いてみると、海側ではないので、海風があたるわけでもなく、猛暑日の午後3時に歩きまわるにはかなり暑かった。ただ上町3丁目あたりというだけで、詳しい住所などを調べておかなかったにもかかわらず、てきとうに大通りから入ったら、不自然に広い道路に出て、「おっ、この辺か!?」などと思っているうちに、目印の一つだった、昔は福助楼という名前だったらしい福助ホテルが見えて、思わずその広い道の真ん中に立って通りを見渡してしまいました。
福助ホテルの入り口には、「本日より営業を停止させていただきます」といった張り紙がしてあって、もう閉店しているみたいだったけれど、いつから営業をやめたのだろうか?それにしても「本日から」って言われてもねぇ。

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しばらく周辺を歩きまわって、写真を撮ったりしたが、さすがに暑いし、カメラを持ってこの辺を歩きまわるのがどうも居心地が悪くて(小心者なんです)。すごすごと駅まで引き返しました。ざっと見ただけなんで、確かなことは分からないけれど、ここ以外では、柏木田遊郭の跡がはっきり分かるような場所ももう残ってないのではないか、と。気分的には柏木田遊郭の唯一の名残りかもしれない福助ホテルが取り壊される前に柏木田に行けてよかったと思う。

ちなみに県立大学の駅の逆側は、横須賀三遊郭のひとつ「安浦」があって、駅名もつい最近までは、県立大学ではなく安浦だったようだ。
ついでにその辺も歩いてみようかと思ったけれど、時間もあまりなく、炎天下のなか歩き疲れたこともあって、そのまま県立大学をあとにしました。

「束の間の午後」-萩原葉子-

◆クレイジーケンバンドを聴きながら京浜急行に乗って横須賀まで
土曜日は、横須賀美術館で日曜までやっていた「ブルーノ・ナムーリ展」をギリギリのタイミングで見てきました(そのせいか図録は売り切れ)。
ホームページを見たら、横須賀美術館は、横須賀駅からバスで35分とか浦賀駅からバスで15分とか、かなり交通の悪いらしい。なので、直前まで行くかどうか迷っていたのだけれど、思い切って行ってみてよかったです。いや、何よりもすぐ目の前に海があって、海と美術館のあいだには芝生の広場が広がっている、というロケーションがいい。建物自体も全体的にガラス張りになっていて風景と調和している。

実際、展覧会を見た後で、芝生に座って海を横切る船を見ながら、ビールを飲んでいるときが一番気持ちよかったかも。その後、行きたいところがあったので、わりとすぐに帰ってきてしまいましたが、当日は7時から芝生の広場で「赤い風船」の上映会があったので、その時間までここでのんびりしたり、近くを散歩したりして、映画を観て帰るのもいいな、と思いました。

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「ブルーノ・ナムーリ展」のほうは、展示のほかにもムナーリの遊具などで遊んだり、絵本を読んだりできるコーナーがあったり、ムナーリのコンセプトのもとで、子どもたちが制作したものが展示してあったり、子どもと一緒に楽しめる展覧会になってました。展示コーナーの紹介文も子どもでもわかるようなやさしい言葉で書かれてましたしね。
手にとってカードを重ねたり、組み合わせたりして、それによって違うものがあらわれたり、絵本でもページの工夫によって見えるものが違ったり、自分で何かしたらのアクションをすることで、元のものとだんだん変わっていったりするというのは、大人でも単純におもしろいし楽しい。しかも、仕組み自体はかなり単純なので、自分のアクションがどういう過程を経て、そういう結果になるのかが、分かるのがいいのではないかと思う。

最近、電子書籍で絵本に音楽や動きをつけることとかが話題になっていたりして、それはそれでおもしろいのかもしれないけれど、なんでここを押すと音が出るのかとか、ここを撫でたらなんで絵が動き出すのかわからないじゃないですか。まして画面を触っているだけなので、感触はないし‥‥なんてことぼんやりと考えたり。
あと、そういう工夫って、簡単なことだけれど、やはり大量生産をするには難しいわけで、既成のものをちょっと工夫するだけで、おもしろくなるんだよ、ってことを親が示して行かなくちゃいけないんだろうなぁ、と思う。実際、ブルーノ・ナムーリは子どもと一緒に遊ぶなかで、ここで展示されているような絵本やおもちゃのアイデアを生みだしていったわけだしね。

前日にラルフ・シュライフォーゲルのポスターを見たときにも思ったけれど、PCの画面でおさまらないものの迫力とか、画面では伝わらない質感とかをちゃんと表現できるちからを持っていないと、PCでのデザインやアイデアもその枠内におさまってしまっておもしろくなくなってしまうのではないかと。よくわかんないですけど。

「東京の悪口」-獅子文六-

◆銀座から渋谷へギャラリー巡り。「マイケル・ケンナ展」など
ミオ犬と漣くんが長崎に帰った初めての週末は、これまでなかなかできなかったギャラリー・美術館を回ってみました。

まずは金曜、フレックスを使って少し早く会社を出て、銀座のBLDギャラリーで8月20日からやっている「マイケル・ケンナ展」へ。
マイケルケンナはイギリス出身の写真家で、ハッセルブラッドの中判カメラで風景、特に夜景などを撮影している写真家。思っていたよりも小さめのプリントだったけれど(もう少し大きなプリントで見たかった!)、夜景の光と影がものすごくきれいにうつっていたり、黒と白のコントラストがはっきり出ていて、ちょっと感動しました。
やっぱりイコンタだとこういう写真を撮るのは難しいんだろうなぁと思います。露出がきちんとしてないので、どこにピントを合わせて、どこをぼかすか、というのができないですしね。とはいうものの、いつかブローニーのモノクロのフィルムで写真を撮ってみたいです。

 マイケル・ケンナ写真展 「Venice / New York City」
  ビー・エル・ディー ギャラリー
  8月20日(金)~9月26日(日)
  http://bld-gallery.jp/

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続いて、ギンザ・グラフィック・ギャラリーの「ラルフ・シュライフォーゲル展」。
こちらは8月28日までだったのでもう終了してしまっています。かなり大きめのサイズの映画祭や展覧会などのポスターが展示されていました。デジタルを通過した現在代的な要素とアナログ的な要素をうまく組み合わせたデザインで、紙という素材をうまく使っていたりして、なかなか迫力がありました。

そのまま渋谷に移動して、パルコファクトリーで明日30日までやっているロンドングラフィックデザイン展「UK? OK!!」。
1980年から現在までのあいだでロンドンで活躍しているデザイナーを紹介した展覧会。イギリスのデザイナーというとやはりレコードジャケットや雑誌のエディトリアルデザインのイメージが強いけれど、この展覧会でもその分野で活躍している人が多かったです。インパクトやパブリック性という意味でもまだその分野での場が大きいのかも?Webを手がけている人もWebが中心というわけではなくて、全体の一部という感じですし。
それとは別にこの展覧会では、作家ごとにブースを設けて作品とともにインタビュー映像が流れるようになっていて、試みとしておもしろかったです。完全に一人の世界になってしまうので、自分のほかにどんな人が来ているのかなどよく分からない不思議な空間ではありましたが‥‥。
パルコではついでにロゴスギャラリーの「レアブックコレクション2010」を見てきましたが、これはまぁいいかと。

土曜編はまたあした~

「素白随筆集―山居俗情・素白集」-岩本素白-

◆早稲田出身の作家と慶応出身の作家について
みすず書房から出ている「素白先生の散歩」を読んだのはかなり前のこと。この雑記で取り上げていないみたいなので、2003年より前、本が刊行されたのが2001年12月なので、2002年、もう8年も前のことですね。
その時はこれ以外で岩本素白のほんを手に入れるのは難しいだろうなぁ、なんて思っていたのだけれど、先日、たまたまアマゾンで調べてみたら、いつの間にか「素白随筆集―山居俗情・素白集」と「素白随筆遺珠・学芸文集」、「東海道品川宿―岩本素白随筆集」の三冊が出ていたので、とりあえず、読みやすそうな「素白随筆集―山居俗情・素白集」だけ注文してみました。というか、そもそも岩本素白が発表している作品って、2、3冊しかないのだから、ばらばら出さないでまとめて出して欲しいと思うんですけどね。

岩本素白は純粋に作家とは言えないかもしれないけれど、早稲田出身の作家といえば、同じように早稲田で教授を勤めながら、作品を残した小沼丹、稲垣達郎、あるいは坪内逍遥、曾津八一、尾崎一雄、外村繁、有馬頼義、網野菊、江戸川乱歩、尾崎士郎、国木田独歩‥‥などが思い浮かびますが、京王出身の作家に比べると、大学を通しての横のつながりがあまりなくて、むしろ中退してしまっている人が多いので、いまいち括りにくい気がします。
慶応の場合、幼稚舎からあがってくる人は、たいてい東京周辺の人になるし、割と近くに住んでいて(もしくは宿舎で同居して)付き合いが長い分、横のつながりが強くなっているのと、文学という意味では、やはり「三田文学」の影響が大きいのではないかと思う。早稲田も坪内逍遥が創刊した「早稲田文学」があるんですけどね‥‥。

とはいうものの、早稲田は、村上春樹以降、最近の作家として考えると、慶応よりも圧倒的に多い気がしますが、どうなんでしょうね。

「幸吉八方ころがし」-永井龍男-

◆横田基地友好際に行くともう夏の終わりという気がしますね。
夏の終わりのイベントというと、7、8年前までは、鎌倉由比ガ浜の海の家「パパイヤ」でやっていたサマーストアのイベント。いつもは吉祥寺で夜、遊んでいるような、海の似合わないような友だちたちが、鎌倉の海に集合して騒いでました。遊びすぎて終電ぎりぎりで帰ったり、ホテルニューカマクラという古いホテルに泊まったり、と4、5年は通った記憶があります。ここ近年はぜんぜん行ってなくて、たいてい同じ日にやっている横田基地の友好祭に行くことが多い。今年は、友好祭が21日、22日、サマストのイベントが29日なので、両方行けるかもなんて思ってますが、どうなることやら。

さて、友好祭のほうは、いつもは夕方くらいに福生に着くように家を出て、DEMODEとかでお茶をしたり、アンティークショップをのぞいたりして、4時くらいに横田基地に入って、そのまま花火を見て帰るという感じだったのですが、今年は子供も一緒なので、さすがに花火まで見るというわけにも行かず、かつ引っ越ししてかなり福生に近くになったので、午前中に家を出て、昼ごろに横田基地に到着。

誤算1:いやーこんなに暑いとは!?
こんな昼間に基地に入ったことなかったし、今年の夏は猛暑ということもあって、かなり暑かったです。基地の中は冷房設備のある場所はないし、飛行場なので影になっている場所もなくて、ほんとうに行き場がない。避難する場所といえば、戦闘機の下しかない!
というわけで、戦闘機の下には人がぎっしりで、もし飛行機が飛び立ったら、その形の人型ができるのではないかという‥‥。

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誤算2:ステーキサンドウィッチの中に!
出店の前に貼ってある画質の悪いステーキサンドウィッチを見てらおいしそうだったので、かなり長くなっていた列に並んで待っていて、近くになって前の人に出しているサンドウィッチを見たら、お肉混ざってピーマンがパンに挟まれてる!?
ピーマン嫌いのわたしは、いちいちピーマンを外して食べなくてはいけなかったので、いまいち食べた気がせず。
しかもビールを飲もう思って、その時に飲み物を買わなかったのだけれど、ビールを売っているところが少なくて、かつ並んでいたりして、結局、ウェルチのグレープソーダを飲む羽目に‥‥。

誤算3:芝生の中って入れなかったっけ?
テントの中には入れないと思っていたので、芝生の上に敷くシートを持っていったのですが、芝生が立ち入り禁止に!仕方ないのではじっこの方でアスファルトの上にシートを敷いたのですが、あたりまえだけど、これが暑い!かつ真横でバイクのアクロバットショウが始まってしまって身動きが取れず。

そんなこともあって、今回はこの暑さの中で、本当に自分の体力のなさを感じてしまいました。
それでも、帰りに100円トレインに乗ったり、DEMODE HEAVENでストロベリーティラミスを食べたりしてそれなりに楽しかったです。来年はまたいろいろ考えて、暑さ対策をして行くことにしよう~

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「文藝別冊 特集:森茉莉」

◆森茉莉と吉田健一
こんな本を買うほど森茉莉が好きなのか、というと、そうでもない気がする。でも昔の永井龍男や山口瞳ほどでは全然ないけれど、今年の読書はは森茉莉が中心になっているのかもね。二人に比べてそれほど多くの著作があるわけではないので、そればかり読んでいるという風ではないですけど。

本人もどこかで書いていたけれど、非論理的な感情について論理的に話を進めようとしているところ(実際に論理的かどうかは別として)や、それなのに感情的に話がどんどん横道に逸れて行ってしまうところなど、吉田健一に似ている気がします。
吉田健一も志賀直哉の表現の解釈について、尾崎一雄につっこまれていたように、それほど論理的ではないし、殊に小説に関していえば、論理であらわせないものをいかに言葉で表現するか、ということが主題になっていると思ってます。あのつらつらと長い分も明らかに感情的ですよね。

なんとなく、吉田健一の話になってしまってるけど、吉田健一は、一見すると、ものすごく理屈っぽい話を展開させているように思えて実は、感情的な表現がされていて、森茉莉は、一見すると、女性的、感情的な事柄を、そのままはきだしているような感じなんだけど、読み進めていくときちんと自分のの中で論理だてて表現しているという、方向性は真逆がけれど、結果的には、同じような着地点にたどり着いているという感じかな。適当ですが‥‥。

「きんぴら ふねふね」-石田千-

◆ひまわりの迷路?
金曜日に、府中市がやっている農業プチ講座で、種まきなどをした農地にひまわりが咲いていて、7月31日から8月15日まで一般公開しているニュースがJ:COMのテレビで流れていたのを見て、さっそく市のホームページで調べていると、場所は、府中市南町1丁目19番地の農地、栽培本数は約3000本らしい。
うちは府中市といっても小金井市に隣接している場所なので、南町まで行くには、府中駅までバスで出て、そのあとさらにバスに乗るということになるので、少々めんどう。とは言うものの、市内なんで昼過ぎに家を出て、ひまわりを見て、帰りに府中の駅前で買い物をしても5時前には帰れるだろうと、軽い気持ちで出かけてきました。
ちょっと気になるのは3000本という数。かなり少ない気がするなぁ、とは思うけれど、そもそも、まだヨチヨチ歩きなので、歩ける範囲も広くないし、まぁいいんじゃないかと‥‥。

誤算1:家から府中に行くまでのバスの中で漣くんが寝てしまったこと
午前中に、ベランダで水遊びをして、そのまま出かけたので、昼寝をする時間がなかったため、バスに揺られた途端、寝てしまったんですよ。漣くんをひまわりの中で歩かせたい!という目的なわけで、寝てちゃしょうがないってことで、とりあえず起きるまで府中で買い物とかしているうちに2時半くらいに‥‥。

誤算2:府中からのバスが1時間に3本しかなかった
府中のくるるで漣くんにご飯を食べさせて、さて行こうと思ったら、バスが出たばっかり。ちゃんと事前に調べておけばよかったのですが、いつも使っている家から府中や武蔵小金井まで出ているバスが7、8分に1本なので、ついそんな感じで出ているものと。しかも意外とバス亭から遠かった‥‥。

誤算3:こんな結果に終わるとは!
そんなわけで現地に着いたのは4時半くらい。そして近くまで歩いていくと、広い農地の一角にひまわりらしきものが植えられた一画が見えてきて、やっと着いたか!と思ったら‥‥

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ひまわりは全部枯れてました‥‥。

来年か再来年にはちゃんと夏の初めにちゃんと計画を立てて山梨県明野村・ひまわり公園や栃木県野木町・ひまわりの里といった場所に行いたいです。栽培本数も何十万本と府中とは桁違いだしね。

「花筐・檀一雄短編集」-檀一雄-

◆笹山団地
6月の終わりに、育休中の会社の人のところに遊びに行ったということを書きましたが、その人は、横浜から出ている相鉄線の鶴ヶ峰というところに住んでいて、わたしが生まれてから小学1年の頃まで住んでいた西谷の隣の駅だったりします。

わたしが住んでいたのは、西谷の駅から20分くらい歩いたところにある笹山団地というところ。周りは団地ばかりで、団地の隙間をぬって公園や広場があったり、工事中の更地があったり、林があったり‥‥と、横浜とは思えない感じでした。
でも当時、駅から団地までの道沿いなどは、かなり宅地造成が進んでいたりしたので、今じゃ随分変わってしまったんだろうなぁ、なんて思っていたら、電車の窓から通り過ぎたときに、駅前にあった本屋さんが見えたり、その周りの様子もあまり変わってなくて懐かしかったですね。

二宮に帰ることになったときに、ふとそんなことを思い出して、ネットで調べてみたら、なんと、「老朽化と住民の高齢化で夜はゴーストタウンになる」なんてことが書いてあったりしてびっくり。個人的には廃墟とか廃線とか廃工場とか‥‥もう行ってみようとは思わないけれど、笹山団地はかなり行ってみたくなりました。
いやいや、そういう意味じゃないですね。自分が住んでいたときとほんとに変わってないというところにひかれてるんだと。実際に行ってみたらどういう気持ちになるのか、分かりませんが‥‥。

「不参加ぐらし」-富士正晴-

◆一泊二日で二宮へ
週末は漣くんを連れて二宮へ帰ってました。前日まで、泊まってくるのと日帰りとどちらが楽なんだろう、と悩んでてしまいましたね。片道で2時間くらいかかるので、往復で4時間と考えると、あきらかに日帰りだと慌ただしいし、かといって泊まりは荷物が多くなりそう&そもそも何を持っていけばいいのかお父さんにはいまいちわからん。
で、散々悩んだあげく、2人で行くことを考えると、できるだけ荷物を減らしたいということで日帰りにしたのに、結局、実家で親子二人で昼寝をし過ぎて泊まることになってしまいました。12時過ぎに実家に着いて、ご飯を食べて、2時前くらいから寝始めて起きたのが4時半でしたから‥‥さすがに帰る気力もないし、親にもちょっと悪い。だったら最初からそうすればよかったのにねぇ‥‥。

まぁ泊まっても何をするわけでもないので、次の日に近くにある小学校に行ってちょっと遊んだくらい。ほんとは海とかに行けるといいんだけど、歩いていくと15分くらいかかるし、二宮の海は隣の大磯と違って、急に深くなっているので危ないのよ。っって自分が子どもの頃はそんなことまったく気にせずに泳いでましたけど‥‥。
わたしとしては、漣くんを親に預けて、夜、地元の友だちと飲みに行くってのが希望なんですけど、人見知りが始まったのか、知らない人が周りにいるのに慣れてないのか、親が見えなくなると大泣きするし、まだまだ先になりそうですね。

「くらしのうた」-増田れい子-

◆2010年、山下達郎イヤー
今年の初めにティンパンアレイ系を聴いている中で、「CIRCUS TOWN」のCDを買って聴いてみたら、今まで聴いていたアナログの音と印象が違ったというのがきっかけで、、年末までかけてアナログ盤しか持っていなかった山下達郎のアルバムをCDで買い直してます。

実際はアナログ盤でしか持っていなかった「SPACY」から「POCKET MUSIC」まで(ベスト盤、企画盤含む)と、あとそもそも持っていなかったその後の「僕の中の少年」「JOY」「SEASON’S GREETINGS」の3枚。月に1枚か2枚買って、12月の最後に「SEASON’S GREETINGS」を買えれば、季節的にもいいかなという感じで、全部で15枚くらい。意外と枚数もあるのでなんだか今年は個人的に山下達郎イヤーだな、なんて思っていたら、ツアーはあるし(チケット取れなかったけど)、フェスには出るし(行けるはずもなし)、ニューアルバムも出るし(9月から延期らしい)、あんまり参加もできないけれど、世の中的にもいろいろあってうれしい。

買い直しのほうの進捗は、7月の終わりでRCA/AIR時代のアルバムがほぼそろったので、8月は「BIG WAVE」と「MELODIES」を買う予定。ここまでは中学時代に聴いたものばかりなので、かなり懐かしい。どの曲もイントロ聴いただけで、空気が変わるような気がします。逆にこの感じを味わいたくないのといろいろなことが甦ってしまうのがいやで、敢えて80年代から90年初めくらいの音楽を避けていたところもあるんですけどね(大瀧詠一は例外)。