「私の手料理」-瀬戸口しおり-


こんにちは、ミオ犬です。

この冬我が家で大流行の目からウロコな湯豆腐。
それは瀬戸口しおりさんの「私の手料理」から拝借したレシピです。のんびり食べているうちにトロトロと湯豆腐がとろけてくる、愉快で心も身体も温まる湯豆腐。
週末のお昼にちょっと食べ過ぎてしまった日の夜、胃ににじんわりやさしい。とても簡単なメモ的レシピなので、ここでお披露目したいぐらいなんだけど・・・ノンノン!他にもおいしいお料理の種やお惣菜がたくさん紹介されているので、ぜひ本を手にとってみてください。

10年ぐらい前、吉祥寺の映画館でアルバイトしていた頃、よくご飯を食べに行っていたクウクウという今はないレストラン。そのクウクウの厨房で高山なおみさんと一緒にお仕事されていた瀬戸口しおりさん。もしかしたら挨拶ぐらい交わしたことがあるのかもしれません。(もしそうだったらうれしいな~)

クウクウがあった場所は今では韓国料理やさんになっていて、時々ビビンバを食べに行きます。
『キッズルーム有り』という張り紙を見て、お子さんがいる友達に教えてあげようと思い「ねえ、昔東急の裏にクウクウっていうレストランがあったのわかる?」って言ってみたら「ミオ犬ちゃんクウクウ大好きで良く一緒に行ったじゃない!」って返されちゃいました。
実はあんまり記憶にないんだけど、わたしはそのひと言にじわ~っと懐かしくなってしまったのでした。

「随筆 人生エンマ帖」-佐々木邦-

“人生エンマ帖”なんていうとちょっと大げさだけど、これまでの人生で経験した出来事や思うことを、思いつくままにつづったもので、エンマ帖というほどの告白や秘密にしてきたことが書かれているわけではないです。佐々木郁邦の本を初めて読む私にとっては、そんな告白を書かれてもちょっと困ってしまうので、気楽に書かれたくらいでちょうどいいんですけどね。
佐々木邦といえば、「いたづら小僧日記」や「のらくら倶楽部」、「心の歴史」といった児童文学・ユーモア小説の一人者として活躍した人、というくらいしか知りません。ユーモア小説といえば、個人的にはコーリイ・フォードとかジェームス・サーバーなんかを思い浮かべてしまうんだけど、日本の作家としては誰になるんだろう?筒井康隆とか星新一とかか?それはそれでなんか懐かしい。

週末は急に暖かくなって風が吹いたせいで、くしゃみが止まらなくなってしまいました。花粉もそうだけど、温度差が激しい季節の変わり目はつらいです。先週何が原因か分からないけれど、結膜下出血で目が赤くなってしまい、眼科に行ったばかりだったのだけれど、今じゃそのせいで目が充血しているのか、花粉のせいなのかわからず。まぁこういうときは何をしても治るわけでもないので治まるの待つしかないです。幼稚園の頃からアレルギー性の鼻炎で毎日耳鼻科に通っていたわたしとしてはもうなれっこ、というわけでもないんだよねぇ‥‥。用事があって近々に二宮の実家に帰らなくては行けないのだが、箱根の杉花粉がちょっとこわい。

ところで、毎朝、わたしは、TVKのサクサクを見ながら朝ごはんを食べたり、会社に行く準備をしたりしているのだけれど、年が明けてからサクサクにゲストがまったく出てない!あえて例は挙げないけれど、基本的に2組に1組はなんだかな~というゲストなので、別にゲストなんていなくてもいいのですが、ここまでゲストが出ないと単に内輪のどうでもいい井戸端話になってしまっていて、いかがなものかと思ってしまう。ニュースとか見ているとテレビ局も不景気で厳しいみたいだし、ゲストを呼ぶ予算がないのか?
と思っていたら、今週はアンジェラ・アキがゲストだった‥‥。それはそれで‥‥なのだが。あぁやっぱりカエラちゃんとかゴイゴイさんが出ていた頃がよかったなぁ~

「ドイツの執念」-獅子文六-

獅子文六が戦前から戦後にかけて、主にパリでの生活での出来事や出会った人について書きためたものをまとめた本。基本的には事実がもとになっていて、誇張はあってもウソはないと、あとがきに書いてありますが、戦前のパリの小さなコミュニティの中にこんな個性的な人がいたのか、と思うくらいおもしろいです。時期的にはヘミングウェイやピカソが活躍していた時代で、言うなれば、獅子文六版「移動祝祭日」なのだけれど、スケールの小さい中で、夢を描き、時に孤独な気持ちになり、日本に対しての愛憎を抱え、周りの日本人に対して虚勢を張り、それでも異国の開放感の中で楽しく過ごしている遠いアジアの国から来た異邦人たちの様子のおもしろさは、「移動祝祭日」に勝るとも劣らないと思います。
それから、そういう意味とは少し違いますが、ドイツに留学した友人との交流を軸に、ドイツ人の女性と結婚したその叔父と友人、そして友人の母、妹の運命を描いた「ドイツの執念」の、良質な短編小説のようなストーリー展開と構成がすばらしい。この題材だけで長編小説が書けるのではないだろうか。

今までも、例えば金子光晴の「ねむれ巴里」とか藤田嗣治の「腕一本・巴里の横顔」、山田稔や堀江敏幸の本‥‥など、パリの生活を描いた作品が好きでよく読んでいましたが、これからはもうちょっと意識してチェックしてみたいと、この本を読んでいて思いましたね。週末にでもさっそくリストを作ってみよう~っと。

話が変わりますが、相変わらずエレクトロニカ系のCDをよく聴いていて、最近は、sonigやKaraoke Kalk、raster-noton、Morr Music‥‥など、ドイツのエレクトロニカ系のレーベルをチェックしているのだけれど、先週末、ジャケットにひかれて、ついButcher The Barの「Sleep At Your Own Speed」を買ってしまったせいで、Sam Prekopの昔のアルバムをiPodに入れて聴き返してしまったり、The Sea And Cakeの新しいアルバムが欲しくなってしまったりしています。このあいだ、春が近づくこの季節になると、ソフトロックやギターポップが聴いている、なんてことを書いたのがいけなかったのか?自分で自分の暗示にかかってしまった感じになってしまってます。
ジャケットに貼ってあった紹介文にはフォークトロニカって書いてあったのですが、ぜんぜんエレクトトニックなところがないどころか、バックで弾いてるのバンジョーだよね、って感じなんですけど。いや、フォークトロニカというのはそういうもので、わたしの認識が間違ってただけですかねぇ~?う~ん、とにかくジャケットを含めて、Morr Musicはちょっと要注意。こういうのが好きなだけに、心が揺れてしまいますね。それでなくても自転車とか乗ってると、つい「ペパーミントブルー」とか「Velvet Motel」とかが頭に浮かんで来ちゃう季節なんだからさぁ‥‥。

「冬の花」-大佛次郎-

大佛次郎の随筆集を読むのは5、6冊目になると思うのですが、新聞小説を一日分書くために一日5時間きちんと仕事し、旅行に出かけるときはその間の仕事をこなしてから出かけるなど、大佛次郎にしろ池波正太郎にしろ歴史小説を書く作家は、きちんとしているというか、職人的だなぁと思う。ほかの作家の知らないし、この二人についても小説は随筆だけで小説はまったく読んでいないので、一概には言えませんが‥‥。

しばらくあいだ行けなくなりそうなので、今のうちに行っておきたい、と思ってるところがいくつかあって、今日は下北のチクテカフェに行って来ました。2時半くらいに下北に着いたのですが、予想通り満席で、レジの横で待っている人が3組くらい。いつもだったらここであきらめるところだけれど、まぁ今日はそれが目的なのでしょうがない。結局30分くらい待つことになってしまいました。
それにしても待っているあいだも次々と人が来るし、ゴハンを食べて出た4時過ぎまで常に満席で、待っている人がいるという状態でした。まわりに何もないのでここまで来たら待つしかないのかも知れないけれど、すごい。
そもそも普通だったらこんな場所でカフェを開こうとは思わないと思うんですよ。それが、開店してどのくらいになるのか分かりませんが、ずっと、いつ来てもこういう状態というのは、お店の人のこだわりと思いの強さなんだろうなぁと思う。ほんとに店内の隅から隅まで、メニューの一つ一つ、お店の人の接客‥‥と、どれをとってもこだわっているのがわかります。個人的には、それがちょっと窮屈な感じを受けてしまうときもあるけれど、このくらいの思いがないとお店なんてやっていけないのかもしれません。う~ん、お店を構えるってのはたいへんなんだなぁ。

さて、チクテカフェでゴハンを食べた後は、木曜館へ行って、船長の格好をしたアンクルトリスのノベルティグラスを購入。よく見かける線画のものではなくて、ちゃんと色が付いているのがうれしい。昔のノベルティグラスは、ガラスがうすくて小さめのものが多いのだけれど、これはちょっとガラスが厚め、サイズも大きめなので、普段、普通に使えそう。
この店もお店の人のこだわりが感じられるお店ですね。向かいの露崎館は取り壊されて新しくなるみたいだけれど、木曜館はこの建物でずっとやっていって欲しいです。わたしは下北という街に特別な思い入れはないけれど、何年かしたらほんとに違う街のようになっているのかもしれない。

「未見坂」-堀江敏幸-

いつも古い本ばかり読んでいるので、久しぶりに新しい本を手にとるとカバーをめくった後の本体の白さにはっとします。どうでもいいですけど。
帯に「雪沼とその周辺」に連なる連作短編集とあるように、どこか架空の地方都市(?)を舞台にそこに住む人々の暮らしを切り取った作品集。年代も現在なのか、ある程度近い過去を想定しているのかなんだか微妙。敢えて言うのであれば、現代なのにどこか過去に取り残されたような人々、という感じですか。
「雪沼とその周辺」のときも書いたような気がするけれど、それぞれの短編に関わりはあまりないです。それが長所なのか短所なのかはわかりませんが、全体的に淡い雰囲気が漂っている作品集なので、あからさまに関連があるよりも、このくらいのつながりのほうが似合っているような気もします。

気がつけばもう2月。1月はだんだん寒いほうに向かっていくような感じなのであまり好きではないけれど、2月は、寒い日でももう少し我慢すれば月が終わるころには少し暖かくなるはず、と思えるところがいい。実際この頃になると春になったら何しようかなぁとか思ってみたり、いきなりギターポップやソフトロックを聴きたくなったりします。去年はイギリスのハーモニーポップを聴いてましたし。特に今年の春は楽しみなことがあるので、早く桜の咲く頃にならないかな、と待ち遠しい気分。ふう~。
いや、とくに書くようなこともないのでごまかしてみただけなんですけどね。