「大東京繁盛記 山手編」-島崎藤村・高浜虚子ほか-

東京に関する本を読もうと思っていた年末頃に探していた本を、今ごろになって見つける。関東大震災で大きく変わった東京を描くことを目的に昭和3年に編纂され、その後の多くの東京本に影響を与えた本らしい。「どんな風に」といわれてもその辺はよくわかりませんが。芥川龍之介、泉鏡花、北原白秋、久保田万太郎らが執筆した下町編もあります。
ずっと平凡社ライブラリーから出ているのを探していて、うまく見つかれば、新書版だしパリに持っていこうか、なんて思っていたのだけれど、手に入ったのは単行本。表紙はもちろん、それぞれの文章に違う人がつけた当時の東京の風景を描いたイラストもいいだけに、こうなると下町編も単行本で欲しくなってしまうのが人情というもの。平凡社ライブラリーもなかなか見つからなかったのに、いつになったら手に入るんことやら。

週末にCome Back My Doughtersの「A Palade Of Horses」とZOOT16の「MUTINY」をタワーレコードのポイントを使って買う。3000円引きで2枚で1400円。なんだか得した気分。
ZOOT16は、一度ざっと聴いたかぎりでは、曲によってばらつきがあって(もちろん私の主観的な問題だけれど‥‥)ファーストが予想外に良かっただけにちょっと期待はずれかも、という感じで、もっぱらCome Back My Doughtersばかり聴いている。ライブで演っていた新曲がどれもスローでメランコリックなものばかりだったので、ある程度予想はついていたものの、どの曲もミディアム~スローなテンポで、どこか憂いのあるメロディとギターのアルペイジオが、いろいろな意味で懐かしい気分にさせてくれる。次回ははじけたサウンドも、なんて思ったりもするけれど、これだけアルバム全体を通したイメージがきちんと固まっていると、なにも言えません。春が来て暖かくなるまでの当分のあいだ、我が家のヘビーローテーションになりそうです。
アルバムの発売にともなって、雑誌やテレビなどで見ているうちに、「サーフショップの店長」なんて勝手に名付けていたメンバーも、なんとなく普通の人っぽく見えてきたり、バラバラだと思っていたメンバーの年齢がだいたい同じと聞いてびっくりしたり、相変わらず音楽以外で驚かされることも多し。3月のシェルターはもうソールドアウトだろうけれど、5月のクアトロには行きたい。

「OU SE SCHTROUMPFE LE SCHTROUMPF COSTAUD?」-Peyo-

気がつけば旅行から帰ってきて日にちが経ってしまったので、なんだかここにパリの話を書くのもなぁとか、考えてみればとりたてて書くこともないしなぁ、なんて思ったりもする。

この本は、「パリのおみやげ」という本に載っていたモナリザ(多分)という古本屋さんで購入。日本語版も出ているストーリーものではなく、スマーフ版「ウォーリーを探せ」といった風の内容なのでフランス語でも楽しめます。もっとも本気で探して遊んだりはしないけれど‥‥。
スマーフの作者はベルギー出身ということもあり、フランスならお隣だし旅行中に見つけたらできるだけ買っておこうと思ったのだけれど、日本語版で持っている「キング・スマーフ」だけを何回か見かけただけで意外と見つかりませんでしたね。新刊の本屋に行ったら普通に置いてあったのかもしれない。スマーフのだけではなく、蚤の市でも古本市でも本はあまり買わなかったな。行く前はカヌー犬ブックスのための本なども仕入れよう、なんて思っていたのですが、実際に蚤の市などに行くと、灰皿とかティポットとか卓上の時計とか自分が欲しいものについ目がいってしまいますね。
それから古本屋の名前のところに(多分)と書いたのは、「パリのおみやげ」には“CULTURE”という名前で紹介されていたから。でも住所をたよりに通りの名前を探しまくって、ようやくたどり着いてみると看板には“MONA-LISAIT”と書いてあったのです。店の雰囲気も写真どおりだし、扱っている本も映画関係のものや写真集など同じようなものだったので、同じ店だとは思うのですが、本がまったく置いてなくて、内装のリフォーム中といった感じの一画もあったりしたので、オーナーが変わったりしたのかもしれません。期待するほど欲しい本も見つからなかったし。

「ザボンの花」-庄野潤三-

旅行から戻って、時差ぼけが戻らないまま、終電近くまで仕事したりして、ようやく週末。さすがにぐったりとしてしまって、昨日、今日は、朝、目が覚めたら12時近くなってました。そのせいで体はすっきりしたけれど。
「ザボンの花」はパリに持っていった本。これに加えて前に読んだ庄野潤三の本を3冊持っていきました。3泊5日の旅行で移動もまったくないし、前回のバリのようにホテルでのんびりと、という感じではないし、飛行機の中でもほとんどの時間は寝ているだろうし、映画も見たりするだろうから本を読む時間なんかないとわかっているのに、つい多めに持っていってしまうのは「もしかしたら‥‥」と思ってしまうからなんだけれど、やはり旅行中に読み終えたのは、この「ザボンの花」だけでした。
最初の予定ではパリといえば獅子文六、というわけで新しく獅子文六の文庫本を手に入れて、それに加えて何冊か持っていこうかと思っていたのだけれど、いざ探そうとすると見つからず、断念。いや、パリに行くからといって獅子文六という発想もどうかと思うけれど、私の拙い知識では、フランスといえば、獅子文六以外には堀江敏幸や山田稔、あるいは河盛好蔵、金子光晴、青柳瑞穂、くらいしか思い浮かばなかったりします。あるいは島崎藤村とか林芙美子とか‥‥。でも戦前までは文学といえば、アメリカ文学なんて論外だし、イギリス文学よりもフランス文学という感じだったと思われるので、ちゃんと調べてみれば普段読んでいるほかの作家の中にも仏文科出身だったり、渡仏している作家は多いはず。だからといってわざわざ調べる気もあまりないのですが‥‥。

「ザボンの花」は、1955年に日本経済新聞に連載されたもの。時期的には第一作品集である「愛撫」、そして芥川賞を受賞した「プールサイド小景」に続いて発表された初期の作品なのだが、内容的にはあまり暗い影もなく、ときおり強引な押し売りや強盗に襲われることもあるけれど、基本的にはサザエさん一家のような幸せな家族の記録です。そう考えると、庄野潤三は50年間、“幸せな家族の記録”というテーマで作品を書き続けているわけで、個々の作品のでき云々よりも、その姿勢だけでも評価に値するような気もします。家族の性格はまったく違うけれど、ある意味「ゴッドファーザー」みたいだな、と。盛り上がりがないので映画化してもおもしろくないだろうけれどね。

「感想B」-吉田健一-

今週は家に帰ってくるのが遅かったのでなかなか雑記を書いている時間がとれず。新着本もお休み前にもう少し更新する予定だったのだけれどぜんぜん更新できませんでした。そんな状態なのですが、明日からパリ(フランスのほうね)に行くためカヌー犬ブックスは少しのあいだお休みさせていただきます。昨年の10月にバリ(インドネシアのほうね。モニターだと点と丸の違いがわかりにくいからなぁ)に行ったばかりなのに‥‥という感じではあります。まぁこの時期だからチケットが安いとかいろいろいろいろあるわけで‥‥。

話は変わりますが、日曜日に「なんじゃもんじゃ」(角川文庫だと「コーヒーと恋愛」)を見に行ってきました。前にも書いたけれど、獅子文六の「可否道」を映画化した作品で、中年増で決してきれいではないけれど親しみあるとして人気のあるテレビタレントの坂井モエ子を森光子が、若くて美人で奔放な丹野アンナを加賀まりこが演じている。1963年の映画。なんだか今と変わらないような変わったような、よく分からない森光子ばかり気になってしまった。といったら大げさか。森光子は1920年生まれなので当時43歳かぁ。モノクロのせいかかなり若く見えるような気がする。40年後、85歳になっても、東京ドームで、ひ孫とも言えるような年齢のジャニーズのタレントに囲まれて大晦日にテレビに出てる、なんて当時誰も想像しなかっただろうなぁ。当然、1963年にジャニーズはないし。
ストーリーはほぼ小説と同じで、映画ならではのアディショナルはないけれど、配役もぴったりだし、テンポもいいし、きっちりと作られた映画という感じで良かったです。それにしても1963年に貯金が300万あるってすごい。そして実際にはそんなにかからなっただろうけれど「100万あればパリに行けるわよ」という時代と、3泊5日だけど●万でパリに行けるようになった今のギャップはすごい。そういえば、最後に坂井モエ子がパリにいくところが、小説では、もう少し前向きに描かれていたような気がしたけれど、どうだったのだろう。わすれました。

「第3食いしん坊」-小島政二郎-

去年の夏、京都の下鴨神社の古本市で「食いしん坊」「第2食いしん坊」と一緒に3冊セットで買ったもの。途中まで読んで、カバーを掛けたまま本棚に置きっぱなしにしていたので、すっかり忘れてました。小島政二郎はおもしろいのだけれど、割といろいろなことに対する愚痴というか文句が多いので、続けて読むと「もういいや」という気分になってしまったりもします。

なんとなく神保町へ行きたくなって、昼頃から出かけてみる。特になにをしたいというわけではなくて、「そういえばたまには国立へ行ってみよう」といった軽い気持ちだったのだけれど、なんせ、寒い。そしてほとんどの場合、安い本は、店の外に置いてある。けっきょく寒いし、欲しい本もあまりないし、ただ疲れて帰ってきました。
本を買い込むというタイプではないので、家に3冊読んでいない本があると、今週読む本は確保してるのだから‥‥と、途端に購買意欲が薄れてしまいます。
基本的には、最寄り駅から家に帰るまでに、遅くまでやっている古本屋が2つくらいあって、特にマニアックではないけれど、幅広いジャンルの本が置いてあって、それぞれのジャンルでちょっとした本がいつもそろっているような古本屋で、読んでいる本が終わりそうになる頃に会社の帰りにその古本屋に寄って、次に読む本を買っていく‥‥というスタイルで本が読めたら、と思う。なんてことを前にも書いたような気もするが。で、ということは西荻か、荻窪か‥‥中央線沿いに引っ越すか。いや、いまでも週に一度は、会社帰りに西荻に寄って、30分くらいかけて歩いて帰ってきたりしているわけで‥‥。

夜は、シネセゾンで「たべるきがしない」を見た。綾瀬はるか主演の短編映画、監督は「『ぴちょんくん』『ポカリスエット』などの広告で知られているCMディレクター伊藤由美子」とのこと。あれかな?とは思うけれど、具体的にどんなCMだったかははっきりとは思い出せない。映画の方は短いせいもあって綾瀬はるかのプロモーションフィルムみたいな感じ。入り口では、まるで写真集のようなパンフレットが配られたし。まぁ映画よりもパンフやポスターの写真のほうがかわいいかも。というか、写真の撮り方次第で、たいていの女の子はかわいく見せることができると思うので、あんまり写真は信用できないわけで‥‥。

「角帯兵児帯・わが半生記」-木山捷平-

「角帯兵児帯」は、三月書房から出ている小型愛蔵本で読んだし、木山捷平に限らず私小説作家の場合、作品の中に過去の出来事が出てくるので、「半生記」といってもどこかで読んだことのなるような内容が多いので、再読に近い。そういうこともあって、先週、名古屋に行くときに持っていく本を、「べつの鍵」にしたのだけれど、この雑記的には木山捷平の本の時に首が痛い話になるようにすればよかった、なんて思ったりもする。しかも今日、ラピュタ阿佐ヶ谷で「特急にっぽん」を観て来たばかりなのだ。

ラピュタ阿佐ヶ谷は、前々から観てみたい映画の特集がたくさんあって、ことあるごとに特集の内容やここの映画についての説明、上映時間‥‥などをチェックしているのだけれど、近いくせになかなか行けなかったのは、単にわたしが面倒くさがり屋というか、その日、映画を観るつもりで家を出ても、高円寺や荻窪あたりでうろうろしているうちに、映画の上映時間になってしまうという感じだったから。一つの映画を一日中、何回も上映しているわけではないし、土日の上映を逃すと平日は昼間しか上映されなかったりするので、一回逃すと見れなくなってしまう。
「特急にっぽん」は、獅子文六の「七時間半」という作品を映画化したもの。東京大阪間の特急が6時間半かかっていたときの話で、東京から大阪までの特急こだまの中で繰り広げられるドタバタの様子が描かれる。“こだま”と言ってももちろん新幹線ではなくて、食堂車などの車内や東京、名古屋、京都、大阪‥‥と停車する駅の構内、窓からの風景を見ているだけで楽しめる。当時の観客にとっても東京から大阪までの疑似旅行的な意味合いを思っていたのではないだろうか。適当ですが‥‥。むしろ映画で表現されるストーリーなんて、こんな他愛のないもので充分なのではないだろうか、なんてことも思うわけで、物語を複雑にすればするほど、そこからこぼれていってしまうものも多くて、結果、矛盾ばかりが目立ってしまうのではないかなぁ。
来週は同じ獅子文六の「可否道」を原作にした「なんじゃもんじゃ」が上映されます。しかも坂井モエ子役は森光子、丹野アンナ役は加賀まりこ‥‥これも絶対に観に行こう。

「べつの鍵」-獅子文六-

どうやら寝違えたらしくて、朝起きたら、首が痛くて回らない状態になってしまいました。そして、こういう日に限って出張で名古屋に行かなくてはいけなかったりするわけで、とりあえず、今読んでいる本をいったんやめて、この本を持って家を出る。
でも新幹線に乗るからといって、ちょっと気合いを入れて新しい本を持っていっても、たいていの場合、移動中は寝てしまうので、全部読み切ることはなかったりします。でも今回は首が痛いせいで、電車の中でぜんぜん眠れなくて、加えて本の内容も、長編のためのプロットのような作品や回想録風のエッセイなど、軽めのものが雑多に収録されている感じなので、さらさらと読めてしまって、めずらしく名古屋に着く前に読み切ってしまった。
ちなみに表題は谷崎潤一郎「鍵」に対しての返答、とのこと。でもわたしは「鍵」を読んでいないので行間まで読むことはできません。

名古屋では、特にこれといったことはなくて、味噌煮込みうどんを夜食べて帰ってきたくらいなんだけれど、名古屋駅の地下は9時過ぎるとほとんどの店がしまっていて、ちょっとびっくり。わたしたちがうどんを食べた店も、店内はもう閉店近くの雰囲気で、2人前のうどんもなく、一人半分のうどんを鍋二つにしてもらって食べるという‥‥。そういうわけなので、帰りに読む本を買っておかなくちゃ、と思いつつも、そんな余裕はなく、10時前の新幹線に乗り込み、もう一度「べつの鍵」を読み返してみたけれど、さすがに眠くなってきて、品川に着くころには、よけい首が痛くなってしまった。

けっきょく、家に着いたのは、12時過ぎ。
「なんだかんだいっても日帰りで名古屋に行くと遅くなってしまうなぁ」なんて思いながら、すぐにお風呂に入って寝ることにする。でも新幹線で寝たせいかなかなか眠れない。寝る姿勢をかえるにもかえられず、ぼんやりと考えごとしたり‥‥。やっと眠りはじめても寝返りをうつにも首が痛くて、そのたびになんだか目が覚めてしまい、どうも今日は眠いし、しかも首の痛みはぜんぜん治らない‥‥。なんだかパソコンに一日中むかっていると、首だけでなく肩全体がこってしまうような‥‥。

「善の研究」-山口瞳-

金曜の夜にちょっと外に出てみたら、微かに雪が降ってきていて、「やっぱり雪になるのかなぁ」、なんて思っていたら、土曜の朝起きて、カーテンを開けたら、雪が降り積もってました。時期が時期だけに寒いのは仕方がないとは思うけれど、前の週の土曜日は雨が降ってしまったし、今週は雪だし、どうもロバロバの古本市も天気に恵まれません。
東京でこんなに雪が降ったのは1998年1月15日以来で8年だそう。それで思い出したのだけれど、そのときわたしは会社の引越してました。30人くらいの小さな会社だったし、旧山手通の渋谷側から目黒側への数百メートルの距離だったこともあり、自分たちで引越の作業をしたのだけれど、まさか雪が降るとは思ってなかくてたいへんでした。社長のスキー用の手袋をして雪の積もった坂道を転びそうになりながらPCや机を抱えて運んでいたのを思い出します。
ついでに書くと引越前のオフィス(?)は、古い洋館をそのまま区切って仕事場にしていて、普通に台所やお風呂、女中部屋みたいな狭い部屋などがあったのだけれど、壁に立てかけていた板をはがしたら、煉瓦造りの暖炉が出てきたときは、思わずみんな声を上げてしまいましたね。
そういうわけで、古本市も今日でおしまい。会期中は、皆様、わざわざ足をのばして来てくれてありがとうざいました。わたしもほとんど毎週、週末に顔を出して、店番したり、普通のお客さんみたいにただコーヒーを飲んで、ほかの古本屋さんの人としたり、と楽しい2週間でした。

山口瞳のサラリーマン小説(?)を読むのは久しぶり。自身を題材にした小説やエッセイと違い、どこかの酒場で聞いたような話を組み合わせたり、補ったりして、まとめられたこの手の作品は、何となく気楽な気持ちで読めるような気がします。が、この本には、登場人物の

「世の中に悪い女なんていやしない、女ってのは、全部、悪い奴なんだよ」
「存在自体が悪なんだよ」
「彼女らには、惻憶の情とか、思いやり、感受性が徹底してかけている。人間の弱さや、愚かしさや、悲しさや、哀れさを知らない」
「女にもののあわれは不必要なんです」

という言葉に代表されるように、山口瞳のペシミストぶりがかなり強調されいて、こちらの気楽さを吹き飛ばすような芯の強い、主張の激しい3つの連作が収録されている。
基本的にはどれも女性に振り回され、都合よく使われてしまう男たちの話で、まぁ使われてしまう男も男、という雰囲気も漂っているものの、それにもまして女性の計算高さや冷たさ、打算‥‥みたいなものが強調されている。たとえ酒場に入り浸りだったとしても、結婚してから奥さん一筋だった山口瞳が、ストーリーは別として、女性に対してこういう認識をぬぐい去れなくなってしまったのは、どういうきっかけがあったんだろうか。そしてそういうことを小説の中で言ってしまえば、さらなる反論があるとわかっていても、あえて作品にして、はっきりと言わざるえなかった心境というのはどういうものだったんだろうか。

「雲の上からの手紙」-沼田元氣-

年が明けてからなぜかヴィジュアル本をよく買っている。これはエールフランス、KLMオランダ航空、スカンジナビア航空、スイス航空、ルフトハンザ・ドイツ航空‥‥など、エアラインのアメニティキット、100枚を越える封筒、スタンプ、切手を集めたもの。特に沼田元氣のファンをいうわけではないけれど、この人の引き出しの中、そしてそこから取り出すときのタイミング、その出したもの並べ方はすごいと思う。いったいこの人の家(部屋)はどうなっているのか?

第3週水曜日は「カンフーナイト」の日。といことで会社帰りにエッジエンドに行く。このイベントは、ソフトロックナイトからクレア・ハミル、そしてカンフーナイトと名前を変えつつ、そして名前が変わるたびにDJが増えつつ、長く続いているイベントなのだが、いつも同じ人がゆる~く集まってお酒を飲みながらお菓子を食べたり、しゃべったり、ときどき踊ってみたり‥‥しているので、イベントという感じではない。現在のDJは5人。でも全員そろうのは昨日がはじめてだったみたい。それぞれDropやQue、宙などでオールナイトのイベントやっている人たちなので、エッジエンドはどちらかというと気楽な仲間内の集いなのかな、よくわからない。と思ってたら、隣で「もう少しきちんとやらなくちゃダメだ」みたいな話し合いをしてた。

こうしたアマチュアながらも今でも精力的にレコードを買い、DJを続けている彼らと違い、わたしといえば、頻繁にレコードやCDを買うということは、もうない。ここ何年かは、中古レコード屋に行ってひととおり各コーナーを回ってみて、その日に出ているCDの中で同じようなジャンルのものを、どちらか失敗してもいいように2枚ずつ買う、というやり方でレコードを買っていたのだけれど、これだと毎回いろんなジャンルの棚を見渡さなくてはいけないし、いろいろみてると気分的にどれを買おうか迷ってしまうし、意外と同じジャンルで欲しいものがなかったりして、結局なにも買わずにお店から出てきてしまうことになったりしてしまう。なので、最近は2カ月くらいの期間で買うCDのジャンルを決めて、それを中古・新品を含めて重点的に買うようにしている。
ちなみに12月中旬から2月の中旬までは、ガールグループ/コーラスグループ強化月間。これは12月のカンフーナイトでトヨシマ君がピクシーズ・スリーの「Cold Cold Winter」をかけたせいで、頭の中で「One Fine Day」とか「Da Doo Ron Ron」がリピートするようになってしまったのがきっかけだったりする。さすがに「Cold Cold Winter」は手に入らないと思っていたら、割と簡単にベスト盤のCDを見つけてしまい、うれしくなって年末は毎日のように聴いてました。でもそうやって改めてテーマを決めてみると、聴いた気になっているだけで、実際はちゃんと聴いていないグループやミュージシャンがたくさんいることに気がつきます。

なんにしても世界は広い。

「東京震災記」-田山花袋-

ある意味タイムリーな本かも、なんて思ってみたりして‥‥。
関東大震災の様子を書いたものとしては、井伏鱒二の「荻窪風土記」と永井龍男の「東京の横町」ぐらいしか読んだことはなくて、それも全体の中の一部分に描かれているに過ぎない。大正時代の東京ということも含めて震災関係の本をきちんと読んでみようかな、とちょっと思うけれど、実際にそういう本をリストアップしたり探したりする気はあまりなかったりもする。
おぼろげな記憶だけれど、「荻窪風土記」では、震災の後に被災者たち、また被害に遭わなかった人が一緒になって助け合うという光景、永井龍男の本でも神田近辺で自身にあった著者の家族や近所の人たちが力を合わせて乗り切るという光景が描かれていたような気がするのだが、田山花袋の描く震災はどちらかというと、被災者の証言をうまく物語のエピソード風にして描いているものの、震災の悲惨さ壊滅のひどさが強調されているようだ。これは震災にあったときの年齢によるものなのだろうか。それまで親しんできた東京や自分が積み上げてきたものに対する愛着の違いが、震災に対する気持ちに出ているのかもしれない。まぁ適当ですが‥‥。ちなみに井伏鱒二は25歳(1898年生まれ)、永井龍男は19歳(1904年生まれ)、田山花袋51歳(1872年生まれ)の時に震災にあっているので、親子ぐらいの年の差はあるわけだ(昔は数え年なのでプラス1歳になるのかな)。震災に対する気構えが違ってくるのは当然ですね。