「柱時計」-萩原葉子-

萩原葉子は、萩原朔太郎の娘。父親の二度の離婚や権勢を振るう祖母からの虐待に近い扱い‥‥と、萩原家は、森家や室生家みたいに幸せな家庭ではなかったよう。そういった生い立ちについては「蕁麻(いらくさ)の家」「閉ざされた庭」「輪廻の暦」という自伝的な三部作に描かれているらしいのですが、ちょっとまだ読む気にはなれないでいます。
佐多稲子や網野菊もそうですが、女性の作家は、随筆だとまだ敷居が低いけど、小説となるとドロドロとした感じが前面に出てきそうで、躊躇してしまうのは、私の偏見でしょうか。

土曜日、4月に赤ちゃんが生まれて育休中の会社の人のところに遊びに行ってきました。去年も2月から11月まで毎月、うちの子もを含めて、友だちや会社で一緒に仕事をしている人の誰かの赤ちゃんが生まれていたのですが、今年もなんだかいろんなところで赤ちゃんが生まれていて、ちょっとしたベビーラッシュが続いてます。もう生まれたんだっけ?とか、これから生まれるんだっけ?とか、いま何か月なんだっけ?とか、なんて名前だったんだっけ?とか‥‥分からなくなってます。といっても、ほとんどが一人目で、30代半ば過ぎの人も多いので、人口的にプラスかマイナスか、と言ったらマイナスなんですけどね。
遊びに行った人はちょうど漣くんと一歳違いの女の子だったのですが、いや、もちろん女の子だからってこともあると思うのですが、一年前の漣くんはこんなだったっけ?と思うくらい小さくて、細くて、かわいい。30代も半ば頃を過ぎると一年ってほんと早くて、ほんと何も変わらなくて、ただ過ぎていく感じなんですけど、小さい子どもを見ていると、一年の重みを感じてしまいますね。ちょっと大げさですが。

「加賀金沢/故郷を辞す」-室生犀星-

室生犀星の本をちゃんと読むのは今さらながらこれが初めて。解説によると室生犀星は、特に晩年、随筆家という意識が強かったらしく、25冊の随筆集を出しているとのことなので、これから古本屋に行くときはチェックするようにしようと思ってます。まぁ気長にね。

先週の日曜日、関東では梅雨入りしたものの、なんとなく雨もあまり降らず、ちょっと肩すかしで、今年はカラ梅雨なのかな、なんて思っていたら、雨が降っていないのは関東だけで、九州では大雨らしいですね。と思えば、沖縄ではもう梅雨が明けていたりして、改めて日本は広いなぁなんて思ったりしてます。
今日も天気予報では夕方から雨が降るかも、という予報でしたが、昼間はわりと天気がよくて適度に風があって心地よかったので、近くの公園ではもったいない気がしてニチニチ日曜市まで足をのばしてみました(結局雨は降らなかったですね)。それにしてもニチニチ日曜市にこんなに頻繁に行くようになるなんて、という感じです。
でも、漣くんにお昼ご飯を食べさせてから家を出て、日曜市でマフィンとかクラッカーを買い、店内でカレーパンとコーヒーとかで自分のお昼ご飯を軽くすませて、ちょっと国立の通りを散歩して帰ってくると、だいたい2、3時間なので、漣くんを連れて出かけるにはちょうどいいんですよね。

めずらしく午前中から出かけてみたのですが、11時のスタート直後はお店の前に列ができているほどの盛況で、店内には入れず。ディスクユニオンで時間をつぶしてから再度挑戦。多分、開店と同時に買わないとすぐに売れ切れてしまうものがたくさんあるんでしょうねぇ。ちょっと興味はあるけれど、いつか機会があるときに‥‥。
ということで、そんなお客さんがひいたあとにのんびりとクラッカーを試食したりしながらTAIYODOの人と話していたら、国立に住んでいる友だちが来店。ツイッターを見てきたとのこと。すごいなツイッター。いや、金曜日に一緒に飲んだときに、天気がよかったら行くかも、って話をしたのでした。

ちょうど漣くんも寝ていたし、1階ならば大丈夫だろうと、ロージナ茶房に移動、40代の男2人が喫茶店でコーヒー飲みながらお互いの子どもの話、一人はべービーカーってどうなのよ、周りの人にはどういう風に映ってるんだろうか、などと話したりする。ロージナにしたものそういうのがあってで、さすがにミスタードーナッツとかミッフィーちゃんのモスってのもね。

ところで、国立のディスクユニオンは子ども連れにもやさしい唯一のディスクユニオンなんじゃないだろうか。午前中ということもあってか、わたしのほかにベビーカーを押しているお父さんが1人、4、5歳くらいの子どもを連れているお父さんが2人と、ほかのユニオンには見られない風景でした。品揃えはどうしても少なくなってしまいますが、1階で全部のジャンルが収まっているということと、通路が広いところがほかのユニオンと違うところです。まぁ大音量で流れてる店内のBGMが赤ちゃん的にはどうなのかちょっと気になったりしますけどね。

「記憶の繪」-森茉莉-

うぉーあっという間に6月も半分過ぎてしまってますね。6月の前半は、結婚記念日、カヌー犬ブックスオープン、誕生日と記念日が続いているので、あっという間に過ぎてしまいます。おまけに今年は、子どもを連れて初めての一泊旅行に行ったりしていたので、ほんと慌ただしかったです。

旅行の方は、軽井沢にあるホテルグリーンプラザに泊まってきました。ここは、赤ちゃん連れのツアーを行っているホテルで、温泉にも赤ちゃん用の椅子が置いてあったり、食事のバイキングも離乳食や子ども用のメニューがあったり、赤ちゃんへのプレゼントがあったり‥‥いろいろなところで子ども連れに対する配慮がされていて便利。
といっても、1歳2か月ともなると、食事も普通のものを食べてるし、お風呂の時に椅子に座らせても抜け出して歩いて行ってしまうし(いや実際は泣き叫んでましたが‥‥)、「あってよかった!」というものはないんですが、赤ちゃん・子ども連れの家族が周りにたくさんいるというだけで気分的にかなり気が楽でした。

近くにはおもちゃ王国があり、どのアトラクションにも乗れる券をいただいたので、1歳でも乗れるものに乗ってみましたが(もちろん付き添ってですが)、まだピンとこないようでどれに乗ってもポカンとしてました。唯一反応したのは観覧車ですかね。席の上に立って窓をガンガンたたきながら外を見てました。意外と高いとこ好きなのかもしれません。
これをきっかけに今年の夏はまたどこかに行きたいですね。

「私の東京地図」-佐多稲子-

以前、昔の東京の情景を描いた小説や随筆をよく読んでいたときに、リストアップされたままになっていた本。
戦前から戦中にかけての東京の情景が自身の回想を通して描かれています。佐多稲子は、戦前から戦中にかなり深くプロレタリア運動にのめり込んでいたらしいのですが、その活動についての記述は最小限にとどめられていて、あくまでもその時代に育った一人の女性から見た東京の風景が情緒的に描かれています。その辺のバックボーンをおさえた上でこの本を読むとまた違う風景が見えてくるのかもしれませんね。

ちょっと前になってしまいますが、ゴールデンウィーク明けに何年かぶりに風邪を引いてしまい、2日寝込んでしまいました。木曜の夜は9時くらいに寝て、金曜会社休んで、そのまま土曜日、日曜の午前中までずっと眠ってました。多分そのあいだ目を覚ましてたのは、トータルで4時間くらい?ちょこっと起きるたびに「もう寝れないだろう」と思うのですが、喉が痛みと寒気と頭痛のせいで起きてられず、ベッドに横になった途端に眠ってしまうという、いやそんなに寝れるなんて病気ってすごいな、なんて久しぶりだったせいもしみじみ思ってみたり‥‥。
結局、喉の痛みの方はその後もぜんぜん治まらず、ちゃんと治るまでに一週間ぐらいかかってしまいましたね。元喘息持ちとしてはいつまでも喉が痛くて、咳き込んでると、これがきっかけで喘息の発作が出たらどうしようかと、どきどきしてしまいます。もう10年以上でていないので、薬とかも常備しているわけではないし‥‥気をつかなくちゃねぇ~
ところで、4月に子どもが風邪をひいて、病院に連れて行ったときに知ったのですが、東京って大人でも気管支喘息医療費が無料になってるんですね。もちろん申請に際しては「喫煙者は禁煙すること(誓約書を提出)」というのが条件になってますが‥‥。

「ベスト・オブ・ドッキリチャンネル」-森茉莉-

「週刊新潮」に1979年から1985年にかけて連載されたテレビ評を、中野翠が精選して再編集したもの。全集だと8巻中2巻を占めるので、続けて読むとかなりお腹いっぱいという感じになりそうな気がします。というか森茉莉のものすごいファンというわけではないわたしにとっては、「ちょっとつき合ってられない」って感じになってしまいそうなので、このくらいの分量でちょうどいいかもしれません。
逆にわたしが、「山口瞳『男性自身』傑作選」を読みながら「なんで全部の連載を文庫で読めるようにしないのか!」と思ってしまうように、森茉莉のファンは、ベストで一冊にまとめるなんて邪道、みたいなことを思うのかも? それにしても「週刊新潮」なんて歯医者か床屋で見かけるくらいしかなくて、実際買って読んだことありませんが、わたしが中学生くらいに「週刊新潮」を読んでいたら、山口瞳と森茉莉の連載が楽しめたんだな、と思うと、すごい。中学生のわたしに山口瞳と森茉莉の両方を楽しむことができたか?という問題は抜きにして、ですが。

さて、気分的にはゴールデンウィーク最終日の日曜、福生に行って来ました。前に行ったのは1月の初めだったので、4か月ぶり。富士見ヶ丘に住んでいた頃は、年に一回、友好祭の時に行けるかどうかって感じだったので、ほんと行きやすくなりましたね。特に大きな目的はなかったのですが、前回、椅子を買ったときに、フジヤマファニチャーの店員が、春ぐらいになったらアメリカに買い付けに行くのでゴールデンウィーク明けくらいに新しい商品が入りますよ、といっていたのと、第二日曜にフリマをやっているので、暖かくなった分、たくさん出店しているいる人がいるのでは?という淡い期待をしつつ、青梅線直通快速に飛び乗ったわけです。
今回は大きな買い物はしなかったのですが、多肉植物を寄せ植えしたらいい感じになりそうなスパイスの缶や、グラスベイクのマグカップ、童話の本、漣くんの洋服など、久しぶりにフリマでいろいろ買ってしまいました。あと、名前などの文字や色、デザインを指定すると、その場で鉄板に書いてくれるお店が出ていたので、表札も作ってもらいました。

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「スーベニール・スノードーム―世界でいちばんかわいいおみやげ」-Apila編-

去年の11月に府中に引っ越してきてもう半年経とうとしているのに、まだ空けていない段ボールがいくつもあって部屋の一角を占めているという状態が続いてます。段ボールに入ったままなのは、普段は使っていなくて、でもいつか使おうと思っていたり、捨てるにはもったいない食器類、アナログ盤、スマーフなどのおもちゃ、そしてスノードーム。
特にスノードームは前の部屋に引っ越してきたときも全部は出していなくて、気に入ったものだけリビングに並べていて、半分以上はエアパッキンに包んだままでした。それでいつかの大掃除の時に、並べてあるスノードームの埃を拭いていたら、全部蒸発してしまってまったく水が入っていないものがあったりして、かなりがっかりした経験があるので、今回、どれを出して並べるか、まだ悩んでいたりします(そもそもどこに?という難題もありますが‥‥)。

この本でも、日本でスノードームがおみやげ物として人気がなくなってしまったのは、
 ・時間が経つにつれて水が汚れてしまうので店に置きづらい。
 ・ペイントミスや気泡といったスノードームにつきもののエラーに対するクレームが多い。
日本人は完璧な製品を求めるという理由が挙げられています。

スノードームを集めるにしたがって、スノードームに完璧なものなどない、という割り切りができてきたわたしでも、水が全部なくなってしまうと思うとちょっと考えてしまいます。でも、逆にいつまでも取っておけるものでないからこそ、箱から出して眺めていたいという気持ちにもなるんですけどね。

「野上弥生子短篇集」-野上弥生子-

ゴールデンウィークに入って天気がよい日が続いているので、一日中、トロージャンのボックスセットを家で流してます。5、6年くらい前、スカ~ロックステディ、ダブ、ラバーズにかなりはまっていて、これからの人生、ジャマイカの音楽とソウルだけを聴いて過ごすのもいいかも、なんてことをちょっと思ったりしたものですが、それ以来あんまり聴いてなくって、かなり久々。最近はエレクロトニカとか電子音楽ばかり聴いていたので、演奏者の顔が見えるような、ごつごつした演奏が新鮮です。
ただ、レゲエ関連の音源って、CDの再発よりもアナログ盤の再発が充実しているので、アナログ盤しか買っていなかったんですよ。だからトロージャンのボックスセットも「Calypso」と「Ska Rarities」「Sunshine Reggae」の3組しか持ってません。デタミネーションとかスカフレイムス、初期のリトルテンポなど日本のスカバンドのCDは、何枚かあるんですけどねぇ。これから夏に向けて、中古屋でトロージャンのボックスセット見つけたら買っておこう、という感じですかね。
ほんとはコンピじゃなくてきちんと集めたいとは思うけれど、アナログで持っているものもあるのに、いちからCDで集め直す気力もないし、当分の間、アナログ盤でじっくりと音楽を聴くなんていう環境でもなさそうなので、まぁしかたない。

ところでわたし自身は「夏=ジャマイカの音楽」というイメージもあんまりなくて、季節よりも「晴れの日の音楽」という感じですが、「夏=ジャマイカの音楽(レゲエ)」というイメージは、いつ誰が言い始めて、浸透していったのかちょっと気になってます。そもそも、中南米の音楽のほとんどが「夏」と結びつけられているような気がするし、確かに暑い国の音楽なのかもしれないけれど、どうも売らんとする戦略、洗脳が見え隠れするような気がしてしまうのでは、わたしがひねくれているだけでしょうか。でも夏をテーマにした曲を集めたコンピがトロージャンから出るくらいなので、「夏=ジャマイカの音楽」は日本だけのものではないんだろうな~。
あと、ついでに書くと、ジャマイカの音楽=レゲエ、レゲエ=ルーツロックレゲエ+ダンスホールみたいなイメージになってしまっているので、それ以外のジャマイカの音楽が好きなわたしとしてはちょっと困るなあ、と。いや、そんなに困ってもいないんですけどね。なんとなく‥‥ね。

「アイロンと朝の詩人」-堀江敏幸-

エッセイや書評、散文などを、特にテーマなども決めずまとめた回送電車シリースの3冊目。全体としてはうまくカテゴライズできなくて、一見寄せ集めみたいな印象もあるけれど、何気なく集められた文章も、実はきちんと全体のバランスなどを考えて選ばれていると思われるし、収録順もかなり熟考されていて、細部に堀江敏幸に本領が発揮されているシリーズ、と言えるんじゃないでしょうか。
以前、クレストブックスのアンソロジー「記憶に残っていること」が出たときに、青山ブックセンターで行われたトークショーでも、アンソロジーを組むときにはものすごく順番にこだわっていて、本当ならその組み合わせのバリエーションすべてを読んで順番を決めたかったけれど、10作品の並び変えたとき、ぜんぶで何通りになるのか計算するだけでクラクラしてしまった、みたいなことを言っていたような記憶もありますし‥‥。そのときは、それってアルバムの曲順を決めるときの大滝詠一じゃーん、なんて思ったりしましたけどね。

さて、今日からゴールデンウィーク。今年は30日をお休みにしたので、7連休。今年もどこかに行ったりする予定もなく、毎日、近くを散歩したりして過ごす予定。
今日はちょっと買いたいものがあって立川に行って来ました。といっても、グランデュオの中の中華街で中華を食べて、月餅をお土産に買ったり、上から一階ずつ降りていって、洋服を見たり、スイマーで面白キャラグッズを見たりしながら、最後にアメリカンファーマシーに寄って帰るという、ほとんど駅から出てない感じなんですけどね。
それにしても、なんで今、アメリカンファーマシーが立川にあるのか分かりませんが、輸入雑貨やお菓子、化粧品(これはわたしには関係ないけど)など、置いてある品物も、隅にペーパーバックが置いてあったりする店の中の様子も、昔、日比谷にあった頃のままで、銀座に映画を見に行くときに、アメリカンファーマーシーやソニプラに寄ってお菓子を買ったりしていた高校生や大学生の頃を思い出したりして、懐かしい気分になりました。
結局、ほんの3時間くらいしか出かけてないけれど、漣くんが一歳になって大人と同じものを食べられるようになったせいで出かけるのがほんと楽になりましたね~。で、多分、今日がこの7連休のうち一番の遠出になるのではないかと‥‥。

「石蕗の花―網野菊さんと私」-広津桃子-

広津桃子は、松川事件の追求・支援したことや長い文学的生活をつづった回想録「年月のあしおと」で知られる広津和郎の娘。
広津和郎は、長い間奥さんと別居していたらしく、森茉莉や室生朝子と違って父親を見る目はわりと冷静ですね。まぁこの本は父親の話よりも網野菊との交流をつづった随筆が中心なので、「父広津和郎」を読んでみないとわかりませんが‥‥。
でも、この本を読んでいると、広津桃子の歳の離れた網野菊に対する親愛の情がじんわりと伝わってきて、網野菊の本も読んでみようかな、なんて気分になってしまいます。実際に読むかどうかはまだ保留ですけど。

先々週から漣くんの体調が悪くて、夕方熱を出したり、おなかをこわしたり、吐いたり‥‥という毎日が続いていたので、週末もどこに出かけるわけでもなく、家で漣くん遊んでるだけで終わってしまってます。春になったら歩き始めるのかなぁなんて淡い予想もはずれ、本人もつらいらしくハイハイさえもあまりせず、ごろごろ転がっているか、泣いて抱っこをせがむかという、なんだか半年前にもどった雰囲気。でも半年前に比べて確実に体重は増えているので、そうそう抱っこばかりもしてられないわけで‥‥。今週は体調もよくなってきたみたいなので、もう一週様子を見て、ゴールデンウィークにはちょっと出かけたいですね。

「あやめ随筆」-室生朝子-

室生朝子は室生犀星の長女。室生犀星の小説「杏っ子」のモデルと紹介のされることが多いけれど、わたしは「杏っ子」を読んだことがないので、どんな風に描かれているのかわかりません。森茉莉もそうだけれど、これだけ父親に心酔(?)していると、結婚生活を続けるのもなかなか難しいんだろうなぁ、と思う。それが本人にとって幸せなのか不幸せなのかわたしには分かりませんが‥‥。

さて、これまで借りていたサーバーの期限が3月で終わってしまったので、カヌー犬ブックスのファイルを、4月から新しいサーバーに移行しました。今までのサーバーは、縁があってただで使わせていただいていたのですが、都合によりそれも終了。カヌー犬ブックスを始める前、PickwickWebのみの時から利用させてもらっていたので、2001年から約9年、思えばかなり長い間使っていたことになります。
移管に際しては、もう5年近く更新していなかったPickwickWebとミオ犬のLittleChopWebを削除しました。残しておいてもよかったのですが、両方とも放置の状態が続いていたし、PickwickWebのほうは、2001年に作ったときのままだったので、今どきフレームのレイアウトはないよな、と。
ついでになんとなくリンク集に入っているホームページを見てみたら、すでになくなっているものやブログに移行しているものが多くて、なんだか自分でホームページを作るという時代ももうおしまいなのかな、と思いました。

昔は、htmlの知識がなくても書きたいことがいろいろある人が、本などを見ながら作ったページとかが多くて、そういうホームページは、レイアウトとは稚拙なんだけれど、内容はものすごくマニアックできちんとしている、といったものが多くて、おもしろかったような気がします。ブログが主流になったことで、わりと誰でもホームページ(?)を作れるようになったためか、そういうおもしろいサイトが少なくなってしまったと思うのはわたしだけでしょうかね。というのも、最近、ミュージシャンのディスコグラフィとか、作家の作品リストとか、映画監督の作品リストとか、レベールのリリースリストとか‥‥完全なものを調べようとすると意外と難しいんですよ。ウィキペディアは、項目によってかなりむらがあるし‥‥。わたしがチェックしていないだけかもしれませんが、今どき、個人の趣味で、ブログではなく、一からホームページを作ってるって人がどのくらいいるんでしょうかね~。
ブログは、構造的に日記やコラムを書くのにはいいんでしょうけれど、まとまったもの、例えば雑誌やフリペみたいなものを表現するのにはむいてないような気がするんですけど、どうなんでしょう。‥‥とか、PickwickWebを削除しながら、そんなことを思ったりもしていたのですが、そもそもブログの最盛期もとっくに終わっていて、その後にSNSもあったし、今だとツイッターだったりするし、ネットに上がっている個人が発信する情報はだんだんうすくなっていて、10年くらい前は個人が発信する場としての意味がわりと大きかった(と思われる)ネットも、今では主に企業が情報を発信する場となっていて、実は個人が隅に追いやられていたり、企業の作った器の中で遊ばされているだけになっている、という‥‥いやいや、こんなこと書くつもりじゃなかったんですが‥‥。