例えば、バート・バカラックの音楽を聴く度に、そこには音楽に関するさまざまな要素が詰まっていて、わたしにはその中のほんのいち要素しか聴き取れてないんだろうと思ってしまう。
また最近、レイ・バレットやハーヴェイ・アヴァーン、カコ、ウィリー・ボボなど、なぜかブーガルーのCDをよく聴いているのだけれど、正直に言って1960年代後半、ニューヨークで流行ったソウルミュージックなどの影響を受けたラテン音楽という言葉の意味以外は、ブーガルーがどんな音楽なのかまったく分からない。幸いラテンミュージックのCDのジャケットには、曲ごとにBoogalooとかManbo Jazz、Son Mauntuno、Mozanco、Guaguanco、Shing-A-Ling、Jala Jala、Ritmo Melon‥‥といった表記があるのでそれを信じるしかない。
まぁ別に音楽評論家ではないので、自分が聴いていて楽しければそれでよいのだけれど、もしほんの少し手も音楽の専門的なことを学んでいて、そういった細かな違いを聴き分けられる耳を持っていたらもっと音楽を聴くことが楽しくなるのではないかと思ったりもするけれど、今さらどうしようもないわけで‥‥。
そんなことを書いてみたのは、森茉莉の文章には、鴎外が使っていたような古い言葉や漢字や、当て字などが効果的に使われていて、森茉莉はそれを辞書をひくわけでもなく記憶だけで、原稿用紙に書いていたと言うことをどこかで読んだから。
多分、それは音楽や文章だけではなくて、なにかインプットがあったときに、そこからどれだけのものを受け取ることができるか、そしてそれをきちんと記憶することができるかってことが、アウトプットを出すときに重要になってくるんだろうと思う‥‥と、ここまで書いてみて、自分が何か月か前に質より量が大切みたいなことを書いたことを思い出しました!んんん。
萩原葉子は、萩原朔太郎の娘。父親の二度の離婚や権勢を振るう祖母からの虐待に近い扱い‥‥と、萩原家は、森家や室生家みたいに幸せな家庭ではなかったよう。そういった生い立ちについては「蕁麻(いらくさ)の家」「閉ざされた庭」「輪廻の暦」という自伝的な三部作に描かれているらしいのですが、ちょっとまだ読む気にはなれないでいます。
室生犀星の本をちゃんと読むのは今さらながらこれが初めて。解説によると室生犀星は、特に晩年、随筆家という意識が強かったらしく、25冊の随筆集を出しているとのことなので、これから古本屋に行くときはチェックするようにしようと思ってます。まぁ気長にね。
うぉーあっという間に6月も半分過ぎてしまってますね。6月の前半は、結婚記念日、カヌー犬ブックスオープン、誕生日と記念日が続いているので、あっという間に過ぎてしまいます。おまけに今年は、子どもを連れて初めての一泊旅行に行ったりしていたので、ほんと慌ただしかったです。
以前、昔の東京の情景を描いた小説や随筆をよく読んでいたときに、リストアップされたままになっていた本。
「週刊新潮」に1979年から1985年にかけて連載されたテレビ評を、中野翠が精選して再編集したもの。全集だと8巻中2巻を占めるので、続けて読むとかなりお腹いっぱいという感じになりそうな気がします。というか森茉莉のものすごいファンというわけではないわたしにとっては、「ちょっとつき合ってられない」って感じになってしまいそうなので、このくらいの分量でちょうどいいかもしれません。
去年の11月に府中に引っ越してきてもう半年経とうとしているのに、まだ空けていない段ボールがいくつもあって部屋の一角を占めているという状態が続いてます。段ボールに入ったままなのは、普段は使っていなくて、でもいつか使おうと思っていたり、捨てるにはもったいない食器類、アナログ盤、スマーフなどのおもちゃ、そしてスノードーム。
ゴールデンウィークに入って天気がよい日が続いているので、一日中、トロージャンのボックスセットを家で流してます。5、6年くらい前、スカ~ロックステディ、ダブ、ラバーズにかなりはまっていて、これからの人生、ジャマイカの音楽とソウルだけを聴いて過ごすのもいいかも、なんてことをちょっと思ったりしたものですが、それ以来あんまり聴いてなくって、かなり久々。最近はエレクロトニカとか電子音楽ばかり聴いていたので、演奏者の顔が見えるような、ごつごつした演奏が新鮮です。
エッセイや書評、散文などを、特にテーマなども決めずまとめた回送電車シリースの3冊目。全体としてはうまくカテゴライズできなくて、一見寄せ集めみたいな印象もあるけれど、何気なく集められた文章も、実はきちんと全体のバランスなどを考えて選ばれていると思われるし、収録順もかなり熟考されていて、細部に堀江敏幸に本領が発揮されているシリーズ、と言えるんじゃないでしょうか。
広津桃子は、松川事件の追求・支援したことや長い文学的生活をつづった回想録「年月のあしおと」で知られる広津和郎の娘。